Friday, May 23, 2014, 12:32 PM
5/23 晴 10時 浅草での空間線量は20ベクレル/立法メートル

薬と漢字で書けば処方箋が必要なものか大衆薬として薬局やドラッグストアで買えるものを指しますが、カタカナとなると一気に妖しげな代物(しろもの)の雰囲気があります。
ちなみにドラッグストアの商品でも「医薬品」「医薬部外品」「化粧品(雑貨)」と明確な区分があります。
「医薬品」と「医薬部外品」似たような容器で紛らわしいですが、医薬品は使用説明書がありますし、医薬部外品は外箱や容器に「医薬部外品」と表示されているはずです。
ところが英語で薬剤や薬を表わすDrug(ドラッグ)、Medicine(メヂスン)そしてPharmacy(パーマシィ)の語源はどれもにたりよったりなんです。
英語での語源はどれも麻薬や雑貨からきている
「悪魔の用語辞典2 日本のタブー」から私の記述を抜粋しておきます。権威ある英語辞典(オクスフォードディクショナリー、以下OXD)の日本語訳から推測しています。
(貼付け始め:一部省略)
Drug、Chemical、MedicineそしてPharmacy
~クスリの大部分は疚(やま)しさで出来ています~
OXD Second Editionを開くと
【Drug】
1. オリジナルで単純かつ医学的な物質、有機物質、無機物質のこと。単体で用いられるか加工された物か、内服薬か薬剤などの区別はない。以前は化学・薬学・染色業、一般的技術用語としてフランス語で同様に広く使われていた。初期にはスパイスの類義語として使われていた。(14-19世紀)
2. 現在では無条件に麻薬、アヘン、幻覚剤を指す。接頭語や熟語として薬物乱用者、中毒者、中毒、依存・・・(19-20世紀)
3. もはや需要のないコモディティー(必需品)、そして価値はあるが、売ることができない物。(現在の市場で流通するドラッグ)(17-20世紀)
【Medicine】
1. 人間の治療、症状軽減、病気の予防、そして健康の回復と維持に関する知識と行為。現代の言葉に当てはめると、制限された意味で、医者の仕事の範囲の傍流。物質的な治療、ダイエットや習慣、コンディションの管理による人間の健康の回復と維持の手段。外科治療と産科とは区別される。(14~19世紀)
2. 病気の治療で使われるすべての物質や調合品。「a medicament(薬剤)」一般には「physic(薬剤)」現在では一般に内服薬のみを指す。(13~19世紀)
b.口語でパージング ポーション(一服飲み干す)(19世紀)
c.治療の方法またはプロセス(14世紀)
d.回復に有効な治療(14世紀)
e.14-15世紀ではキリストや聖母マリアへの祈願
f.薬を飲むこと(不愉快を受け入れるか耐える行為)。勉強すること。飲みにくさ、味など飲んだことによる不快を同じように味あわすこと。復讐、しっぺ返し(19~20世紀)
3. 治療目的以外の役目を薬に与えること。(例:賢者の石、万能薬、化粧品、毒薬、媚薬など)(15~17世紀)
4. 北米のインディアンでは万物、不思議な影響を備えていると想定されている儀式を表す言葉として使われている。スペル、魔除け、崇拝物(19~20世紀)
=マニトウ(超自然的神)
後の作家には、他の原始部族での類似した言葉の置き換えとして用いられている。口語や句「バッドメディスンは誰かか何かが不運か不吉である」
5. (俗語)酔わせる飲み物
(中略)
日本語で病気になった際に使われる「薬」は英単語でいくつあるかご存じだろうか。Pharmacy、Medicine、Drug、Remedy、Physic、Medicament、Agent、Prescription、これらは日本語ではすべて「薬」である。他にも形状から薬を意味する単語ではPowder、Pill、Potion、Ointment、Tablet、Capsule、Lotionなどが挙げられる。
逆に日本語ではクスリ、いわゆる医薬品としての薬は漢字一文字だけであり、その正確な定義もたった三行で定義されているだけに過ぎない。(薬事法冒頭より抜粋)
1. 日本薬局方(やっきょくほう)に掲載しているもの
2. 疾病の診断・治療に用いて、器具でない物
3. 身体の構造・機能に影響を与えることが目的で、器具でない物
株式相場の格言で「相場は悲観の中で生まれ、懐疑の中で育ち、楽観の中で成熟する」
というものがあるが、クスリという意味のこれら英単語も時代の変遷に伴い、相場のような栄枯盛衰があるのである。
Medicine・Medicamentに続いてPharmacyという言葉が使われだしたのは業種として確立した近年以降というのが筆者の推測である。しかし後述するが、この業種・用語はまもなく変貌し、新たな単語が生まれてくるだろう。相場格言の通り、懐疑の中で育っている単語が次々と使われて始めているのだから。
(中略)
■ アスピリンから始まった製薬業
1897年(明治30年)に柳(やなぎ)の枝の成分をドイツのバイエル社が化学合成したことで初めて人工のクスリが誕生した。バイエル社はケミカル(Chemical)会社であるが、同時にクスリ(Pharmacy)という金鉱脈を発見したのである。アスピリン(アセチルサリチル酸メチル)は鎮痛剤・消炎剤として世界中に広まり、現在でも一番消費量の多い薬である。ちなみにアスピリンは高校の化学授業で作られる程度の簡単な化学物質である。
製薬会社が勃興したのはアスピリン発明の第一次世界大戦以降、特にペニシリンなどの抗生物質(抗菌剤)の発見で飛躍的に業界規模が拡大したのである。つまり製薬業とは大戦後に生まれた新しい業種なのである。
それでは日本語で言う「クスリ」はどのようにして「Pharmacy」へと変貌したのであろうか。おそらく18世紀まではDrugやMedicineが一般的であったろうとOxford Dictionaryの記述から推測している。Drugは染料や皮革のなめし薬、スパイス、一般的な薬品など広く用いられていた。Medicineは元々は病気治療の祈祷を指す言葉であった。ただし近代においてDrugは麻薬、Medicineは祈祷行為からインディアンの呪術へと変貌しており、医薬品にはふさわしくないと経営者は考えても不思議ではない。
18世紀まではChemicalも(生薬ではない無機質の)医薬品として使われていたにもかかわらず、なぜ20世紀ではChemicalが「クスリ」の意味を失ってしまったのだろうか。
推測すると、産業構造が大量生産へと移り、化学的処理、大量生産へのプロセスという意味が主になってしまったからであろう。つまりChemicalに含まれる大量生産=安価のイメージが嫌われたのである。1980年代からFine Chemical(ファインケミカル)という言葉をハイテク企業や半導体部品企業が用いたのがその証拠である。
■ Pharmacyは錬金術の最終結果
第一次大戦後アスピリンの世界的な普及を見た他の化学品メーカーも右に倣(なら)えで医薬品製造へ乗り出すのである。その際Chemicalでは商品イメージの差別化ができないためギリシャ語の精霊を語源とした「Pharmacy」を頻繁に使うようになったのであろうというのが筆者の推測である。
もっとうがった見方をすれば、DrugやChemicalをPharmacyと名付けた瞬間に「高付加価値商品」となったのである。Chemicalは錬金術から生まれた言葉であるが、まさに錬金術のごとく魔法のように富を産み出す言葉となったわけである。Drugはドラッグストアという単語があるが、日本で言う薬局ではない。ドラッグストアとは店内に炭酸飲料のバー(ソーダファウンテン)のある、ありふれた雑貨屋なのだ。DrugはOXDに記載されているとおり、いまでも取るに足らないもの、需要のないコモディティ(生活必需品)なのである。
Chemicalから派生したPharmacy(Pharmaceutical)が業種として認められたのが、ペニシリンを世界で初めて生産したアメリカのファイザーからであろう。元々は食品添加物、クエン酸の原料メーカーであった。
世界初の抗菌剤(抗生物質)は結核をはじめ死因のトップである感染症から人類を救う夢の薬であった。第二次世界大戦後は抗菌剤こそ夢の薬であり、複雑な化学合成物質こそ人類に役立つ究極の化学物質と盲信し、その発見と合成に化学業界・製薬業界が総じて猛進したのである。
■ 欧米人はクスリを必要悪と見ている?
一般的な英和辞書で「Drug」「Medicine」を引いてみると、どれも薬、薬品、薬剤としか載っていない。「Pharmacy」は薬の他に薬局・薬屋の意味もある。「Remedy」も治療薬といった意味で使われている。他にも【Physic】【Medicament】【Agent】などといった単語が和英辞典では挙げられている。
なぜこれほど同意語が多いのだろうか?
筆者が推測するに、medicine-manという単語はインディアンの祈祷師である。つまりmedicineにはオカルトチックな意味合いが強い。OXDにあるように元来は聖母マリアへの祈願であり、意味が転じて薬の苦さ(苦しみ)、しっぺ返しという意味が派生してしまった。
また近代ではDrugも取るに足らない雑貨から転じて麻薬にまで品位が落ちてしまった。
そのうちPharmacyも「一攫千金を夢見る行為」といった卑俗な言葉に落ちていくだろう。
このように欧米でのクスリに対する感覚は常に卑下したものであるようだ。
なぜなら欧米での医療階級では外科こそ花形であり、内科は下層だそうである。医者にも階層があり、医者の頂点は心臓外科医である。
海外での医療費は、ちょっとした問診でもとんでもない請求額になる。そのため発熱程度は市販薬や民間療法で治そうとするのが一般的だ。そのため基本的に医療といえば手術といった外科を示すのである。
そのためDrugをPharmacyやRemedyと言い換えたところで、所詮Drugに過ぎず、麻薬や呪術と大なり小なり変わらないという意識があるのだろう。そして巨万の富を稼ぐ製薬会社に対する反感意識とともにPharmacyという単語も古臭くなり、新たな単語が製薬業界で広められていくのであろう。10年前に流行った「ゲノム(Genom)」のように・・・。
(貼付け終り)
このように、英単語でクスリを示す単語はもともと染料や皮革のなめし薬、スパイス、病気治療の祈祷を指す言葉であったのです。
ですから、このように覚醒剤常習者の逮捕報道で見られるクスリは、本来のDragの意味です。
「医者から処方されたクスリを知る本」といったタイトルの本がかつてありましたが、疑問を抱く患者にとっては、「クスリ」が正しい。
「医者から処方された薬を知る本」では医学生が買う程度で売れそうにないタイトルです。
日本語の薬の定義は日本薬局方(やっきょくほう)で掲載されているもので、それに載っていないものは単なる化学品です。
「Drug」「Medicine」は日本語では「薬」であっても本来の「麻薬・いかがわしい」のイメージがつきまといますが、これが本当の意味です。ですから「ASKAがクスリで逮捕」という表現はDragを日本語で表わす苦肉の使い方であると思えます。
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Thursday, May 22, 2014, 04:28 AM
サーバーがトラブルで更新が滞っていましたorz
ウクライナ問題に関し、ロシアへの制裁に関して付帯でかならず論議される天然ガスの供給ですが、意外と液化天然ガス(LNG)というものをご存じないと思います。
なぜならテレビキャスターや評論家風情が、アメリカやカタールといった天然ガス産出国からLNGタンカーでヨーロッパに供給すれば、ロシアガスへの依存率を下げられるという論調があるからです。
ご家庭でガス栓をひねれば出てくるから、意識することがないのでしょう。
国内のガス供給は無駄の積み重ねで成り立つ
まずガス産出国で天然ガスの採集が行われます。これを日本へ輸出するためには冷却してー162度という極低温の液状にされます。このことは小学生でも知っている。
かつて冷却する装置を化学工場で見学したことがありますが、仕組みは簡単で巨大なコンプレッサー(圧縮機)です。ものすごい音と振動、そして熱をだします。クーラーの室外機と同じですね。
極低温で液化され、タンカーやタンクローリーで消費地に運ばれるのですが、目的地に着いたら何をするのかというと、液体から気体へ戻さねばなりません。
http://www.tokyo-gas.co.jp/techno/stp3/02a9_j.html

