Wednesday, January 6, 2016, 02:24 PM
素粒子物理学という目に見えない世界を研究する下條竜夫氏による批判的思考法(critical thinking)の実例集といってもいい本です。
理系的な思考=critical thinking(クリティカル シンキング)とは
ある問題について、自分がどの程度その内容を熟知しているかをはっきりさせる。そのことにより世の中の知識と自分の知識の違いが明確になる。そして、自分の知識をできるだけ世の中の知識と一致させる。これが批判的に考えるという本当の意味である。
そして、その一種である批判的思考法(クリティカルシンキング)とは、自分自身がどこまで理解しているかを明確にすると当時に、世の中でそのことがどこまで明らかになっているのかをはっきりさせる思考法だ。
「それはすでにこの業界(あるいは学問分野)では当たり前のことですから、深く考えないでそう理解して下さい」というのが、この対極にある考え方だ。ここからは新しいアイデアはでてこない。だから、新しいアイデアを生む批判的思考法(クリティカルシンキング)は、ビジネス界でもてはやされる。
(中略)
この批判的思考法(クリティカルシンキング)とは、実はソクラテスの「無知の知」そのものだ。
目次
第1章 理系の目からみた福島第一原発事故(1)
−福島第一原発事故の放射線物質表出量の過大評価とそのねらい
第2章 理系の目からみた福島第一原発事故(2)
−マスコミが伝えない原発事故の真相
第3章 福知山線脱線(尼崎JR脱線)事故は車両の軽量化が原因である
−理系の目から事件の真相を解明する
第4章 STAP細胞と小保方晴子氏について
−緑色に光る小さな細胞は本当に実在する
第5章 和歌山毒カレー事件の犯人を林眞須美被告と特定した証拠は本物か?
−理科系の「科学的に証明された」という言葉が、いつも正しいとは限らない
第6章 排出権取引に利用された地球温暖化問題
−科学では地球の未来はわからない
第7章 現代物理学は本当に正しいのか?
−正しさの判定基準は、物理学の体系との整合性にある
第8章 仁科芳雄(にしなよしお)こそが「日本物理学の父」である
−政治的に葬られた日本の物理学の英雄をここに復活させる
読んでいる途中なので、感想文はあらためて掲載しますが、理化学研究所(理研)という国の独立行政法人が他の国立研究機関とは異なる組織であることを初めて知りました。
素粒子研究第一線(下條氏はSpring8という巨大粒子加速器での研究者)にいるからこそわかる、組織の欠点を洗いざらい述べているのです。
STAP細胞<事件>は理化学研究所でしか起きなかった
何を事件とするのかというと、本書を読んでもらえばわかりますが、小保方晴子氏が実験データを捏造したという問題ではないことです。
ごく一部の正研究員(雇用が保障されている人)とほとんどが期間研究員であって、小保方氏の属する若山照彦主任研究員(現山梨大学教授)も期間契約であるということです。実績を積むことができなければ明日にでも解散という厳しい世界であるということ。
もともとはSTAP細胞は若山氏の発想からうまれた研究であったし、現実にGFPという蛍光体で発光した細胞は原因不明ながら確認されているのです。(ES細胞では光らない)
天才実験屋の小保方晴子氏をマスコミが集団リンチ
解散間近(全員退職)が目前の若山研究室、iPS山中教授に対するライバル心を燃やす故笹井副センター長らが功績を焦って未確認のGFPを大々的に先走って発表した・・・というのが真相のようです。
30という年齢でチームリーダーというまずありえない立場(予算枠は1億円もあるらしい)の小保方晴子氏を中世ごとくの魔女裁判にかけたのです。
1615回の細胞実験を繰り返せるのは小保方晴子氏以外いない
ネイチャーでの検証実験では小保方氏の実験回数より一桁少ない133回に過ぎないことを、下條氏は指摘しています。
1615回の異なる条件をすべて行ったわけではないということです。
不条理なマスコミによる煽動ははたして科学的でしょうか?
決してそのようなことはありません。
一例として過去にも同様にメディアが<袋だたき>した科学現象の発見報告がありました。
かつての常温核融合問題と同じ道を辿る
本書でも引用されていますが、こちらでも日経新聞Webから全文転載しておきます。常温核融合については過去にもブログに書いていました。
過去ログ:超先端科学って何をやってるのだろう
以下は常温核融合(元素変換技術)の最新記事です。読んでいただけたらわかりますが、科学者にとっては既に常温核融合は現実に行われているという認識なのです。
(追記:その後の感想はこちら
エルンスト・マッハの実証主義はかつて高校物理で必修だった )
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDZ040JJ_X00C14A4000000/?df=3
放射性廃棄物の無害化に道? 三菱重、実用研究へ
日経新聞 2014年4月8日
三菱重工業は重水素を使い、少ないエネルギーで元素の種類を変える元素変換の基盤技術を確立した。原子炉や大がかりな加速器を使わずに、例えばセシウムは元素番号が4つ多いプラセオジウムに変わることなどを実験で確認した。将来の実証装置設置に向け、実用化研究に入る。放射性セシウムや同ストロンチウムを、無害な非放射性元素に変換する放射性廃棄物の無害化処理に道を開くもので、原発メーカーとして実用化を急ぐ。
■百数十時間で元素変換
クリーンルームで元素変換の実験に取り組んでいる(三菱重工の先進技術研究センター)
3月下旬、米ボストンのマサチューセッツ工科大学の講義室。世界から集まった100人以上の研究者を前に、三菱重工・先進技術研究センターの岩村康弘インテリジェンスグループ長は「元素変換はマイクロ(100万分の1)グラム単位で確認できた」と報告した。多数の質問を受け、同社の実験を説明する理論の提案も数多く発表されたという。
三菱重工の横浜市の先進技術研究センター。700を超える幅広い製品群を擁する同社の次世代研究を一手に引き受ける秘密基地だ。研究棟の1階の約3分の1を占めるクリーンルームで研究者が白衣に身を包み、約25ミリ四方の薄膜の金属板を装置にセットする。超高温や超高圧をかけることなく、数日で内部で元素が変わり、新たな元素が生まれてくる。
具体的には厚さが数十ナノ(ナノは10億分の1)と極めて薄い金属のパラジウムと酸化カルシウムの薄膜を交互に積層した多層膜に変換したい金属を付ける。この膜に重水素を透過させると百数十時間で元素番号がそれぞれ2から4、6多い元素に変わった。
セシウムはプラセオジウムに、ストロンチウムはモリブデン、カルシウムはチタン、タングステンは白金に変わることを確認した。特殊な薄膜に重水素を透過させる独自技術は日本での特許に続き2013年、欧州でも特許を取得した。
先進研の石出孝センター長は「ここ数年で研究が大きく加速した」という。様々な手法で重水素の濃度を高めることで、新しい元素の収量がナノグラムからマイクログラムへ3桁増えた。測定精度も上がり、1平方センチメートル当たり最大数マイクログラムの元素変換を確認したとしている。
セシウムの元素変換率は、ばらつきはあるものの100%近いものもあるという。元素変換を示唆するガンマ線も微量ながら検出している。同社はセシウムの場合、パラジウム多層膜の内部で4個の重水素が1個のセシウムの原子核に十分近づき、陽子4個と中性子4個が加わりプラセオジウムになったとの仮説を立てている。ただ、詳しいメカニズムや理論は分かっていない。
元素変換は「エネルギー収支が合わず、従来の物理学の常識では説明できない」などの指摘がある。新しい元素の量が少なく「外から混入した可能性も完全には排除できない」との声もある。
■未知の現象を解明する実験
三菱重工が開発した金属の薄膜
もともと低いエネルギーで元素が変わるのは、1989年に提唱された常温核融合と同じ考え方。1億度などという超高温でなくても核融合が起こり、過剰熱が発生するという夢の現象を再現しようと世界中で再現実験が研究されたが、ほぼ否定された。
三菱重工も当時から研究を始めた。途中からエネルギーの発生を証明するより、元素の変換を示す方が実証しやすいのではないかと考え、元素変換に的を絞った。微量の元素が生まれたことは、兵庫県にある世界最高水準の物質分析技術を持つ大型の放射光施設「SPringー8」を使っても確認している。
同社の研究に協力した独立行政法人物質・材料研究機構の西村睦水素利用材料ユニット長は「現在まだ解明されていない新種の元素変換反応の可能性を示唆している」としている。トヨタグループの研究開発会社、豊田中央研究所(愛知県長久手市)も元素変換の研究を続けており、成果が出ているようだ。
昨年12月の東京工業大学。元素変換や低温核融合などをテーマに研究する研究者や技術者が全国から集まった。三菱重工のほか、大学の発表も行われた。岩手大学工学部の成田晋也教授もその一人。「未知の現象の解明を進める」ための実験を続けている。
2009年、三菱重工の元素変換研究を視察した有馬朗人元文科相(中)
2009年、三菱重工の元素変換研究を視察した有馬朗人元文科相(中)
岩村氏は「元素変換を確信できる量が取れた。理論的なメカニズムはわかっていないが、我々はメーカー。次のステップに進みたい」という。大学の研究者の間でも「もっと変換の量が増えれば、文句がつけられなくなる」との声がある。
三菱重工は実験の規模を拡大し、収量を増やし実用化のメドを付ける方針。これまで小規模な体制で先進技術研究センターで研究していたが、他の事業本部や外部の大学や研究機関との共同実験を増やす。
金属薄膜を大きくしたり、ハニカム構造にして表面積を大きくしたりする方策などを検討している。放射性元素の変換の実験はまだ始めていないが、例えば放射性のセシウム137はユーロピウムに変換する可能性があるという。
