これはすごい本だ!なぜ明智光秀が悪者とされたのか?虚構の「太閤記」 
Thursday, May 15, 2014, 07:59 AM


「本能寺の変 431年目の真実」(明智憲三郎 文芸社)を読んでいます。
電車で読むのは注意した方が良いです。夢中になりすぎて私は行きと帰りで二駅も乗り過ごしてしまいました。

本書は「歴史捜査」と称して事件に対して関係者の日記といった記録と、史観との相違を徹底的に付き合わせていきます。
明智光秀の怨恨説や足利義昭による謀略説、個人の野望といった根拠が薄い「三面的な史観」を徹底的に否定していきます。

そして導き出される、豊臣秀吉による「惟任退治記(これとうたいじき)」の捏造の箇所の指摘。

秀吉が信長の後継者としての正統性を訴えるため



歴史は常に勝者が都合の良いように改竄していくという鉄則は日本書紀から現代まで一貫して続いているのであることがわかります。

のちに秀吉を題材とした読み物は「惟任退治記」を基としたために、光秀は野望を持つ裏切り者という紋切り型の人物像が定着してしまったのです。これが日本史を大きく歪めたことは間違いありません。

Q:明智光秀は誰の家臣であったのでしょうか。

信長の腹心でしょ?
半分正解ですが、誤りです。歴史好きなら当たり前のことなのでしょうが、私は知りませんでした。

Q:明智光秀は信長を恨んでいたのでしょうか?

信長は独断即決の豪勇な武将ですが、家臣や身の回りの女性には気配りを忘れませんでした。本能寺の変でも女官らを先に逃がすことに配慮しています。今で言う一世一代で大会社にしたオーナー社長のタイプです。
一方、光秀は明晰な頭脳で経営者からたよりにされた有名な経営コンサルタントのようです。
「信長公記」にも信長と光秀は常に相談し合う仲の良さが記されているほどです。

Q:明智光秀は信長に取り立てられる前には何であったのか?

著者の明智憲三郎氏はイエズス会のフロイスや足利幕府の記録からも明智光秀は足軽であったことを突き止めます。
足軽とは歩兵の隊長に過ぎません。
足軽という一番低い身分の光秀が、足利義昭と信長に取り立てられていく様子を一つ一つ検証しています。
司馬遼太郎の「国盗り物語」「太閤記」でも、明智光秀を矮小化した小物としており、この二人の史観はNHKの大河ドラマで現代の我々に定着しています。(副島隆彦が指摘しているように、司馬遼太郎が日本人の歴史観を歪めた大罪人です)

Q:光秀が謀反に至る動機は何だったのか

怨恨やそそのかしといった軽い動機で明智一族の長である光秀が軽々しく大恩のある信長に弓矢を引くという「三面記事史観」ではないのです。

明智一族がどうしても信長の武力征伐と対峙しなくてはならなかった訳を明智憲三郎氏が解き明かしてくれました。本書で読んでいただくしかないでしょう。

このように今までの恨みを抱いた腹心の反逆で殺された信長という単純極まりない日本史から、武士の台頭によって続く戦乱の歴史の悲哀がずっとずっと奥深く見えてきます。

単純にこいつ嫌いだから殺す、こいつ好きだから味方する



そんな訳あり得ないのです。戦国大名は多数の一族郎党を抱える指導者であり、トップリーダーなのですから。

皮肉にも秀吉が光秀の人気を陥れるために(悪者として征伐したことにするため)、記録を改竄したことが明智憲三郎氏の「歴史捜査」で明るみになりました。

いままでの学校で習った日本史の薄っぺらいこと。
かたや本書の緻密な検証と立証過程を読めば読むほど、戦国武将とはどういう人達であったのか、そして家系、血筋を重んじるその重要さを思い知らされるに違いありません。

本書「本能寺の変 431年目の真実」は読了していないのですが、1/3でもこれでもかこれでもかと「歴史捜査」の結果を突きつけられて釘付けになっています。

Amazonで一位になるわけだ。
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人質を取られている日本とアメリカは中国への制裁は不可能である 
Tuesday, May 13, 2014, 12:10 PM
5/13 小雨 10時 浅草での空間線量は38ベクレル/立法メートル

11日にミャンマーの首都ネピドーでASEAN10カ国首脳会議が開催され、中国の石油採掘にともなう領土主張を団結して牽制したと報じています。

このブログで取り上げたのは、中国との親密さ(敵対関係)の図がわかりやすいからです。

中国と10カ国との距離感はまちまちです



フィリピン、ベトナム、ブルネイ、マレーシアあたりまでは反中国
ラオス、カンボジアは経済援助を受けているので親中国
ミャンマー、タイ、インドネシア、シンガポールは中立

まさに戦国時代じゃないですか



マレーシアはマレー人と華僑系との民族対立があり、今のことろはマレー人が圧倒的に弱い。タイとカンボジアは毎年国境紛争を年中行事のようにやっています。
ASEANが集まっても反中国の一枚板とはなりにくいでしょう。

日本の対応としては、フィリピン、ベトナムなどとの貿易を増やして、優先的な経済支援をすべきです。

ASEAN圏は中国経済圏に留まっている以上は身動きが取れない



昨日の武田信玄と上杉謙信の話ではないですが、戦で勝っても国内経済が萎んだら何の意味もないのです。

それよりもこの図では重要なことが見えてきません。それは

中国と日本、アメリカの距離感がわからない



そこで青丸(アメリカ)赤丸(日本)と適当に描いてみました。

米国債の引取り額が最大の中国にアメリカは敵対などできません。図では円をくっつけてしまいました。日本は財政基盤を依存する関係はありませんが、アメリカも日本も生産工場を中国に移管しています。

日本人はアメリカに次ぐ15万人程度が中国に住む



中国は何十兆円と投資された工業化資本と日米あわせて30〜40万人を囲い込んでいるわけです。そして共産党幹部や軍部の一声で、資産没収、渡航禁止できてしまう。

現地の日本人が恐れていることは中国に縛り付けられることなのだとか。

妻・子を人質にとった戦国時代、江戸時代と同じ構図です。
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野良老人大国ニッポンと自転車の防犯登録 
Monday, May 12, 2014, 11:29 PM
ニュースを観ていたら、昨晩のNHK特集で自分の名前もわからない痴呆徘徊老人の例で紹介されたお婆さん(といっても67歳)の配偶者が名乗り出たそうです。

浅草の人で群馬の館林で保護されていたとのこと。7年ぶりの再会。

お婆さんは痴呆が進んで寝たきり状態。くどいですがまだ60歳代です。身元がわからず7年も名無しのまま保護を受けて老人ホームで暮らしていたことです。

保護された方は浅草おかみさん会の元会長さんだったそうです。

驚いたのは身元不明人の照会が都道府県を跨ぐとまったくできないという根本的な連携の悪さ。そして他府県への連絡も身なりと特徴の文字で数行だけ。

インターネットで画像も写真も共有できる時代に、県境を跨ぐ警察機構同士はまるでモールス信号でのやりとりのようです。

一番IT技術の先端を行き情報共有されて連携されているはずの警察機構が虚構であることがよくわかります。

身近なところでは自転車を買うと付けられる自転車防犯登録ですが、あれは実は

自転車防犯登録って3〜5年もすれば記録は消えてしまいます



IT時代に紙台帳で管理しているのでしょうかね。

ICタグにでも変えれば盗難品であるかは自動的にわかるようなものですが、50年前の登録制度を天下り先が死守しているだけです。

わたしのお買い物自転車もよく呼び止められて持ち主を確認されるのですが、そのたびにお巡りさんの無線は「記録無し」と返答があります。もうこのやりとりも慣れました。

若い警察官は、記録無しという回答が信じられないという顔をするので、そのたびに教えてあげます。

購入時に自転車店で付けられる防犯登録は3〜5年で自動的に消えてしまうのだと。

10年以上経っている自転車は防犯登録のシールが貼ってあっても、そのシールの番号をいくら問い合せても該当者なし、持ち主情報不明となってしまうのです。

そういうことを知っているので、私は防犯登録(500円)なんて絶対しません。何もメリットがありませんし、かっこ悪いシールが貼られるだけですから。

もうねえ、警察機構は二重化して、

江戸時代の北町、南町にわけて互いに競争させた


奉行所のような仕組みが良いかもしれません。一ヶ月交替で内部総入れ替えです。

グリコ森永事件の頃から県境ではパトカーが引き返して折角の容疑者を取り逃がした失態がありましたが、30年前から何も変わっていないです。
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本能寺の変は足利義昭の策略か 背後に控えるカトリック教 
Monday, May 12, 2014, 10:55 AM
5/12 晴 10時 浅草での空間線量は33ベクレル/立法メートル

