そして再び「無」の探求が始まった 
Friday, October 9, 2015, 12:51 PM
10/9 晴 10時 浅草での空間線量は22ベクレル/立法メートル

梶田隆章教授のノーベル物理学賞受賞で、ふたたびニュートリノという聞き慣れない言葉が賑やかになりました。

素粒子物理学は科学の王道、頂点の学問ですからここで日本人が先頭に立っているということは素直に喜びたいと思います。

この学問がなぜ科学の頂点なのかというと、16世紀から続く宇宙の探訪の道のり、すなわち聖書の唱える天地創造の仕組みだからです。

明治初期までは数学と物理という科目はなく、一緒くたに窮理学(きゅうりがく)と呼ばれて、さらにその昔は教会で修道士が研究した神学の一部でした。

ですから現在の素粒子物理学は、いまでいう「文系科目」だったのです。数学もね。
ついでにいえばみんな嫌いな(笑)「微分積分」も最初は極値という誰も到達できない概念を用いた宗教だったのです。

一流の数学者や物理学者は口々に「文系だ理系だという区別がおかしいし、害悪だ」とおっしゃっています。私もそう思います。

ドイツあたりでは哲学(思想史)は高校生あたりでも習っています。ドイツのハイデルベルグには哲学の道という公園がありますが、石畳が敷かれた小山で古色蒼然としたハイデルベルグ大学や図書館もネッカー川の畔にあり、とても風光明媚な場所でした。

著名な哲学者たちがここで散策して思索に耽ったのでしょう。私はニーチェが一番だと思っています。
人気観光地ですが、大学生もたいへん多いです。

ちなみにハイデルベルグ大学は医学部や数学・物理・化学といった理学部もあるようですが、人文社会系(経済・法学・哲学など)も同じ校舎にあるみたいです。つまり日本のように理系だ文系だという区別がないように建物から感じられます。

日本でいう理系学科文系学科は、どれももとは神学の系統ですから区分する方が無理ということ。これがヨーロッパ人のフツーの感覚だと思います。

日本の大学は「国際○○学部」とか「総合○○学部」とか「○○システム学部」とかカタカナで何いってんのか訳のわからない学部名や学科名をつけてますけども、そんな小手先の人気投票で目立とうというあざとい馬鹿大学が増えてます。

国際とか総合とつく会社や大学は要注意



総合と謳うことは逆に言えば専門がないということで、なんでもダボハゼでやりますよという言い草そのものですし、国際と謳うことは田舎者であると白状しているようなものか、詐欺会社(笑)

総合○○というブラック企業に勤めていたことがあるので身にしみてます(笑)

話を戻して、小柴昌俊教授に続く梶田隆章教授のノーベル物理学賞受賞で、まだまだ「無」とはなんぞやという探求が続いているのだなと感じました。

いままでは真空の宇宙は無とされてきましたが、どうやら素粒子や暗黒物質(ダークマター)と呼ばれる物質に満ちていると考えられています。梶田教授のニュートリノに質量があるという発見は、ふたたび「無」とはなにかを素粒子物理学、天文学に突きつける結果となりました。

原子を分解して、中性子・陽子となり、その中性子と陽子を分解して、素粒子となり、その素粒子はもう分解できないということになっています。

その素粒子の中にあるのは空間なんだそうすけども、空間であるための要素は光の速さが鍵となるそうです。空間の速度が光速以下となる、空間が震えだし、その震えが物質なんだとか。震える空間が「無」であるのかというと、どうもそうではないらしい。

梶田教授のニュートリノに質量があるという発見で、再びニュートリノの先にある「無」の探求が始まったのです。

私は無は光速を超えた世界が無であると考えています



過去ログ:
異端の数 ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念 (2)
異端の数 ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念(1)
Newtonの法則で銀河系の全質量までわかる!(数学の力)
般若心経(Heart Sutra)262文字の世界 (最新素粒子物理学との共通点)
「引力」ではない!「押しつけられる力」なのである(暗黒物質の正体)
ノーベル賞南部博士「物質の根源は波動」であるという話
高校生あたりで凡人か一級の研究者になるかわかるんだな
素粒子論の世界では「超能力」は実在する
過去遡及効果として観る「安堂ロイド」
「引力」ではない!「押しつけられる力」なのである(暗黒物質の正体)
数量化という概念が理解できていない人物の戯言は日本に悲劇的な結末を招く
二人の物理学者、湯川秀樹と武谷三男 物理学者軽視のツケ
自転車はなぜ倒れないのか?通説の誤り (実証主義こそが科学的である)
「飛行機がなぜ飛ぶか」分からないって本当? (自称理系でもよくわかってないのです)

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薄力粉で簡単、発酵なしですぐ焼けるパン 
Wednesday, October 7, 2015, 03:07 PM
10/7 晴 10時 浅草での空間線量は28ベクレル/立法メートル

昨晩ノートパソコンがいきなり騒音を出し始めました。発生源は内部のファンです。
小型のノートパソコンで壊れやすい箇所は、まずは液晶画面、AC電源コネクタでしょう。
内臓ハードディスクもかつてはいつか壊れることが前提で、少しでも振動や異音が出ると交換しましたが、最近では信頼性が高くなったと思います。

ですから心の準備はしていたのですが、予期せぬ部品が壊れるとお手上げです。
さっそく秋葉原に行ってみました。

同型品があれば、そのまま買うつもりでしたが、どこにもない。ハードディスクを入れ替えれば済みますから。

しかたなく手ぶらで帰りました。

だめもとで分解して、ファンに張ってある部品番号で検索したら、CPUファンという台湾?香港の会社がヒットしました。どうも世界のノートPC用ファンを扱っている商社のようです。クレジットカードで注文ができるので、注文してみました。

5000円程度で治ればおなぐさみです。
それまでは古いPCを引っ張り出して更新していますが、古いPC(2000年製)の方が速くて快適(笑)WindowsXPでも素で使えばめちゃめちゃ速いです。

手が空いた時間にパンを焼いてみました。

材料:薄力粉200g程度、牛乳150cc程度、砂糖大匙2杯、塩一つまみ、サラダ油大匙1杯、ベーキングパウダー5gといつものように適当にぶち込みます。
今回はイースト菌で発酵させずに、ベーキングパウダーで膨らませます。

ヨーグルトを大さじ二杯ほどを忘れずに



昨日朝のテレビでやっていたのですが、ヨーグルトが適度な酸性で、薄力粉でもグルテンの結合が強くなりパンらしくなるのだとか。

薄力粉でパンをつくるには、蒸し器で蒸してしまうのが一番手軽で失敗しないのですけども、今回は電子レンジのオーブン機能で焼いてみました。

発酵しないので手間いらず。ボールで練って、あとは丸くしてオーブンに放り込むだけ。
180度20分弱といったところでしょうか。

左が焼けた直後です。上面が焦げるので途中までアルミホイルをかぶせておきます。
焼く前に小麦粉を少し振っておくと、粉が吹いているようになります。本場のパンらしいでしょ。

切ってみました。普通のパンっぽい。

強力粉でつくったパンよりも、どちらかというとクッキーに近い風味です。
それでふかふかのパンの食感ですから、これはこれで十分おいしいです。

寒くなったらあんまん/肉まんで薄力粉は大活躍しますけども、毎朝焼きたてのパンも薄力粉とベーキングパウダーがあれば簡単にできることがわかりました。

リンゴのジャムをつけて食べてみました。
なんちゃってパンですが、おいしいですよ。

市販の食パンは食べられません。材料を読んでみれば、贈粘剤や乳化剤、香料、合成保存料、ふかふかさせるための臭素酸カリウム(美容院で使われるパーマ液と同じ)、植物油から作られるショートニング(別名プラスチックオイル)という物質が使われています。

自家製の小麦粉とバターだけのパンは腹持ちがいいですが、市販のパンはスカスカです。
食品添加物で無理矢理膨らませただけの代物ですから。

市販の食パンは原材料を読めばとんでもない暴利ともいえます



自分でパンを焼いても材料費なんて一斤あたり100円もしないのではないでしょうか。
小麦粉、牛乳少々、砂糖・塩、ヨーグルト、ベーキングパウダー、どれも数10円分です。
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異端の数 ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念 (2) 
Tuesday, October 6, 2015, 03:05 PM
10/6 晴 10時 浅草での空間線量は33ベクレル/立法メートル

「異端の数 ゼロ」(林大 早川書房 2003)を読了しました。
前半はゼロが中世になって西洋キリスト教圏に受入れられるまでの過程とその後
後半は現代物理学・天文学においてもアインシュタインらがゼロという特異点に苦しんだ過程です。

西暦1500年あたりまでは、ローマおよび周辺キリスト教国ではゼロは触れてはならない数であったのです。

古代エジプトから発生した幾何学(測量や建築、暦)はギリシャに広がりましたがゼロは生まれませんでした。
バビロニア地方(ペルシャ、今の紛争が絶えない中近東)にはそろばんの空の桁を表す表記はありました。

マヤ人は日時がゼロから始まる独自の暦を持っていました。21世紀の最初の年は2000年なのか2001年なのかという大論争がありましたが、この暦であればそんな問題もなかったのです。

不幸なことに現代の暦はゼロのないエジプト人そしてローマ人がつくったものです。

ギリシャ人はその宇宙観からとことんゼロを嫌った



なぜならギリシャ教の神は「比率」だったからです。いわゆる黄金比などと呼ばれている比が奥義です。ギリシャ教の指導者はご存じピタゴラス!
急進で過激な思想家です。エジプトの幾何学から形に神の意志があると信じ、数学と図形は同じ意味とされていました。

だから定規とコンパスで計算することが奥義とされていましたし、宇宙も幾何学的な構造をもつと信じられていました。弦の振動や黄金比といったものが真理であったのです。

だからゼロという概念がないという宇宙観がギリシャ哲学であったのです。

ギリシャとペルシャで戦争が起こり、ペルシャ数学がギリシャにも伝わると、ギリシャ哲学者は頭を悩ますことになります。

たとえばゼノンの「アキレスと亀(アキレスのパラドックス)」・・・極限というゼロに近づける概念です。

やがてアルキメデスがギリシャに誕生し、王冠を壊さずに金がまがい物を知る方法や、細分割して放物線の面積を求める方法などを発見していきますが、不幸にも侵攻したローマ兵に殺されてしまいました。