放射性廃棄物の処理以外にもレアメタルなどの希少元素の生成や、新エネルギー源としての応用を想定している。ただ、レアメタルや新エネルギーは既存技術があり経済性との比較になる。
岩村氏は「現在、決定的な解決策がない放射性廃棄物の無害化は価値が最も高い。当社は原発メーカーでもある。10年後には実用化したい」という。
《記者の目》細々と続けてきたのが実情
3年前の東日本大震災。放射性物質を拡散する東京電力福島第1原子力発電所の光景を前に、ある三菱重工業関係者は「元素変換をもっと大規模に研究していれば」と叫んだ。三菱重工は約20年、元素変換を研究してきたとはいえ、予算も人員も「細々と何とか続けてきた」というのが実情だ。
三菱重工は1990年代前半に元素変換の研究を始めた。一般に内容が知られたのは、関連学会の論文誌に岩村氏が論文を発表した後の2002年ころだ。ただ、常温核融合の負のイメージもあり「現代の錬金術」との見方もされ、同社は対外的なアピールに慎重だった。
岩村氏は技術統括本部のインテリジェンスグループ長という肩書を持つ。「技術もマーケティングが必要」との考えから10人のチームを束ね、エネルギー・環境分野を中心に他社の技術開発動向を探る。
「グループ長の仕事に専念してほしい」と遠回しに元素変換の研究からはずれるように言われたこともある。社内の研究予算はついていたが「07、08、09年ごろはけっこう危なかった」という。
岩村氏は「この10年で研究の精度が飛躍的に上がり、世界で研究仲間も増えてきた。中国の大学は我々そっくりの装置で研究している」と元素変換の認知度向上とともに、競争の激しさを実感している。
10年前から大がかりな研究体制をとれば、現時点で放射性廃棄物処理の具体的な実証実験ができていた可能性がある。しかし、実態は「基礎から実用研究へ移行できそうな段階」にとどまる。
元素変換は重工幹部も時折、「おもしろい研究をしているんだ」と口にする。「あんな研究を続けられるのも重工くらいだよねぇ」という外部の声もある。研究を途切れさせなかったのは三菱重工の懐の深さだが、現状の体制で、10年後に大きな成果が期待できるのか。そろそろ企業として腹をくくる時だ。
(企業報道部 三浦義和)
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Wednesday, January 6, 2016, 12:48 PM
1/6 曇 10時 浅草での空間線量は18ベクレル/立法メートル
久しぶりに屋外に吊してある空間線量計を覗きました。
北朝鮮で初の水爆実験成功の緊急ニュースが流れています。
相変わらずの平常値です
地下核実験ですから、漏れてくることはないでしょうがどれほど上昇するかは注目です。
過去ログ:原子爆弾と水素爆弾は68年前の技術なのです
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Monday, January 4, 2016, 05:14 PM
六城ラヂウム「店主」です
正月の寝床で2013年の本屋大賞であった「海賊と呼ばれた男」を読みました。
なぜわざわざ店主と前置きしているかは、この本を読んだ人しか分からないw
明治末期から始まる石油需要の急増期から戦後の石油統制に動かされる官僚とセブンシスターズといわれる石油メジャーの蠢きに対する国岡商店(モデルは出光興産)の国岡鐵造(モデルは出光佐三)の奮闘を描いた歴史経済小説です。
今のイランの状況も昭和30年代の頃からあまり変わっていないということがわかります。
イギリスによる石油の収奪、その後はロスチャイルド系メジャーの支配とイラン国民のクーデターが交互に行われてきたという現実をこの小説でよく理解できました。
小説で国岡商店が覇権国である英国の牽制下、イランへタンカー日章丸を回したことに大変敬意を払います。
現在イランの経済制裁は解除へと向っています。あの頃の国際関係とよく似ていると思います。
歴史は繰り返されるのだなと思います。
巻末には堺屋太一のあとがきがあります。
堺屋太一はイラン政変による影響を経験した元通産官僚です。戦時中の統制経済を戦後も維持した経産省に対して、堺屋太一は官僚には官僚側の論理があると述べています。
私は「油断」も読みました。(「活断層」と混同してますが、読んでいます)
イランによるホルムス海峡の封鎖の可能性だけを問題視していた当時よりも、中国の南沙諸島を侵略している現状はなおさら悪くなっています。
「海賊と呼ばれた男」百田尚樹、「油断」「活断層」堺屋太一
この3冊は国際情勢(すなわち敵国か味方国かという色分け)は石油であることを誰でも理解できる良本だと思います。
過去ログ:イランへの金融制裁で正月から石油価格が上昇するでしょう
堺屋太一「活断層」を読む 市民運動を操るプロの手口
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Monday, January 4, 2016, 04:19 PM
六城ラヂウム店主です。あけましておめでとうございます。
旧年中は毎度ご愛顧いただきありがとうございます。
本日より通常業務となります。
浅草のまちは相変わらずの雑踏で、年が明けても何も変わらない風景です。
にぎやかもよろしいですが、かえって静寂さこそ貴重な気がします。
写真は帰省した際に寄ったヨットハーバーです。公共施設なので年始は開門していなくてフェンス越しに写真を撮りました。20年前に毎週通っていた想い出の場所です。
華々しいように見えるでしょうが、開門していても、あまり人影がなくヨットのマストが風でカラカラ音を立てているような所です。
海にぽつんと一人で浮かんでいる心細さ
雲の動きを眺め、風に祈り、梶と帆をおぼつかなく動かしていたあの頃
夕暮れに一人塩だらけの疲れた身体を引きづり
もうこんな馬鹿げたことをやるかと独り言を呟きながらハンドルを握り
それでも翌週にはここに居たことを思い出します。
沖で凪ぎとなってしまうと、なにもできません。
でもその静寂な時間が今思えば懐かしいです。
静寂な時が贅沢だと思える年齢になったのかもしれません。
何年後になるかはわかりませんが、またここに戻ってこようかなと思いました。
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Thursday, December 31, 2015, 04:04 PM
昨日の毎日新聞の一面には中国の原発メーカー(兼核兵器・原潜の製造元)のトップが日立・東芝・電源開発とトップと極秘裏に会談し、輸出の協力と運用面での技術指導を打診していたことが報道されています。
中国核工業集団の銭智民社長と国家電力投資集団の王火丙華会長が国内のプラント企業を回って、輸出にあたっての品質管理の技術を求めたという記事です。
新聞記事によると、
中国国内で稼働中の原発は28基で、建設中が27基、今後五年で発電量を約三倍に増やし、世界第二位のフランスに迫る計画。さらに、2030年までに世界60カ国で200基超の原発建設を計画しているという。10月に輸出が決まった英国のほかにも南アフリカやケニア、スーダンなどの新興途上国への輸出計画を進めており、一帯一路の構想通りに自国の影響を拡大し、原発大国への道をひた走る。
人民元の国際化と資源大国としての中国の存在感は増すばかりです。
発電総量を3倍ということは単純に考えて現在の50基から150基にして中国全土で稼動させると言うことです。
うろおぼえですが、4年前の副島隆彦先生の著書「中国は世界恐慌を乗り越える」で、中国国内では300基もの原発建設計画があるということに、さすがにそんなことはないだろと思いました。
しかし現実にはすでに28基が稼働中で、建設中を含めると52基がまもなく稼動します。中国は大気汚染を解決するには、原子炉をまだまだ建設していかねばなりません。
なんたって13〜15億人はいる国家ですから、日本と同じような生活レベルになれば300基でも足りません。
wikipediaによると日本国内の稼動中または予定の原子力発電所は現在14箇所で、原子炉は運転停止中を含めても43基です。つまり原子炉数では日本に並び、まもなく抜かれることは確実です。
記事にもあるように、発電量ではフランスに迫り、フランスとおなじく周辺国への送電もするでしょう。これが一帯一路構想の柱の一つです。
またAIIB(アジア開発銀行)によってアフリカ、アジアへの原発輸出も進めるという、中国という覇権国家ならではウルトラC級の戦略をもっています。
そしてこの計画は今のところは順調に進んでいるように見えます。
さらに中国政府が日本政府よりも一枚も二枚も上手だなと思うことは
政府は相手にせず日本企業に技術協力や下請を求めていることです
ご存じのように、日本国内では原子炉の新設はおろか、稼動まで<難癖をつけて>停止させられている状況です。
原子力メーカーと技術者は絶望的に将来はない状況といえます。
原子力発電所のプラント輸出に活路を見いだそうとすると
国内でも建設しない<穢らわしい>ものを輸出しようとしているという、お花畑な方々や新聞による批難の大合唱です。
また「核のない世の中」をと、原子炉までも核兵器かのように反対している目出度い人々も多い。
中国核工業集団と国家電力投資集団の注文は喉から手が出るほど欲しい
これが日立、東芝、三菱といった重電御三家の現状です。
この苦しい状況をしっかり認識した上で、中国原子力産業のトップが来て、「一帯一路」計画への参加を打診しているのです。
重電御三家が中国企業の下請となったって、私はなにも驚きません。
なんたって原発産業の将来性を選挙のためにいとも簡単に捨て去ろうとしている政治家ばかりですし、それを選出したのは我々だからです。
東芝が中国産原発の下請となったって不思議ではない。
それもこれも日本の原発政策が稚拙だからです。
一方中国の原発推進はAIIBも含めて一帯一路という名の壮大な国家戦略となりました。これが国力の差です、お見事!