単にアルミの配管にフィンがついただけの車のラジエーターのようなもの。
ここに液化天然ガス(LNG)のタンクローリーを接続して、液体から気体へ強制的に気化させます。そうしてやっとガス管で消費者や工場に届けられるのです。
食品加工工場(製パンや飲料など)や金属加工産業(アルミサッシといった軽金属や鋳造メーカー)などの大消費企業へは、ガス管では追いつかないのでタンクローリーで直接運ばれているのです。
そのような工場では今日みたいな湿気がある日だと一角に靄(もや)が立っていることを見かけることがあります。湯気は上に登りますが、風がないとドライアイスの雲のように地表に漂っています。
発生源はこのLNGの蒸発機(気化装置)です。
蒸発機周辺はすごくひんやりしていますし、真夏でもそこら中に霜がついて白く凍っているのです。真夏での休憩場所にはとても快適な場所です。
しかしよく考えると、液化するためにエネルギーをかけ、タンクローリーで運び、使用時にはそのエネルギーを大気放出している現状をみれば、液化天然ガスほどあほくさいエネルギー源はないのです。
さらに北海道や裏日本の低温な地域では蒸発機をボイラーで温めてあげなくてはなりません。
液化でエネルギーを使い、気化でもエネルギーを喰うのですから、この効率の悪さに唖然としていまいます。
ですからパイプラインで消費地に運ばれるコストとタンカー/ローリーで運ばれるコストは、水道とエビアン(瓶詰め天然水)ぐらい違います。
そのためロシアにとってアメリカや産油国がヨーロッパへ供給を(口先だけで)表明しても、痛くもかゆくもないのです。逆に価格優位性が鮮明になって、よりいっそうロシアガスへの依存が高まるだけ。
高い燃料を使えば、そのまま価格に反映され、消費が落ち込むのは今の日本企業を見るまでもありません。
日本が先例となったように、LNGによるガス価格の高騰により、ヨーロッパの製造業は中国やロシアへ移転してしまうでしょう。
LNGの利用比率を高めると産業は空洞化する
Domestic Indastry(国内向け産業)だけが残り、輸出産業はエネルギーと人件費が安い国へ移転していくのは自明です。
ロシアと中国のタッグは私たちが考える以上に強力だと言えます。
ロシア、ガス探査・中国向けパイプライン建設に550億ドル投資へ=大統領
2014年 05月 21日 20:23 JST
[上海 21日 ロイター] - ロシアのプーチン大統領は21日、天然ガス探査と中国10+ 件に続くパイプライン10+ 件の建設に550億ドルを投資すると明らかにした。
また、中ロ両国がこのたび締結したガス供給契約の一環として、中国10+ 件がロシア側のインフラ開発などを支援するために約200億ドルを支払うと述べた。

過去ログ:(おすすめ)超音波加湿器での使い方
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Monday, May 19, 2014, 11:58 AM
5/19 晴 10時 浅草での空間線量は30ベクレル/立法メートル

