Sunday, May 17, 2015, 01:18 PM
5/17 晴 10時 浅草での空間線量は17ベクレル/立法メートル
昨日は肌寒い曇り空でしたが、今日は暑いぐらいの快晴で、早朝からお囃子が鳴っています。家の前では本社神輿の前に太鼓が鳴り響き、部屋の中でも地響きしてきます。
近くで見ると身体にずんずん響きますよ。


11時に家の前を神輿が通ります。神輿は左右に練り歩くので建物からは出られません。
子供連れでの見物はあぶないので、建物の中や離れたどころからか後から見物することをお勧めします。道路の脇にいると担ぎ手が押し寄せてきますから。

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Saturday, May 16, 2015, 02:40 PM
5/16 曇 10時 浅草での空間線量は16ベクレル/立法メートル
今日明日と神輿があちこちで練り歩いています。
老若男女、法被にステテコ姿で決まってますね。今日は肌寒い天候なので熱気は今ひとつ。
明日は盛大に盛り上がるでしょう。


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Friday, May 15, 2015, 12:29 PM
5/15 晴 10時 浅草での空間線量は12ベクレル/立法メートル
以下、勝手な私の妄想です。自動車業界や市場といったものは全然わかりませんから、数字の意味だけを捉えた思考実験のつもりで読んでください。
ホンダとダイハツが2004~08年頃に生産販売された車両のリコールを199万台として14日に追加発表しました。これで二社は600万台、これまでの2000年以降の対象車を合わせると1960万台分となるそうです。
トヨタ、日産も2003年~08タカタ製エアバック装着車合計164万台を13日に国土交通省に届けています。ホンダのように訴訟が起きる前に対象車両を届けておく、いわば予防的措置です。

だいたい一回目(3年落ち)の車検時で購入価格の半額、二回目(5年落ち)で更に半額となりますが、人気の度合いやブランドで多少上下するようです。
7年落ちだと200万の車でも20万円程度です。これが下取り価格となり、ふたたび中古車市場で二、三倍程度の値札が付いて流通していきます。
もっとも私は中古車しか買ったことがないから、下取り価格などは気にしたことがないです(笑)
壊れないこと、維持費が安く修理がしやすいこと、玉が豊富であることという視点しかないです。それよりも東京ではレンタカーで十分です。
昨日、一昨日の自動車メーカーによるリコール台数の発表を読んで、200万台とか2000万台とかいう数字だけの感覚では、自動車メーカーは車を生産するよりも、修理交換で忙殺されるのではないか?という感覚になります。こりゃ経営に大打撃だろうなと普通は思うでしょう。
でも、対象の7年落ちの車が100万台が国内で走っていたとしましょう。そのうちディーラーに出して修理してもらう台数はいくらぐらいあるのでしょうか。
法人の所有車ならば間違いなく買い換えしてしまうでしょう。(新車の法定耐用年数は6年)
つまり5年を過ぎたら、翌年からは減価償却費を計上することができません。それなら買い換えたほうが支払う法人税面でもメリットがあります。
中古車屋では5年落ちあたりのリース切れ(法人所有の車)がよく並んでいるのはそういうことです。
逆に成金が中古のベンツを好むのも、中古車は減価償却期間が短いので節税効果が高いからと、リセールバリューが良いからです。
普通乗用車の平均使用年数は現在では12年程度、これは自動車登録検査協会という外郭団体が国内で新車登録から抹消された期間の平均値で、早い話がお釈迦になって鉄屑になったか海外に輸出されたまでの平均年数です。
参考URL:http://www.airia.or.jp/publish/statistics/trend.html
中古車雑誌のアンケート調査では1人の平均的な所有期間は8年程度という結果となっています。これは下取り価格が付く内に買い換えるという消費傾向があるからです。ですから平均的な自動車の一生は1人のユーザーが6~7割の期間を乗って、残りの3割~4割の期間を次のオーナーが使って廃車(屑鉄となるか輸出される)となります。
平均的な使用年数の標準偏差がわからないのでなんともいえませんが、車検期間2年を加えて14年超、16年超の自動車は9割以上は廃車されるでしょう。
なぜなら日本では
13年目以降の所有は自動車税が懲罰的に割増になるから
ですから2002年以前の自動車は国内では個人売買以外は流通もしません。スポーツカー愛好者が趣味で保有しているぐらいでしょう。(ラリーで人気を博したスバルインプレッサ、三菱ランサー、パジェロとかフェアレディーZなど)
2003年~2005年あたりの自動車は乗り換え(廃車)時期なので、この期間の車はエアバックのリコールを発表したとしても車検前に買い換えか廃車となるでしょう。ディーラーが下取った車は即屑鉄となるでしょう。修理するよりもコストがかからないから。
となると国内で登楼されている2000万台が対象となっていても、実際に工場で修理を受けるのは数割の個人所有者でしょう。
たとえば2000万台中、7割が個人所有として、さらに3割が10年超でも乗り続けるとしたら、2割の400万台です。
オーナーが何人も変わってディーラーが連絡を把握しているのはさらに少ないでしょうし、自分の車がリコール対象として修理にいく人がさてどれくらいの割合でいるでしょうか。
勝手に妄想して、2割(5人に1人)程度とすると80万台でしょう。それでも膨大な数ですが、国内の新車販売台数はざっくり普通車100万台、小型車100万台の計200万台程度ですから、なんとか順繰り修理はこなせるかもしれません。
でも私がセールスマンなら買い換えを勧めますね(笑)
「残価がほとんどない自動車を乗り続けるよりも、ローン利率が低く月々の支払いが少ないときに5年目か8年目に売払えば3割程度のキャッシュが戻ってくるのでトータル金額は変わらないか、逆に儲かっちゃいますよ・・・さらにウン十万値引きますから・・・」なんて囁けば、けっこうな割合で「それじゃあ新車に買い換えるか」となるでしょう。
となると6割ぐらいが買い換えてしまって、4割が修理対象で実際にエアバック交換となったとしたら30万台程度でしょうか。
2000万台中、実際にエアバック交換を受けるのは30万台(1.5%)程度
私が自動車メーカーの経営者なら、買い換え促進のスキームをつくるでしょうね。具体的にはゼロ金利ローン、大幅値引き、下取り価格の割増、一回目の車検代負担といったもの。
ですから200万台とか150万台のリコールといっても8年落ち、10年落ちのリコール対象車で工場に入るのは国内では5000台~1万台程度に過ぎないと言えます。
「災い転じて福となす」が自動車市場に押し寄せるだろう
今道路を走っている少なくとも80万台が半ば強制的に買い換えの対象となるのですから、経済効果は大きいです。
私が自動車の経営者かセールスマンだったら、千載一遇として買い換えの強化策を全面に押し出して、一気に占有率拡大を目指しますね。
『余剰の時代』において、消費の理由はどうでもでも良いのです。
古いのは危ないよ、怪我するよ、それよりも自動ブレーキ付きの新型車が安全安心ですよ
こう煽って買い換えのお得感を出せない経営者は無能です。
自動車会社、特にホンダの経営動向に注目しておきます。
株取引はやっていませんが、自動車部品メーカーのタカタは私は買いだと思います。
(追記:買残が大きく(売残の1.8倍)この貸借倍率が低くなるまでは買えませんね)
現在において乗用車はコモディティー(消費物)ですから、具合悪けりゃぶっ壊した方が景気対策になります。
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Thursday, May 14, 2015, 10:05 AM
5/14 晴 12時 浅草での空間線量は10ベクレル/立法メートル
言葉を翻弄して煙に巻くことは日本の知識層・支配者層の得意芸でして、全く真逆なイメージを愚民に植え付けることに今まで成功しています。
自衛隊という欺瞞の名称を頂点に、日米軍事同盟を日米安全保障条約とソフトイメージにすげ替えたことが、防衛という重要な国家要件を国民、政治家がテンでバラバラに解釈することになったのです。
自衛権は国土・国民が他国より攻撃されたら反撃する権利で、これは国際社会、国連において認められている行為です。軍事同盟締結国間では、どちらかでも攻撃されたら同盟国が反撃するのも国際社会では常識的な行動とされてます。
ですから本来であれば北朝鮮が日本人を日本国内で拉致していったことに対して、日本政府は北朝鮮に対して軍事行動を通告しても国際的には非難される謂われはないにも関わらず、返せ返せと国内で騒ぐことぐらいしかしていなかった。
世論が騒ぐと、万景峰(マンギョンボン)号の寄航禁止、経済制裁と称して高級品の輸出禁止(誰が買うのか)と国内向けポーズに過ぎない態度でしか示さなかった。横田めぐみさんのご両親は切歯扼腕(せっしやくわん)の思いでしょう。
海外から見れば日本は自衛権の放棄までしてしまったのかと見られたとしても不思議ではない。
それが結果的に良かったのか悪かったことなのかは私にはわかりません。国家問題は個人の問題ではないからです。
弱虫・腰抜けを装うのも戦略上は大切なことだからです。
そして日本はアメリカの属国として国家意志を持たされることなく、存続してきたという現実があります。
在日米軍基地、とくに沖縄の米軍基地の撤退を求めるからには沖縄県知事はその後のロードマップを示さねばなりません。
軍事バランスの要である沖縄が独立してキューバのようにアメリカに刃を突きつける存在のように、中国をバックに日本と米国への攻撃拠点となりたいのでしょうか。
沖縄県民が米国に蹂躙されてきた怒りは私も理解します。が、その怒りの矛先は日本政府なのか?というと、それは違うでしょ。占領している米軍基地そのものに向けるしかない。
となると、軍事指導者を招いて
反対住民は武装蜂起して内戦で決着するしかない
結局は中国と米国の代理戦争が沖縄で起こることになるのです。
米軍基地の撤退を要求したら、そこが戦場となってしまうということ。最近ではフィリピン駐在の米軍撤退で南沙諸島に中国軍事基地ができてしまいました。紛争地域のリスクが高まりました。
沖縄だけではなく台湾だって軍事危機が高まりますし、臨戦態勢となるでしょう。
これが昨日の「合成の誤謬(ごうせいのごびゅう)」という悲劇です。軍隊のない世界は良い世界と思っていたら、凄惨な世界になってしまうといった真逆の結果になるのです。
発電所や火葬場、ゴミ焼却場といったいわゆる迷惑施設全般でも言えることです。反対運動の結果、離散していっそう荒れた僻地に戻ってしまうだけ。成田空港なんて世界一不便で高い空港もそのようにして出来上がりました。
日米軍事同盟下での具体的な行動を明記した安全保障法制(安保法制)が本日成立します。
軍事同盟下において双方が契約内容を明確にするのは当然のこと
欧米は契約社会だと呆れる態度をとる日本人がいますが、いまでも法治国家における契約の概念が新聞の論調にさえ稀薄です。
昨日の小室直樹の数学講義の話のつづきですが、契約とは同意事項とそれ以外の集合概念しかないのです。
よく言われるようにプロスポーツやエンターテイメントビジネスでの契約条項は微に入り細に入りと、怪我から死亡の場合、移籍条件からスポンサーにまつわること、日常生活や家族のことまで記されているそうです。
だから代理人や弁護士を専属に雇ってチームと選手互いに守られているかを見届けなければならないのです。
逆に契約に明記されていなければ、何をしても問題はない。
松井秀喜選手がNYメッツのときには僚友のジータ選手の車に同乗させてもらっていたそうです。契約では球場までの移動は自動車を利用することと明記されており、たいていの選手は自家用車で球場に行っていたそうです。これは球団の危機管理の一環なのでしょう。
ところが松井選手は誰の車とは示されていないからよく相乗りさせてもらっていたのだとか。
高額年棒選手の二人が一台の車に乗ることは本来ならば条件の趣旨に外れているのですが、契約ではなんの問題もないとテレビで松井自身が語っていました。
安保法でリスクが高まる危惧は契約概念から逸脱した珍説
卵が先か鶏が先かという論争と同じ構図が、アカヒ新聞から漂っています。
軍事行動を明記したら、その未来が見えるとばかりに識者と呼ばれる人々が掻き立てて煽っています。
「戦争」という言葉があるから戦争になると頭から信じている「言霊信仰」そのものです。
松井やイチローといった大リーガーの契約書には故障や不振といった忌み嫌われる言葉までが列挙されているのが普通です。
移籍条件まであらかじめ示されているのも、あとで揉めないための布石です。
互いに起こりえる問題をあらかじめ想定しておくことは集合論に基づく契約では当然の行為。
それがなぜオカルト的な呪詛の文句のように捉えてしまうのか私には理解できません。
言霊信仰は土人の思考そのもの
リベラルな思想に感情論をまじえた言霊信仰の組合せは最低最悪な思考しか導き出されないと強く思います。
過去ログ:各国の我慢比べの様相がはっきりしたということ(衆院選総括)
争点にはならない原発問題 野党の多くは原発再稼働反対の実状
CSIS(戦略国際問題研究所)の設立母体はイエズス会であった
第一次世界大戦はなぜ起こったのか
リバータリアンはナショナリズム(民族主義)ではない!むしろ究極のリベラルである
韓国を捨てて北朝鮮を自営に引き入れることは理にかなう
中露「薩長同盟」VSアメリカ「幕府」という見方
政治中枢の怨霊信仰を知らなくては歴史はわからない
アメリカ国防総省の意見はこれ (食い違う国務省)
日本を動かす黒幕マイケル・J・グリーン 集団的自衛権とはずばり”日米軍事同盟”のことである
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Wednesday, May 13, 2015, 06:24 PM
5/13 晴 12時 浅草での空間線量は9ベクレル/立法メートル
久しぶりに朝から通勤電車に乗りました。
上野駅が高崎線(東北本線)の途中駅になったので、横浜方面に行くのは乗り換えなくていいのはいいですね。
上野からは30分ちょっとで横浜にいくことができます。
電車もビルもクーラーが動いていて涼しくてついつい眠くなります。

