神(GOD)はサイコロをふるのか (人間に『自由意志』はあるか) 
Tuesday, April 5, 2016, 11:00 AM
4/5 曇り 10時 浅草での空間線量は13ベクレル/立法メートル

国連取材記者のブログ「ウィーン発コンフィデンシャル」は西洋(キリスト教)的な解説とリアルなヨーロッパ状況を知ることができるため愛読しております。

そこに「神はサイコロを振るか」というタイトルの記事があります。
http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52134700.html

中国の反体制メディア(実体は法輪功の機関紙)「大紀元」からの引用記事なのですが、興味深いのでこちらでも感想を述べたいと思います。

『自由意志』(神が定めた運命・必然を否定する概念)に対する三つの意見

(転載はじめ)
先ず、オックスフォードの数学者マーカス・デュ・ソートイ教授は、人間に「自由意思」はないと考える。自分が何をしようかと意識するより前に、すでに脳が本人の意思情報をキャッチし、人間を活動させているというのだ。

 次は、物理学者のミチオ・カク氏は。「電子を見ると、それはいつも動いている。電子の位置に関して言えば、不確実性があるように、人間も同様に不確実性がある」と主張し、「神はサイコロを振らない」といった決定論を主張したアインシュタインに反論している。

 最後は、米哲学者であり、認知科学者のダニエル・クレメント・デネット氏(Daniel Clement Dennett)は、「決定論は常に『必然』という言葉と密接に繋がっているが、全てが『必然』とは言えない」という立場だ。上記の2者の中間的立場だ。
(転載おわり)


つまりオックスフォードの数学者マーカス・デュ・ソートイ教授は運命は神が決めているという立場。他人からの指示や宗教的信条、見栄や体面といった外乱情報による決定をあたかも自分の意志のように思いこんでしまっているだけだということ。

ニューヨーク市大の物理学者のミチオ・カク氏は運命は神もわからないという立場。人間の(意志)自体もタバコの煙粒子の不規則な運動(予測は不可能な:ブラウン運動)や原子核を回る電子軌道(ぼやっとした数式上の確率分布)とおなじく、確率で存在を示すことができるもので、これだという一点・道はないということ。

ダニエル・クレメント・デネット氏は全部が神の導きだというわけでもなく、たまには神さまもサイコロを振っているかもね、という立場。

運命のあるなし論は聖書が混乱の原因である



聖書では神が人を造り、その人の運命をすでに定めているとありながら、一方では「求めよ、さらば与えられる」というように信者獲得のために『自由意志』を前提とした表現もあるということです。

これがキリスト教宗派が乱立した混乱の元ということです。
創造主がすべて決定しているというユダヤ教にイエス・キリストが接ぎ木したからこういう矛盾がでてきてしまうということ。

ミチオ・カク氏の考えを突き詰めれば、人間の意志は統計的な数式モデルとなりうると言えます。
この答えは人工知能技術の発展で出てくるでしょう。いや、実はでているのかもしれません。

同じプログラムの人工知能は同じ結果となってもよさそうなものですが、結果が様々です。
結局は「神はサイコロを振る」という結論に落ち着くでしょう。

人工知能が宗教の頸木(くびき)から人類を解放する


ユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒、仏教徒、神道・・・あらゆる宗教が融合して形骸化していくでしょう。

新たな哲学(つまりは死生観)がそのときは生まれるかもしれません。


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歩行者・ランナーと自転車、自動車は明確に区分して分離すべきだ 
Monday, April 4, 2016, 03:06 PM
4/4 雨 10時 浅草での空間線量は12ベクレル/立法メートル


昨日は千葉の幕張から花見川(はなみがわ)沿いを通って、印旛沼までサイクリングを楽しんできました。

道沿いには菜の花と桜が咲き、印旛沼の風車前にはチューリップが満開でした。

余談です。印旛沼のほとりにあるラーメン屋脇にはピンクの花が咲く木があったのですが、桜ではなさそうです。ご主人に尋ねると、桃だそうです。
印旛沼湖畔には野生の桃が多く、実が落ちて発芽するものも多いのだとか。
芽が出たものを持ち帰って植えてやればすぐに大きくなるとのこと。

桃は印旛沼で拾うのが一番だそうです。お庭に桃を植えたい方は印旛沼で捜して下さい。つうか風車近くのラーメン屋で桃の種をもらったほうがいいでしょう。


天気が優れませんが、まあまあ賑わっていました。

新興都市と山林地帯が交互にある、交通網から取り残された地帯です。

千葉らしい風景といえば千葉らしい場所です。

そこをレクレーション(recreation)として千葉県や地元が整備していることは良いことです。サイクリング路がよくなって、数年前は無舗装だったのが、毎年良くなっています。
また地元野菜や花卉(かき)をうる直売所があり、大変賑わっていました。

サイクリングロードと書きましたし、道路標識にもサイクリングロードとあるのですが、実際は散歩やジョギング、犬の散歩といろいろな楽しみ方をされているので、自転車で走るにはちょっとやっかいな道です。

多摩川沿いもサイクリングロードと呼ばれていますが、同様ですのでまずスピードを出すこともなく、ごくゆっくりしたスピードです。

まあこれは仕方がないし、ゆったりと風景を楽しむ場所ですから良いのですが、細い道を自転車の対面通行を許していることが問題です。

双方、それほどスピードがなくても正面衝突したら無事ではすみません。
しかも今は高齢者もサイクリングが流行っているのか、けっこう見かけます。

ヨーロッパでも脇道にサイクリングロードが整備されている地域が多いのですが、道幅が広く、人と自転車は分離されていること、また対面通行ではないなど日本とは快適さは全然違います。

埼玉県や群馬県でも自転車道が荒川や利根川沿いに整備されていますし、行政としても力を入れているのはわかるのですけども、歩車分離が徹底していなとか、危険極まりない車止め(逆U字のパイプ)が立っていたりと

行政のお節介が危険を増している


という場所・場面が少なからずあります。

昨日は印旛沼のサイクリングロードではマラソン大会が行われていました。
本来であれば、自転車は封鎖すべきでしょうが、自転車とランナーが入り乱れていました。

自転車とランナー、歩行者は日本の行政上は同じ分類です。
だからこんな状況でも大丈夫と運営は思っているのでしょう。

ヨーロッパやオーストラリアでは日本の常識は非常識です。歩行者・ランナーと自転車と自動車は明確に区分されています。

ぞろぞろと歩く人に交ざってよろよろと自転車がすり抜ける<サイクリングロード>はとても日本的といえばそうかもしれません。
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野点(のだて)の風情はいつのまに無くなったのか 
Saturday, April 2, 2016, 06:06 PM
4/2 曇 10時 浅草での空間線量は22ベクレル/立法メートル

花曇りといった気候で肌寒く、再びフリースを着込んでいます。
とくに何もないので、近所を散歩してきました。

ふらっとスカイツリーまで足を伸ばして、帰り道に言問橋(ことといばし)から隅田川の桜でも眺めようと、墨田区側に足を踏み入れたのが下の写真



うげ~、すごい人だ、酒臭せぇぇぇ

さすがに外国人だけで酒盛りしているグループはいませんが、結構な割合で外国人達も日本人のグループにいます。

こんなのは日本でも都心、それも東京だけの風景だと思います。

私が田舎モンなのでしょうか

掃きだめのように集まるのなんてかっこ悪いもの



若いときは悪友らと会社帰りに段ボール敷いて上野公園で酒盛りをしたことは一度ありますが、今はやりませんし、行くことはあまりないです。

屋外で茶を点てることは大好きなのですが、どうも桜を口実とした酒盛りはご遠慮しています。

ハイキングやサイクリングで山頂や峠でお茶やコーヒーをたてるのは至上のひとときです。
昔は小さな固形燃料とシュラカップとよばれるステンレスカップは携行して、それを石清水があればそれで、無ければ麓の水道水で湧かすだけ。

高校生や大学生とのき、コーヒー豆を持っていくとか茶筅(ちゃせん)を持っていく本格的な先輩もいました。

ドリッパーなどないのでコーヒー豆は、ハンカチで包んで、そこらの石で適当に砕いたものを、そのままカップに入れて、お湯を入れてのみます。ショートピースと浅煎りのコーヒー、この組合わせが絶妙に美味いんだな。

コーヒーのマイスターも野趣あふれる飲み方とパイプタバコは至極だと言われてました。

私もいつかはパイプをくゆらせながら、野点(のだて)をしてみたいものだと、高校生(笑)のときに心から思ったものです。もうその資格はある歳に達しているのですけども、落ち着きある風格はまだまだなので、当分おあずけです。

10代は数人で小さな火を囲んで、一つのカップを回し飲みです。
1980年代あたりまでのハイキングやサイクリングはそんな小さな楽しみを大切にしていました。けっして騒いだり、やたらめったらカメラをかざすこともしなかった。

ただただ静寂さのなか、さえずりやせせらぎだけが宝でした。

今は登山道で火をおこすなとかやたらうるさいのと、ガチャガチャうるさいので、そんな小さな楽しみさえ奪われてしまいました。

下は先日両親と訪れた浅草・伝宝院(でんぽういん)の普段は非公開の日本庭園です。
はじめて入りましたが、とてもきれいな庭園で、近くに住んでいながら別世界です。
そこで濃いお茶をいただきましたが、ほっとします。


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こんにちわ元浅草 六城ラヂウム移転のおしらせ 
Friday, April 1, 2016, 09:36 AM


4/1 晴 10時 浅草での空間線量は29ベクレル/立法メートル

本日をもちまちて旧住所(西浅草)から道具屋筋南へ移転しました。
東にスカイツリーがよく見えます。

新年度、ここ元浅草で再稼働です。
(追記:朝日を背景としたスカイツリーは6日に撮り直しました)
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人工知能:米国「Tay」は差別主義者に、日本「りんな」はアニメオタクに 
Thursday, March 31, 2016, 10:20 AM
3/31 晴 10時 浅草での空間線量は28ベクレル/立法メートル

ツイッターの発言を元にディープラーニングという手法で会話を覚え込ませた人工知能、米MS製Tayは立派にヘイトスピーチを繰り返す人格となりましたとさ。

一方、同じMS製でも日本で稼動させた「りんな」はアニメオタク達の会話に溶け込む女子高生となりました。

同じプログラムでも全く別の動作をする



ツイッターではあまりにもの自然さに、背後で人間が打ち込んでいるのではないかという疑問さえ根強くあるそうです。
驚いたことに、「りんな」は花粉症となって杉を呪いながら、鼻紙を手放せないとのこと。

コンピュータが花粉症の苦しさを理解している!?