もちろん私も知りませんでした(笑)
1700年中頃(江戸時代中期)のドイツ数学者クリスティアン・ゴールドバッハさん(もろにユダヤ系ユニテリアン・キリスト教徒の名前ですね)が
「5以上の自然数は三つの素数の和で表わすことができる」と予想したものです。
予想ですから、たぶん~じゃないかな~と言うこと。
証明は他の方がやってみてくださいと投げかけたということ。
数学者ってのは答えのないクイズを創ることが仕事なのか?
それを寄ってたかって解くだけの簡単なお仕事です…ってなわけではないでしょうが、仕事の形態としては特殊ですよね。
自分の予想(仮定)を自ら証明することはしない
世の中の経済学者も年始の景気動向や株価の予想がどれだけ外れても責任を取ることはありませんけども。経済学者の過去の予想を考察するのは学会のタブーなんだとか。
紙と鉛筆だけで稼ぐ仕事としては、ずいぶん世離れした稼業です。
朝日新聞の櫻井進の連載を読んでいて、このゴールドバッハさんの予想に対し、オイラーさんは「偶数という条件だったら二つの素数の和」でいいじゃんと返したのだとか。
愚鈍な普通の人なら「おまえ何いうてんねん」で終わる話を、さらに引き継いで「俺はこうも考える」と返せる人が数学者なのでしょう。オイラーさんは高校の教科書に出てくる数学界の大御所です。
なぞなぞに対してなぞなぞで返したようなもの
それでいいのか?それでいいのだ!
来月早稲田大学の数学博士を訪問させていただくのですが、何を聞けばよいのか、そもそも教えてもらうことに対してちゃんと質問できるかというと心細い。
小室直樹という哲学者は本業は数学者でした。
その愛弟子で数学と哲学の共通性を理解している副島隆彦先生の方が私よりも「数学という抽象学問の深淵」の縁にいる気がしています。
私は「非線形(ひせんけい)」という方眼紙と定規で表せない数式を学生時代やっていましたが、いまだに「非線形:non-liner:ノンリニア」という言葉を見聞きするだけでジンマシンが出ます。
このような定規と電卓でスッパっと示すことができない事象(現象)を解明することが、現在コンピュータが活躍する領域です。
たとえば自動車の衝突シミュレーションとか核分裂や核融合、汚染物質の拡散といったもの。ある瞬間に刻々と状況が変わっていく変化のこと。
ひとりの天才がいれば残りは手伝い・下働きで良いのです。抜群な頭脳を持つ理工系学者なんてほんの一握りでいいんじゃないのと思ってます。
ああ気が重い。
ベストセラー「博士の愛した数式」は双子素数に取り憑かれた記憶障害の数学者とシングルマザーの家政婦のお話です。

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Monday, May 19, 2014, 09:21 AM

ドイツのベルリンで航空ショーが開催されるらしいですが、フランスのエアバス(AIRBUS)社は電動の二人乗り飛行機(E-fan)の試作機を出品しています。
現実的には特殊用途か実験機どまりでしょうが、こんな飛行機一つあれば面白いと思います。1人乗りヘリコプターをつくっている日本の企業もありますよね。
乗り物はもっと柔軟な発想で生まれて欲しいですね。官庁の事なかれ主義な規制だらけの日本では革新は生まれないでしょう。
ラテン民族のフランスの製品は、作りたいから創るといった熱意(Enthusiasm:エンスージアズム)を感じるから好きです。
過去ログ:20年間で自作飛行機122機目のナウシカのメーヴェ、零戦は110機目
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Sunday, May 18, 2014, 01:13 PM
5/18 晴 10時 浅草での空間線量は30ベクレル/立法メートル

宮だしは早朝なので見逃しました。お参りぐらいせめてしようかと思いましたが、人混みが8時でも多くて身動きできず雷門付近で引き返します。
部屋で休んでいると、地響きのような音が響いてくるので、もう本社神輿が近所を練り歩いているのか?と思って外に出てみると、辻にいくつもの和太鼓が一斉に鳴り響いています。
これが反響して、室内にいるとドドドドッッドドと響き渡るのですね。

お隣の文京区の湯島天神の和太鼓集団のようです。ぴたっと掛け声がきまってかっこいいです。
クライマックスは乱れ打!
でも横からもズンズンドンドンと太い音が聞こえてきます。
100mも離れていない距離で上和太鼓(「じょうわだいこ」と読むのかな?)がコンビニ駐車場でこれも見事に息のあった音を出しています。こちらは清瀬市から。



さあウチの町内に神輿が引き継がれました。観光なら遠くから眺めるか、後をぞろぞろついていく方が良いです。
町内毎に神輿の動かし方が異なるようで、他の地区の担ぎ手が、あの取り回しはきついとか、交差点でぐるぐる回すのは担ぎ手にとって疲労困憊だとか感想を言い合っていました。
神輿の担ぎ方にもそれぞれの地区の特色があるようです。


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Saturday, May 17, 2014, 11:49 AM
5/17 晴 10時 浅草での空間線量は38ベクレル/立法メートル
NHK教育のETV特集「発見!謎の金銅製馬具」の再放送を観ました。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2014/0510.html
発見!謎の金銅製馬具![]()
~古代日本と朝鮮半島の交流史~古代の日本と朝鮮半島の交流史が大きく書きかえられようとしている。昨年3月、福岡県古賀市で発見されたきらびやかな金銅製の古代馬具。当時、日本と敵対していたとされる新羅から贈られたと見られている。また日本独自のものと見られていた前方後円墳が韓国西南部で発見されたり、韓国全羅南道の沿岸部で“倭系甲冑(かっちゅう)”と呼ばれる日本由来の武具が見つかったりと、古代の日本と朝鮮半島の交流の歴史に新たな見方を与えている。番組では最新の調査と日韓の考古学者の議論を通して、古代の日本と朝鮮半島の交流史を探っていく。
前方後円墳は日本独自で中国大陸にも柵封(さくほう)であった朝鮮半島(高句麗・百済・新羅)にも原型が見あたりません。
埋葬方法が中国と近畿では違うのです。(たしか中国は古墳の上部に石室があり、日本は地下か地中にあるため。もしくは逆かな)
古墳の形式は中国渡来からという説はもともとから根拠が薄かったのです。
日本の古墳形状はどうして独自になったのかが研究者の関心です。
いままでの定説は「朝鮮半島からの伝来が原始日本を形作った」となっています。
稲作、仏教(文字)、鉄器いろいろ
日本書紀や古事記にあるように九州地方と中国・朝鮮半島とは交流があったのは当然でしょう。
ただしどうも一方通行であったという見方はあきらかな誤りです。
それが今回のETV特集「発見!謎の金銅製馬具」です。
逆に九州地方と奈良大和政権から半島へ渡った人種もいた
6~7世紀に新羅から贈られたと見られる装飾馬具が古賀市の船原(ふなばる)3号墳から見つかった。
倭国と新羅が敵対していたこの時代に、なぜ新羅のきらびやかな馬具が九州北部の古賀市で見つかったのか。
新羅が日本に散らばる豪族(首長)のネットワークを構築していたという証拠。
大和朝廷と対立する九州豪族たちの後ろ盾に新羅はなっていたようです。(日本書紀にある磐井の戦争)
新羅との関係が知られることをおそれた北九州の豪族はあわてて埋めたのだろうと推測されています。
磐井の戦争後も大和朝廷の力は九州全域に及ばず、100年経っても九州の豪族は反朝廷の勢力を保っていた。
一方で大和朝廷と交流のあった百済(現在の韓国西南部)では日本形式の前方後円墳が見つかっています。
この前方後円墳をつくったのは倭人であるという定説を覆す見方が調査技術の発達でわかりました。日本は3世紀、百済は6世紀と300年の隔たりがあるため。
日本から朝鮮半島へ渡ったという日本書紀の記述にも合致する。
その証拠が古代日本の甲冑が発見されたことです。
百済王権には多くの倭国出身の軍人が高い地位を占めていたということ。
政府間の往来が新羅、百済であったこと。そして王権を支えていたこと。
どんどん古代史が塗り変わっていきます。おもしろいですね。
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Friday, May 16, 2014, 07:20 PM
5/16 晴 10時 浅草での空間線量は33ベクレル/立法メートル
明日から浅草は三社祭です。今日からあちこちの町内で神輿が出されてぴーひゃらお囃子の音が聞こえます。まっ私には関係ないですけども。
アメリカの株式市場のチャートでSP500(主要企業500社)とNASDAQ100(新興企業100社)、Russell2000(ラッセル2000:中小株)のチャートがすべて天井を示すサインを出しているそうです。
SP500は三点童子を、NASDAQ100は三尊天井、ラッセル2000は200日移動平均を割り込んでしまったとのこと。(すべて週足)
チャート分析は詳しくはないのですが、過去ラッセル2000が200日平均を下回るのは1999年と2007年の2回のみで、その直後にNYSE市場は60%の大暴落を引き起こしているそうです。
GoogleとかFacebookとかIT産業、GMだって元気そうじゃないか
なんたってアメリカはシェールガスで安価なエネルギーがあるから経済は持ち直すでしょう・・・
しかし株式市場は先行き大悲観でみている
アメリカはFRBの金融緩和策でジャブジャブマネーが株式市場に雪崩れ込んでいます。
もっとも流れ込んでいるのは、国債市場です。銀行はお金を貸さずに国債を買って利鞘を稼いでいるだけ。
この国債バブルが弾けると同時に株式市場も崩壊する
という不気味な予想です。
3つの指標が同時に天井を示していることは珍しく、リーマンショック程度では済みそうにありません。
自衛策としては、ペーパーマネーよりも実物です。
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Thursday, May 15, 2014, 06:48 PM

