Friday, July 26, 2024, 08:56 PM
マスコミの偏向記事には辟易します。
敦賀半島の先端にある敦賀第二原発の再稼働不許可の理由が「活断層かどうかわからないけど、不許可」というものです。
動員された研究者や科学者の8年間を返せよ
なぜなら不許可の理由が理由になっていないから
新規に建築する原発なら不許可は分かりますが、すでに稼働していたものを政治的な判断、つまりイデオロギーで止めるのはなんなんでしょうか。
私は不愉快です。
なぜなら、地層の調査や火山、竜巻といった自然災害の影響をずっと研究している人たち(大学や企業)でいることを知っているから。
こういう専門家の人たちのイデオロギーは中立であり、非常に真摯に研究調査をしているわけです。
それも何十年もかけてね。
ところが許認可を出す側というのは、昨日今日に任命された”ど素人”に過ぎない。
結局判断の源は日和見的で個人の感想に大きく依存してしまいます
科学的ではないと否定するなら科学的にそれを証明しなければいけません。
数学的には「反証を挙げる」ということ。真偽を唱えるならば、偽の反証をあげねばならないのです。これが科学的な検証というプロセスです。
ところがこの記事を読むと、断層は活断層ではないという命題に対して、なんの科学的なプロセスを示していません。
審議委員会は小学生からやりなおせよ
原子力事業ではまともな議論にならないということを、この記事は如実に表しています。
だから日本においては”空気感”ばかりが先行して、停滞するのです。行政もメディアも馬鹿だからね。
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Sunday, July 14, 2024, 06:13 PM
言わずもがな社会を成り立たせるために法律があります。日本では六法全書という法典となります。
さて、この法典を根拠に省庁にて”省令”という命令書が作成されます。(内閣が制定したものは”政令”となる)
法律→省令
そして実社会で具体的に運用するための指示が”規則”や”条例”となり、省庁の配下の組織に降りていく。(地方自治体で制定できるのは条例から)
法律→省令→規則
これが憲法から具体的な行動指針として降りていく法体系全体のステップです。
もういちど書くと
日本国憲法→法律→省令→規則
いうまでもなく放射線や原子力に関しては法律があります。
そして省令から規則へ降りていくほど事細かな条文が箇条書きでずっと続いている無味乾燥な文言が延々と続く代物になります。
書いたやつをぶん殴りたくなるような悪文ばかり
副島隆彦先生は、「法学部で官僚主義を憎み、法律嫌いになる奴はそもそも法学部に行かない。カルト信者のように法典を崇め、絶対的であるというキチガイしか生き残れないんだ」とおっしゃっていました。
官僚に法学部出身者が多いのは「疑わず、考えず、思考のよりどころを権威に求めること」がはっきりしているからこそやってられるのでしょう。
一言でいえば”洗脳”された人ということ
つまり、意識高い系の”勘違い馬鹿”じゃないと官僚なんて務まらないと思います。
官僚作文は馬鹿によって会社にも伝播する
いうまでもなく、法律と省令、規則はすべて”命令”ですから、読み手が理解しやすいようにとか、誤解しないようにといった配慮は皆無です。
独りよがりで、だらだらと要点がわかりにくく、根拠もはっきりしない省令や規則が日本にははびこりすぎです。
迷惑なことに権威主義は民間企業にまで伝播していくのです。中国ロシアのような社会主義国家じゃあるまいし、官僚の権威をそのまま民間企業でも有効だと勘違いしているような会社があるんです。いわゆる旧三公社五現業なんか最たるもの。
トヨタ自動車が、自動車の型式認定検査で”不正”だと騒がれましたが、より厳しいアメリカや欧州のテストで合格していたら、実務をする側としてはもういいだろうとなるのは当然です。
日本産業規格(いわゆるJIS)というルールがありますが、アメリカや欧州の規格を引っ張ってきて、ところどころを国情にあわせて甘めに再設定したものです。
国内のほうが世界よりも厳しい規格ってのはない。
でも官僚というのはメンツしかないので、こんなサルでもわかることも民間に無理強いさせるのです。
自分たちは絶対的で命令される側ではない
これが官僚権威主義であり、その根拠に、省令や規制・規則には”主語”がないのです。
副島隆彦先生は「主語を省いた”顔なし君”の文体は、役人の責任逃れ根性の最たるもの。愚劣な官僚文体が日本社会を悪化させているのだ!」とおっしゃってます。
私もまったく同意です。
『文章は「形」から読む』(阿部公彦著 集英社新書)の著者は1966年生まれの東京大文学部教授です。
「論理的文章」とは権威主義に立脚したものであるということを白日に晒したことは注目です。読んでみてまた感想を書きたいと思います。
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Saturday, July 13, 2024, 04:35 PM
店主です。
六城ラヂウムも開店してから20年近くが経っています。
おかげさまでこれまでやってこられたのも皆様のおかげです。
インターネットの環境がずいぶん変わって、当時のサービスがだんだん維持できなくなってきました。Web自体のセキュリティもそうですし、クレジットカード決済も複雑になっています。
カード決済の認証が来年から強制的に変わるのですが、現在のサイトを根本から作り直さねばなりません。
またホスティングサービス(クラウドサービス)、つまりレンタルサーバーを借りて運営しているのですが、なんと
来年12月に閉鎖するとの通知がきました。
年末には実倉庫、ネット環境の大掃除が必要になりました。
いやー気が重い。ただでさえWindowsが使いにくくて、かつてのような簡単な手順で更新できなくなったのに、頭が痛い問題です。
お盆の愚痴でした。
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Thursday, May 30, 2024, 07:11 PM
メールは毎日山ほど届きます。スパムや詐欺メールもたくさん届きます。
amazonに注文されました、ETCカードが無効です、JRの登録確認、税務署からのお知らせ・・・・
しかし、ふと注文メールらしきものに目が留まりました。
一応返信してみましたら、返信がありました。
なんかドイツの雑貨商っぽい
くどくどと製品サイズや梱包の大きさなどを尋ねてくるのですが、いったんドイツの友人に連絡を取りました。
この送信者の真偽を確かめてくれ
すぐに返事がきました。
・記載されている会社は存在しない
・ハンブルグのもっとも高い地域が記載されている
