Wednesday, February 18, 2015, 08:36 PM
2/18 雨 10時 浅草での空間線量は12ベクレル/立法メートル
今日はずっと雨です。
ドイツから来た友人と過ごしていました。
参考にはなりませんが、私が独メルケル首相の外交手腕を誉めたのですが、彼が言うには国民の評価はあんまり良くないです。
ギリシャに対する感情は、ずばり言えば「ええかげんにせえよ」です。
鍋でもして歓待しようかと思っていたのですが、なんと連日鍋なんで嫌だとか。
それよりも久しぶりの東京で昔通っていた本場ドイツレストランがあるから、そっちへ行こうと誘われました。
たしかにビールはいろいろあって美味い。
私も彼も酵母が入っている白濁したビールが大好きです。
ただ私は小さいサイズで注文、友人はというと・・・大ジョッキをさっそくおかわりしてます。
一気に2リッターぐらい平気で呑む気なのか(笑)
ショットバーでもずっとビール。
ヱビスビールのスタウト という黒ビールを誉めていました。
私は彼のビールのウンチクを肴に、ウィスキーのシングルモルトをちびちびと舐めておきます。
シングルモルトとは蒸留所で樽詰めされた酒を、そのままボトルに詰めたものを指します。
普通のウィスキーはいろいろな樽や産地の酒を混ぜて香りや味を統一させてます。ブレンド(ブレンディド)ウィスキーといいます。
グラスを舐めながら気付いたのですが、シングルモルトって比較的高級品のイメージがありますが、個人の嗜好に合うかどうかは、試飲してみないとわからないです。
NHKの朝ドラ「マッサン」の舞台、NIKKAの余市工場には過去3回、20代前半、30代、40代で行ったことがあります。
そこでは工場見学の最後に樽から出たばかりのシングルモルトを試飲させてくれます。
何人かのグループで行けば、お猪口を交換していろいろなウィスキーを味わうことができます。
でもねえ、毎度思うのですが、シングルモルトってそれほど美味いと思いません。
昨晩のバーで呑んでたウィスキーが余市で味わったシングルモルトとよく似ています。というか余市の工場を思い出した。
ずばり言えば、味が単調なんです。単にきついだけの酒であったり、逆に特徴らしき点が何も感じないのもあります。
シングルモルトは本来は呑みにくいお酒なんです。
これは工場見学の最後のお楽しみで、みんなワクワクして試飲グラスに手を出すと、たいていは「うへっ・・・」って顔をしますから、私だけの感想ではないでしょう。
「マッサン」でウィスキーの需要が伸びているそうです。
でもはっきり言っちゃいますが、国産高級ウィスキーのシングルモルトよりも、本場の安物(ブレンド)スコッチウィスキーの方が呑みやすくていいなあと思います。J&Bとかホワイトホースといった1000円程度で買えるウィスキーです。
昔は海外旅行のお土産の定番はオールド・パー、ジョニ黒、シーバスリーガル、バランタイン、カティーサークといった免税店でよく見かけるお酒でしたが、今はあまり喜ばれないのか、重たいからか敬遠されているようです。
ドラマ「マッサン」でブレンド作業を突貫でやっている情景がありました。
ウィスキーはブレンドによって複雑な香りが産み出されるのですから、「ウィスキーの魅力はブレンドにあり」なんです。
あっ、好きなスモーキーフレーバーのスコッチウィスキー「グレンフィディック」はシングルモルトでした(笑)
スコットランド出身の女性に教えてもらいましたが、お湯や水で薄めて、香りを利いて(嗅いで)たくさんの銘柄からお気に入りを目指すといいのだとか。
昨晩のバーで試した国産シングルモルトウィスキーはどれももう一歩ってな感じでした。少なくとも高級品の風格ではないと思えます。
| このエントリーのURL |





Tuesday, February 17, 2015, 02:45 PM
2/17 雪 10時 浅草での空間線量は12ベクレル/立法メートル
昨日から確定申告が始まりました。
私も申告の準備を始めております。
インターネット通販を始めたいと思う方がいらっしゃるかもしれないので、このネット通販の経費について少しお話ししましょう。
どんなに簡単なサイトであっても維持費(固定費)で年間20万円程度はかかります。
たとえばネット回線、サーバー代、クレジットカードの管理費、プログラム利用料・・・
またWebの開設と維持に外部のデザイナーやプログラマーに依頼をするとピンキリですが費用は必ず発生します。
初期費用は除いて、セールなどで簡単なデザイン変更や内部処理の変更のたびに数万円といったところでしょうか。
また広告費も最初は計上しておかないと、いつまでも開店休業状態です。
となると開店費用は初年度は30万円以上は必要ではないでしょうか。
Yahooや楽天で開店してもだいたいそれぐらいです。集客力は大きいのですが暖簾(のれん)代として毎月売上からずいぶん持っていかれることは覚悟しておかないとなりませんね。
通販専業の企業としてやっているところは、この予算の2倍~3倍は普通でしょう。
さらに倉庫や作業場などが必要となると、田舎の掘っ立て小屋であっても電気を引っ張らなくてはなりませんし、倉庫代もかさみます。
(当社は専用倉庫を持っています)
倉庫があると、物流費、つまりトラック等の使用料もたまにかかります。
となると無店舗であるかどうかの違いでしかないのです。
自分の手工芸品(アクセサリーや洋服など)をバザー感覚で売ってみるというのは良いかもしれませんが、長く続けるのであればそれなりな投資が必要なのです。
ワンちゃん用のお洋服を手作りでつくって販売しているサイトがあるのですが、そのような顧客と作り手がサークル感覚で運営しているところは利益はわかりませんが繁盛しているようです。
ネットショップはまだまだ可能性がある仕組みだとは思っています。
時々相談を受けることがあるのですが、何を売りたいのかわからない人が多いのです。
で、誰かのどっかのショップを真似て見様見真似でやってみる。
そして誰も見向きもしないサイトができて、ほっておかれる。『ゴキブリほいほい』のような「ひっかかれば儲けもの」といわんばかりのサイトのできあがり(笑)
ウチの画像をパクって商売しているどっかのサイト、てめえのことだよ
おっとつい怒りで我を忘れてしまった(笑)
ネットショップは自分で売りたいモノを売るのが鉄則です。他人が売りたいモノは他人が売れば良いのです。
その商品を通して自分(店主)を知ってもらうというぐらいの気概が必要なのです。
最後に
お買い上げ下さった皆様!ありがとうございます!
なんとか収支トントンで六城ラヂウムは存続できそうです(苦笑)
| このエントリーのURL |





Monday, February 16, 2015, 03:30 PM
2/16 晴 10時 浅草での空間線量は16ベクレル/立法メートル
10~12月GDP、増税後初のプラス 市場の見方 日経 2015/2/16 10:23
内閣府が16日発表した2014年10~12月期の国内総生産(GDP)速報値は、物価変動の影響を除いた実質で前期比0.6%増、年率換算で2.2%増だった。昨年4月の消費増税に伴う駆け込み需要の反動の影響が和らぎ、3四半期ぶりにプラスに転じた。個人消費の緩やかな回復が続き、設備投資も上向いた。一方、民間予測の中央値(年率3.8%増、QUICK集計)を下回り、金融市場では国内景気の回復の鈍さを指摘する声もある。関係者に金融市場への影響を聞いた。
NHKでもGDP速報値が前期(7~9月)比で0.6%のプラスに転じたということが安倍政権の大々的な成果のように報じられています。
比(率・割合)で示された数字はまず疑え
ご丁寧に四半期0.6%が維持されたとすると、年換算で2.2%になるかもという根拠もない数値が併記されています。
前期比というのは数学的には微分のことです。そして微分というのは変化率のこと。
前年との変化率をグラフにすると1993年(平成5年)からほぼ1以下です。
1998年(平成10年)は-2.0、1999年に-0.2、2009年(平成21年)に-1.04、2010年(平成22年)には-5.53%、2011年に-0.45というデプレッション(depression:不況)局面となっています。
参考URL:http://ecodb.net/country/JP/imf_growth.html
ちなみに昨年の2014年は前年比は0.89です。
表計算ソフトでこのGDPの変化率を入力してみると、1993年から22年間でGDPは19%しか増えていません。
もう少し期間を短くして、消費税が3%から5%となった1997年(平成9年)から昨年までの17年では11%しか増えていません。
ちなみに1980年(昭和55年)から1992年の12年間でGDPは63%増えています。だいたい3~4%の成長です。
グラフにするともっと悲しくなります。
(ちなみに比(率・割合)のグラフは目盛りは対数グラフで表わすのが常套です。)
1993年当たりから真っ平ら、そして所々陥没(笑)という図になります。
民間予測の年率3.8%の成長なんて全くの夢物語であることがわかると思います。(バブル前1980年代の数値です)
安倍晋三のとりまき企業だけの話なんじゃないだろうか。
GDP成長率が1%以下は不景気と定義されているのが世界標準です。
となると22年前から一貫して不況なわけで、現在も最長不倒距離を更新中となります。
今年就職する若者達あたりは生まれてからこのかた好景気を知らないわけで、バブル後に就職した40代後半の世代も好景気を知らないわけで、とどのつまり働き手の大部分が不況しか知らない時代なんですなあ。
| このエントリーのURL |





