Saturday, October 6, 2012, 05:01 PM
10/6 晴 15時 浅草での空間線量は72ベクレル/立法メートル
今日は更新が遅れました。昼に帰ってきたら浅草と合羽橋道具屋筋は人があふれています。
三連休の観光客でしょうか。
本日のテレビ東京のアドマチック天国は「合羽橋商店街」です。
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Friday, October 5, 2012, 12:46 PM
10/5 晴 10時 浅草での空間線量は72ベクレル/立法メートル
朝日新聞に連載中の「プロメテウスの罠 地底をねらえ」では岐阜県可児(かに)郡御嵩(みたけ)町に核廃棄物処分場の舞台が移りました。
名古屋の中心部からたった40㎞程度しか離れていないのですが、明治から戦後にかけて亜炭の町として栄えた場所なのだそうです。典型的な炭鉱町で昭和40年代に廃坑が相次ぎ廃れていきます。
住宅の真下に連なる廃坑跡が陥没する事故があるという負の遺産を抱えています。
そのような土地柄、都市部に近い産廃処理場として狙われます。しかし中部圏の水源が汚れる憂慮から反対派と産業誘致派に住民はわかれます。これが二つ目の負の遺産。
御嵩町ではウラン鉱床も見つかったことで、動燃(動力炉・核燃料開発事業団)は1965-78までウラン採掘をしていました。含有が少ないので試掘で終わっています。(福島県石川町も戦前は陸軍主体でウラン採掘が行われていました。)
その場所に動燃は核廃棄物処理場をつくるという計画が持ち上がり、反対派の町長が襲撃されるという事件が発生します。
本日の内容はこのようなものでした。
東濃地区にはウラン鉱床がある
新聞で目を留めたのはこの一文です。この地域では恵那のローソク温泉はラドン含有が高いことは知られています。早速御嵩町の温泉を調べてみました。
御嵩町には岩鬼温泉があります。検索すると岩鬼湯元館では61.8マッヘ(830ベクレル/リットル)のラジウム温泉でした。
(参考)恵那が411マッヘ(5600ベクレル/リットル)と古い調査文献ではなっていますが大昔の測定なので信頼はできません。マッヘはラドン(ラジウム)温泉の目安でしかないのです。
福島県の三春町にもラジウム温泉があります。恵那のローソク温泉もそうですが私の評価は低いです。恵那は湯量が少なく循環です。三春は郡山の奥座敷で大箱の宴会目的の温泉街です。
岩鬼温泉はいつか調査体験旅行をしてみたいと思います。
六城ラヂウムが訪れたラヂウム温泉
1位 益富温泉 不老閣の岩風呂
2位 玉川温泉
3位 長野 小谷(おたり)温泉
3位 ローソク温泉(正式名称は湯之島ラジウム鉱泉保養所)
4位 二股ラジウム温泉
番外 福島三春温泉
小谷温泉の成分表では約2マッヘ(約20ベクレル/リットル)でラジウム温泉の基準には満たないのですが、湯あたりの強さでは益富に匹敵すると感じます。ラドン含有量を読み間違えて一位としておりましたが、順位をおとします。でも私の中では小谷温泉が一番です。
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Friday, October 5, 2012, 11:17 AM
中矢伸一先生
船井幸雄オープンワールド2012でのご講演の際に拙者をご紹介いただきありがとうございます。拝聴されていた方からご講演の内容を聞き、恐縮の限りです。今さらですが感謝いたします。
浅草の空間線量が福島原発事故に関係なく上下している現象はなんだろうかと考えていました。お客様からも太陽風の影響ではないか、もしくは大気の電離層の影響ではないかとヒントをいただきましたが、原因はよくわかりません。
中矢伸一先生が船井ワールドの講演で地球のバンアレン帯(地球から放射線を守る磁界)が薄くなっているという説を述べられています。そうかもしれません。
大気圏にはプルトニウムといった人工的な放射性元素は今も昔も存在してることを指摘されています。
その通りです。
大気圏ではすでに1月18日にプルトニウム238の原子力電池を積んだ火星探査機が燃え尽きています。
http://japanese.ruvr.ru/2012_08_30/kasei-kensaki-kyurioshitei-soren-purutoniumu/
(貼り付けはじめ)
火星探査機「キュリオシティ」はソ連のプルトニウムで動く
30.08.2012, 03:39![]()
Photo: EPA
火星プロジェクト「フォボス・グルント(フォボスの土壌。火星および火星の第1衛星フォボスの探査計画)」の失敗は高くついたが、ロシアの専門家はそれでも、火星探査に関して自分たちをほめてよいことがある。米国の火星探査機「キュリオシティ」をはじめ、米国の全ての火星探査計画は、ロシアの、どころかソビエトの学者たちの労作を利用しているのだから。
まず、火星探査機の発電機。探査機の保温、電力の使用は、ソビエトで開発され1990年代に米国に輸出されたプルトニウム238の原子力電池によってまかなわれる。
また、探査機はロシア科学アカデミーの宇宙研究所で開発された中性子検出器を搭載している。この機器で土壌中の水素、つまり水の含有量、鉱物組成を測定する。
最後に、キュリオシティを火星へと運んだロケット「アトラス」の第1段目と第2段目は、ロシア製のロケットエンジンであった。
Newsru.com
(貼り付けおわり)
http://www.sorae.jp/031006/4582.html
(貼り付けはじめ)
ロシアの火星探査機「フォボス・グルント」、太平洋上に落下January 18 - 2012 - 火星![]()
Image credit: Roscosmos
ロシア連邦宇宙局は1月16日、昨年11月に打ち上げられ、エンジンの噴射に失敗し、コントロールを失った火星探査ミッション「フォボス・グルント(Phobos-Grunt)=フォボス・ソイル」について、太平洋上に落下したと発表した。
発表によると、「フォボス・グルント」はモスクワ時間1月15日21時45分頃(日本時間1月16日2時45分頃)に、チリ南部ウェリントン島の西約1250kmの太平洋上に落下したという。また、「フォボス・グルント」には中国初の火星探査機「蛍火1号」も搭載されており、こちらも一緒に落下し、失われた。
「フォボス・グルント」を乗せたゼニット・ロケットは11月9日に打ち上げられたが、「フォボス・グルント」のメインエンジン(MDU)が点火せず、予定されている火星に向かう軌道へ遷移できず、地球周回軌道で周回を続けていた。
「フォボス・グルント」はロシアの火星探査のサンプルリターンミッションで、火星の衛星フォボスに着陸した後、フォボス表面の土壌サンプルを採取し、地球に持ち帰る計画だった。一方、「蛍火1号」は重さ約115kg、カメラや磁力計などを搭載し、火星の近くで「フォボス・グルント」から分離し、火星周回軌道に投入された後、約1年間にわたって火星と衛星のフォボスを観測する予定だった。