・電話は生命保険会社の窓口
・CEOの名前で検索するとSPAMと指摘するウェブを見つけた
https://sdusd-news.blogspot.com/2023/11/?m=0
契約書などのファイルをダウンロードするとウィルスが仕込まれるかクレジットカード番号を要求されるそうです。
危うく騙されるところでした。手が込んでます。
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Wednesday, May 29, 2024, 07:50 PM
新聞記事でなるほどね、と思ったので転載します。
無知は不安に結びつくのか?という問いの答えは…
実はこの答えは1990年代にはすでに出ているのです。
いや、イデオロギーの対立が深かった50年以上前からわかっていたこと。
さらにインターネットの普及で、より一層過激に分断化が進んでいます。
知識が増えると、不安を通り越して発狂状態にあるのが現状です。
物知りだから信頼できるというわけではなく、かえって不安を掻き立ててしまうということもある。
良い例が原子力発電に関する不安であり、それを我が物顔で吹聴するメディアです。
電力各社や経産省、内閣府が丁寧に説明するほど、懐疑が深まるというのも皮肉な話です。
もっともそのご丁寧な説明は、すべて電力料金という我々が払うコストに乗っかってしまうのですが。
私は原子力発電には未来を感じていますし、国家を挙げて推進すべきだという考えです。
ところが半端な技術論をかざして反対する人も多いし、官僚にも多い。
知識よりも、その根底には”人嫌い”という根本的な精神構造にある
私は原子力関連の仕事をしていて、つくづくそう思うのです。
人間が関与しているものはすべて欠陥があるという性悪説が原子力発電の施策の根本なんです。
「懇切丁寧に説明すれば、国民は賛同してくれる」という考えは、そもそも無駄で的外れなんです。
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Sunday, April 14, 2024, 09:09 PM
「世界は経営でできている」というタイトルでありますが、現実は経営的な視点がなされない不条理なことばかりです。
だからこそ、いまいちど”経営的な視点”にたちもどって俯瞰してみましょうというのが著者の主張なのです。
それじゃあ”経営的”とは何かというと、奪う・搾取といった他所から奪い取ることが経営的かというと、それじゃない。
筆者の言う経営とは
無限の創造によって新たな価値を生み出すこと
こそが”経営”なのだと指摘しています。
価値を生み出すことは有限ではなく無限なのだということ。
領土を奪い合うのが前近代の戦争であれば、違う視点で領土を”経営的”にみてみれば違った戦略が生まれるということ。たとえば宇宙空間や月面探査などもその流れなのだと理解できるでしょう。
”経営的な視点”とは何かというと、損得勘定や市場占有率といった”有限的”な考えではなく、”無限の種”を想定した思考だというのが岩尾氏の一貫した主張なのです。
とにかく洒脱な文体でとても愉快な文章です。電車で開いて降り過ごしました。
買って損はない、ベストセラーであることは納得の本です。
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Saturday, March 9, 2024, 01:51 PM
荒川区の記念館に続いて、三鷹の井之頭にも書斎が移築されて本日(9日)公開されるそうです。
いつか行ってみたいな。
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Sunday, March 3, 2024, 01:02 PM
下世話な話ですが、国民的人気作家の実像ってどんなもんだろうと思いませんか。
歴史ドキュメンタリーの代表的存在である吉村昭(1927年/昭和2年-2006)の家庭生活をまとめた本が最近出版されたことを知りました。
『吉村昭と津村節子−波瀾万丈おしどり夫婦』(谷口桂子 新潮社)
零細な商売で食いつないで、北海道までセーターを行商しに行くという極貧。そして夫婦で野垂れ死ぬ極限まで追い詰められていたというくだりには驚かされます。そして夫婦喧嘩は何千回という日々であったこと。
男は強くなければならず、家長としての強い責任感によるものだとのこと。
そんな旧い家族観であっても破綻しないのは、作家として互いに尊重していたということ。
吉村昭ファンとしては見逃せない記事なので保存しておきます。
検索キーワード:吉村昭:
吉村昭の書斎が三鷹市で整備されるそうです
新宿区立 漱石山房記念館に行ってみました
吉村昭記念文学館が荒川区に本日オープンしました
30年ぶりの同窓会
『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』読書感想の掲載
鬼・怒鳴門さんのコレクション
吉川英治の記念館ができたそうです
アニメ「風立ちぬ」と「終戦のエンペラー」を観てきました
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Saturday, March 2, 2024, 03:28 PM
話題の映画「Will」(東出昌大;ひがしでまさひろ)を観てきました。
テアトル新宿という花園神社向かいにあるビルの地下の映画館です。
こじんまりとした映画館です。
ハンターになった東出昌大氏を追ったドキュメンタリーです。
おそらく丹沢方面で狩猟生活をされているのでしょうか。
東出昌大さんはご存じ人気俳優でしたが、不倫や離婚だと叩かれて事務所から放逐されたという方です。
観に行きたいなあという動機は、ハンターの先輩として服部文祥(はっとりぶんしょう)氏が出てくるからです。
服部氏とは同窓の講演会でお会いしたことがあり、猟銃の所有方法について尋ねたことがあります。
私が鉄砲打ちになりたいというのではなく、ちょうどハンターになりたいという知人がいたからです。
当時は毎日新聞の岳人という登山雑誌の編集者でしたが、現在は神奈川の端で自給自足生活をしているということを知ったからです。
猟が日常の生活ってどんなもんだろうとずっと興味がありました。
猟の生活はとてもにぎやかで濃密
山暮らしってのは都心に住んでいる身には近づきがたいものがあります。
10年ぶりに見る、ぼろ古民家にドテラを着ている服部氏は完全に山男のすごみがあります。同年齢とは思えないないなあ。
東出氏も映画で見るつるッとした好男子ではなく、汗臭い体臭が漂っています。
靴なんか画面からつまみ出したいほどの汚さ
斜面に向かって撃つは撃つは、猪や鹿を狙いだめてはどんどん撃っていきます。