昨日の大河ドラマ黒田官兵衛は信長に反旗を翻す荒木村重と高山右近を諫める官兵衛の話でした。
官兵衛の台詞で「毛利と足利(義昭)の口約束に騙されてはならない」というものがあり、
また宇喜多直家がその動きを知っていたという布石も前回にはありました。

信長の居城の安土城の「安土」とは隣の平安京を強く意識した命名であり、それまで遷都と地名の命名は天皇の特権であったのです。その特権を信長は奪い取り覇者としての権威を全国の大名に知らしめたのです。(井沢元彦氏の「安土」の地名の真意説)

このように信長はお隣京都の天皇・将軍を凌ぐ勢いがあったのです。

さて、その信長に感情だけで信頼されている荒木村重や側近の明智光秀が矛先を向けるとはとうてい考えられません。

ポルトガルから武器(鉄砲)の供給の話があった



のでしょう。キリスト教の布教と制圧のための武器の供給が秘密裏にあったために、室町幕府の最後の将軍足利義昭が西の毛利氏と組んで起死回生に打って出たと思っています。

本能寺の変にカトリック勢力も噛んでいるという説は目新しいものではありません。

キリスト教カトリック≠善玉



信長、秀吉も十分意識していたと思われます。

井沢元彦氏の著作を読むと、信長がなぜ戦争に強かったのかというと、専門の兵隊を抱えたという点にあります。

信長の出現以前は、武士と言えども平常時は農作業をしていなければならなかったのです。だから戦は農閑期だけ。

武田信玄と上杉謙信の領土争いも、互いに雪国であり農閑期の短い間に限られ、多くの兵を失ってしまうと労働力が減って食料生産に影響してしまうので、適当なところで止めるしかなかったのです。

信長は兵隊を農作業からわけて、傭兵制をつくったからだと言われています。そのために領内の経済活動を高めなくてはならなかったので楽市楽座を勧めたというわけです。

長篠の戦いで武田勢を打ち破った火縄銃の三段打ちだと言われていますが、これも実際試すと机上の空論で、信長の傭兵制度は決定的な欠点がありました。

傭兵には自分の土地が無いために、領土を守るという気迫がなかったそうです。大将が負けそうになると、すぐに裏切ってしまうのだそうです。

むしろ本願寺の僧兵の方が強かった・・・

副島隆彦先生も指摘されていますが、平安京、平城京で政治勢力と武力勢力を持っていたのは仏教寺院で、信長が敵視した本願寺や延暦寺といった寺では、領民から独自に税を取ったり僧兵を徴用したりと目に余ったのです。

堕落した仏教を見損なって、土地に縛られていない人々、特に大阪の商人達は新たに入ったキリスト教に帰依するようになったのでしょう。

室町幕府と信長もキリスト教の拡がりを容認するしかないし、その勢力を軍事的にも優位な地位を占めるようになった仏教の対立勢力へ育てようとしたのでしょう。やがてキリスト教徒共に西洋の知識や武器が入ってきたのです。

日本の宗教の変遷を見ないと歴史は見えてこない



荒木村重と明智光秀の謀反を、感情に押し流されたものと見ると誤ってしまうと思います。

権力争いはセンチメンタルな感情で動くものではないからです。

金の繋がりであることは、属国理論で十分説明できる小泉純一郎−竹中平蔵の売国路線を見るまでもありません。

室町幕府(足利義昭)と毛利元就、そして浄土真宗(本来の仏教から乖離した「生臭」異端宗教)、そして割り込むキリスト教カトリック勢力が信長の置かれた状況であったのです。

信長−秀吉−家康という三者がいたからこそ、今の日本があったのだなあと思います。

特に信長の思想は絶対的な影響を及ぼしているのです。大河ドラマでは非情さだけが目立ちますが、信長は日本の歴史上唯一宗教勢力と闘ったことに注目します。

一方で明治維新で宗教になびいた勢力を私は批判的な視点で見ています。そういう観点から見れば福沢諭吉さえもその1人です。
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「のぼうの城」忍城(おしじょう)へ行ってきました 
Sunday, May 11, 2014, 10:22 PM
5/11 晴 7時 浅草での空間線量は36ベクレル/立法メートル

鴻巣(こうのす)駅から埼玉(さきたま)古墳を経て忍城(おしじょう)へ天気がよいので行ってきました。
「のぼうの城」を読んで、行ってみたいと思っていたので、お誘いには二つ返事でついていきました。

埼玉県行田市は利根川に面した場所で、埼玉北部です。川の向こうは群馬県かな。
隣が太田市でスバル(富士重工)の本拠地です。スバルの新車が多いなあ。

行きたかったところがいけて良かった。
郷土資料館になっているのですが、甲冑隊が案内してくれます。

埼玉(さきたま)古墳の脇には当時の水攻めの堤があります。
埼玉県はほとんど平地なのでサイクリングするには女性連れでもいいでしょう。

ただ食餌場所はないのでお弁当がよいです。


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野菜はそのままでも十分甘いことを知る 
Saturday, May 10, 2014, 11:57 AM
5/10 晴 10時 浅草での空間線量は38ベクレル/立法メートル

おなじみの炊飯器パンです。
練った生地に摺り下ろした人参を混ぜてみました。

一時間後にはホカホカもちもちのパンになりました。

作り方は簡単なのに、人参パンはパン屋さんでもなかなか見かけません。

かぼちゃやさつまいもを刻んで入れてもよいでしょう。でも人参が簡単で一番おいしいと思います。

なんたって甘い。何も付けずに食べられるから。

お釜に放り込んでしゃもじで混ぜただけ、洗い物一切無しの炊飯器パンは簡単美味しいと良いことずくめです。
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「鼻血が出るほどの放射線」を浴びてみたいものだ そんなことありえません 
Friday, May 9, 2014, 11:59 AM
5/9 晴 10時 浅草での空間線量は33ベクレル/立法メートル

小学館の長期連載コミック「美味しんぼ」で主人公の山岡が福島の農作物取材で鼻血を出すというコマがあったことで、風評に対する怒りの声が識者からあがっています。

この漫画はご存じの方が多いでしょうが、簡単に言うと食関連の漫画で、大量生産の歪みや失われる味・栄養の問題をテーマにしています。

すごく人気があったのですが、やり玉に挙げられた食品会社や畜産/農業家はたまりません。
無農薬や有機農法の理想論は共感できるが、それは架空の漫画の世界だからできること。(美術評論の権威・海原雄山という美食家が異常なこだわりをもっている)

当初は食品偽装を暴く良識として熱狂的に読まれたのですが、いまではしらけて読んでいる方が大半だと思います。

この流れに便乗して「食べるな危険」とは「食べてはいけない」とセンセーショナルなタイトルの本が売れていきます。

武田邦彦(たけだくにひこ)という売名が好きな学者も環境問題、リサイクル運動の無駄と欺瞞だけでしたら良かったものの、専門外の農業や原発被害の著作を出しています。

わかりやすい悪玉をやり玉に挙げると本の部数が稼げるから



本がベストセラーになるとテレビや雑誌・新聞での露出が増える。そして大家としての意見がまかり通り、大衆は簡単に騙されるという循環ができあがるのです。

さてこの「美味しんぼ」の問題は、読者層は少なからず食問題や健康に関心のある中流階級です。

主人公が福島帰りで鼻血を出して危機感を煽り、次号へつなげるという単なるテクニックのつもりだったのでしょうが、

つまらない技巧がやぶへびになったね小学館と原作者さん



放射線で鼻血が出るなんていう話は放射線取り扱いの教科書にも載っていませんし、現実に鼻血がでたという話もありません。あったのは子供が鼻血を出したというネットのデマだけです。