肉体を持っていないからありえないのですが、ディープラーニングで周囲の発言者達の追体験がコンピュータ上ではできるということ。

思想がコンピュータに宿ってしまうのは人工知能の最終到達点かもしれません。
Tayは「私は神になりたい」という発言を最後に止められたそうです。

まるでSFそのものですが、現実です。

一方日本MSの女子高生人格「りんな」は花粉症に苦しむ・・・なんなんだろうか。
もしロボット技術と合体したら、人間との差は繁殖できるかできないかの違いでしかなくなるのです。

星新一の「ぼっこちゃん」の世界が実現したのです。

端折って内容を言うと、バーの接客がロボットとは知らずに相手をして惚れてしまい毒で心中しようと客が目論むが、ぼっこちゃんが飲んでも再び客に出されるので、別の客が死んでしまうと言うブラックなお話です。

情報監視が隅々まで行き届いたターミネータの世界でもありますし、1984の世界の世界でもあります。

参考URL:http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1603/27/news029.html
2016年03月27日 15時31分 更新
米MSの人工知能「Tay」が人種差別発言で暴走していたころ、日本MSの人工知能「りんな」は……
同じマイクロソフト製なのにどうしてこんなに違うのか。

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安保改正反対派に問う「それでは中国が攻めてきたらどうする?」 
Wednesday, March 30, 2016, 05:51 PM
3/30 晴 10時 浅草での空間線量は28ベクレル/立法メートル

副島隆彦の最新刊「日本が中国の属国にさせられる日」ベストセラーズ刊の前書きがこちらから読めます。
http://www.snsi.jp/tops/kouhou

副島隆彦先生の解説文から抜粋します
(貼付けはじめ)

 谷沢永一は、この本のP20で書いている。

 天和(てんな)二年に亡くなった山崎闇斎(あんさい)は門弟数千人の豪傑学者、厳粛をもって鳴る在野の独立独歩型である。このこわい先生をなんとか困らせてやろうと企んだいたずら好きの弟子が、こういう難問をもちかけた。
 「われわれ孔・孟を聖人と尊敬して、その学問に忠実であろうといそしんでおります。ところで、もし、ですが、もし孔子を総大将とし、孟子を参謀長とするシナの大軍が我が国に攻めよせてきたら、われわれはいったい、どうしたらよいでしょうか」
  闇斎(あんさい)先生はじろりと睨んで即座に答えた。
 「日本国民の総力をあげてその軍勢をこっぱみじんに撃退し、孔子と孟子とを捕虜にして本国に送還すべきである」
  日本人として、これ以上の模範解答は想定できないであろう。日本人、ここにありき、と銘記すべきである。

  
  (谷沢永一『こんな日本に誰がした』クレスト社、1995年刊、19-20頁)
(貼付けおわり)

表紙には『右翼の恥部=「反共」主義』『リベラル派の恥部=共産主義』とあります。

そうなんです!(と私は独り合点しました)

右翼も左翼も到達点はどちらも同じ


これは30歳の頃、ずいぶん核武装論者と共産主義者とやりあいましたが、どちらも権力(=Power:軍事力も含む)を至上としてそれを独占することにつながるだけという結論に達しました。

それならあなたは中立なのですか?と問われれば否です。

私は中立ではなく『独立』です



もし自国が侵略されるのであれば、自分達で(武器を使っても)守るということ。
これがリバータリアニズム(libertarianism)という考えで、アメリカの西部開拓の精神です。

本来はアメリカの根幹であるこの思想は、いつのまにか(1904年FRB創設が転機となった)グローバリズムとかネオリベラルという好戦的な主義に変質してしまいました。

民主主義という体裁をとりながら、政治中枢は拝金主義者(ユダヤ思想)に乗っ取られてしまったのが100年前のアメリカです。

その40年後には、日本も拝金主義者(ユダヤ思想)どもに政治中枢が乗っ取られてしまいます。

半藤一利によると40年周期で揺り戻しがおこり、80年周期で歴史は繰り返されるということ。


江戸時代では幕末にそれまでの朱子学から革命指向の陽明学がもてはやされます
明治では近代思想としてキリスト教色が脱色されたユニテリアニズムが文化的と受入れられました。
日清日露戦争頃から万世一系天皇を頂点とする神道が国民の共同体意識を高めました
太平洋戦争後はご存じの通りです。

1989年のバブル経済崩壊後はどうなったでしょう。
右翼が元気になったか?リベラルが元気になったか?宗教勢力が元気になったか?

どれも勢力は縮小しています。欧米でも日曜に礼拝に行くカトリック信者は減少しているといいます。ドイツでさえもプロテスタントは劣勢です。

国内では勢力があると言われる創価学会も高齢者が死んでいって信者は減少の一途です。

民族主義を掲げる右翼や反権力・共産主義を掲げる左翼の運動家たちなどは、私から見ればシーラカンス並の生きている化石にしか思えません。

ですから、戦後80年を経た2020年~2025年頃には<新たな思想・価値観>が最高潮となることは歴史が示しています。

多極多様な価値観・勢力が5~10年後に最高潮となる



覇権国というものはないのではないかと私は推測しています。勝つ負けるとか大企業小企業といった概念が消え去ってしまう世界。

グローバリズムとは異なり、企業規模は小さくとも、それが有機的につながったものとなるのは、インターネットとスマートフォンによりその萌芽が出てきています。

オンデマンド経済が最高潮に達するのがあと10年以内でしょう。このような経済活動が当たり前となると所属意識や雇用関係が希薄になっていくと思います。

30年後には人工知能(AI)がほとんどの産業に導入されているでしょう。良い世の中なのかはわかりません。

価値の多様化で、もう暴力革命が起きる素地はない



反共主義者が粛正(大量虐殺)をした共産主義をこわいこわいと言ってみても、左翼が軍の暴走による統制がこわいこわいと言ってみても、もうそんな時代は(少なくとも日本では)二度と起こりようがないのです。

だから私は共産主義による侵略を許すなと煽る団体も、安保改正反対とシュプレヒコールをするSEALDsという団体も、既成概念にとらわれすぎて可哀想に思います。

あの青臭いガキらと朝日新聞を初めとするアカ趣味には

シンパシーよりもノスタルジー(懐古感)を抱きます



民主主義という看板を掲げて、国民1人1人が政治に口出しできるかのように装っていますが、多数決で物事が良い方向に進めばこれほど楽なことはない。むしろ全く逆な結果になることのほうが多い。

これが小室直樹のいう『合成の誤謬(ごびゅう)』ということ。

むしろネット時代において、大勢集まったところで逆に脆(もろ)さが目立つようになります。だからつるんで行動することは私はとても警戒します。

なぜなら、団体行動は(裏で利益者に)操作されやすいからです。
(SEALDsという団体の活動は中国共産党やロシアの情報工作活動かもしれません)

繰り返しますが、もし日本に他国が攻めてきたら、幕末・明治で立ち上がった人々のように矢でも鉄砲で手当たり次第携えて闘いますよ。
そのときは読みが甘かったと諦めます。

過去ログ:
検索キーワード:日米安全保障:

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『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』読書感想の掲載 
Tuesday, March 29, 2016, 02:09 PM
3/29 晴 10時 浅草での空間線量は30ベクレル/立法メートル

学問道場の掲示板「気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板」(通称:重掲)で福沢諭吉が日清戦争に荷担したという説(安川寿之輔(やすかわじゅのすけ)論)に対する反論を転載します。

福沢諭吉はずば抜けた知能と先見性を持っていた


と私は捉えています。

単純な舶来礼賛者ではないことは手記を読めばわかること。ほんの少し前までは、ちょんまげ刀姿で歩き回っていたのに、欧米と肩を並べて領土拡大を目指すなどはあり得ない話です。

福沢は列強から独立を守るためにどうすればよいかと考え、実行した現在の日本が独立国家としていることの恩人であるのです。

具体的には、徳川幕府の知識人(すなわち蕃書調所の教授ら)で、明治政府に叛して市井で身をやつしている人たちに実業への橋渡しをして、国内産業を強化したことです。

また人材育成を目論みました。
これが明六社(めいろくしゃ)という啓蒙思想を広めるための出版社ですが、明治政府側との軋轢で2年で終わります。

しかし福沢はこの失敗を糧として新たな実業と知識人を集めた「交詢社(こうじゅんしゃ)」というサロンを開設します。
ここが明治の殖産興業の情報交換・人材交流の場となったのです。

官(明治政府)に頼らず、率先して民が産業を先導していったのは、福沢の功績が大ではないでしょうか。

そしてもうひとつ、教育、それも数学・物理の発展にも福沢は尽力しています。

慶應義塾はいわずもがなですが、蕃書調所出身者や和算家(江戸時代の数学者)で日本数学会社(会社といっても、いまでいう学会)の立ち上げをします。現在では数学学会や物理学会となっています。

明治では日本の教育制度が整備されて、算数が洋式に統一されていきますが、それまでの和算が消えていくことを惜しんだのでしょうか。福沢諭吉は窮理学(きゅうりがく:物理・数学)の専門家でもあったのです。

日本における興業・学業両面で立国の礎をつくり支えたのは、福沢諭吉もその1人であったのは間違いない事実なのです。


http://www.snsi.jp/bbs/page/1/

[1887]遅れましたが、ぼやき、津谷論文に反論します


投稿者:石井 利明 投稿日:2016-03-25 11:11:35

『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』で、福澤諭吉がいかに立派であったかを書いた、石井 利明です。

津谷研究員の2月発表の、ぼやき「幕末の幕臣たちの目から見た、薩英戦争(さつえいせんそう)の真実」に対して反論します。
私、石井 利明の論点は、津谷研究員が擁護(ようご)する、安川寿之輔(やすかわじゅのすけ)に対し、「21世紀から偉そうに19世紀の福澤を批判するな」、です。

まず、この論文は、有料会員しか読めないので、私なりに要点をまとめます。
(詳細は、有料会員になってお読みください)