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Wednesday, December 30, 2015, 10:48 AM
大阪の堺市といえば、仁徳天皇陵や鍛造された刃物、寺社のある古い街並、史跡などが点在しています。また(乗ったことないけど)阪堺(はんかい)電車というチンチン電車がいまでも走っています。
戦前の帝塚山や浜寺公園といったかつては別荘地であり庶民のあこがれであった場所があります。海沿いは工業都市という面と南部は大規模開発による団地群と、ひとくちに堺といっても現在の政令指定都市である堺市は巨大すぎて、人により堺のイメージはまちまちです。
私のイメージは広い道路と工場に行き交う車やトラックしかない
東京でいえば隅田川を越えた墨田区や葛飾区から江東区ってな感じの場所です。
適当に車を進めると、迷うこと必須な地域。碁盤の目状に筋や通りが造られているのですが、これがどれも平行ではなく、曲がっていたり、斜めになっているので、北に進んでいるつもりでいると、西に向っていたり、東に向うつもりが南に向いていたりします。
ですから下手に脇道を走ると、自分がどこにいるのかわからなくなる魔都市とも言えます。
東京では浅草の北部すなわち吉原や山谷(さんや)といった地区の道路は扇状にカーブしているので、土地に慣れない方には迷いやすいです。
そんなアウェーな土地にあえて車で突っ込む
まず最初は堺市役所に向います。ここは最上階21階が年中無休で解放されているので、俯瞰するには最適です。東西南北眺めて、大阪平野の広さを実感してみました。
北は大阪城、なんば駅、阿倍野ハルカス(日本一の高層ビル)、東は生駒山、葛城山という奈良県境となる山まで一望できます。
南には眼下に仁徳天皇陵が、西は遠くは淡路島、そして六甲山を眺め、大阪湾とその工業地帯の赤白の煙突が並ぶ風景です。
ここを基点として、今回の第一目標である南宗寺(なんしゅうじ)へ向いました。
案の定、道に迷いましたw
南宗寺は戦国時代にこの地を支配していた武将三好長慶(みよしながよし)が建立した寺で、千利休が修業して禅の心を茶の湯に昇華させた場所だとあります。
堺は商人の街でありながらも、寺社町でもあります。あ〜大阪っぽいなあと思うことは
なんといっても南宗寺には徳川家康の墓があります
家康は夏の陣で死んだのだという言い伝えが残っており、この寺に極秘に葬られて影武者があとを引き継いだと言われています。
信憑性は薄く、唯一の根拠は二代将軍秀忠と三代家光が参拝している記録があることぐらいです。このお墓は徳川家老の末裔が戦後に建立しています。
隣の本源院は織田信長・信忠の供養塔があります。(どのようなゆかりがあるかは不明です)
枯山水の庭で水琴窟の音を愉しみ、狩野信政の筆による天井画「八方睨みの龍」を堪能して南宗寺をあとにしました。
お次は千利休・与謝野晶子の資料館「さかい利晶の杜」が休館だったので、千利休屋敷跡も素通りしてザビエル公園に車を駐めてみました。観光ガイドマップにも載っていない公園なのですが、1550年から織田信長・豊臣秀吉時代に、フランシスコ・ザビエルが大阪の布教の拠点としていた日比屋了慶という豪商の屋敷跡です。すぐ近くには小西行長の屋敷もあったそうです。
起伏が庭園の面影を感じさせます。また小山には礼拝所が設けられたのだろうと推測します。
ここがイエズス会の拠点だったのと、信長、秀吉が禁教するまでの十数年間にポルトガルからの最新情報・科学技術(数学・天文学、冶金学)がもたらされたのでしょう。
堺で鉄砲鍛冶ができたのは、ポルトガル人から鉄砲技術を学んだ(盗み見した?)からです。
ザビエル公園から北にある、その鉄砲梶屋敷にも車を走らせたかったのですが、なんせ旧市街地は狭く入り組んだ街並なので、自動車での移動は駐車場を探すストレスがかかります。
さっくり鉄砲梶屋敷はあきらめて、旧堺港へ向います。
石津という地名の場所(住所は堺区大浜北町)に木製の燈台(明治10年製)が今でも建っています。ただ残念ながら工業地域のため交通がはげしく、脇を素通りしてしまい、立ち寄ることができませんでした。
というか、昔通っていた自動車学校のすぐ近所だったのに、まったく気づきませんでした。単車でよくここは走っていました。
ああこらへんだったんだと、納得しただけです。数時間のドライブですが、電車で行っても歩き疲れる街ですけども
はっきり言って堺は公共機関で行くのがよい
やっぱり観光地となりきれてないがっかりさは残ります。
最大の理由は、食事場所がないということ。そりゃ牛丼屋やファミレス程度なら道路沿いにいくらでもありますけども、そんなもので腹を満たすのもつまらないです。
結局空き腹を抱えたまま堺を後にしたのでした。
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Tuesday, December 29, 2015, 12:06 AM
大砲は鉄砲と違って爆撃地点までの距離を計る必要があり、それによって抑角を決めねばなりません。なんたって弾は放物線を描いて飛んでいくので、当てるには風向や空気密度といった外因も計算せねばならないものです。長距離になれば地球の自転まで考慮せねばならぬほどです。戦艦大和の30インチ砲は300kmも飛んだそうです。
戦国時代から江戸時代において、臼砲(きゅうほう)とよばれる原始的な青銅製の大砲はあったのですが、火薬で鉄球や石を飛ばす程度で重たい割には戦場では敵兵への脅威にはなりえなかったのです。
ヨーロッパではナポレオンの頃(在位1804-1815)になると、大砲も内部に線条(ライフリング)が刻まれ、砲弾も火薬が詰め込まれた炸裂する榴弾に発展しました。こうして命中精度があがると大砲が戦場の主役になり、普及と共に弾道計算ができる技術将校が求められていきます。
将校というのはヨーロッパでは貴族階級の指定席だった
森鴎外がドイツへ留学した経験から、「男爵」という爵位を切望していたのはよく知られています。
留学で世話になった婦人には、日本から便りを出すときには男爵(Baron)というサインをしていました。(実際は爵位は与えられていません)
すなわち、それほどドイツの将校たちに引目があったわけです。
ちなみにドイツの軍医も貴族ですから、負傷した兵士や病気の兵士を診るのは軍医の指示で動く兵士(衛生兵)です。部屋の奥でふんぞり返っているのが軍医ということ。弾の飛び交う前線には行かないで、後の陣営であれこれ指示だけするのです。
だから森鴎外も日露戦争では、軍医でありながら相撲見物でもしているように、遠くの山頂から双眼鏡で白兵戦を眺めていました。貴族=将校ですから、鴎外の頭の中では、軍医総監(軍医のトップ)となれば自ずから貴族の一番下の「男爵」を名乗るぐらいは当然という考えだったのです。
かつて日本の大砲は門や城壁破壊のためだった
戦乱のない江戸時代においては古い臼砲のまま進化していなかったようです。それも爆音を出して敵兵を驚かすか、城壁を壊すためであって、敵陣への砲撃という使い方ではなかったようです。
私の推測ですが、織田信長がザビエル、イエズス会から欲しかったものは大砲であり、砲術だったのではないでしょうか。鉄砲が種子島に伝来してから、わずかな期間で国産の火縄銃を長浜でつくることができたのですから、次は大砲だって鉄さえがあれば作れると思ったでしょう。
しかし、日本には火薬の原料となる硝石がありません。ですからこれはポルトガルから供給してもらわねばならない。これをイエズス会も承知しているため、火縄銃や大砲の製造方法は教えても、結局は火薬は生産できないのでポルトガルとしては商売になるということ。(井沢元彦氏の説です)
ところが大量の火薬が作れないのですから、大砲ではなく小銃を主力するしかなかった。しかし桶狭間の戦いでは火縄銃が勝敗の決定打となったといわれていますが、それも信憑性は今では非常に薄らいでいます。命中率も悪く、連続発射ができない火縄銃は、槍と常に行動を共にせねばならず、どちらかというと待ち伏せで使われたに過ぎないということ。
大砲が輸入されたとしても使いこなせないという問題
和算の大家で関孝和(せきたかかず1640?-1739)の弟子で建部賢弘(たけべかたひろ1664-1739)という幕臣の武士がいました。この人がとんでもなく頭がよい。その頭脳を見込んで将軍吉宗も幕府のブレーンとして重用しました。なんせ円周率も計算していますし、三角関数表も自力で作っています。
その三角関数表は現代のものと寸分違わぬ正確さです。
三角関数の精度が測量の精度
この三角関数表があったから、目標までの距離や高さを分度器さえあれば簡単に計算することができるようになったのです。
高橋至時(たかはしよしとき1764-1807)と伊能忠敬(いのうただたか1745-1818)が完成させた日本地図は、建部賢弘の三角関数表があったからシーボルトも驚く正確さだったのです。
話を大砲に戻すと
たとえば、砲台から目標点までの方位aと、指揮者から目標点までの方位bを調べ、あとは砲台と指揮者との距離さえ正確にわかれば、目標地点までの距離LはTan(|a-b|)×(砲台と指揮者間の距離)です。
空気抵抗を無視すれば、重力加速度G、大砲の抑角θ、発射速度Vとすると弾の着弾時間Tは2Vsinθ/Gとなり、飛距離はVcosθにTをかけたもの、すなわち2V^2sinθcosθ/G=2V^2sin2θ/G
L=2V^2sin2θ/G
↓
sin2θ=G*L/2V^2
G*L/2V^2を計算して、その値を三角関数表から2θがわかります。
この角度θで大砲を傾ければよい・・・という理屈にはなりますが、現実には大砲の弾には空気の摩擦があるので、実際は爆撃目標からずっと手前に落ちてしまいます。
ですから弾道計算はもっと複雑です。
速度(微分成分)に比例する力(空気の抵抗)が加わるため大学生レベルでも一筋縄ではいかないのです。精密に計算しようとすればするほど長い式と格闘することになります。コンピュータがある現代でもこのような非線形数学(いろいろな条件が加わる現実的な方程式)というのは難物で工学分野では主要な分野です。
とうぜん江戸時代のエリートたちも弾道計算に悩んでおったわけです。
なんせ計算に必要な三角関数表や微分方程式の解法を知っているひとがいなかったわけですから、大砲の弾を正確に当てることができません。
松下村塾で吉田松陰が教えたのは尊皇思想と陽明学(革命思考の朱子学)ばかりではなく、実際重視したのは測量法と地理学だったと言われています。高杉晋作が率いる奇兵隊の砲撃が正確なため幕府軍を苦しめました。
英仏蘭米の商船に砲撃を加えたことで始まった下関戦争(1864)では、数学知識が遅れている長州の弾は当たるまいと油断していた艦船が被弾してしまい慌てたという記録が残っているそうです。
すでに日本は独自で三角関数表を完成していましたし、ニュートンの運動法則は江戸時代で理解されていたのです。(中津藩の福沢諭吉はニュートンのプリンキアを入手しています)
江戸末期では藩幕の秀英達は長崎海軍伝習所(軍艦操練所)でオランダ軍人から航海術以外にも大砲の操作も教えられました。
こうして一気に日本に幾何学知識(測量や天文学、航海術)、代数学(弾道計算)が軍の指揮官の必須教養となったのです。
人気ブログ・ネットゲリラでも数学の発展が軍人登用にも影響をおよぼしたことが書かれています。
タイガー計算機は学校の隅に置いてありました。
http://my.shadowcity.jp/2015/12/post-8493.html
この辺かな、えいっ
野次馬 (2015年12月28日 02:10) | コメント(10)
トルコの空港テロなんだが、クルドの迫撃砲だそうで、ところで迫撃砲みたいな武器は、どうやって照準を定めるのか? 鉄砲みたいに相手に向けて撃てばいいというもんじゃない、放物線を描いて飛ぶわけで、計算が必要です。これが、ヨーロッパに民主主義をもたらした遠因だという説があるんだが、それまで「戦争」というのは貴族階級の仕事だったのが、曲射砲がどこに着弾するかを計算するのは、よほどアタマが良くなきゃ出来ないわけで、庶民でも数学ができれば軍隊で出世する途が開けた。