前半は狩猟生活の実態ですが、後半はどんどん内面へと主題が移っていきます。
狩猟生活と舞台や映画での俳優という仕事
狩猟はリアルな実感があり、仕事では虚構の世界を演じるという極端な世界を行き来するのは普通の人ではできないでしょう。
この人も藤岡弘一家ではないですが、父親の影響が強い。
無頼な生き方を受け継いでいるということ。
だからもともと社会規律が厳しい世界、とくにますます先鋭化しているネット中心の世の中では心が壊れてしまうのです。
彼にとっては生きることが食料の確保であり、その延長に性愛もあるのですから。
…男にとっちゃぁあこがれです
結婚相手にとっては、いちばん難儀なタイプでしょう。
結局スクープ記者と隠し撮りカメラマンとも狩猟小屋で語らっちゃうんですけどね。
騒動の発端となった週刊文春の立場にもある程度の理解は示しています。
この映画を観て、東出昌大のようなタフさが日本男子には欲しいよな…と思います。
こころの奥底に眠る野性を存分に発揮するには、合法で実行するには狩猟しかないのです。
現実は、狩猟人口は減少と高齢化に悩まされています。
農家による害獣駆除が目的で、食料確保のための狩猟は法律の壁で流通が許されません。
さらに自治体の補助金がそれに輪をかけています。要するに殺戮だけが目的となっている。
集落内での軋轢もあります。
そういう難問があるにもかかわらず、狩猟免許を持ち、鉄砲を担いで山に入る東出氏を私は見直しました。
猟銃の所有許可は全然簡単ではないです。
たしか5年ほど罠による猟をして、散弾銃か空気銃での鳥類の狩猟を数年、そして警察での講習会を経て許可が下りる。
猟銃だって5,60万円はしますし、装備なども必要です。
あと猟友会というハンター組織にも加入したほうが、なにかと安全です。
概ね東出氏の転入は集落にとっては歓迎されているようですが、誰もが同じように歓迎されるかというと、そうとも思えない。
よそ者でも受け入れられたのは、知られているからであり、なにしろ若いからでしょう。
ご本人(東出)も就職前にアルバイト感覚でモデルをやり、ハクをつけるために映画に出たら職業になったと述べてます。
意志というよりも出たとこ勝負であり、移住して狩猟生活もその流れのひとつだとのこと。
服部氏も東出氏も同様に、現代的な生活への強烈なアンチテーゼもある。
牛豚の屠殺(とさつ)現場を知らずして、命の尊さを声高にいう馬鹿らしさよりも、撃って解体することがリアルなのです。
挿入されるMOROHA(モロハ;二人組ラップデュオ)のライブ映像も強烈です。
日本におけるハンターという絶滅危惧種を実感してみたいと思う方は、ぜったい推奨します。
タイトルの「Will」とは本来は【意志】という意味ですが、最後にはこういう意味だったのかとわかります。
(追記3/3)
ふと夜中に押井守のアニメ「おおかみこどもの雨と雪」が思い浮かびました。
子供が狼として山に還っていくシーンと重なっているからでしょう。
「おおかみこどもの雨と雪」は大人にも絶対にお勧めです。
10年前のアニメと重なっているように感じます。
検索キーワード:服部文祥:
今のキャンプブームで踊る人たちなんて大嫌いです
高校普通科の普通とは”並”という意味ですよ
農業は害虫と害獣との格闘なのだなあ
サバイバルとは殺生を知ること サバイバル登山家・服部文祥
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Sunday, February 11, 2024, 11:43 PM
今日の新聞に「危険な運転でも危険運転ではない」という題で2018年12月法定速度60キロの一般道を146キロで走り、タクシーと衝突して乗客を含む4名が死傷した事故の顛末が掲載されていました。
被害者に何の過失もないその事故の当事者は一般的な自動車衝突事故として軽い罰で処理されています。なぜなら法律では『制御可能な速度域』での事故ならば危険な行為ではないという法律解釈ができてしまうからです。
結局、『制御可能な速度域』とはという法律上の解釈で争われて、裁判所は「運転手の過失」として軽い刑罰の裁定を下しました。
四人を即死させる速度で突っ走る奴が過失で済むのが現行の法律
不条理としか言いようがない。
私の家族がこのような目にあったら、犯人が娑婆(しかもたった4年で)に戻り次第、躊躇なくひき殺すでしょう。
そしてブレーキとアクセルを踏み間違えたと弁解するでしょう。故意さえ立証できなければ「運転手の過失」で済みますから。
極端な考えですが、作成側の”一方的な想定で文言を連ねた”だけの法律という仕組みは、すごく笊の目のような荒いものです。
現実社会では法律や条文って狭い想定内でしか役立たない
数年ぶりに弟と電話で近況を話したのですが、兄弟で実は同じような仕事をしていることを知りました。
監督官庁との交渉というか擦り合わせです。
サラリーマンをやっていると、大なり小なり役所との関連を意識せざるを得ない場面があります。
私の場合、製薬会社では新薬の認可であり、金融関連では財務省、人事部での給与計算では税務署と社会保険事務所です。
独り立ちしても運転資格や取扱資格で無縁とはなりません。放射線に関しては労働監督署や文科省です。
国の法律や規則のほとんどが時代にそぐわなくなっている
国の法律や規則・規定と現実があまりにも乖離しすぎて、無意味どころか無駄な労力(国力、人的資源)ばかり消耗させることになっています。日本国憲法が最たるもの
国が指定した試験を自動車メーカーが不正をしたということで大きなニュースとなりました。
ただ私も弟もメーカー側に一部同情しています。
何かというと、検査をする監督省庁の小役人は実務経験は皆無。つまりネジ一本も締めたこともない人。
そういう人にいくら設計製造する人が対応してもバックグランドが違う。
しかも製薬会社に居た時も感じたのですが、新商品の生殺与奪は役人次第であること。
銀行には”MOF担”と呼ばれる財務省の接待専門の部署があることは”ノーパンしゃぶしゃぶ”で知られることになりました。
製薬会社にも厚生省薬事課対応の部署がありましたし、弟との会話でトヨタをはじめ自動車会社にも役所対応専門部署があることを知りました。
そこでは建前では、とどのつまり「文章(法律・規則・規定)の言葉尻」のすり合わせです。
そのことは良いのですが、知識・経験が違うものが同じ見解になることなど、まずない。
役人は法律や条文を盾に押し通し、民間企業の社員はしぶしぶ従うか、せめて小さな妥協案を提示するぐらいしかない。
これのいい例が、この新聞記事にあるように「60キロの公道を146キロで暴走しても微罪」という解釈なってしまうのです。
『制御可能な速度域』などという曖昧模糊(あいまいもこ)な言葉のために遺族は無念の涙を流さねばならなかった。