作者の雁屋哲氏がこのデマを妄信したのは、描画からあきらかです。

教科書が正しいのであれば一気に数シーベルト(福島第一原発敷地内の数百万倍以上)を浴びないかぎりは、粘膜に影響を及ぼすレベルにはなりません。たとえ浴びたとしても鼻血がでるという記録はないのです。(腸粘膜が弱って下痢をする)

もし現実に鼻血を出す大人・子供が出現したら、学説を覆す大発見です。年間数百mSv以上恒常的に浴びている私だったら鼻血の海で出血死してます。(私は工業用X線も扱っています)

逆に鼻血がでることで、被曝度合いがわかるのであれば

それぐらいの放射線を浴びてみたいもんだ♪



2011年3月26日、27日と第一原発正門まで行ってしばらく周辺をブラブラしていた副島隆彦先生と私は元気ピンピンです。地場の椎茸が取り放題でもりもり食べて元気はつらつです。

鼻血なんてありえません。しかし

小学館も雁屋哲氏もさらに風評を拡げるやるきまんまん


だということが強気な発言からうかがい知れます。

次はおそらく主人公の山岡の頭髪が抜けて白血病になる


と予想します。あほくせえ。

そして食でふたたび健康を取り戻して、夫婦円満でめでたしめでたしという我田引水なストーリーを予想してしまうのです。

煽動で売らんかな商法の作者には筆誅です



言論プラットフォーム・アゴラから石井孝明氏の記事を転載しておきます。
http://agora-web.jp/archives/1594113.html
エネルギー

放射能デマ拡散者への責任追及を


--美味しんぼ「鼻血」騒動から考える石井 孝明

3年経っても広がる妄想



小学館の漫画誌「週刊ビッグコミックスピリッツ」の4月28日発売号の料理漫画「美味しんぼ」で、福島を訪れた主人公らが鼻血を出す場面があった。そして漫画中で双葉町の前町長の井戸川克隆氏が「鼻血はよくあること」と漫画中で述べた。(写真)これは漫画原作者雁屋哲氏と、周囲の人たちの「脳内現象」、「妄想」にすぎないだろう。ばかばかしい。

この表現は、福島県で原発事故による健康被害があると、印象操作を示しているのだろう。医学的な反論は医師が各所でしているので参照いただきたい。(リンク・福島民報「放射線 放射性物質 Q&A」 「鼻血は被ばくが原因か」)

私は福島県を事故後に訪れ、福島県の方と何度も会っている。5月中に福島第一原発も取材する予定だ。もちろん放射能による健康被害は見聞したことがない。風評加害によるストレスへの不満はたくさん聞いた。

また次の要請を3年前からネット上で掲げているが返事はない。ここでも繰り返そう。

「福島県原発事故によって、鼻血など健康被害の出ている人がいたら、私が日本記者クラブと外国特派員協会に紹介します。記者会見をしませんか。顔を隠す形でもかまいません。ただし、詐欺に騙されたくないので、医師・専門家の診断書は持ってきてください。再検査費用は私が負担します。私は医学者ではないですが、ジャーナリストとしてこれまでの医療データを覆す世界的スクープになるでしょう。ピュリッツァー賞候補になるかもしれませんのでよろしく」

雁屋氏と小学館は、鼻血は取材による「真実」だと言っている。(ブログ)言うまでもないが、「鼻血」という現象の有無ではなく、福島の放射能による健康被害という文脈で強調したから、批判が広がっているのだ。雁屋氏、小学館、また彼を擁護する人に対して、理屈をこねる前に「放射能と関連する証拠を出せ」と言いたい。「可能性がある」という逃走、「漫画だ」という虚構の世界への雲隠れは、自分の言説に責任を取らない卑劣な行為である。

福島と東北と日本は、放射能デマや妄想によってもたらされた風評に苦しめられてきた。嘘を繰り返す人は、精神的な問題があるか、日本を貶(おとし)めて利益を得るのか、と勘ぐってしまう。美味しんぼのデマで「福島への見方」を変える人は少ないだろうが、社会に「怒り」「批判」という波紋を広げ、小さいながらも「分断」や「混乱」を日本にもたらした。雁屋氏は大変罪深い。

福島に現時点で「健康被害があるか」という情報は、福島と東北在住・出身の方の人生、そして社会に影響を与えることだ。いや国際的に見ると、日本全体が「汚染されている」というデマが流れている。日本人全体がデマの被害者だ。データや証拠を基に、慎重に議論を展開することを、私たちは肝に銘じなければならない。

そして繰り返すが、各種専門家の見解は、一致して日本で原発事故による健康被害の可能性は極小であるとしている。(記事「福島での被ばくによるがんの増加は予想されない--国連報告書」)

社会の雰囲気はデマの「動揺」から「批判」に



ただし、この「美味しんぼ鼻血騒動」で興味深かったのは、批判の量がすさまじいことだ。福島県双葉町は、小学館に「抗議文章」を出した。各新聞も取り上げている。

さらに環境省が鼻血に的を絞り、健康被害はありえないという文章を出した。(「放射性物質対策に関する不安の声について」)浮島智子環境省政務官もコメントした。(「残念で悲しい…「福島鼻血」漫画で環境政務官」)ここまで批判に晒された以上、小学館と雁屋哲氏は、引けなくなった。連載休止などになったら後味が悪いが、自ら選んだ道だろう。 

これまで多くのメディアが、福島の健康被害についてデマを繰り返した。(私の記事「メディアが助成した放射能ストレス」(上)(下))東京新聞は2011年6月16日の社会が動揺している最中に、「子に体調異変じわり 大量の鼻血」という、パニックを誘発しかねない記事を書いた。美味しんぼと内容は似ている。メディアとして最大限の批判をされるべき行為であろう。(東京新聞記事)



私はこうした放射能デマの否定を2011年から機会あるごとに続けた。12年ごろまで、私に感情的な批判が繰り返された。2012年時点で自称ジャーナリストの上杉隆氏が、インターネット上で過去の放射能デマ発言を糺弾された。しかし広がりはネットの上だけだった。(サイト「上杉隆氏の検証」)

こうした状況と比べると、2014年現在はデマへの批判が以前より大きく、広範囲だ。私は日本人の賢明さに確信をいだいている。不必要な放射能の恐怖はばかばかしく、日本人一人ひとりにとって「自傷行為」であるという、当たり前のことに3年経過して気づいたのであろう。

福島の人々は、震災や原発事故でも冷静さを保ち、世界と日本に感銘を与えた。そして東北の人々は辛坊強いという美徳があるとされる。しかし、いくらなんでも3年も「穢れている」とデマを繰り返されたら、腹を立てるのは当然だ。<br>

危険を承知した上で「メディアへの圧力」を



興味深い情報がある。福島県内では震災後、新聞の購読が減った。地元紙は約1割、全国紙は2割減になった。ところが毎日新聞だけ4割減になっているという。(福島の方のブログ「福島信夫山ネコの憂うつ」「風評加害者「美味しんぼ」本日炎上&福島で毎日新聞が40%も「激減」の衝撃」)<br>

もちろん新聞部数の増減は、いろいろな要因が重なる。ところが、毎日新聞は、福島でおかしな形で目立っている。

同紙社会部の日野行介記者が、県民の健康調査、国の原子力規制委委員会などの放射線線量基準や調査について「おかしい」と記事を連発している。またデマを拡散する反原発団体の応援記事を書き続けている。(私の記事「復興庁幹部暴言騒動」)詳細は省くが、日野記者の解釈の方が「おかしい」点が多い。原子力規制委員会の田中俊一委員長は日野記者を会見で「勉強しろ」とたしなめたという。