こうしてローマはゼロを受入れることなく、時が流れてしまいました。

それではゼロはどちらに向ったかというと、西のヨーロッパではなく、東に流れ、インドやアラブ世界で大活躍します。

ヒンデゥー教では「無」は重要な概念です。アラブではアラビア数字となり、古代ユダヤ教においては数字に意味があるという神秘主義であり、ゼロも意味ある数と受入れられました。

時が流れて、キリスト教圏もイスラム圏と貿易をする上でゼロは欠かせなくなります。イタリア商人らが計算に便利なアラビア数字を使い出したのが1200年頃、そして実用的なので教会は反対しつつも、アラビア数字はヨーロッパで受入れられていきます。

ゼロを異端とするカトリックとルネサンスで花咲く数学・美術



ヨーロッパの哲学論争には「無」と「無限」が論争の種となりました。
美術では遠近法(無限遠は一点に集まるという手法)、天文学ではアリストテレスの天動説からプトレマイオスの地動説へ、そしてコペルニクスの現代の太陽系モデルの提唱、そしてケプラー、ニュートンといった修道士たちがぞくぞくとカトリックの宇宙観へ反旗を翻していきます。

無と無限を否定するイエズス会にもデカルトが座標を用いることで幾何学が代数に融合できることを発見します。

ニュートン、ライプニッツが「微小」の概念を取り入れて微分積分という強力な概念を構築します。

フランス革命頃になると、果てしなく永遠と続く式も考えられるようになります。級数という概念ですね。
微分積分という新しくて強力な道具を手に入れた数学者達は、どんどん不可侵と思われていた領域へ斬込んでいきます。

18世紀にはマクローリン、テイラーというイギリスの数学者は無限に続く式も、収束するという概念を確立します。
19世紀にはガウスが虚数という概念を用いると、多次元の式でも解を求めることができることを発表します。デカルト座標が複素平面という不思議な面へと数字の世界が拡大していきます。

デカルト平面では直線でも、複素平面では円となります。さらに3次元の複素空間では球となります。

直線の運動も複素数の世界では球面の動きになる


リーマンはゼロと無限とは複素数の世界では、ちょうど地球儀の極点となることに気づきます。

こうして19世紀あたりで数学者達はゼロと無限の概念を掴みつつありました。
このゼロと無限の概念は物理学へと移り、ブラックホール理論やビッグバンという宇宙の構造をしらべる手段へと進化していくのです。

どちらも「ゼロ」という特異点、ブラックホールは重力が一点に集まったら、ビッグバンは宇宙の始まりのゼロ秒はどうであったのかを考え抜いた末の概念です。

ブラックホールの存在は確認されていますが、ビッグバンは調べようがありません。
宇宙が膨張しているという説は最近では揺れ動いています。

このように本書は非常に壮大なゼロの物語です、そして残念ながらまだ未完です。

これからもゼロに注目していきましょう。生きているうちに新たな発見がされるかもしれません。



過去ログ:異端の数 ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念 (1)
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日本に革新思想が根付かないのは、無信仰な国民性だからです 
Monday, October 5, 2015, 08:17 PM
私はあまりイデオロギー的なものには関心がありません。先日の安全保障集団的自衛権関連法案でも、是非に関しては、たいした感想は持っておりません。

間違っても国会前にデモに出かけるようなことは、たとえ物見遊山的な気分であっても近づくことは生涯ないでしょう。
なぜなら、煽動(Agitetion:アジテーション)に乗ったところで、碌な事はないと思っているからです。

合成の誤謬(ごびゅう)が多数決主義では避けられないから



「合成の誤謬(ごうせいのごびゅう)」という言葉は小室直樹が使った言葉で、民主主義として小さなベクトルが集まっても、総体的にはとんでもない方向性をもって、誰も望まない結果となってしまうということ。

いくら反戦を叫んでも、それでは戦争回避のためにはどのような結論となるかというと、他国から軍事挑発を受けないだけの軍事力、核武装が日本には必要であるという結果になるようなことです。

964と呼ばれる税の不公平感を叫んでも、それでは広く獲るという政策で消費税が導入されて、物価が上がり負担感だけが増えた真逆の結果となりました。

このようにますます悪くなるという感情しか持ち合わせていないので、民主主義ほど救いようのない制度はないなあというのが生まれてこの方ずっと抱いている感情です。

選挙はなるべく行きますが、三日もすれば忘れるお祭りのようなものでしかありません。暇つぶしで行う人気投票のようなものです。民主党政権にも最初から期待はしてませんでしたし、やっぱりなあという結果でしかありません。

右翼と言われてもピンとこないのは右翼という存在がないから



集団的自衛権関連法案に関しては、日米安保が軍事同盟であるから、国家間で戦力を融通することは常識であり、国連においても自衛権は国家が持つ権利と認められています。

そんなことを語って、「おまえは右翼だ」と言われても私にはさっぱりわからないというのが正直な気持ちです。
なんたって手本とする立派な右翼主義者という人物が今の日本にはいませんから(笑)

国のために命を捨てられるか!?と言われたら、私は「はい」としか答えられませんね。これで右翼扱いされたら、国も家族も捨てて逃げ回るのが左翼なのか?と聞き返したくなります。

信仰のために死ねるのが真の「左翼」である



左向きの主義は革新とかリベラルとか言われますが、日本の場合は単に貧乏人が国に「もっと金よこせ、面倒みろ」と言い合う集団でしかないです。(副島隆彦談)

本当の左翼というのは楽観主義(Optimizm)が根底にあります。そしてキリスト教信仰者が「神さまが最後は尻を拭いてくれる」という信念で、現状を変えれば(多少の混乱があっても)最後は最善が導かれるものだという考えです。(これも副島隆彦談)


フランス革命でルイ16世を処刑し、その後ナポレオンが登場して独裁と経済混乱、ロシア、そしてイギリス・オランダ・プロイセン(ワーテルローの戦い)との戦火が続きました。

その後はフランスという国は再び貴族の統治となり、政体がかわるたびに革命が起きるという<どーしようもない状況>が第二次大戦後のドゴール政権あたりまで続きます。以下のURLは面白くてよくわかります。
参考URL:http://matome.naver.jp/odai/2136192419623285901?&page=1

現状を変えれば、多少の混乱があっても神さまが最後は良い方向へ導いてくださるというのが、革新思想です。これはフランス人の精神構造がそうなっているから仕方がない。

日本では創価学会を母体に持つ公明党が本来であれば、革新であるべきなのに、なぜかちっとも、まったくの期待はずれ(爆)なほど革新性を持ち合わせていません。ここが革新でなければ日本の革新政党はどこなのでしょうか・・・つまりないということ。

イスラムへの風刺画が引き起こしたテロ事件(シャルリー・エブド事件)は日本人には理解しがたいことです。導火線の前でライターを点けるような行為を愉しむのが、フランス国民の根底に流れる革新気質なのです。

保守思想は本来は個人主義である



なぜか日本では保守とは国家主導もしくは米国追従とされ、革新は反財界・反官僚か反米となっています。
だから反米保守とかポチ保守といった訳わからない言葉がでてきてしまいます。

評論家の福田恆存(ふくだつねあり)は保守とは「自分の立ち位置をしっかり考え抜いて道を拓く主義」と説いています。だから宗教信念やイデオロギーに乗せられて、政治の賛否を問う行為は愚かであるとしています。

朝日新聞の記事では文芸評論家の浜崎洋介氏と北大の中島岳志氏のコメントが載っています。どちらも若手でありながら鋭い。コメントの一部を転載します。

福田は、人は本質では自由なんて求めていないのではないかと書く。では何を求めているのかといえば、自分がいなければ時間が停滞するという実感で、特定の役割を果たし、役割を果たす自分を味わうことことこそが人間の生きがいだと言う。

福田は人間の理性が完全な世界を作り出せる、とは考えない


不完全な人間は、過去に依拠しながら、微調整を繰り返すしかないと考えた人なんです。


私も同感ですから、真性保守と言えます。

参考URL:これから日本のために福田恆存をかんがえよう
http://culturestudies.jp/interview/vol03/#.VhJUoeztmko
この人に聞きたい 中島岳志さんに聞いた
http://www.magazine9.jp/interv/nakajima/index1.php

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情報の非対称性がより固定化された(マイナンバー制度はモラルハザードを引き起こす) 
Monday, October 5, 2015, 01:56 PM
10/5 晴 10時 浅草での空間線量は36ベクレル/立法メートル

昨晩のNHK教育サイエンスZEROを観ました。スーパーコンピュータ「京」が現在どのように使われているかという紹介です。一言で言えばスーパーコンピュータは膨大なシミュレーションのためにあると言えます。

具体的に防災では、都市の高層建築の地震の揺れ具合を調べたり、人の避難をシミュレーションしています。一言でいえば簡単そうなことですし、今ではちょっと高性能なエンジニアリング・コンピュータでも研究室レベルではやっているはずです。

驚いたのは、建築物単体ではなく、広範囲の街そのものをコンピュータ上で揺らして、全体の被害を予想するということ。また人の流れも、画面の点一つ一つが人間として、年齢や歩く速さ、状況判断の差という”属性”を持たせて、一つ一つの"意志”を加味して現実的な避難状況を画面に再現させていることです。

建築基準法でビルを建てる際には、設計図と強度計算結果を添えて許認可先へ提出するようになっています。
耐震においては現代の建築においてはある程度担保されているとは言えます。

でもざっくりした計算であって、コンクリートや鉄筋の経年変化や建物それぞれの特殊要因などが考慮されているとは言い難いです。たとえば、地盤の液状化や土砂崩れまでは想定されていない。

なぜならそこまで条件を加えると、複雑すぎて技術もコスト的にも現実的ではないからです。
だから科学計算とか構造計算といわれる分野は、パターン化したり、簡素なモデル化、一般例などで、できるだけ楽にざっくりと低コスト省力で”それらしい値”を出せるかが技術であったのです。

ところがコンピュータ能力が高いと、ざっくりしたモデル(抽象化した形状や性質)ではなく、微小単位、言い換えれば分子や元素ひとつひとつの動きまで予測して全体への影響まで可視化できるということ。