だいたい制御可能な速度とは雨天や降雪、道路状況でいかようにもなりますし、運転技能、自動車自体の性能にも拠るでしょう。
日本の停滞感は多解釈可能で定義不完全な法律が遠因
トラック運転手保護のため労働基準法(労働時間の短縮)が実施されることになりました。ちょっとは改善されることでしょう。
そして次に学校教員の過重拘束が問題になっています。
でも学校教員の職場環境は容易には改善されないでしょう。
なぜなら教員は一般の労働者とは違うと60年前に規定されているから。
じゃあなんだんだ?という疑問を文部省が答えないまま今に至っているのでしょう。
Z世代が「昭和生まれが死に絶えないと日本は復活しようがない」と言ってました。
・・・同感です。
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Tuesday, January 30, 2024, 12:06 AM
1月25日に刊行された『自分だけを信じて生きる スピリチュアリズムの元祖エマーソンに学ぶ』(副島隆彦著 幻冬舎) を読了しました。
■非科学的であっても現実にある
前半のスピリチュアル(霊魂)に誘われて副島先生が女神像にたどり着いたくだりが導入として楽しめます。
ひょっとしたら似たような非科学的な体験をしたという方もいらっしゃるかと思います。
虫の知らせや悪い/予感といったことならなおさら多いかと思います。
自分もはっきりした予知夢を見たことが一度だけあります。
入学試験の前にすでに校内を歩いていて、知るはずもない建設中の校舎のドアまではっきりと覚えていました。
スピリチュアルと宗教は厳密に区別しなければならないと副島先生は続けます。教義(ドグマ)に縛られ、ひたすら崇拝することはスピリチュアリズムとは真っ向から反対の行為なのです。
”自分を信じる”とはどういうことなのだと思った方は、ぜひこの新刊を手に取ってください。
薄いので3時間もあれば読めます。
そしてあなたにとって最良の救済(サルベーション)になることを請け合います。
後半からスピリチュアリズムの起こりがわかりやすく副島先生により解説が始まります。プロテスタントのカルバン派の牧師であったエマーソンが1841年に著した「SelfーReliance(自己信頼)」が出発点であり、思想史に輝く金字塔だという指摘です。
日本では18年後にイギリスで出版されたスマイルズの「Self-help(自助論)」を中村正直(まさなお;蕃書調所出身で福沢諭吉らとともに啓蒙思想の引導者の一人)によって紹介されて、福沢の学問ノススメとともに中村の「西国立志編」はベストセラーとなった。
近代思想はエマーソンを起点として現代の新潮流(後述)が生まれたことは現代に生きる我々は知っておくべきことです。
社会主義、リベラル主義、反人種差別、さらには環境保護主義、菜食主義、LGBT論・・・すべて現代思想(モダン・ソート)の根源がエマーソン”SelfーReliance”であり、これがスピリチュアリズムの本尊であるのです。
デカルトはこの世は物質(Matter)と霊魂(Spirit,mind)であると喝破し二元論を唱えました。これはギリシャ哲学アリストテレスから連なるベースとなる考えなのです。列挙された大思想家たちも霊魂(Soul,Spilit=mind,ghost)を無視していたのではなく、物質世界の対局に存在を認めていたということを副島先生は(過去の著作でも唱えてましたが)明らかにしています。
■精神世界の探求無くして科学はない
デカルト、カント、ショーペンハウエル、ヘーゲル、マルクスの源流はキリスト教ユニテリアンのエマーソンであるということ。そしてこの思想は「神はいない」という前提であること。
つまり、「拝むな、自分自身で感じろ」という強いメッセージであるのです。
話題をかえて、カンヌ男優賞の「PERFECT DAYS」は、公衆トイレの清掃員の日常を切り取った映画です。
淡々と生きる男の話で、ドラマチックな展開はない。
それでもなぜ観客は感動を覚えるのでしょうか。
私が思うに、主人公の平山(役所広司)の日々が満ち溢れて、喜びに包まれて生きているから。
すばらしい恩寵(Grace)が自分には与えられていると思っているからでしょう。
だから日々は歓喜(Joy)なのです。
「こんどは今度、いまは今」
姪に話しかける台詞があります。自分は今を十分愉しみ、存在しているんだという問いかけのように思えます。
そしてこの潔い生き方は、スピリチュアリズムを具体的に示したものだと自分は感じました。
■量子力学では素粒子の先は”意志”しかない!?
最新の量子力学では宇宙の果てと始まりがおぼろげながらも仮説が固まりつつあります。
物質(原子、素粒子)はなんらかの意志で生じるものだということ。そして宇宙の意志は存在するということ。
我々の意志(soul,spilit,mind)も我々を形づけているし、宇宙の意志に影響されているのか、影響する存在なのかのどちらかなのです。
大なり小なり物理学者はこのように考えているのではないでしょうか。
だからこそ科学を深く理解するために、まずはスピリチュアリズムを正しく理解できる本書は唯一無二なのです。
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Saturday, January 27, 2024, 08:15 PM
読売新聞の朝刊一面です。アメリカでは対露戦略で自前で原子力燃料を増産することになりました。
原子力燃料に関わる身としては、心強い記事なのですが内心はそう単純ではありません。
政治家(内閣)は原子力を大々的に推進したくない
なぜかというと表立った原子力の推進者という肩書があると票に結びつかないから
だから原子力発電には表向きでは懸念を示したり、無関係を装うのです。
変に肩を持つことを言うと電力事業者との癒着を疑われてしまうから無理なんでしょう。
政党としてもそうだし、首相(内閣)だって選挙戦で争点になるから表立っては言えない。
好きか嫌いかというイデオロギーの話なので、いくら科学的や国益的な面で優位性を謡ったところで支持票とはならないからでしょう。
ここらへんは強力な決定権をもつアメリカの大統領制や中露独裁国家が先行するのは致し方ないのでしょう。
あと原子力産業を中心に据えているフランスも忘れてはなりませんね。
日本の原子力産業って40年近くも、ずーーーっっと冷や飯喰らいの部署だったんです、かつては花形部門ですよ。
そして今でも冷や飯で生きながらえている
40年前の新入社員もまもなく定年ですよ、いやほんと。
バブル時期に大量に採用した人材がそろそろ退職していく時代なんです、日本では。
特殊技能を身に着けていた職人さんたちは次の職は見つかるでしょうけど、大部分はぬるま湯の社会から放り出されたら役立たずでしょう。