弊社製品群は銀塩フィルムを感光させることができるかという実験をしております。
テスト的に源憘珠の上にフィルムを載せて、暗所で5日間放置してみました。
微かに源憘珠のツブツブが写っています。
ただしX線専用フィルムに比べれば格段に映りが悪いですね。
(画像処理でコントラストをあげています)
もう少しわかりやすくしたいですね。もっと高感度のフィルムを使ってみるとしましょう。
写真データ:フジカラー100 180μSv/hで5日放置(約20mSv相当量)
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Thursday, May 15, 2014, 05:19 PM

一枚あたり12~15μSv/h
長く歩いても疲れにくくなった
出かけるのが楽しみになった
仕事の作業靴に入れて快適な毎日
ショックが和らいで膝痛が軽減されました
などなど声が寄せられています。
このような簡単そうなものでも、プレス用の抜き型のデザインから抜き型の発注、プレス機での試作とモノ作りは大変なのです。
浅草は古くから製靴業が盛んなのですが、素人にとってはじめての事ばかりです。
現在男性用だけですが、もちろん女性用もつくるつもりです。
ラジウム含有の中敷は蒸れなくて快適です
正式発売までお待ち下さい。
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Thursday, May 15, 2014, 07:59 AM

「本能寺の変 431年目の真実」(明智憲三郎 文芸社)を読んでいます。
電車で読むのは注意した方が良いです。夢中になりすぎて私は行きと帰りで二駅も乗り過ごしてしまいました。
本書は「歴史捜査」と称して事件に対して関係者の日記といった記録と、史観との相違を徹底的に付き合わせていきます。
明智光秀の怨恨説や足利義昭による謀略説、個人の野望といった根拠が薄い「三面的な史観」を徹底的に否定していきます。
そして導き出される、豊臣秀吉による「惟任退治記(これとうたいじき)」の捏造の箇所の指摘。
秀吉が信長の後継者としての正統性を訴えるため
歴史は常に勝者が都合の良いように改竄していくという鉄則は日本書紀から現代まで一貫して続いているのであることがわかります。
のちに秀吉を題材とした読み物は「惟任退治記」を基としたために、光秀は野望を持つ裏切り者という紋切り型の人物像が定着してしまったのです。これが日本史を大きく歪めたことは間違いありません。
Q:明智光秀は誰の家臣であったのでしょうか。
信長の腹心でしょ?
半分正解ですが、誤りです。歴史好きなら当たり前のことなのでしょうが、私は知りませんでした。
Q:明智光秀は信長を恨んでいたのでしょうか?
信長は独断即決の豪勇な武将ですが、家臣や身の回りの女性には気配りを忘れませんでした。本能寺の変でも女官らを先に逃がすことに配慮しています。今で言う一世一代で大会社にしたオーナー社長のタイプです。
一方、光秀は明晰な頭脳で経営者からたよりにされた有名な経営コンサルタントのようです。
「信長公記」にも信長と光秀は常に相談し合う仲の良さが記されているほどです。
Q:明智光秀は信長に取り立てられる前には何であったのか?
著者の明智憲三郎氏はイエズス会のフロイスや足利幕府の記録からも明智光秀は足軽であったことを突き止めます。
足軽とは歩兵の隊長に過ぎません。
足軽という一番低い身分の光秀が、足利義昭と信長に取り立てられていく様子を一つ一つ検証しています。
司馬遼太郎の「国盗り物語」「太閤記」でも、明智光秀を矮小化した小物としており、この二人の史観はNHKの大河ドラマで現代の我々に定着しています。(副島隆彦が指摘しているように、司馬遼太郎が日本人の歴史観を歪めた大罪人です)
Q:光秀が謀反に至る動機は何だったのか
怨恨やそそのかしといった軽い動機で明智一族の長である光秀が軽々しく大恩のある信長に弓矢を引くという「三面記事史観」ではないのです。
明智一族がどうしても信長の武力征伐と対峙しなくてはならなかった訳を明智憲三郎氏が解き明かしてくれました。本書で読んでいただくしかないでしょう。
このように今までの恨みを抱いた腹心の反逆で殺された信長という単純極まりない日本史から、武士の台頭によって続く戦乱の歴史の悲哀がずっとずっと奥深く見えてきます。
単純にこいつ嫌いだから殺す、こいつ好きだから味方する
そんな訳あり得ないのです。戦国大名は多数の一族郎党を抱える指導者であり、トップリーダーなのですから。
皮肉にも秀吉が光秀の人気を陥れるために(悪者として征伐したことにするため)、記録を改竄したことが明智憲三郎氏の「歴史捜査」で明るみになりました。
いままでの学校で習った日本史の薄っぺらいこと。
かたや本書の緻密な検証と立証過程を読めば読むほど、戦国武将とはどういう人達であったのか、そして家系、血筋を重んじるその重要さを思い知らされるに違いありません。
本書「本能寺の変 431年目の真実」は読了していないのですが、1/3でもこれでもかこれでもかと「歴史捜査」の結果を突きつけられて釘付けになっています。
Amazonで一位になるわけだ。
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Tuesday, May 13, 2014, 12:10 PM
5/13 小雨 10時 浅草での空間線量は38ベクレル/立法メートル