18世紀には、数学が、国家と軍隊を管理統御するための技術として、かつてなく重要な意味をもつようになっており、まずそこから「貴族の世襲」がくずれた。軍隊でいえば、「大砲と地図」がかかわる部署である。フランスでもドイツでも、軍の将校といえば貴族出身と相場がきまっていたが、砲兵将校や工兵、地図作成の幕僚に関しては、そうではなかったという。弾道計算や測量で数学的能力が必要なこれらの部署は身分にかかわらず、平民出身者も登用されたのである。
この、「計算将校」の典型がナポレオンです。庶民出身のナポレオンが何故、皇帝まで登り詰めたか? 彼は物凄くアタマが良くて、計算が早かった。三角関数を暗記していて、戦争に強かった。既に、貴族階級が、その勇敢さで戦争をリードする時代が終わっていたのだ。近代国家が戦争に勝つためには、身分制度を捨て、幅広い層から数学に強い、アタマの良い軍人を養成する必要があった。コンピュータが、この弾道計算のために発明されたという話も有名なんだが、第二次大戦までは、まだ機械式の計算機の方が優位だったらしい。
大和の頃の方位射撃盤はこの基本機能に加えて、地球の自転、重力の変動、風、気圧、その日の大砲の調子などなどの様々な要素も補正します。
これらの全ての要素が、無数の入力用歯車の角度として入力されると、膨大な数の歯車が連動し、計算結果を大砲に連動させるわけです。
これは当時としては非常に凄い計算機能で、数学、物理学、機械工学の精華に加えて、長年の海軍のノウハウの詰まっています。
相手が動く標的である軍艦の場合、弾丸が届くまでの時間を計算する必要がある。それだけでなく、すべてのデータをアナログで処理するのが歯車式の計算機で、戦艦大和に限らず、同時代の軍艦はみんな、そうした計算機を積んでいた。戦後も、手回し式の歯車計算機は長く使われてましたね。昭和30年代に、おいらのオフクロも使っていたw タイガー計算機ってヤツかな? ガチャガチャ五月蝿かったですw
トルコの空港爆発、クルド系組織が犯行声明「迫撃砲で攻撃した」 観光客狙い示唆
トルコ最大都市イスタンブールのサビハ・ギョクチェン空港で23日に清掃員2人が死傷した爆発で、クルド系武装組織「クルド解放のタカ(TAK)」が26日、「迫撃砲で攻撃した」と犯行を認める声明を出した。
日本ではソロバンを使う人が多かったので、機械式の計算機はあまり普及しなかった。おいらのオフクロが使っていたのは、経理の素人が帳簿やっていたからです。
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Sunday, December 27, 2015, 12:00 PM
昨日の読売新聞に大阪・堺市で社会活動をしている知人が出ていたので、定年後もずいぶん精力的な活動をされているなあと感心して読みました。
市民運動といってもSEALDSのような政治活動ではなく、自転車道の整備やルールの啓蒙、そして堺市の観光名所案内といったもの。
先日訪れた姫路市の姫路城周辺でも、黄緑色のベストを着たご年配者たちが清掃活動をしていたり、樹木の剪定をされていました。
だからこの時期に枯葉一枚も落ちて居らず、姫路城の白さが冴える見事な景観です。
洗剤会社は姫路城をCMにしたらいいんじゃないかな。土塀などもなるべくそのままにするという、行政と市民が一体となった保存意識は、地方行政の担当者にはたいへん参考になるでしょう。
かたや堺市はというと、私は学生時代を過ごしたので馴染みがあるのですけども、実際はそれほどエキゾチックな場所ではないです。
堺と言えば、刃物の街だとか、与謝野晶子ら文人の町、千利休を代表とする茶の湯文化、仁徳天皇陵といった百舌古墳群・・・
いちど見に行ったらもう十分ながっかりの街
地方都市の残念さをそのまま凝縮しているような場所です。統一感がなく車があふれる道、湾岸の工業地帯と立ち並ぶマンション群、公園など憩う場所がなく公共機関から遠いなどなど
丘陵地帯は宅地開発でどんどん禿げ山となり、そこには点在するショピングモールという人工都市が築かれています。
ちったぁ魅力ある都市計画はできないもんでしょうかねえと、ふるさと納税の担当の市役所の方(大学の先輩です)に小言をいってみたりしましたが、そう簡単ではないことは百も承知です。
堺は日本史では重要な地
信長、秀吉をへて江戸時代においても主要産業として鉄砲を製造していた場所です。
知人の市民活動の拠点が「ザビエル公園」と記されていたので、ちょっとネットで調べてみると
ザビエル公園(ざびえるこうえん)
1550年堺に来たイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエル。手厚くもてなした豪商日比屋了慶の屋敷跡につくられ、来航400年を記念してザビエル公園と命名されました。堺まつりの「なんばん市」会場です。
天文19年(1550年)に堺に来たイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルを、手厚くもてなした豪商・日比屋了慶の屋敷跡につくられた公園で、昭和24年(1949年)ザビエル来航400年を記念して「ザビエル公園」と命名されました。
また、10月に行われる「堺まつり」では、なんばん市会場として賑わいます。
へぇ〜、知らなかった。織田信長・豊臣秀吉時代に日比屋了慶というキリシタンとなった豪商がずいぶん布教活動に協力し、その屋敷跡が公園となっていたのです。
仁徳天皇陵や大仙公園などはよく訪れた場所なんですが、初めて知りました。
これぐらい地元の人間(つまり私)であっても詳しくない。
堺での歴史的なポイント(地点)を体系的に知る機会がないので、「ここが与謝野晶子の生家跡だよ」「ふ〜ん」「ここが鉄砲鍛冶の屋敷だよ」「へぇー」で通り過ぎちゃうのです。もったいないことだ。
ということで、昨年の正月は「紀州の殿様はえらかったんだ」と勝手なテーマを決めて和歌山城を訪れましたが、今年の正月は「堺市は日本史のターニングポイント」というテーマで、ちょっとドライブしてみようかと思います。
過去ログ: 紀州(和歌山)徳川家は明治以降どうなった?(2)
紀州(和歌山)徳川家は明治以降どうなった?(1)
弥生時代の「弥生」は別に3月に発見されたわけではありません
またまた歴史の定説を覆す発見 朝鮮半島へ渡った日本人
「のぼうの城」忍城(おしじょう)へ行ってきました
北朝鮮の核実験よりも箸墓(はしはか)古墳が熱くなるぜ
エネルギースポット麻賀多神社へお礼参り
纏向(まきむく)遺跡は卑弥呼の住居なのか!?行ってみた。
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Thursday, December 24, 2015, 11:50 AM
http://techon.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/122101665/?ST=ndh
東芝、ヘルスケア子会社を売却へ
東芝は2015年12月21日に発表した「新生東芝アクションプラン」において、医療機器子会社である東芝メディカルシステムズの株式の過半を他社に売却する方針を表明した(関連記事)。保有株式の「少なくとも50%以上、場合によっては100%を売却する。すでに何社かとさまざまな話をしている」(東芝 代表執行役社長の室町正志氏)。
東芝メディカルシステムズは、X線CT装置やMRIなどの医療用画像診断装置を主力とする。従業員数は1万人規模。東芝が経営の「第3の柱」に掲げてきたヘルスケア事業の中核だ。
2015年度に他の事業がいずれも赤字に陥る中、東芝メディカルシステムズを中心とするヘルスケア事業は黒字を維持する見通し。同年度に5500億円の最終赤字を見込む東芝にとって、東芝メディカルシステムズは資本増強に向けた「貴重な財産。このディール(売却)をできるだけ早くクロージング(完了)にもっていきたい」(室町氏)とした。
病院でお目にかかったこともあるだろうMRIやX線CT装置の国内製造メーカーである東芝メディカルシステムズを売却するというニュースを目にしました。
ひとつ何億円という高額な機械ですが、いまや片田舎の病院であっても導入されている機械です。
診療報酬が高いので損はしないという損得勘定が成り立つ見本のようなもの。
原理はレントゲン装置なので何万キロボルトという高圧電流も発生させる装置があり、精密撮影するための駆動部分やコンピュータ処理といったハイテクの固まりです。
こんな夢の機械を造った人たちはすごいものだと感心したことが思い出されます。
ええ、MRIの製造現場に立ち会ったことが昔一度だけあるのです。東京からずいぶん離れた北関東だったと記憶しています。
東芝の子会社といっても、これから世界中まだまだ需要が増えていくでしょうし、間違いなく東芝の中核であると思いました。
愛用しているパソコンやテレビなどの家電製品以外に、発電タービンとかエレベーター、エスカレーターといったどちらかというと少々泥臭い優良子会社群ももち、日本を代表する企業のひとつです。
東京の浜松町の本社ビル、発電タービン、府中のエレベータ実験棟、そして医療機器製造などけっこう行ってますね。あっ東芝ライティングという蛍光灯と電球の工場にもお邪魔したことがあったな。
私のイメージはとても実直堅実で、社員である知人らを見ても老舗企業という落ち着きをもった人たちが多いです。派手さはないが安心できるブランドというイメージを抱いております。
医療機器のブランド力もそうとう強いのではないでしょうか。
東芝といえば、アメリカから原子炉メーカーWH(ウェスティングハウス)を押しつけられて、対ロシア対中国で原発受注競争を繰り広げる共産国家に牽制する役目も負わされています。
また古くからの防衛産業の一角(代表はイージス艦レーダー)を占める重要企業であることは間違い有りません。
ですから巨大赤字が表面化しても、なんらかの政府の救護策があるだろうと見ていたのですが、口先だけの安倍晋三は助けるつもりはないようです。
金の卵を産む鶏を手放そうとしている東芝経営者たちと、その状況を傍観している霞ヶ関にもちょっと驚きました。
こりゃ巨大企業といえ、これからは安穏としてられませんね。
売却するのだったら原子炉事業をそのまま国家に売ればいい
原子炉事業が官営となれば、少なくともファイナンスのリスクはなくなりますから。
過去ログ:三菱重工が苦境のアレバ(仏)の子会社支援へ
事業部制を敷く企業はムダ・ムリ・ムラの固まり
GEにみる縮小する業界・発展する業界
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Wednesday, December 23, 2015, 05:16 PM
社会保険労務士が自分のHPで書きつづっているブログがネットで非難の的になっているという新聞記事を読みました。「すご腕労務士の首切りブログ」という過激なタイトルがつけられています。
このWebを読んでみました。
さぞかしヤクザな追い込みで辞職させる方法や、労働法を理由にした解雇事例が網羅されているのかと思いました。
しかし、鬱病の病歴を入社志望者がは普通申告することはまずないので、不就業期間が長い人物は精神病を疑えとか、
有給休暇の申請に対して雇用主は繁忙期であることを理由に拒否することはできるか(できる)、
遅刻や無断欠勤の常習者に対して解雇は経営者の当然の行為であるといった程度の内容です。
ぜんぜんすご腕さが感じられないやん…
他にもさーっと目を通しましたけども、社員をうつ病にさせる方法などどこにもありません。ましてや、社員をうつ病にさせる方法があったとしても、そうすることで経営にメリットはあるのでしょうか。
社内で自殺などされたら、社内の士気や評判が落ちるだけじゃないですか。
労災の裁判など起こされたら経営者としては最悪の状況です。人事部の人間がうつ病になりますよ。
そのためにも、辞職させるために、大企業では「追い出し部屋」とよばれる部署(仕事)があるそうです。
・無意味な仕事を延々とさせる
・反省文を日々書かせる
・達成不可能な目標を仕向ける
・本業とは関係ない仕事をさせる
等々