■О ситуации с космическим аппаратом «Фобос-Грунт»
http://www.federalspace.ru/main.php?id=2&nid=18568
Written by sorae.jp編集部宇宙班
人工衛星や軍事衛星には太陽電池以外には原子力電池も古くから使われていたようです。ロシアは豊富なプルトニウムをアメリカに提供しています。
中矢伸一先生はハワイ上空でもプルトニウムが検出されたのはおかしいと指摘されていましたが、太平洋のハワイで検出されたプルトニウムはロシアの火星探査機によるものであると見るのが自然でしょう。
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Thursday, October 4, 2012, 12:24 PM
10/4 晴 10時 浅草での空間線量は73ベクレル/立法メートル
食事がいつもの五割増のような感じです。食欲の秋とはよく言ったものです。
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Wednesday, October 3, 2012, 05:43 PM
10/3 曇 10時 浅草での空間線量は77ベクレル/立法メートル
朝日新聞4面の連載、「プロメテウスの罠 地底をねらえ」をご存じでしょうか。
原発にまつわる問題に対して政府、自治体の動きを連載という形式で掲載しています。
現在連載中の内容シリーズ18として高知県東洋町に核廃棄物最終処分場の候補地として名乗りを上げるだけで億単位の交付金がでるという話を持ち込み、餌に群がる鼠のように山師(銭ゲバ)が跋扈する様子が描かれています。
舞台は6年前の2006年に高知県東洋町という刑務所でも誘致しないとやっていけないという過疎の貧乏町、そこに現れるNPO世界エネルギー開発機構という団体を名乗る藪田哲生(やぶたてつお)と、その話に乗る町長、田嶋裕起やその周辺の騒動話です。
NUMO(原子力発電環境整備機構:電力会社が共同で設立した土地買収会社)へ最終処分候補地への名乗りに藪田哲生が仲介するという話を持ち込んで、話が始まります。
この藪田哲生とは大阪市住吉でゴルフ場や産廃処理用地の買収業をしていたとのことです。そこにNUMOをと関わりのある世界エネルギー開発機構理事長の中村一光(なかむらいっこう)という男が核廃棄物最終処分場という儲け話を持ち込みます。
さあこの世界エネルギー開発機構という団体は何か。
東京西麻布のビルにありました。創設者は元電力中央研究所の服部禎男(はっとりさだお)で2001年発足し2005年に解散しています。その団体名をそのまま使ったのが中村一光らしいです。
記事中では服部禎男は
(2012.10.1より貼り付けはじめ)
発足してすぐ、おかしな連中が出入りするようになり、私の名前を勝手に使いはじめた。私と一緒の写真を利用したり、勝手に大きな肩書きの名刺をつくったり。これはかなわんと思って解散手続きをした。彼らと関わるのはうんざりだ─。
(貼り付けおわり)
早い話、核廃棄物処理場のブローカー業の真似事をする山師が集まったので解散したという訳です。服部禎男はまったく関与していない発言を朝日新聞記者にしています。
人形峠の残土をタイルにして販売した会社があります。そこにも服部禎男を掲げて電力中央研究所のOB、そして胡散臭い人脈が渦巻いています。烏合集散しているので私も詳しくはわかりませんが、似たような団体名を掲げ、服部禎男の名前を紹介文に掲げているようです。
実際に関わっているのかはわかりませんが、「おかしな連中」とは何かというと、出資詐欺師、未公開株業者、マルチ商法、訪問販売員、似非医者と口八丁な詐欺師のオールスター連合のことです。政治団体もいるかもしれません。(冒頭の中村一光が右翼団体関係者と言っている)
服部禎男はこういった連中からは大人気です。藪田哲生は東洋町の町議、田島毅三夫(たしまきさお)には以下のように弁明しています。
(2012.9.30より貼り付けはじめ)
「私たちの上には、政界中枢に通じるハットリという人物がいる。原子力関係の政策はその人の意見を聞かないと動かんくらいだ。表には出ないがその人から頼まれ、ここにきた。私の担当は東洋町だ。核廃棄物の問題を解決するためであって、カネのためではない」
(貼り付けおわり)
核廃棄物処分地反対の町議、田島毅三夫には平成7年に京都簡易裁判所へ名誉毀損で訴えています。その訴状には「私共は国の機構から委任を受けて高レベル放射性廃棄物の処分地策定に努力しております。」と明記していたそうです。もちろん原告である藪田は出席せずに裁判は流れました。
結局はNUMO(原子力発電環境整備機構)から最終処分候補地への応募の確認で、田嶋町長の独断が判明したことが役場に知れ渡り、応募は撤回されます。
「書類を提出するだけで2億円が地方交付金で国から出る」
事実かどうかわかりませんが、架空の団体の闇紳士の甘言を鵜呑みにする町長、そしてかならずこのような話に登場する服部禎男(はっとりさだお)の名前がどこかにあります。
新聞の連載はまだ続きます。
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Tuesday, October 2, 2012, 03:28 PM
10/2 晴 10時 浅草での空間線量は79ベクレル/立法メートル

ブローカート(ランドヨット)という名の乗り物です。動画を検索してみると風次第では時速40キロほどでるようです。簡単に言えばヨットの帆をつけた三輪車です。
同様のものに大型のスケートボードにウィンドサーフィン用のセールをつけたウィンドボードという乗り物もあります。
ブローカートは和歌山でヨットの元オリンピック選手鈴木國央氏が熱心に普及活動をしていたようです。和歌山のヨット協会も後押ししていました。
店主が25年前、中学生のときに帆かけ自転車でサハラ砂漠を横断するという冒険家が近所にいました。当時は植村直己氏といった冒険家が脚光を浴びていた時代でした。
残念ながら帆かけ自転車の横断は失敗に終わりました。
ところがその冒険家のお名前で検索してみると、今年再挑戦したそうです。
http://www.pedalian.com/sailing-cycle-project.html
「帆かけ自転車によるオーストラリア大陸2,500km横断プロジェクト」
実は彼にあこがれて自転車少年になったのですが、サハラ砂漠失敗後、関西サイクルセンターに勤務する池本元光氏をみかけて、あまりにも普通のおじさんだったのと、寂れた展示スペースの一角に座っているだけの姿に可愛そうになって声を掛けられなかった記憶があります。
65歳で再挑戦するのか!