数学的センスというのはざっくり理解することという書籍を司会の竹内薫氏は今年出版していますけども、スーパーコンピュータにおいては、数値で入力さえすれば、(コストさえ無視すれば)いくらでも厳密にすることができるということです。

かつて自動車の衝突実験はキャラメル箱で組立てたような車のモデルで概算してから、実車をぶつけて凹み具合や壊れ具合を検証していたそうです。今はコンピュータ上と実際の実験とはほとんど差がないそうです。だから手間のかかる実車の衝突試験なんて今ではやらないのだとか。

医療での活用例としては心臓の”細胞一つ一つ”をシミュレーションして、最適な外科手術を選んだり、目的の蛋白質に合致する化合物の分子形状を膨大な組合わせ例をしらみつぶしで調べているそうです。

シミュレーションでは、まだ京の能力は不足しているので2020年を目標にさらに100倍の能力向上を目指しているのだとか。

いままでは”ざっくり計算”していたものが、計算能力が高まると極端に言えば、全国民1人1人をシミュレーションしてリアルな行動予測をしたり、さらに言えば地球上の人すべてをコンピュータでシミュレーションすることも可能でしょう。

本日マイナンバー法が施行されて、個人や法人へ番号が通知される運びになりました。日本で生活する以上は、このコンピュータ記録に紐付けされたキー番号が必須になるということです。

こちらはコンピュータ能力が向上したからではなく、記憶装置と通信網が発達したからでしょう。
あとインターネットでは検索能力が飛躍的に上がったため、この流れは事務処理では必然とも思えます。

論評も情報漏洩といった技術的なものばかりで全然身近には感じません。

本当なら10年前あたりでも十分可能であったのに、なぜ今なのでしょうか。自民党勢力が強いうちにという霞ヶ関の論理が優先されているようで面白くはありませんね。

ただ私が経験上確実に言えることは

コンピュータ管理社会ほど脆弱なものはない



ということ。たとえば誤ったデータが入力されてしまったとしましょう、具体的に言えば犯罪歴などがあるとされてしまったら、また別人がなりすましたとしましょう。

これまでは帳簿と人手でされていたことが、コンピュータの一括処理でなされてしまうことで、誤りがそのまま盲信されて生き続けていってしまうことです。

今朝の新聞で、固定資産税の算定方法が40年間も誤っており余計に払っていた住宅街の記事がありました。専門家が運良く指摘したおかげで余分な税金の支払い例は年間数百件に登り、それでも氷山の一角なのだとか。

これなどは一度登録されたデータにはもう誰も検証する気にならないという盲点です。
こういう心理を狙えば、悪人はいくらでも裏をかくことができるでしょう。

情報の非対称性がモラルハザードを引き起こす



情報の非対称性とは経済用語で、相手よりもより有利なことを知っている事による利益/損失が生まれる条件のことです。
たとえば欠陥住宅を売り抜けたり。相手の知らないことを良いことに商談を有利に進めることなどなど。

証券会社なんてのはその最たるモノで、株屋といえば一番信用してはならない職業ではないでしょうか(笑)
金融業界は情報の非対称性をもって食い扶持を稼いでいるといっても過言ではないでしょう。

金融監督庁の監督方針の「金に関わる者はすべからく絶対的な性悪である」ことは、金融関係に関わっている人は身に沁みているはず。

情報の非対称性が生じた環境下では、双方が疑心暗鬼であり、道徳といったヒューマン性が稀薄していきます。

その行き着く先はモラルハザード。これからは公務員の犯罪が増えると私は予測します。
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咳・微熱があるときには食べてはならない (若返りのためにも節食が有効です) 
Saturday, October 3, 2015, 01:10 PM
10/3 晴 10時 浅草での空間線量は29ベクレル/立法メートル

実は先週土曜にとある集会に出たのですが、会場に入った瞬間、なんとなくムッとした息臭さで嫌な感じがしたのです。

会が始まってすぐに数人の老人が空咳をしてます。それにつられて隣の爺さんもしつこくゴホンゴホン。

小一時間で会合は終了し、ひさしぶりに居酒屋へいって同年代の方とおしゃべりをしてました。
なんでも社内で風邪が流行っていて、一週間寝込んだとのこと。病み上がりなので酒は適度にするというたわいのない話から雑談が始まりました。

そうするとオレもオレもとあちこちから同様の体験をして、口々にひどい風邪が流行っているねえと言い合ってました。

そんなどうでもいい話で居酒屋を切り上げて早々に帰宅しました。

翌日はなんか喉に違和感があるなあ、ちょっと嫌な気分で過ごしましたが、さらに次の日には完全に扁桃腺が腫れて食事の味もわかりません。

あちゃ~、やはりあそこで感染(うつ)された!

すぐに柿の葉茶をつくり、ビタミンCの多い食材を用意して臨戦態勢を整えます。

そしてお茶だけ飲んで、食事はお粥少々で済ませます。

熱が出たら、極力柿の葉茶と少々の塩分しか摂りません。

熱が出ているときは体内の酵素が全力でばい菌と戦っているため



食物を消化するためには、大量の酵素、そしてその素であるミネラルを消費します。

もし発熱中であるときに、体力をつけるためという名目で食事をすると、せっかくの体内で蓄えられている酵素が消化の方に回ってしまうからです。

結局、消化不良となり体力も落ちてしまうという真逆の結果となるのです。

えっ、そんなことを誰が言っているのかって?

プロ野球投手であった工藤公康氏が古田敦氏にテレビで語っていました。

過去ログ:最年長現役プロ野球選手の体調管理方法に学ぶ

それでも五日間は咳がでて、軽い頭痛で仕事ははかどりませんでした。軽い気管支炎のような感じです。

と愚痴っていたら、今年の風邪は平均二週間ほどなのだとか。

五日で済んだのが良いことだったのかはわかりませんが、やっと快調です。
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SmartPhone(スマホ)をお持ちの方はガイガーカウンターお一ついかが(4,980円) 
Saturday, October 3, 2015, 12:49 AM
http://akiba-pc.watch.impress.co.jp/docs/news/news/20151001_723733.html

(以下転載)
スマホをガイガーカウンター化、着脱式の放射線センサーがサンコーから登場
イヤフォンジャックに装着する小型タイプ

 スマートフォンがガイガーカウンターになるという着脱式の放射線センサー「超小型イヤホンジャックガイガー(SMTGEG4S)」がサンコーから発売された。店頭価格は税込4,980円(詳細は「今週見つけた新製品」参照のこと)

Android/iOS搭載スマートフォンに対応した超小型の放射線センサー

 この製品は、Android/iOS搭載スマートフォンに対応した超小型の放射線センサー。スマートフォンのイヤフォンジャックに本体を装着し、専用アプリを導入すると、線量が測定できるという。対応する放射線はX線とガンマ線。

 アプリにはメーター(単位μSv/h)や線量率(単位CPM)などの表示項目があり、測定時間の設定や、測定記録の保存も可能という。測定値が異常の場合に、自動的に補正する機能も備えているとのこと。

 本体サイズは直径10mm、長さ47mm。重量は6g。測定値範囲は0.1~200μSv/h(誤差±30%以下)。対応OSはAndroid 2.2以降、iOS 7.0以降。

[撮影協力:サンコーレアモノショップ秋葉原総本店]
(転載終り)

小型で安価な製品で使われる半導体式センサーのようです。
ガンマ線のみの計測ですから、α・β・γ三種の計測値にくらべて、当然ずっと低い値です。

でも放射線があるかどうかという遊びや日常の定点観測では十分ですし、なによりもスマホなので手軽です。
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笑気ガス・・・!?麻酔ガスで遊ぶならディーゼル車の排ガスをどうぞ 
Thursday, October 1, 2015, 03:01 PM
笑気ガスは18世紀からある麻酔ガスで化学の教科書には載っていたのかな。亜酸化窒素というやつで、痛みを完全には消せないが歯科医院などでは緊張緩和目的で使われていたそうです。

ただしあまり濃度が高いと酸欠となる危険があり、Wikipediaによれば今では医療現場では使われていないそうです。
亜酸化窒素自体は食品加工業でも使われるありふれた食品添加物の一つなのだとか。

ところがヨーロッパでは亜酸化窒素が盛り場で流行しており、国内でも危険ドラッグに代わるブツとして流通しているのだとか。

小型ボンベに詰めて「SIVAGUS(シバガス)」という名前で取引されているのだとか。もともとはホイップクリームマシーンで使うため製造されていたようです。

これを吸って死亡例が国内でも出始めているそうです。海外は何百人という単位で死んでます(笑)

血液のヘモグロビンと強く結びつく酸化窒素系ガスなんて、おいらは恐ろしくてとてもじゃないが、近づけることさえ嫌です。

まあバカはとっとと死ねばいいんです。

亜酸化窒素って、いま話題のディーゼル車にも関係があります。

亜酸化窒素(N2O)は尿素SCR搭載のディーゼル車ではN2Oが大量に排出されるのが現状のようです。

NOxとアンモニアとの酸化反応で、毒性が低いN2Oにしているということ。

そしてN2Oは二酸化炭素の300倍もの温暖化効果を出すガスということです。

結局クリーンディーゼルという名の下に、笑気ガスを振りまいて、温暖化を促進していたと言うことになります。

ヨーロッパのラテン系民族はみんな陽気と思ってますが、ひょっとしたら大気の排ガスでラリっているだけじゃないのかな?