最終章が「数量化の意義」というタイトルの内容で、ある対象を数字を使って表わすことを考えついたことがどれだけ影響を及ぼし、また逆に判断の阻害になってきたのかが説明されています。
数量化とは、たとえば温度計や気圧計の目盛りであり、デカルトが位置を座標で表わす手段を発明したことで、ニュートンやライプニッツが微分積分を、さらには速度・加速度といった概念が生まれました。
そこから物理学の運動量やエネルギー、角速度、エントロピーといった概念が産み出されていきました。
普段の生活では温度は暑い、快適、寒い、すごく寒いと感覚的に表わしても支障はないはずです。
今日みたいな30℃の真夏日は誰もが暑いわけで、夏と同じぐらい暑いと言えば誰もが理解できます。
昨日の台風でも980ヘクトパスカルと言われるよりも、傘がさせないぐらいの風雨が夜半までつづきますと言われた方が実感が湧きます。
なのになんで身の回りの事象をわざわざ数量化するのでしょうか。
・・・学者が研究しやすいから・・・
それだけ(笑)小室直樹によれば
数量化は学者のための「作為の産物」です
社会科学においても同様に、国民所得などは経済学者が統計を駆使して産み出したものですし、知能指数は心理学者の発明品、偏差値なんてのも受験産業の発明品です。
数量化の意義とは
①A,B,Cの値を比較し序列(例:A>B>C)にすることができる(推移律が成り立つ)
②足したり引いたり割ったり掛けたりできる(四則演算)
③途切れることなくつづいている(連続性)
上記の3つの条件が揃って初めて「数量化できた」と言えるのです。
※知能指数100の人間が3人集まっても知能指数300になるわけではないので、知能指数は数量ではありません。また偏差値で受験生の序列ができないので数学的な意義はないのです。
小室直樹は数量化できない例として「美人度数」や「男性の精力指数」さらには「武道の段位」と「囲碁将棋の段位」といったものを挙げています。
数学的な解釈とは厳密に数量化されていなくてはならない
3条件を公理と言いますが、この3つの公理で19世紀末から解析学(微分積分)から物理学、統計学と裾野が広がっていったのだということです。
ところが、日本においては数学的な解釈を放棄した”日本独特の数量化”がまかり通っています。
代表的なものは入学試験であり、数学や英語などの合計点数で合格者数を選ぶというやり方は、きわめて数学的発想からは遠いものと指摘しています。
柔道5段+空手3段+将棋2段=合計10段と言っているような物
英語の点数と数学の点数と歴史の点数を合計しても、そこに何の意味もないということ。
物価指数やGNPははたして数学的な数値なのか?
社会学者でもある小室直樹は、国民生活の指標である物価指数やGNPにも懐疑的です。経済指標は数量化の定義に当てはまるかの検証が無い限り、眉唾であると指摘しています。
たとえば物価指数はいくつかの商品の市場価格の平均値を指しますが、ダイヤの値段と野菜の値段の合計平均としたら、
ダイヤ99円、野菜1円で物価指数50の場合とダイヤ50円、野菜50円で物価指数50の場合とでは、国民の生活感覚ではものすごい物価高に感じるでしょう。
GNPの国際比較においても、生活必需品は安いが工業製品が高い農業国と、家電や自動車といった工業製品は安いが食料品が高い工業国と単純にGNPの大小を比較しても、それはその国民の生活水準を示すものではないのです。
数量化における基準や座標軸が曖昧だからです。
もっと困ったことに、曖昧模糊な”日本独特の数量化”は数学的な基礎ともいえる集合論の理解を阻害していると小室直樹は指摘しているのです。
さきほどのGNPを例に取ると、「中国が日本のGNPを抜いて世界二位になった」という命題が掲げられたら、はたして
「中国人の生活水準が日本人を抜いた」「中国の全企業が日本の全企業の売上高を上回った」と言えるのでしょうか?
成り立つわけがないのは自明です。集合の全体と個々の要素(上記の例ならば生活水準や企業活動)にわたって成り立つ命題ではないということ。
国家という括りなのか、国民という括りなのかを集合概念で明確に区別しておかないと、理解や判断を誤ってしまう危険性があるということです。
これは社会科学で言う「合成の誤謬(ごうせいのごびゅう)」(fallacy of composition)というジレンマが生じてしまうのです。
「合成の誤謬」とは個人個人が合理的な選択をしても、社会全体では合理的選択となるとは限らないということです。
たとえば、BよりAを好む、CよりBを好むという条件が成り立てば、A>B>Cとなり必ずCよりもAを好むことが成り立ちます。
ところがBよりAを好み、AよりもCを好み、CよりもBを好むといった三竦みの状態(A>B、C>A、B>C)では推移律が成り立たないので、合理的な選択をしたところで、結果は不合理なものに落ち着いてしまうことがあるということ。
選挙の比例代表制などはその良い例です。自民党は嫌いだけど、共産党と自民党を比べたら自民にするとかいった投票行動です。
社会学者の小室直樹らしい説明ですが、もっと簡単に言うと
投票行為とは『こっくりさん』遊びと一緒ということ
10年玉で三人が人差し指を押しつけると3人の意志とは全く関係ない方向へ動いてしまうというあの遊びです。
これが合成の誤謬。物理的に言えば「三方向のベクトル合成」ということ。
国民でも考え方や立場はそれぞれ違うし、政治家(政党)でも立ち位置はそれぞれです。ですからそれぞれが「合理的な選択」(rational choice)をしたところで、社会全体では不合理な社会となっても不思議ではないということ。
これをアローズ・ジレンマ(社会学者ケネス・ヨハネス・アロー:1972年ノーベル経済学賞)といいます。
社会科学者には、数学を知らない人たちが多いために、社会的要求とか社会的要請とかいう言葉を口にする際に、それが社会全体の要求、要請なのか、社会の個々の人間の要求、要請なのかということを明確に区別することがないと言ってよい。したがって、いつも何を言っているのか、その論旨がまるではっきりしない。
もっともわかりやすい具体例としては、戦争のことが挙げられよう。この問題については、拙著『新戦争論』(光文社刊)で詳述したが、戦争とは、いうまでもなく国家間における戦いである。したがって、各個人がどうこうできるという性質のものではない。だから国民の一人ひとりはことごとく戦争を望んでいないとしても、国家自身が戦争を欲することはあり得る。
つまり、「戦争をする」という行為は、国家の命題であって、個々人の命題ではない。日本には、それをまったく理解せず、一人ひとりが「平和、平和」と念仏のごとく唱え、祈っていれば、平和がくると信じ込んでいる、いわば平和念力主義者たちがあまりにも多い。
私は、「戦争が国家の命題である」ということをわかっていないそうした人たちことが、偽りの平和論を煽り、国民に真に有効な安全保障の対策を立てさせない、まことに危険な存在だという立場から、あえて『新戦争論』の副題を「”平和主義者”が戦争を起こす」としたのである。
常識的な考え方では、皆がいい人になれば、社会全体がよくなり、また、すべての人が平和を欲すれば戦争は起こらない、という意見が正しく見えても不思議ではない。しかし、数学的論理に従ってきちんと検証してみれば、今述べたとおり、そんなものは嘘っぱちだということが、すぐにわかる。その意味でも、数学の論理というのはきわめて貴重なものなのである。また、さまざまなオピニオン・リーダーたちの一見まともに見える見解に惑わされることなく、社会現象の真の姿をとらえ、自分自身の判断をもちたいと思う人には、なくてはならない武器だといえよう。
(小室直樹「数学を使わない数学の講義」巻末から抜粋)
沖縄基地反対者の抗議活動、原発稼動反対論者、集団的自衛論、オスプレイ配備で騒ぎ・・・新聞やNHKが扇動的に報道するものほど、我々の個々の問題ではありません。
国家命題を個人で解決できると思うことは愚の骨頂
個人でできることは、米軍基地が嫌なら引っ越すとか、原発が嫌いなら自家発電で賄うといったことぐらいしかできませんし、そのような啓蒙運動をすることが独立した大人の思考です。
たんなるわがままを言い合っているだけならまだ許せますが、補償金のつり上げや騒乱で利を得る国家のエージェント、政治的な駆け引きとなどなど、
国家命題に喰い付く輩など碌な奴ではない
テレビで反対反対と騒動を起こしている人には同情もしなければ、近づきたくもありません。問題を大きくしているだけの張本人たちですから。
過去ログ:数学的思考の根源は「集合論」つまり仲間か仲間ではないかということ
近代思想は数学知識前提である「数学を使わない数学の講義」(小室直樹)
3分で読む小室直樹「新戦争論」(学問道場版)
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(5) 国際社会と国家を理解することが真の平和主義
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(4) 国連を国際社会と混同する文化的原因
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(3) 国連の幻想と国境の思想
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(2) 言葉を翻弄したことで文明史を曇らせた
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(1) 平和主義者が戦争を引き起こす
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Monday, May 11, 2015, 12:59 PM
5/11 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル
個人的な橋下徹市長の好き嫌いは別として、関西出身者であるので政令指定都市制度について考えてみたいと思います。