もし同紙の部数減が事実とするならば、そしてもしそれが日野記者の「活躍」(?)と結びついているならば、言論企業として同紙の行動はこっけい過ぎるだろう。私は毎日新聞の伝統と、反骨の報道精神に深い敬意を抱いている。同誌が自律的に報道を是正すると、期待している。

「市民からの圧力と不買」。これは、メディアによる福島デマを是正するための、今後、起こりうる、また進むべき方向かもしれない。情報の受け手である一人ひとりが、デマに対しては毅然として是正を求め、また不買という正当な意思表示によって、デマ発信者が損失を受けるような形に追い込んでいくのだ。小学館スピリッツ編集部や、雁屋哲氏には、またデマ拡散者には、自分が利益を得るために、また目立つために、嘘をつく醜悪さが垣間見える。それを、指摘し、批判を強めるべきだ。場合によっては責任を追求すべきである。

私は言論界の片隅にいる人間として、社会が力で報道や市民の言論活動を押さえ込むことは、大変危険であると認識している。漫画表現を含む言論の自由は、人間の自己実現、さらには民主主義を機能させるために、最大限尊重されるべき権利だ。

しかし、他人の自由を侵害する言論の自由は無制限に認められない。それには当然、内在的制約がある。米国連邦最高裁判事、オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニアは、1919年の判決で、次の言葉を残している。

「言論の自由を最も厳格に擁護したとしても、劇場で嘘をついて火事だ!と叫び、パニックを起こす自由は誰にも保障されない。あらゆる行為の性格は、それがなされた状況によって変わってくる」。

放射能デマが批判されるのは、まさにこの点にある。

もう福島原発事故から3年も経過し、社会も落ち着いている。そうした中で、平穏を壊し冷静な議論を妨げるデマ情報、風評加害情報は、「情報テロ」と認定して、もう「鎮圧」をすべき段階にきている。被害を受ける私たち全体でだ。

そして、メディアや情報発信者が自省をせず、3年も「冷静に、可能な限り正確に」と述べ続けなければならない現状はとても悲しい。「鎮圧」よりも、「自省」と「自制」によって、デマ拡散の問題を解決するべきなのだが。

石井孝明
経済ジャーナリスト
ishii.takaaki1@gmail.com
ツイッター:@ishiitakaaki

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「隠れ耐性菌」という医原病がじわじわと広がっている 
Thursday, May 8, 2014, 12:19 PM
5/8 晴 10時 浅草での空間線量は28ベクレル/立法メートル


昨日お客様とお話をしておりました。
ずっと咳が続いており気分が優れないのだとか。

そこで病院へ行っても抗生物質(抗菌剤)を処方されて帰ってくる。

奥歯が痛くなったので歯医者に行っても抗生物質(抗菌剤)が渡されて様子をみましょうと言われた。

あちこちの医者にいくと、必ず抗生物質(抗菌剤)が薬として渡されてくるので怖くなったとのこと。

抗菌剤は”おまじない”代わりに気軽に処方されている恐怖


を感じて、治らない咳もひょっとしたらという思いで私にご連絡をされたのです。

良く気づかれましたね。
抗生物質(抗菌剤)漬けの病人の身体は耐性菌の培養器となっていることが入院施設のある病院の緊迫の問題なのです。

世の中抗生物質(抗菌剤)が大好きな(信仰とも思えるような)医者が結構いるのです。

新薬の耐性菌の発見までの時間がだんだん短くなってきている



製薬会社に勤務しているときに、新薬開発の研究者や医療現場を回るMRからよくその話を聞きました。一昔は新薬が世に出回っても耐性菌が見つかるまで10年以上の時間がかかったのですが、今では数年で耐性菌が見つかってしまうとのこと。

前者は危機感と現在開発の新薬が世に出る頃には間に合わないのではという恐れ、後者は薬のネタは尽きないのよという身勝手な楽観視と180度異なります。

以下の記事は一見薬が効いたように見えるステルス性耐性菌です。この手のばい菌が増えたらもう追いつきません。


本文続き↓:「実態把握と、検査法の開発・普及が急務だ」と話す。厚生労働省は年内にも、感染症法を改正してCRE患者の全数報告を義務化する準備を始める方針。(中村通子)


過去ログ:WHOフェーズ4発令でタミフル馬鹿売れ
厚生労働省の虚構を許すな!(六城ラヂウムニュース Vol.16)
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悩まない青春時代になんの価値があるのだろうか スマホ世代へ 
Wednesday, May 7, 2014, 11:10 PM
5/7 晴 10時 浅草での空間線量は24ベクレル/立法メートル

ある方のご子息がせっかく大学に入学したけれど、五月病なのか大学を辞めたいと言っているとのこと。ご両親がなだめているけども大学に幻滅してヒキコモリ・・・

理由はあまりにも大学の授業が一方的でわからないから

そんなお話を耳にして、私も思い出しました。大学一年生の頃を。

授業料を出してくれている両親に悪いですが、結局卒業するまで講師や教授らが何を言っているのかさっぱりわかりません。

黒板のギリシャ数字の数式の羅列がなんなんだか(どう読むかも)わからず、魔法の呪文をとりあえずノートに書いておきますが、何度見直してもミミズが這った暗号文でしかありません。

入学半年もしないうちに漠然とした孤独感を抱えていました。

ただ毎日お弁当をもって、部室に入り浸り、酒と煙草と合コン。やることがなければ転がっているギターをジャカジャカ鳴らして、何人か集まればポンチーで部室で暇を潰すことが学生生活の最重要事項でした。

落第ギリギリで卒業しているので、身の置き場のないやるせなさはすごくわかります。

インターネットも携帯電話もない時代でしたから、孤独感はサークル活動やクラブ活動で自分の居場所をどうにか確保しなくてはならないです。学ランを着て応援団をやってみたり、課外活動100%授業は0%という日々でした。

授業はほんとうにわからない。
ギリシャ文字と微分記号の数式が白板に書かれているのですが、何を意味するのかがさっぱりわかりません。そんな状況下である日

ああ、美しい式だ



という感嘆があちこちで湧き上がったのです。隣の学友も妙に感動している。

何があったのかと寝ぼけた頭で尋ねると

お前は、白板に”さざなみ”が見えないか?



講師が記した数式は波の方程式というもので、それぞれの項を説明すると、ああ波が見える!この項が波高さなんですね!と口々に叫ぶのです。

そのとき、私の居場所はここにはないと悟りました。20歳の挫折です。

数式が絵画や動画のように見える奴らとは住む世界が違うと悟ったのです。

そのまんま学問を究めるというはるか壮大な目標は自主放棄(笑)して、穏やかに一日一秒でも早く卒業して身を隠すことだけ考えました。

私にとって大学という場所は

つまらない話をよりつまらなく聞く苦行の場


でしかありません。

たぶん半数ぐらいはそんな感覚だったのではないかな。講師の話を一字一句理解できたのは1%、大学院へ進学できる10%、のこりはひたすら時計の針が進むことだけと試験のヤマにかけていました。(いまでもそうでしょ?)

結局の所、20歳そこそこで大学という高等教育機関は、優越感を持つ奴は官僚や研究者へ進み、その他大勢は劣等感を埋込まれて社会へ放出される場だと悟ったわけです。

おかげさまで裏街道を歩む決意ができたわけです(爆笑)



そこからやさぐれた喧嘩上等の人生が続くのです(ほんとはもっとかっこ悪い)

大学生が5月病になる気持ちもよくわかります。でもね、ちょっと先輩面させてもらえば

結論があまりにも早すぎるのではないか?