原子力産業ってひとくくりで言いましたけど、半官半民みたいな業態なんです。
だから生産性もなく、自己改革など望むべきもないのが日本の現状。
政治家と保身第一の官僚制という愚劣な体制下では、日本では世界的の主導にはなりえないのです。ここらへんは元原子力技術者であった大前研一氏らがいやってほど書いてますから割愛します。
アメリカは国を挙げて原子力発電に舵を切って「走りながら考えろ」
日本は予算も助成金も出さない。電力会社に丸投げなんです。
これからエネルギー戦略で国家単位で総力戦になりつつあるのに、本邦はほんと平和ボケ国家だなと思います。
能登半島が大変だとかニュースでは連日報道されていますが、石油が途絶えたらおんなじ状況になるという危機感はありません。
こうなったらエネルギーが途絶えた状況に一度なるしかないのでしょう
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Friday, January 19, 2024, 12:00 AM
PERFECT DAYS(主演 役所広司)を観てきました。
PERFECT DAYS 公式サイト
公衆トイレの清掃を生業とする平山(役所広司)は言葉少なく、ほとんど無声で進行します。
監督のヴィム・ヴェンダースなりの小津安二郎風の演出なのでしょう。
撮影された渋谷の公衆トイレがどこにあるかは知りませんが、劇中のアパートの場所はだいたい推測できます。
自転車で渡るシーンの橋は桜橋といって通称エックス橋。通う居酒屋は浅草駅の地下で、主人公の平山と同じく好きな場所です。
でも古くて臭い場所です。
役所広司の演じる平山は、日々の単調な生活でも嬉しさや喜び(Joy)に満ち溢れている(と思わせられる)、控えめな演技はさすが名優です。ストーリは特になくドキュメンタリーを観ているかのようです。
急展開のないままの画面を眺めながら、私の脳は先日読了した”WHOLE BRAIN(ホール・ブレイン) 心が軽くなる「脳」の動かし方”(2022/6/28 NHK出版 ジル・ボルト・テイラー著 竹内薫訳)を反芻していました。
確かに平山(役所)はGraceを日々感じて生きている
Graceという単語が頭に浮かんだのでそのまま記します。つまり天の恩寵(おんちょう)です。それは「俺は生きている」もしくは「俺は(天に)生かされている」という幸福感に包まれているという状況に、私は”GRACE”(恩寵)という言葉が脳裏に浮かんだのです。
ところで、そんな感覚の経験はみなさんにありませんか?
私にはいくつかあります。
山深いハイキングを経てやっと登頂し、眼下を眺め眺望していると「俺は生きているぜ」というムクムクと沸き起こる自分の感覚に感動したことがあります。それは「確かに自分は存在しているんだ!」という実感があったからでしょう。映画PERFECT DAYSの平山も慎ましい日々でも同じことを感じて生きているのです。
木漏れ日を日課で撮影するという奇行であったり、いい加減な仕事仲間や、公園で会合する踊るイカれた爺(田中泯)といった人たちも平山にとっては平等にいとおしい存在なのです。同じく会話をすることはなくても公衆トイレもいとおしいのです。ここが役所広司の上手い演技で、カンヌでも評価されたのでしょう。
でも平山は心根が優しいのでありません。平山は”存在をそのまま認めているだけ”にすぎません。善も悪も、優劣もない。
”WHOLE BRAIN(ホール・ブレイン) 心が軽くなる「脳」の動かし方”では右脳の皮質側が、直観や天啓を感じる部位なのだそうです。作者のジル・ボルト・テイラー博士は宇宙エネルギーと一体化できる部位であると説明しています。
右脳の下部(中枢)は楽しさや興味、芸術的な非言語の感覚を司り、宇宙エネルギーを具体的な形として伝達する部位なのだそうです。
対して左脳は恐れや生存本能による不安・悲観といった危険予知をする役目であり、その皮質側は言語化したり、時間やスケジュール・規範・秩序を守れと指揮をする役目を持っています。
”社会人になる”とは左脳に支配されて生きるということ
現代生活において規則正しく就労しなくては落伍者扱いをうけます。原始から社会が発達すればするほど残念ながら人間は無機質な個として扱われていく。
つまらない生き方だと思いますが、現代の左脳支配社会から抜け出すことは容易ではありません。出家するぐらいの覚悟が要ります。
自分も32歳で安定した大会社を辞めたから実感します。
平山は寂しい老齢者なのか?否、全然
向島のボロアパートで独居し、自炊もほとんどせず、本とカセットテープだけの部屋に住む平山は寂しい人なのでしょうか?いいえ、私は全然そうとは思えません。
彼にとって昼の木漏れ陽を想起させる居心地の良い住処なのです。日々の生活の事細かな事象が自分へのGRACEだと信じているからなのでしょう。
神社の木漏れ陽に意識を向け、隣のベンチでサンドウィッチをほおばる陰気な女性にも繋がりを感じています。
これって鈴木大拙(1870-1966、仏教学者、哲学者)の説く、人間の深層心理では繋がっているという仏教解釈の通りです。また脳出血で左脳の機能が停止したジル・ボルト・テイラーが経験した宇宙エネルギーの存在とそれに繋がっているという実感そのものなのです。
平山は宇宙と一体し、絶頂な幸福で過ごしている
朝早く暗いうちから仕事に出る平山はビル群の間から陽を浴びることに感動して感謝の気持ちを抑えきれません。
だから不安も卑下する気持ちも一切ありません。活き活きと現状を満足し、宇宙との繋がりに感謝する日々だから。
誤解されないようにいうと、PERFECT DAYSはスピリチュアルなファンタジーではありません。むしろ”WHOLE BRAIN(ホール・ブレイン) 心が軽くなる「脳」の動かし方”の著者ジル・ボルト・テイラー博士の実体験とも近いことを、平山は体感しているかのようです。
ジル・ボルト・テイラーはそれを「自分の肉体や個という感覚はなく、宇宙との一体感のみがある」と評しています。
私は宇宙(Universe)の一部であるという実感
「個性を大切にしろ」とか「自立した個人になれ」だとか自我(エゴ)の熟成こそ(西洋)近代社会の要諦のように明治以降は考えられてきましたし、これからも不変でしょう。
しかし大脳学的には全然正しくない。
団体スポーツのような一体的な高揚感であるほうが、より幸福感、全能感を味わえるということ。逆説的ですがより強く自分の存在を実感できるからでしょう。
個を滅することが宇宙を知ること
この映画をみたら、幸福で満ち足りた生き方は、”刹那に生きる”ということです。刹那は瞬時であり、そこにも事象変化が含まれているという仏教用語でした。
刹那的とは自暴自棄の、その日暮らし的なニュアンスではないのです。