まず最初に住んで痛感するのは、大阪という街はどこも景観が非情に悪いということ。
大阪市が別段住みよい地区というわけではなく、都市整備が大阪府全域でひどいと感じるのです。
これは神奈川にもあてはまって横浜とそれ以外ってな感覚と同じです。名古屋や埼玉、千葉でも似たようなものかな。
戦後あたりまでは周辺の田畑が市街地への供給を担っていました。それなりに中心と郊外の役割分担がされていたのです。
市営地下鉄が堺市まで延びたのは20数年前で、そこから先は別料金となります。
このようにほんの30、40年前までは「大阪市とそれ以外」という感覚が大阪府全体にあったのです。
ところが人口増にともない周辺自治体でも急速に都市開発が進んで、虫食い開発(スプロール現象)があちこちで興ります。
山林を潰した団地がニュータウンともてはやされて、膨張する人口が周辺地域に広がっていきました。
逆に大阪市内でも人口増に対応するために埋め立てや住宅建設を進めます。
質より量が優先された住宅整備がテンでバラバラに行われた

長屋が潰されて高層住宅となり、郊外ではため池が潰されて巨大団地となり、雑木林は大阪湾の埋め立てに使われ建て売り住宅地となりました。
右見ても左見ても同じような風景、殺風景な直線の道路、同じ形の家並みと癒やされる場所がどこにもない。
市内中心部は低所得層や高齢者が流入してスラム化していきます。阿倍野地区再開発状況は相変わらず。
JR大阪環状線や阪神高速環状線で一周してみてもらえば眼下には「腐海」(ナウシカで表現されている不毛地域)のような風景(笑)
かたや郊外は巨大な団地群が乱立している。
さらに交通網や道路整備、商業地域がバラバラに独立しているから不便です。
東京以外の地方都市は自動車がないと生活が成り立たないことを私はずっと懸念してます。
自動車が普及していない頃なら大阪市内中心の行政と大阪府全域で取り組むインフラ整備はそれでよかったのです。
大阪市は主に住居や社会インフラ整備、郊外は農業用地整備といった生産活動のためと違う目的があったのですから。
ところが産業構造の変化で工業化が進むと、政令指定都市が逆に足かせとなっています。
具体的には大阪湾内の海岸線は無惨にも埋め立てられて工業用地となっていますが、大阪市と大阪府が別々に埋め立て事業をやっているわけです。
淀川河口一帯は大阪市、そこ以外は大阪府の事業といった具合に別々に埋め立てて誘致してます。とくに南港地区(大阪市)は最悪なことに機能分離していないので、国と第三セクター、大阪市港湾局が入り乱れた乱脈さ。大阪市民もあきれかえってます。
とうぜん大阪市も大阪府の三セクも赤字を垂れ流してます。
言うまでもなく埋め立てはヤクザのシノギです。
都市整備に金を回さずに、どぶ川の脇を汚いダンプカーが行き交う風景が大阪市の日常風景(笑)
大阪市民は大阪市役所に恨み骨髄
バス運転手や給食のおばちゃんの高給がとりだたされていましたが、あんなのは氷山の一角です。
悪しき前例は周辺の自治体にも波及するので、どこもヤクザな土建屋が我が物顔で闊歩することになります。
ちなみに日本で一番自治体職員の給与が高いのは大阪府の富田林(とんだばなし)市でした。(25年前のお話)
産業って何もないところで、有名なのはPL学園しかない(笑)
ダイハツミゼット(三輪車)のバキュームカーが葛城山を走ってました。
上下水道が整備されていない頃(いまでもそうかも)は、糞ガキをもつ地元の親は富田林の水道局員にさせたがっていました。
大阪の水道事業も大阪府と大阪市では別々です
大阪市民は琵琶湖から京都の下水処理場から流れる水を、淀川で汲んでふたたび飲むしかない。
だから大阪市内の水はクソ不味いです。
雑居ビルの給湯室で水道をひねったらカビ臭でフロア全体が臭くなりました(25年前)
六城ラヂウムの源憘珠(げんきだま)を入れておけば塩素やカビ臭はなくなります
大阪は山脈に囲まれているので大阪市以外は水は美味いのです。東京の水道もまずまずですけど、大阪市以外の水道は美味しいです。
これは南大阪に住んでいて一番良いことです。
政令都市制度による二重行政は大阪市民の健康さえ蝕んでいる
箱物で似たような施設があるなんてことは些細なことで、問題の根源はお手盛り行政があちこちでされていて、広域で統一されていないことなのです。
これは愛知県(名古屋市)や神奈川県(横浜市・川崎市)、埼玉県(旧浦和・大宮市)、千葉県(千葉市)などなどでも周辺地域は虫食い開発で国土(田畑や森林)はズタズタのボロボロです。
人の質も推して知るべし。
政令都市制度とは、戦後に行政機能の人手不足を賄うために、省庁の都合で中自治体へ業務を押しつけるための「政府の命令」です。見返りに予算執行も任せた経緯があり、そこには暮らしを良くするとか、税金の適切な使途といった観点は一切ないです。
少子高齢化では政令都市制度は百害あって一利もない
と私は考えています。
ちなみに先月大阪の同級生らと会いましたが、みんな東京都内、近郊に家を買ってます。大阪に戻る気なんて誰もないみたい(笑)
私は東京並とは望みませんが、住みやすい大阪になって欲しいと切に望んでいます。
そのきっかけに行政単位をもっと広域、さらには圏といったマクロで行う議論が生まれればいいと思うのです。
京都市民の下水を飲んで暮らしている大阪市民は、ほんとにこのままでいいのかな。
過去ログ:明治に入ったのは西洋技術とそして神学論だった
人口減少下では政令都市などいらない (大阪府「都」構想は賛成)
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Sunday, May 10, 2015, 07:38 PM