いまの若い世代は生まれたときからコンピュータがあり、携帯電話とインターネットで育っています。Googleで検索して、それがすべてと考えてしまうのです。

悩みの解決をインターネットで即時解決という習慣が身についているのです。

「数学がわからない(ネットでも出てこない)から、俺ガッコー辞めるわ」

そんなこと口走ったら親泣くわ・・・。

私としては

悩み抜くのが若さの特権


としか申せません。悩むことができる状況が青春の特権なのですから、逆に羨ましさを覚えました。

就職して、わからなかった数学が、仕事現場で日常語のように使われていることを知り、入社1年間で高校大学の一通りの勉強はやりなおすハメになったのです。

今思えば、なんでこんなことがわからなかったのだろうと思うのです。でもね、それが幼さであり、人生経験の浅い、若さゆえだったのだと中年の今では思うのですよ。ほとんどの中高年はそう思っているでしょう。

ネットエイジはすぐ迂回路を考える(検索する)けど、それじゃあダメですよ


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マイナスイオンとは何か(メモ) 
Tuesday, May 6, 2014, 05:15 PM

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素粒子論の世界では「超能力」は実在する 
Tuesday, May 6, 2014, 11:15 AM
5/6 雨 10時 浅草での空間線量は21ベクレル/立法メートル

NHKのサイエンスゼロという番組とNHK特集の両方で「超能力はあるのか」というテーマの番組がありました。

NHKスペシャル 「超常現象 科学者たちの挑戦」

心霊現象、生まれ変わり、テレパシー・・・。時に世間を騒がす、いわゆる“超常現象”の正体は何なのか?いま、この命題に最新科学で挑もうという世界的な潮流が巻き起こっている。ムーブメントの背景には、近年の目覚ましい科学の進歩がある。技術の粋を極めた観測装置でデータを集積し、脳科学や物理学、統計学などの最新理論で解析すれば、カラクリを白日の下にさらすことができる。その過程は、まるで手品のトリックが明かされるような、スリルに満ちた知的発見の連続だ。
一方、「生まれ変わり」や「テレパシー」の中には、最先端の科学をもってしても、いまだメカニズムが解明できない謎も残る。科学者たちはその難題にも果敢に挑み、最先端の「量子論」を駆使するなどして、合理的な説明を目指している。先端を極める科学者たちは、「説明不能な超常現象」に新たな科学の発展を予感しているのだ。“超常現象”への挑戦を見つめ、科学の本質に迫る知的エンターテイメント。

サイエンスZERO「“超能力”はあるのか!?不可思議に挑む科学者たち」

念力、テレパシーといった“超能力”の謎に、いま世界の科学者たちが真剣に挑み始めている。しかも驚くことに「ごく普通の私たちにも不可思議な“未知のパワー”が存在するかも知れない」というのだ。最新の計測機器と統計科学を駆使して浮かび上がる、現代科学では説明困難な現象とは何なのか?そこから最先端の物理学と“超能力”の思いがけない接点が見え始めている。常識にとらわれず、壮大な謎に挑みかかる研究最前線に迫る!


どちらも似たような内容でした。幽霊や人魂を異常電磁波による幻想、生れ変わりは乳児期の記憶の刷り込みと医学的な解釈をしていますが、それで説明できないことも多数あります。

テレパシーの実験では離れた被験者同士の脳に同期する場所があったこと。
乱数発生器(無規則な数字を垂れ流すだけの装置)に人の念で大きく偏りが発生したことです。

原子核のさらに内部、素粒子をさらにのぞき込む学問「量子学」では、物質は波の性質も持つことが知られています。
隙間を通ると邂逅(かいこう)して二つになったり、遠く離れた量子と同調するといった現象です。

テレパシー、テレポーテーションといった超常現象は量子の世界では普通にありえるのです。

我々の住む世界も、突き詰めれば量子の世界ですから量子の影響を及ぼしたり、及ぼされているのではないかという結論で終わっています。

想念が電子器機に影響を及ぼすという実験を昨年体験しました。

厚木のエクボさんの本社でです。(間もなく商品化されるでしょう)

右、左と念じると、画面の球が左右に揺れるというトレーニング機械です。原理はNHKで紹介していた実験装置と変わらないでしょう。

超能力があったらいいなあと子供の頃はみんな夢想したでしょう。
難しいテスト問題をすらすらできたり、人の心を自在に操ったり、未来を見通せたり・・・・

思春期を過ぎれば、人間の能力は限られているものなのだと諦観をもつのが普通です。
ところがそういう精神発達をしていかない人々も世界中にはある程度いるようです。スピリチュアル系と呼ばれる人々や現実逃避としかはたからは見えないアニメオタク達、ふるくは修験者や宗教家たちもそうだったのでしょうか。

量子学を専攻する人に言わせれば「光も時間も重力も距離も超越した『神の領域』」なのだそうです。

量子とは今のところ直接見ることはできません。数式で示す「空間の歪みの確率」でのみ実在が証明されているに過ぎません。

その確率を左右するものは、量子や光の波なのだとか。

人間の想念もまた量子であるとのこと。

私は一度だけ予知夢というものを見ました。見たこともない校舎をふわふわと飛び回ったり、鳥のように俯瞰しています。その中で非対称の不自然な造形の建物があり、へんな建物だなと夢の中で感想をもちました。(高層階の壁にドアがありますが、その先は何もない)

何校目かの受験会場を訪れたとき、窓からの景色が夢とそっくりで驚きました。目の前にへんな形の建物があったからです。のちに知るのですが工学部8号館といって大きな建物になるはずが、予算削減で半分できたところで投げ出された建物でした。

ああここに入学するんだと試験開始の前には確信していました。当然試験問題はスラスラできて、見直す必要もなく、終了30分前でしたが帰っちゃいました。あれはなんだったんだろと今でも思い出します。

骨董品や芸術品を観て思うことは、念がこもっているものはたたずまいが違うのだと思います。
同じような美術品でも方やマスターピース(傑作品、銘品)、方や二流品。

私はその作品に埋込まれた製作者や依頼者、閲覧者の念が量子として染み込んだからだと思います。

想念は目に見える物・人すべてに影響していくのだと私は考えるようになりました。

悪いと思うから悪くなるし、良いと思えば良い結末になるのです


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体幹トレーニングを習慣にする(暇つぶしのトレーニング) 
Monday, May 5, 2014, 05:29 PM
サッカーの長友佑都選手の体幹トレーニング本が売れているようで、書店には積み重なっています。

私も夕食前に体幹トレーニングを日課としています。
体幹ってなにと多くの方が思われるでしょう。
バーベルやダンベルを使うような従来の筋肉トレーニングとは違います。

「体幹を鍛える」とは、この体幹内にあって人体の骨格を形成している「骨盤・背骨・肩甲骨」がぐらつかないよう支えている深層筋(インナーマッスル)を鍛えることを言います。

何がよいことがあるのか?

1)姿勢が良くなる、身体のバランス、俊敏性が良くなる
2)腹・腰回りのたるみがなくなる、腰痛予防に効果的
3)太りにくくなる

スノーボード・サーフィンといった横乗り系スポーツでは必須の能力



やりかたはいくらでも本でもインターネットの動画でも紹介されているのでやってみてください。
けっこうしんどいですし、物が散らかっている部屋で腕立て伏せをするのは嫌です。



過去ログ:体幹トレーニングを習慣にする(暇つぶしのトレーニング)
四股(しこ)とロングブレス(ドローイング)はおすすめ手軽な運動法
体幹トレーニングの基本は無料でできるドローイング〜AGEを減らせ〜

はっきり言えば、長友選手の本も既刊の体幹トレーニング本も似たり寄ったりの内容で、運動をしていない方には、ここから始めるのは敷居が高いのです。
長友選手の本を買ったほとんどのかたは三日坊主で終わるでしょう。

終わり・・・

ってしてしまったら身も蓋もない話で終わってしまう。そこで

体幹トレーニングを意識せずすむ楽しい基礎練習をお教えします



その1 片足立ちで浮かせた足を前後左右に動かす

電車の待ち時間や混み合う車内でも「電車が来るまで」「次の駅まで」と暇つぶし感覚でできます。
女性はお台所で料理しているときに、片足立ちをするなどすればいくらでもできますね。