Saturday, February 14, 2015, 01:17 PM
2/14 晴 10時 浅草での空間線量は17ベクレル/立法メートル

その説明で、印象派という流派の説明がなされていました。
油絵や水彩画を学校でやった方は多いでしょう。絵の具は混ぜると黒くなります。
だから重ね塗りしたり、色を混ぜていくとどんどん全体が灰色で薄暗くなっていってしまいます。
今月号の雑誌Newtonでもちょうど「色と光の科学」というテーマで解説されていました。
色というものはたとえば赤であれば、赤の波長を返す物質で構成されているということ。
夕焼けもそうですし、空の青色も光の波長でその色を透過しているだけです。これはよく知られていること。
光の三原色を混ぜると白くなり、色の三原色を混ぜると黒くなる
当たり前のことですが、白色を絵の具で再現するのは難しかったのです。(テレビや液晶画面では逆に黒を表現することが難しい)

そこで19世紀の終り(1900年前後、明治中期)にフランスで活動する新進気鋭の画家達が気付きました。
絵の具を混ぜると黒っぽくなるなら混ぜなきゃいいじゃん
点描という技法を絵の具3色で再現したのです。
つまり原始的なカラー印刷を手書きで試みたということ。
すると、まあなんてことでしょう。
いままでは不可能とされていた、明るい色、光線の跳ね返りが重々しい油絵の具でも表現が出来るようになったのです。
それまでは筆のタッチや塗り重ねによる重量感が特徴であった油彩画の印象ががらりと変わったのです。
だから印象派と呼ばれた(笑)
代表的なのはドガ、セザンヌ、特にモネの睡蓮シリーズは誰もが知っているでしょう。
この点描の技法をさらに推し進めたのが新印象派という流派(有名なのはジョルジュ・スーラ:グランド・ジャット島の日曜日の午後)

これを観たときびっくりしましたよね。
点々で描いた根気・・・の割に全く全体に動きがなくて、どっかの中高生の美術部員が描いているんじゃないかと(笑)
新印象派ってべたーっとした平面的ですね。個人的には好きではない。
もっと嫌いなのは平山郁夫(ひらやまいくお)で、NHKのシルクロード展や85年のつくば万博の日本館に掲げられていました。
これも点描で、薄暗くぼやーっとした輪郭だけの<まさに印象のない絵>です。
こんな絵が何億円?しかも東京芸大の学長の作?・・・悪い冗談だろうと思っています。
もっとも平山郁夫は作品よりも、生存中に日本で一番金銭的に成功した画家で有名でいうことで、シルクロードを描いていたのはメディアで活躍する忙しい本人ではなく妻の平山美知子(洋画家)だという噂話がもっぱらです。
それなら合点できる。陰影だけで絵の作風が女性っぽいし、印象派を真似た美術部員レベル以下の絵ばかりだから。
なんでこんな駄作を日本の絵画の代表のように扱うんだろうねえ~(独り言です)
マネを真似した平山郁夫(美知子)
って覚えておきましょう(笑)
まあ今までサザビーズやクリスティーズといった美術オークションでは、印象派の作品も高騰しているそうです。中国マネーによる買い漁りです。
印象派絵画はそんなに高騰するほど人気はなかったそうです。時代も新しいですし。
ところが宗教的な背景もないし、わかりやすい構図がアジアではうけて、みんなが買うから値が上がる、値が上がりそうだから買うという変な話です。
| このエントリーのURL |





Friday, February 13, 2015, 11:34 AM
2/13 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル
NHK教育のスーパープレゼンテーション「TED」を観ました。先週録画したタイトルは「折り紙の数学と魔法(The math and magic of origami)」です。
動画は無料で公開されています。
http://www.nhk.or.jp/superpresentation/backnumber/150204.html
折り紙を数学的に解明した元NASAの数学者のお話です。
折り紙にも数学の法則がある
一枚の紙を折って立体化することを数学的に解明し、コンピュータで設計できるようになったことが90年代からの折り紙界の大躍進の原因なんです。
展開図には厳格なルールが4つ
・紙に線を引く際に2色で塗り分けられること
・山折り谷折り回数の総和の差は必ず2
・交わる線の内角の和は180度(つまり必ず平面が基準であること)
・紙は重ねても突き抜けることはない
また鋭角な突起を形にするには、展開図では円または半円となること。
つまり一枚の紙に円をどれだけ内接させるかという幾何学問題になるのです。
このことから90年代の折り紙作家達はコンピュータで自動的に展開図(設計図)が引けるようになったのです。
今では折り紙は宇宙船や医療分野で最新の技術になっているということ。
手芸に過ぎなかったものが数学によって突破口が開かれ、多方面に活用されていく例としてとても興味深く観ました。
たぶんこれからもこのような数学的な再発見はあるでしょう。
私が25年前社会に出た頃やっていたことは、自動車のタイヤとゴルフクラブのドライバーです。船の設計もやったかな。
複雑なゴム形状や金属がどのようにたわむかをある程度コンピュータで力づくで計算できるようなったのです。
中身は膨大な数の連立方程式なんで、理論はあったのですが、計算する手段がなかったのです。
それまでは簡易計算とあとはデザイナーや現場作業者の感だよりだったわけです。
90年当たりから急にドライバーの飛距離があがったのはそういうわけです。設計手法が根本から覆ったのです。
パーシモン(柿の木)のウッドドライバーは絶滅しましたね。
自動車のタイヤの断面も90年頃を境に変わり乗り心地がかわりました。
その理論はコンピュータの高性能化にともない、自動車の衝突シミュレーションや臨場感あるゲームとなって広く使われています。適用分野はまだまだ広がっていくでしょう。
折り紙を革新させた数学の力に驚くばかりです。
| このエントリーのURL |





Thursday, February 12, 2015, 11:33 AM
2/12 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル
昨日は川渕三郎氏のミニ講演をとある会合で聞きました。写真を撮るのは失礼な気がして、握手だけしてもらいました。うろ覚えで書きます。
そりゃアギーレ辞任やザッケローニ招聘の裏側を知っている方ですから、がぜん注目が集まります。
あまり公にはしてほしくないのだけれどもという前置きでいろいろ闊達な口調でお話がはじまりました。
サッカー素人が思っているほど代表監督の人材選びは簡単ではないことや前回ワールドカップでの弱点補強や戦略方針に基づいた適材を見つけたとしても、それは各国の争奪戦で何年も前から水面下交渉が始まっていると言うこと。
これぐらいはなんとなくわかります。
アギーレさんはワールドカップでメキシコを率いた功績が大で、さらにアギーレ流サッカーの特徴は、観ていても面白くて楽しいサッカーなんだとか。体格が小柄であっても、それにあったゲームを組立てることに秀でていて、日本チームにはうってつけだったのだそうです。
アギーレさんがスペインで訴追された理由とは、アギーレさんの口座にお金が振り込まれており、それを選手全員に配ったことなんだそうです。
この試合で負ければ格下げされてしまうチームがあり、チームのオーナー同士が相撲で言う「星の貸し借り」をしたということ。それにアギーレの口座が使われたということです。
アギーレ自身は八百長で金を稼いだわけでもなく、それこそ本人の知らないことだったのかもしれません。
だから罷免は止む得ないのだけども、監督としての逸材を失ったことは残念なことだったと言われていました。
前任のザッケローニさんですが、このかたの最大の弱点はワールドカップの出場経験がなかったことに尽きるのだそうです。イタリアリーグの名指導者で、その功績は絶大なんだけどもワールドカップの経験がないので、時差や季候、そして日本とヨーロッパで活躍する選手のマネジメントに苦労していたのだとか。そりゃJリーグはオフだけど、あちらではまだやっていれば、選手のコンディションはバラバラ。それを統一した練習でまとめるのは難しいのです。
だからブラジルワールドカップの時点で、海外組はオーバーワークだったのだとか。これは協会でも危惧していたことで、現実になってしまい、最悪の結果でした。
ザッケローニの辞任挨拶で選手・協会役員みんなが泪した
よく知られていますが、ザッケローニの退任で代表選手みんな泪して、川渕氏も泣いたそうです。それほど慕われ、また熱心だったザッケローニの人柄が偲ばれます。
・・・ところがザッケローニさん、もともとは代表監督の招聘リストでは当初は上位ではなかったのだとか。監督候補の補欠の補欠ぐらいの順位。
ところが監督の招聘というのは各国が水面下で一年二年かけて働きかけをやっているので、当初の人物は他国にかっさらわれていってしまった。そこでザックさんが収まったのだとか。ここらへんはなんとなく週刊誌やスポーツ新聞でも書かれていたようなこと。
ここからだんだんメディア批判へと流れていきます。
勝手な監督更迭論や次期監督の予想はファンなら許されるのでしょうし、読みたがる記事を書くのが記者の仕事だからしかたがないとしても、記者が実状を知らなすぎて、逆にサッカーファンを混乱させているのかもしれません。床屋政談ばかり載せて、嘲りあう低レベルでサッカーをやる当事者達はがっかりする。
川渕氏はリーグ制をとるプロスポーツで混乱の元凶ははっきりとは言っていませんが、どうも話の矛先は某新聞のナ●ツ●のような気がしてきます。
プロバスケットのリーグが統一できずに、国際バスケットボール連盟から統一できなければ国際試合の出場停止というオチになってしまいました。あれはなぜ二つのリーグができあがってしまったのか。
またサッカー協会ではアギーレ退任への圧力、そして協会人事の背後にある某新聞の影響力、そして政治家・・・
おっと誰か来たようだ
| このエントリーのURL |