神保町に散歩がてら出てみました。
ところが今日は神田明神のお祭りで、秋葉原の神田明神を中心に路地では神輿や山車がたくさん出ています。交通規制だらけです。
今週末から浅草も三社祭となるので、街中がそわそわし出しています。
普段よりも秋葉原の歩行者天国は平均年齢が高かったです。お祭り好きには待望の一週間なんだとか。

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Sunday, May 10, 2015, 07:20 PM
5/10 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル
今日は母の日なんだそうで、ラジオを点けているとゲストとのトークがなんでも母親についての話題でした。
気になるのが、いい歳こいた大人20代30代が自分の親を「おかあさんがぁ~」「おかあさんはぁ~」と得意げに話しているのです。
聞き手側も「お母様は・・・」と受けずに「○○さんのおかあさんはぁ~」と相づちをいれています。
民放だから仕方がないのでしょう。
バカの話を聞いてもバカになるだけ
他人に対して自分の母親をおかあさんと呼ぶのは小学生あたりまでだろ~?
私が中年だからでしょうか、パープリンのテレビタレントが締まりのない話を垂れ流していても気にはしませんが、ラジオの司会者までもが「おかあさん」を連発してるとチャンネルを変えてしまいます。
さきほども平原綾香さんという歌声がきれいな歌手のラジオに聞き耳を立てていたら母の日の想い出話で、手料理の話でした。
お母さんの料理がぁ~とおかあさんを連発されていて、誰の親の話なのか一瞬わかりませんでした。お母さんと呼ばれているスタッフの話なのかと思っていたら、どう考えても実の親の話らしい。
独身30過ぎで母親と仲がよいということを伝えたいのでしょうか?なんじゃそりゃ?
今はお友達感覚の仲の良さが親子の理想なのか?
女の世界だからほっとけば良いのでしょうが、昨日の男性司会者までもが自分の母親をおかあさんと呼んでいたのは反吐が出ました。
思春期を過ぎて独り立ちしたらオヤジ・オフクロ(女性はチチ・ハハ)が普通の感覚です。
私は関西の河内地方に住んでいたので、「おとん」「おかん」がけっこうトウが立った年齢でも使われていました。(今もかな?)
気色悪い言葉です。
「ワレんとこのオカンよぉ」
なんて言われたら、自分の母親のことかと思っていたら、話し手の母だったなんてこともあります。これは河内弁が二人称(You)が欠落した疑似日本語なんで、人を指すのはすべて「ワレ」「オレ」といった一人称しかないという欠陥だからです。
商人言葉の大阪弁だと敬称で「~はん」が付くので、話し相手の母親でしたら「おかぁはん」となって区別できるのですがね。こっちは少し進歩している(笑)
話が脱線しましたが、
どっちみち
他人に自分の母親をオカアサンと言う女はスレッカラシ
と昔から相場が決まってます。
スレッカラシとは場末の酒場、歓楽街にしかいられない世擦れしただけの頭の弱い人と言う意味。
テレビを観ると頭が悪くなると言ったのは大宅壮一(おおやそういち)ですが、ラジオを聞いても頭が悪くなる時代になりました。
ゆとり世代なのか、教える教育者側なのかはわかりませんが、日本語が乱れているのではなく、リベラル的を装うことが良いことのように勘違いしているのかも知れません。
言葉遣いが一番簡単確実な「馬鹿発見手段」だからこれはこれでいいか(笑)
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Saturday, May 9, 2015, 02:42 PM
5/9 曇 10時 浅草での空間線量は13ベクレル/立法メートル
こういう騒動は日本の風物詩なのかもしれません。あきれて見ていました。
欧米人は一般的には聖書の登場人物やギリシャ神話から名付けますからバリエーションって日本人の感覚では少ない。
マイケルだってミカエルやミヒャエルと言語によって発音が違うだけ。ヘブライ語ではヤコブもドイツ語ではヨハンで英語圏ではジョンになってしまう。
高校生のときにアメリカ交換留学生に聞いた私の名前の印象は、口を尖らせてグニュグニュいうしかできず、魚の学術名みたいだということ。さらに想像を膨らませて「ツナ缶」なんだとか(笑)
よく聞く話で米国へ留学したら、まずは呼び名をトムやジョンなどと自分で決めなくてはならないそうです。
次郎(二郎)はジョンと欧米では半ば自動的に命名されるからいいですねえ。
日本名はローマ字表記でも欧米人は全く読めないので、私は海外通販ではやりとりが必要な場合はAlex(アレックス)を使ってます。
ラテン語アレキサンダーの短縮形ですね。
話を戻して、なんでかわいい猿の命名で不敬にあたると捉えるのか、その思考の根源が言霊信仰だからでしょう。
神話時代からつづく呪術をいまだに多くの人が信じている証のようです。
言葉に魂が宿るという考えは皇族に対するものから大本営発表報道、官僚によるプロパガンダに至るまでいまでも幅広く用いられてきました。
江戸時代は固有名を口にすることは最大の失礼と考えられてきた
勝海舟が安房守(あわのかみ)と呼ばれたように、役職名のみで呼びかけることが公家・武家でのマナーです。
「お天道様が見ている」と使われる言い回しですが、このお天道様は太陽ではなく、江戸時代は徳川将軍の暗喩でしたし、天子様などと天皇は呼ばれていました。将軍や天皇などと言ったら不敬な奴とみなされてしまったでしょう。
いまでも社長とか先生と立場だけで呼んだり、おとうさんとかおかあさんと呼びかけるのが無難だと日本の誰もが感じています。
大昔から固有名で呼び合うと、もしその流れで不吉な言葉(穢れ)が混ざってしまうと、相手が穢れてしまうという日本人だけ(?)の無意識の行動です。
たとえば死ぬ、血、苦しむ、落ちる、切れるといった暗い語感がある言葉が混ざると、誤って呪詛となってしまうかもしれないという怯えから固有名は慎むことが日本人の美徳であったのです。
今回も同じロジックで
猿=下等な生き物 + 高貴な人の名前 = 英国王室を貶める呪縛
このように脳内変換してしまった人々がお節介なことに騒ぎ立てるのでしょう。
日本人どうしの美徳なのでそれは構わないと思うのですが、イギリス王室にまで気を遣うことはないと思うのです。
日本の言霊信仰など他国に理解されるわけないですから
いや、スピリチュアリズムが大好きな同種の人たちは一定数世界にはいますね。
ジョンレノンのimagine(イマジン)を謳いながらオスプレイだぁ~原発だぁ~辺野古基地だぁ~と念仏教のように練り歩く人たち・・・
脳内をお花畑にしておけば世界がよくなるという、類人猿へ退化した人たち。
私は言霊信仰は人間の退化現象だと思います。もしくは元々から脳に欠陥がある人達なのでしょう。
あっ、ジョンレノンって私は大嫌いです。ハッパでらリるヒッピー文化の人としか見てません。
それでもラリラリパーがまだまだ世の中にはいるんだよなあ。平和っていいですね(棒)
過去ログ:「Let it be」も「Let it go」も大大大嫌いです
ジョンレノンが嫌いって人、結構いますよね 現実感のない「ラブ&ピース」病
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Friday, May 8, 2015, 01:30 PM
5/8 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル
今朝早く目が冷めてしまったので時計替わりにテレビをつけてみました。
ちょうどトヨタの高級SUV、ランドクルーザー(800万円)がいとも簡単にブラジル人窃盗団に盗まれたという顛末が放送されていました。
自宅一階の駐車場に入れて、二階で寝て、朝起きてみると停めたクルマが消えていたと持ち主は茫然としていました。
とうぜん人気高級車であることは承知で、盗難防止装置もついた最新のクルマです。
盗難防止装置とは持ち主の鍵以外ではエンジンがかからない装置(イモビライザー)で、コンピュータ化されたクルマでは一番効果的な盗難対策だと考えられていました。
ところが後日窃盗団が捕まって、押収された道具には盗難防止装置を無効にしてエンジンをかけられる装置があったとのこと。
ハッキングできるほどデバイスに精通した物盗りなのだろうと見ていたら、な、な、なんと!通販で誰でも買える装置なのだとか。
本来は整備工場で故障原因を探るための装置なのですが、国産車、外車問わずほとんどの車種で鍵不要でエンジンを始動させることが可能なのだそうです。
使い方は簡単、どっかにある整備用の端子口に装置のコードを差し込んで、画面から車種名を選ぶだけ。
実際に整備工場で操作を紹介してました。
市販されている解除装置は整備用をコピーした海賊品です。中国の販売元ではどのように使っているかは把握していないとのこと、そりゃそうだ。窃盗道具だなんて言えないモンね。
窃盗団をとっつかまえた警察署では、盗難対策としてはハンドルを鉄棒で固定する器具の利用や照明の設置、警報装置の二重化を勧めていました。