うつ病で病気事由で退職させるよりも、よほどこちらの方が確実で早いです。
内容を読めば、うつ病に対して、この社労士は相当強い嫌悪を抱いていることは間違いないのです。しかしこのような嫌悪感を自分のWebで書いたことがそれほど悪いことなのかということ。
建前では社会保険労務士という職業は社員側の味方ということになっているから叩かれたに過ぎないこと。
この社労士はあきらかに経営者側の視点で書いています。だから多くの人たちが不快に感じるのでしょう。
それに個人への誹謗中傷や感情的な発言ではなく、あくまでもこの精神疾患に対する”偏見”でしかありえません。
ただし、私も過去あきらかなうつ病者たちと接してきた経験がありますが、うつ病という救いようのない精神病はとてもじゃないが赤の他人にとっては不幸の発生源でしかないのです。
うつ病者とは痴呆老人と同じです。(一度でもそのような人と接すれば理解できます)
たとえば、真顔で盗聴されているとか、監視されているとか、体調が悪いのはだれそれのせいだとかをあたり構わず言ってみたり、一歩も動こうとしないといった問題行動を起こす。ちょっとした注意で逆恨みをしたりと周囲はしっちゃかめっちゃかになっていきます。
ですから、この社労士がいうように精神疾患の社員は速やかに退職させるのが、ほんとは一番の解決策であるのです。
この社労士の意図は、うつ病の怖さと周辺に対する悪影響を軽んじている経営者に対して、対策を講じろと勧めているだけです。
つまり自分を労働者管理に使えば、ぬかりないですよというPRに過ぎない内容です。
これに対して社労士がうつ病者を斬り捨てようとしているとか、ブラック企業に塩を送るような内容だと言った批判があり、厚生労働省も調査に動いたとあります。
宣伝文句で役所まで動くとはなんとも言えません。
インターネットでの批判も読んでみましたが、おそらくは社会で働いたこともないガキばかりが批判しているように感じました。
「会社は社員を守るべき存在」という前提で自己勝手な正義感を振りかざしているだけのアホばかり。馬鹿言うな。
企業とは利益を第一目標とする組織でしかない
である以上は、業績や社内の雰囲気をぶちこわす問題社員(ブログではモンスター社員と呼称)をクビにするのは経営側としては当然の行為です。ところが多くの経営者は解雇という手段をとりたがらないことに対して、社労士業の宣伝も兼ねて警告しているだけなのです。
若い頃の話ですが、十日程度しか出勤せずに、あとの350日はずっと病欠扱いを何年も続けていた会社員が同じ職場にいました。まあ安定的な企業だったので誰も何も言わないし、ご本人も悪気もないのに驚いた経験があります。給料は生活保障として半額出ていたそうです。
仕事をせずに、診断書一枚持って平気な顔で給料日にはやってくる厚顔無恥さ、精神構造のあまりもの図太さに驚いたのですが、今では精神病者だったんだなと思います。
規模の大きくはない企業だったら大変ですし、業績にも影響があるでしょう。そりゃクビにして新入社員をあらたに採った方がずっといいに決まっています。
ところがこのような正論をちょっと過激なキャッチコピーでPRすると叩く者がいることに、なんだか不思議というか暇な人が多いんだねえという感慨を抱きます。
過去ログ:
うつ病者のいる仕事場は「正直マジ勘弁」です
うつ病は伝染病だから隔離が正しい
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Monday, December 21, 2015, 10:45 PM
毎日新聞12月20日の書籍紹介記事を興味深く読みました。
ガリレオ裁判 400年後の真実 田中一郎著 岩波文庫
バチカンに保管されていたガリレオの著書「天文対話」に対する宗教裁判の記録を読み解くと、そこには我々が想像していたガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei:1564-1642)とは真反対の人物像が浮かび上がります。
孤高の天才天文学者 →トスカナ大公主席数学者+教皇ウルバヌス八世のお気に入り
異端審問で地動説をあくまでも貫く →天動説を擁護し、自説の撤回も辞さない
科学者としての信念を貫く →異端者という烙印をきわめて恐れる
六六歳という晩年に記した著作「天文対話」はアリストテレスの天動説を元にしたカトリックの宇宙観を損ねないように、慎重に両論表記をしたものでした。
研究成果をまとめて発表したい、しかし晩年を異端者の汚名で穢すことは耐えられないという苦しい心情であったのです。
「それでも地球は回っている」という判決のさいに呟いたという言葉は、後世の弟子の創作であると言われています。
ローマ教皇だって馬鹿じゃないから説明されれば理解できた
しかし、カトリックの宗教規律とタブーでがんじがらめに縛られていたのは教皇や国王たち側でもあったということです。
ようするに、ガリレオを擁護したくてもできない状況であったのです。もしガリレオを少しでも擁護する姿勢を見せると、法皇らはバチカン内の敵対派から糾弾されますし、共和国王たちも他国の国王から反カトリックの烙印を押されて攻め込まれる隙を見せることになります。
カトリック教圏内の政治的なバランスでガリレオは処罰された
結論はそれだけです。
敬虔なカトリック信者であるガリレオを教皇ウルバヌス八世は処罰したくはなかったし、教皇ウルバヌス八世との良好な関係をガリレオも壊したくはなかったということ。
異端審問するバチカン側も本音と建前があったということ
1600年(17世紀)頃となると、天文学(数学)が貴族や国王たちが召し抱えていた科学者(神学者・哲学者)たちによって急速に発展していきます。急激にヨーロッパは目覚ましい発展を遂げたのです。
もともとはペルシャやインドと比べて数学の遅れていた地域であるヨーロッパでは、その頃となるとジェットコースターがそれまでのエネルギーをためて一気に駆け上るよう発展していきます。
そんな状況下、紀元前のアリストテレスの天動説を信じ続けろ、と言うのはカトリック教徒であっても無理というモノ。
なぜならばこのころはポルトガルは大航海時代となって、あちこちに帆船による探検や大船団による植民地開発に力を注いでいたのですから。大航海時代の到来と共に科学における実証主義が芽生えていたのですから。
天動説は外洋航海をするには全く不適合であるということはローマ法皇であれ、バチカン内であっても非公式ながらも了解事項であったのでしょう。
それをガリレオもわかっており、死刑といった重刑にはならないだろうと見抜いていたのです。
しかしカトリック内でも原理主義派の勢力が予想以上に強く、目論見が崩れ、ガリレオにとっては予想外の重刑となったということ。天文対話の禁書と軟禁という処罰が下りました。
ガリレオが揺れ動いたように、バチカン内でもガリレオの処罰に悩んでいたのがどうやら事実のようです。
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Sunday, December 20, 2015, 03:13 PM
朝日新聞に神里達博(かみさとたつひろ)という私と同年の解説者・評論家の記事が載っていました。なるほど私と同じ感慨ですので転載しておきます。
東洋ゴムの免震ゴムや杭工事、さらには科血研の組織的データ擬装、東芝の不正会計と類似事件には暇(いとま)がありません。
このような企業不祥事が続き「プロのモラル」の信頼が崩れた一年という総括ですが、そもそもプロフェッショナルとはどのような定義なのでしょうか。
神里氏のコラムでは
日本語で言う「プロ」とは「プロフェッショナル」の略語だが、英語の「Professional=召喚する」から派生した言葉だ。これは元々、キリスト教世界において、特別に神から召喚されて就くべき仕事、すなわち、聖職者、医師、法曹家の三つを指していた。
とあります。多くの人が抱くイメージ、すなわち銭を稼ぐからプロ、対価がないからアマチュアという単純な定義でないのです。
天帝(ゼウス)から召喚された人がProfessionalということ。
日本におけるかつての職人気質と同じ倫理観をヨーロッパのProfessionalは持っていたということです。
現代のプロは単なる専門家(エキスパート)に過ぎない
近代以降、社会的な分業化によって専門業に分化していきます。典型例は科学者だと神里氏は指摘しています。
おなじく医者という専門業(エキスパート)もとことんまで細分化されています。痛みだけとか老人病だけだとか、神経症だけだとか・・・。
このように近代(資本主義)の本質が分業化であるから、突き当たることなく、どこまでもいつまでも専門家されていくのです。
科学者とはもとは貴族や王様が庇護していた存在でしたが、19世紀には職業としての科学者の立場が確立されました。
大衆社会とは(無教養な)専門馬鹿ばかりの社会である
スペインの哲学者オルテガ(1883-1955)が指摘したのは専門家、細分化によって総合的教養が失われた社会が大衆社会であるとしたのです。ヨーロッパの「慢心した坊ちゃん社会」の出現を嘆きました。
いまの日本で起こっていることは、狭く固く閉ざされた領域の専門家(という無教養の存在)が社会を欺く存在へとなっていることであると神里氏は指摘しています。
理念・教養なき専門家は社会悪である
社会全体が無責任な小役人風情ばかりです。
いっぱしの専門家気取りがたくさんいます。ネット世界ではそれが顕著で辟易です。
企業や学校のいじめはこんなところにあるのではないでしょうか。他人の範疇には無関心という専門化気質が蔓延しているように思えます。
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Friday, December 18, 2015, 02:48 PM
こりゃあかんわ、と思うようなことがここ最近よくあります。
デジカメ・スマートフォンがここまで人を馬鹿にさせるのか!ということです。
つい先日、60過ぎのオヤジに、とある書類をこちらにも転送してほしいと頼みました。
ページも多いので、要点だけかいつまんで電子メールで送って欲しいという要件です。
送られてきたのは、16枚も画像が貼り付いた電子メールです。
こちらでPhotoShopをたちあげて、一枚一枚眺めることになりました。
アホすぎるだろ、このジジイ
日本語が読めないならいざ知らず、何を考えているのか呆れはてました。
デジカメの功罪は役所仕事まで及ぶ
役所仕事というよりも、それを請ける会社が酷いレベルなのかもしれません。
20年ほど前なら写真添付なんていう条件はあまりなかったと記憶しています。
ところがなんでもかんでも今の報告書は写真付です。
カラープリンターが安価になったのも影響が大きいのですけども、どうでもよいようなものまで写真を貼付けることがあるのだろうかと思う場面がよくあります。
銀塩カメラの頃は、文字であらわせないなら、スケッチ、それでも不十分ならスチル写真と重要度にあわせていたと思います。
ところが昨今なんでもかんでもまずは写真
20代から30代の方と仕事の打合せをしたのですが、書類よりもまず「写真あります?」でした。
特に20代以下はひどい
図で描いて写真を見せないとわからないのかな
もちろん、一年で本も新聞も読まない同年代のサラリーマンも似たようなモンです。
地図を出したら、スマフォのGoogleMapで説明してほしいと言われました。
北側だとか西方向だとかいう説明がわかりにくいというのです。
まあ私の友人で、ハイキングの山中、電池が切れたからコンビニどっかないかといった奴もいますからこの程度では驚きません。
東京生まれ東京育ち、それでも目黒からカーナビがないと帰れないといった人もいますw
デジタルカメラとカラープリンターはすごく便利なものだと思うのですが、なんでも写真写真という風潮はどんどん頭の回転を奪っているように思えます。
あらたな文盲(もんもう)が発生している
大学では「せめて漫画だけでも読んでくれ」と呼びかけているそうです。
そういうと、ネットを眺めてますとか、LINEやTwitterで読み書きしているから十分ですという答えが返ってくるのだとか。