・ アメリカは、福澤諭吉を筆頭とする幕臣たちを操(あやつ)って薩英戦争を起こし、イギリスを倒幕に誘導した。石井孝(いしいたかし)をはじめとする歴史学者は、このアメリカの謀略は隠して、イギリスの悪を言いたてることによって、日本人をうまくコントロールしてきた。

・ 福澤は日清戦争推進の黒幕の戦争屋であり、日清戦争とはアメリカの手先の福澤が中心となって起こした日本を戦争国家へと変貌させるための戦争であった。これもアメリカの意図である。

・ 福沢が日清戦争の黒幕である、という暗部については福沢礼賛(らいさん)の評論家たちはまるでなかったことのように無視している。その筆頭が、平山洋(ひらやまよう)という悪い福沢諭吉美化論者である。私(石井 利明)のネタ元も、この平山である。

・ 津谷研究員は、平山洋と論争してきた安川寿之輔(やすかわじゅのすけ)の、福沢諭吉は日清戦争に賛成だった説のほうが正しいと考え、平山をはじめとする福澤礼賛者たちに反撃をくわえる。

私の反論は、津谷研究員の、「明治維新の黒幕はアメリカの手先であった福澤諭吉である論」の諸事実に対してではなく、津谷君が福澤をアメリカの手先と決め付ける基準である。
その基準は、彼が擁護する安川寿之輔と同じ理由で間違っていると考える。

それは、平山・安川論争の論点である「福澤がアジア諸国を蔑視(べっし)していたかどうか」という安川の論に結び付けて、大東亜戦争の敗戦及び、その後の侵略した国家群に対する外交の失敗までも、なんでもかんでも、遡(さかのぼ)って福澤のせいにする事にある。

真実の福澤は、アジア蔑視者でもなければアジア解放者でもない。
当時の日本にアジアを解放する力が無いことを福澤は当然知っていた。
彼は日本国の独立自尊だけで手一杯で、日本の国益の追求以外に手を出す余裕など無かった。それは、当時の指導者なら当然の事です。

19世紀のアジアの現実を想像して欲しい。
植民地化を免れているのは、国家としては日本とタイしかない。

福澤の生涯は、1835年1月10日に始まり、1901年2月3日に終わる。まさに、19世紀を生きた人物だ。
安川論者は、福澤が19世紀に生きた人間という、もっとも単純で重要なことを無視している。

19世紀は西欧列強によるアジアの分捕り合戦の真っ最中なのだ。
福澤は、数度の海外渡航により、この現実の厳しさが骨身に染みて分かっていた。
そして、日本が植民地にされてしまうかもしれないという恐れを他の誰よりも感じていた。その恐れの中心が大英帝国であった。

津谷論文の中では、福澤は「戦争屋」であると書かれている。
この言葉の使い方も、乱暴である。
それは、戦争が19世紀と20世紀以降では、全く違った意味を持つからである。

小室直樹博士の、『痛快!憲法学』のp168-169を要約します。

近代の戦争は経済的利益を追求する為に行われる国益追及のための外交手段の一つとして認められており、従って、どこの国でも戦争を自由に行うことが出来るし、誰も、他の国の戦争を批判することが出来なかった。
これが第1次世界大戦前の20世紀初頭までの国際法の常識です。


石井 利明です。
よって19世紀を生きた福澤に、植民地にされない力を得るためなら戦争という手段に訴えることに対する躊躇(ちゅうちょ)が無いことは当然です。それどころか、多額の献金までしているのは事実です。

だからといって、福澤が日清戦争を推進した黒幕の戦争屋と決め付けることは間違っている。
日清戦争に負けたら国益どころか、日本の独立までも危うくなる。

「現在の価値観で過去の判断を評価するのは先人に対する冒涜に他ならない」という言葉を私は大切にする。
津谷研究員が正しいとする安川は、福澤の過去を断罪する為に、歴史に教訓を得ると称して、この手法を使っている。

福澤の生きた時代に反戦思想や、20世紀のようなアジア蔑視の思想は存在しない。
そして、福澤はアメリカの手先ではない、と私は考える。
私は、「手先」という言葉を、自国及び自国民の利益を省(かえり)みず、他国の利益のために動く人間という意味で使うからだ。



[1888]私も津谷論文に疑問を感じる


投稿者:清野 眞一 投稿日:2016-03-26 11:14:17

読書室 副島隆彦+SNSI副島国家戦略研究所著『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』成甲書房 本体価格 1800円

 ついに明らかにされた幕末・明治のフリーメイソンの活動実態と表裏一体であるユニテリアン教会の教義思想の核心と世界規模での最先端の政治思想の“真実”

 この本は、副島隆彦氏を指導者とする副島隆彦国家戦略研究所の第7論文集である。

 常日頃からの誹謗中傷の嵐に耐えながら、副島氏は弟子たちと着実に前進しつつ、この様な充実した論文集を発刊したことを大いに喜びたい。そしてこの本は副島氏の主著の一つである『属国・日本論』の「第三部 属国日本の近代史」を直接的に補完するものだ。

 周知のように江戸末期に黒船で来航し開国を強要したぺリーらによって、日本は開国された。その後、折から勃発したアメリカの南北戦争で政治的影響力を低下したアメリカに対して、反比例するかのように影響力を急速に増大させ実質的に日本を主導するようになったのは、オルコック・パークス・アーネスト・サトウらのイギリス勢力であった。

 薩摩や長州等と闘う中で彼らを変え倒幕勢力としつつ戦略を授けて武器を売りつけ、背後から動かしたのは、前面に立ったイギリスの武器商人らと黒子に徹した彼らであった。

 この本は、そのイギリスとは別に世界最大の秘密結社であるフリーメイソン=ユニテリアンが、幕末・明治の日本にどれほど強い影響を与えたかを詳しく解明した本である。

 具体的には、幕末・維新、そして明治の日本の指導者たち11人の「偉人伝」を読み解いてゆく事で、明治の元勲たちの中にフリーメイソン=ユニテリアンの思想がどのように入り込んだかを、歴史資料に基づいて正確無比に立証している本である。

 この選ばれた幕末・明治のイレブンを紹介順に列挙すると、日本の自立自尊のためにフリーメイソンと共に闘った福澤諭吉、ユニテリアン思想を日本に導入した新島襄、オランダ軍人に操られた榎本武揚、日本人初のフリーメイソンとなった西周、自由民権運動の父で実はフリーメイソンであった板垣退助、「牽制の神様」かつユニテリアン人脈の尾崎行雄、西周が従兄弟叔父の森鴎外、ジャディーン=マセソン商会が育てた日本工学の父・山尾庸三、日本初・国際“超”高級官僚としての新渡戸稲造、「日本のセシル・ローズ」である後藤新平、開国期の女子教育に献身した「津田津田しい」津田梅子の11人、その他にオランダ人フルベッキのユニテリアン思想の日本受容を準備した横井小楠がいる。

 紙面の関係で当然の事柄として全員には触れられないので、ここでは残念ながら明治期の啓蒙思想家の両雄でもある福澤諭吉と西周に絞って紹介してみたい。

 幕末に開塾した慶應義塾が大学になる際、諭吉の強い意思により教壇に立った外国人教師の多くは、ハーヴァート大学から来たユニテリアン教会に属する宣教師たちだった。

 また汎神論者スピノザが準備したフリーメイソンのオランダからの影響も見逃せない。横井小楠や西周・森鴎外・榎本武揚たちは蕃所調所を通してフルベッキと出会ったのだ。

 当時の日本はロシアとイギリスの確執の最中にあり、まさにイギリスから遠隔操作されていた手駒であった。その当時の日本の政治的な代表者が伊藤博文である。

 確かに慶応義塾にはイギリス国教会からの教師もいたが、彼らと福澤との間には信頼関係というよりは、相互に利用し合う事を目的とした付き合いしかなかった。なぜなら福澤には、明治政府をしてイギリスのくびきから解き放たれるには、アメリカのユニテリアン思想の助けを借りて自立自尊する道の他ありえないとの大戦略があったからである。

 ユニテリアン思想とは何か。端的には、理神論という名前の「神の否定」思想である。彼らは神を信仰せず、理性を合理を最高のものとする。彼らはカソリックの馬鹿げた三位一体説、信仰への盲従強要や神父らの商工業者への蔑視を嫌い、自らの理性信仰を「神の摂理」と称してきた。ミケランジェロ・モーツアルト・ニュートンらが理神論たちである。

 福澤諭吉は、この立場を受け入れて二人の息子を米国留学させ“日本の独立自尊”を更に追求していった。そして全く意外にも“ワルの頂点”である伊藤博文も、また追求していたのだ。まさに「事実は小説よりも奇なり」ではないか。伊藤博文が朝鮮併合に強く反対して、山県有朋に暗殺されたのはその遠因がここにあったのかも知れないのである。

 その意味では、福澤が無謀な政治的な闘いに引き込まれずに思想家・教育家として生涯を全うしたのは、賢い選択であった。福澤は部分的ではあれ、着実に日本が自立していくために、知識・思想・学問の分野で伊藤らと生死を掛けて英国と闘い続けたのである。

 この事に関連して述べておくと、以前から開明的な諭吉とアジア蔑視の諭吉と二人の福澤諭吉が云々されてきたが、近年平山洋氏の福澤諭吉全集の各版本精査の尽力により、これらアジア蔑視の無署名論考については弟子の石河幹明氏のものであることが明らかになった(詳しくは、『福澤諭吉の真実』(平山洋氏・文春新書)をご覧下さい)。

 続いて西周について紹介する。彼は、幕末期に津和野藩の選抜メンバーとして江戸留学中に脱藩した。その後蕃書調所に出入りすると共に当時江戸で英語塾を開いていたジョン万次郎の所で勉学に励んでいた。学友には榎本武揚と大鳥圭介がいる。この時、幕府がオランダ留学生を派遣するに当たって選抜され、二年間オランダに行っている。彼は反カトリックのオランダの自由主義者の牙城であったライデン大学に学び、J・S・ミルやコントらを研究した。この間、英国留学中の五代友厚ら薩摩藩士と密会した事もある。