このブログで取り上げたのは、中国との親密さ(敵対関係)の図がわかりやすいからです。
中国と10カ国との距離感はまちまちです
フィリピン、ベトナム、ブルネイ、マレーシアあたりまでは反中国
ラオス、カンボジアは経済援助を受けているので親中国
ミャンマー、タイ、インドネシア、シンガポールは中立
まさに戦国時代じゃないですか
マレーシアはマレー人と華僑系との民族対立があり、今のことろはマレー人が圧倒的に弱い。タイとカンボジアは毎年国境紛争を年中行事のようにやっています。
ASEANが集まっても反中国の一枚板とはなりにくいでしょう。
日本の対応としては、フィリピン、ベトナムなどとの貿易を増やして、優先的な経済支援をすべきです。
ASEAN圏は中国経済圏に留まっている以上は身動きが取れない
昨日の武田信玄と上杉謙信の話ではないですが、戦で勝っても国内経済が萎んだら何の意味もないのです。
それよりもこの図では重要なことが見えてきません。それは
中国と日本、アメリカの距離感がわからない
そこで青丸(アメリカ)赤丸(日本)と適当に描いてみました。
米国債の引取り額が最大の中国にアメリカは敵対などできません。図では円をくっつけてしまいました。日本は財政基盤を依存する関係はありませんが、アメリカも日本も生産工場を中国に移管しています。
日本人はアメリカに次ぐ15万人程度が中国に住む
中国は何十兆円と投資された工業化資本と日米あわせて30~40万人を囲い込んでいるわけです。そして共産党幹部や軍部の一声で、資産没収、渡航禁止できてしまう。
現地の日本人が恐れていることは中国に縛り付けられることなのだとか。
妻・子を人質にとった戦国時代、江戸時代と同じ構図です。
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Monday, May 12, 2014, 11:29 PM
ニュースを観ていたら、昨晩のNHK特集で自分の名前もわからない痴呆徘徊老人の例で紹介されたお婆さん(といっても67歳)の配偶者が名乗り出たそうです。
浅草の人で群馬の館林で保護されていたとのこと。7年ぶりの再会。
お婆さんは痴呆が進んで寝たきり状態。くどいですがまだ60歳代です。身元がわからず7年も名無しのまま保護を受けて老人ホームで暮らしていたことです。
保護された方は浅草おかみさん会の元会長さんだったそうです。
驚いたのは身元不明人の照会が都道府県を跨ぐとまったくできないという根本的な連携の悪さ。そして他府県への連絡も身なりと特徴の文字で数行だけ。
インターネットで画像も写真も共有できる時代に、県境を跨ぐ警察機構同士はまるでモールス信号でのやりとりのようです。
一番IT技術の先端を行き情報共有されて連携されているはずの警察機構が虚構であることがよくわかります。
身近なところでは自転車を買うと付けられる自転車防犯登録ですが、あれは実は
自転車防犯登録って3~5年もすれば記録は消えてしまいます
IT時代に紙台帳で管理しているのでしょうかね。
ICタグにでも変えれば盗難品であるかは自動的にわかるようなものですが、50年前の登録制度を天下り先が死守しているだけです。
わたしのお買い物自転車もよく呼び止められて持ち主を確認されるのですが、そのたびにお巡りさんの無線は「記録無し」と返答があります。もうこのやりとりも慣れました。
若い警察官は、記録無しという回答が信じられないという顔をするので、そのたびに教えてあげます。
購入時に自転車店で付けられる防犯登録は3~5年で自動的に消えてしまうのだと。
10年以上経っている自転車は防犯登録のシールが貼ってあっても、そのシールの番号をいくら問い合せても該当者なし、持ち主情報不明となってしまうのです。
そういうことを知っているので、私は防犯登録(500円)なんて絶対しません。何もメリットがありませんし、かっこ悪いシールが貼られるだけですから。
もうねえ、警察機構は二重化して、
江戸時代の北町、南町にわけて互いに競争させた
奉行所のような仕組みが良いかもしれません。一ヶ月交替で内部総入れ替えです。
グリコ森永事件の頃から県境ではパトカーが引き返して折角の容疑者を取り逃がした失態がありましたが、30年前から何も変わっていないです。
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Monday, May 12, 2014, 10:55 AM
5/12 晴 10時 浅草での空間線量は33ベクレル/立法メートル
昨日の大河ドラマ黒田官兵衛は信長に反旗を翻す荒木村重と高山右近を諫める官兵衛の話でした。
官兵衛の台詞で「毛利と足利(義昭)の口約束に騙されてはならない」というものがあり、
また宇喜多直家がその動きを知っていたという布石も前回にはありました。
信長の居城の安土城の「安土」とは隣の平安京を強く意識した命名であり、それまで遷都と地名の命名は天皇の特権であったのです。その特権を信長は奪い取り覇者としての権威を全国の大名に知らしめたのです。(井沢元彦氏の「安土」の地名の真意説)
このように信長はお隣京都の天皇・将軍を凌ぐ勢いがあったのです。
さて、その信長に感情だけで信頼されている荒木村重や側近の明智光秀が矛先を向けるとはとうてい考えられません。
ポルトガルから武器(鉄砲)の供給の話があった
のでしょう。キリスト教の布教と制圧のための武器の供給が秘密裏にあったために、室町幕府の最後の将軍足利義昭が西の毛利氏と組んで起死回生に打って出たと思っています。
本能寺の変にカトリック勢力も噛んでいるという説は目新しいものではありません。
キリスト教カトリック≠善玉
信長、秀吉も十分意識していたと思われます。
井沢元彦氏の著作を読むと、信長がなぜ戦争に強かったのかというと、専門の兵隊を抱えたという点にあります。
信長の出現以前は、武士と言えども平常時は農作業をしていなければならなかったのです。だから戦は農閑期だけ。
武田信玄と上杉謙信の領土争いも、互いに雪国であり農閑期の短い間に限られ、多くの兵を失ってしまうと労働力が減って食料生産に影響してしまうので、適当なところで止めるしかなかったのです。
信長は兵隊を農作業からわけて、傭兵制をつくったからだと言われています。そのために領内の経済活動を高めなくてはならなかったので楽市楽座を勧めたというわけです。
長篠の戦いで武田勢を打ち破った火縄銃の三段打ちだと言われていますが、これも実際試すと机上の空論で、信長の傭兵制度は決定的な欠点がありました。
傭兵には自分の土地が無いために、領土を守るという気迫がなかったそうです。大将が負けそうになると、すぐに裏切ってしまうのだそうです。
むしろ本願寺の僧兵の方が強かった・・・
副島隆彦先生も指摘されていますが、平安京、平城京で政治勢力と武力勢力を持っていたのは仏教寺院で、信長が敵視した本願寺や延暦寺といった寺では、領民から独自に税を取ったり僧兵を徴用したりと目に余ったのです。
堕落した仏教を見損なって、土地に縛られていない人々、特に大阪の商人達は新たに入ったキリスト教に帰依するようになったのでしょう。
室町幕府と信長もキリスト教の拡がりを容認するしかないし、その勢力を軍事的にも優位な地位を占めるようになった仏教の対立勢力へ育てようとしたのでしょう。やがてキリスト教徒共に西洋の知識や武器が入ってきたのです。
日本の宗教の変遷を見ないと歴史は見えてこない
荒木村重と明智光秀の謀反を、感情に押し流されたものと見ると誤ってしまうと思います。
権力争いはセンチメンタルな感情で動くものではないからです。
金の繋がりであることは、属国理論で十分説明できる小泉純一郎-竹中平蔵の売国路線を見るまでもありません。
室町幕府(足利義昭)と毛利元就、そして浄土真宗(本来の仏教から乖離した「生臭」異端宗教)、そして割り込むキリスト教カトリック勢力が信長の置かれた状況であったのです。
信長-秀吉-家康という三者がいたからこそ、今の日本があったのだなあと思います。
特に信長の思想は絶対的な影響を及ぼしているのです。大河ドラマでは非情さだけが目立ちますが、信長は日本の歴史上唯一宗教勢力と闘ったことに注目します。
一方で明治維新で宗教になびいた勢力を私は批判的な視点で見ています。そういう観点から見れば福沢諭吉さえもその1人です。
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Sunday, May 11, 2014, 10:22 PM
5/11 晴 7時 浅草での空間線量は36ベクレル/立法メートル
鴻巣(こうのす)駅から埼玉(さきたま)古墳を経て忍城(おしじょう)へ天気がよいので行ってきました。
「のぼうの城」を読んで、行ってみたいと思っていたので、お誘いには二つ返事でついていきました。
埼玉県行田市は利根川に面した場所で、埼玉北部です。川の向こうは群馬県かな。
隣が太田市でスバル(富士重工)の本拠地です。スバルの新車が多いなあ。


行きたかったところがいけて良かった。
郷土資料館になっているのですが、甲冑隊が案内してくれます。
埼玉(さきたま)古墳の脇には当時の水攻めの堤があります。
埼玉県はほとんど平地なのでサイクリングするには女性連れでもいいでしょう。
ただ食餌場所はないのでお弁当がよいです。
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Saturday, May 10, 2014, 11:57 AM
5/10 晴 10時 浅草での空間線量は38ベクレル/立法メートル