Wednesday, February 11, 2015, 07:39 AM
私はフリーメイソンが世界征服を目指す秘密結社で、明治期にも(それ以前から)日本に根を張り現在もその強大な影響力を発揮しているという隠謀論には賛成しておりません。
いえ、そもそも軽率にそのような妄想(ファンタジー)に傾倒する人をたいへん軽蔑さえします。
具体的に言えば、宇野正美(うのまさみ)やら加治将一(かじまさかず)、学研の「ムー」の愛読者層ですかね。
いっときますけど、フリーメイソンってどの街にもあるロータリークラブやライオンズクラブと同じようなものですから。支部をロッジと称しているぐらいの違いでしょう。奉仕活動をする名士の集まりです。似たような商工会議所など地域親睦の団体と違い入会の資格がはるかに厳しいぐらいかな。
江戸末期から明治にかけて急速に日本に入った西洋思想(簡単に言えば一神教の概念=God(絶対神/創造主)との「契約」という考え)を理解した日本人をすべてメイソンリーだと決めつけるのはあまりにも無理があります。
それならば西洋思想の導入を目指した啓蒙活動を行う交詢社(こうじゅんしゃ:福沢諭吉が創立)もその一派だし鴎外も漱石ら明治文学者もすべてフリーメイソンになってしまいます。
だから幕末の志士、たとえば龍馬や勝海舟、榎本武揚らがフリーメイソンの手先だとか、長州ファイブ(井上聞多(井上馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(伊藤博文)、野村弥吉(井上 勝))がフリーメイソンの内通者達だとかいった話は実に下らない話です。
そりゃ関係があるかないかという話であれば、各国の有力者たちと交わればメイソンリーと交遊は出来るでしょう。しかしそれで隠謀(コンスピランシー:共同謀議)が生じたなどと妄想するには無理がありすぎです。
商業娯楽小説であれば別にそれでいいのですが、それを歴史の真実だなどと思いこむのは愚の骨頂。
幕末の土人侍とメンタリティーは何も変わっていない
勝海舟に関しては歴史的な評価は案外高くない。それは記念館ひとつもないからです。
お隣の墨田区役所には銅像が建っています。また赤坂の氷川神社裏手のマンション脇に居跡だという印一本立っているだけです。
やっとお墓のある大田区が海舟の記念館をつくるという話です。大賛成です。
明治末期に勝海舟が自ら語ったという氷川清話(大正3年)ぐらいしか人物像を知られておらず、逆にこれでまた誤解されている実像をもっと知らせる(調べる)必要が後世の研究者達はあるでしょう。
それが港区でなく、墨田区でもなく、大田区であるのはちょっと意外ですが、さすが大田区!とほめておきます(笑)

| このエントリーのURL |





Monday, February 9, 2015, 03:59 PM
2/9 曇 10時 浅草での空間線量は9ベクレル/立法メートル
昨日は大手町の三井物産本社の脇を通りました。
私にとっては珍しくないのですが、同行者が一度も立ち寄ったことがないというので、将門(まさかど)の首塚に久しぶりに訪れました。
関東でくすぶっている反対勢力を束ねて藤原氏への反逆を試みますが、討ち取られてしまいます。
反逆者として京都で晒された首が、怨念で下総(しもうさ:現在の千葉県北部から茨城県あたり)に飛び去ったのですが、途中で力尽きて、神田に落ちたという伝説です。
そこで神田明神が建立され、また落ちたところが将門の首塚として現在も祀られています。
そこで銘文を読んでいて、新たに気付いたことを書きます。
天皇と将軍の藤原一門の統治体制から根こそぎ関東に統治機能を奪うために、将門は「新天皇」であると宣言したわけです。天皇であるから東武士は自分に味方せよと村々を触れ回って、反乱軍を組織したわけです。
イスラム国(ISIL)の指導者とまったく同じ行動だ
日本人には一神教というものがなかなか理解できないかと思います。
ついついゴッド(GOD)を神と訳してしまいますが、日本語の本来の神とは呪い師、占い師のことです。古代では卑弥呼が神ですね。素戔嗚尊(すさのおのみこと)や天照大神(あまてらすおおみかみ)も日本書紀では神のひとり。
日本の神話に対して、あちらのGodは代替わりなんかしません。そもそも生命体ではないから。唯一神として絶対視するのが一神教です。
日本では神さんの正統者として天皇家が存続しています。天皇家というのは海外から観れば、国王なのです。
国王を戴く統治形態を王国・公国・首相国(たぶんひっくるめてKingdom)と言いますが、国王が居ない国は共和国(repubulic)となります。
フランスとドイツ以外のヨーロッパ諸国では政治的実権がなくても形式的に国家の顔として王族が存続しています。
なぜかというと、建国者の血筋ということで国民の理解が得られるかけがえのない存在だからです。
中東シリア・イラクに跨るイスラム過激派組織イスラム国(ISIL)はバグダティという人物がカリフであると宣言し、設立したと言うことになっています。カリフとは預言者ムハンマドの後継者という意味です。
預言者というのは神の言葉を授けられた者という意味。
キリスト教での預言者はもちろんイエスですし、ユダヤ教において世紀末(世界の終り)に新たな預言者が現れるという信仰がキリスト教です。
かつての日本では神道において天皇がカリフ、つまり預言者の地位です。天皇ご自身から宗教的な発言がなくても、期待されている役目的なものは同じです。
平将門(たいらのまさかど)に話を戻すと、京都から目の届かない北関東で「ワレこそが正統な天皇ナリ」と名乗りを上げたのが将門なのです。そして建国者(神)の末裔として信奉を集めたのです。
時代は下って現代に於いても、構図は全くおなじこと。
織田信長が天下統一の前に、ポルトガル宣教師達に宣言したことは、自分こそがデウスであるということ。安土桃山城の一番高い櫓に「天守閣」と名付けたのは、天主=デウス=信長を知らしめるためです。
地名の「安土(あづち)」も隣の京都を「平安」に対して付けられたという説があります。
平安は平安楽土(へいあんらくど:いわゆる天国の地の意味)から採られているので、信長は平安楽土を胆略して「安土」を地名に採用したのではないかということです。(井沢元彦「逆説の日本史」、元は安土城の研究者である内藤昌の説らしい)
じゃあなんで信長は「平楽」としなかったのかというと、地名に「平」を持ってくるだけでも朝廷への不遜にあたるからでしょう。
国家統一の前に朝廷が敵対心を持つようなことを避けたと言うこと。
それでも天下統一の暁には天皇の座を乗っ取ってしまおうと考えたわけです。
神の座の方が絶対的ですから。
将門と信長ぐらいしか天皇の座を狙った者は過去いなかった
それほど神(預言者)というのは畏れ多い存在だったのです。イスラム諸国の宗派、民族においても近代において「我こそはカリフなり」と宣言した人物はいなかったのです。
もし居たとしても即刻抹殺されてでしょう、気違いとして。しかし一旦カリフとしての名声が生まれたらさあ大変です。
預言者が現れるとオセロゲームのように一気に形勢が変わってしまう
キリストだってユダヤ教の中で預言者を宣言したのですから。
これは支配者層、宗教指導者層にとっては恐怖でしょうね。
そしてその影響は末代まで続くのです。
なぜそんなことが言えるのか?それは昨日訪問した将門の首塚です。あそこを移転したり壊すことは祟られると恐れられているからです。そして隣の三井物産の社員は首塚に対して配慮している旨が説明版にありました。
向かいの皇居に対して失礼がないように心構えるのは日本人として当然であっても、となりの祠に対しても同じ心構えであるのです。
1000年の時が経っても、将門を神格化した言い伝えが日本全国あちこちにあります。
なぜならば、天皇の正統は我だと言いふらして回ったからです。その痕跡がまだ残っているということ。
だからイスラム国(ISIL)の殲滅はものすごく困難ですし、勢力をくい止めるだけでも相当の犠牲を覚悟しなくてはならないということ。
そんな総力戦、体力戦に日本が加わることはありません。イスラムとユダヤ/キリストの勢力争いなんですから。
日本人は天皇家を大切思えば良いのです。
| このエントリーのURL |