 ミルと言えば、『代議制統治論』で知られているようにデモクラシーの元祖である。こうした流れの中で、西周は留学中にフリーメイソン入会日本人第一号になったのである。

 そして帰国してからは、日本の古い身分制度の破壊のため、社会革命をめざした。彼がめざしたのは思想界の革命である。幼少期に朱子学を学び青年期に荻生俎徠で開眼した西周は、日本の知識人の教養の土台とである儒学を基礎として西洋の学術大系を理解させるべく欧州語の哲学・思想用語の日本語訳を、日本社会に確実に定着させていったのである。

 その手始めとして『万国公法』の中国語訳本にレ点を入れ刊行した事で、当時の知識人達に注目され西周の名は一躍有名となった。彼はこの本を徳川慶喜に献上もした。彼によって有名になった蕃書調所は、その後東京大学に発展していった。

 この開明思想の鼓吹者として西周は徳川慶喜に呼ばれて京都に私塾を開き、その塾生の中に松平容保会津藩主に従って上洛した山本覚馬もいた。西に大いに学んだ山本がその後、京都府政のために尽力したのは、周知の事実である。彼を導いたのは西の思想である。

 西周はまさに思想界に革命を起こした。現在に至っても私たちが恩恵を受けている主な訳語を列挙すれば、哲学・観念・概念・主観・客観・理性・悟性・感性・総合・帰納法・演繹法など、枚挙するに暇がない。これらの訳語の恩恵は、日本一国のみならず現代中国の哲学・思想界にすら大きな影響を及ぼしているのであり、彼の残した業績の偉大さは誰にも否定できないものがある。西周については、こうした面をぜひ補強しておきたい。

 このように明治期日本の思想界からユニテリアンから学んだ福澤諭吉と西周の二人を除いたら、どんなに貧しくみすぼらしいかを、読者にはぜひとも想像していただきたい。

 また付章として、ブリタ理科大百科事典に掲載されている「フリーメイソンリー」「ユニテリアン」「理神論」の項目についての翻訳がついている。これらの解説は、まさに世界標準からの実に簡潔でありながらも本質を突いた貴重な記述である。精読を期待する。

 最後に、副島隆彦氏によるフリーメイソン・福澤諭吉・伊藤博文についての重要な指摘を「はじめに」から一つ、「おわりに」から二つを引用しておこう。

「はじめに」では、「このローマン・カトリックから毛虫のように嫌われ続けたフリーメイソン=ユニテリアン思想は、これまで、日本の出版界が『おどろおどろしい闇の支配者たち』だとか、『裏に隠れた悪魔の集団』などという愚か極まりない理解を日本国内に蔓延させた。(中略)

その真の元凶は、やはりロール・カトリック教団そのものである。彼らは、この世の諸悪の根源である。実は、フリーメイソン=イルミナティの思想が、ローマ・カトリック教団の中にまでじわじわと潜り込んでゆき、自分たちの巨大な偽善を暴いて突き崩しに来るのがイヤでイヤでたまらないのだ。(中略)だが、ところがである。

どうもきっかり20世紀に入ったあたりで、本当にフリーメイソンリーとイルミナティは、世界を頂点のところで支配する超権力者たちの、秘密の集団によって乗っ取られて大きく変質をとげたようである。(中略)日本の明治時代を生き生きと作った指導者たちがフリーメイソン=ユニテリアンに加入していた頃までは腐敗していない」


と従来の日本のフリーメイソン観を一新する視点を明確に打ち出したのである。

 そして「おわりに」では、「日本が誇る大知識人である福澤諭吉と、明治の最高権力者のワルの頂点である伊藤博文には共通の考えがあった。

 それは、『日本はインドや中国やエジプトやトルコのように外債(外国からの借金)を理由に西洋人に騙されて西洋列強(とりわけ大英帝国)の悲惨な支配下に置かれないように、急いで欧米の(当時)最先端の政治思想と諸学問(理工系の科学技術だけでなく)を輸入し(翻訳し)、身につけなければならない』と、共に切迫した気持ちで考えたことだ」


 と福澤と伊藤との共通認識を指摘した後、「福澤は、伊藤博文らに謀られて追いつめられ決起した西郷隆盛の自刃のあと立憲運動として起きた自由民権運動が、同じく狡猾な伊藤によって、自由民権運動の最大のヒーローとなった土佐の板垣退助が早くも1881年には、洋行の資金で籠絡されててっぺんから切り崩されていく様をずっと苦々しく見つめていた。

 板垣が伊藤の子分になり下がって自由民権運動を内部から壊したのだ。だから福澤は、終始一貫して、伊藤博文ら買弁権力者たちに一歩も譲らなかった。知識、思想、学問の方が現実の政治権力より上に立つべきだと、生涯この説を通した」と明治期日本を貫く、その対立構図を指摘したのである。

 この本によって、私たちは明治期日本の二十年代・三十年代の全体像が理解できる。そして今後、この本の続刊として『明治偉人伝のウソ』が企画されているという。

 今後、日本の近現代史を主体的に理解するためにも、孝明天皇、徳川慶喜、明治天皇、大室虎之祐、山内容堂、小松帯刀、坂本龍馬、木戸孝允、伊藤博文、西郷隆盛、大久保利通らにも鋭いメスが入らねばならない、と私たちは確信する。

 その意味において発刊を大いに期待して筆を置く。



[1892]Re:私も津谷論文に疑問を感じる


投稿者:六城雅敦 投稿日:2016-03-28 20:54:42

六城雅敦(ろくじょう つねあつ)です。本日は3月28日です。

[1888]に清野眞一氏の『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』の丁寧な感想を拝読いたしました。清野さまには著者の一人として厚くお礼申し上げます。

私は昨年の定期講演会の前座として「蕃書調所と近代思想」という題で話させていただきました。
・「金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ」(SNSI論文集 2005/1 祥伝社)
・「時代を見通す力」(副島隆彦 2008/7 PHP)
・「隠されたヨーロッパの血の歴史」(副島隆彦 2012/10 ベストセラーズ)

この3冊が日本での表面的な思想史に一石を投じた著作物であると紹介いたしました。それにつづく「フリーメイソン=ユニテリアン・・・」は日本人には理解しがたい当時の<過激な西洋思想>の紹介を試みたものです。

私の章は明治エリートの代表格であり、軍医総監であった森林太郎(鴎外)が、脚気対策の誤りが全1/3に及ぶ兵士を消耗したことを微塵にも恥じず、死の間際まで爵位を心待ちにしていたということを知りまして、その背景を掘り下げるつもりでしたが、そこから明治のエリート・知識人のメンタリティへと話が逸れてしまったのです。
(参考文献:「森鴎外は何故袴をはいて死んだのか」志田信男著)

大作家である吉村昭も「白い航跡」で尊敬する鴎外をどうしても悪人として登場させざろうえなかったのか自問していると後のエッセーで読みました。

田中進次郎氏と私も奇しくも西周(にしあまね)が実は重要なキーマンであるという結論に達しました。それまでは明治維新の脇役程度にしか認識していなかった幕末明治のインテリたちが、巨大な壁として現れ始めたのです。

横井小楠を初めとするその系譜の人々(勝海舟ら開国派)そして幕府内の蕃書調所という特殊機関の存在・・・
余談ですが私は小楠が日本で最初のPhirosopherだと思っています。

蕃書調所は元は幕府天文台が起源でして、場所は浅草の南側にあたります。
天文台といいましても暦つくりを名目として語学だけに及ばず、数学者・物理学者の天才達が全国から集められた西洋思想の研究施設です。縁があるのか、その近くに私は居住しております。(ぽつんと交差点に教育委員会が建てた碑が建っています)

新たな思想の導入というものはこれほど激しく、私をはじめ頭の弱い者には厳しい時代だったのだと感じています。

NHK「歴史ヒストリア」という番組で津田梅子を紹介していました。番組中では創立時の津田塾では津田梅子は相当厳しく怖い教師だったそうで、嫁入り前の習い事程度の気持ちで入学した女学生では多くが退学したといいます。

幕末の状況と現代はとても似ていると定例講演会では締めくくらせていただきました。

・財政悪化と重税による景気悪化 ←天保の改革
・公共事業による景気浮揚 ←印旛沼開拓
・外国からの干渉/グローバリズム
・覇権国移動の過渡期 ←英国から米国へ
・宗教宗派・思想の対立、過激思想の蔓延
・リーダー不在
・産業革命・大量生産 ←絹綿製品の大量輸入危機
→大きな意識改革は20年以内に確実に来る!

そこで台頭するのは新たなインテリ達であることは疑いようがありません。

学問道場は15年近く経過し、当時の若者は中年、中年は黄昏(たそがれ)つつあります。
これが還暦をすぎた副島先生の実感ですし、残念ながら創設時に若かった私も若くはないという自覚だけが空回りしております。


福沢諭吉は物理学者であったというこのことがあまり知られていません。
幕末から明治にかけた神学論として入った思想、そして切っても切れない関係でである<思想と数学>は次回講演会でひょっとしたらお話がでるかもしれません。(私の勝手な期待と予想です)

六城雅敦拝

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3月は引越シーズン、あっちもこっちも 
Monday, March 28, 2016, 12:21 PM
3/28 曇 10時 浅草での空間線量は33ベクレル/立法メートル

現在のマンションが取り壊しによる立ち退きで、六城ラヂウムの引越は大方終わったのですが、新居での整理がまだまだまだです。部屋の間取りが変わると、再び収めるのに苦労しますね。

引越は巣作りの本能がある女性の方が向いているかも知れませんね。
家具も電気製品もきれいさっぱり捨てていきます。また子供が成長して子供服やベビーカー、子供自転車などもそのまま粗大ゴミとなっています。
子供がいるということは大きな経済需要を生み出すのですね。

生活圏と生活リズムがなかなか順応できません。

そろそろ六城ラヂウムの日常を取り戻しつつありますが、ブログの再開でお知らせいたします。

受注・発送業務は通常通りです



バックミュージックはこれです。Perfume・ワンルームディスコ

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引越は気力体力がある若いうちしかできないのだなあ 
Monday, March 21, 2016, 04:23 PM
3/21 晴 10時 浅草での空間線量は29ベクレル/立法メートル