・・・その結果、長文が読めない(理解できない)
悲しいことに、このブログさえ文字量が多すぎて読めない(笑)
何を書いてあったと私が問い直しても、えーっとえーっととなるのです。
まるで知能障害か精神病の前駆症状のようです。精神病や知能障害者と関わったことがあるので、私はなんとなくわかるのです。
写真を見せればすぐにわかる
ところが文字だけのパワーポイント(パソコン版OHP)は理解できない(笑)
これ以上どうやってかみ砕いて話せばいいのだと思うことがよくあります。
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Friday, December 18, 2015, 01:37 PM
仕事先でクルマを使う機会があります。私は東京暮らしなのでハンドルを握るのはたまに倉庫へ行くときと、まとまった量を配達するためにトラックやバンを借りて乗るぐらいです。通常は運送業者まかせです。
若い人の方が上手いし、借りた車をぶつけるのは嫌ですし、それに助手席で眠りたいので、運転代わりたいという方には喜んでキーを渡します。
でもやっかいなことに免許制度がかわり、普通自動車免許では中型車4tのトラックは運転できなくなったので、これしかないのでこれをコロがして下さいなどと言われるとドキドキです。トラックは大半がマニュアルです。慣れればミニバンがちょっと大きくなったぐらいですけどね。
でもロングボディーは一人では嫌です。かならず助手席に乗ってもらって、駐車などは誘導してもらわないと怖くて怖くて。
この前はレンタカーを返しにいったら、普通免許(4t中型)の社員が出払っているんで近くの店舗まで回送して下さいと頼まれました。つうかレンタカー会社だろここは。
いっぽうでは田舎育ちで18か20歳あたりから運転に慣れている人は、ぜんぜんそつがないです。
まあ地方で仕事をしていて、クルマの運転ができない(苦手)という人は障害者扱いですから、それは仕方がない。
可哀想なのは運転免許を遅くして取得した人です。社会人で運転免許をとった人などです。逆立ちしたところで手足のように商用車やトラックを転がす中卒高卒には敵わない。相手は10年も20年も毎日運転しているわけですから。
機械には必ず習熟期間というものがあります。
若者のスマートフォンの操作なども、私は絶対に親指をあんなに素早く動かせません。
馬鹿は自分が無意識にできるから、他人もできると思うのでしょうか、クルマもスマートフォンも、電気家電や機械操作はすべて大嫌いです。
3年前に買ったデジタルカメラなのですが、いまだに機能全てを把握できません。
いちおう高級機なのですけども、以前使った機能をどうやっても探し出せないのです。
その機能のために買い換えたにもかかわらず、いざ使う場合にはどうやって設定すればよいのか奮闘してもわからず諦めました。
また停電でビデオやオーディオ、電話機の時刻を直すとなればさあたいへん。一気に憂鬱になります。
自動車と家電が融合するなんて悪夢です
昨日も、頼まれてちょっと乗用車を運転する機会があったのです。
気軽に運転席に乗込んで気づいたのですが、バックミラーが折りたたまれている・・・ミラーを戻すボタンはどれだどれだと探しまくりました。ちょいと古いクルマや商用車なら手動ってのもありますからしばし逡巡します。
後部座席の冷ややかな視線・・・私は気が弱いのです。
こいつはアカンやつやななんて思われてたらどうしましょと焦りまくり。
逆に私も助手席にいながらドライブインなどで、駐車スペースはあっちがええだのこっちが空いてるだの余計なことを口にしてしまいますから、他人を責めることはできません。
人に指図されるってのはとても不愉快
それとドアを開けると、電子音声でETCカードが入っていないとか、ナントカキノウがオフですだとか、ナントカにご注意下さいとかいうのをやめてほしいもんです。
乗用車も商用車もドアを開け閉めする度に、一本調子な声が響き渡るのがとても萎えます。
「うるせーばかっ」とでも応えれば、黙り込む機能があれば、まだ許せるのですけども。
機械文明となっても、けっして誰もがすぐに習熟者と同じ操作できるなるわけではないという前提を忘れられているのでしょう。
先日、年末の特売市があり、仮設テントが立ち並んでいました。美味しそうなので並んだのはいいですが、全然行列が進まない。
レジスターが紙切れで会計係が四苦八苦してました。
売り子たちが取り囲んで、ロール紙をああでもないこうでもないと、途方に暮れてます。
レジスターはあいかわらずエラー表示で動きません。たぶんアルバイトなのでしょう。
きっとスーパーのレジのおばちゃんなら、数秒でかたづけることがろうなあと気長に待っていましたが、待たされている客からはヤジが飛ばされて益々みんなパニック状態です。今夏に従兄弟のお店を手伝ったことがありますけども、CASIOのレジスターは最悪です。
結局電卓で対応してましたが、そもそも200円均一なんだから暗算で十分です。お金の受け取りと釣り銭を渡す二人体制でやるほうが、よほど早く人が捌けます。最初からそうすれば良いのに馬鹿なんでしょうか。
過去ログ:ただいま店員修行中 レジスターって結構難しい
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Wednesday, December 16, 2015, 12:50 PM
「はやぶさ2」だけではない。コンピューター技術、医学分野でも同じだ。日々、新しいものが発見され、発明されている。もちろん、それを実現するのは「私」と同じ人間だが、「私」ではない。一部の専門家であり、天才たちだ。天才たちと「私」の格差は日々拡大してきた。「貧富の格差」どころではない。ただし、問題は「知識の格差」ではない。科学の発展に呼応できる「私」の精神の発展が遅れていることだ。
(中略)
もちろん、科学の発展は「私」の進歩にも影響を与えてきた。例えば、天動説を信じていた時代、地動説が明らかになることによって、人間は天動説時代よりその視野を拡大し、謙虚になった。しかし、その「私」の進歩は科学の発展と比較すると、余りにも遅々たるもののように感じる。
「私」を取り巻く物質的環境圏は急速に改善し、発展してきた。人権、自由の尊重といった啓蒙思想の影響で、「私」はより大きな可能性を得たが、「私」自身の精神、もう少し文学的に表現すれば、人を愛する能力は拡大、発展しただろうか。「私」はいい人間となっただろうか。現実の世界では、紛争や戦争が絶えないのだ。
私の師匠、副島隆彦がときどき憂鬱な心情におちいる姿をよく見ています。
これは知識人のいきつく先だと特に気の聞いた言葉もかけず、私は生暖かく傍観しているだけです。また年寄になっていくに従った誰でもこのような心情に陥るのだろうと思っています。
ただ私も中年も中年まっただなかとなると、10年20年前のギラギラした熱意やなにくそと思う気力も少なくなっていくことを感じます。
異性に対しても、クジャクが羽を広げて求愛行動するようなことも、もうやりあきた(笑)といった感じかな。すなわち精神が枯れてきているということ。
いわゆるこれが「大人になった」ということなのかな。子供扱いするなという青少年から、まだまだ青臭いガキですと謙遜する年齢を経て、いわゆる大人の自覚を持つ頃は立派なジジイとなるのでしょう。
海外特派員のブログ、ウィーン発コンフィデンシャルにはやぶさ2のスイングバイに対する科学技術の感想が掲載されていました。
http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52126215.html
わかるなあ、その気持ち
ここ四半世紀で夢物語と思われていた生活が次々と実現されている気がします。
携帯電話、それもテレビ電話、クルマの自動運転、そしてロボット工場・・・
それらの実現に関わった人々には称賛しますし、苦労があっただろうと思います。
でも、なんかつまらないというか、「私」自体は進歩したのか?と自問すると、けっしてそのような気がしません。
もちろん周囲の人々を眺めても、テクノロジーにあわせて進歩した人間などいるわけがない。
もし居たとしても、少なくとも極少人数でごく限られたところにいるだけでしょう。
蕃書調所(ばんしょしらべしょ)という明治維新前に存在していた、徳川幕府の海外研究機関があります。もともとは浅草天文台の翻訳方という部門が、独立して九段下に設立された、当時の最高頭脳をあつめた幕府機関です。
これが明治となっても、その出身者たちが日本の礎の重要な役割を担いました。
薩長が明治新国家を作ったわけでは断じてない
べつに飛脚と駕籠(かご)の時代に戻って欲しいと思うわけではないのです。江戸時代は車輪は大八車ぐらいしか認められていませんでした。自転車はドイツで発明されたドライジーネという足で蹴って乗る車輪のある木馬だというのが定説ですが、日本ではそれよりも先に発明家であった農民がクランクをつけた車輪のある荷車を造ったという記録があります。
ところが幕府からお咎めを受けることが怖くて、村役人が壊してしまったのです。
NHK朝の連続ドラマ「あさが来た」ではちょうど鉄道が敷かれて石炭需要が急増したことで、炭鉱経営に乗り出す広岡浅子がモデルの話をやっています。ちょうどお話の西南戦争(明治10年)の時期に電信網が整備されて、日本から海底ケーブルでロシア経由ですが、アメリカと直接通信できる時代であったのです。(明治22年には電話網も整備されています)
たかだか20年ぐらいで、飛脚と馬車から電信電話と鉄道の時代になったわけです。(40年後には日清日露戦争です)
電気やガスがひかれて生活環境もずいぶん便利になりました。
人間の思想(宗教観)にはあんまり影響はないように思えます。
なぜなら、10年前、20年前には、飛行機や通信で人類が容易に交流できるようになれば、ジョンレノンが歌ったように、国境のない戦争のない世の中が生まれてくると言われていました。
現実はそんなことはありえません。
テクノロジーの発達と人類の精神発達は無関係
通信や放送メディアは諜報煽動工作の主戦場となり、味方か敵かを判断するには民族か信仰する宗教ぐらいしかなくなったのです。
つまり、誰が敵で味方かもわからないちっとも気が抜けない世界となったわけです。
今朝のニュースで、学校の教科書を電子化してタブレット型PCで授業は是か非かというアンケート結果が報道されていました。
紙か画面かという矮小化したくだらない設問にあきれました。
教科書がタブレットPCになったところで、全体の知能指数が底上げされる訳じゃないだろうに。
教科書の配布コストが下がるという議論なら納得します。
小学生にPCで勉強させたからといって、それじゃあどうなるかというと、別に何もかわらないでしょう。
話はちょっとかわって、英語圏の人々の文字の汚さ・読みづらさに驚いた体験をした人はけっこういるのではないでしょうか。
インターネットもない頃、FAXでアメリカの通販会社にコンピュータの部品を注文をしたことがあります。
手書きで返信があったのですが、ひどい金釘流で読めない。数字がかろうじてわかる。発信人の名もグチャと書かれて読めないモノだから、づっとMrをつけて返信していたら わざわざMrsとつけて返信がありました。
タイプライターを打てることが教養のある人とみなされる頃から、おそらく手書きという習慣を放棄してしまったのでしょうか。
この国でも字がきれいという誉め言葉をつかう機会はあまりありません。
汚い字や漢字が書けないということを恥じることはなくなったからです。
「美しさ」「普遍」の探求でしか精神は発達しない
音楽や絵画、デザイン、近代科学(サイエンス)・・・すべて全知全能の神がつくりあげた普遍の体系に近づきたいという要求から発展してきたものです。
なぜ人は勉強や研究をするのかというと、一口で言えば「美しさ」「普遍なもの」を本能的に求めるからでしょう。
ニュートンが求めたことは、宇宙の物理法則です。リンゴが落ち方から万有引力を発見したのではないのです。
それは敬虔なる神学者の行為であったのです。
はやぶさ、はやぶさ2、あかつきに携わった人たちは探査機や軌道計算に「美しさ」や「普遍性」を感じていただろうな。