Saturday, February 7, 2015, 12:41 PM
2/7 晴 10時 浅草での空間線量は13ベクレル/立法メートル
先週の朝日新聞日曜版に「思うと考える」の違いについてのコラムが載っていました。
なるほど無意識に使い分けていましたが、そりゃそうだ。

ふり返れば、私は「思う」恐怖症です
副島隆彦先生が言うには
「思う」「思った」という言葉は有名で権威のある人物が使うならば、それなりに他人は重く受け止めるであろうが、凡人が使ったところで、軽く受け流されるだけであると言います。
また、「私は~と思う」と行った意味の底には「お前がどう思っていようと勝手だ」という突き放すように受け取られがちになるのだと。
これは読者にとって不親切で不愉快な気分にさせます。
では「考える」となると、それなりの理由を述べてからの自分の結論であるから、この思考に対しては誰も不満に感じることはないのです。そしてその思考(結論)はその人の所有となります。
他人の持ち物に文句をいう筋合いはない。
思考(結論)に異議があり、また違う思考に辿り着いたのであれば、それはその人の持ち物となります。
このように「考える」「考えた」という言葉はキャッチボールのボールのようなものです。
笑い話なのですが、副島隆彦先生に添削をお願いした弟子のひとりに、<説得する文章>は断定口調であるべしとの指導を受けて、「思う」で終わる文末をすべて「だ。である。」に変換してしまいました。
パソコンですから、ほんの数秒の作業ですよね。
これで副島流の文章になったとほくそ笑んでいました。
これには周囲が大笑い。
単に文章が紋切り型の乱暴な文章になっただけ。ネットスラングでいうところの厨二(ちゅうに)病というやつです。厨二(ちゅうに)病とは中学二年生あたりの子供はいっとき無敵感・万能感にひたり、大人を見下したり破天荒な目標を掲げるといった思春期入口の心理を指すそうです。
三〇半ばの中年がこんな文章を世に出したら笑われるだけ。
「だ、である」は「考える」よりもさらに強い論理的な裏付けが必要な切腹覚悟の言葉です。熟考を重ねたうえでの言葉です。
こいつあほすぎる・・・。
私は「思う」という言葉は文章中のスパイスのひとつだと思っています。もしくはリズムを一旦取り戻すための小休符みたいなもの。
感想文は感じたことを書けばいいと勘違いして、「~と思う~思った~思う」とすべて文末は「思う」で書いたらどうなるでしょう。
他人からは「頭の悪い奴だな」ぐらいにしか思われないでしょう。
思うという言葉で終われば、そこでその人の思考は止まってしまうからです。
行き止まりばかりの道路を走らされているようなもの、もしくは長休符ばかりの楽譜の演奏を聴いているようなものです。
だから日記やこの日記替わりのブログは例外ですけれども、私は「思う」という言葉にはとても神経質になります。
ある有名企業に勤める友人が新商品の企画書らしきものをちらっと見せてくれたことがあります。
販売目標や需要予測に関して、「思う」が連発されていたので、おもわず大丈夫か?と思いましたし、尻ぬぐいする上司も大変だろうなあと感じました。
客観性が求められる部分で主観を表わすことばで終えると、その文章は死にます。平社員の妄想にしか過ぎないのです。
逆に軽い意見を求められているのに、気軽に「思う」を使えない人も多いですね。これは日本人の特徴でしょうか。
たとえばある団体の新入りさんに感想を年長者が聞いたとしましょう。
だいたい遠慮して「・・・いえ、べつに・・・」とか「・・・みなさんの仰るとおり・・・」といった具合にはぐらかして、自分をひたすら隠そうとしますよね。
そんなこと聞いてネエよ!自分の意見を言えよ!と割り込みたい気分になります。
でも、これが日本ムラ社会の処世術なんですよね。
高校生一年生のときに、ジェームスディーンの理由無き反抗を観て、国語の時間に感想文を書かされました。
クラスメートは主人公の心情がどうじゃらこうじゃら、無理解の両親の心情がどうやらこうやらと、必死に場面を思い出して書きつづっています。
私は最初の場面ぐらいしか覚えて無くて(たぶん寝ていたのでしょう)、仕方なく「切なく感じた」とだけ書いて提出したところ、「なぜ切なく感じたのだろう?その切なさはどこから来る感情だろうか?」と添削されて返されました。
ああ、感想文とは湧き上がる自分の感情を掘り下げる作業なのだなと納得したことを覚えています。
その感情の源泉を見つめ直すことで、主義主張が生まれるのですが、なぜかこのプロセスを日本では教育では一切無視しがち。
利己的(egoism:エゴイズム)は日本では悪い意味ですが、egoismは明治においては進歩的思想として捉えられていました。個人主義とも言われています。
これが近代思想の根源でもありますし、近代とは宗教規律の束縛から離れて、個々の信仰に基づいた自己主張が許される社会のこと。
プロテスタントからさらにユニテリアニズムという宗派をへてリバータリズムという思想がアメリカの建国の基盤となったわけです。代表は小説家アイン・ランドです。
同調ではなく孤高こそが崇高なのだ
ところが日本では大なり小なり組織や団体というものは、「個人の感想」を極端に避ける傾向があります。
「幼稚さ」さえ放棄したつまらん奴らばっかりだ。官僚や小役人がその代表でしょう。
副島隆彦先生は「顔無しクン」と評しています。
| このエントリーのURL |





Friday, February 6, 2015, 07:21 PM
2/6 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル

昼前から東京国際展示場で行われている2015ギフトショーに行ってみました。3日間の今日は最終日です。
このギフトショーはありとあらゆる雑貨が一堂に集まっていて会場が広いので、一通りあるくだけでも疲れます。
会場内では写真撮影が厳禁なので、外観だけです。
会場をぶらぶら歩いていると、コンサート用ペンライトの製造販売をしている会社の社長とばったり。5年ぶりぐらいかな。海外と行ったり来たりの人で会うことは滅多にないので、向こうもびっくりしてました。
毎年出展しているからわかるそうですが、今年は客足が減った感があるとのこと。昨日は雪だったけども、好天の本日の方がもっと少ないのだとか。
羨ましいことにペンライトの販売は好調で注文をなんとかさばいているような状況だとか。
また取引のあったいくつかの企業のブースも訊ねました。また来年も招待状を送って下さいね。
とにかく歩いた歩いた。へとへとです。
このギフトショーはどちらかというと女性の方が愉しめると思います。
このような展示会の最終日は、価格交渉で値切ると、意外とすんなりまけてくれます。出展企業は少しでも帰りの荷物を減らしたいものですから。

帰りは豊洲経由で浅草に向いました。これは新しい築地の魚市場です。いつのまにか鉄骨の構造物が建ってます。もともとは東京ガスと火力発電所があった地域ですが、橋や道路があらたに出来ていて昨年から一変してます。
| このエントリーのURL |