なんじゃそりゃ(笑)
これほど消費者を馬鹿にした話はないです。
盗難防止装置のコストも消費者が負担していながら、流通や整備の都合でバックドア(裏口)の入り方を公開していたのです。
最高機密が街の整備屋も当たり前のように知っていることってどういう事でしょう。
おまけにワンタッチでドアロック解除からエンジン始動までできるのであれば、泥棒に持ってって下さいとアピールしているような物です。
昔はエンジンを鍵で使わずにかけようとしたら、ハンドルの下に潜り込んでコンソールの間からコードを引き抜いて繋ぎなおすなど面倒なことをやらねばなりませんでした。オートバイでさえ数十分はかかった(自分のオートバイで試したことがあります)
そんな泥棒のためにあるような装置なら付いてない方がよほどいいのではないでしょうか。
損害保険会社は改善を求めたという話も聞きません。
結局どんな高級車であっても自動車メーカーからすれば大量生産される消費物(コモディティ:commodity)にすぎないということ。
私は自動車は道具としか見ていませんから、ベンツやレクサスよりもハイエースや軽トラが欲しいです。
ハイエースも盗難車の上位ですね。日本製の四駆とバン、トラックは途上国では大人気ですから。
鎖と鉄棒が一番効果的ですし、実用車はかえってかっこいいです。
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Thursday, May 7, 2015, 04:03 PM
5/7 晴 10時 浅草での空間線量は16ベクレル/立法メートル
昨日につづいて長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」から引用します。
ドイツのプロテスタント派では旧約聖書を聖典から外す議論がなされているのだとか。
天地創造からモーセのエグゾダス(exodus)、そしてユダヤ民族の物語あたりを現代科学の見地からも、民族主義的な視点からも不適当な内容だと言うこと。
弟子達によるイエスの見聞をまとめた新約聖書だけでキリスト教は十分だという主張です。
イエスの再臨を信じ、その前に来る審判の日(世界の終り:終末論)に備えよという考えがキリスト教で、プロテスタントはマルティン・ルターが法皇と教会の権力(利権)に抗議(Protest)したことから生まれた流派です。
神(God:天地創造主)の存在は信じるが、それ以外は自分には関係ないね。神とキリストと精霊(人間の清い魂)を拠り所とする一般的な解釈よりも、神と自分の立場を重視する考えをユニテリアニズムと言います。
ユニテリアニズムはキリスト教からユダヤ教の原点回帰的な性格を持っており、エゴイズム(自己中心)的な解釈でもあります。
なんども書いていますが、近代文明はユニテリアニズムによって発展したのです。
中世ヨーロッパ、イタリア・メディチ家のルネサンス運動(芸術復興)モーツアルト、物理学ではニュートン、ライプニッツ、オイラー・・・天才数学者達が新境地で花咲いていったのは厳しい宗教的規律から解放されたからなのです。
ただし多くは保守層から迫害されてイギリスのヨーロッパ北部オランダのプロテスタントは新天地のアメリカへ渡っていったということになっています。清教徒(ピューリタン)と呼ばれるプロテスタント教徒は実際はユダヤ人(ユダヤ教徒)でした。
アメリカに渡った開拓民は土着のキリスト教を生み出していきます。ユニテリアニズムの中ではたとえばクエーカー教と呼ばれるものは、教会もなく聖書解釈に費やすことのみ。福音派は新旧聖書の解釈を拠り所とした原理主義的な性格です。
日本には幕末にオランダ、中国(清国)を経由してユニテリアニズムが西洋科学・西洋哲学として入ってきています。
江戸幕府でも海外研究は行われていたことは案外知られていません。
ここらへんまでは私のつたない知識です。
過去ログ:日本のユニテリアン(覚醒日本人) 徳富蘇峰(とくとみそほう)
我々は音楽で潜在的にキリスト教の洗脳を受けているのです
プロテスタントが社会主義思想を広めた(「人間内村鑑三の探求」畔上道雄著)
幕末・明治のゲーテッド・コミュニティー (麻布・高輪・三田)
結局、新島襄は日本のキリスト教徒らに影響を及ぼしたのか?
長谷川良氏(ウィーン在住、国連担当記者)のブログではドイツの神学者は減り続けるプロテスタント教徒の原因は旧約聖書にありということで、旧約聖書をプロテスタントの教典から外すことを主張しているということ。
ユダヤ民族の選民思想をなんでわざわざ教えこまにゃあならんのだということ。
しかし、もし旧約聖書を割愛してイエス・キリストの誕生あたりから物語を始めたらストーリー性が大きく欠損してしまうでしょう。
となると本来の聖書の性格から遠ざかったイエスの再臨だけを祈る宗教になっていきます。
浅草には教会がけっこうあります。その多くが日本基督教団系となっています。つまりプロテスタントです。シリアで殺害された後藤健二氏が熱心な信者であったということで最近はよく知られました。
浅草の教会の牧師の名前が表札に掲げてありますけども、金(キム)とか朴(パク)とか韓国系の名前ばかりです。
統一教会とは関係はないのでしょうけども、韓国はプロテスタント教徒が多いので必然的に在日韓国人が多い地域では牧師も韓国系になってしまうのでしょう。
どうやらヨーロッパではプロテスタントは自滅しつつある
バチカンの教皇を中心としたカトリックのネットワークと異なり、プロテスタントは聖書主義で内村鑑三が唱えたのは教会さえもいらないという主張でした。だからプロテスタント系キリスト教団ってのはまとまることはなく、分裂していくのみという宿命をもっているのです。
だから強烈な(天才的な)詐欺師がうまれるとキリスト教の格好だけしたカルトが出来上がることもある。
長谷川良氏によるとドイツのプロテスタント派では信徒が減少して教会の社会的影響の低下しつつあります。
であるならば、これから旧約聖書を無視した宗派(新興宗教)が生まれる素地もできつつあるように思います。
アメリカが覇権国から滑り落ちつつあることもプロテスタントの世界的な不人気とは無関係ではないように思えてきます。(もしもドイツ神学者がいうように信者が減少しているのならば)
アメリカの外面はリベラルであっても内情は韓国と似たり寄ったりのエゴイズムが幅を効かす国で、これが日本の外交を狂わせてきました。
世界がアメリカ・ヨーロッパ発のユニテリアニズムに飽き飽きしているのかもしれません。
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Wednesday, May 6, 2015, 12:02 PM
5/6 晴 10時 浅草での空間線量は17ベクレル/立法メートル
長谷川良氏という国連記者の「ウィーン発『コンフィデンシャル』」というブログをよく読んでいます。
理由はいくつかありますが
・国連常駐記者の視点から国連内部の状況がよくわかる
・筆者の宗教史観(主にユダヤ教、カトリックの知識)が副島隆彦先生と共通している
・オーストリアから日本をみた外人感覚による指摘
などが挙げられます。
言論プラットフォーム「アゴラ」にも転載されていつも人気記事です。
タイトルをそのまま頂戴しました。
預言者エレミアはユダヤ人たちが異教の偶像崇拝へと堕落していく姿を見て発した言葉です。
長谷川良氏は4月25日のブログで「同性婚」支持者に対しても批判をしております。
http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52102235.html
欧州ではバイセクシャルに関して長く議論されてきた歴史があり、同性婚が認知された現状はキリスト教文化(おそらくカトリック系)の崩壊だと指摘しています。
ジェンダーフリーは性差を差別であるとすり替えた共産思想そのもの
生物学的な区別を全くなくして「同等」として扱えという論理はスターリンや毛沢東が実践した考えと変わらないじゃないかということ。
「差別」という用語は本来、社会学用語だ。「性差」の区別を「差別」と受け取るジェンダー・フリーの人々がその「差別」を撤回するために社会運動に乗り出すのは当然だろう。「差別」は社会によってもたらされた現象と考えるからだ。フランスの実存主義者シモーヌ・ボーヴォワールはその著書「第2の性」の中で「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」と書いているが、それに通じる考えだ。
もちろん、ジェンダー・フリーの人々も「性差」が生物的に選択の余地なく、否定できないという認識はあるが、その「性差」による社会的区別は「差別」であり、「悪」と受け取るから、独裁下の弾圧に反対するように、その撤廃のために様々な社会運動を行う。
問題は次だ。「性差」の区別からもたらされた「差別」を撤回しようと腐心するあまり、「性差」と「差別」が引っ付き、「性差」まで「悪」のように考えてしまう傾向が見られることだ。「性差」も「差別」と考えれば、それを撤回しなければならない。その思考の延長線上に同性婚容認の動きが出てくる。
「性差」は「差別」ではない。「性差」は生物学的に厳に存在する事実だ。「世界人権宣言」を想起するまでもなく、「性差」に関係なく、男も女も人間としての価値は等しい。「性差」には価値の「差別」はない。あるとすれば、「性差」による社会的、経済的、生物的な「位置」の違いだろう。そして、位置の違いは「差別」ではないのだ。
ジェンダー・フリーを主張する人々が「価値」の平等だけではなく、「位置」の平等まで要求すれば、問題が生じてくる。なぜならば、全ての人が同じ位置を占めることはできないからだ。簡単な例を挙げてみる。体力の弱い女性に「位置」の平等を訴えて、強靭な体力を要する仕事を課せば、「性差」の撤回どころか、人権蹂躙で訴えられるだろう。一般的に考えてみる。会社で社長という位置に部長が「位置」の平等を訴えて反旗を翻せば、会社は経営できなくなるだろう。
「位置」の平等はその組織、そして人間の存続を脅かす。同性婚が世界の過半数を占めた場合、人類は果たして存続できるだろうか。「主体」が存在すれば、本来、必然的に「対象」が生まれてくる。そして「主体」と「対象」が円満な関係を構築できれば、両者は作用し、存続し、繁栄できる。その「主体」と「対象」の関係を、対立、搾取・差別の関係と考える思考の背後には、共産主義思想の残滓がある。
上記の記述からは、ボーヴォワールが始めたフェミニズム運動のそもそもの出発点は
無神論者による理神論者たちへの象徴的な攻撃的性格を持っている
ことがわかります。