なんてったってニュートンが「プリンキア」を出版してから400年経った今でも、宇宙船や探査機の計算はニュートンの法則なのですから。
師走の街を歩くと、美しさが微塵も感じられないのはなんででしょう。貧困とはGDPや日経平均ではけっして計り知れないものです。
普遍(Standard)な美しさ(beatuy)からますます乖離していく風景・風情にテクノロジーの発達とは裏腹に失望とあきらめを感じます。
ウィーン発 『コンフィデンシャル』
ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。
「はやぶさ2」の快挙と「人間の進歩」
小惑星探査機「はやぶさ2」は3日、目的地の小惑星「リュウグウ」に向けて軌道変更に成功した。「はやぶさ2」は平成30年に「リュウグウ」に到着し、3度着地して岩石などを採取し、32年に地球に持ち帰る予定だ。宇宙航空研究開発機構(JAXA)が14日、発表した。
探査機の軌道修正には高度な計算が必要だろう。読売新聞電子版によると、「はやぶさ2は3日、米ハワイ付近の高度約3090キロで地球に最接近。引力の影響を受けて軌道を曲げ、小惑星へと進路を変更し、地球の運動エネルギーを受けて秒速約1・6キロ加速した」という。
このニュースを読んで科学の急速な発展に気が遠くなるほどの眩暈を覚えた。同時に、「はやぶさ2」を支える科学技術は飛躍的に進歩しているが、「私」は進歩しているだろうかという素朴な疑問が湧いてきた。
当方は宇宙関連のニュースが大好きで、科学欄のニュースには目を通すようにしているが、日進月歩という表現はまさに科学分野の発展を表現するためにあるのだろう。
問題は、科学分野が急速に発展するのに、人間は18世紀、19世紀と比べて余り発展していないのではないかという絶望感に襲われるのだ。科学は進歩するが、「私」は旧態依然の「私」に留まっているという一種の焦りだ。
「はやぶさ2」だけではない。コンピューター技術、医学分野でも同じだ。日々、新しいものが発見され、発明されている。もちろん、それを実現するのは「私」と同じ人間だが、「私」ではない。一部の専門家であり、天才たちだ。天才たちと「私」の格差は日々拡大してきた。「貧富の格差」どころではない。ただし、問題は「知識の格差」ではない。科学の発展に呼応できる「私」の精神の発展が遅れていることだ。
一部の天才たちが創造したものを享受するのは「私」を含む大多数の普通の人だ。それを文明と呼ぶのかもしれない。時代の恩恵という表現になるのかもしれない。大多数の「私」はコンピューターがどのように作用し、「はやぶさ2」がどのようにして遠距離から軌道を変更できるのかは説明できないが、最終製品を楽しみ、探査機の成功を喜んでいる。
もちろん、科学の発展は「私」の進歩にも影響を与えてきた。例えば、天動説を信じていた時代、地動説が明らかになることによって、人間は天動説時代よりその視野を拡大し、謙虚になった。しかし、その「私」の進歩は科学の発展と比較すると、余りにも遅々たるもののように感じる。
「私」を取り巻く物質的環境圏は急速に改善し、発展してきた。人権、自由の尊重といった啓蒙思想の影響で、「私」はより大きな可能性を得たが、「私」自身の精神、もう少し文学的に表現すれば、人を愛する能力は拡大、発展しただろうか。「私」はいい人間となっただろうか。現実の世界では、紛争や戦争が絶えないのだ。
「はやぶさ2」は地球の重力によってスイングバイをし、小惑星「リュウグウ」に向かった。「私」も地球の重力によってスイングバイし、古い革袋を捨て、新しいパラダイムの世界に飛躍しなければならないのではないか。
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Tuesday, December 15, 2015, 04:22 PM
今朝の朝日新聞には食料品とあわせて新聞のみが現行8%のままで据え置く税率軽減記事が新聞協会のたちばで掲載されていました。
曰く、書籍・雑誌・新聞などの活字文化は『心の糧』で、健全な民主社会を構成するための知的インフラであるから、食料品とおなじく税率を据え置くことは当然であるという主張です。
参考とする欧州では生活必需品や医薬品には低税率や非課税であるという持論を繰り返していますが、
しかし余計なことに、ポルノや青少年に悪影響を与える書物はまっとうな出版物ではないので標準税率でよいとあります。
あいかわらず政府・経団連に阿(おも)ねる全国紙
自分たち(新聞社)には課税されるのがいやだと言いながらも、食品の課税対象の線引きは意気揚々と誌面を割いている癖に、いざ自分たちの意見は片隅にちょろっと載せているだけです。
消費税など全面的に大反対という議論はどこにもみあたりません。
8%のままであれ、10%だろうと、このままじり貧になって欲しいと私は心から大新聞各社を願っています。
新聞の定期購読なんて最大の贅沢品
と若者達(だいたい30代以下)は思っているでしょう。新聞とは裏を読む(疑って読む)という知識背景を持っていないと、百害あって一利もないものです
スマホやネットで毒にも薬もならない政治経済ニュースは読めますし、政府発表や企業の記事なんてタダが当然です。
読売新聞なんてファミレスかビジネスホテルでタダで配ってます。これが普通の新聞の姿だろうなと思います。香港では街角にニューススタンドが立っていて、そこに積まれているので必要な人は勝手に持っていく。新聞の構成は日本の全国紙と余り変わりません・・・半分が広告です。
書籍は贅沢品ではない、必需品だ
逆に書籍や雑誌こそ、市井の必需品だと思います。たとえポルノだとか俗悪雑誌だとか言われるものでアレ、これは後世では文化といわれるものです。
江戸川乱歩も倒錯した性向を主人公とした俗悪小説家ではありませんか。
江戸時代の春画、戦前戦後のカストリ雑誌、昭和のエロ本、ビニール本という類はいまや風俗史の研究対象でもあり、コレクターズアイテムです。
新聞屋ふぜいが、活字の貴賤を語るなよといつも思います。
もうひとつ注目した記事はネット点描という記事で、ニコニコ学会βというものが取り上げられています。
ニコニコ動画という若者に人気のネットサイトは知っていますが、私はあまり視聴はしていません。しかしこれに入り浸りの若者はすごく多いようです。
このニコニコ動画の最大の特徴は、視聴する側の反応が即座に画面に反映されることです。
これを有識者たちに語らせて、それの反応をみんなで愉しむというのが「ニコニコ学会β」という実験プロジェクトらしいです。
5年もやっているそうですが、今回で最後となるそうです。
12月19日(土) 13時〜19時30までネットで生中継されます。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv241799273
これはすばらしい発想だと、いまごろ感心しました。しかしこんな時間にネットに貼り付いていたくないというのが私の心境。
俺もニコニコ学会βで発言したいなあ
ネット民とよばれる人々は知能精神年齢はバラバラの感があるのですが、パイが多ければダイレクトな反応は、発表者にもそれなりの収穫があるのでしょうし、逆にいまの学会と呼ばれる団体は完全にネット社会では時代遅れだなと思います。
研究や学問を専門家だけの世界に閉ざさず、一般の市民にも開き、市民も研究に参画する場をつくろう――。そんな目標を掲げて2011年11月に発足した「ニコニコ学会β」の最後のシンポジウムが、19日に開かれる。当初から活動期間を5年と定めており、集大成の1年になる。
「ニコニコ学会βは、東京電力福島第一原発事故に大きな影響を受けた」と、委員長を務める産業技術総合研究所の江渡浩一郎主任研究員はいう。「社会の中に科学を否定する風潮が現れ、専門家の敗北と思えた。専門家に任せっぱなしだったことが事故の要因なら、国民全員が科学者になる動きを進めるべきではないかと考えた」
シンポはニコニコ動画で生放送され、視聴者の反応がコメントで即座にわかる。特に、ニコニコ動画を運営するドワンゴが設けたイベントスペース「ニコファーレ」では、壁面や天井の5面が発光ダイオードモニターで埋め尽くされ、リアルタイムでコメントが流れる。その緊張感と刺激は、従来の学会発表とは全く違うという。
専門家側の舞台は「研究100連発」。5人の研究者が研究実績を20件ずつ15分の間に発表する。超短時間なので、研究の本質を徹底的に凝縮しなければならない。
「研究者の取り組みの全体像が浮かび上がり、視聴者にも研究の流れが伝わる」と江渡さん。1人の発表が終わると、ニコファーレの壁面は「88888……」(「パチパチパチ……」の意味で拍手を示す)のコメントで埋め尽くされる。
もう一つ力を入れてきたのが「野生の研究者」の支援。研究機関には属していないものの、研究に情熱を持つ人たちに活動の場を提供してきた。これまでの登壇者のうち3人が、独創的な人材を集める総務省の「異能ベーション」に採用されたという。
ネット経由で不特定多数に資金を募るクラウドファンディングを用い、アフリカのバッタの研究を続けていた前野ウルド浩太郎さんらを現地から招き、発表してもらったこともある。前野さんはその後、京都大学が次世代の優秀な研究者支援のために設けた「白眉(はくび)プロジェクト」研究者に選ばれた。
4年余の活動には「大変な手応えがあった」と江渡さん。活動は来年11月で終わるが、「方法論や問いかけは社会に残せた」と話す。そうした記録と未来への提言のまとめが11月までの課題だ。(丹治吉順)
新聞に関する過去ログ:
三権分立が厳格なアメリカで米官僚が安倍晋三に議会演説を要請するわけがない
ないものをあるという慰安婦問題と同質の「国の借金問題」(政府プロパガンダ)
ポチ公が急に吠えだしたよワンワンワン ガス=電力の新規参入を求める米露
素人は成り行きで買い、成り行きで売るしかない
世界標準(Standard)のない日本の技術に未来はあるか
IAEAという進駐軍が福島にやってきた(自縄自縛を進める日本政府)
正月の日経新聞ほど親米ポチ丸出しな記事はない
物流コストが日本浮上の鍵であることのニュース三題
着実に進む国内天然ガスパイプライン幹線
新入社員訓辞「社会人は新聞を読め」←正気ですかね
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Sunday, December 13, 2015, 04:57 PM
テレビのコメンテーターとしてもおなじみの宋 文洲(そう ぶんしゅう)氏のメルマガに興味深い記事があったので、こちらでも紹介しておきます。
宋文洲氏はソフトウェア会社の創業者であり、現在はコンサルタントをされているようです。
上海出身のコスモポリタン的な視点がとても参考になると思います。
バックナンバーはこちらのURLで読めます
http://www.softbrain.co.jp/mailmaga/list.html
(転載始め)
1. 論長論短 No.257
仕事ができる管理職ほど社長に向かない
宋 文洲
部長、副部長、次長、担当部長、部長代理、部長補佐に部長相当・・・
日本の古い会社には実に管理職が多くいます。5割以上の社員が管理職に
なっている企業は珍しくないのです。管理職会議の際、現場で仕事する社員が
いなくなるほどです。
言わなくても多くの新入社員の目標は主任、係長、課長、部長を経て
取締役を目指すことです。何歳になれば管理職のどのポストに立つかも
暗黙のルールになっています。そのため、年に相応しい管理職のポストに
なっていないと居心地が悪くなるのです。
管理職が多いと何が起きるか。それは管理職の社員化です。本来、優秀な
社員が優秀な管理職になる訳ではないのですが、皆が管理職を目指すので
優秀な社員から先に管理職にするしかありません。結局、管理職は一種の
社員への奨励になってしまうのです。
仕事ができる社員を管理職にする。仕事ができる管理職を役員にする。
そしてとうとう社長はそのような役員の中から選ぶことになります。
つまり社長も単なる優秀な社員や管理職なのです。
優秀な社員が管理職になり社長になった場合は悲劇が起きます。まずその