Thursday, February 5, 2015, 01:13 PM
2/4 雪 10時 浅草での空間線量は13ベクレル/立法メートル

数学といっても数式は全く出てきません。
竹内薫が身近なたとえで、数学が身の回りに普通にあるということを知ってもらいたいという趣旨で書かれた物です。
目次では以下の用語が解説されています。
素数、無理数、乱数、四次元数、キス数、微分積分、二次方程式、三角関数、対数関数、デルタ関数、ベータ関数、テイラー展開、フィボナッチ数列、固有値、極座標、ラグランジアン、群論、トロポジー、ラジアン、因数分解、階乗、
行列、無限、力学的相似、数学的帰納法、一次変換、虚数、陰関数、波動関数、ガウス分布
たとえば素数とは「自分自身と1でしか割りきれない数」と言われても果たしてそれが何に役立つのかはピンと来ない。そこで本書ではずばりコンピュータ通信のセキュリティー(暗号文)と解説しています。
素数の発生には規則性がないので桁数が大きくなると約数かどうかの判断が格段に難しくなるという性質を利用しています。
微分積分とはと訊ねられたら、それは「限定品を買うために貯金して、期日までに目標額を貯めること」と答えています。
毎日一定額を貯金できればいいのでしょうが、その日その日で貯金できる額が違ったり不定期に貯めることしかできなければ、はたして目標額にはいつに達するのか、またどれくらい貯まったのかを知りたいでしょう。その結果ではもう少し一回当たりの貯蓄額を増やさなければといった判断をしなくてはなりません。
テイラー展開なんかは「呑み会でのワリカン計算」であると一刀両断です。
sinやcosといった三角関数も、虫眼鏡で一部だけを見れば直線だろと、範囲を限定して直線で大まかに計算してしまえという考え方。この考えが工学的な考え方で、建築や土木の実務では重宝されているわけです。大きな円形プールなどもコンクリの型枠はまっすぐな板ですからね。
なるほどなるほど、そういう例えがあるのかと読み続けました。
たとえ話こそ最大の知的な訓練だとあらためて思います
副島隆彦先生の著書がわかりやすいと評判なのは、世界の政治対立(つまり思想対立)をどんどん掘り下げてなるべく身近な比喩で表現しようとされているからです。
一番有名なのは「日米関係とは」という問いに「宗主国と属国」というえげつない言葉で表現したことです。(または親分・子分の関係性ともいう)
本書に話を戻して
三角関数とは「衝動買いして『買わなきゃ良かった』『買って良かった』と揺れ動く気持ちである」という例えは最高ですね。
同じ行動でも、見方(数学的には90度)が違うと相反する評価となることです。
こりゃまいったねえ。三角形も円も全く出てこないが、本質は正しいです。
さらに複素数(complex number)という実数と虚数(imaginary number)の二つで表わすと、三角関数は円になってしまうというし、メリーゴーランドで例えると、観測する場所によっては波のように見えます。
ちなみに虚数は「やりにくい相手だなと互いに思っている二人」です。だから近づかないけども意識はしているという関係。
この二乗すると「-1」になるという概念を取り入れるだけで、この世の動きは円運動の式でグラフであらわせられるということ。数学は見方次第でどうにでもなるということ。
だからこそ、数字の見方って大切なんですね。
数学は幅が広く、奥行きの深い世界なのです。だからこそとっかかりの教育はもっとわかりやすくなって欲しいと思います。
デルタ関数は「昔のブラウン管テレビのスイッチを入れた瞬間や切った瞬間の状況」といわれると、たしかに昔のテレビは中心に白点がでて、それが瞬時に広がって画像がでてきました。スイッチを切った瞬間はその逆で、中心にすべてが収束していくかのようです。
ああデルタ関数っぽいなと感じたら、それが量子力学の入口なのです。
この本をきっかけに自分でもわかりやすい例えはないかと探すのもさらに理解を深めることになるでしょう。
過去ログ:素数って素っ気ない数という意味ではありません
| このエントリーのURL |





Wednesday, February 4, 2015, 01:40 PM
2/3 晴 10時 浅草での空間線量は13ベクレル/立法メートル
昨日は節分でラジオでも節分の由来や、ご当地での節分行事、ご家庭での節分の楽しみ方がいろいろ紹介されていました。
京都では江戸時代までは節分は仮装して鬼の目を騙すという風習があったそうです。一年のこの日だけは銘々が着飾り仮装して街を闊歩した、元祖コスプレショーだったのだとか。
節分とは冬と春の区切りということで、暖かくなる季候を愛で、またこのような季節替わりの境目は体調を崩すことが多く、それが鬼の仕業と言い伝えられてきたからでしょう。
節分を盛り上げるには、巻き寿司を囓るようなあほくさい一部地域(花街の芸者遊びが由来)よりも、仮装行列の方がよっぽど良いのではないでしょうか。
ちなみに恵方巻という巻き寿司の風習は関西が発祥と言われていますが、関西でも知らない人が多かったと思います。
寿司チェーン店が流行らせようとしたことがあったそうですけども、30年近く前にコンビニストアのセブンイレブンがプロモーションをしたことで、全国で知られるようになったのだとか。
これに便乗してローソンや他のコンビニストアでも恵方巻という名称で乗っかったのだとか。
実に下らないよね。
巻き寿司は嫌いではありませんが、遠足や運動会といったハレの日の食事だったような気がします。
子供が好きな具が片手で食べられるからなのでしょうが、大人はせいぜいビールを飲んでから一つまみぐらいでしょう。お酒のつまみにはなりませんし。
豆を蒔くという風習もどうやら一部地域での冬の遊びだったようです。もう備蓄していた大豆を春が来たので不要となったから遊びに使ったのでしょう。
満腹になるまで喰わせて競わせるなど、昔から食べ物で遊ぶ風習は冬が長くて娯楽のない時代の名残です。
ラジオ番組では、家庭や会社でそれぞれが手作りのお菓子や駄菓子を撒いたり、宝物探しをしたらもっと楽しいのではないかと提案していました。
ハローウィンと節分を合体させたら、日本独特のあたらしい風習として盛り上がるのではないかということ。
バレンタインデーもチョコレート業界が閑散期の需要を立ち上げるためにおこなったプロモーションですから、豆菓子、米菓子、駄菓子、洋菓子各業界が節分用小分けセットを創り出せばいいのではないかな。
あっチョコレート業界は外してください、儲けすぎや。
自分のような辛党にはスルメや佃煮などの珍味が降ってくる方が良いですね。
過去ログ:恵方巻(吉方巻)とは江戸末期の下賤な遊びです

| このエントリーのURL |





Sunday, February 1, 2015, 08:00 PM

当日はちょっと迷いました。
それよりも参加案内で、持ち物リストに「家にある余った食材」「空き缶」「牛乳紙パック」「ペットボトル」「スマートホン」などとあります。
キャンプ会場は大田区の平和島という湾岸倉庫街で太い産業道路でトラックがばんばん走っている殺風景な場所です。
近くには大井競馬場、平和島競艇とギャンブラーの街でもあります。そんなところに青少年の運動施設・平和島ユースセンターという施設があります。そこにキャンプ場があります。

なんかだんだんこの時期に大田区教育委員会がキャンプを実施する意味がなんとなくわかってきました。子供たちが参加するキャンプなのかなと思っていたら、指導者も含め40代50代ばかりです。
災害時の訓練だったのです。
ですから、キャンプ道具といった楽なものを使わず、身の回りの物でなんとかするという趣旨です。いや知らなかった(あえてぼやかして募集していたそうです)
ですから空き缶で調理をなんとかします。

年の功でありあわせの食材でもちゃんとした料理ができあがり。どちらも美味しかった。
薪で調理しているように見えますが、これは廃材です。杉だと思うのですが、煙がすごくて煤で真っ黒になりました。なんたって緊急時の対応訓練ですからね。

この厳冬下でパンが発酵できるか不安でしたが、焚火の近くに置いていたらなんとか膨らんでいました。
翌日の朝には焼きたてのパン。なかなか贅沢でしょ。

今回も初めて会う方々と団体で行動しなければなりません。経験も年齢もバラバラです。
率先して行動することも大切なのですが、烏合の衆ですからちぐはぐで統一されないのです。だから調停役が必要ですね。強力なリーダーなどは必要ではないのです。
適材適所に人を配置できれば、あとはなんなりとなりますね。
キャンプの達人・NPO法人東京都キャンプ協会の指導者二人がいちおう付き添ってくれるのですが、あえて何もしない。
道具のありかや、食材の有無も事前にあえて言わなかったそうです。
だから参加者は、あちこちの段ボール箱を探ったり、参加者同士で聞き回らなければなりません。
なぜそのようなことをしたのかというと、災害時には誰も物のありかを知らないからということと、雑多に積み上げられた状況だからだそうです。
本当はブルーシート一枚をテントにして、実際に寝てみるという体験会であったのですが、風が強く、気温が低いので、テント泊となりました。
ペットボトルにお湯を詰めて貰い、湯たんぽにして就寝しました。あったかくてよく眠れました。
翌日は大田区が備蓄している食糧(α化米や缶詰)をビニール袋や使い捨てマスクで調理する方法を習いました。使い捨てマスクに入れたα米をお湯で戻してみましたが、美味しかったです。
| このエントリーのURL |