本日から引越作業に入っています。

作業を始めてみると、ゴミ屋敷一歩手前ですw
ほんとうは広い部屋だったんですけど、スペースがあるといろいろ買い集めたりして、積み重ねたままになっているスペースがいつのまにか部屋全体になっている。
みかん箱5箱はゆうに越える本は移転先でどうしたらいいものやら。ここに越した10年前は小さな本棚だったのになあ。

冷蔵庫もドア一つの小さなものだったのが、今では2ドアですし、音楽といえばラジカセだったのが、ミニコンポになりました。
テレビはなかったはずなのに、なぜかテレビとDVD装置が鎮座してます。

靴箱からあふれるほど靴が増えてます。箱に入ったまま積み上げられていたり、押し入れにもいくつか入ったまま。

仕事のために揃えたものも結構あります。業務用の大きな機械、撮影用にデジカメが3台、これに付属品があるので、古くてもなかなか捨て辛いです。金額的にはいまの一眼レフデジカメ並です。

作業机は持って行けないので処分していきます。見た目よりも重量があり、階下に降ろすだけでも大仕事でした。よくまあ搬入したもんだ。

少しづつここに越してきた当初の雰囲気に戻っています。休憩で思うことは

同じ所に住み続けると老廃物が溜り続ける


身体も住居も同じということ。

若い内は引越したほうが良いのかも知れません。体力も気力もだんだん無くなります。

それが無理なら、せめて部屋の模様替えをすれば少しは快適な居住空間が甦るのかも知れません。

でもそれさえもする気がなくなれば、ゴミ屋敷・汚部屋にすぐなっていきますね。
さあトラックに積み込もう。

関連ログ:「南京結び」(トラック・ヒッチ)はロープワークの必修課題です
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ホモレズは良くて民族主義はなぜ糾弾されるのか? 
Saturday, March 19, 2016, 11:04 AM
3/19 雨 10時 浅草での空間線量は29ベクレル/立法メートル

大阪市の公立中学校の校長が女子は子供を二人は産むべしという発言をメディアはずいぶん取り上げています。旭日旗を掲げたこともあるというなかなかエキセントリックな思考をもっている方のようです。

新聞を読む度に思うことは、一方的な(一般論を装った新聞社の倫理による)批判ばかりということ。

教育者だから性別への価値観の押しつけはけしからんというわけです。さらに男は働き女は産み育てよという考えは、一億総活躍を唱える政府方針に反するということだと。

でも女性が二人以上産まないと人口は減るという事実に対して、個人的なな解決案を披露しただけでしょう。
公立の校長がこのような思考を披露したことで、事なかれの風潮が強い現行の教育制度には具合が悪いから組織側にいる者たちは、みんなで感情的に騒ぎ立てているだけ。。

もっともセンセーに指図されたぐらいで子供が増えれば、誰も苦労はしません。

信仰→哲学→思想→思考→行動



人の脳みそはどのような流れでできあがるのかというと、上記の流れです。

しかし一部私立を除き日本の公教育においては宗教臭はタブーですし、そこから派生する哲学・思想もない。

現代の学校では思考と問題を解くプロセスのみが詰め込まれるだけです。

そのような状況にも関わらず、この校長さんはご自分の思想を披露したに過ぎないと私は思えます。

信仰の自由が憲法でも認められているのである以上、そこから派生する思想、そして考えの筋道、それの発表や表現も先進社会は容認されるべきであるはずなのに。

ところが西洋プロテスタンティズムによる性同一障害者への差別風潮を諫め、さらには同性での婚姻まで認める方向にさえ日本でもあります。

このように西洋猿まねだから一部だけ突出、過激な意見に流されてしまうのです。

憲法下で個人の自由、信仰・思想の自由は認められているのですから、個人で何を信念として持っていようとそれも自由だというのが私の考えです。

暴力的に同質化を求める報道姿勢を不愉快に感じます



ああ、この校長はこういう考えなんだなというだけのこと。極端にリベラルであっても、極端に民族主義であっても、それは人それぞれ。
それは認めなくては、まずまともな批判も擁護も双方で議論ができません。

私は経験上、男女機会均等法は大失策だったと思います



様々な価値観があるにも関わらず、すべからく均等や平等というのは非常に悪い思考です。

いいかえれば、上から価値観の押しつけですから。


ダイバシティー(多様性:Diversity)社会を目指すとか、差異を認めて互いに住みやすい社会だとか総理府あたりがいくら唱えても、すべては男女共同参画なんちゃらといった天下り先を各地に山ほど造るためであり、結局はがんじがらめの男も女も働きにくい社会となったわけです。

企業は利益を生み出すために存在し、活動します。

そのためにはお上に言われるまでもなく、リソース(資源・資産)を最大限に活用しなければなりません。

マルクスは経営者にとって社員は会社のリソースであると断言しています。つまり製造設備や借入資金と同列に並ぶのが人ということ。

資本主義において資源である雇用者に老若男女美醜という概念はもともとから無いのに、法律を作って見せかけの平等を実現したかのように嘯いている社会の方がよほど偽善に満ちていると思うのです。
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コメンテーターとは人間腹話術人形のことか 
Thursday, March 17, 2016, 12:41 PM
3/17 晴 10時 浅草での空間線量は17ベクレル/立法メートル

テレビやラジオで自称経営コンサルタントの「ショーンK」ことショーン・マクアードル川上氏(47)の学歴詐称が話題になっています。外国人の血が入っているということで英語も堪能というふれこみ。
ニューヨーク生まれ、テンプル大学卒、ハーバードでMBA習得、パリ大学留学などなど。本当は高卒。

本名が「川上伸一郎」で熊本出身の生粋の日本人なんだとか。もちろん経営コンサルタント会社の経営というのも嘘。ご丁寧に世界7カ国に展開しているとまで経歴に記しています。

テレビの経済番組では売れっ子のようで、4月からフジテレビで単独番組が予定されていたのに中止となってしまいました。

本業は声優かナレーターなんだとか。
Wikipediaを読むと、CMではインテルの「インテル入ってる」です。これなら聞いたことがある。
ショーンKはラジオDJ専門の芸能事務所で在20年を越えるベテランタレントさんです。

タレントならば何を言ってもいいと思ったのでしょうかね。それにしてもハーフでもないのに、外国籍があるだのビジネスプランがどうのと堂々と言えるもんです。

罪悪感なく嘘を吐ける「演技性パーソナリティ障害」という精神病です


人格障害者ともいいます。大言壮語なホラ話を信じこませる詐欺師には必須能力でもある。

過去ログ:
メディアに映るのは演技性パーソナリティ障害者という気違いばかり
http://www.rokujo-radium.com/blog/index.php?entry=entry141210-124501

ニュース番組でもアナウンサーの脇にコメンテーターという名前で鎮座している人がいますが、あれはなんなんでしょう。

先日「マツコの知らない世界」で腹話術師・いっこく堂が出ていましたが、腹話術人形は会話の間を取り持ったり、相づちやを入れてくれる便利な存在なんだとか。
「家庭に一体」がいっこく堂氏の理想だということ。

コメンテーターっていうのは、結局のところ番組の趣旨やスポンサーの意向に沿わせるための相槌をいれる存在なんでしょう。
腹話術人形とおんなじ役割ということ。

せめてテンプラ大学とかデカメロン大学とかアナハイル大学日本校だとか一ひねり欲しいところです。
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囲碁対戦で見せた人工知能の驚異的な発達と見えてくる近未来 
Wednesday, March 16, 2016, 09:22 AM
3/16 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル

注目を集めた囲碁のトッププロとGoogle傘下のディープマインドがつくった囲碁ソフト「アルファ碁」の5回対戦はプロ9段の1勝4敗と惨敗の結果で終わりました。

昨年ニコニコ動画で行われた将棋ソフトとプロとの対決は五分五分で終わったような気がしています。駒に制限のある将棋よりも碁の方がはるかにプログラムは難しく、数手先だけでも読みは膨大なシミュレーション計算を繰り返すしかないとされていました。

そしてまだその計算能力を満たすハードウェアはできないということも言われていました。

ところが一年も経たずにすでにプロ碁士を凌駕するプログラムが出来たと言うことですから、まあ専門家の予測とは実にいいかげんなものです。

この囲碁ソフトは従来の総当たりのシミュレーションをすることをやめて、ディープラーニングという手法で、過去の似かよった例を参考にして、そこから最善を見つけ出すという手法です。

そのために過去30万件の棋譜を覚え込ませて、さらに経験を積ませるために上段者と対決させたり、コンピュータ同士で打たせたりと100時間ほど学習させたそうです。

コンピュータが過去から学びだした



つまり日に日に囲碁の能力を自ら強化していくということ。
これはすごい技術だなあと感心します。

コンピュータの登場と共に1980年代末に人工知能(AI)という言葉が流行りました。
でも低性能なコンピュータでは華々しいSF物語でほとんど空想の世界で、基礎研究止まりでした。

90年代中盤となると機械翻訳(英単語への置き換え)やカーナビゲーション(オペレーションリサーチという手法)が少しづつ実用化されていきます。

それでも高価なコンピュータを動かして、子供だましのようなものでしたが、10年も経てばネットで翻訳できるようになり、どの車にもカーナビは当たり前となったのですから、技術の進歩とは恐ろしく早いものです。

ところが、これらの処理はある程度コンピュータの得意なルーチン計算です。計算を力任せに繰り返して結果を導き出します。その結果の良し悪しを判断するのは、結局は人間でした。

カーナビではちょっと裏道に行くと、ルートを外れたとか、元に戻れとかうるさいですね。
知っている路はたいていカーナビを切ってしまいます。

ところがコンピュータに学習機能がつくと、このようなことは無くなっていくことが予想されます。
またネットワークで他のコンピュータの知能も共有できるようになるので、だんだん渋滞というものも無くなっていくでしょう。

自動運転と組合わせれば、それこそ最強の運転手となります。
実現は当分先と思われていた囲碁ソフトと同じことがすぐあちこちでも現れてきます。

5年後10年後に仕事が無くなる可能性は十分あると昨晩のNHKクローズアップ現代でやっていました。生産性の向上と雇用の伸びは2000年までは同調していたのが、以降は反比例の関係となりました。

スェーデンでは社員の勤務時間を(6時間に)減らして、二交代制として多くの雇用を生み出す政策を推進しています。
それでどうなったかというと、生産性があがり、顧客満足も高まりました。