参考URL:
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015090302000233.html
http://d.hatena.ne.jp/kaze-kaoru/20080905/1220571158
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異端の数 ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念(1) 
Thursday, October 1, 2015, 10:39 AM
10/1 曇 10時 浅草での空間線量は30ベクレル/立法メートル

布団で寝ながら読んでいる本を紹介します。
「異端の数 ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念」(林大(はやしまさる)訳 早川書房 2003)

ハヤカワ・ノンフェクションシリーズの一冊です。

翻訳書特有のの読みにくさが若干残っていますが、概ね読みやすいです。

ゼロの生い立ちのお話です。ゼロが西洋で認知されたのはそれほど昔ではないのです。どちらかというと新しい概念だということに驚かされます。

ゼロって空欄の桁という意味でしかなく、アリストテレスの幾何学にとって図や具体的な長さで表わすことができないものは無意味、つまり考える必要がなかったのです。

幾何学にとってゼロと無限は存在しない



すなわちゼロと無限は神の領域、もしくは神(創造主)そのものだと中世までヨーロッパでは信じられてきました。

ところがそれ以前に幾何学(天文学)がアラブを経由していきついたインドではゼロが受入れられていきます。

インド人は図形的な計算よりも、数字による式で計算する手法(代数)を好んだからです。
ユダヤ教では数字一つ一つに神の意味が含まれていると考えられています(カバラ論)

代数にゼロが運び込まれてきて一気にゼロは広まった



アラビア数字にだけ0はあってその他の数字、たとえばギリシャ数字(ⅠⅡⅢⅣⅤⅥ・・・)には、いまでもゼロはありません。

インド人がゼロを発見したといわれていますが、宗教的な背景が無かったので偏見なくゼロを受入れたのです。

一方中世ヨーロッパでは相変わらず無と無限は神の存在として、侵すべきではない領域として捉えられていました。

無と無限を否定するアリストテレス派のイエズス会デカルト



デカルトというと哲学者でもあり、空間や平面に座標という概念を用いることで、位置から形を数値だけで示すことができる発見をした偉大な数学者です。縦と横に目盛りをつけた平面をデカルト平面と呼ばれます。

こうして幾何学と代数は別の学問として存在していたのですが、空間や平面の図形も数式で表わせることで両者が融合していきます。

問題は「無」という概念をどう計ればいいのか?

パスカルが真空を実現ことで、この世に「無」があることを知る



物理学者のパスカルがどんな高性能なポンプでも水を吸い上げる上限があることに気づきます。
そしてガラスの筒に入れた水銀を逆さまにすると、上部に空間ができることに注目します。
有名な実験ですね。

さあ、この世に無(真空)というものがあることがパスカルによって証明されると、数字にも無があるほうが便利であることをカトリックでも認めざろうえなくなりました。

ゼロが微分積分という新たな宗派を生み出す!?



ゼロとは何か?無限とは何か?わからぬままに二人の天才数学者がゼロという概念をつかって新たな数学手法を導き出します。

ニュートンとライプニッツによる微分積分の概念です。

曲線の接線の傾きは二点間をどんどん狭めていけば求められる。また面積は短冊状に細分して、その幅を狭めていけば求められるという手法です。

ゼロってどこまでいけばゼロなんだ?そもそもdy/dxという微小の計算はゼロで割るという矛盾をはらんでいるのではないかと数学者には議論が尽きません。

ニュートンに至っては微小区間dxは二乗すると消えて無くなるというこじつけを用いています。

しかし物理学者・数学者(天文学者)らは、微分積分という微小区間を使うと、天体運動や物理運動が方程式で簡単に表すことができることに納得していきます。

「ゼロで割ってはいけない」というタブーは微積の概念で形骸化していくのです。

いつまでもゼロにならない微小なdyやdxは、神秘的な性質をもつものとして、幾何学、代数学につづく微積分という宗派が生まれたのです。

これが15世紀、ほんの400年前のお話です。

しかしこの微分積分、ゼロに限りなく近づけるという概念が、級数や複素数という広い世界への入口となっていきます。

(半分しか読んでいないので、(2)へ続きます

過去ログ:「ゼロ」が怖いよ、怖いよ~ひぃぃ (数論は神学論争なのである)
日本に「0」と「マイナス」の概念が入ったのはいつ頃なのか?

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天然ガス網が出来上がると日本の防災能力は向上する 
Tuesday, September 29, 2015, 05:58 PM
9/29 晴 10時 浅草での空間線量は33ベクレル/立法メートル

東名阪において、ガス導管網を経産省主導で整備する計画が発表されました。
これには大変メリットがあります。

1.地震でガス管が一箇所破損しても、迂回してガスを送れる
2.天然ガス受入れ基地から距離が離れていても液化して運ばなくてもよい
3.ガスのまま運べるので、国内で噴出するガスを直接送り込める

すなわちガスのコストの大部分を占める液化費用+国内輸送費の大幅な削減が見込まれると言うことです。

仙台で受入れたガスを1000km離れた大阪で使う


こんな芸当もガスなら全く問題ない。水道のようにポンプで途中途中揚水してあげる必要もありません。

もっとも海外の産油国からガスを運んでくるのには相変わらず無駄なコストがありますが、島国である以上は仕方ないことです。領海内大陸棚のガス油田に期待をしましょう。

やがて中国、九州へとパイプラインは延びていくでしょう。また北海道とつながればサハリンからの直接輸送も実現の可能性は高まります。でもこれは国際政治次第ですから生きている間に実現するかはわかりませんね。

ただ防災上でも防衛上でも唯一自前で確保可能な天然ガスを活用できるインフラができるのは諸手を挙げて歓迎します。

もし日本全国に天然ガス網ができあがれば、自動車も天然ガス車や燃料電池車が主流になるかもしれません。
ガソリンやディーゼル機関はよほどの田舎か僻地でしか観れなくなるかも知れません。
それか工事現場や戦車などの軍用車ぐらいになったりして。

都市の基幹線とよばれるガス管を数年前に見たことがあります。
東京のど真ん中で高層ビルに供給している基幹線でも直径600ミリしかありません。(ひょっとしたらもっと細いかも)
そこから100ミリ程度の枝線が延びて、商業ビルや住宅地区に接続されています。

ガス管は上下水道と違って細いのです。

東京では新たな築地魚市場の隣に東京ガスの施設「ガスてな~に」があります。そこで実物の埋設されているガス管を見ることができます。

枝線は柔軟のあるプラスチックになっていますから、多少曲がってもガス漏れはしません。かつてはガス管を接続するには、近隣のガス供給を止めて高度な熔接技術をもつ作業員が鉄管を繋いでいたそうです。

いまでは継ぎ手で繋いだら、あとは電熱でつながってしまうのであっというまに終りの作業なんだとか。

埋めてあるガス管を掘り出す作業は今も昔も慎重であることには代わりはありません。
しかし下水道内にガス管を通させてもらうなど、水道局とも協力している地域もあるようです。

ガスパイプ網の整備でガスの利用はこれから注目されて、進み出すでしょう。


読売新聞 9月28日(月)16時59分配信
三大都市圏結ぶガス管網、整備へ…災害対策強化
(写真:読売新聞)

 経済産業省は、東京と大阪、名古屋の3大都市圏を結ぶガス導管網の整備計画を策定する方針を固めた。

 都市ガスを大都市間でやり取りできるようにして、災害対策の強化や、ガス会社間の競争の促進につなげる狙いがある。民間会社の経営判断に委ねてきたガス導管網整備を国主導に転換する。

 経産省の有識者会議が、年度内にも整備方針をまとめる。この方針に基づき、都市ガスを液化天然ガス(LNG)の受け入れ基地から家庭まで運ぶガス導管網を建設する会社への財政支援なども検討する。建設に対する補助や、事業者が支払う新しいガス導管の使用料を通じて整備費用を回収する仕組みを設ける案などが浮上している。

 主要なパイプラインとして具体的には、LNG基地が集まる3大都市圏を結ぶ「太平洋ルート」と、新潟県を経由する「日本海ルート」を想定している。現在、太平洋側は神奈川県と静岡県の間(約80キロ・メートル)、日本海側は富山県と滋賀県の間(約280キロ・メートル)の整備が必要となっている。

最終更新:9月28日(月)17時1分


「エコロジーという洗脳 地球温暖化サギ・エコ利権を暴く」 2008年 成甲書房
では私が「ガス立国を目指せ」というタイトルで一章書いております。

そこから8年前のガスパイプライン網(建設予定も含む)を掲載しておきます。

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うつ病者のいる仕事場は「正直マジ勘弁」です 
Monday, September 28, 2015, 08:22 AM
9/28 晴 10時 浅草での空間線量は33ベクレル/立法メートル

先日、いまでも思い出す不愉快な体験をしました。

仕事先の担当の年配者(60歳前後)の方ですが、初対面のときは愛想が良く、軽口をいう気さくな人でした。
私も当初は優しそうな人で安心していました。

一週間ほどあけて、再び会いました。
いつもの通り、私が挨拶しても、会釈もなければ返事もなく、いわゆるガン無視ってやつです。
「あれっ、なんかとても機嫌が悪いな?よほど体調が悪いのだろうか?」

いつもなら手持ちぶさたなときには、天気が悪いですねえとか当たり障りのない会話をするのですけども、一切無い。いや、私がそばで今日も天気が崩れそうですねえとか言って話をもちかけるのですけども、全く無視で顔を合わせようともしません。

当初は体調が悪いのだろうと思っていましたが、それから毎日、こうも無視されてしまっては、たぶんなんか怒らす原因があるのかと逡巡しましたけど、思い当たる節がない。

原因が私にあっても、わかりませんから、とりあえずはこちらも話しかけることは控えました。

だんだん奇行が目立つようになる



私への態度以外はごく普通のように見えます。が、ある日のこと仕事を終えて帰るときに、箒(ほうき)で掃いてなかなか帰ろうとはしません。

その人が帰らないと、我々も帰られないのです(泣)

きまじめな人だなあと陰ではみんなで囁いていたのですが、とつぜん箒を放り投げて、何も言わずに部屋を出て行ったと思ったら、一言もなく車に乗込むと荒っぽく運転して帰ってしまいました。

一同唖然。

残された我々は、何かあったのかとちょっと気にして帰りました。

こういう日が何日も続くと、周囲もなんとなく雰囲気が悪くなっていきます。誰もが「ちょっと何考えているかわからん気難しい人だな」と感じるようになります。

もらった名刺には所属が「社長室付」とあり具体的な部署名がありません。
私だけはピンときました。

これらは鬱病の典型的なパターン行動です



はたからみると、有能で社長の片腕なのかと勘違いしてしまいます。
おそらくこれまでも仕事先で不評をかっていたのでしょう。だから具体的なポストが与えられずに社長室付という仮の所属なのです。
この会社の社長はよく知ってますが、社長だって作業着で飛び回っている普通の中小企業です。社長室なんてあるかい(爆)