たしか20年前にタンカーに鋼鉄製の帆をつけたタンカーが試作されたことがあります。
洋上の燃料消費を抑えるために考案されたのですが、結局積荷のスペースが削られるという理由で実用化されず、その後は帆は撤去されてしまったということです。
電気自動車もいいけど、もっと原始的な考えに徹することがいいのではないでしょうか。
うちの近所はリアカーをよく見かけます。サイドカーで窓サッシを運んでいるガラス屋さんもあります。
今日は風が強いから帆かけ自動車で出かけようか!なんて世の中になれば楽しいだろうな。
ちなみに古い懐中時計には短針(時針)しかありませんでした。長針(分針)付の懐中時計は24時間の概念が広まってから生まれたらしいのです。
蒸気機関車が登場する前の交通網は風任せだったからです。
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Monday, October 1, 2012, 04:56 PM
10/1 晴 10時 浅草での空間線量は72ベクレル/立法メートル
昨晩の台風は思ったほどではなく、風は強くても雨はわずかでした。星空が綺麗でした。
今日は10月なのに30度という暑さ。部屋の中では汗をかきます。
いまさらですが、Steve Jobs(スティーブ・ジョブス)の伝記を読み始めています。
ユーザーインターフェース(操作性)に心血を注ぐ情熱は最初から貫かれていました。
彼の製品哲学が日本製品にも広がれば、もっと暮らしやすい世の中になると思います。
駅の券売機ってあれもiphoneと同じくタッチパネル式ですが判りづらいと思いませんか?
お金を入れてから金額を押すタイプやボタンを押してからコインの投入を促すもの、頭上の路線図を見ながらでないと何を押せば判らない機種など路線や鉄道会社によってまちまちです。
テレビやオーディオ製品のリモコンは相変わらず最悪です。
卓上には似たようないくつものリモコンがあるというご家庭も多いのではないでしょうか。
リモコンを手にする度に、この設計者はどういう意図で全てのボタンを同じ大きさで格子状に配列したのかと感じます。暗闇や手探りでは一切わかりません。
取扱説明書やマニュアルが必要なソフトウェアは最悪であるという哲学をもっと日本企業、デザイナーは意識してもらいたいものです。
いつになったらシンプルな世の中となるのでしょうか。
残念ながらエントロピー(煩雑さ)は増大する方向にしか向かいません。
それは社会構造からテレビのリモコンまで言えることです。
しかし少しでも身の回りから単純簡潔にしていくという努力は必要だと思います。
それが「断捨離(だんしゃり)」。
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Sunday, September 30, 2012, 03:33 PM
9/30 晴 10時 浅草での空間線量は56ベクレル/立法メートル
台風が近づいているのに晴れており暑いです。これから崩れるのでしょうか。
スカイツリーができて浅草が賑わっているかと尋ねられると、どちらかというとそれほど目立った変化はありません。それどころか表通りでも貸店舗の貼紙がちらほら目立ちます。
スカイツリーの地元であるお隣の墨田区でも商店街が賑わっているかというと、観光客はほとんど周囲の商店街には流れていないそうです。
京島という東京大空襲でも焼けなかった戦前からの密集地域があるのですが、その昭和的風景を墨田区は観光名所としてPRしております。橘商店街というお総菜屋などがならぶ、まさに下町を味わえる場所なので、結構隠れた人気はあるのです。その商店街、キラキラ橘でもスカイツリーの歓迎ムードがかつてはあったのですが、いまでは何も変わって居らず、人通りも高齢者ばかりで、うらぶれたままですね。
JR総武線・錦糸町駅にも大規模な商業ビルが建ったので、そこからスカイツリー観光というルートが人気です。スカイツリーが目的地なので、その周辺は観光客は寄らないのです。
スカイツリーにあやかってイトーヨーカドーが近くに建ったのですが、ここが悲しいかな閑古鳥。品揃えも貧弱で割安感もありません。高齢者の多い地域に出店しても採算があっているようにはとうてい思えません。事実専門店街は目論見はずれて閉店するところも現れています。
なぜでしょうか。
交通網が貧弱だからです
スカイツリーには都営浅草線(あと最近では半蔵門線)か東武という地方鉄道でしかないからです。墨田区はJRの幹線に対する補助的な路線しか走っていないので、住むにも観光にも不便だからです。
JRの主要駅には駅ビルだけではなく、エキナカと言われる改札内の商店も充実しています。最大の売上が見込める場所こそ、東京駅で、現在駅舎の八重洲側を商業施設にする工事の真っ最中です。東京駅-銀座(有楽町)が商業地域の王者になることは確実だと思います。
意外ですが立川、北千住、津田沼といったJR線からの乗換駅も商業施設は大きいです。一方、上野駅は今後は東北本線・高崎線・常磐線の始発駅ではなくなり通過駅になります。上野周辺の商店は厳しくなるでしょう。
また日比谷線と都営大江戸線しかない六本木もこれからは淘汰が始まるでしょうね。
このようにスカイツリーの経済効果を開業後に眺めてみると、ターミナル駅の経済効果がはるかに大きいことがわかります。乗降客の規模がそのまま投下額に比例しているという不動産業者の常識はスカイツリーにも当てはまると言えます。
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Saturday, September 29, 2012, 01:47 PM
9/29 晴 10時 浅草での空間線量は50ベクレル/立法メートル
世の中にはなかなか捨てられないという方が多いのではないでしょうか。
私も捨てられないものがあります。それは本と工事ででた余材などです。
本はかつて一気に処分したことがあるのですが、いまでは貴重本や入手不可能なマニア本だったことがわかり、すごく悔やんだことがあります。
副島隆彦先生の代ゼミ講師時代の名著「道具としての英語シリーズ」(宝島社)は受験勉強で全巻揃えたのに、まとめて捨ててしまいました。これは学問道場でも探している本です。
代ゼミでの講義の板書をそのまま書籍とした画期的で読みやすい本でした。この本ではじめて文型やbe、haveという動詞の意味を理解したものです。
古い家電製品をそのままご自宅にしまい込んでいる方も多いのではないでしょうか。
ボタンの取れたPC用液晶ディスプレイと14年前のPCを譲り受けました。何かに使ってくれとのこと。
少し電源を入れて立ち上げてみました。
1時間後にはハンマーでばっきばきに壊して不燃ゴミ置き場に放り込みました。
1年間使わなかったものは一生使わない
サラリーマン時代のワイシャツがクリーニング袋に入ったまま何十着も押し入れに入っています。靴箱には毎週手入れをしていた革靴がずらりと揃っています。靴と腕時計のコレクターだったのですが、今では冠婚葬祭でしか履くこともないので、これは会社員の弟のところに押しつけようと思っています。
保管義務のある領収書類が嫌ですねえ。
写真が段ボール箱に放り込んだままになっています。デジカメ時代になってから気軽に写せるようになって、メモリーにも数年前の画像が削除されずに残ったまま。
古い書きかけの文章やいつか役立つだろうと置いていたパソコン雑誌も今日は一気に捨てます。
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Friday, September 28, 2012, 11:08 AM

9/28 晴 10時 浅草での空間線量は50ベクレル/立法メートル