練った生地に摺り下ろした人参を混ぜてみました。
一時間後にはホカホカもちもちのパンになりました。
作り方は簡単なのに、人参パンはパン屋さんでもなかなか見かけません。
かぼちゃやさつまいもを刻んで入れてもよいでしょう。でも人参が簡単で一番おいしいと思います。
なんたって甘い。何も付けずに食べられるから。
お釜に放り込んでしゃもじで混ぜただけ、洗い物一切無しの炊飯器パンは簡単美味しいと良いことずくめです。
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Friday, May 9, 2014, 11:59 AM
5/9 晴 10時 浅草での空間線量は33ベクレル/立法メートル
小学館の長期連載コミック「美味しんぼ」で主人公の山岡が福島の農作物取材で鼻血を出すというコマがあったことで、風評に対する怒りの声が識者からあがっています。
この漫画はご存じの方が多いでしょうが、簡単に言うと食関連の漫画で、大量生産の歪みや失われる味・栄養の問題をテーマにしています。
すごく人気があったのですが、やり玉に挙げられた食品会社や畜産/農業家はたまりません。
無農薬や有機農法の理想論は共感できるが、それは架空の漫画の世界だからできること。(美術評論の権威・海原雄山という美食家が異常なこだわりをもっている)
当初は食品偽装を暴く良識として熱狂的に読まれたのですが、いまではしらけて読んでいる方が大半だと思います。
この流れに便乗して「食べるな危険」とは「食べてはいけない」とセンセーショナルなタイトルの本が売れていきます。
武田邦彦(たけだくにひこ)という売名が好きな学者も環境問題、リサイクル運動の無駄と欺瞞だけでしたら良かったものの、専門外の農業や原発被害の著作を出しています。
わかりやすい悪玉をやり玉に挙げると本の部数が稼げるから
本がベストセラーになるとテレビや雑誌・新聞での露出が増える。そして大家としての意見がまかり通り、大衆は簡単に騙されるという循環ができあがるのです。
さてこの「美味しんぼ」の問題は、読者層は少なからず食問題や健康に関心のある中流階級です。
主人公が福島帰りで鼻血を出して危機感を煽り、次号へつなげるという単なるテクニックのつもりだったのでしょうが、
つまらない技巧がやぶへびになったね小学館と原作者さん
放射線で鼻血が出るなんていう話は放射線取り扱いの教科書にも載っていませんし、現実に鼻血がでたという話もありません。あったのは子供が鼻血を出したというネットのデマだけです。
作者の雁屋哲氏がこのデマを妄信したのは、描画からあきらかです。
教科書が正しいのであれば一気に数シーベルト(福島第一原発敷地内の数百万倍以上)を浴びないかぎりは、粘膜に影響を及ぼすレベルにはなりません。たとえ浴びたとしても鼻血がでるという記録はないのです。(腸粘膜が弱って下痢をする)
もし現実に鼻血を出す大人・子供が出現したら、学説を覆す大発見です。年間数百mSv以上恒常的に浴びている私だったら鼻血の海で出血死してます。(私は工業用X線も扱っています)
逆に鼻血がでることで、被曝度合いがわかるのであれば
それぐらいの放射線を浴びてみたいもんだ♪
2011年3月26日、27日と第一原発正門まで行ってしばらく周辺をブラブラしていた副島隆彦先生と私は元気ピンピンです。地場の椎茸が取り放題でもりもり食べて元気はつらつです。
鼻血なんてありえません。しかし
小学館も雁屋哲氏もさらに風評を拡げるやるきまんまん
だということが強気な発言からうかがい知れます。
次はおそらく主人公の山岡の頭髪が抜けて白血病になる
と予想します。あほくせえ。
そして食でふたたび健康を取り戻して、夫婦円満でめでたしめでたしという我田引水なストーリーを予想してしまうのです。
煽動で売らんかな商法の作者には筆誅です
言論プラットフォーム・アゴラから石井孝明氏の記事を転載しておきます。
http://agora-web.jp/archives/1594113.html
エネルギー放射能デマ拡散者への責任追及を
--美味しんぼ「鼻血」騒動から考える石井 孝明3年経っても広がる妄想
小学館の漫画誌「週刊ビッグコミックスピリッツ」の4月28日発売号の料理漫画「美味しんぼ」で、福島を訪れた主人公らが鼻血を出す場面があった。そして漫画中で双葉町の前町長の井戸川克隆氏が「鼻血はよくあること」と漫画中で述べた。(写真)これは漫画原作者雁屋哲氏と、周囲の人たちの「脳内現象」、「妄想」にすぎないだろう。ばかばかしい。
この表現は、福島県で原発事故による健康被害があると、印象操作を示しているのだろう。医学的な反論は医師が各所でしているので参照いただきたい。(リンク・福島民報「放射線 放射性物質 Q&A」 「鼻血は被ばくが原因か」)
私は福島県を事故後に訪れ、福島県の方と何度も会っている。5月中に福島第一原発も取材する予定だ。もちろん放射能による健康被害は見聞したことがない。風評加害によるストレスへの不満はたくさん聞いた。
また次の要請を3年前からネット上で掲げているが返事はない。ここでも繰り返そう。
「福島県原発事故によって、鼻血など健康被害の出ている人がいたら、私が日本記者クラブと外国特派員協会に紹介します。記者会見をしませんか。顔を隠す形でもかまいません。ただし、詐欺に騙されたくないので、医師・専門家の診断書は持ってきてください。再検査費用は私が負担します。私は医学者ではないですが、ジャーナリストとしてこれまでの医療データを覆す世界的スクープになるでしょう。ピュリッツァー賞候補になるかもしれませんのでよろしく」
雁屋氏と小学館は、鼻血は取材による「真実」だと言っている。(ブログ)言うまでもないが、「鼻血」という現象の有無ではなく、福島の放射能による健康被害という文脈で強調したから、批判が広がっているのだ。雁屋氏、小学館、また彼を擁護する人に対して、理屈をこねる前に「放射能と関連する証拠を出せ」と言いたい。「可能性がある」という逃走、「漫画だ」という虚構の世界への雲隠れは、自分の言説に責任を取らない卑劣な行為である。
福島と東北と日本は、放射能デマや妄想によってもたらされた風評に苦しめられてきた。嘘を繰り返す人は、精神的な問題があるか、日本を貶(おとし)めて利益を得るのか、と勘ぐってしまう。美味しんぼのデマで「福島への見方」を変える人は少ないだろうが、社会に「怒り」「批判」という波紋を広げ、小さいながらも「分断」や「混乱」を日本にもたらした。雁屋氏は大変罪深い。
福島に現時点で「健康被害があるか」という情報は、福島と東北在住・出身の方の人生、そして社会に影響を与えることだ。いや国際的に見ると、日本全体が「汚染されている」というデマが流れている。日本人全体がデマの被害者だ。データや証拠を基に、慎重に議論を展開することを、私たちは肝に銘じなければならない。
そして繰り返すが、各種専門家の見解は、一致して日本で原発事故による健康被害の可能性は極小であるとしている。(記事「福島での被ばくによるがんの増加は予想されない--国連報告書」)
社会の雰囲気はデマの「動揺」から「批判」に
ただし、この「美味しんぼ鼻血騒動」で興味深かったのは、批判の量がすさまじいことだ。福島県双葉町は、小学館に「抗議文章」を出した。各新聞も取り上げている。
さらに環境省が鼻血に的を絞り、健康被害はありえないという文章を出した。(「放射性物質対策に関する不安の声について」)浮島智子環境省政務官もコメントした。(「残念で悲しい…「福島鼻血」漫画で環境政務官」)ここまで批判に晒された以上、小学館と雁屋哲氏は、引けなくなった。連載休止などになったら後味が悪いが、自ら選んだ道だろう。
これまで多くのメディアが、福島の健康被害についてデマを繰り返した。(私の記事「メディアが助成した放射能ストレス」(上)(下))東京新聞は2011年6月16日の社会が動揺している最中に、「子に体調異変じわり 大量の鼻血」という、パニックを誘発しかねない記事を書いた。美味しんぼと内容は似ている。メディアとして最大限の批判をされるべき行為であろう。(東京新聞記事)
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私はこうした放射能デマの否定を2011年から機会あるごとに続けた。12年ごろまで、私に感情的な批判が繰り返された。2012年時点で自称ジャーナリストの上杉隆氏が、インターネット上で過去の放射能デマ発言を糺弾された。しかし広がりはネットの上だけだった。(サイト「上杉隆氏の検証」)
こうした状況と比べると、2014年現在はデマへの批判が以前より大きく、広範囲だ。私は日本人の賢明さに確信をいだいている。不必要な放射能の恐怖はばかばかしく、日本人一人ひとりにとって「自傷行為」であるという、当たり前のことに3年経過して気づいたのであろう。
福島の人々は、震災や原発事故でも冷静さを保ち、世界と日本に感銘を与えた。そして東北の人々は辛坊強いという美徳があるとされる。しかし、いくらなんでも3年も「穢れている」とデマを繰り返されたら、腹を立てるのは当然だ。<br>
危険を承知した上で「メディアへの圧力」を
興味深い情報がある。福島県内では震災後、新聞の購読が減った。地元紙は約1割、全国紙は2割減になった。ところが毎日新聞だけ4割減になっているという。(福島の方のブログ「福島信夫山ネコの憂うつ」「風評加害者「美味しんぼ」本日炎上&福島で毎日新聞が40%も「激減」の衝撃」)<br>
もちろん新聞部数の増減は、いろいろな要因が重なる。ところが、毎日新聞は、福島でおかしな形で目立っている。
同紙社会部の日野行介記者が、県民の健康調査、国の原子力規制委委員会などの放射線線量基準や調査について「おかしい」と記事を連発している。またデマを拡散する反原発団体の応援記事を書き続けている。(私の記事「復興庁幹部暴言騒動」)詳細は省くが、日野記者の解釈の方が「おかしい」点が多い。原子力規制委員会の田中俊一委員長は日野記者を会見で「勉強しろ」とたしなめたという。
もし同紙の部数減が事実とするならば、そしてもしそれが日野記者の「活躍」(?)と結びついているならば、言論企業として同紙の行動はこっけい過ぎるだろう。私は毎日新聞の伝統と、反骨の報道精神に深い敬意を抱いている。同誌が自律的に報道を是正すると、期待している。
「市民からの圧力と不買」。これは、メディアによる福島デマを是正するための、今後、起こりうる、また進むべき方向かもしれない。情報の受け手である一人ひとりが、デマに対しては毅然として是正を求め、また不買という正当な意思表示によって、デマ発信者が損失を受けるような形に追い込んでいくのだ。小学館スピリッツ編集部や、雁屋哲氏には、またデマ拡散者には、自分が利益を得るために、また目立つために、嘘をつく醜悪さが垣間見える。それを、指摘し、批判を強めるべきだ。場合によっては責任を追求すべきである。
私は言論界の片隅にいる人間として、社会が力で報道や市民の言論活動を押さえ込むことは、大変危険であると認識している。漫画表現を含む言論の自由は、人間の自己実現、さらには民主主義を機能させるために、最大限尊重されるべき権利だ。
しかし、他人の自由を侵害する言論の自由は無制限に認められない。それには当然、内在的制約がある。米国連邦最高裁判事、オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニアは、1919年の判決で、次の言葉を残している。
「言論の自由を最も厳格に擁護したとしても、劇場で嘘をついて火事だ!と叫び、パニックを起こす自由は誰にも保障されない。あらゆる行為の性格は、それがなされた状況によって変わってくる」。
放射能デマが批判されるのは、まさにこの点にある。
もう福島原発事故から3年も経過し、社会も落ち着いている。そうした中で、平穏を壊し冷静な議論を妨げるデマ情報、風評加害情報は、「情報テロ」と認定して、もう「鎮圧」をすべき段階にきている。被害を受ける私たち全体でだ。
そして、メディアや情報発信者が自省をせず、3年も「冷静に、可能な限り正確に」と述べ続けなければならない現状はとても悲しい。「鎮圧」よりも、「自省」と「自制」によって、デマ拡散の問題を解決するべきなのだが。
石井孝明
経済ジャーナリスト
ishii.takaaki1@gmail.com
ツイッター:@ishiitakaaki
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Thursday, May 8, 2014, 12:19 PM
5/8 晴 10時 浅草での空間線量は28ベクレル/立法メートル
昨日お客様とお話をしておりました。
ずっと咳が続いており気分が優れないのだとか。
そこで病院へ行っても抗生物質(抗菌剤)を処方されて帰ってくる。
奥歯が痛くなったので歯医者に行っても抗生物質(抗菌剤)が渡されて様子をみましょうと言われた。
あちこちの医者にいくと、必ず抗生物質(抗菌剤)が薬として渡されてくるので怖くなったとのこと。
抗菌剤は”おまじない”代わりに気軽に処方されている恐怖
を感じて、治らない咳もひょっとしたらという思いで私にご連絡をされたのです。
良く気づかれましたね。
抗生物質(抗菌剤)漬けの病人の身体は耐性菌の培養器となっていることが入院施設のある病院の緊迫の問題なのです。
世の中抗生物質(抗菌剤)が大好きな(信仰とも思えるような)医者が結構いるのです。
新薬の耐性菌の発見までの時間がだんだん短くなってきている
製薬会社に勤務しているときに、新薬開発の研究者や医療現場を回るMRからよくその話を聞きました。一昔は新薬が世に出回っても耐性菌が見つかるまで10年以上の時間がかかったのですが、今では数年で耐性菌が見つかってしまうとのこと。
前者は危機感と現在開発の新薬が世に出る頃には間に合わないのではという恐れ、後者は薬のネタは尽きないのよという身勝手な楽観視と180度異なります。
以下の記事は一見薬が効いたように見えるステルス性耐性菌です。この手のばい菌が増えたらもう追いつきません。