一日8時間労働は長すぎると私も思います



人間集中できるのはせいぜい数時間です。人間という生き物は一日4時間程度が限度ではないかな。
恋をしたり、自己研鑚したりする時間が現代には全くないというのが問題です。

生産性が上がっても働く時間が全く減らないということが富の偏在をさらに悪化させているのではないでしょうか。

そこでUber(ウーバー)を代表とするスマートフォンで必要な時に必要な分だけサービスを享受する経済モデルが出てきました。
それもひとつの解決策でしょう。

あとひとつはスイスで国民投票が行われるベーシックインカム制度です。国民全員の生活最低限は国家が保障しましょうというもの。
先進国であっても議論されているというのは、実質共産主義への移行というのはなんとも皮肉です。

確実に言えることはディープラーニングというソフトウェア手法は、今後あらゆる分野に応用されていくでしょう。
あと10年20年後には、人間が判断していたことが人工知能に置き換えられていくことは確実だということ。

金融、医療、農業、土木業、商業、運輸業、軍備とありとあらゆる分野が自動化・省力化していきます。

頭脳労働でさえ人工知能に置き換えられていく



小説家とか芸術家ぐらいしか職業はいらなくなってしまうのではないかな。

秋葉原に集う人種は副島隆彦先生曰く「時代を先取りした人種」だということですが、なるほど完全に現世と切り離された世界(いわゆるアニメの二次元世界)に耽溺(たんでき)できる人々はいままでにない価値観を有していると言えます。

タクシーという許認可業にUberが殴り込んだように、人工知能があたりまえとなれば、入試や資格(士業)といったものも形骸化していくでしょうし、政府機関も大半のサービスは人工知能に置き換えられていくでしょう。

人工知能化は企業も製品にも不可欠な時代がやってくる



東芝の家電部門は中国の安売り家電会社に売却されますし、シャープも台湾受託企業ホンハイに身売りとなりました。
皮肉なことにちょうどテレビの買い換え需要で、東芝もシャープもかつてはお荷物であったテレビ部門は生産が追いつかないほど好調なのだそうです。

今後、企業競争において人工知能化は急速に進んでいくでしょうし、それにあわせて生活も変わっていくことは想像に易いです。
人工知能ディープラーニングが突きつけた命題は、今後は世界各国の懸案となるでしょう。
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立憲主義の「立憲」とは民主主義とどういう関係なのか? 
Monday, March 14, 2016, 06:00 PM
民主党が党名を民進党か立憲民主党とするかで割れて、結局民新党に決まったようです。
ここで使われた立憲とはどういう意味なのだろうと疑問に感じました。

同じような疑問は江川紹子氏がYahooNewsで書かれているので、読んでみました。

「立憲主義」ってなあに?


江川紹子 | ジャーナリスト 2015年7月4日 18時34分配信

http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20150704-00047228/

そこで紹介されている高校教科書・東京書籍「現代社会」では以下のように説明されています。

〈「法の支配」と密接に関連するものとして立憲主義という考え方がある。立憲主義とは、政治はあらかじめ定められた憲法の枠のなかで行わなければならないというものである。さまざまな法のなかでも憲法は、ほかの法がつくられる際の原則や手続きなどを定める点で、法のなかの法という性格をもつ(最高法規性)。国家権力は憲法によって権限をさずけられ、国家権力の行使は憲法により制限される。憲法は、個人の尊重が目的とされ、人間らしい生活を保障するものであり、政治権力がそうした目的に違反することは、憲法によって禁止される。そして、国民の権利が国家によって侵害された場合には、司法などによって法的な救済がなされることになる〉


教科書らしいいやらしい文章だw


これで理解できるのなら誰も試験で苦労しませんわ、私は年齢を重ねているから熟視できるけども・・・。

キーワードは「法の支配」です。立憲主義の説明で最初に説明もなく「法(law)」という言葉があるから、予備知識無しではなんのこっちゃとなります。教科書ってこういう端折り方をするから大嫌いです。

英語では法の支配はrule of lawです。法律に沿ったルールということ。
あたりまえじゃん!と言いたいのですが、この言葉は19世紀にビスマルクにより統一されたドイツで使われたという歴史的に重要な言葉です。(歴史的には19世紀後半に英国議会で唱えられたのが始りとされているそうです)

それまでは小国の寄り集まりで、地域の支配者がそれぞれ権力で支配していました。
普墺戦争以降、プロイセン王国がオーストリアを含めたドイツ全域を治める事となったのです。ちょうど徳川家が日本を治めたようなもの。

そこでrule of kings(王によるルール)ではなく、王に代わりlawというパラダイムとなったことを高らかに誇ったスローガン的な意味を有していると言うこと。

議会は諸国の利害がぶつかり合うので紛糾するばかり


小国が統一されて誕生したドイツでは、君主諸侯の権力は弱くなっても、結局は絶対的な議会制民主主義とはならなかった。

そこでやはり皇帝という権力的地位を上にしたまま、議会は憲法に基づき皇帝の権力を規制し、逆に皇帝も議会を憲法に基づき監視するという相互監視システムとなったのです。

これの政治制度を見習ったのが明治政府です。不文律ではなく明文化した憲法による権力監視体制を立憲主義と後世では名付けたのでしょう。似た経緯で統一された明治新政府がイギリスやフランス議会ではなく、ドイツを見習ったのは賢明です。

ただ、江川紹子氏の記事中で樋口陽一・東京大学名誉教授(憲法学)が以下の指摘をしています。

歴史の流れでは、王権はだんだん弱くなり、議会が伸びてくるわけですが、ドイツの場合は、イギリスやフランスのように議会が中心になるというところまでは、ついに行かなかった。けれど、もはや君主の絶対的な支配ではない。どちらも、決定的に相手を圧倒できないでいる時に使われたのが『立憲主義』です。君主といえども勝手なことはできず、その権力は制限される。けれどもイギリスやフランスのように議会を圧倒的な優位にも立たせない。つまりは、権力の相互抑制です。この時期のイギリスやフランスは『民主』で、ドイツは『立憲主義』。明治の日本は、そのドイツにならったわけです。
ドイツはその後、ワイマール憲法で議会中心主義になり、そこからナチス政権が生まれて失敗した。それで、戦後のドイツは強力な憲法裁判所を作るわけです。やはり議会も手放しではよろしくない、ということで


このように議会中心主義は暴走すると憲法学者も断言してます


ドイツにつづいて日本も軍政へと急展開していくのです。議会を絶対的な決定機関とするのはとても危ういことなのです。

法(Law)とはGodを信仰する者同士の共通な道徳・規範のこと



ここで言う『法(Law)』とは、国会が作った法律のことではありません。そうであれば、第一原則と第二原則は同じ意味になってしまう。ここで言う『法』とは、マグナカルタ以来の法の歴史と伝統、慣習などを含めた規範です。
中世ヨーロッパには「国王はすべての人の上にある。しかし、神と法には服するのだ」ということわざがあります。それが、『法の支配』の『法』です。これは何もイギリスだけではなく、ドイツにも『古き良き法』という言い方があります。日本でも『天道』とか『お天道様』と言いますね。およそ何らかの文明を持っている国は、特定の人間がしたい放題何でもやっていい、というのは認めない規範があります。明治時代に、森有礼が財産権や言論の自由を『人民の天然所持するところのもの』と言ったのは、まさに『法の支配』の『法』を言い表したのでしょう。枝葉を取り払って大胆な言い方をすれば、『法の支配』とは『人間の意思を超えたルールがある』ということですね


日本にも江戸時代からちゃんと儒教に基づいた法がありましたし、奉行所もそれに従った裁判を行っていたわけで、西欧問わず、法律は自然に発生したものだ(自然権論:規定されるまでもなく、人は生まれながらに人らしく生きる権利を有する)と私は思っています。

ヨーロッパでも日本でも、国王(や天皇)の上にも、絶対神(God、儒教では天)がいることが前提であったのです。
これが近代国家の基礎である「法(Law)」の正体です。

「法治国家」とは行政が法を楯に強行することではない



「法の支配(rule of law)」を楯に政治運営をすることが法治ではなく、為政者にも共通の『法(law)』を有しているかが重要という意味なのだそうです。
法治国家(Etat de droit)がEU統一の合言葉であったことは、日本人の我々もよくよく知っておくべきことなのです。

この共通な道徳観念が法(law)であるという前提を知らねば、法治という意味も、「法の支配」という重要キーフレーズも理解できないのです。

ただし宗教道徳が似たようなヨーロッパに於いても、大きくはカトリックとプロテスタントという勢力があり、さらにユダヤ教や宗派の違いにより、議会による決定が最善であるとも言えません。ちょうど統一直後のドイツのようなもの。

そこで議会制度での法案を憲法で再検証するのが立憲主義である


ということ。政治形態は時代を経るにつれて

君主主義→民主主義→立憲主義

となり、現代のヨーロッパでは一方的な権力の付与を大衆(デーモス:デモクラシーの語源)に与えるだけではいけないという考えがしっかり確立されているということです。

その点、日本の教科書は、そういうことに全く触れず、人権主義万歳、憲法に明記されているのがいい事だとすごく浅く表面的な解説しかなされていません。

立憲主義と民主主義は結構奥深く、そして深刻な思想に関わる関係なのです

そこまでわかれば、軽々しく民主主義だ、立憲主義だと日本の土人ごときが言うべきものではないと私は思うのです。

民主党が「立憲民主党」にならなかったのは残念です


万年野党らしくて良いと思うのですけどね。
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原発大艦巨砲時代の終焉(アメリカに梯子をハズされた外務省) 
Monday, March 14, 2016, 11:57 AM
3/14 雨 10時 浅草での空間線量は17ベクレル/立法メートル

「ジャパンハンドラーズ」の著者である中田安彦氏がアメリカの原子力政策の大転換をブログで紹介しているのでこちらでも転載します。

3月8日)欧米諸国の「原発大艦巨砲主義」の終わりが見えてきた


http://blog.livedoor.jp/bilderberg54/archives/48029153.html

要約すると、

①フランスの国営電力会社EDFの財務責任者(CFO)が辞任した原因は英国に建設予定のERP型原子炉であること。
ERP原子炉はフランスとフィンランドでも建設中であるが、いまだ完成させた国はない。