弊社製品群で使われている高線量ラジウム粉末(ご希望により砕石)のご要望が多いので、特別販売をいたします。
レベルは3段階あります。
数量に限りがありますので在庫限りで終了します。
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Thursday, September 27, 2012, 02:26 PM
9/27 晴 10時 浅草での空間線量は50ベクレル/立法メートル


なんらかの差違を見つけたいのですが、溶存水素試薬に於いての差違は認められませんでした。溶存水素はごく僅か(0.1ppm以下)なのだと思います。
右端は水素発生容器の水です。
透明になれば溶存水素があるのですが、色は変わりません。
これは昨日撮影してから24時間密封状態で冷蔵庫で一日半放置したからです。
水素発生した直後の溶存水素は試薬によると1.7ppmでした。昨晩は0.2ppm程度でした。徐々に抜けて36時間も経つと消えてしまうことがわかります。
まだ水に対する実験計測は続けたいと思います。
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Wednesday, September 26, 2012, 12:46 PM
晴 10時 浅草での空間線量は58ベクレル/立法メートル


同じ条件にするために、炭酸飲料(コカコーラ)のボトルの底に源憘珠を入れて同じく水道水をいれてみました。これは水素を発生する目的ではないので、発生剤使用のボトルとの比較では泡の発生量ははるかに少ないです。
翌日試薬を入れてみたいと思いますが、溶解水素はそれほど多くないと思います。アルカリに移ることは確認しているので酸化還元電位はマイナス側に移動していると思うのですが。
この実験結果は明日です。
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Tuesday, September 25, 2012, 11:29 AM
曇 10時 浅草での空間線量は72ベクレル/立法メートル
秋分の日から急に寒くなりました。食欲がでて食事の量が増えました。
小室直樹による30年前の書「新戦争論」の概略を掲載しました。あれは当時の外務省で小室直樹が講演した内容なのだそうです。
結局の所、国際社会(=国連)では国家紛争の解決はできないし、今後もその可能性は低いという結論で終わっています。
小室直樹の愛弟子であった副島隆彦先生は述懐されています。
小室直樹も自家撞着(じかどうちゃく)に苦しんだんだ
小室博士も祈りだけでは平和な状況にはならないと言いつつも、国際間の領土問題といった紛争は武力行為しか解決がないという消極的な結論に帰結しなければならないからです。
現代の国際社会での取り決めでは
・個別的自衛権(主権国家の自衛行為)
・集団的自衛権(同盟国家としての戦闘参加)
が認められています。武力行為に対する国際社会への言い分はこの二つだけです。
日本においては自国のみで軍隊(自衛隊)の派遣はできないし、宗主国のアメリカも軍隊を派兵する余力はない現状を踏んで中国は尖閣諸島を試金石として挑発行為を繰り返しています。
軍部統制のためにうまいことやるなあ
北朝鮮とロジック的にはまったく同じです。国内の不満を外へ向ける手段は寡占権力国家の常套です。その茶番にどこまで付き合えるかが真の外交なのでしょう。
イシハラ馬鹿親子の煽動にのった野田総理による尖閣諸島の国有化は最悪の手だと思います。双方の落としどころがなくなってしまったからです。
野田総理は国連で領土の正統性を訴えるそうですが、国連には紛争解決の場ではなく、単に国家の主張する場にすぎませんから、状況が変わることはありません。
「平和」とは「安定し均衡した形で長期間維持するシステムであり、そして複雑で微妙な人工的なしくみなのである。」
小室直樹の平和の定義はこのようにされています。軍事力だけではなく、経済、教育といった国家運営そのものを変えざるを得ない時期にきているのだと思います。
ナショナリズムから始めるのは最悪の手だと私は思います。まずは憲法改正を含めた法の整備と体制に移るべきと考えます。
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Monday, September 24, 2012, 10:41 AM
晴 10時 浅草での空間線量は72ベクレル/立法メートル
数日の間に空間線量は半分になっていました。

内湯はあるのですが、折角ですので源泉わきにある露天風呂に入りましょう。もちろん洗い場などなく、混浴です。
会津は白濁したお湯の温泉が多いのですが、ここも見事な白濁の湯で硫黄の香りです。湯量が多く掛け流しです。
露天風呂に入っていた地元の人が言うには、ここの風呂が会津の中では一番とのこと。硫黄の臭いが好きな人は福島側の赤湯温泉も良いとのこと。

到着時は晴れていたのですが、出発前には大雨です。風も強く豪雨でした。脇の沢が濁流になってますね。それでも傘をさして漬かってましたけど。

まさに温泉という醍醐味が味わえるでしょう。この一帯は紅葉がみごとな地域ですので、これからがシーズンでしょうね。
宿は水戸屋という温泉宿が一つあるだけです。料理は期待していなかったのですが、とても美味しく、山菜料理などひとつひとつ愉しめました。中年夫婦での宿泊が多かったかな。なぜ判るかって、そりゃ混浴ですから。
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Thursday, September 20, 2012, 12:37 PM
晴 10時 浅草での空間線量は154ベクレル/立法メートル
暑さ寒さも彼岸までとは言いますが、今日も陽射しが強いです。それでも夜間は過ごしやすくなった気がします。
明日より日曜まで更新ができなくなります。
さて日本が元気がないというのは日本の工業製品に魅力がないからだという論調がありますが、はたしてそうでしょうか。
小型レジャーボートのジェットスキーやジェットバイクと呼ばれる乗り物は、川崎重工が最初に作り、海外での爆発的な人気にヤマハも製造をしています。金持ちの海のレジャーには欠かせない乗り物となっています。ヤマハに至っては4輪バギーとジェットバイクを合体させた水陸両用車(Waverunnner)を3年前にはアメリカで製造販売しているのです。
日本では見たことも聞いたこともない日本製品というものも結構あると思います。
上記にあげた水陸両用車両などは日本ではとても活躍する便利なビーグルだと思います。
ところが日本では役所の前例主義による壁でぜったに認可されません。
小役人どもの建て前で日本製品であっても政府は閉め出しているのです。
原付バイクが旧態依然の法律で国内からほぼ消えたように、日本製品に魅力がないという元凶はすべて旧態依然とした制度と法律なのだと私は考えています。
自由度を高めれば、飛行機だって垂直離着陸機だって日本製でつくれるのに、法律ばかりしがみついている小役人どものおかげで日本はダメになったのでしょう。
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Wednesday, September 19, 2012, 12:50 PM
雨 10時 浅草での空間線量は144ベクレル/立法メートル
昨日 晴 147ベクレル/立法メートルだったのでほぼ変化無しです。
通販大手や流通大手が「水素水」を盛んに宣伝しているそうで、当方にも感心をもたれている方が多いようです。
ラジウム玉をいれた水は水素水なのか?