Thursday, January 29, 2015, 12:55 PM
1/29 晴 10時 浅草での空間線量は13ベクレル/立法メートル
人間の生活環境で大切なことは、まっさきに上下水道が挙げられます。
ここ浅草は江戸時代の初期に町作りが行われた当初から、下水道が整備されていました。
現在のかっぱ橋道具屋筋の下に眠る下水道は、古いところでは江戸時代の石造りや明治初期の煉瓦造りです。
えっ?なんで知っているかって?
マンホールから覗いたことがあるからです。中にはいることは硫化ガスが充満しているので大変危険です。水道局の人が説明してくれました。
となりの古いトタン屋根木造の家が壊されて、更地にするためにユンボが敷地を掘り返していましたが、下水の枡も煉瓦でした。たぶん明治か大正のころのインフラなんだろうなあ。
下水管がコンクリート製(いわゆるニューム管)になったのは戦後からだと思います。
上水は圧力が高いので鋳鉄のパイプですが、下水はコンクリートで十分なのです。
子供のころ道ばたには埋設予定の下水管があちこちに置いてあって、遊び場でもあり、夏場はひんやりとして心地よい休憩場所でした。
幹線という太いところは人が中で歩けるような通路があります。電話や電線も通っているので電話会社や電力会社の方でも入る機会はあるでしょう。
下水管の共用化はガス会社も計画中なのだそうです。そうすれば水道とガスが別々に道路を掘り返すことがなくなりますし、点検も容易になります。
下水道というのは高いところから低いところへ流れていきます。上水道はポンプで圧力をかけるので高低差はあまり考慮しなくてもいいのですが、下水道は自然に流れていくだけですから、平野部は緩い勾配で何㎞も何十㎞先の処理場まで送らなければならないのです。
そこで東京や千葉といった平野部の多い県は、途中途中に下水ポンプ場という施設があります。
ここ浅草にもあります。
地下深くまで流れてきた下水を、ポンプで地上近くまでくみ上げて、ふたたび流す。
こういう作業を何カ所かで繰り返して湾岸の処理場までやっと辿り着くのです。
ポンプの監視員がいるぐらいで、通常はほとんど無人か遠隔操作のようです。
臭気対策がしっかりしているので下水ポンプ場の脇でも臭いはありません。何重のドアで完全に密閉されています。
私は何度か中へ入ったことがあります。
職員さんや専門の業者の方は慣れているので、さっさと階段を下りていくのですけども、地下へ降りるにつれて、空気が重い・・・下水の湿気のある臭気がドアを開ける度に強くなっていきます。
(建物内はなんの変哲もないコンクリですし、汚水が漏れているというわけでもありません)
地下へ降りるときは深呼吸しておきましょう。
東京には下水道博物館がお台場と小平(こだいら)市にあります。
お台場の下水道博物館は、設備紹介で学校の教育用といった感がありますが、
リアルな下水道を見たければ小平市下水道博物館へ行け
と私は断言します。
小平市ふれあい下水館
http://www.city.kodaira.tokyo.jp/static/gesui_fureai/gesui_index.html
ここは実際の下水管にまで降りることができるのです。小平市民や近隣で知らぬ人はいない名物施設で、学校の校外学習で行った人も多いようです。
一度自分が流したブツがどうやって流れていくかを知っておくと、普段の生活がかわりますよ。
東京都水道局では施設の公開、見学を積極的に行っています。
http://www.gesui.metro.tokyo.jp/odekake/odekake.htm
をっ、蔵前でも下水幹線の中にまで降りることができるのか・・・行ってみようかな(一週間前までに要予約、土日休館)
をっ、三河島の旧汚水喞筒(ポンプ)場施設の紹介がいつのまにか公開されているのか、そりゃ行かねばっ!
下水管の中って、すごく暖かいのです。そりゃ人間が温水を垂れ流すから。
そのエネルギーを取り出して、ふたたび暖房に使い、汚泥からもガスや熱エネルギーを取り出す実証が行われているという記事です。
古くから都市部の糞尿は金肥(きんぴ)と呼ばれ、荒川には肥桶を積んだ船が上流の農産地帯に運んでいました。
その船は河川博物館などで展示されています。
また西武線や東武線は貨物として肥を運んでいました。通ると臭かったなあと当時を知る老人達は笑いますけども、なんでそういうシステムをなくしちゃったのかねえ。うんこを肥料にしてこそリサイクル社会なのに。
火葬場やゴミ焼却施設、糞尿施設は迷惑施設といわれて、新たに建設することはどこの自治体でも悩みの種ですが、生きていく上で必要不可欠の設備を忌み嫌う人たちはどういう神経なんだろうと思っています。
人間だって所詮は家畜である
人間は崇高なもので、死んだ後の身体、自分の垂れ流す汚いモノから隔絶して生きることこそが理想の生活だなんて思っている人たちを私は強く軽蔑します。

| このエントリーのURL |





Wednesday, January 28, 2015, 02:54 PM
1/28 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル
私は40代のこの歳まで誤解していました。
天文学とは望遠鏡で星を観ることが仕事なのだと。(下の写真は三鷹の東京国立天文台です)

まあ星座占いやギリシャ神話で、星々にロマンを感じさせるお仕事・・・だとは思ってはいませんが。
上の写真のような望遠鏡で惑星や彗星、星団は少しは形や色が見えるから面白いですけど、実際にはほとんどの星々(恒星)を覗いたところで、光の点にすぎません。
よくみる星雲や銀河のカラー写真は冷却して超高感度にした赤外線フィルムで写した物で、肉眼ではあのようには見えないのです。
それでは昔からなぜ数学者は天空を眺めていたのか?
16世紀頃も、なんのためにガリレオは星を観察していたのか?
他にもチコ・ブラーエ、ヨハネス・ケプラーケプラー、そして17世紀のニュートンらは日夜星々を眺めていたのか?
星の動きを観察していたという答えは不正解ですね。(学校の理科では丸でしょうけども)
では、なぜ星の動きを観察していたのでしょう。
紀元前のアリストテレスの頃からつい最近150年ほど前までは、天文学者というのは円運動を理解しようと星空を眺めていたのです。
いちばんわかりやすいのが月と太陽です。
その次ぎに木星や土星、金星といった明るい惑星。
あとは恒星という天球では動かない星々。
たまに彗星が現れて、消えていきます。
この世はすべて円運動(どっかを中心にぐるぐる回っている)だと考えたのです。
さあこの円運動というのは現代の我々が考えているほど簡単ではなくて、どうしても必要な定数がでてくるのです。
おなじみのπ(3.14・・)、すなわち円周率というやつ。
円周は直径の何倍か?という値に過ぎません。
今ではコンピュータで1兆桁あたりまで計算されているようですが、江戸時代の頃は有理数(すなわち分数で表せる数か、小数が有限の数)だと思われていました。
数学者の挑戦は円周率をどこまで正確に計算できるかでもあり、天文学者はその数値の精度がそのまま日蝕や月蝕の精度となったのです。
πという概念は測量、航海術、そのた工学にも必要不可欠の数値であるのですが、そのπを求める研究者こそが、天文学者でした。
角度をラジアン(πを使った角度表記法)で表わすことで天体運動はわかりやすくなった。
チコ・ブラーエやケプラーは円周率を用いる角速度という概念を導きました。これが地球を含めた惑星の動き、彗星の運動の解明に役立ったのです。
一方ではπはいったいどれだけ小数が続くのだろうという数学的な興味もあったはずです。
過去からずっとπの探求だったのです。
・ギリシャの数学者アルキメデスは円周率は22/7
・中国の祖沖之(そちゅうし:480年)は355/113
・スイスのオイラー(:1748年)は103993/33102
江戸時代では円周率は3.141592あたりだったのです。祖沖之の値が分数のまま使われていたのでしょう。
円周率の小数点以下はきりがない(無理数)と証明されたのは1761年だということです。
天文学者はより精度をたかめるために、円周率求め続けました。
円周率こそが、天文学者にとっては一番大事な数であり、測量や観測に欠かすことが出来ない数だからです。
微分積分(解析学)において自然定数e(オイラー数、ネイピア数)という数がすごく重要であることと同じように、幾何学(天文学)においては円周率πはすべてにおいて必要な数です。
ニュートンら数学者はπ、eの研究をしていたのです。江戸時代の日本でも関孝和(せきたかかず:1642-1708)の弟子、建部賢弘(たけべ かたひろ、1664-1739)が円周率を計算して、当時の世界一の桁まで計算しました。八代将軍吉宗の頃です。
この自分で計算した円周率で地図をつくっています。地図をつくるということは「天地明察」でわかるように、天体(北極星)を観測して緯度経度を割り出す作業なのです。
暦も地図もπがなければ正確に出来なかったのですね。
| このエントリーのURL |