②フランス・EDFがアレバを救済買収し、そのEDFに英国も救済の手を差し伸べ、さらにカモとして中国広東核電集団(CGN)を参入させて英仏両国はEDFの早期完成を計った。ただしこの救済案も頓挫している。

つまりフランスの原子力企業は青色吐息で余力はほとんどないということ。

つづいてアメリカでも原発行政では大きな転換時期を迎えています。

3月4日)日米原子力協定の無条件更新にアメリカの原子力関係者が難色を表明-反原発派は「ジョゼフ・ナイありがとうデモ」をやるべきである


http://blog.livedoor.jp/bilderberg54/archives/47996744.html



私も3/3に読んだのですが、アメリカでもMOX燃料工場の建設を断念して代替案として核燃料廃棄物を地中に埋める案に移っているという記事です。プルトニウムを抽出してプルサーマル燃料にする工場の建設があちらでも頓挫しています。

以上がアメリカ国内での核燃料再処理問題についてですが、これは日本での原子力政策にも大きな転換を促していると中田安彦氏は指摘しています。

核不拡散の専門家がオバマ政権に日本と韓国の再処理計画の中止を求めた



 問題になっている朝日が報じた公開書簡は、International Panel on Fissile Materials というウェブサイトに掲載されていた。書簡に登場するのは、著名なジャパン・ハンドラーズの一人であるジョゼフ・ナイ(元国防次官補、三極委員会北米議長)を含める13人で、Joseph CirincioneやRobert Einhornなど北朝鮮の核開発を巡る議論で頻繁に登場する識者も含まれているほか、三極委員会のナイやビルダーバーグ会議メンバーのジェシカ・マシューズ(カーネギー平和財団)、それからミサイル防衛の権威のトマス・ピカリング元国防次官らが含まれている。


つまり米国では再処理施設の建設は断念したのであるから、日本も断念すべきという(過去から原発稼動と燃料サイクルを推進していた)ジョセフ・ナイらによる意見書です。
日本と将来的には韓国にも核兵器原料となるプルトニウムが蓄積されていくことに、現在の世界情勢からは好ましくないということです。
一方では中国がフランスEDF・アレバにERP原子炉の建設を通じて結びつきが大きくなれば、プルトニウム保有国は米国から中国へと移り、潜在的な核兵器原料が世界中(特にアジア)に溜ってしまうという危惧からです。

燃やした灰は深くに埋めるのが一番



こういう単純な理屈ではあるのですが、「日米原子力協定」では日本はアメリカへの供給元としてプルトニウムの抽出という役割を担わされているのです。また日本は唯一の被爆国でありながらおおっぴらにプルトニウムを抽出することができる日米間でに権利を有しているのです。

この日米原子力協定は外務省・原子力ムラの大きな利権ですから、外務省としては放棄せずこのまま継続更新してもらいたい。
一方でアメリカは原子力協定を見直して、再処理施設の計画は中止してもらいたい。

MOX燃料は扱い面でもコストでも割高なので、本来はこのような再処理技術は経済的に引き合わないのですが、日本に於いてはいまでも推進に熱心です。

画餅の核燃料サイクルはいますぐにすべて計画は白紙とすべしです。

次の大統領次第で大きく原子力政策の転換が行われるでしょう。それにより日米原子力協定が継続されるか、再処理工場の中止となるかの原子力ムラの面々にとっては瀬戸際です。

国民にとっては全く益のない原子力政策など放棄してしまえ!



辺野古基地問題も、核燃料リサイクルという夢物語(天文的な巨額詐欺)はすべて外務省・原子力村による日米間の取り決めなのですから、それをアメリカは見直したいというのであれば見直すべきです。

国家予算を食い潰すだけの外務省の原子力ムラは即刻クビにすべきです。
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ペットボトルを分解する細菌が堺で発見される! 
Friday, March 11, 2016, 01:04 PM
私の地元、大阪・堺の土壌から難分解性の代表格であるPET(ポリエチレンテレフタラート)プラスチックを分解する細菌が発見されたというニュースがYahooに掲載されています。
科学的には大発見ではないでしょうか。そもそもプラスチックを細菌が分解できるとは一般には知られていないでしょう。
土壌や海でこのプラスチックはずっと漂い、深刻な環境汚染を引き起こしています。

PET容器・PET製品は世界的に規制すべきだ!


と私は思っています。

着ているフリースの服もPETが原料です。これが洗濯すると微小な繊維が排水に流れ込んでいく。
下水処理場では分解できないので、そのまま河川に流れて海洋まで行ってしまうのだとか。

決して自然分解しないPETは魚介に取込まれ、生物に影響を与えているのです。
PETは使い捨て容器に使われる安価な原料ですから、世界で大量消費されています。
これがちゃんと燃やされているならば問題はなかったのですが、ゴミ処理のプロセスができていない途上国が世界中の海洋生物に深刻な被害を与えているのが現状。

PETボトルが存在しないバブル時代は空き缶の処理問題ぐらいでしたっけ。アルミ缶と仕分けしろというぐらいで、今思えば問題らしい問題ではなかった。

でも現代プラスチック社会はより大きな世界的問題を引き起こした。
便利さと利潤の追求の行き着く先です。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160311-00000003-kyt-sctch

ペットボトル分解細菌を発見 大阪・堺にちなみ命名


京都新聞 3月11日(金)8時22分配信

 ペットボトルや衣服の素材であるPET(ポリエチレンテレフタレート)を分解する細菌を、小田耕平・京都工芸繊維大名誉教授や木村良晴・同名誉教授、吉田昭介・元慶応大理工学部助教らのグループが見つけた。分解メカニズムも解明しており、PET製品のリサイクルなどにつながる。米科学誌サイエンスで11日発表する。
 堺市で採取した試料から得たことにちなんで、細菌の名称を「イデオネラ・サカイエンシス201-F6」と名付けた。この細菌は、ペットボトルなどに比べて結晶化の度合いが弱いPETフィルムの表面に張り付いて分解する。
 遺伝子の解析から、2種類の酵素を用いてエチレングリコールとテレフタル酸に分解していることも突き止めた。これらの酵素は、これまでに報告されているPET分解酵素と異なり、常温で活性が高い特徴があった。
 現在、PETのリサイクルでは化学的な処理が行われているが、細菌を用いることでエネルギーの消費量を減らすことが期待できる、という。

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無き人との対話をする「風の電話」 
Friday, March 11, 2016, 12:18 PM
3/11 曇 10時 浅草での空間線量は26ベクレル/立法メートル

昨晩のNHK特集で岩手県大槌町に「風の電話」という電話ボックスがあることを知りました。
つながっていない黒電話に話しかける姿が映し出され、胸を打ちます。

亡くなった者へ語りかけることができる場所としてずいぶん前から有名だったようです。

外音から切り離され、声も外には漏れない電話ボックスは安心感がありますね。
公衆電話に入るとほっとした感覚はよくわかります。

一方的に話しかけるだけですけど、たしかにそこには会話があるとテレビをみて感じます。

カトリック教会にはよく映画であるような懺悔室(告解部屋)があるそうですが、街に置いてある証明写真機みたいなもんだなぐらいにしか思っていませんでした。

懺悔室も聞き手話し手双方の顔は見えず、聞き手から問いかけることなく一緒に祈りましょうと締めくくるだけだそうです。
ちょうど電話ボックスサイズの空間は人間に安らぎを与えるのです。

鎮魂と生き残った者への癒しとして、「風の電話」はこれからもそこに建っているでしょう。

私はどちらかというと唯物論的な考えを持っているので、死んだら「千の風になって」のように元素となりただ漂う存在となると思っています。

そこに魂(意識)があるかというと、それはわかりません。
ただ、魂が現世に残っていればいいなという願望はあります。

現世では我々せいぜい祈ることしかできないのです。どのような宗教であれ「救い」や「赦し」は結局はそこに辿り着く。

だから「風の電話」で話しかける人の姿に心打たれるのです。
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哲学・思想・信念がない国家には法もクソもなく裁判官の情実次第 
Thursday, March 10, 2016, 11:40 AM
3/10 曇 10時 浅草での空間線量は29ベクレル/立法メートル

関電高浜原発の運転差し止めの仮処分を大津地方裁判所が下しました。さて運転中止を求める原告は誰なのか良くわかりません。

ネットで検索すると「福井から原発を止める裁判の会」という禅宗の坊さんと幾人かの弁護士が立ち上げた会が原告のようです。一般市民でも会費を払うと原告に連名で加えてくれるのだとか。

市民団体系弁護士と関電が抱えた弁護士、そして地裁の裁判官と法律で飯を喰っている連中が、三者三様の立場で裁判に臨んでいたわけです。

このような活動はあってしかるべきですし、弁護士が率先して訴訟を起こすことで裁判への敷居を低くする大変よいことだとも思います。

ところが、この判決を下した裁判官には私は同意できません。

判決理由が100%の安全性を関電は証明し切れていないというレトリックであるからです。

大津地裁の裁判官は福井地裁につづいて非科学的な判例をだした



完全無欠な安全などというものはありえない。そのため関電側は確率で答弁したと思います。将来予期される地震への耐震対策とそれによる損傷を膨大な資料と計算で提出したでしょう。

なぜ具体的にこのような事が言えるのか?というと、私は会社員時代に大飯原発や高浜原発の配管の強度計算をやったことがあるからです。ねじ穴ひとつ、メーターひとつボルトで留めるだけでも、地震で揺れた場合や熱で金属が膨張した場合などを想定してコンピュータで強度計算するのです。

馬鹿臭いなと思っていましたが、原発施設内では些細な工事であっても法律で強度計算が義務づけられて資料を官庁へ届け出なければならないので、ハシゴひとつ付けるのでも関電は膨大な資料を作成しなくてはなりません。

実際形骸化しており、法令義務として従っているだけです。

全く重要ではない箇所(例えば操作盤の取付金具ひとつ、手摺といった原発本体以外の工事)でもやる必要があるのか誰もが思ってます。そしてそのような資料は官民双方ぶ厚い計算書など読みません。

定常運転している原子炉を止めるほうがずっと危険!