ゴッド(GOD:森羅万象の創造主)を信じずに目の前の偶像を拝むユダヤ人に対してエレミヤが嘆いたあたりから、ユダヤ人の長い捕囚の歴史が始まったのです。
性の解放だとか性差の撤廃だとかいう流れはユダヤ教(含キリスト教文化)への用意周到な破壊活動なのです。
だから必ず作用反作用の関係で宗教規律の厳格化を求める声も高まります。その象徴がイスラム教の過激主義者たちです。
憐憫(れんびん)の感情は人間持ち合わせておかなければならないものだと思うのですが、それを振りかざして社会運動にまでしてしまうことは、無政府主義(アナキズム)、反政府活動に転嫁してしまう可能性が高いのです。
だから私は無関心を装います。
内閣府(旧総理府)の男女共同参画局ってのは左翼のガス抜き程度の役割でちょうどいいのです。
こんなことは官僚丸投げにしてグズグズの役人仕事でいいのです。
少子化対策局と男女共同参画局が同居しているというブラックジョーク
(ボーヴォワールは結婚制度を否定し、女は子供を産むなと主張している)
ヨーロッパが衰退するか日本が先に消え去るか、あと50年もしたらはっきりするでしょう。そんときまで生きてはいないからどうでもいいや。
ただ今の気分はあたかも自分たちが被害者面して崇拝対象をもとめている群衆の姿をみるにつけ
私も憐れむことには飽きてきました。
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Monday, May 4, 2015, 12:54 PM
5/4 晴 10時 浅草での空間線量は16ベクレル/立法メートル
昨日は憲法記念日ということで右翼の街宣車から政党の車が走り回ってました。
9条9条や戦争反対と意味のないことを繰り返しています。なぜならばそれは勝手な都合の良い解釈であって、当然別の解釈をする立場もあるからです。
私は憲法改正は大賛成です。
一度発布されたら一字一句書き換えたらならぬというものではないはずです。
海外では実状にあわせて少しづつ改編されたり条項が追加されるのが普通と言うこと。
戦後は憲法が神格化されたにすぎない
九条や戦争反対を唱えれば世界に紛争はおきないという妄信者たちはカルト集団にしかみえません。
騒音だけは勘弁してもらいたいもんです。
天皇陛下を過剰に神格化したから太平洋戦争に突入したという単純な思考しかできないのかな。
それならば憲法を異常に神格化して触れてはならぬもののように扱っている護憲派とよばれる人々も同じムジナです。
改正の論議ができないのは民主主義の否定

裁判官によって判断がわかれるような代物をなんで代々有り難がるのでしょうか。
江戸時代からなんでも「玉」として崇めるメンタリティは変わっていないことの証左です。
形だけは三審制を取り入れても、憲法判断をする最高裁は憲法本来の理念からほど遠い判例を連発してしまい、結局は我々の「権利」「平等」が侵されていることになるのです。
憲法を毎年にでも改正して、国民誰もがすっきり納得できるようにするのが、正しい憲法学者や知識人の役割なのではないでしょうか。
数学的思考が日本には決定的に欠如しているからこうなる
大江健三郎なんて知識人でも文化人でもなんでもありません。くだらない耄碌ジジイです。
過去ログ:一票の”格差”が半世紀以上も放置されつづけているわけ
数学的思考の根源は「集合論」つまり仲間か仲間ではないかということ
ユーロ圏にみるグローバル経済化の悲哀とそれに続く日本の未来
日本は遵法という概念が稀薄だから違憲「状態」と茶を濁す
国会決議は有権者の25%程度で決議されるという憲法違反状態です
現行の多数決制度に反対の声を上げるのがこれからの正しい左翼です
選挙区制を廃止して余命別選挙制度!?そりゃ良いアイデアだ。
違憲状態のブタ首相は自爆しましたとさ
私の一票の価値は衆議院0.53参議院0.23でした
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Sunday, May 3, 2015, 06:07 PM
5/3 晴 10時 浅草での空間線量は18ベクレル/立法メートル
朝日新聞の日曜版Globeの特集は「マグロは滅びるのか」というタイトルで資源としてのマグロ漁の解説がされています。

・北海道日本海側では2000年の2本を最後に100kg超のマグロは釣れなくなった
・長崎・隠岐でも2005年(114本)から急速に減り続けて今年は10本しか釣れない
・魚群探知機の発達で日本水産やマルハニチロが巻き網漁で産卵期のマグロを大量に捕獲している
・北太平洋まぐろ類国際科学委員会(ISC)の調査で2012年の親マグロは1960年の2割弱にまでなっている
・メジマグロ(クロマグロの幼魚)を喰うなと漁師たちも発言しだした
・水産庁も未生育の段階(4年未満)の漁獲を5割減の2000トンとしたが、これでも削減幅は少ないと見ている
ひとことでまとめると、2000年からクロマグロは急激に減少していることです。それまでの一本釣りの漁師を押しのけて、高性能の魚群探知機を駆使して巻き網でまさに「一網打尽」で幼魚から産卵期のマグロを採り尽くす「大資本」漁法が幅を利かせた時期と一致しているということです。
世界で捕れたマグロの72%を喰らい続ける日本人

・高値がつくトロを求めて商社が世界中から集めるようになった
・トロは数ヶ月生簀(いけす)で育てれば脂身が増えるためにオーストラリア・地中海・メキシコで日本向けの養殖業が広まった
日本人に高く売れるとわかると大西洋・地中海のマグロをまき網で乱獲しだした
90年代から2007年まで日本向けにクロマグロが大西洋で乱獲されたわけです。幼魚も生簀で育てるために捕り続けます。
・2009年にワシントン条約が発効され大西洋のクロマグロの禁輸が決まり、漁獲制限を4割にまで落とした。
・やっと最近クロマグロの資源量が増えていることを北太平洋まぐろ類国際科学委員会(ISC)が認めた
ふたたび水産商社が養殖ビジネスを世界で画策中
・「卵から孵化させた完全養殖」の代名詞「近大マグロ」の技術が世界広がっている
・割高な完全養殖物マグロは欧米の寿司人気に当て込んでいる
孵化からの完全養殖は0.05%(一万分の5)しか育たない
生簀で育てることができるサイズになるのはほんの僅かな量でしかないということ。
育てるためにもマグロを1kg太らすために14キロの仔魚(しぎょ:生まれたばかりの魚)が必要で、生魚を大量に消費する。
安価で大量の餌(魚)がないとマグロ養殖業は簡単に破綻する
以上が特集記事のだいたいの内容です。
私の結論は、べつに馬鹿の一つ覚えのようにマグロマグロ、トロトロと言うことはやめましょうよということ。
うなぎも同様です。
ちなみに私は寿司屋では貝が好物なのでそればっかり食べます。貝が揃っている寿司屋は残念ながら浅草にはないです。
浅草は所詮観光客相手の寿司屋ばかりです
ここだけの話、東京の寿司屋ってたいしたことありません。私のような酒飲みにとってはとても中途半端、だいたい米喰わないし(笑)
浅草の寿司屋で握らずにつまみでと言ったら、皿にシャリとネタが別々になって出てきた(爆笑)アルバイトのオッサンいい加減にしろといいたい。
静岡・清水出身の女の子がとある社長に銀座の名店でごちそうになったのですが、あの程度は清水ならどこでも食べられるとがっかりしてました。つうかはっきり不味いとご機嫌斜め(笑)
大阪出身の私は東京で当初は美味いと感心したのですけども、私も最近では東京のどまんなかで寿司なんて馬鹿馬鹿しくて食べに行く気はしません。
やっぱり旅先で食べるのが一番。三陸や日本海側なんかは旅行計画を立てる段階でよだれがでてきます。
日本人は本来菜食主体だったんだから
マグロよりも野菜が高いほうが私には大打撃です。