劇中©で「こんどはこんど、いまはいま」と姪と唱和しています。
巷でよく言われている「自分を信じろ」とは、ジル・ボルト・テイラー博士の言う「自分の右脳と語り合え」ということです。右脳はダイレクトに宇宙エネルギーと繋がているとのこと。
そして宇宙エネルギーとはFLOW(流れ)であり、そこに浸っているという実感が右脳からは感じられるそうです。そして「いま、ここに存在しております」といった感謝の念が沸き起こる。
地球上の生命が同根であるという実感があり、慈しみを生じると書かれています。
映画PERFECT DAYSはそんな日々を送るある男の日常です。なんのドラマティックな展開はないのに深い余韻を我々に与えるのはなぜでしょうか。
しみついた信仰の概念を大きく揺さぶったから
本を読み、カセットテープの古い曲を聴き、こもれびを眺めて感謝・感動する日々に実直さは感じても、宗教的な臭さはありません。
もし平山のような人が大多数になれば、地球上は優しく、愛に満ちた世界になるでしょうね。
権威・権力、秩序・序列といった物差しこそが人類の本当の敵であるのです。
以上、こんな思いをPERFECT DAYSを観終わったら感じました。
宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」も、なぜ評価が高く、ゴールデングローブ賞のアニメ映画賞までとれたのかというと、宮崎駿の全身全霊の喜び(Joy)を表現したからでしょう。
作品そのものは魂から噴き出す熱(enthusiasm)であるとインタビューで答えていますから。
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Monday, January 8, 2024, 03:46 PM
せっかくの三連休を無為に過ごしています。今年はかつてのようにもっと頻繁にブログを更新したいと思っています。
PCを入れ替えたら、無性に使いにくい。それでついついYoutubeをだらだら見てしまうのですが、これってやめられませんね。興味の対象が分析されてレコメンド(推奨)の動画がどんどん流れてくるので、ほんとに恐ろしい。
本の推奨をするチャンネルが好きなのですが、昨日こんな番組を視聴しました。
amazonのリンクはこちら
WHOLE BRAIN(ホール・ブレイン) 心が軽くなる「脳」の動かし方 (2022/6/28 NHK出版 ジル・ボルト・テイラー著 竹内薫訳)
【神本】現実は「幻」であることが確定しました... 『ホール・ブレイン-心が軽くなる「脳」の動かし方』by ジル・ボルト・テイラー
【神本】自分の「魂の声」聴きたくない人は見ないでください...【脳科学と禅の十牛図】
脳神経研究者であるジル・ボルト・テイラー博士が、脳出血で左脳が機能停止した状態、そしてその回復を記したベストセラー「奇跡の脳」(新潮社 竹内薫訳)に続く本です。
大反響を呼んだTED((Technology Entertainment Design;一流研究者たちの講演会)での内容を書籍化したものです。
Youtubeの動画を視聴してもらえれば、内容が詳しく理解できます。
脳神経の専門家が脳出血をきっかけに、じっさいに脳の部位によって役割が違うことを実感したこと。
そして私たち「個」の人格とは4つの脳のキャラクターで支配されているということを発見したのです。
統合失調症は心配や危惧・警戒を司る左脳の下部が異常に興奮している状態です。左脳の上部(大脳皮質側)にそれが伝えられて逃げるとか避けるといった具体的な行動へとなります。
では人類や生物が基本的に持つ心配や不安が無くなると、どうなるか。
右脳の支配が優勢になると多幸感に包まれ、自分の存在を実感する
えっ?何を言っているかわからない? カルトな宗教?
違います。まず一読をしてみてください。私はこの二日間に夢中になって読みました。
分厚い本なんで、その簡易版は以下
【人生変わる】もっと早く知りたかった...瞑想なしでマインドフルネスに到達する方法『左脳さん、右脳さん』by ネドじゅん
amazonのリンクはこちら
左脳さん、右脳さん。 ―あなたにも体感できる意識変容の5ステップ― ネドじゅん著
この本はすぐに読めますし、実践的です。心配なんかしてはいけないし、自己啓発にありがちな努力や目標なんてのも必要ありません。
ただ単に毎日が幸せであるという実感が世の中を好転してくれるということ。
ああ、何を言っているのかわからなくなりますが、つまり
現実というのは脳が作り出して処理している情報でしかないのです
何を言っているの? あなたは実在しているでしょう? 目の前にはスマホがありパソコンを操っている…
それも最新の量子物理学では、物質というのは場のゆらぎであり、時間や空間もなくなってしまうのです。
そう、我々の命も宇宙エネルギーの海の一滴でしかない。
なんだよ、それ…とまず思うのでしょうが、これがジル博士が右脳だけで生きていた間の実感なんです。
このジル博士の「WHOLE EARTH (ホールアース)」はとんでもなく衝撃的で、脳の役割がすごく腑に落ちました。
ぜひこのYoutubeチャンネルを視聴してみてください。
(追記)
今から約25年前に、SONYの役員であった天外伺朗(てんがいしろう)氏の講演会に誘われて聴講したことがあります。テクノロジーの話かなと思っていたら、鈴木大拙(すずきだいせつ;哲学者 1870-1966)の解釈の話でした。
人はすべて竹の地下茎のように繋がっている
土台がひとつで人は皆それを共有しているというということを簡単な図で示されていました。
当時20代か30歳であったのですが、全然ピンときません。AIBO(犬のロボットおもちゃ)を作った技術者だと思っていたのに、なんか宗教家みたいな話をするなあというのが感想です。
たしかにオカルトの世界ではアカシックレコードという人類のすべての記憶が収められている時空の場があるということは知っていましたが、大真面目に大企業の役員が聴衆を前に話すことなのかなと思ってました。
でも、当時住んでいたのが文京区音羽だったので、護国寺(そこが鈴木大拙の拠点(仏教研究会))を通るたびに鈴木大拙の名は刻み込まれていたのです。
ゼロ・ポイント・フィールドの存在が現代物理の最先端理論
量子真空という概念が出てきました。ビッグバン以前の宇宙の最初の原点という考えです。
このように量子物理学とかつての宗教の異端的解釈が融合しつつあるのです。
過去ログ;量子力学関連
ノーベル物理学賞をペンローズは受賞していなかったのか・・・
鏡の世界を応用した量子コンピュータの登場
量子でコンピュータ性能が一億倍となったらそれは宇宙(Universe)という
物理は理系ではなく文系(神学)学問である