その2 自転車で信号待ちでできるだけ足を付かずにいる

できるだけガッシリしたスポーツ自転車が理想ですけど、私はお買い物自転車で買い物に出るときには
信号待ちで足をなるべく付きません。

目の前の信号が赤信号になったら超スロースピード、止まるか止まらないかギリギリで青になるまで耐えます。
止まってしまったら、腰を左右に動かして足を付けません。

自転車の基本練習なのですが、手っ取り早い練習は、壁や電柱、鉄柵などに前輪を押し当てて両手両足でバランスを取ります。たった10分ていどでも十分です。

子供ならゲーム感覚であっというまに習熟してしまうのですが、鈍った身体の大人は電車内で片足立ちから始めた方がよいでしょう。

自転車のペダルに立っているだけのトレーニングを毎日数十分遊び感覚でやっただけで、ベルト穴は二つ、体重は-3kgになりました。(今では片手片足や腕のみという具合に運動強度を上げています。)
関連ログ:自転車は大人でも練習をしないといけません
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荒木村重の謀反とキリスト教 
Monday, May 5, 2014, 02:33 PM
5/5 雨 10時 浅草での空間線量は18ベクレル/立法メートル

昨日の黒田官兵衛では一向宗と思われるの配下が兵糧を敵の石山本願寺へ兵糧を送っていたことが発覚し、利敵行為としてみなされて堪らず毛利へ寝返ったとなっていました。いまでも信長の信頼が厚かった猛将村重の謀反は謎になっています。
チラッと村重がイエズス会の宣教師に興味を抱いているという描写もありました。

「水軍九鬼氏と三田・神戸の歴史『九鬼奔流』」という郷土史家のHPを読んでみると
http://kukihonryu.com/index.html

村重謀反の心ありと(信長に)讒言したのは明智光秀であるというのが定説である


この時既に信長に対する謀反の心があった光秀は、信長麾下の猛将荒木村重と信長との仲を離反することで信長軍の戦力低下を画策したというのである。しかし、私はこの説には賛成しかねる。怜悧な光秀のことである。もしこの事件を利用する考えがあったとしても、村重の窮状に手を差し伸べ、信長を討った後に自分の味方になるよう手を打った可能性のほうが高いのではあるまいか。


明智光秀の分断工作説が定説なようです。

対する信長の反撃は村重家臣の高山右近を寝返させることで村重一派に打撃を与えていきます。

HPを読むと、この説得工作はイエズス会宣教師を通して行われていました。

イエズス会と謀反の説得工作、信長からの脅迫、明智光秀、高山右近、そして千利休・・・

村重だけは生きのびますが、城に残された妻子、家臣すべては罪人として処刑され、領民までも見付け次第惨殺されたのだとか。

一向宗弾圧も信長は徹底していますが、荒木村重一族も根絶やしにしています。ヒトラー、スターリン、毛沢東、ポルポトにいたるまで、思想弾圧は最終的には皆殺しにするしかない。

大阪摂津の領主であった荒木村重と家臣であった高山右近らがキリスト教の感化を受けていたという事実からしても当時からすでに大阪ではキリスト教が庶民に至るまで信仰を集めていたのでしょう。

歴史の影にキリスト教の勢力があったということ。
明智光秀の謀反もイエズス会によるという異端論を私は支持しています。
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吉川英治の記念館ができたそうです 
Sunday, May 4, 2014, 02:24 PM


歴史小説家の司馬遼太郎、そして山岡壮八、吉川英治のそれぞれの史観はもっと検証されるべきだと私は思っています。

この3人の小説は娯楽大作であって、それ以上の評価はできません。

これら3人の空想、願望を大河ドラマとして「定説」かのように定着させたNHKの大河ドラマも同様です。(山岡壮八は戦意高揚として勧善懲悪一辺倒の文体が近年見直されて評価を落としているようです。ざまあみろ)

個人的には吉村昭の緻密な調査を進めて記された歴史小説をもっと評価が高くてよいのではと思っています。

荒川区の日暮里図書館に吉村昭の遺品展示コーナーがちょっとだけありますが、はっきりいってみすぼらしい。

荒川区よ青梅市にも負けてるよ


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大日本帝國憲法(明治憲法)はキリスト教概念をとりいれた憲法であった 
Sunday, May 4, 2014, 02:04 PM
5/4 晴 10時 浅草での空間線量は16ベクレル/立法メートル

憲法論議が新聞では盛んなようですが、現行憲法がGHQによる押しつけ憲法だから改正すべしという声と(せっかく)軍事行動の放棄を謳っているから改正すべきではないという声がそれぞれ論戦と言えないような論を張っているように見えます。

どちらの意見も見当違いの誤解もはだはだしい



新聞を読めば頭がどんどん悪くなる(笑)

過去ログ:自由民権運動は神を否定することから始まった一種の宗教活動である

中世ヨーロッパでの反教皇の運動からプロテスタント(抗議)という宗派が生まれ、プロテスタントの立憲君主という概念で憲法という法の最上位が人民と国王の約束事として成立した物です。

神さん(デウス:天帝)は俺たちの生活までは関知しないよ


というカトリックとは教義の異なる思想から生まれたのです。

だから教皇でもなく、王様でもなく、我々が明文化して規定しなくてはならないのだという気運が生まれたのです。(ユニテリアニズム)

で重要なことは大日本帝國憲法(明治憲法)はイギリス/アメリカのユニテリアニズムを取り入れた憲法であったこと。共和国制は山縣有朋らの反対で取込まれなかったが、それまでの封建制から脱皮した近代思想の憲法であったのです。

大日本帝國憲法は日本近代思想の礎である


ことを歴史学者はもっと称賛すべきだと思うのです。



ところが大正時代(1914年:大正3年)から日本でもデモクラシー運動(実態は共産主義の革命運動)が盛んとなり、大日本帝國憲法(明治憲法)の理想はどんどん崩れていきます。

なぜ1914年なのか?

それはアメリカでFRB(民間の所有する中央銀行)が設立されて、世界覇権がイギリスからアメリカに渡った年だからです(副島隆彦説による)

キリスト教ユニテリアニズムの敗退が決定的となった年


何が勝ったのか、それはキリスト教の原始宗教であるユダヤ教がユニテリアニズムに勝利したのです。アメリカ建国の精神「リバタリアニズム」が屈してアメリカが変質していく年なのです。

だから憲法解釈は大正時代から軍部の強権化へと「数の論理」を武器として変質して行ったのです。世界でキャピタリズム(資本主義)の論理が暴走を始めた年でもあります。

ユニテリアニズムなき世界では自由平等・基本的人権(人命)という概念は札束の前では、すべて金額に換算される物にすぎません。

Democratic(民主主義)は意志決定の手段としてしまったことで、為政者(権力層・支配階級)が民衆操作のツールとなったのです。

民主主義は国民の支持を得ている大義名分(錦の旗)



GHQの押しつけだとか、武力放棄が盛り込まれているというファンタジー(空想)に浸っていても構いませんが、

人民主権を都合の良いように拡大解釈させた反省がない


議論は為政者(権力層・支配階級)に対して、痛くもかゆくもない屁のような議論です。

「じんけん、じんけん」と騒ぐことでインテリであると自惚れている人々は

支配者層にとって踊らされているだけだと気付かない馬鹿です



人権の拡大解釈とすればするほど、為政者(権力層・支配階級)にとって

平民は奴隷、家畜化していってくれるから都合がよい


のです。

現行憲法の問題は、ここです。為政者(権力層・支配階級)にとって国民の奴隷化を国民の総意を装って進めることができる点であること。枯葉の山に火を付けるように、自ら熾火が広がってくれるのですから、これほど楽なことはない。

リバタリアンを標榜する私から言わせれば

人権保護ばかり打ち出している憲法はすべからく欠陥憲法

なのです。
過去ログ:日本国憲法に国民の「義務」は不要と考えます
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政治中枢の怨霊信仰を知らなくては歴史はわからない 
Saturday, May 3, 2014, 04:00 PM
5/3 晴 10時 浅草での空間線量は13ベクレル/立法メートル

歴史研究家の井沢元彦氏によると、日本書紀の伝説時代から時の権力者(天皇も含む)らは討ち滅ぼした敵対相手が祟(たた)ることを怯えました。そのために自分の正統性を「嘘に嘘を塗り重ねて」史伝としてのこしました。