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Saturday, May 2, 2015, 12:46 PM

去年につづき、またまたおつきあいで上野不忍池で興行されているプロレスを観てきました。大日本プロレスというインディーズ団体だそうです。
パンフレットには20年前にプロレスラー・グレート小鹿が立ち上げた団体と説明されていました。
なんか聞いたことがあるような・・・全くプロレスには詳しくないのですが、グレートとあだ名を付けられていた小鹿(おじか)さんがいたなあ。
そんなことボヤーと思いながら眺めてました。
ちなみにリングでは上野にちなんでパンダの着ぐるみのレスラーが居ります。
これが去年のパンダよりも太っていて動きが悪いんだ(笑)
検索キーワード:プロレス:
プロレス観てきました
口げんか/交渉に強くなる方法とは
デブ受難の時代 ユニセックス化するファッション
アメリカが韓国の寝返りを翻意させるために北朝鮮を手駒で使っているという説
厚生労働省の虚構を許すな!(六城ラヂウムニュース Vol.16)
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Saturday, May 2, 2015, 12:20 PM
5/2 晴 10時 浅草での空間線量は16ベクレル/立法メートル
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO85808070X10C15A4000000/
漏水トラブル、超高層マンションと地下居室で問題噴出
(1/3ページ) 2015/5/1 6:30 情報元 日本経済新聞 電子版
大都市圏を中心に新しいタイプの漏水事故が表面化している。超高層マンションや地下居室で発生するトラブルだ。どちらも莫大な補修費がかかるうえ、被害拡大を容易に止められない。トラブルを未然に防ぐには、厳しい立地環境を考慮した入念な設計が求められる。防水性の高い材料を選び、排水経路を十分確保した納まりを考える。同時に漏水リスクと対策コストについて、発注者の理解を得ることが不可欠だ。
「最近、超高層マンシ…
町内で同じブロックでは二軒のマンション建築が進んでいます。工事の音が反響するなあと窓をあけたら目の前に高層マンションがそびえ立ってました。ここまで高くなるとは思っていませんでした。
基礎作りから工事現場を見ています。敷地が狭いから地下に機械室や変電設備を設けてあります。
隣のブロックには超高層マンション(いわゆるタワーマンション)が建っています。ここは地下は駐車場になっています。
いま都心では超高層マンションがあちこちで建っていますし、建築中なものはそこらで見られます。また近隣のマンションの取り壊し工事が始まりました。
築40年をすぎたマンションや商業ビルが建て替え時期になっているからでしょう。
なんで40年程度で解体されるのかと疑問に思われるかもしれませんが、
建て替えの最大の理由が漏水です
ソースは当方が入居するマンション(笑)
このまえの震災で広範囲に亀裂ができて、どうやらそこから水が漏れているようなのです。
豪雨がつづくと雨水の排水なのかは判明していないのですが1階が漏水で水浸しになるのです。
ここ数年で補修が追いつかないということで取り壊しが決定的になりました。
たかだか9階建てのマンションでも水道管の老朽化、アンテナや給電設備といった電気系統は埋められていて取替えることができないため、建て替えしか手段がないのです。
地下室が水没する可能性が高い
東京都心はかつて地盤沈下が問題となり地下水のくみ上げが制限されているので、地下水位が上がる一方です。
有名な話ですが、上野駅の東北新幹線のホームは地下水位の上昇でホームが浮き上がってしまい、それを押さえるために重しを毎年積み重ねているのだとか。
地下室や地下駐車場を海抜ゼロ地点のマンションでもよく見かけますが、大丈夫だろうかと思っています。
ゲリラ豪雨で最近でも地下鉄駅が床上浸水したこともあります。
湾岸地区のタワーマンションでは豪雨で洪水の可能性があるときは地下の駐車場の車を待避させるよう自治会で取り決めているところもあるそうです。
ビル風で雨が吹き込むマンションも珍しくない
高層階の窓ははめ殺しだから少々の強風でも雨が侵入しないと思いこんでいると、換気用ダクトから大量の雨水が浸入したという事例もあるそうです。高度があがると地上の何倍もの風速となり、近隣のビルによって設計時の想定を越えてしまうこともあるのだとか。
また柔構造で揺れを吸収するようになっている高層ビルは外壁に隙間があるそうです。そこからも浸水する可能性が高いのだとか。
コンクリートは亀裂が入ると加速的に劣化していく
都心でもコンクリートで固められた河川敷、橋脚、崖の法面(のりめん)はあちこちで見受けられます。
注意してみると白く変色した部分があるかと思います。トンネルなどでは鍾乳洞のように白いつららができているかもしれません。
これは石灰化といってコンクリートに浸潤した水分がコンクリートの石灰質を溶かしだして再結晶したところです。
もちろん当初の強度などはなく、やがてボロボロと崩壊していく部分です。
河川敷などはそのままでしょうが、マンションなどの集合住宅は耐震強度は無くなっていきます。
ですから60年代後半から70年代にかけてあちこちに建てられた公団住宅が耐震補強工事の真っ最中です。
外壁に柱(鉄骨)を追加する工事ですが、不細工な外観になります。
斜めに斜交い(はすかい)を追加している小学校や中学校はよく見かけます。
東京には高度経済成長期に建てられた団地群があちこちにあるのですけども、都市部の影になっています。
過去ログ:もう駄目です・・・社会資本が我々を苦しめる
足らないと欠乏症で重金属は多すぎると中毒症 六価クロム汚染土はいまだに足元にある
時代から取り残された公団団地に流入するアジア系住民
コンクリートの寿命は人間の寿命とほぼ同じ
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Thursday, April 30, 2015, 12:15 PM
4/30 晴 10時 浅草での空間線量は12ベクレル/立法メートル
昨晩の安倍首相の演説を生中継で聴いておりました。予想よりもいい内容で驚きました。
小泉のリップサービスに比べれば大変評価できます。
戦後70年という節目で注目されているというなか「希望の同盟(an alliance of hope)」という言葉で締めくくりました。
さらに"Together,we can make a difference."(一緒に差を付けてやろう)です。
米議会で同盟国であることを強調し、言い換えて友達であり連携は(両国にとって)「希望」であると強調したのです。
歯が浮くような口説き文句・・・
alliance(アライアンス)という言葉はものすごく強い言葉で、日本的に言えば三国志の「義の契り」です。
四方敵だらけで自信を失っているアメリカ国民にとってこれほど胸がすくわれる言葉はないでしょう。
これで中韓のエージェント議員が日本批判をしたら非米国民(anti-america)の烙印が押されてしまいます。
安倍首相の演説で立場が一層悪くなったのはお隣バ韓国です。クネさんは南米で中国陣営への加盟を勧めていたようですが、卒倒してこのまま退陣するかもしれません。あの国はもう中国の属国に戻ったのですから日本政府は無視してほっておきましょう。
中国もむやみに日本への敵対姿勢は出せなくなりました。米国国防総省の中国の警戒は高くなっています。
米国を斬り捨てて中国についたヨーロッパへの反撃
さあこれからアメリカの「帝国の逆襲」が始まります。
中国の封じ込めの動きが露骨に出てくるでしょう。ここでキーマンはロシアです。
アメリカとロシアはいまのところ敵対関係ですが、もし日本がロシアと国交を復活させたらどうなるか。
日本を橋渡しにアメリカとロシアが手を組むことになります。私がプーチンならば裏で日本との連携を模索するでしょう。
中露関係でロシアはより有利な立場に立つことができ、アジアへの影響力を強めることができるからです。
将棋で言えば日本は金と桂馬で攻勢をかけたようなものかな。飛車角はもちろんアメリカ。
中露はこの詰め将棋をどう切り返すでしょうか。
「分割して統治せよ(devide and rule)」の鉄則で東南アジア、中東、南米に中国の影響力をさらに行使するでしょう。
国連(本当は第二次大戦の連合国の意味)の崩壊は目前
国連内でのプロパガンダ合戦がこれからますます激しくなっていくでしょう。
逆に言うと中国は対米姿勢を引くに引けない立場になったというわけです。
これから中国も景気停滞期へと入りつつありますが、中国軍部の暴走を習近平さんがちゃんと止められるかが見物です。
国連というお手盛りな集まりが有名無実になっていくことは、私は仕方がないことだと思っています。
そしてグローバルとは幻想であったと世界が気づきだすことが、逆説的ですが一番平和的な状況だと思うのです。
過去ログ:なぜUnited Nationsは「国際連合」と意訳されたのか?
石原慎太郎のナショナリズムは最悪な手だ
3分で読む小室直樹「新戦争論」(学問道場版)
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(5) 国際社会と国家を理解することが真の平和主義
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(4) 国連を国際社会と混同する文化的原因
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(3) 国連の幻想と国境の思想
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(2) 言葉を翻弄したことで文明史を曇らせた
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(1) 平和主義者が戦争を引き起こす
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Wednesday, April 29, 2015, 06:30 PM