具体的な結果がでたら発表したいと思います。これまでは計測手段がなかったのと、水素水といっても水素イオン濃度なのか残溶水素なのかが判らなかったのでどうしたらよいのかと思案しておりました。
過去のブログにも載せてありますが、弊社源憘珠(げんきだま)のエネルギーにより水泡が発生している写真を掲載しておきます。水は煮沸しており二日後に撮影しております。


(過去ブログ)リトマス液で能力検証実験
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Monday, September 17, 2012, 02:06 PM

申し訳ありませんが、パワー&スリムベルト(ラジウム腰ベルト)のベージュLLサイズ(腰回り97~110cm)が現在欠品中です。
他のサイズやピンクは在庫あります。
次はもっと薄型で軽く、蒸れのない新製品を作りたいと思います。
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Monday, September 17, 2012, 11:15 AM
晴 10時 浅草での空間線量は148ベクレル/立法メートル

媚中企業にとっては少しはいい薬になるでしょうといった感じで見ています。襲撃されたのがジャスコってことで気味がいいです。フランス・カルフールとかジャスコとかカーディーラーといったあちらの貧乏人には縁遠いところを襲撃してうっぷんを晴らせばいいのです。
中国に化学工場を立ち上げた方の話を昔伺ったことがあります。
スポンジの原料となる化成品だけをつくる工場なのだそうですが、驚いたことに立ち上げ直後から、それこそスポンジが水を吸い込むようにいくら供給しても追いつかないのだそうです。一方では従業員の確保と水準を維持する教育が悩みの種で、毎日バスを近隣の村までだして工員を迎えにいかないといけないのです。無断欠勤あたりまえ、賃金が少し高いだけで他所に行ってしまうなどなど稼動のための苦労は日本の比ではないそうです。
100人の人手に毎朝120名は連れてこないといけなかったと言われてました。
それでも中国の消費パワーは化学メーカーにとっては麻薬のような魅力で、何をつくってもどれだけ作っても端から消えていくのは工場の責任者にとっては代えられない魅力なんだとおっしゃっていました。
一方では中国に工場を建設して、いざ新製品を発表という段階になって、すでに同じパッケージで市中に出回っていたという笑い話がございます。私が昔務めていた製薬会社なんですけどね。風邪薬のパッケージもネーミングもそっくりそのままで偽物が知らぬ間にできていたのです。
中国が企業の業績回復のキーだなんて、相手企業に言われるがまま中国に進出した企業は少しは目を覚まして欲しいものです。
自転車部品の世界的企業となったシマノは、堺の鉄工所の段階で1970年からマレーシアやシンガポールに進出しています。中国の工場は安物をつくるためだけに最後に設立しています。1985年から慌てて海外進出した企業は後手にまわりました。最近海外進出した企業は2周も遅れているのです。
私の素人考えですが、なんで製造工場にムスリム(イスラム教徒)国家を選ばないのでしょうかね。中国に比べればムスリム国家は大概治安はいい方ですし、コーランに背かなければ人々は穏やかです。アジア=中国としか考えない経営者は視野が狭いなあと、ニュースを見るたびに思います。
中国の消費力だけが魅力なのですから
学問道場では夏休みの宿題発表会で小室直樹の「中国原論」を取り上げた方がいました。そのうち掲載されるでしょう。
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Sunday, September 16, 2012, 11:07 AM
晴 10時 浅草での空間線量は159ベクレル/立法メートル
また急速に空間線量が上昇しています。これを書いている間に160になりました。
急に雨が降ったらピーカンになりました。

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Saturday, September 15, 2012, 12:48 PM
晴 10時 浅草での空間線量は146ベクレル/立法メートル
http://www.snsi.jp/tops/kouhou/1621

今だから読む小室直樹「新戦争論」
30年前にソ連崩壊、EU統合の失敗、尖閣・竹島領有問題を予期していた。日本の国際社会への幻想、楽天的平和主義、国連という一機関への誤解。さらに国民国家の理解と国際社会のあるべき姿を通して戦争の意義を捉えた名著を読む。
■本書が上梓された頃の日本
本書は昭和56年(1981年)5月に出版されました。その一年前に小室直樹は「ソビエト帝国の崩壊」を上梓し、注目されるようになりました。当時はまだまだ冷戦まっただなかでソビエト連邦(ブレジネフ書記長)は健在です。アメリカはレーガン政権、国内では鈴木善幸首相、海外ではダイアナ妃成婚が話題であり、国内では松田聖子・田原俊彦ら歌謡曲が全盛です。この年のベストセラーは窓際のトットちゃん、テレビではドリフに代わってたけし・さんまの「俺たちひょうきん族」です。
■「新戦争論」のテーマは5つ
まず本書では国内の平和主義運動に懐疑を示しています。反ベトナム運動から続く空想的平和主義が戦争を引き起こすのであると断罪しています。
「戦争」という言葉を忌み嫌うばかりに国民ばかりか国際社会でも言い換えて文明史を直視していない問題にも言及しています。そこから日本政府がもつ国連への幻想と国民国家の十分条件をわかりやすく説明しています。さらに踏み込んで国連を国際社会そのものと勘違いする日本の文化的要因を考察し、主権国家であるためには戦争を国際紛争解決の一手段として捉えて戦争への備えと回避を日頃から意識していくことが真の平和主義であると締めくくっています。副島隆彦先生によると、本書は小室直樹氏が講師として外務省で行った勉強会での原稿が元になっているそうです。
1.平和主義者が戦争を引き起こす
個人の心の持ちようで平和が訪れるという“奇妙な念力主義”は戦前の神州不滅主義となんらかわらないと、現在の空想的平和主義を小室直樹は諫めています。