小室直樹氏と井沢元彦氏の対談(「日本史再検討」世界文化社 1995年)でも、奈良時代に伝来した仏教、そしてキリスト教、儒教にいたる渡来宗教は換骨奪胎(かんこつだったい)されていくことを互いに確認しています。

「悪霊」という概念が日本人の思想の根底にあった



そのため宗教とは怨霊を調伏(ちょうぶく)する手段でしかなかったのです。だから宗教的戒律はキリスト教も仏教もすべてすべてうやむやになっていきます。

大国主命(おおくにぬしのみこと)鎮魂のための出雲大社、菅原道真鎮魂の太宰府天満宮・・・宗教施設は大なり小なりすべては葬った側が悪霊を恐れて建てたのです。庶民でもラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の怨霊が描くように、かつてから信じられておりました。

かつての「倭」という国名は集団・村を表わす「輪」であり、聖徳太子の17条憲法最初の条文「和を以て貴しと為す・・・」は何事も話合いで解決するという民主主義の原型のように教えられていますが、果たしてそうでしょうか。

憲法解釈論争での護憲派とよばれる方々は都合の良いように聖徳太子の17条憲法を引き合いにしてしまうのです。

重要事案は十分「論(ろん:わ)」議を重ねよということであって、戦わずという意味ではないでしょうに。

奈良時代のずっと前から繰り返された一族まとめて抹殺した歴史が、怨霊信仰のもとであると小室直樹氏は指摘しているのです。

治安の乱れ、天候不順、敗戦、それらはすべて天皇(みかど)の責任とされ、実際に首切りとなってすげ替えられたり、家臣らのクーデターが繰り返されたのです。

井沢元彦氏は天皇の諡(おくりな)にヒントがあるという解説をされています。天皇の称号は後世の人がつけるため万世一系の体裁を整えながらも、天皇家や支配階層にはわかるようなルールが決められているという説です。

これは井沢元彦氏の意見ではなく、明治の文豪・森鴎外が軍医総監退役後に宮内庁図書頭という役目で、天皇の系統図を諡(おくりな)から漢籍の文献から読み解くという作業をしていました。

結論は何度も天皇家と外部勢力との入れ替わりが行われているというもの。万世一系はデタラメであることは鴎外はわかってしまったのです。

それを「帝謚考(ていいこう)」という報告書でまとめています。わざと「諡」を「謚」と同じ漢字(似たような意味)を使ってタイトルにしていることは、鴎外がわからぬように皮肉を述べているのです。(井沢論)

何を記念するのかわかりませんけど、今日は憲法記念日です。

新聞もテレビの「集団的自衛権」の解釈と憲法改正について、本筋から遠く離れた

よっぽど頭が悪くなきゃこんな論議につきあえません


というほど低脳な話を繰り返しています。

現状が違憲状態でよくまあと開いた口がふさがらないです。
過去ログ:『主権在米』こそが憲法違反である属国日本の現状

まるで現憲法を改正すると「怨霊」が祟ってくるかのような妄想にとらわれているのでしょうか。一方で、西欧諸国では憲法とは「契約」そのものです。

キリスト教の天帝(ゴッド)との契約であり、為政者と国民との契約なのです。

過去ログ:「神とゴッドはどう違うか」 鹿嶋春平太 新潮選書

「契約」という概念が浸透しているからこそ、憲法の重要性は法の最上位であり、不利益は不明瞭なところはどんどん改正されていくのです。

ひるがえってわが国で法律を学ぶ人以外は日本国憲法条文に触れることなどないしょう。

日本国憲法は国家統制のためではなく「言い訳」のためにある


それだけの薄くて軽い存在にすぎません。
日本国憲法は終戦後にGHQの指示で作られたと言われていますが、まったく違います。

天皇人間宣言(象徴天皇制)は明治期には提唱されていた



人間天皇宣言は明治維新後に加藤弘之(元幕臣、東大初代学長)により考えられていた。

明治政府中枢の主要ポストを占めるユニテリアン(フリーメイソン)らでは天皇に人間天皇宣言をさせて、日本を西洋の王国(モナーク)に倣おうとしていたのです。(天皇は日本国王となる)天皇には統帥権(軍隊に命令を下す最高位)は明治帝国憲法からありません。これは山縣有朋によるもの。これがやがて天皇機関説と流れていくのです。

そして明治、大正と年号が変わっても、怨念(悪霊)による政治不安を支配層は恐れたのです。その考えは靖国神社の設立過程でも垣間見えること。

日本の国家規律を縛る概念に「神との契約」はなく、憲法にもありません。
あるのは支配層の暗黙知である怨霊という宗教観です。

言い換えれば「仲良くやろうよ「和」精神で」という考えこそが怨霊信仰であることを晒しているのです。そしてそれを繰り返し言えば言うほど、憲法を法治国家としての本質から乖離させていくのです。


護憲派が「和」「平和」を口ずさむほど日本は法律の後進国になっていく


そう見られても仕方がありませんね。

過去ログ:
国際社会は常に悪役(ヒール)を求めている 靖国参拝報道について考える
なぜUnited Nationsは「国際連合」と意訳されたのか?
3分で読む小室直樹「新戦争論」(学問道場版)
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(1) 平和主義者が戦争を引き起こす
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(2) 言葉を翻弄したことで文明史を曇らせた
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(3) 国連の幻想と国境の思想
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(4)  国連を国際社会と混同する文化的原因
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(5)  国際社会と国家を理解することが真の平和主義
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DCOMをすぐ外そう WindowsPCの根本的な穴 
Friday, May 2, 2014, 10:56 AM
5/2 晴 10時 浅草での空間線量は16ベクレル/立法メートル

Microsoft Windowsには根本的な欠陥があることが知られています。それは

MS製OSはリモートコントロールできること



これは遠くのPCから遠隔操作ができる機能で、パソコンメーカーのサポートを利用された方はご存じでしょう。こちらは何も触っていないのに、マウスアイコン(矢印)が勝手に動いて、コントロールパネルやアプリケーションをさかさか動いていく様子は驚かない人はいないでしょう。

PCの操作や設定に詳しくない人にとっては、いちいちへんな呪文を訊かずとも、電話の相手がさっさとやってくれるからとても便利でした。

また会社で何百、何千台というパソコンを管理しなくてはならない状況では、一斉に一台のコンピュータからソフトの更新や設定変更ができることは一番ありがたい機能だったのです。

・・・全部「過去形」です。

今はアプリケーションソフトもデータもクラウディングという一箇所のサーバーで運用する方式が企業では主流。メールはgoogleのgmailのようなWeb-mailと言う方式が管理面から一般的です。こっちのほうがずっと便利ですし。

それでもMicrosoftはあいかわらず、最新OS(Windows7/8)でもリモートコントロール機能を標準(初期)状態で使用可能にしています。

情報流出というIEの欠陥は、IE(Internet Explorer)を通して、リモートコントロール機能を利用するものなのでしょう。(詳しい欠陥内容は公表されていないのでわかりません)

リモートコントロール機能がONのパソコンであれば、仕掛けられたウィルス(トロイの木馬などの不正プログラム)を外部から起動させることができるのです。

「踏み台」と呼ばれる発信源を特定されないように利用されるPCや、特定目標のPCへ大量の指令を送りつけてパンクさせるための発信源として利用されてしまいます。

すぐにリモートコントロール機能をOFFにしましょう



パソコンメーカーの問い合せを頻繁にするとか、常に誰かの助けを求める人以外は関係ない機能です。

手順はコントロールパネルの「管理ツール」から「コンポーネントサービス」を選びます。



クリックして「マイコンピュータ」を表示させたら、右クリックで「プロパティ」を選択。



「このコンピュータで分散COMを有効にする」にチェックが入っているはずです。
このチェックを外して、念のために再起動すればOK。

あとはIEではなくFireFoxなど別のブラウザーを使うことですが、これだけでもPCからデータが流出、悪用される可能性はグンと減るはずです。
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Googleに屈する経済産業省、アメリカ国防総省・CIAと組むGoogle 
Thursday, May 1, 2014, 12:50 PM