結局、報告や相談は<その人>を避けて、他の社員の人にするようになりました。
こうなると、ますます<その人>は離れたところで1人ごそごそと作業をするようになります。たとえば掃除とか写真撮影とか、誰も求めていないことばかり。

そして「おつかれさま」の一言もなくふら~っと帰ってしまう。

一週間もすれば、周囲の人たちも存在を無視しているので実害は何もないです。どうせ請負仕事で二度と会うことはないでしょうから。

過去、会社員だったときにも、このタイプに関わったことがあります。地方支店の総務課長が鬱病となり、本社総務部に戻ってきました。最悪なことに私の上司です(笑)社内には同期がいるらしく、久しぶりに会う同期とは明るく笑顔でしゃべるのですが、自分の机に戻ると他の人格になります。

一日かけて社内回覧板を一心不乱につくる

ワープロがあるのに、手書きで回覧板のチェック表を書いては、線が曲がっているとか言って延々と書き直すのです。隣の事務の女の子が困惑してましたっけ。

いきなり怒り出すというのもよくあることで、始業時に部員が着席していないとわめいてました。朝バタバタしているときに何十人もいる部署で全員座って待機しているわけねえだろ。

地方支店から栄転してきた人物と当初はみんな思っていたのですが、だんだん部員が気づきます。

「手に負えないから本社の掃きだめ部署に捨てられただな」

万年課長としてづっと部屋に閉じ籠もってました。主な仕事はコピー用紙の補充と回覧板の作成です。事務の女の子が迷惑がってましたっけ。

こういう職場のキチガイとの遭遇経験が私は豊富なので(笑)、今回の仕事先の人もすぐに<心が病んでいる>とわかりました。

<心が病んでいる>人がいたらどうすればよいのか?

まずは、近づかない、関わらない、無理に話しかけたりしないことです。

慈悲やお節介心を出すと、必ず裏切られます。
たとえば、監視していると逆恨みされたり、自分の失敗を他人の失敗のように思いこみます。自分の知らないところで根も葉もない噂をたてられたりしますから。

家族でないかぎり関わっちゃいけませんね。

心が壊れた人間はたぶん元通りには戻りません



ドライフルーツを水に浸けても果物にもどらないように、人間もおなじなんでしょうね。
痴呆症と鬱病は私は同じだと思ってます。

不運にもそういう人と関わってしまったら、とりあえずは距離をとることがお互いのために一番でしょう。

なぜなら鬱病は伝染するからです。
冗談のようですが、鬱病らしき人を見たら同病は他にもいるだろうと見たほうが安全です。

過去ログ: 検索キーワード:うつ病:
なぜこんなに引き籠もり精神病者が多いのか?ソフトドラッグ化する食品
群馬大学医学部/第二外科/助教授の内視鏡手術
夏目漱石「こころ」の先生は典型的なうつ病
若返りにも癌退治にも効く糖質(炭水化物)断ち
寝過ぎるとしばらくぼーっとしますね
うつ病は伝染病だから隔離が正しい
副島隆彦の掲示板で老医者の独白の衝撃がじわじわ広がっている
少食健康法はメタボに“効く~ッ”(メモ)
ハイルシュトレンストーンご愛用の皆様へ(Vol.008)
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筆誅(ひっちゅう)という言葉こそふさわしい山崎豊子の情熱 
Sunday, September 27, 2015, 10:40 PM
NHK特集山崎豊子を見終ったので、その勢いで書いています。

高校生のときには石牟礼道子(いしむれ みちこ)の苦海浄土や山崎豊子の複合汚染を読みました。
小説と言うよりもドキュメンタリーとして読んでましたね。
このような問題が現実あるににも関わらず、社会は変わらないのか?
これが率直な幼い頃の私の憤懣やるせない感想です。

山崎豊子といえば「白い巨塔」が代表作でしょう。
家族で田宮二郎のドラマを幼少で観て、最近では唐沢寿明版の白い巨塔の感想を8年前に書いています。
過去ログ:山崎豊子「不毛地帯」ラッキードF104を観に多摩を行く
山崎豊子「白い巨塔」を今ごろ観ています


原作が昭和38年ですから、癌はお陀仏覚悟の病気でした。いまでもそれに近い感覚ですが

ガンは本当はすぐに死ぬ病気ではない



のはここ数年の医学界での共通認識に成りつつあります。

それはすなわち

ずっと無視されてきた、千島喜久男博士の「腸内造血論」そのものです




過去ログ:千島喜久男:
パーキンソン病はiPSで治せるのかお手並み拝見
細胞はリサイクルされる プロテアソームの機能
STAP細胞と同じく鳥取大「癌は容易に正常細胞や良性細胞へ変換できること」も注目すべき発見である
千島喜久男博士の説が「オートファジー説」という名で復活!(細胞は血液に戻るのである)
微量放射線は痛みを消し去るのです
なんで俺が!と悪態つかれても困ります
「自然な療法のほうがガンを治す」今村光一著
選択肢のある社会こそ豊かな社会なのである!
体臭で病気がわかる!?
新陳代謝を良くすることと健康についてのご質問
ハイルシュトレンストーンご愛用の皆様へ(Vol.013)
過去ログから抜粋します
千島学説の骨子は、血液(赤血球)が身体の筋肉などの組織となり、また逆に不要な細胞や壊れた細胞は再び血液に戻って排泄されるという説です。
だからこそ、血液をつくりだす腸・消化器官を最優先にした生活習慣をしなさいという千島博士の助言がすべてだと考えております。


ガン細胞というのはない!のです。(本当は)
ガン細胞=赤血球による排毒の作用(つまり血液によるニキビのようなもの)


だから体液が正常に戻れば、自然とガン細胞はふたたび血液に戻っていく



この理論を実践したのが、西式健康法であり、草食・少食・咀嚼の3Sを実践する甲田式健康法です。

いま8年前のブログを自分で読んでますけど、ちゃんといいこと書いてますよ(笑)

千島喜久男博士の娘さんは60歳当たりで肺癌末期を宣告されてますが、なにもせずにたぶん90歳あたりまで天寿を全うされているはずです。

私の知り合いの奥様も30代後半で子宮癌を宣告されて・・・大阪の八尾の甲田医院に数度通っただけで、いまでも普通に元気に子育てを終えて、普通の主婦です(笑)

NHK特集「山崎豊子」を観て、すこし自分が書き殴っていたものをもう一度掘り返してみました。
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将を射んと欲すれば先ず馬を射よ 
Saturday, September 26, 2015, 02:48 PM
9/25 曇 10時 浅草での空間線量は34ベクレル/立法メートル

ドイツ車のディーゼルエンジン排ガス不正事件の影響が広がっています。

クルマの修理業界ではフォルクスワーゲンの謳うクリーンディーゼルなるものへの疑惑はずいぶん前からあったようです。また浄化性能とそのコストが釣り合わないという疑問は同業他社からもあったようです。

ヨーロッパでは販売される自動車の半数がディーゼルです。
日本人だと経済性で選ばれているのかと思いますが、あちらに行けばわかりますけども、ディーゼル用の軽油はガソリンとほとんど値段が違いません。

ついでに言えば日本のガソリンの値段とほぼ同じです。日本は揮発油税に消費税がかけられる二階建ての値段なので、ガソリンや軽油の原価を比較すればヨーロッパでの感覚は6割増です。

つまり日本と同様に燃料はとても貴重に感じるということ。
1リッターあたり同じ値段でもディーゼルは2割ほど燃費がよいです。
また低回転でもトルクがあるので結果的には長持ちします。

ディーゼルは経済性では優位ですね。また昔は植物油や低精錬油でも動いたので途上国や僻地でも使われたそうです。
ところがそれが裏目で、大気汚染の元凶ともみなされてきました。

ディーゼル車の多いヨーロッパ、とくにフランスのパリは大気汚染が深刻で、とうとう車両流入規制となったというニュースが流れています。

そりゃそうだ、ぜんぜん浄化機能が働かない車があふれていればなあ。
クリーンという言葉に騙されて、環境をダーティーにしているのだからバカな話だと思います。

不正問題の発見がアメリカという点であること、そして習近平国家主席の訪米にあわせて発表されたということからもドイツへの牽制という意味があるのでしょう。

キンピラさんはボーイング737を300機購入すると言って、南沙諸島での軍事挑発をかわす力業を見せましたが、やっぱりアメリカの方が上手ですね。

ドイツ車の信頼にはそうとう大きなダメージを与えました。メルケルさんも中国へ秋波を送っている場合じゃなくなりました。

ドイツの友人が来日する度に、お土産を頂いています。何が良いかと訊ねられて

最初はステッドラー(STAEDTLER)やロットリング(ROTRING)の筆記具をねだってました。
・・・ただ期待しているほどよくない。最初はよくても書き味がすぐダメになる。
フランス製の筆記具も同様ですね。もちろん高級品は別格ですよ。日常品はがっかりです。

つぎにヘンケルスの爪切りをもらいました。

・・・爪がギザギザになるほど切れ味が悪い・・・

翌年も懲りずにゾーリンゲンの爪切りを買ってきてもらいました。

・・・切れ味はやはり最悪です。ドイツの刃物は包丁をふくめて日本製には遠く及びません。
期待はずれに落胆していると
友人曰く、爪は最後にヤスリで磨くからそれでいいんだと(笑)

逆に日本で関の爪切りを買っていきました。家族には日本製が人気だからだそうです。

ドイツやフランスの工業製品は(よく言えば)非常に保守的です。ちょっと改良すればいいのにとか、問題点があってもユーザー側が対処しろというものが多い。

正直中国製のパチモンの方がまし



1980年後半バブル時代にはBMWやベンツが大変流行りました。重厚さとノブにまで伝わるドイツ流儀に感心したことがあります。たとえばエアコンの温度調整は視点移動をしなくても済むようにダイアル式を頑なに守ったり、ファミリーカーでは子供による誤動作があるため、後部ドアは窓は電動化しないという合理的なゲルマン主義があふれていたのです。