第一次世界大戦後のヨーロッパにおいても「もう戦争はこりごりだ」という市民の想いが平和主義運動(パシフィズム)という拡がりを生みます。戦火で灰燼となったドイツではヒトラーでさえも当初は平和を訴え、平和主義運動がドイツに不安定な連立政権を誕生させました。連立政権で脆弱な政権のヒトラーはフランスとの中立地帯への軍の駐留や空軍の創設、戦車隊の増員などといったベルサイユ条約の露骨な蹂躙を行います。ところが平和主義運動の蔓延がイギリスのチャーチルにナチスドイツへの軍事制裁を躊躇させたのです。なぜなら英仏両国の政治家は武力行動反対の声に迎合せざるを得なかったのです。(まるで現在の日本は侵略を許した70年前のフランスのようではありませんか。)
1933年(昭和8年)1月にヒトラーが政権を獲ると、ベルサイユ条約を破棄して再軍備を急ぎ、1936年(昭和11年)3月にはとうとうフランス側ラインラント中立地帯へ進軍を開始します。
フランス政権は混乱しており、武力行使を決定する指導者不在であるとのヒトラーの判断がみごとに的中しました。以後はヒトラー支持が急激に高まりパシフィズム運動は一転して好戦主義へと変貌します。
1-1.日本には今も昔も軍国主義者はいなかった
戦前は軍国主義者が蔓延(はびこ)っていたために日本は無謀な戦争へ突入したと国民には信じられていますが、軍国主義者は戦前も戦後の現在においても登場していないと小室直樹は述べています。軍事的な話題がのぼるとすぐに軍国主義や憲法九条違反という論調となりますが、真の軍国主義はそのようなものではないのです。自国と敵国の優劣を判断し、戦争に勝つことを目的とした思考を指すとすれば、戦前も戦後にも国内には軍国主義者はいないのです。
一方でアメリカの大学には軍事学部があり、軍事研究は大学生までもが行っています。日本は今でも軍事研究はタブーとされ、知らないことが戦争を起こさないことだという信仰にまでなっているのであると指摘しています。
1-2.(参考)ドイツの再軍備はエドワード・ヘンリー・ハリマンの出資で行われた
副島先生の解説によるとヨーロッパにパシフィズムを広める一方で第一次大戦後のドイツでヒトラーの戦車隊をつくり再び戦時体制へとヒトラーに促したのは、鉄道と投資銀行をもつエドワード・ハリマンであり息子のウィリアム・ハリマンであるそうです。ハリマン社には父ブッシュの父、子ブッシュの祖父であるブレスコット・ブッシュが在籍してます。1911年(明治44年)頃から欧州財閥に対してアメリカ新興財閥へと勢力が移り旧財閥系(ロスチャイルド)と当時新興であったロックフェラーが第一次世界大戦を引き起こしたのであると大局的には言えるのです。第一次大戦後、民衆に広がった平和主義運動(パシフィズム)は日米間での太平洋問題調査会(The Institute of Pacific Relations:IPR)に引き継がれ、そして対日工作の実行部隊として利用されました。また国内にもいわゆる岩波文化人(左派)と呼ばれる層が現れたのもこの時期です。パシフィズム運動は自然発生したのではなく、世論操作のために周到に準備されていたのです。
1-3.平和とは戦争のない状態ではない
小室直樹は「平和」とは「安定し均衡した形で長期間維持するシステムであり、そして複雑で微妙な人工的なしくみなのである。」と定義しています。さらに戦争より合理的かつ実効的な国際紛争解決手段を考案しない限り、戦争は消滅するはずがなく。もし将来戦争を回避できる体系ができたとしても戦争遂行をはるかに上回る複雑かつ微妙で、もっと組織力があり能率も規律も高い体系であると述べています。
つまり戦争を回避するためには、単純な軍事力以上に統率された能力の高い組織がなければならないのです。
戦争は個人の良心の問題に帰着する単純素朴な問題ではないのです。個人が願望を持つことは自由であるが、社会全体にまで強制して国内で内ゲバといった紛争を起こす矛盾を抱えています。
全面降伏論者の言うとおり他国のどんな不条理な要求も受け入れてしまえば、そのような国益をわざわざ損なう政府はすぐに崩壊してしまいます。
また非武装中立論者も、中立国の必要条件が不偏・中立であるために他国軍隊による国土の利用や便宜を排除しなければならないことを知っていれば、まず駐在する米軍を国内から追い出さねばならず、そのために軍備を増強して、まず米国と戦わなくてはならないという本末転倒な結論になります。(新戦争論を読み進めると社民党党首の福島瑞穂がいかにとんちんかんかがよくわかります。)
2.戦争は紛争解決の一手段である
小室直樹は本書で以下のように記しています。我々が国際社会という言葉の響きにUniversal(普遍的・万能的)な期待を寄せることは大きな誤謬(ごびゅう)であると指摘しています。戦争以外の紛争解決方法の萌芽さえまだないのであれば、戦争という採集手段は用意しておかなければならないのです。
(貼り付けはじめ)
戦後日本はなんとなくうまく行っているのではなく運が良いだけである。万事受け身でリーダーにはならず二番手主義で上手く立ち振る舞った結果がたまたま良かったのである。しかし国際社会の客観情勢は出鱈目の気まぐれに変化するものではなく、何らかの関連要素が並び国際社会の本質に基づいた変化があるのである。過去の教訓が未来にも当てはまる限界を見極めつつも歴史を学び、長期的巨視で眺めれば先見性は身につくのだ。
国際社会の本質とは
・国際関係には少なからず紛争がある。
・紛争は解決されねばならない
・戦争は、そのような国際紛争を解決するための一つの手段である。しかもそれは最終手段である。
戦争より合理的で、より実効的な国際紛争解決の手段はまだ考案されていない。 もしそれが考案されれば、戦争という手段は自然に消滅するだろう。それ以外に戦争をなくす方策があるはずがない。
(貼り付け終り)
2-1.しかし尖閣・竹島領土問題は棚上げが合理的である
30年前にすでに小室直樹は日本の領土問題にも言及しています。経済資源の利害関係が希薄であれば、双方ともに法的根拠を国際社会にむけて発言しつつ、国家の体裁のためだけなら棚上げが合理的な判断であるとしています。
(貼り付けはじめ)
戦争は私怨(しえん)ではなく、主権国家間の紛争解決の手段である。国際社会が仲裁に入れば戦争には至らないという結論に辿り着くことは当たり前であるが、平和的な解決がない状況に至って国際社会が割ってはいるということはすなわち武力介入を意味するのである。つまり第三国は武力介入だといい、国連は強制行動と呼んで一つの戦争を別の戦争に置き換えるだけに過ぎないのである。