モーガン・フリーマン「時空を越えて」とのシンクロニシティを体験した
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Sunday, January 7, 2024, 11:29 AM
職場に日本原子力学会誌「ATOMOZ(アトモズ)」がありました。基本的には原子力発電業界の固い技術論文誌なんで、東海村の原子力開発機構や東芝・三菱・日立ら御三家の研究者、そして大学の研究者の論文が主です。
でも専門家以外でも学生や原発地域住民も対象として柔らかい文章もあり、毎月それを楽しみにしています。
海外情勢も結構早く知ることができますし、アメリカでは国家あげて新型原子炉の開発を猛烈にやっていることがうかがい知れます。
アメリカのすごいところは大統領命令でどんどん資金をつぎ込むことですね。そして実績のないスタートアップ企業でさえも、資金のみならず法令までバックアップしているのです。
でも読んでいると、なぜ東芝はウェスティングハウスの原子炉技術の馬鹿な経営陣は巨額投資を決めたのでしょう。まあ半分は原子力産業の未来を語るのが大部分ですから、日本原子力学会誌だけ読めば未来は明るく感じてしまいます。
この最新号(2024/1月号)にフリージャーナリストの井内千穂氏という方のエッセイ風の記事があったので紹介します。
島根県の三瓶(さんぺ)山というところに縄文時代4000年前に火山で埋もれた林がそのまま残っているという話を枕に、アフリカのガボン共和国のウラン鉱床には核臨界状態(原子炉として熱を出す状態)があったという有名な話に続きます。
すなわち天然の原子炉として60万年も稼働していたということがわかったそうです。
それほどの長期間核臨界状態であったとしても、核分裂物質、すなわち核汚染範囲は局所的であったとのこと。
埋めるのが最善、最大の危惧は人間が掘ってしまうこと
話は元に戻って島根県の三瓶山の埋没林は、後世我々が掘ってしまったがために急速な風化が始まってしまったことで、保存に手こずっているということ。ガボンの天然原子炉も掘ってしまったがために、現地の貴重な水で封緘しなければならなくなったことなのです。
現実に核廃棄物処理場の運営の最大の危惧は、1万年後のヒト(か類する知能体)が掘ってしまうということなんだとか。
まあ1万年後の人類の心配などしてもしょうがないなあ
結局のところ、原子力発電業界ってのは100年後1000年後、1万年後の自分がいないのに無駄に危惧を抱くイデオロギーまみれの世界観なんです。
著作権で文句言われたら消しますが、まあ言われないでしょう、誰も読まないから。
ちなみに東京電力は福島事故まではILLUME(イリューム)という科学雑誌を発行していました。
NEWTON(ニュートン)と体裁が一緒で、おそらく意識していたのでしょう。執筆陣も一流の人たちばかりでイラストも豪勢で金がかかっていたのです。経費削減で廃止されたのはもったいない話です。
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Wednesday, January 3, 2024, 07:54 PM
年が明けました。毎年恒例なのですが、近隣の神社八社を自転車で巡ります。
といっても、実は自分は神社巡りなんてあまり興味ないのですが、なんか集まる理由がないと集まりにくいというだけで、実際誰も熱心な参拝者などいません。
まず一発目は下谷神社ね。
ほい、次は下谷にある三島神社。お囃子が鳴っていてとても賑やか。子供を背負った外国人がなぜか多かった。
酉の市(とりのいち)で有名なオオトリ神社ね。今日なら参拝客はまばら。
今戸神社でお祓いしてもらいました。ここは鳩バスも止まるほど人気の神社です。招き猫の発祥ともいわれてます。
ちょっと走って月島の住吉神社ね。参拝の行列が長くて、もう脇で腹いっぱい。
帰り道に水天宮も通りますが、そこも横目で失礼。
最後は日本橋の小網神社。金運ということでもとんでもない待ち行列です。平日来ればいつでも好きなだけ拝めますよ。毎年ちょうど箱根駅伝のゴールと重なるので、真上にはヘリコプターが飛び交い轟音でうるさいです。
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Sunday, December 10, 2023, 11:21 AM
先日の新聞国際面の隅に「中国 次世代炉を商業運転」という記事が載っていました。
日本の原子力発電の置かれている現状を知るものにとっては、この中国の早い動きには驚嘆します。
中国はとりあえず走りながら考え、一方日本は自らの首を絞め続ける
まあ中国と日本の原子力行政を一言で表せばこうなります。
原子力発電といっても、熱源が束ねた原子燃料であるだけで、お湯を沸かす火力発電所と構成はほぼ同じです。
原子力発電所といっても一般的なプラントに比べれば、ものすごく単純なつくり。おまけに制御も自動化していないので(これは安全上)、制御もめちゃくちゃアナログな世界です。
50年前の技術そのままなのが、現在の日本の原子力発電所で、これをあと数十年は使い続けます。
この姿勢はアメリカに倣ったものなのです。アメリカでもいくつかの不祥事で反原子力発電の機運が高まり、技術的な冒険はしない、させない、現状維持という後ろ向きな政策が取られてきたからです。
中国はすでに次世代高速ガス炉を実用化してしまいました
沸騰水型のジェネラルエレクトロニクスは日立製作所、加圧水型のウェスティングハウスは三菱重工が国内代理店ですから、原子力はこの二社しかないのかと思ってしまいます。
現実はGEもWHも中露の原子力産業の後塵を拝しているのです
どれもこれも頭がお花畑な人たちが、科学的で建設的な議論をすべて妨害してきた結果です。
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Tuesday, November 21, 2023, 07:19 PM
筒井康隆が近々新作を出すということを知りました。存命する数少ないSFの大家ですから、きっと話題になることでしょう。
そんなことを思いながら図書館を散策していると、32年前(1991年)に朝日新聞で連載されていた「朝のガスパール」の単行本が目に留まりました。
社会人1年生として会社勤めをしていたころです。そこの先輩でコンピュータおたくでSFマニア(たしか大学でもSF研究会だったかな)の上杉さんという方が、開口一番でここが面白い、ああだこうだと着席するなり講釈してくれるのです。夜通しパソコン通信に噛り付いているそうです。
この連載の斬新なことは、作者と読者がパソコン通信で会話して、それが本編のストーリーにも反映されるということがうたい文句です。
でも結果はどうであったか?