グローバル化でいまでは面影はさっぱりですね。

頑なといえば、ポルシェが代表かもしれません。空冷エンジンに固執して水冷となったのは15年ほど前の話。
なんで高性能スポーツカーの代名詞であるポルシェがいつまでも水冷とならなかったのかというと・・・新規設備をいれることを経営陣は拒んでいたからという説があります。出典は漫画「湾岸ミッドナイト」(笑)

旧来の製造設備で儲かればそれでいいじゃん



別の言い方をすれば「寝た子は起こすな」といった考えがヨーロッパ(特に独仏)の工業製品には結構徹底している気がします。
家電製品にも共通していて、伝統的なデザインが好まれるのは国民性なのでしょう。
でもSONYやPanasonic、Pionieerといった日本製も普通の家庭にはあふれてますよ。

ドイツ人は社会主義が大好き



規律統制を好みます。労働時間の制限もいち早く導入した国ではないでしょうか。
プロテスタンティズムが根付いているからでしょうか。

メルケルさんも東ドイツ出身ですし、

そもそもドイツはロシアと中国にはイデオロギーでは親和性が高い



今後もアメリカはヨーロッパと中国の結びつきに警戒を解くことはないでしょう。

将を射んと欲すれば先ず馬を射よ

これからも第二第三のVW問題が出てくるでしょう。

ドイツの主要産業は自動車以外にも、工業機械、化学製品です。もっとも本丸のフランクフルトの金融機関が叩かれるかもしれません。

日本でも自動車貿易摩擦の後は護送船団方式がやり玉になりました



欧州中央銀行(ECB)、ドイツバング、コメルツなどでスキャンダル事件がおきるかもしれませんね。;
日本でもノーパンしゃぶしゃぶがありましたしね。
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NHKとレコード会社が手を結ぶ販促番組「SONGS」は民報でやれ! 
Saturday, September 26, 2015, 12:04 AM
NHK「SONGS」という宣伝目的の番組にはまじめに観ると戸惑います

NHK「SONGS]では矢沢永吉でした。
幕張メッセでのコンサートを追って、俳優の山田孝之(31)が<枯れた>矢沢永吉(66)を追いかけるという流れです。

前回は浜田省吾が珍しくNHKででたので、これも録画しておりました。SONGSという番組は有名歌手(だった)が新作CDの発売でもちこんだ企画なのでしょう。

浜省もおなじく番組では販売するCDの新曲と全国ツアーの紹介でした。これはカラオケ屋のプロモーションビデオを見ているような内容でした。

井上陽水のSONGSも録画されていたので、見てみました。
これは自身の歌ではなく、他の歌手のものを歌うという企画です。
歌手が違うと、また違った叙情がでるのですね。

しかしこれも、販売される井上陽水「Covers2」というCDの振りだったのです。

民報だったらいくらでもCDの発売に合わせて特集したらいいでしょうが、

NHKでCDプロモーションをするのが気にくわないです



サザンオールスターズでもそうですが、視聴率がとれるからとレコード会社とNHKが手を組むわけです。

もちろん裏では金が動いているでしょう



NHKは公共放送でも、中立な放送局でもありません。
内部監査もされない危険なメディアです。

NHKの音楽番組からはその腐臭がぷんぷん臭ってくるのです。
まだ民報の(たとえばMステ)などは宣伝とかプロモーションと互いに開き直っているから、まだ納得して観れます。

NHKの歌番組なんて紅白だけでいい


(いえ、紅白歌合戦なんて前時代の番組など消えて欲しいと思ってます)

歌手、たとえば桑田佳祐、矢沢永吉や浜田省吾、井上陽水、谷村新司・・・といった才能ある人たちを崇めるのはよいです。私も大好きですもの。

でもね、それをNHKが無理やり神格化しているような番組に反吐が出ます。

60過ぎの爺が画面でかっこつけてるのを視聴者は戸惑うだけ



70近くで仮面ライダーの面影を無理やり演出させられている藤岡猛を観て、痛々しさを感じるのは仮面ライダーで育った世代の私だから思うのでしょうか。

実生活では「おじいちゃんオクスリの時間ですよ」と介護されているのかもしれません。

この番組のプロデューサーに対しては

NHKの傘をかぶって悪のりしているようにしか思えません



NHKはニュースと解説、そして教育テレビだけやってくれればいいです。
それ以上は断固反対します。

NHKが民報の領域を浸蝕してぶくぶく太り続けている、その良い例がSONGSという番組です。


過去ログ:NHK「SONGS」のひどさ (スタジオライブのように見せて口パク)
テレビ番組のリクエスト名曲選に名曲無し
ジョンレノンが嫌いって人、結構いますよね 現実感のない「ラブ&ピース」病
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気圧計(高度計)はアナログに限る 
Friday, September 25, 2015, 02:51 PM
9/24 雨 10時 浅草での空間線量は36ベクレル/立法メートル

昨日は電器量販店に立ち寄ってみましたが、24時間表示のアナログ時計はないとのことなので、側の電卓コーナーを眺めてました。

関数電卓が数千円で並んでいます。驚いたのはその機能の豊富さと、グラフや式をそのまま表示できるなどの表示能力が素晴しいです。メニューも日本語化されていて操作性もとても高い。

私が持っていた関数電卓は3万円もした割には手に余りました。一応プログラマブルなのですが数回BASICを打ち込んだだけで放り投げました。当時はパソコンはとても高価なうえに、やっと一般でも使えるアプリケーションで一太郎とLotus1-2-3といった表計算ソフトも出始めた頃でした。学生でパソコンを持っているのはボンボンで、せいぜい買えるのは関数電卓だけでした。

かつてはコンピュータの結果を検証するために、電卓叩いて概算する必要があり、会社員の頃はコンピュータの横にはたいてい電卓がありました。いまでは笑い話です。

誰もがコンピュータの打ち出す数値はまず疑ってかかるのが基本姿勢でしたから。

これだけボタンが並ぶ関数電卓を使いこなしている人ってどんな人?



想像できません(笑)
マニュアルを読むだけでも大変です。
工業系高校や大学の理工学部でも三角関数と対数計算、あとべき乗程度でしか使ったことがない。

そろばん塾があるのならば、電卓塾もあってしかるべきなのに、そんな塾はついぞ聞いたことがありません。
どうやって使ったらいいか気が重くなるのが関数電卓というやつです。

関数電卓はCASIO、SHARP、CANONが国内メーカーでアメリカではHPです。
でも値段と機能ではCASIO、SHARPがほぼ市場を独占していると思います。

下の週刊アスキーの記事では、英語がネイティブの人たちでも関数電卓には苦労しているようです。だって表示されている英語の意味がわからねえもん(笑)

参考)週刊アスキーの紹介記事
http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/339/339010/

CASIOの最新機種を眺めて、ふと気圧計(高度計)が欲しくなりました。

CASIOの腕時計PRO-TREKシリーズやG-SHOCKシリーズに高度計付のものがあることは知っているし、身近にも使っている人は多いのですが、いろいろと操作が難儀です。

山の上で現在の標高を調べようと各自が腕時計の数値を口々に言いますが、ぜったい一致しません。
気圧を高度に変換しているだけなので、出発時のゼロ補正の有無や天候で誤差がかならずでます。

結局、国土地理院の地図を出して、等高線を数えるはめになります。
もしくはGPS受信機まで出して、さらにケンケンガクガクになることがあります。しかしどれも数十メーターから100m程度の誤差はでてしまいます。(GPSでも高度はそれほど精度がよくないのです)

こまめに水準点で補正を加えなければ、表示される数値の信頼性がないということがデジタルの欠点です。

だいたいでいいんだよ



みなさん高価な機器を持ってますが、結局はこんな結論に落ち着くのです。標高差は概算でいいのです。

それよりも大事なのは、傾向をみることです。

天気が崩れてくると、気圧が低下していきますから、天候の予測に役立ちます。
ぱっとみて、理解できるアナログ式が気圧計ならば便利です。

そこで壁掛け時計のコーナーで、気圧計は置いてあるかを訊ねてみました。温度計や乾湿計付の時計は置いてあるのですが、どうやら壁掛け時計型の気圧計はありませんでした。

望遠鏡・双眼鏡のコーナーならばあるかもと言われたので、そちらに行ってみるとありました。

望遠鏡メーカーのVixen(ビクセン)とSPALDINGのブランドの2つが置いてありますが、どちらも東京計器という会社が製造元のようです。

私は軽いVixenの高度計(気圧計)を買いました。

机においてたまに見てみると、針が動いています。写真ではダイアルを太陽と雲の中間にしておいたのですが、今朝では針は右(気圧が下がっている)になってます。標高差でいえば40~60mという僅かな変化です。

天気は朝から雨です。
台風ではもっと大きく下がるそうで、今から楽しみです。



Vixenの高度(気圧)計は、とてもためになるのが、同封されている「Vixen高度計AL説明書」「気象についての豆知識」という紙が入っています。

豆知識といいながらとても中身が濃いです。

だいたい説明書の最初の文は

高度計(気圧計)は非常に面白いものです。



こんな魅力的な言葉から始まる説明書は初めてです(笑)そしてその通りです。Amazonへ飛びます
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なんでアナログ時計では一周12時間なのだろう? 
Thursday, September 24, 2015, 08:59 PM
9/23 晴 10時 浅草での空間線量は36ベクレル/立法メートル

私は常に腕時計をしていないと落ち着きません。弊社ラジウムブレスレットと腕時計は常に腕にあります。

長年愛用しているカシオのデジタル時計とセイコーのアナログ時計を交互に使っています。
なぜ交互なのかというと、自動巻だから数日置きに使ってやらないと止まってしまうからです。
あ~めんどくせえ。

さらに作業で傷ついて良いような安物のデジタルが一本あります。
どれも一長一短があり、いまだ理想の腕時計はないような気がします。というか永遠にないかもしれません。

デジタルは暗闇だと見えないし、アナログは一旦外すと、針が光っていても一旦腕に巻かないとわかりません。
しかもデジタルは常に24時間表示にしているのでアナログだと短針+12を無意識にしなければならない。

壁掛け時計もデジタルとアナログと部屋毎に違うのでアナログ時計は些細なストレスを感じてしまいます。
つまり私はデジタル派なんでしょう。

ところがアナログ時計も時と場所によっては、とても便利に感じます。
たとえば、なんかの作業をしていて、残りは何時間で完了して、何時には終わるなあといった概算をしたいときにはデジタルよりも断然アナログが便利です。

また長針の先にベゼルを合わせておけば、経過時間が一目でわかります。デジタル時計だと何時何分に作業を始めたかを覚えておかねば成りません。

東京では駅やデパートといった商業施設には駐車場や自転車置き場があります。
たいてい1時間無料とか2時間までは無料となっています。

こういう場合はデジタル時計で今何時何分と確認しておかねばなりません。アナログは長針位置にベゼルの目印を留めておくだけです。(アナログでもダイバーウォッチタイプです)

私の問題はアナログ時計は24時間で表示されないというこの一点だけなのです。

短針が一日で一周するタイプの腕時計もかつてはあったようです。右半分もしくは下半分が午前、下半分もしくは上半分が午後を表示します。地表から見た太陽の位置と同期していますね。

なんでアナログ時計は一周12時間なのか?