中国との尖閣列島、韓国との竹島は事実上両国間で棚上げしてしまった。両国とも領有権の主張や法的解釈はそのままである。なぜ二つの紛争が関係当事国の死活問題にならないかというと、特に経済的資源の面からは具体的な利害関係が希薄なのである。結局建前として法的な紛争に過ぎないのであればおのおのが法的立場を明確にしておけば済むことだ。それ以上の意味を持つようになれば、さらに一歩踏み込んだ解決を図らざろうえない。
(貼り付け終り)
2-2.実効支配されている北方領土の平和的解決は困難である
尖閣、竹島は実質棚上げが妥当な対応であるとしていますが、北方領土はソ連(当時)が実効支配をしている限り軍事的解決以外はありえず、戦争を望まない以上、解決はほぼないと判断しています。
(貼り付けはじめ)
日本の歴史的根拠に対してソ連は連合国の敗戦処理で正統に領有した立場をとっている。両国にとって正統性の問題である。しかし北方領土の場合ソ連が軍事基地を置き実効的支配を達成しているのである。もし日ソ両方にとって致命的な問題ならば可及的すみやかに解決せざるを得ない。つまり戦争を覚悟することである。 ソ連が北方領土を返還する可能性は二つしかない。日本の実力行使で強制すること。もう一つは客観的情勢の変化により返還の気運がソ連内で高まることを気長に待つだけである。
(貼り付け終り)
2-3.(参考)1982年アルゼンチンとイギリスによるフォークランド戦争
本書発売の翌年には1982年3月19日フォークランド諸島にアルゼンチン軍が駐在邦人警護と称して駐留が発端となりフォークランド戦争が勃発しました。
島自体の経済的価値は相対的に低かったものの、フォークランド諸島は冷戦下において南大西洋における戦略的拠点として非常に重要な位置を占め、パナマ運河閉鎖に備えてホーン岬周りの航路を維持するのに補給基地として必要であった上、南極における資源開発の可能性が指摘され始めてから前哨基地としても価値がにわかに高まっていたのです。
西側諸国同士の初の戦争はアルゼンチンの降伏をもって3ヶ月で終わりました。結局150年に亘る領有問題はたった3ヶ月で片付いたのです。
2-4.戦争は副作用のない消極的な万能薬
国際社会の歴史は地上における政治的権力の配分が変更されてきた記録であります。その課程にはかならず戦争があり、負の面だけではなく戦争によりもたらされた事実にも注目しなくてはいけないと説いています。
たとえばフランス王の王位継承を巡ってイギリス王とフランス王による14世紀中から15世紀中頃にまで及んだ英仏の100年戦争では戦争中に国民の政治意識が芽生え、ジャンヌダルクの登場でヨーロッパ初の国民国家が生まれました。
17世紀のドイツでも30年にわたるカトリックとプロテスタントの紛争はハプスブルク家、ブルボン家、ヴァーサ家間の紛争と形を変え、近代国家への転換の契機となりました。
三つ目の例では第一次大戦後に勃発した南米パラグアイとボリビアによるチャコ地方の領土紛争があります。4000mもの高地のパラグアイと海岸沿いの低地にあるボリビアでは、互いの兵士は敵陣では過酸素症や高山病で闘う前に倒れてしまい、今では両国間に領土紛争はなかったことになっているのです。このように戦争により体制や国家関係の変貌と遂げた例は数多くあります。
わが国でも日米開戦がなければ、当時の北東アジア大陸の支配権を巡る深刻な国際紛争はどのようになっていたのでしょうかと小室直樹は問いかけています。おそらく日米両国に関わる極東情勢は、手のつけようもない不透明で不安定な重苦しい様相を呈していたであろうと結論づけています。
3.「現状維持」を続けても双方の「正義」が戦争を生む
本書が記された当時は、日米間では自動車対米輸出が大きな問題となっていました。小室直樹は経済問題による紛争は、それほど深刻にはならないと述べています。理由は両国の利益配分が焦点となるので、それは話合いと譲歩で解決するからです。
しかし一国の「正義」に関わる問題となると話は別で、例えば成長する国では勢力拡大を是とする「正義」が、また衰微する国では勢力圏の既得権の死守を是とする「正義」があるので、経済問題のように足して2で割るという解決策はないのです。第二次大戦では「生存圏(レーヴェンスラウム)」とドイツは言い、「大東亜共栄圏」と日本では言い、両国共に勢力拡大は主権国家の正義であったのです。もし国際社会内で話合いの決着がついたとしても、現状維持に沿った内容に過ぎず、各国の「正義」に合致することはありえません。
3-1.戦争を限定することは無意味である
第一次大戦後、一九二八年の不戦条約では、さらに国際連盟の規約を一歩進めて、その第1条において、各締約国は、「国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄(ほうき)スルコト」を合意しています。しかし「戦争」という文字を不用意に二度も使用したことで、条約成立後も現実には戦争が続発しました。列強国は自衛権の行使、または武力行為は戦争ではないという理屈で国際的な非難を回避しました。日本でも戦争行為を「事変」と言い換えていることが好例です。
国連の基本理念「現状維持」を是としてしまえば、政治権力の再配分がなされず国際紛争はますます袋小路に入ってしまうと小室直樹が指摘しています。現実的には国連軍(平和維持軍:PKF)の派兵は建て前にすぎず、多くの国では派兵は消極的です。
3-2.「国際紛争解決ノ為戦争」以外の戦争はない
国際連盟設立の趣旨は戦争を全面的に放棄することが目的ではなく、国際紛争解決の手段として戦争を放棄するという宣言でした。その後の国連でも自衛権の行使や安全保障条約での各国の武力行使は当然合法とみなされたので、戦争の質による区別は意味がないばかりか、文明史の本質が見えなくなってしまうと小室直樹は結論づけています。
3-3.大戦後の国連憲章では戦争の言葉は消えた
国連憲章では国際連盟の蹉跌を踏まぬように注意深く言葉が選ばれたものの、国家間の戦争を自衛権行使や国際武力紛争と言い換えてはいるが、法規上では区別できないことを国連でも認めざるを得ないと指摘しています。このように、現代国際社会は、国際的性質を有する武力闘争に、理論上も実際上も特別の差違を認めない方向に、移行しつつあり、もはや、戦争と、そうでない武力紛争とを区別する実益は、もうなくなったものと考えて不戦条約の頃の広義の「戦争」に国連は戻ったほうがよりわかりやすいと指摘しています。
4.ナンセンスな国連中心外交
当時の外務省の外交三本柱を単に語感が良いだけで安易に「国連中心」と謳っていることを非難しています。当時の外交三本柱とは「国連中心主義」 「日米同盟」「アジア重視」 です。
小室直樹は国連の本質を以下の四箇条であると示しています。