本文続き↓:「実態把握と、検査法の開発・普及が急務だ」と話す。厚生労働省は年内にも、感染症法を改正してCRE患者の全数報告を義務化する準備を始める方針。(中村通子)
過去ログ:WHOフェーズ4発令でタミフル馬鹿売れ
厚生労働省の虚構を許すな!(六城ラヂウムニュース Vol.16)
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Wednesday, May 7, 2014, 11:10 PM
5/7 晴 10時 浅草での空間線量は24ベクレル/立法メートル
ある方のご子息がせっかく大学に入学したけれど、五月病なのか大学を辞めたいと言っているとのこと。ご両親がなだめているけども大学に幻滅してヒキコモリ・・・
理由はあまりにも大学の授業が一方的でわからないから
そんなお話を耳にして、私も思い出しました。大学一年生の頃を。
授業料を出してくれている両親に悪いですが、結局卒業するまで講師や教授らが何を言っているのかさっぱりわかりません。
黒板のギリシャ数字の数式の羅列がなんなんだか(どう読むかも)わからず、魔法の呪文をとりあえずノートに書いておきますが、何度見直してもミミズが這った暗号文でしかありません。
入学半年もしないうちに漠然とした孤独感を抱えていました。
ただ毎日お弁当をもって、部室に入り浸り、酒と煙草と合コン。やることがなければ転がっているギターをジャカジャカ鳴らして、何人か集まればポンチーで部室で暇を潰すことが学生生活の最重要事項でした。
落第ギリギリで卒業しているので、身の置き場のないやるせなさはすごくわかります。
インターネットも携帯電話もない時代でしたから、孤独感はサークル活動やクラブ活動で自分の居場所をどうにか確保しなくてはならないです。学ランを着て応援団をやってみたり、課外活動100%授業は0%という日々でした。
授業はほんとうにわからない。
ギリシャ文字と微分記号の数式が白板に書かれているのですが、何を意味するのかがさっぱりわかりません。そんな状況下である日
ああ、美しい式だ
という感嘆があちこちで湧き上がったのです。隣の学友も妙に感動している。
何があったのかと寝ぼけた頭で尋ねると
お前は、白板に”さざなみ”が見えないか?
講師が記した数式は波の方程式というもので、それぞれの項を説明すると、ああ波が見える!この項が波高さなんですね!と口々に叫ぶのです。
そのとき、私の居場所はここにはないと悟りました。20歳の挫折です。
数式が絵画や動画のように見える奴らとは住む世界が違うと悟ったのです。
そのまんま学問を究めるというはるか壮大な目標は自主放棄(笑)して、穏やかに一日一秒でも早く卒業して身を隠すことだけ考えました。
私にとって大学という場所は
つまらない話をよりつまらなく聞く苦行の場
でしかありません。
たぶん半数ぐらいはそんな感覚だったのではないかな。講師の話を一字一句理解できたのは1%、大学院へ進学できる10%、のこりはひたすら時計の針が進むことだけと試験のヤマにかけていました。(いまでもそうでしょ?)
結局の所、20歳そこそこで大学という高等教育機関は、優越感を持つ奴は官僚や研究者へ進み、その他大勢は劣等感を埋込まれて社会へ放出される場だと悟ったわけです。
おかげさまで裏街道を歩む決意ができたわけです(爆笑)
そこからやさぐれた喧嘩上等の人生が続くのです(ほんとはもっとかっこ悪い)
大学生が5月病になる気持ちもよくわかります。でもね、ちょっと先輩面させてもらえば
結論があまりにも早すぎるのではないか?
いまの若い世代は生まれたときからコンピュータがあり、携帯電話とインターネットで育っています。Googleで検索して、それがすべてと考えてしまうのです。
悩みの解決をインターネットで即時解決という習慣が身についているのです。
「数学がわからない(ネットでも出てこない)から、俺ガッコー辞めるわ」
そんなこと口走ったら親泣くわ・・・。
私としては
悩み抜くのが若さの特権
としか申せません。悩むことができる状況が青春の特権なのですから、逆に羨ましさを覚えました。
就職して、わからなかった数学が、仕事現場で日常語のように使われていることを知り、入社1年間で高校大学の一通りの勉強はやりなおすハメになったのです。
今思えば、なんでこんなことがわからなかったのだろうと思うのです。でもね、それが幼さであり、人生経験の浅い、若さゆえだったのだと中年の今では思うのですよ。ほとんどの中高年はそう思っているでしょう。
ネットエイジはすぐ迂回路を考える(検索する)けど、それじゃあダメですよ
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Tuesday, May 6, 2014, 05:15 PM