いろいろ諸説はあるのでしょう。
最初に思いつくのは、内部の歯車が作りやすいからかもしれません。
でも短針の歯車を倍(歯数が倍で直径も倍になる)にしてやるだけでいいのですから、変更は簡単なはずです。
というか時計は基本的には4つか5つの歯車でしかないですから部品の精度と材質ぐらいしかコスト要因はないのです。

ほかには日本でも時刻を12支で表したように、古代エジプトでも夜と昼を12分割していたからという説もあるようです。

また日時計がそもそも時計の起源だからという説もあります。
影が一周するので、それに目盛りを付けるだけですが、円の分割は12進数の方が良いという意見です。

http://q.hatena.ne.jp/1269587165

12進数の方が都合がよい?



http://www.infonet.co.jp/ueyama/ip/episode/mod12.html

日時計の影は1日で円を一回転する。太陽は空の円軌道を1日で一回りする。 ところが、円は十分割することが難しい。幾何学的に作図によって十分割することは殆ど不可能である。 円の分割は六分割が最も容易で、半径の長さで円弧を切り分けてゆけばよい。 このことによって、六分割の倍の十二分割が生まれ、十二進数が用いられるのである。

 円の全周が360度となったのもこのためである。 十二支 (ね、うし、とら、う) や、黄道十二宮 (星占いで使われる十二の星座) もすべてこれから来ている。


円を幾何学的に、すなわち定規とコンパスだけで12分割するのは用意だからという説です。

なんとなく、これがしっくりするような気がします。

でも昼夜関わらず活動する現代においては、やはり24時間で一周する腕時計が無性に欲しくなり、秋葉原のヨドバシカメラに行ってみました。

ここなら24時間表示の腕時計が置いてあるかと思いましたが、店員さん曰く、海外ブランドならあったかも・・・という返答。
このあとも店員さんに尋ねてみましたが、一日で短針が一周する24時間表示の時計はないとのこと。

もちろん高級ブランドにはGMT針という普通の秒針・分針・時針の3本に加えて24時間で一周する針を備えている「ワールドタイム機能」を備えているものはあります。

つまり4本も針がある。

その4本目の針に現在地を合わせると目的地、たとえばニューヨークの時刻がわかるというものです。それだけの使い方。

値段はすごいですね~(笑)

普通のクオーツ時計では24時間で一周する針を持つ腕時計は見あたりませんでした。

しかし12進数だったからという回答をネットから得られたのは収穫です。

なるほどお
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「ゼロ」が怖いよ、怖いよ~ひぃぃ (数論は神学論争なのである) 
Wednesday, September 23, 2015, 02:24 PM
9/23 晴 10時 浅草での空間線量は30ベクレル/立法メートル

さいきん副島隆彦先生と、ゼロ(0)はいつ頃から世界に定着したのだろうという話題になりました。
日本においても、世界においても数学史は思想の変遷を理解する上でも重要だからです。

たかがゼロ、されどゼロ



江戸時代の数学者、関孝和(せきこうわ、せきたかかず)や渋川春海(しぶかわしゅんかい)は算木(さんぎ)という計算道具を用いていました。といってもマッチ棒でもかまわないのですが、マス目の紙がが必要です。

数値のない桁はマス目が空欄なので、計算では○とします。これで明示的に「何もないこと」を示しています。
この算木の記録をみて、私は1650年あたりから日本でもゼロの概念が数学者(暦師・陰陽師、算法家)では一般化していたのだと思いました。

ところがところが、ゼロはそんなに甘い存在ではなかったのです。

同時期にはライプニッツという哲学者・数学者が残した筆算には、現在の我々とまったく同じ筆算であり、しっかり0が残されています。

それまで「0」ってなかったのか?



そんな疑問を口にした瞬間、副島隆彦先生が仰いました。

副島:「ゼロの歴史は思想の衝突の歴史なんだ!いいか、私はモノをゼロ持ってますなんて言い方はないのだ。数え始めはかならず1からが人類の共通概念だったんだ」

それでも今では疑問も持たずに、数字のゼロを書いてますよねと応えると

副島:「おまえは浅はかだから、ゼロが認知されるまで、どれほどの恐ろしい闘いがあったのかしらんのだ!
ゼロのために地位を失った者、命を失った者、迫害された者死屍累々の歴史がゼロの後には見え隠れしているのだぞ!」

まさに「ゼロの闇」がこの数字の背後には隠れていたのですね・・・数学者たちはこうした背景を知っているのでしょうか?

副島:「ゼロは1とか2といった数字の仲間かどうかを数学者に訊ねてみたらよい。ほとんどの数学者は耳を塞いで逃げ出すだろう。
私(副島)がある数学者に伺ったところ、数直線やグラフに示される<ゼロ>は数字のゼロではなく英語のオー(original:原点)という意味であって、あれは数字ではないと言いはっていたぞ

えっ!?あれはゼロではなくオーだったんですか!?この47年間騙されてました!

副島:「ゼロはどんな数にもかけたら無になるし、ゼロで割ると・・・」

ゼロで割ると・・・ゴクリ・・・

副島:「数字の秩序が崩壊するのだ!数直線という概念が雲散霧消と化すのだ!いきなり無限という概念が目の前に出現してしまう!」

ゼロは何もないのではなく、いきなり宇宙の果てをも飛び越える数が生まれるのですね。

副島:「だからいまでも哲学者・数学者は<ゼロを話題にしたくない>のだ。
ゼロに取り憑かれると同時に無限にも取り憑かれてしまい、いつまでも行き着けない極限の世界に放り込まれてしまうからだ」

青筋をたてながら口角泡を飛ばして言い終わると、ああコワイコワイとつぶやいて、隣の寝室で布団をかぶってしまいました。

大きな身体をまるめて布団の中でも「あ~ゼロこわいこわい」とつぶやいています。

私たち弟子は、怖い物知らずの副島先生がこれだけ怯えるのならば、「ゼロ」は本当に怖いものなのだなと思いました。

そこで念のために、他に怖いものはないのか布団をかぶって震えている先生の側に寄って聞いてみました。

副島:「・・・布団にもぐりこんでくる若いオンナが怖い」
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「数学×思考=ざっくりと いかにして問題をとくか」竹内薫 丸善出版 
Tuesday, September 22, 2015, 05:19 PM
9/22 晴 10時 浅草での空間線量は26ベクレル/立法メートル

おもしろくてさっと読める本を手にしました。
「数学×思考=ざっくりと いかにして問題をとくか」竹内薫 丸善出版 平成26年4月

昨年に出版された本ですね。サイエンスライター竹内薫が数学者ポリアの名著『いかにして問題を解くか』をもっと敷居を低くしたいということで企画された本です。

昨晩から読んで今感想を書いています。(2,3時間で十分読めます)

竹内薫という方は40歳までは広告宣伝効果を見積もるデータアナリストという職業だったそうで、その分析結果をクライアントに売るというコンサルタントをされていたそうです。

サンプルデータや市場調査結果から売上予測を立てるお仕事です。

一見ランダムで無秩序にみえるデータを手持ちの知っている限りの分布の形にあわせて(こじつけて)ご託宣(たくせん)を告げるという巫女か神官みたいな役割をしていたそうです。

グラフや関数にこじつけるのが、その分析者の職人技というもので、同じデータであっても分析者によっては直線で近似したり、二次関数で近似したりと差が出ます。もちろん結果が外れたらクビ(笑)

最近ではビッグデータを通信や運輸会社が扱うようになったので、だんだん職人技(個人の資質)がいらなくなってきたそうです。将来予測はどんどん個人では太刀打ちできない大規模データの保有者が有利になっています。

またかつては企業でしか持てなかった高性能なコンピュータが安価になったということも影響が大きいです。

MS-Excelでは最少二乗近似グラフは標準装備されてますしね


(実験データを手作業で差異を二乗して計算するなんて嫌に成っちゃいますよね)

市場調査や品質管理、実験結果は社内でできるようになったので外部に委託はよほどの大企業ではないとやらないのじゃないかな。

ちなみに、統計ソフトでSAS(サス)というソフトウェアがあります。統計屋さんは100%これを使います。業界標準です。25年前にはIBMの大型機でしかお目にかかることはなかったのですが、いまではパソコン用があり、個人でも購入できます。

さらに余談ですが、業界標準というと工学系では設計ではAUTOCAD(オートキャド)、数値計算ではMathematica(マスマティカ)、構造力学ではNASTRAN(ナストラン)というどちらも超有名でメジャーなソフトがあります。

上記のソフトはどれも一本数千万円という値段だったし、大型機で稼動するもので、会社員のときは動かしてもらうためには、計算機室の管理者を拝み倒して脇でちょっと使わせてもらうようなものでした。

MathematicaはMacintosh用があったのですが、当時は稼動するMacⅡでさえも数百万円でしたからご神体のように扱われてましたっけ。

いまでは個人用に販売されていますし、理工系大学では授業でも使われ、自由に触らせているそうです。電卓と手書きで方眼紙にグラフをとっていた私の頃とはえらい違いです。竹内薫さんには世代的には近さを感じます。

話を戻します。

たとえば電通や博報堂のような広告代理店では、過去の視聴率となんらかの因果関係に関する適切なモデルが出来上がっていれば、コンピュータに放り込めば、誰でも簡単に答えが出てくるようになりました。国政選挙では事前にそうとう正確に当確予想ができると言われています。このように