朝日新聞地方面にのみ掲載されていたので、こちらにも掲載しておきます。
直径3ミリ高さ3ミリの円筒形ステンレス容器に入っているそうです。
ということはラジウムは仁丹の粒ほどの大きさ(コンマ何グラム)です。
記事では「医療用ではない」と断言しています。
そしたら工業用に決まっているじゃネエか(笑)
おそらく30年か40年以上前、ひょっとしたら戦前か戦後あたりでは、鋳物の欠陥や溶接部分の不良の検査でラジウムの粒を用いて写真撮影が普通にされていたのです。
見ての通り鉛筆の芯程度の小さなものだから紛失なんていくらでもあったでしょう。
もっとも高価なものですから、何重の容器に入れて鉛を張った箱で大切に管理され運ばれました。なくしたりしたら切腹モノです。
でもね、ここらは空襲のあった地帯でしょう。
空襲で爆撃されたらどっかへ飛び散ってしまいます
そんときのものが今頃発掘されただけの話
いまではラジウムよりももっと強い線源か、高出力のX線装置があるのでそちらが一般的です。
7年ほど昔に解雇された腹いせに、工業検査会社の倉庫から撮影用線源を盗んで鶴見川に投げ捨てたというニュースがありましたね。茶筒程度の大きさですけど、中には仁丹程度の直径コンマ何㍉のイリジウムです。
盗まれた会社の人に聞いたら、あんなもの盗んでどうするんだよと呆れてました。中古マーケットなんてあるわけないので一銭にもなりません。
もっとも盗られたのは半減期が過ぎて使い道がなくなったのものなんだとか。
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Wednesday, April 29, 2015, 04:58 PM
4/29 晴 10時 浅草での空間線量は12ベクレル/立法メートル
65歳以上での介護保険料が全国平均5514円と月額五千円を超え、最高で8686円(奈良県天川村)、最低で2800円(鹿児島県三島村)と3倍近い開きとなっています。
これからも老齢人口は増えていきますから、二倍三倍と増えていくでしょう。
しかし支払額がこれだけ高くなると制度変更(負担率の増加や介護報酬のさらなる引き下げ)が続き、保険の存在意義もますます薄れていくでしょう。
年金保険と介護保険は社会にとっても大きな問題です。しかしギリシャ問題でわかるようにEU内部で消化されている赤字国債で国は潰れません。
過去において対外債務が膨らんでどうしようもなくなったらハイパーインフレでチャラという手段はどの国でも行われてきました
大戦後のフランス・ドイツは非常事態としてインフレと債務カットで対処した
日本も預金封鎖と新円発行でチャラにしちゃいましたし。
トマ・ピケティのコラムでは前科者のフランスとドイツがギリシャに正論を垂れるなと言ってます。
借り換えはけしからんと自分の過去を棚に上げたドイツの姿勢には反対しています。
当のギリシャでは市民生活はとくに変わったところはなく、展示会やファッションショーが普通に盛り上がっているのだとか。日本企業も多く出展しているそうです。
ギリシャ国内の経済に大きな変化は見あたらないということ。
EUという連邦国家群内の金の貸し借りは領域内全体で見ればプラスマイナスゼロですから、世界経済レベルでは問題がないのです。その証拠にユーロのレートは全然下がっていないのです。
ギリシャの債務がデフォルトになるのであれば、もっとユーロは値が落ちると常識的な感覚では思うかも知れませんが、ギリシャがデフォルトを宣言しても、EU(主にドイツとフランス)の中央銀行の帳簿を持ち寄って斜線で消すだけで終りです。
同じ事は日本の財政にも言えます。
累積の赤字国債で日本が潰れると馬鹿な妄言を垂れる人がいますが、国民がいて税収がある限り、国家が破産することはありません。国債のほとんどが国内で引き受けられているからです。
私が為替取引をしているならば、間違いなくユーロは買いですね。
日本円は日銀の方策でまだまだ円安にするつもりのようです。物価高な上に景気低迷路線を安倍政権は続けるつもりなのでしょうか。
同じ経済内での金の貸し借りは永遠に借りっぱなしで問題はないのです
ギリシャ問題がわが国の経済にも影響があるとしたり顔で話す経済評論家がいるとすれば、どういう影響なのか詳しく聞いてみたいモノです。
ギリシャがたとえデフォルトを宣言したとしても、数日も経てば何事もなく通常のままですよ、きっと。
スペインやポルトガルも同じ道を辿るでしょう。
でもそれは隣家の放蕩息子が親の金をつかっちまったというような話で、自分には関係のないことと一緒です。
ドイツ人とフランス人が気分を害するぐらいのこと。
トマ・ピケティが言っていることはそういうことです。

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Tuesday, April 28, 2015, 01:53 PM
4/28 晴 10時 浅草での空間線量は10ベクレル/立法メートル
いきなり夏が来たような気温で外出するときはTシャツ一枚でいいですね。
ネパールの地震災害の被害はまだまだ拡大している状況で、やっと日本の救援隊も現地に到着したとニュースで報じられていました。
遅れた理由は空港が混雑している状況で足止めを余儀なくされていたからです。発生から3日もかかったことになります。
ネパールには首都カトマンズに国際空港があるのですが、設備が古く高地なために世界で有数の離発着が難しい空港のひとつに数えられています。
日本からの直行便はないので、チベットのラサやタイのバンコク経由で入国するのが一般的なようです。
陸路でチベット側やインド側から入国することも可能なのだそうですが、チベットは中国の人民解放軍が常に監視しており、旅行客の自由行動は一切できないのだとか(事前にルート・手段・宿泊地を申請することで身分調査されて陸路経由でネパール入りは可能)
インドから陸路バスでカトマンズに向う方法もあることはあるそうですが、舗装もされていない山肌の道を何十時間もかけていく秘境ツアーなのだとか。(よく谷底に落ちるらしい)
ネパールとチベットは同じ民族ですが、両国の交流は中国によって厳しく制限されています。
親族がネパールにいてもチベットからは手紙さえも出せない。
そのためチベット民族は人民解放軍の監視の眼を盗んで、カトマンズへ向う旅行客のツアーガイドに手紙を託すのです。(チベットは個人旅行が認められて居らず、認可された団体ツアーのみ)
チベットの旅行は常に緊張を強いられる上に、チベットの抑圧されている人心は荒んでいる状況がよくわかるそうです。
その点ネパールは登山客で外貨を稼いでいるため、少なくとも人々の顔には明るさと笑顔があるので癒やされるのだとか。
しかしネパールは緩衝国の宿命で、中国とインドのどちらにも気を遣わなければならないということ。
インド側もネパールへの道路を整備しない理由は軍事衝突を避けるためなのです。
なんでこんなに詳しいのかというと、二年前聞いたチベットからネパール、インドと秘境旅行してきた人の話を、そのまま垂れ流しているだけです。
こんな地域ですから日本を含めた先進国が、輸送機に人員物資を満載してすぐに飛び立つということができないのです。アメリカならすぐに星条旗をつけた輸送機が飛んできてくれそうなものですが
アメリカもネパールには10million$(約12億円)の援助が精々
軍事バランス(地政学)を抜きにして、日本の救援隊は遅いとかいうのは甚だお門違いなのです。
ネパール政府が台湾の救援隊派遣を断ったことからも、中国に配慮していることがうかがい知れます。
ネパールへ派遣される救援隊がテレビで観ましたが、どうみたって年配者ばかりです。要するに屈強な若者ではなく年寄ばかり。
おそらくはJICA(国際協力機構:外務省の外郭組織)の人たちでしょう。
カトマンズの空港やインフラ整備のつながりでJICAの救援隊はネパール政府は中国と調整して受入を決定したのです。
こういうニュースの裏を報道するのも大切だと思うのです。
台湾の救援隊拒否=政治的理由か―ネパール
時事通信 4月28日(火)6時47分配信
【台北AFP=時事】台湾の林永楽外交部長(外相)は27日、大地震が起きたネパールに20人の救援隊を派遣すると申し出たが、断られたことを明らかにした。部長は「ネパール政府から、非常に混乱している国内情勢を考慮して、インドやパキスタンなど近隣国の救援隊を優先して受け入れると伝えられた」と述べた。
中国は救援隊をネパールに派遣している。台湾メディアは、ネパールが台湾救援隊の受け入れを拒否したのは政治的要因によると報道。林部長は否定したが、ネパールが台湾より遠い日本の援助隊を受け入れた理由については説明しなかった。
ネパールは1949年の中台分断後、台湾を承認していない。
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