それを楽しみに意地悪い悪趣味な心情で、朝刊をみんな楽しみにしていました。
ちなみに今のようなインターネットは普及しておらず、というかパソコン(当時はマイコンとも言ってたか)を持っているなんてひとは、よほどの人たちか、私のような仕事や研究で使う程度の普及率です。アマチュア無線から移行してきた人たちが大半です。自分もそう。
ワープロ専用機というものが急速に普及していて、それを電話線でつないで交流を愉しむ人たちが大半でした。
筒井康隆もSHARP製の書院で通信してます。
文字が印字できれば満足で、ついでに文字で会話できる機能がおまけ的についているような代物です。
アメリカでは当時VisiCalc(ビジカルク)という表計算ソフトが普及し始めたころで、日本でも表計算機能というものが徐々に認識されていました。このVisiCalcはMicroSoftに買収されてExcelとなるのですが、その一番最初のバージョンはバグだらけで、マニュアルも酷いものでした。(マニュアルに記載の機能がなかったり、指示通りに操作してもエラーになるなど)
マウスもまだない時代ですから、ひたすら黒い画面にアルファベットの呪文のようなコマンドを打ち込んで、画面に次々現れる文字を読んでは、他人とのつながりに興奮していました。
そんな牧歌的な共同体意識の強いパソコン通信愛好者がいた時代です。
そんな頃に発行された単行本を読み返すと、SF的な描写が実はいまでは当たり前すぎることに驚きました。
登場人物が自宅でPFS(Portforio Financial System)という端末?アプリ?で株の売買から預金の確認、自宅を抵当にした借金などをするのです。
そしてその登場人物の夫は仮想現実の戦争ゲームに熱中しているという設定です。
SFではなく、すでにあたりまえに実現されていることが描写されている
読んでいた当時は、パソコンで画像(や映画)が映るとか、キャッシュカードを挿し込めば自在にお金を移せるなんてSFっちくな発想だと感じてました。
ちなみに当時はまだリアルタイムで銀行間で振り込みをすることもできません。国内で1日か2日、海外になると電信ですから一週間送金に時間がかかりました。ATMだって他銀行は引き出せません。
んでこの小説は虚構と現実はやがて融合していっちゃうという結末なんですが、それができるのは虚構を構築している筒井康隆という作家であり、本人さえも登場人物の駒となって登場します。
となると紙面の中の虚構で語る筒井康隆は虚構なのか現実なのかという堂々巡りに陥っていくというオチ
一次的な電気信号から文字でしかない2次元、それを操る3次元、それを俯瞰する4次元といった多重構造のパラドックスがごちゃごちゃとして連載は終わります。
32年前のSF小説なのですけども、すごく今の混沌した社会を暗喩しているように感じます。
「朝のガスパール」はパソコン通信時代からみた未来のはちゃめちゃストーリーなんですけども、それからマトリックス(Matrix)が出てきて、いまは仮想現実と現実の融合が研究されている時代です。
まもなくには肉体(身体・寿命)ってなんだという問いがあらわれるんでしょうね
誰もがこころを持っていますが、その「こころ」もサーバーで保管されており、仕事に行って風呂入って飯食って寝る肉体はなんなんだという問いが全人類の疑問になるでしょうね。
肉体もバーチャルでいいじゃん!家族や親子関係もバーチャルでいいじゃん!・・・実はこういう考えは普通になっていくと思っています。
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Tuesday, November 21, 2023, 02:18 AM
店主です。
なんとお問い合わせで初めてネット通販が利用できない状態であることを知りました!
スパムメールに紛れて更新の手続きの催促を見落としていました・・・
六城ラヂウムを開設して20年経ちますが、とんでもないミスです。
勤労感謝の日の23日には復旧いたします。
ご注文をしようと思われた方には、大変失礼いたしました。
反省しております。
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Saturday, November 18, 2023, 10:15 AM
秋を通り越して、すでの冬模様の今日この頃みなさまいかがお過ごしでしょうか。
読書の秋ということで、小説を読もうかと思います。
新聞広告に「リボルバー」の文庫版の広告が出ていました。古いリボルバー(回転式拳銃)がオークションに出されて、それがゴッホの自殺に使われたものかという真贋を交えた物語です。
かねてから題材に興味をそそられていたので、さっそく入手して読みました。
感想は一言、面白いし、ゴッホと4つ年下の弟テオ、そして南の地で互いに楽園を夢見るゴーギャンとの邂逅を絡めて物語が進みます。
私のゴッホに関する知識といえば、筆跡が目立つコントラストの強い画風で、生存中は注目されず不遇な人生を自殺という形で終えた画家という程度です。
ゴーギャンも南国の奔放が感じられる浅黒い少女を主題とした画風ぐらいです。
日本ではちょうど明治維新の頃、フランスでは浮世絵や日本の工芸品が上流社会に注目され、いわゆるジャポニズムがブームになっていました。その背景には新政府が樹立し財政を立て直すため、工芸品の輸出が旧藩を中心に盛んに行われたという日本の事情もあります。
フランスでは新進ある印象派(モネやルノワール、セザンヌ等)が徐々に台頭し、日本の浮世絵や襖絵m掛け軸が影響を与えていった。
そしてその新たな潮流としてゴッホが加わえようとテオ(テオドルス)が奮闘する話です。でもそんな生易しい兄弟愛の話ではなく、半ば狂人を献身的にテオが命がけで支援したようです。(実話です)
ゴッホは自殺したのか?撃たれたのか?
まあこれもわからない。だから自殺に使われた拳銃といわれても真贋はわからない。
でもね、狂人であるがゴッホの天性に対して弟テオとゴーギャンの愛憎が絡まると、自殺でも他殺でも説得性が強まるのです。
ぐいぐいと小説に引き込まれていきます。
浮かばれぬ苦悩し続けて死んだのではなく、愛されぬいて殺されたほうが自分はゴッホにとっては良かったのではないかと思うほどです。
原田マハの「リボルバー」(2022)は「たゆたえども沈まず」(2017)の続編のようでもあり、前者はゴーギャンであり、後者はテオという違った視点から描かれた作品です。
どちらも謎である拳銃の持ち主の謎解きという余禄があります
凄腕の小説家の手にかかれば、同じ題材でもすばらしい作品がふたつも紡ぎだされるのだなと感心しました。読んでよかった、と思えるとても良い作品だと思います。
ちょうど東京でも印象派モネとゴッホの美術展が新宿SOMPO美術館で、ピカソらキュビズムの展示会を上野の西洋美術館で開催しています。
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