1. 国連憲章では戦争を拒否していない
2. 国連は建前としてユニバーサルな機関ではない
3. 国連は第二次大戦後の現状維持の執行機関である
4. 国連は各加盟国が一般的な政治的了解を相互に模索する場である
このように国連とは主権国家の国際政治上の場のひとつでしかないと断定しています。さらに当たり前ですが各加盟国は、自分の主権を制限して国連に委譲しようなどという考えはなく。むしろ、事ごとに、主権の絶対を強調する場なのです。つまり国連とは各加盟国であり、結局自国のことは自国で判断し決断を下すしか方法がないのです。
4-1.「自衛」がつけばなんでもOK、集団的自衛権の欺瞞
国連憲章は、4種類の戦争を認めています。それは
1)個別的自衛権
2)集団的自衛権
3)第二次大戦の敗戦国への「敵国条項」の発動
4)国連自身による「強制行動」
いずれも、当然に武力行使が想定されるので、まさに戦争行為そのものです。
集団的自衛権は第二次大戦前にはなかった言葉です。集団安全保障機構(西側のNATO機構や東側のワルシャワ条約機構、日米安全保障条約)も集団的自衛権の範疇に含まれます。つまり加盟国の一つが武力攻撃を受けた場合は、他の加盟国は武力を持って救援する義務があると国連では定義しています。小室直樹は権利を義務に転換するとは放れ業もいいところだ。とどのつまり集団的自衛権とは大戦前の軍事同盟と何もかわらないと指摘しています。
4-2.「国連」の真の名称は「連合国機構」
第二次大戦中、連合国側はいろいろな呼称を用いました。アライド・ネーションズ、アライド・ワパーズまたはアライズなどと称して、統一はなかったそうです。しかし一九四七年(昭和二二年)の「連合国共同宣言」では「ユナイテッド・ネーションズ」の呼称を用い始めています。
副島隆彦先生の解説によると太平洋戦争開始前に、イギリス首相のウィンストン・チャーチルと、アメリカ合衆国大統領のフランクリン・ルーズベルトにより大西洋憲章が掲げられたが、実体は戦後のヨーロッパの主導権はイギリスとアメリカが行うという確認であったそうです。しかし太平洋戦争の前後には北東アジアの支配権を取り決めた太平洋憲章は結局大国間での合意に至りませんでした。その理由は植民地であるアジア諸国が独立してしまうと英米両国に反抗することが予想されたためです。このように国連や大西洋憲章は権益を保有する国家による単なる結社なのです。
4-3.国連は国際「社会」ではなく「結社」である
日本人は社会を自然発生的にできたもので、その決定を天啓であるかのように錯覚していると小室直樹は指摘しています。逆に欧米人は社会を恣意的な組織であると認識しているので加盟国であっても齟齬が生じる原因となっています。ただし欧米人のとらえ方も誤りであり、国連を理解するには、社会とは自然と文明の中間的なものと考えることが妥当だと述べています。しかし国際連盟から国際連合にいたるまで社会と結社を混同して使った混乱は続いているのです。
欧米人の思想は、文明は人為的であり、国連も憲法も人工的なものであるというものです。現状に合わなければ積極的に修正変更破棄をするべきであると欧米人は捉えています。つまり文化や制度は人が造り上げるものと考える西洋人にとって日本人が憲法を理由に派兵を拒否することは納得できない言い訳です。しかしそれこそ制度と社会の区別がない欧米の思考の欠点であると論じています。
4-4.国民国家を理解できない日本人
陸続きのヨーロッパでは国境線を越えれば言語があたりまえのように変わります。しかし国家は同一民族、同一言語が必要条件ではなく、あくまでも国家成立後に中央政府の努力により言語が統一されたに過ぎません。国家を形作るものは政治的同質であり、国民の連帯感(ナショナリズム)であると指摘しています。国民を主権者とする近代国家は「国民国家」と呼ばれますが、同一民族であり他国と国境を接していない日本では意識できません。個人が好き放題いう集合体ではなく、一段高い次元で、国際社会の中で独立しているからこそ国家として認められる存在であるのです。
4-5.ソ連は弱体化する運命にある
1981年(昭和56年)当時すでに小室直樹はソ連の衰退を予期していました。近代国家において領土は無限に広げることはできず、ナショナリズムによる統治が健全な時代には、国民国家は平和的に再編成されて、国民国家のサイズは大きくなり国家数は少なくなります。しかしソ連のように共産主義を理念とする国家は国際社会ではあたかも国民国家のように振る舞い、国益を主張している限りは、共産圏の拡大は建て前となり、国家内の連帯感が稀薄になれば国家は分裂する傾向になると予測しています。そして小室直樹の指摘通り18年後にソ連は崩壊しました。
4-6.文化圏・経済圏が一国になることはありえない
いくら経済や文化の交流が盛んになってもやがてひとつの国家にまとまっていくという観測はありえないと小室直樹は断じています。一見もっともな理由ですが、国民国家はそこまで成熟したものではなく、各国政府が運営する地域社会の経済力をもって文化を生み出している以上は、経済や文化交流がいくら活発なったとしても、新たに国家を生み出すという能力はもともと国民国家にはないと論じています。
このように小室直樹は30年前からソ連崩壊から経済統合が進むヨーロッパも将来的に失敗することを予期していたのです。
5.真の平和主義とは何か
まず、戦争の文明史的本質を洞察することが必要で、ポイントは二つあります。
1)戦争とは国際紛争解決の手段であること。
2)戦争以上に合理的で実効的な紛争解決の手段を創造しないかぎり、戦争はなくならないという事実。
しかし戦争という手段に代わる国際紛争解決の新たなメカニズムは、萌芽すら現れていません。そのような状況でも以下の努力は続けなくてはならないと述べています。
1)長期的に国際法の成熟を目指して、複雑きわまる組織的努力を続ける。
2)短期的に並行して、現行の国際法の枠内で戦争の勃発を減少させる努力を続けることである。ただしこれを戦争廃絶の努力と錯覚してはいけない。
このように国際法の充実の僅かな可能性に望みを託す以外ないと小室直樹は述べています。その一方では現実の戦争に対して物心両面で十分備えをしなければならないとも述べています。このことは、平和への努力、祈りと矛盾することではなく、むしろそうしないことが、結果として平和主義と矛盾することになる、以上が平和主義者の確信であると結んでいます。
(了)
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