Tuesday, January 27, 2015, 12:50 PM
1/27 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル

数学で使われている言葉や定数の由来を簡潔におもしろく紹介しています。知らなかったことばっかりです。
この本はなぜ数学嫌いになったのかという示唆も与えてくれます。まず最初に
学年が上がるにつれて読めない文字がやたら増える
中学生あたりでは円周率πが出てくるでしょう。また角度はθと表示されます。
パイとシータあたりならまだ許せるとしても、高校生でΣがでてきてμ(ミュー)ρ(ロー)σ(シグマ)といったギリシャ語がたくさん出てきます。これらを見て瞬時に摩擦係数だとか、密度だとか、標準偏差だと脳内変換しなければならないのです。
ちなみに総和を表わすΣは英語ではsum of~(サムオブ)と読みます。なぜか日本ではそのままシグマと呼ぶので、統計のシグマと混乱します。
大学生ではさらにギリシャ語のオンパレードとなります。
ω(オメガ)とε(イプシロン)はまあわかりやすいけども、頭を悩ましたのが、ζ(ぜーた)とξ(クシィ)の違い。φ(ファイ)とψ(プサイ)はなんで使われるのかがわからない。
黒板にこのような文字が積分記号や微分記号で埋ると、ノートに写す気も失せます。なんとか写したとしてもζとξの違いが自分の文字であってもわからない。だから黒板の気味の悪い文字を眺めているだけ。
例えるならアラビア語の新聞、アルジャジーラをいきなり読めと言っているようなもの。
黒板の前で淡々と書き続ける講師に腹の中煮えくりかえっていました。
同い年の桜井進氏も東京工業大学数学科で同じ頃に同じ思いをしていたようです。
そして教科書や教師が替わると、読み方も書き方も変わるのでさらに混乱は拍車をかけます。
日本の数学の授業は筆談でしか意思疎通ができない
この本で桜井進氏はすごいことを書いています。
なんと日本の数学教師は数式をまともに読めない。それどころか間違って教えているという指摘です。
y’=dy/dx
日本の一般的な読み方「ワイダッシュ イコール ディエックス分のディワイ」
英語の一般的な読み方「y prime equals dy dx」
日本の読み方は、イコールの発音以外に間違いがあります。「’」を「ダッシュ」と読むのは適切ではありません。多くの国々では「prime(プライム)」と読まれます。ダッシュは日本でもそう読まれるように、国際的には記号「-」が常識です。
「”」は「ツーダッシュ」ではなく「double prime(ダブル プライム)」です。
日本では、微分の数式を「分数の読み方」にするから混乱が起きてしまいます。
これは日本の理工系大学で生徒が大混乱する最大の要因です。
たとえば視力が悪くて、隣の人になんて書いてあるかを聞いたとしましょう。
「ディエックス分のディワイ」と言われたら、分数だと思ってしまいますね。しかも幾何学ではdは円の直径を表わすことが多いです。(ところが工学系の授業では円の直径はΦ(ファイ)です)
結局口で式を言われても、何を意味しているのかさっぱりわからない。特に微分積分が多用される工学系では。
なぜか「’」をダッシュと呼ぶのは日本独特のお約束です。
コンピュータ実習なんて時間ではコーテーションと呼ばれます。(本職プログラマーは面倒なので「チョビ」「チョビン」と言います。「”」はチョビチョビです)
ダッシュはコンピュータプログラミングにおいては「-」です。
だから紛らわしいので、「-」を「横棒」と言ってみたり、「バー(棒)」「スコア(線)」とローカルルールで言い換えるはめになります。(マイナスや引くと発音すると、引き算せよという命令になるので言いません)
このような日本独特の特殊で劣悪最低な指導をくぐり抜けて数学ができる奴らは
先天的に唖(おし)の気があるやつなんです
発音はできないけど、書かれた数式だけは頭にすんなり入るという気質をもった人たちなんです。
外国語でも国語でも、まずは発音(黙読)することで理解が進むのに、日本の数学教育はいきなり発音することをやめさせるわけです。明治から場当たりに接ぎ木されてきた結果です。
英語でちゃんと読めばちゃんと理解できる
数学や物理がだんだんわからなくなる理由の一つに、「e」がのべつ区別なく使われて、発音も「イー」としか読まれないからだと思っています。
えっ?イーでいいじゃんと思われるでしょう。
ひとつは自然定数(オイラー数・ネイピア数)定数のe
もうひとつは指数計算で使われる演算子exp【exponential(エクスポネンシャル:累乗)】
(e^xはexp(x)とも表記されます)
物理ではエネルギーを表わしますし、電子工学では物理定数eは電子一つの電荷を示します。
あーやだやだ。
留学経験のある人は授業で講師が「イーイーイーイー」言うものだから、途中で立腹してちゃんと略さず発音してくれと文句を言ってましたっけ。
f(x)
日本の一般的な読み方「エフエックス」
英語の一般的な読み方「a function f of x 」簡単には「f of x」
エフエックスといわれると、Fかけるxとも意味が取れるのです。四則演算の×は数式では使わないお約束がありますから。
物理ではfはforce(力)の意味ですし・・・
こうやってどんどんどんどんどんどん混乱させていくのが日本の数学教育の実状なのです。
「面白くて眠れなくなる数学」から抜粋
声を出して読みたい数式
いかがでしょうか、例を挙げればきりがありません。いまこそ、正確さを欠いた「日本語による数式の読み方」を改めて、思い切って数学の中に英語を取り入れるべきです。
・・・
中途半端な日本語発音をするよりは、中学生から数式を英語発音すべきではないでしょうか。けっして誤解してほしくないのですが、「英語学習のために数学を使う」ことが目的ではありません。あくまでも数学の理解を深めるために英語読みを徹底すべきというのが、私の主張です。
現在、教科書の数式は「絵」として扱われています。それが、「絵だから読めなくてもいい」という発想につながっていると思われます。そうではなくて、数式を文章として、読み物として扱うという視点の転換が必要だということです。
「読めること」は「わかること」につながっていきます。
難しい日本語でも、幼いときに声を出して読んだように、数式も、数学読本のようなものをつくって大きな声で読ませるのです。なかみはわからなくてもいい。スラスラ読めるまで練習するのです。
スラスラ読めるようになると、「数学は言葉」であることがわかり、苦手意識がなくなります。また、その達成感が、数学を好きになるステップとなります。
(転載おわり)

過去ログ:計算の「+」「-」「×」「÷」は誰が決めたの?
なぜ億という単位があるの?「超面白くて眠れなくなる数学」(桜井進)
| このエントリーのURL |





Monday, January 26, 2015, 11:31 PM
スーパーで夕食の食材を見ていたら、今日は鶏のレバーが特売品でした。
いきつけのスーパーは鶏肉が安くて気に入っています。
そこで一つトレーを手に取ると、隣のお婆さんも同じく手を伸ばしました。
そして声をかけられました。
「このレバーはどうやって食べてるの?」
「おばあさんはいつもどうやって食べてるの」と逆に聞いてみると、フライパンで焼いているのだとか。でもあんまり美味しくない・・・と困った顔。(たぶんパサパサなんでしょう)
どうやらレバーをよく食べるようにお医者さんから指導されたのではないでしょうか。
そこで意を決して手を伸ばしたものの、さてどうしたもんかと思案していた横に、私がうひょー安いと満足げな顔をしていたので、声をかけて下さったのでしょう。
豚でも鶏でもレバーほど美味い物はないよ
私は新橋あたりの焼鳥屋でも必ず砂肝とレバーは定番で頼みます。これに焼酎か日本酒で最高じゃないですか。
おばあさんがせっかくお訊ね下さったので、それでは当家秘伝の簡単おいしいレバー料理をご披露しましょう・・・
なんてもったいつけましたが、親父から晩酌のつまみとして教えてもらったのです。
■簡単!美味い4分チンするだけのレバー料理
①適当につまみやすいように切って、耐熱皿に載せます。私はクッキングペーパーで包み焼きしてしまいます。後片付けが楽ですから。
塩胡椒を適当に振ります。塩分が気になる方は別に必要ないです。