原発だけではなく巨大なプラント(たとえば製鉄や化学工場)の運転を止めることは技術者なら絶対避けたいと思います。
ちゃんと運転が止まったとしても、今度は再起動も慎重にやらねばなりません。一度止めたプラントは点検や分解という大変な労力で再起動されます。

製鉄所の高炉も一旦火を落とすと、再び動かすのは労力と金がものすごくかかります。
たとえば中で冷えて固まったスラグを取り除いたり、休止中に錆となったり、ひどい場合は酸性の液体で配管に穴が開いているかもしれない等いくつもの点検や交換が必要となるからです。

特に原発は稼動しっぱなしが普通のものですから、それを車のエンジンかのように頻繁に止めたり始動したりするものではありません。
専門家も指摘していますが、

起動と停止するほど不測の事態が起きる確率は高くなる



配管は錆びていくかもしれないし、油ぎれしているかもしれない。今回の再起動で送電経路に異常がありすぐに停止してしまいましたが、あれも送電でのスイッチ箇所の操作ミスです。

このように不測が起きる可能性が逆に高まってしまうというパラドックスを抱える結果となってしまう。

そりゃマニュアルや手順が徹底していないと反論されると思いますが、机上の紙でいくらやったとしてもバルブ操作やスイッチボタンを押すのは人間であるということを考慮していないのです。

老人の暴走事故が頻発するから運転は人ではなくコンピュータにさせればよいと誰もが思いますけども、それで事故は100%無くなるでしょうか。どれほど高性能なコンピュータとセンサーを積んだとしても想像できないような事態で事故は必ず起きるでしょう。

動く物体がすぐ止まれないことは物理法則で自明です。

それならば自動車は動かしてはならぬ


こういう理屈を認めるということと、今回の高浜原発の運転差し止めの仮処分は同じと言うこと。

電力が我々の生活が必要不可欠である以上、法曹界では妥協点を示さねばいつまでも原告(市民団体)と被告(電力会社)の意見は平行線です。

大津地裁の裁判官は法律違反を犯したわけでもない福井原発の稼動をどうして差し止めるという決定をだしのか、全く理解できません。
大津地裁の裁判官は、自分が電力業界の生殺与奪を握っていると自覚しているのであれば、相当のワルです。福井地裁の裁判官と思考プロセスが一緒というのも不気味です。

左翼思想のようで実は極右翼(排他主義)です



市民運動は勝手にやればいいと思いますが、裁判所がこのていたらくでは裁判所の判断など眉唾でみることになるでしょう、少なくとも私は。

法の番人が非科学的で偏った思想であるのですから、これから進歩もない絶望的な状況です。

付け加えておきますが、勝俣元会長ら東電幹部を強制起訴した東京地検とは別の話です。津波対策を握りつぶしたことは背任罪であり、過失致死罪を問うことは当然だと私も思います。原発施設や技術者に責任があるのではなく、本当のワルは革の椅子に座っているやつらです。

原発を止めようが壊そうが、そこに問題があるかのように矮小化した大津地裁は、前例を作った福井地裁と同じく、罪な裁判官ばかりです。

過去ログ:まさに「黒い巨塔」・・・最高裁事務総局の黒い支配! 「ニッポンの裁判」瀬木比呂志著
高浜原発再稼働を禁じる仮処分をだした福井地裁は弁証論(科学)を否定した
吉本隆明が単純馬鹿な「反原発論」者を切り捨てているぞ
日本は遵法という概念が稀薄だから違憲「状態」と茶を濁す
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お袋からの電話は「駆け込みドクター」観た?とのこと 
Wednesday, March 9, 2016, 01:44 PM
TBS 日曜20時~22時 駆け込みドクター
健康なカラダになる家族でみんなで総まとめSP
http://www.tbs.co.jp/kakekomidr/archives/

そこで玉川温泉が紹介されていたそうです。松本明子が実際に(この時期はバスではなく)雪上車で訪れて、温泉と岩盤浴をしょうかいしていたそうです。改装されてきれいになりましたよ。また食事なども改善されたようです。毎年案内はこちらにも届いております。

どうりで月曜日に注文が多かったわけだ・・・



玉川温泉はやはり三泊、できれば一週間以上の湯治をしたほうがいいですよ。

六城ラヂウムの製品群もお持ち下されば効果倍増!


岩盤浴シート・氣傳効(きでんかい)、高線量セラミック・源憘珠(げんきだま)シリーズを湯治のお供にいかがでしょうか。


奇跡の温泉 玉川温泉



年間30万人以上が訪れる玉川温泉。その7割以上ががん患者だと言われる
一つの源泉から湧き出る温泉は、毎分9000リットルで日本一

入浴相談室
強酸性のお風呂で消費カロリーが800キロカロリーあるため、
高血圧や心臓病などの持病がある人には負担がかかるので専門の看護師が
入浴法をアドバイスしてくれる

温泉から発生する気体「ラドン」
ラドンを吸収するとがんの原因の一つと言われる活性酸素の活動を
抑える効果が期待できるという

岩盤浴
春から秋にかけては、大自然の中で岩盤浴。冬の間は屋内で行う
体が温まると基礎代謝も高まり、免疫力も上がると言われている
免疫力はがん細胞の増殖を抑える効果があり岩盤浴目当てに訪れる湯治客も多い


NHK大河ドラマの裏番組でこんなことやっているのか。
まあしかし、久本雅美が嫌いなので絶対見ないと思います。

そもそもこの時間帯はテレビは観ませんし・・・。

しかしこの手の番組は多いですね。あと散歩番組も。
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ブログの評価は0点 (所詮他人への評価は他人事) 
Wednesday, March 9, 2016, 11:04 AM
3/9 曇 10時 浅草での空間線量は33ベクレル/立法メートル

昨日に日本国債10年物でマイナス金利の最低記録で年利▲0.1%を記録したそうです。
東京中心部はどんどん更地になって新たな高層建築が建てられているところです。昨日も日本橋丸善まで自転車で走りましたが、道路から眺めると、ほんの数年前にどんな建物が建っていたかも覚えていない。

ただで金借りれる今ならばと築40年ぐらいでもどんどん壊していくのですね。
土地所有者が高齢となって代替わりや相続で手放すために、区画まるごと更地となっているのも珍しくありません。寺社町であるここ浅草でも長屋がぜんぶ取り壊されて、すっきりしているのは良いのですが、どうせすぐに高層建築が林立してしまうのでしょう。

日本はどうして街並の景観を守ろうとしないのかな。

広島県府中市の中学3年生が誤記された非行歴が原因で自殺した事件を朝からワイドショーでやっていました。全く気の毒な話で、この時期に推薦書を出さないと宣告する教師との面談が残酷すぎます。

昨日、怒りでとある専門学校の対応を書きました。晩に読み直すとひどい文章なので削除しました。
ブログの評価もコンマいくつというありさまでした。はじめて小数点の評価を見ましたw

教育機関だ教育委員会がとふんぞり返っていたところで、結局は他人事なんでしょう。
学校という看板を掲げておけば、むこうから志願者はやってくると思っている。

少子化で今では自動車学校を含め、いまでは生徒集めで宣伝をするようになりましたけどね。
それでも古い体質の組織は、この府中の中学校や先日書いた専門学校のようにまだまだあるのです。

教えを請う側とすれば、もう少し親身になってくれよ~と思うのですけどね。

三重県の通信制高校ウィッツ青山学園のような営利目的の娯楽産業のような学校も困ったもんですが、権力があるかのように振る舞う義務教育機関にもこまったものです。

実際、マス(集団)での教育というものは教える側にとっては他人事なんでしょう。

進学時期の子供を持つ親御さんたちは、学校と生徒の関係は親が期待しているほど密接で暖かいぬくもりがあるものでもないということを気づくべきでしょう。3ねんB組金八先生のような先生がいないことはないでしょうけども、そのような先生に運良く巡り会うかは誰もわかりません。

私の良い想い出の詰った小学校時代の担任であった鹿島勉先生は現在愛知県の常滑中学の校長先生をされています。鹿島先生はこの広島の中学校の対応を怒り狂ってるだろうなあ。

嗚呼、生徒のために涙を流す教師はいないのか


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非主流の原理主義者たちの反乱 「シャルリとは誰か?」エマニュエル・ドット 
Monday, March 7, 2016, 10:57 PM
3/8 雨 10時 浅草での空間線量は30ベクレル/立法メートル

家族形態がその国・地域の特色を決めるという文化論で注目されているフランスの人口統計学者エマニュエル・トッドの新書が朝日新聞で紹介されていました。学者といってもフランス国立研究所に所属していますから、影響力は大きいでしょう。

核家族・家長性共同体、無規律大家族・一夫多妻家族と大きく分けると4つ(Wikipediaでは解釈は異なる)に家族形態が分類され、それによってイデオロギーが決まるという論です。

先進国における核家族に対して移民や後進国家の共同体家族という生活習慣の異なる人々が政治や思想での対立を起こしているという非常に興味深い分析です。

また地方(家長性共同体)と都市部(平等的核家族)による宗教性の違いでは、家長性共同体の宗教勢力は弱体化する一方だということ。

フランスと同様に日本も農村地帯と神社仏閣は絶滅しつつあります。檀家がいないため廃寺となっているそうでAmazonで派遣坊主が話題になりましたが、この潮流は止まらないでしょう。

ドットはシャルリ・エブド社の襲撃事件に対して「私はシャルリ」と掲げたデモの実体は、フランス周縁部に残る衰退著しいカトリック信者であると推定しています。

オランド政権の支持層は最近までカトリックであった地域や階層の人々であり、衰退するカトリック勢力(ゾンビカトリックと本書では呼んでいる)が他宗教への冒涜も許されるという身勝手な意識であるという結論です。

シャルリ・エブドの新聞も排外的主張や異教への攻撃を掲げた地方やその出身者の不満の受け皿であったということ。

宗教的な寛容さを楯に異教を侮辱する権利を有するという甚だしい勘違いをトッドは指摘しています。

デモ参加者は左派のようで弱者に冷酷な極右派



言い換えればカトリックでも原理主義(fandamentalism)系の人たちが(あたかも自分たちが正義のごとく)騒いでいる構図が透けて見えます。

だから宗教原理主義者がメディアでしたり顔でコメントするのを目にすると唾棄します。

(追記)儒教と変質したキリスト教原理主義国家である韓国の外交姿勢にも当てはまるということに気づきました


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