問題解決には数学的処理が有効である



それでは、我々一般人にも数学的な知識は必要かという問いかけから、本書は始まっています。
40年前に発行された『いかにして問題を解くか』は欧米では知識人の必読とまで思われているのに、なぜか日本では話題にならない。

ということで竹内薫氏が<ざっくりと>数学者ポリアの言いたいことを平易な語り口でまとめたものです。

ざっくりと推定することは誰でもやっていること



まず最初にフェルミ推定という聞き慣れない言葉がでてきます。フェルミさんが考えたのでしょうけども、そんなことはどうでもいいです。
見積もりをするときに、誰もがざっくりとこんなものという数字をだしますよね。
工学系では「オーダー的には~」と言うことがありますが、だいたい桁があってればオッケーってな意味です。
たとえば仕事で自動車が必要になったので、予算をたてなければならない状況になったとします。
せいぜい200か300万円でしょう。5000万円とか、はたまた10万円という概算をする人はいませんね。
これがオーダー的に正しいという意味。(正確にはもっと詳しい定義はあります)
車種が決まらない状況では150万円でも正しいし、500万円でも正しいのです。

生活や仕事をする上で、この<ざっくりした>考え方はとても重要で、ご自身を見渡せばいくらでも思い浮かぶでしょう。

20歳のときに「大人3人が乗る筏(いかだ)を作るための寸法・スペックを求めよ」と言う宿題がありました。
小難しく考えるといくらでも難しくなります。まずは重量計算とそれに見合う排水量、転覆しないための重心位置と浮力中心、さらには端っこに人が乗ると転覆しないように復元力、波があればそれで折れたりしないような強度計算、波に共振しないための固有振動数・・・

まず沈まないことが必須条件ですから、それ以外は実は取るに足りない問題です。
設計図を書いて計算するまでもなく、あとは感覚的にわかるでしょう。なんたって筏ですから。
周りはいろいろと頭を悩ませていましたが、結局、15分ほどかかって鉛筆で書いた私のぺらぺらのレポートが「優」でした。

いまその授業を思い出すのは、工学的な思考は<ざっくり>が大切ということに気づかせるものだったのかと思うのです。

答え(解)などがないのが我々の現世です。
一次方程式や二次方程式のように答え一発なものは逆に特殊な例にすぎません。

グラフで表せないなら、プロット(点)で表せばよい


関数グラフで答えが出ないならば、実際に調べた数値を方眼紙に打っていけばよいのです。
だいたいの傾向はでてきて、少しは将来の予想にも使えるようになります。

これが統計という考えです。数学でも工学的な思考です。

数学者ポリアさんが問題解決に据えたのは、多視点からの試行錯誤



押してもダメなら引いてみなの精神が大切です。極端な例を想像したり、桁(オーダー)だけを見ると言った多極の視点こそが数学的な思考だということを気づかせてくれます。
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パンミックス「まるめて焼くだけのパン」を焼いてみた 
Monday, September 21, 2015, 01:22 PM
9/21 晴 10時 浅草での空間線量は29ベクレル/立法メートル

台所にずっと買置きしてあった昭和産業「まるめて焼くだけ もちもちパン」を焼いてみました。
なぜこんなものを焼いたのかというと、半端に残った牛乳と卵があったからです。

ボールで卵を溶かし、そこにコップ1/4の牛乳を加えて、匙一杯のサラダ油を入れて、この商品を投入します。
菜箸で混ぜて、ほどよくまとまったらあとはおにぎりのようにしっかり両手で握ってやります。

普通のパン生地よりもものすごい弾力があります。
あとは適当にちぎって、オーブンに並べるだけ。だいたいここまでの時間で8分程度でしょうか。

オーブンを190度まで予熱したら、だいたい15分~20分で焼き上がり。私の場合は18分程度です。

つまりパンでも焼くかと思い立ったら、30分後にはほかほかのパンが食べられます。

パンもどきな食べ物です。チーズ味でそのままでも美味しいですが、ウィンナーに巻付けて焼いてみたらこれも絶品です。高級なものよりも魚肉ソーセージの方が似合いそうです。

この昭和産業のパンミックス粉は他にもいろいろありますが、面白いところでカレーのナンなどもあります。こちらも混ぜてフライパンで焼くだけ。油で揚げなくてはならないドーナツは美味しいのですが、「まるめて焼くだけ もちもちパン」の手軽さにはかないません。

なぜか深夜の3時に台所でこんなものを作ってみました。小腹が空いたときにもお勧めです。
食べ過ぎるとチーズ味で胸焼けしますw
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そろばんは加算・引き算だけではなく、割算も二乗根も三乗根もでるのか! 
Sunday, September 20, 2015, 02:52 PM
9/20 晴 10時 浅草での空間線量は21ベクレル/立法メートル

昨日紹介した「江戸の数学文化」(川本亨二 1999 岩波書店 )は著者が原典をたんねんに調べであり、そのうえで数学史を簡潔にまとめてあるため、これから数学を学ぶ人や数学に興味を持った人(つまり私のような数学嫌いでも数学好きになりたい人w)の最初の一冊にはおすすめです。

江戸時代の数学は「庶民の数学」と「官吏の数学」があった



まず、わかったことは、江戸時代に発展した和算は「庶民の数学」と天文(暦)や測量・航海術といった「専門家のための数学」の流れがあったということです。

スペインの宣教師カルロ・スピノラ(1602年来訪)は1622年に処刑されてしまいますが、このスピノラという宣教師は本国への手紙に

「 科学、とくに数学の知識を披露すると殿様も将軍様も大喜びなので、数学知識は布教にも非常に役立ちます。
数学の知識は日本人にとても尊敬されます。私が数学を学んでから日本に来たのは良いことでした。当地に来る宣教師は数学知識があれば良いでしょう」という内容の手紙が発見されました。

カトリックでは日本人の数学好きはよく知られていたのです。
またこのスピノラはアカデミアでの数学教師でもあったのです。今で言う大学教授レベルですね。

そしてキリシタン弾圧下であっても1643年にはジュゼッペ・キアラという数学者でもある宣教師が密入国して捉えられます。この頃は幕府も知識人は密かに匿い、知識の吸収に努めました。

ここからが日本の数学の黎明が始まったという説を平山諦(ひらやま あきら1904-1998)氏が唱えています。
キアラの弟子が関孝和だということ。

ちなみに関孝和とその弟子や関流一門が研究したことは、代数学です。もっと簡単に言えば”方程式”ですね。
天文や航海、測量といった幾何学から、関孝和と高橋至時(たかはしこれとき)が代数学や解析学へと発展させたのです。

こうして数学者たちによって数学は純粋な研究対象として受け継がれていきます。

ところが、市井では江戸にもなるとそろばんの普及や貨幣経済における計算技術の高まりとともに、数学を趣味とする者たちも発生していきます。

江戸時代初期(1650年あたり)で算法闕疑抄(さんぽうけつぎしょう)という算盤(そろばん)の手本書がベストセラーになりました。
つぎに算法闕疑抄を読んだであろう吉田光由(よしだみつよし:1598-1672)が書いた本が塵劫記(じんこうき)もベストセラーです。

算法闕疑抄も塵劫記も寺子屋では教科書として使われました。往来物(おうらいもの)という教科書であったそうです。しかし塵劫記は通俗算書という数学クイズの本でもあり、続編や海賊版がたくさん出版されました。

身分問わず、老若男女が手に手に塵劫記を開いては数学クイズを愉しんだそうです。

それだけなら、一回読んだら、あ~面白かったで読み捨てられてしまいますが、そうではない。

なぜなら、塵劫記には銀の両替とか職業別に「米の売り買い」「木の売り買い」「絹の売り買い」といった事細かな計算例が図示されているのです。代々手本書として受け継がれていったのです。

また類似本には「勾配と斜辺の一覧表」や「両替の換算表」「単位換算(坪から平方尺、歩から畝」「面積・体積の早見表」といった実用的な定法(じょうほう)と呼ばれる数値表を掲載しています。

これが仕事でも必携だったのです。最近までも技術者手帳とかの巻末には平方根表や対数、三角関数の一覧表が載ってましたし、電卓持ち込み不可の試験では配られることが多いですよね。

これが庶民の数学です。

面白いなと思ったのは「割算でもかけ算ですませるための数値表」というものがあります。
『算法智恵袋大全(嘉永元年)』に掲載されている定法は

たとえば、2で割りたければ5をかけろ
4で割りたければ25をかけろ
・・・
17で割りたければ58823をかけろ
・・・
23でわりたければ43478をかけろ

こんな調子でつづきます。

江戸時代では人口の70%がそろばんで足し算かけ算ができました。でも割り算は難しいのでそこまで習熟しない人も多くいました。
そこで割り算をかけ算でやりましょうという表です。

かけ算して桁を動かせば(1/10、1/100・・・)割り算の商となるというわけです。

そろばんは足し算、引き算、かけ算から習熟が進むと、割り算となり、さらには開平方(へいほうこんを求める)、開立方(3乗根をもとめる)もできるようになるのです。

これは「再発見 江戸の数学 日本人は数学好きだった」(桐山光弘・歳森宏著 平成18年 日刊工業新聞社)で実際にそろばんを図示して解説しています。

この本もすばらしく読みやすい本です。
そろばんの操作例を示しているのですが、ざんねんながら私にはわかりません(泣)

でもそろばんで平方根や立方根が求められたら、ちょっと自慢できるね~。かっこいいと思いませんか?

ルートぐらいなら安物電卓にもついていますけども、おそろしいのはそろばんでは10乗根までも求めるやりかたがあるそうです。

体積や面積から一辺を求めるため、また商人や金貸しが複利計算をそろばんでやっていたのです。

そろばんは江戸時代、今で言うところのスマートホンみたいなものだったのか・・・それに計算に対する執念とはすごいものです。

そろばん塾が衰退していったのは、電卓がこれほど安くなってしまったからとも言われています。

でもそろばんは数字の基本を教えてくれるのかもしれません。

いまも割り算や開平方、開立方はそろばん塾では教えてくれるのでしょうか。習ってみたい(笑)

過去ログ:机の中で増殖する電卓たち
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