②臭み消しで柚子を適当にかけます。私は柚子は冷凍してあるので、おろし金を使います。
レモンを柚子のように刷ってもいいです。輪切りレモンでもいいでしょうね。そこは好きずきです。

③ここで登場ウースターソース。これを適当にジャバジャバかけます。塩味が好きならばかけなくても良いのですが、ウースターソースだとレバー臭さがなくて一層美味しく感じます。

④ここまで冷蔵庫から取り出して、せいぜい1~2分の作業じゃないですかね。

⑤あとはクッキングペーパーで包むか、飛び散らないようにラップなどをして電子レンジ(600wWで4分)でチンするだけ。

このままお酒のつまみに、食卓の一品です。臭いが気にならなければ薄切りニンニクなどを入れてもいいし、辛党は七味唐辛子をかけてもいいですね。
とにかくウースターソースがこの料理の鍵です
あのおばあちゃん、ちゃんと料理できたかなあ。まあ電子レンジがあって、ウースターソースもあると言っていたので、絶対失敗のない料理法ですから、大丈夫でしょう。
| このエントリーのURL |





Monday, January 26, 2015, 01:30 PM
1/26 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル
今週号の週刊プレイボーイでイスラム国(ISIS)の人質事件を自己顕示型テロと評して解説していたので、ついつい読んでしまいました。
アルカイダとイスラム国の主導権争いがテロの発端
アラブ事情通によると、アルカイダはイスラム国と敵対関係にあるから、互いに、俺様が上だといって配下にテロを煽っているそうです。
一層の理想主義を掲げるイスラム国にヨーロッパからの志願兵が集まる状況にアルカイダも危機感を抱いているからです。
フランスでのシャルリ・エブド社の襲撃はアルカイダが主犯
誘拐殺害事件はイスラム国(ISIS)が主犯
ベルギーのユダヤ人商店襲撃事件はアルカイダに感化された国内狂信派の犯行
このように、それぞれの過激派がヨーロッパへの示威行為としてテロ活動をやっているということなんでしょう。
とくにアルカイダとイスラム国(ISIS)はシリアでのシノギ争いで仲違いして、やがて勢力拡大のために大暴れしていく・・・
ヤクザ映画の抗争そのまんま
日本も革マルと中核が殺し合っていた時代があったなあ。
現在フランス軍はアラブ首長国連邦(UAE)やヨルダンに駐在している10機ていどの爆撃機で空爆しているそうです。
数日に一回程度ですが、唯一の空母を派遣して30機すべてを出したとしても一日に一回の爆撃がせいぜい。
この頻度の空爆で20万人が散らばるアルカイダやイスラム国を殲滅することはまず不可能です。
しかも地上戦で掃討するために派兵できる兵士は1万人、傭兵を加えても1万五千しかいないのだとか。大部分の兵士は国内警護に貼り付くしかないです。
だから内と外で敵を抱えて、少数で市街戦を行うことなどどだい無理で、フランスが圧倒的に不利な状況です。ゲリラ戦ではほぼ勝ち目はない。
さらに後門の虎として観光業に対する打撃と、経済面でも若者の失業者があふれ過激思想に染まる若者が後を絶たないという状況。
死刑制度のない国では即射殺が基本姿勢
佐藤優氏がコメントしていますが、死刑廃止国ではテロや立て籠もり事件の犯人は射殺が当然なのだとか。
下手に犯人を刑務所に入れておくと、新たなテロの誘発や、仲間が誘拐におよび犯人釈放要求がでるからという説明でした。
なるほど。
テロリストとジャンキーは即射殺が私も一番良いと思います。
フランスの原発などテロ標的になりやすい施設はバルカン砲まで据えられているそうです。
現在フランス国内では兵士が至るところで警備についています。また警官のパトカーには小火器(ショットガンや自動小銃)が必ずあるそうです。
日本では6発しか撃てない回転式短銃しか携帯していないというのは良い国だなと思います。
さらに原発の警備はセコムしてますか?におまかせです。ああ日本はよい国だ。
そんな誰もが安眠できる国家でありながら、安倍晋三の下手な外交でぶちこわされつつあります。
| このエントリーのURL |





Sunday, January 25, 2015, 12:32 PM

青春18切符(普通列車のみ乗り放題の切符)では常磐線は手強い路線です。
なんたって
常磐線の普通列車は停車時間が糞長い
乗車時間よりも停車時間の方が長いような気がしてくるほど。何本も後続の特急をやり過ごすからです。もう少しダイヤをなんとかしろと思ってしまいますね。
まあ特急料金を払えば快適なのですけども。
常磐線の想い出は、東海村の原子力機関へ会社員の頃何度か通ったことがあるのです。
会社がドケチで特急料金を払ってくれないの。社員規定で平社員は使えないという超絶ブラック企業でした。
なによりも無愛想で無口な上司と3時間も一緒にいなければならないという苦行の場でした。車窓をひたすら眺めて、ああ田舎だと悪態をつくぐらいしかやることがない。
常磐線はまだ磐城ぐらいまでしか乗ったことがないのですけども、そこから以遠は未知の世界。
乗車経験はありませんが、避難区域で立入禁止になるまでは常磐線沿いによく車を走らせて津波被害を目に留めています。
線路も駅舎もぐっちゃぐちゃ、特に富岡駅は。
高架線も倒れているところが多いですから、路線復旧はそう簡単ではないでしょう。
それでも代替(だいたい)バスが走って、やっと常磐線が全線通じたということは良いニュースです。
鉄板に覆われている列車に微量な放射線なんてかんけーねえから早いとこ、常磐線全線復旧してほしいものです。
そして竜田ー原ノ町間がどれほどの田舎かを知ってもらいたいものです。
なんたってダッシュ村があるようなとこですから。
(1/28追記)

のっぺらぼうのホームだけになるようです。
津波が流し去ったあとは荒涼としていましたけども、2年前に訪れたときは一面草生してました。不謹慎ですが、草むらの中の崩れた駅という構図はなかなか絵になります。
証拠に、何台もの観光バスが来てましたから。それも大阪から。
目の前はきれいな海水浴場で、土産物屋はおろかコンビニさえない海水浴場です。
そのまま残せば観光資源になったのになあと思います。
すぐ脇に新しい駅舎をつくればよかったのに。なんたって周囲は何もないのだから。
| このエントリーのURL |





Sunday, January 25, 2015, 11:58 AM
1/25 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル

8.5Svという数値は東海村原子力事故(バケツ臨界事故)の数倍というレベルです。
細胞の再生を促進する特定蛋白質を活性化する化合物を与えた結果であると結論づけています。
まあ普通の人が絶対にこのような強度の放射線を浴びることはまずないでしょう。
濃縮ウランをバケツで移すような作業をしている人以外は。
だからもし薬ができたとしても、販売先は限られています。
和歌山カレー事件で砒素の中和薬が被害者に使われましたが、あの薬は全国の自衛隊にわずかしか常備されておらず、薬の卸問屋が全国の倉庫や納品先の自衛隊基地をかけずり回って、やっと少量現地に届けたという話です。
農薬の誤飲とかで10年に引き合いが1件あるかないかというレベルですから、問屋でさえ冷蔵庫の奥底に一本あるかどうかというほどのもの。だから儲からないし問屋が置きたがらない。自衛隊や防衛医大と取引のある業者が、依頼されて保管しているものです。
もし放射線による細胞の壊死をくい止める薬ができたら、少量一定数は備蓄されるでしょう。使われることはなくても。
それよりも、記事中の
DNA修復の機構は元々生物に備わっているということ
に着目します。もともと生命はそうやって進化してきたのだから。
DNAの修復能力は個人差があるかもしれませんね。DNAの修復能力がなくなれば、それは寿命ってやつでしょう。
過去ログ:
植物に突然変異を起こさせるための線量は160μSv/h~24mSv/hあたりなのかな
宇宙アサガオ、異常早咲き 20倍の花の個数(メモ)
トーマス・ラッキー(ミズーリ大学名誉教授)2008年の論文より
(ほらね)宇宙桜はなぜか急成長-読売新聞
| このエントリーのURL |





戻る 進む