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Tuesday, May 6, 2014, 11:15 AM
5/6 雨 10時 浅草での空間線量は21ベクレル/立法メートル
NHKのサイエンスゼロという番組とNHK特集の両方で「超能力はあるのか」というテーマの番組がありました。
NHKスペシャル 「超常現象 科学者たちの挑戦」
心霊現象、生まれ変わり、テレパシー・・・。時に世間を騒がす、いわゆる“超常現象”の正体は何なのか?いま、この命題に最新科学で挑もうという世界的な潮流が巻き起こっている。ムーブメントの背景には、近年の目覚ましい科学の進歩がある。技術の粋を極めた観測装置でデータを集積し、脳科学や物理学、統計学などの最新理論で解析すれば、カラクリを白日の下にさらすことができる。その過程は、まるで手品のトリックが明かされるような、スリルに満ちた知的発見の連続だ。
一方、「生まれ変わり」や「テレパシー」の中には、最先端の科学をもってしても、いまだメカニズムが解明できない謎も残る。科学者たちはその難題にも果敢に挑み、最先端の「量子論」を駆使するなどして、合理的な説明を目指している。先端を極める科学者たちは、「説明不能な超常現象」に新たな科学の発展を予感しているのだ。“超常現象”への挑戦を見つめ、科学の本質に迫る知的エンターテイメント。
サイエンスZERO「“超能力”はあるのか!?不可思議に挑む科学者たち」
念力、テレパシーといった“超能力”の謎に、いま世界の科学者たちが真剣に挑み始めている。しかも驚くことに「ごく普通の私たちにも不可思議な“未知のパワー”が存在するかも知れない」というのだ。最新の計測機器と統計科学を駆使して浮かび上がる、現代科学では説明困難な現象とは何なのか?そこから最先端の物理学と“超能力”の思いがけない接点が見え始めている。常識にとらわれず、壮大な謎に挑みかかる研究最前線に迫る!
どちらも似たような内容でした。幽霊や人魂を異常電磁波による幻想、生れ変わりは乳児期の記憶の刷り込みと医学的な解釈をしていますが、それで説明できないことも多数あります。
テレパシーの実験では離れた被験者同士の脳に同期する場所があったこと。
乱数発生器(無規則な数字を垂れ流すだけの装置)に人の念で大きく偏りが発生したことです。
原子核のさらに内部、素粒子をさらにのぞき込む学問「量子学」では、物質は波の性質も持つことが知られています。
隙間を通ると邂逅(かいこう)して二つになったり、遠く離れた量子と同調するといった現象です。
テレパシー、テレポーテーションといった超常現象は量子の世界では普通にありえるのです。
我々の住む世界も、突き詰めれば量子の世界ですから量子の影響を及ぼしたり、及ぼされているのではないかという結論で終わっています。
想念が電子器機に影響を及ぼすという実験を昨年体験しました。
厚木のエクボさんの本社でです。(間もなく商品化されるでしょう)
右、左と念じると、画面の球が左右に揺れるというトレーニング機械です。原理はNHKで紹介していた実験装置と変わらないでしょう。
超能力があったらいいなあと子供の頃はみんな夢想したでしょう。
難しいテスト問題をすらすらできたり、人の心を自在に操ったり、未来を見通せたり・・・・
思春期を過ぎれば、人間の能力は限られているものなのだと諦観をもつのが普通です。
ところがそういう精神発達をしていかない人々も世界中にはある程度いるようです。スピリチュアル系と呼ばれる人々や現実逃避としかはたからは見えないアニメオタク達、ふるくは修験者や宗教家たちもそうだったのでしょうか。
量子学を専攻する人に言わせれば「光も時間も重力も距離も超越した『神の領域』」なのだそうです。
量子とは今のところ直接見ることはできません。数式で示す「空間の歪みの確率」でのみ実在が証明されているに過ぎません。
その確率を左右するものは、量子や光の波なのだとか。
人間の想念もまた量子であるとのこと。
私は一度だけ予知夢というものを見ました。見たこともない校舎をふわふわと飛び回ったり、鳥のように俯瞰しています。その中で非対称の不自然な造形の建物があり、へんな建物だなと夢の中で感想をもちました。(高層階の壁にドアがありますが、その先は何もない)
何校目かの受験会場を訪れたとき、窓からの景色が夢とそっくりで驚きました。目の前にへんな形の建物があったからです。のちに知るのですが工学部8号館といって大きな建物になるはずが、予算削減で半分できたところで投げ出された建物でした。
ああここに入学するんだと試験開始の前には確信していました。当然試験問題はスラスラできて、見直す必要もなく、終了30分前でしたが帰っちゃいました。あれはなんだったんだろと今でも思い出します。
骨董品や芸術品を観て思うことは、念がこもっているものはたたずまいが違うのだと思います。
同じような美術品でも方やマスターピース(傑作品、銘品)、方や二流品。
私はその作品に埋込まれた製作者や依頼者、閲覧者の念が量子として染み込んだからだと思います。
想念は目に見える物・人すべてに影響していくのだと私は考えるようになりました。
悪いと思うから悪くなるし、良いと思えば良い結末になるのです
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