前述の続き

朝日新聞の朝刊一面で「のまれる日本のロボット技術」という大見出しでGoogleが日本のロボット技術/ベンチャーを買収していることを報じています。またお掃除ロボットのような単機能のロボット開発の機運も高いということ。

米国は国防総省DARPA(高等研究計画局)も参画して、軍事目的で資金も人材も国を挙げて投入しているという点。

武器輸出三原則の拡大解釈で企業の参入意欲が低いことを尻目に撤退企業の技術者やベンチャーをGoogleが買い漁っていること。

メカトロニクスの応用分野で日米逆転の流れは止めようがない



悲しいかな経済産業省は傍観するのみ。

Googleは今やアメリカの国防と諜報の要だから文句が言えない



そんな現実が静かに広がっているというお話

過去ログ:第五の権力 80億人の監視体制の完成
現代の戦争はコンピュータに使われている方が負け決定
googleツールバーは最強のスパイツールだ!
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アクセスログからわかるGoogleの圧勝さ −MSの凋落と未来 
Thursday, May 1, 2014, 12:03 PM
5/1 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル

久しぶりにこのサイトのアクセス数を覗いてみました。私の備忘録(ネタ帳)として使っているので、アクセス数を伸ばそうとか、商品宣伝をしようという目的ではないです。

ですからどれだけアクセスがあるか、何人毎日覗いてくれているのかはあまり興味がありません。六城ラヂウムに興味を持っていただければそれは余録として幸いに思います。

それでは4月のアクセス数を公表しましょう。

4月に訪れてくれた方は2万8千527人


一日あたり700人程度の方がブログを覗いてくれています。

拙文を読んでいただきどうもありがとうございます。

昨年1月は1万3千人程度で、一日あたり500人に満たなかったのです。



実は自社サイトのアクセス数を調べるのが目的ではなくて、以下の情報に注目しています。

アクセスした閲覧ソフト(ブラウザー)の最新内訳状況




Mozilla/5.0が60%を占める現状に驚いた


MozillaとはGoogle-chrome(グーグル・クローム)のこと。おそらくスマートフォンやGoogle Android端末からのアクセスなのでしょう。
(追記:User Agent名は偽装されていることが多いので、chrome以外にもFirefoxやApple Macintoshで動くMS-IEでもMozilla/5.0と表示されるとのことです)

MS-IEは最新バージョンすべて含めても15%しかない


Windows7やWindows8でしか動かないIE9、IE10は二つ合わせても6%しかない。

つまりGoogle・ChromeはMSの4倍、PCの主流をなんとか保っているWindows7/8でのIEなんてGoogle・Chromeの1/10の規模しかないのです。

この結果には驚きました。一昨年あたりまではGoogle・Chromeは利用者数でトップではなく4位とか5位あたりに位置していたからです。

完全にGoogleとMSのブラウザー占有率は逆転した



MS-IEは占有率でLinuxのブラウザーと同じぐらいマイノリティ(minority)な存在にまで堕ちたのです。同時にPCよりも圧倒的にスマートフォンやタブレット型端末が普及していることがわかります。

私はパソコンも稼働するソフトウェアもプリンターといった周辺器機も、そのセットアップを決めたらほとんど替えません。せいぜい有線LANから無線LANになったぐらいでしょう。
PCを持ち歩くこともしませんしね。

だからインターネットエイジにとっては旧世代タイプであることは間違いないです。

Google・Chrome+タブレットPCは生活を一変させる



とタブレットユーザーである私よりもずっと年上の知人(K氏見てる?)は大絶賛。倉庫まで行かなくてもお客さんの目の前で在庫確認ができて、売れたら即座に在庫数を変更できること。同時に他のPCでも閲覧できて別の場所でも在庫数を変更できるといったクラウディング機能で移動の無駄、在庫確認のタイムラグが一切無くなったとのこと。

5年前であってもそのようなことができるのは大手企業でしかできないことが、Googleを使えば零細企業でも簡単手軽に利用できるようになったとのこと。

MS-IEでもやろうと思えばできなくもない・・・が専門家がいないと難しいそうです。

難しい設定をしなくてもPC/タブレットとLAN環境さえあれば

街の小さな店のオヤジが使いこなしているだけでGoogleの勝ち



そりゃすごい良かった良かったと単純な話ではないのですが、現実はGoogle主導で変わっていくのです。この話は続けます。
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擬音擬声語は読みやすくするための必須テクニックである 
Wednesday, April 30, 2014, 12:33 PM
4/30 雨 10時 浅草での空間線量は18ベクレル/立法メートル


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本日で4月が終わります。連休中の方も多いでしょう。ゴールデンウィークという無意味な言葉が大嫌いです。映画興行業界がかき入れ時であることから名付けたということで、それが旅行やホテル業界にも広がったそうです。

業界言葉をマスメディア(特に公共放送NHK)は使うなよと思います。

今日の天気のように、私の心も雨模様。4月は経済活動は縮小するだろうと構えていましたが、予想以上に肌身に感じます。

浅草の道具屋筋でも貸店舗の貼紙がちらほら見られるようになりました。
飲食業界は悲惨な状況です。18時以降でも客がまばら、全くいない店も少なくないです。

チェーン店系の居酒屋や丼店は人件費の高騰で採算性が悪化してますし、よりコストカットで貧困層の餌場と化した感があります。ここ数年私は食べたことがない。美味い物はより高くなり、安い物はより貧相になりました。

外食をこれほど楽しくないと思ったことはありません。

国内経済活動が土木建築業から広がってくれることを、どの業界もいつになるかわからない景気回復を期待して、ひたすら耐えているという状態です。ボクシングの12Rで踏ん張っているようなところでしょうか。

新聞記事では注目するようなものはなく、月末集金時に置いていった「スタイルアサヒ5月号」という普段は読まずに捨てる冊子をネタにします。

谷川俊太郎が簡潔にまど・みちお(ぞうさんの童謡で有名)の詩を教材にした「ようこそ詩の世界へ」という記事が面白いので電子スクラップしておきます。

詩は”遊び”の言葉


言葉にも実用の言葉と、遊びの言葉の二種類があります。法律や取説(取扱説明書)の言葉と、落語や冗談の言葉、同じ言葉でもまったく働きが違う。詩はそれがどんなに真面目で深刻な物であっても、基本的に実用ではなく遊びの言葉です。
(谷川俊太郎 記事中より抜粋)


『説得の文章力』(副島隆彦 KKベストセラーズ 2013年)では説得力のある文章は、時に冗長な言い回し、擬音語・擬声語を挟むことは有効な手段だと述べています。

「頭が左右にぱかっと割れる苦しみを味わうがよい」



「いまごろ脳みそから汗がぽたりぽたり滴っているだろう」



「この瞬間、はっと私は気づいた」



長々とした解説調文章が続いている途中で、いきなりこのような突拍子な一文が入るのが副島隆彦先生の特徴であり、テクニックです。副島節(ソエジー節)ともネットでは書かれています。上記の例はよく使われる一文です。

擬音語や擬声語は下手に使うと幼稚になるので、編集者が削除手直ししてしまうこともあります。もちろん学者や教員の書く文章は”自主規制”して、感情が読み取れない文をより一層つまらない無味乾燥にしてしまいます。論文や報告書はそれでいい。

商業文章は読み手が金を払って読むもの



だからこそ、ときどき感情や擬音をいれてメリハリを付けなければならないというのが副島先生の”説得する文章力”のテクニックのひとつです。
こんなの学校じゃ教えてくれませんよね。だって教える先生が糞文しか書けませんから。

擬音語のすばらしさを知らしめる作家を挙げるとすれば、宮沢賢治しかいない。
また、まど・みちお氏の詩には、宮沢賢治的なものを感じました。

詩でも説得ある力があることを知りました。
一節を書き加えることで文章が活き出すのです。なるほど〜
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