社長は社員や管理職の癖を持っているため、現場の細かいことに口を挟みます。
それぞれの社員が育つための環境作りやチーム全体のマネジメントの重要性を
知らない上、ノウハウもないのです。
次に、優秀な管理職が社長になった場合、現在の管理職はチャレンジしなく
なります。「あの伝説を作った先輩にとてもものが言えない」、「新しいことを
提案しても社長のセンスに合わないと怖い」、「先回りして反対されないことを
する」などの心理が働くのでついつい保守的な風土が定着してしまうのです。
ご存じのとおり、経営は変化への対応にすぎず、永遠の勝利法などは存在しません。
変化に対応するには現在の社員達に彼らに合う方法で現在の社会環境や顧客
ニーズに合う仕事をしてもらうしかありません。失敗したら励ましてあげる。
成功したら奨励をしてあげる。困難に遭ったら助けてあげる。こんな単純なことは
仕事ができる管理職の人達はとても苦手なのです。
なぜでしょうか。それは彼らが管理職として成功し、その結果(奨励)として
社長に選ばれたからです。社長になったことで余計に自分の管理職としての
成功を経営に活かせると思い込んでいるからです。この管理能力を強調しな
ければ社長としての合法性や納得性が弱くなるからです。
半分の社員が管理職になり、その中から社長を誕生させるにはこのような実績
主義は止むを得ません。同期や先輩がたくさんいる中、「なぜ彼を社長に選ぶ
のか」には実績が最も説得力があります。しかし、これは良い牛を競馬に
行かすようなもので、悲惨な結果を招くケースが多いのです。
二千年前、劉邦と韓信が酒を飲みながら各自が何人の部下を統率できるかを
論じました。韓信が「私は多ければ多いほどよいが、あなたは十人だろう」との
話に劉邦が不快な表情を見せた。すると韓信が「あなたは将軍を卒いる。私は
兵隊を卒いる」と説明しました。結局、劉邦は仕事ができる韓信を使って仕事が
できる項羽に勝って天下を取りました。
伝説の営業部長、最盛期の工場長、ヒットメーカーのプロデューサー・・・
仕事ができる管理職ほど社長に向かないのは昔からの掟のようです。
(転載終わり)
私がなるほどと感じたことは、
社員が優秀で仕事熱心であっても、その企業の成長とは無関係である
ということです。
社員もその管理職も体育会的なモーレツな会社というところは珍しくありません。
下手したら、徹夜や無休といった不健康自慢しかない会社もあります。
就業時間が長い企業や業種ほど安月給という共通性がある
デスクワーク、屋外作業どちらが主体であれ、勤務時間や拘束時間が長い会社ほど、たいていは安月給ですね。ソースは俺(笑
経営コンサルタントの宋文洲氏は日本企業のこの社員をやたらと拘束したがる風土は常に疑問を投げかけています。
私の兄弟も夜の11時だ12時だという深夜にまで会社に残る生活をしているようで、電話口でそんな状況を聞く度に、むらむらと怒りが湧き起こります。
家族がいる中年をそんなに拘束して何のメリットがあるのだと思います。
ひとりで思案する時間や配偶者や子供たちと語りあう時間こそが一番大事ではないでしょうか。
それを会社如きが奪うことは許されない行為だと思うのです。
唯一奪ってもいい場所は刑務所なんでしょうけども、植草一秀さんや佐藤優さんやホリエモン(堀江貴文)らが出所後に文壇で活躍する例があるから現実は全く逆です。
どうして日本の企業風土は、社員の時間を奪っても平気なようになってしまったのかと考えると、宋文洲氏がいうように
報償として社長を選抜する仕組みが優秀な経営者を生まない
ということです。
平社員から管理職へ、管理職から取締役へという選抜制度の終点が最高経営責任者というポストである限りは、社長も単なる優秀な社員や管理職の一人に過ぎないのです。
結果どうなるかというと、自分の業績しか判断基準がないために総合的な視野がなく、全体が硬直化してしまうということ。
私もモーレツ社員がいる会社をよく見てきましたし、残業の多い会社を見てきました。
でも、そういう会社は決して業界ナンバーワンだとか収益率がいい会社でもないのです。
思い当たるのは、やはり管理職や社長といった人物が、かつて滅私奉公てきに働いた代償としての慣習がずっと残っているのです。
逆ににこのご時世でもそこそこ難なくやり過ごしている企業ってのは、たいていはあんまり優秀ではない社長ですw
大企業の子会社は、社長あたりは親会社のお勤めご苦労さん的なお飾りのポストですね。だから下っ端は一生懸命になるのかもしれません。
最悪なのは親会社で仕事ができると自惚れていた管理職です。
たいてい、この手の人が、小さな権力を握るとろくな事がおきません。ソースは俺(笑)
仕事ができる奴というのは、別に珍しいことではありません。むしろ同じ仕事を何年何十年もやっていれば、段取りよくできるのが当たりまえです。
ところがそういう人を経営のトップにもってきたところで、社員にも企業の成長にも好影響はあんまりないのです。
経営する能力は凡人には備わっていないということを、そろそろ日本の企業は気づいてもいいころだと思います。
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Friday, December 11, 2015, 03:37 PM
東京は暑い暑いw、気温の落差はすごいです。
愛車には「長年ありがとう」という程度の感謝をささげることはあります。
スポーツ用品や道具などにでも、ここ一番頼むぜと気合をいれることもあります。
これは誰でもする行為でしょう。
野球選手がバットに打ってくれよと頼んだり、逆転ホームランでは接吻したりとスポーツ中継ではよく見る場面です。
単なる物体、精密機器の塊を擬人化する行為ってなんなんでしょう。
鉄道を擬人化する人もいますね。
私は電車を人間のように感じたことはありません。ですから「ありがとう」と声をかける行為などはしません。
機械や建築物は時が流れていくと、その風景に溶け込んでいって日本人には自然の一部のように感じるのかもしれません。
しかし東京タワーやレインボーブリッジ、山手線や中央線などを、東京タワー君とか感じたことはないし、レインボーブリッジに神々(こうごう)しさを感じたという話題はありません。
目の前のスカイツリーも同じですね。
はやぶさにつづく探査機あかつきの5年の雌伏を経て成功した軌道投入の成功は、私もよくあきらめずにとという感慨を抱きました。
たしかに報道や新聞記事でも擬人化した表現がよく見れます。
宇宙を旅してとか、満身創痍のなかとか、懸命のエンジン噴射とか・・・
鉄人28号や鉄腕アトムにつづくロボット、人工知能にたいして親近感(仲間意識)をずっと抱いているのが我々日本人の特徴なのでしょうか。
以下のブログを読むと、JAXAの研究者たちも惑星探査機を擬人化していることがよくわかります。
ミチオ・カク教授はロボットへの感情移入には神道の影響が日本民族にはあるといいます。
ゆるきゃらというくだけたキャラクターを楽しむ文化も、あまり海外ではないような気がします。せいぜいスヌーピーやミッキーマウス、猫のミフィーぐらいかな。でもあれは犬と鼠と猫ですから、ちょっと違いますね。
がんばれ「あかつき君」と全国民が応援している状況を、キリスト教圏やイスラム教圏の人たちはどうみているのでしょうね。
たぶん、すごい科学技術の塊が飛んで行ってるという感覚しかないと思います。
ジュネーブの駐在記者さんのブログ「ウィーン発コンフィデンシャル」から転載
http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52125923.html
金星探査機「あかつき」は僕らの友達
金星探査機「あかつき」が9日、逆噴射して5年ぶりに金星の軌道に入ったという。そのニュースを聞いた時、真っ先に考えたことはこの5年間、「あかつき」は何を考えてきたのだろうかということだった。打ち上げ日のような華やかさはもはやなく、2度と失敗できないといった切羽詰まった思いが強かったのではないか。期待が大きかっただけに、大変なストレスだったろう。太陽を周回する過去5年間の孤独な「あかつき」の飛行姿が脳裏に浮かんできた。
読売新聞電子版によると、「あかつき」計画の責任者、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の中村正人教授は、「前回の失敗後、太陽の高熱に耐え、設計寿命を超えて航行してきた『あかつき』には、意外と頑丈だったねと声をかけたい」と述べたという。
「あかつき」は太陽の高熱に耐え、金星の軌道に入った時、どんな思いだっただろうか。一度失敗した者でしか分からない複雑な思いがあっただろう。中村教授の「意外と頑丈だったね」という発言は、教授らJAXA関係者と「あかつき」との間でしか理解できない暖かいコミュニケーションだったはずだ。
「あかつき」は2010年5月に種子島宇宙センターから打ち上げられ、同年12月に軌道投入に挑戦したが、主エンジンの故障で失敗した。5年ぶりに再挑戦して軌道投入に成功したわけだ。執念の成功ともいえる。「あかつき」の苦労と努力を先ずは称えたい。
ここまで書いていくと、「当方氏はとうとう可笑しくなったのではないか」と心配して下さる読者が出てくるかもしれない。精密な設計と器材の合作とはいえ、「あかつき」は金星探査機だ。人間ではない。それは分かっているが、やはり「ご苦労さんだった」と慰労の声を掛けたくなるのだ。
「意外と丈夫だったね」と述べた中村教授らにとって、「あかつき」は決して単なる機械の塊ではないはずだ。大げさな表現をすれば、自分の子供、ないしは弟子のように感じているのではないか。その感情は非常に現実的なものだろう。
ひょっとしたら、日本人独特の感情移入かもしれない。米国人の理論物理学者(超弦理論)、ミチオ・カク教授はその著書「未来の物理学」の中でなぜ日本でロボット技術が発展するかについて2つの理由を挙げて説明している。一つは、少子化を迎え、労働力としてロボットが不可欠となってきたという事情がある。必要は発明の母だ。2番目の理由として、神道の影響があるという。人間だけではなく、森羅万象全てに心や魂のようなものが宿っていると考える神道の影響もあって、日本人はロボットを単に機械の集合体とは見なさず、自分の友、仲間のような思いでロボットに接する。まさに、自分の手足のように考え、ロボットと交流できるというのだ。
カク教授によれば、米国ではロボットを恐ろしい異邦人、怪物のように受け取る子供たちが少なくない。日本人のようにロボットを友のように感じない。そこで日米間のロボット開発の差が出てくる。愛があれば、開発する努力とエネルギー投入で違いが出てくるわけだ。
「あかつき」に対して自分の友のように感じる日本人も少なくないのではないか。中村教授の発言はそれを裏付けている。教授は過去5年間、長い距離を飛行してきた「あかつき」を慰労したかったはずだ。教授は「あかつき」計画に直接タッチしてきたから、その思いは当然、普通の日本人より深いだろう。
人間は他の動物とコミュニケーションができるだけではなく、植物とも一定の意思疎通ができることは知られている。それを更に進め、人間は無機物とのコミュニケーションもできると信じる。犬や猫とのような高いレベルではないが、ある水準の交流ができると信じている。なぜならば、人間の肉体それ自体が宇宙の物質から成り立っているからだ。無機物を含む如何なる存在物も基本的には同じ要素から成り立っている仲間だからだ。「あかつき」は僕らの友達なのだ。
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Thursday, December 10, 2015, 09:32 PM
NHKクローズアップ現代「橋の”命綱”が危ない 問われる公共工事」を観て驚きました。
落橋防止装置という橋桁(はしけた)の下にある装置の大半が欠陥品という内部告発から発覚した事件です。
突き合わせ溶接という面と面を溶接する箇所では、切削加工(せっさくかこう)といって溶接する面を削って尖らせてから、溶かした金属を流し込みます。
さらに強度が必要な溶接技術として、この場合T字型に板と板を溶接する場合は、片面を溶接した後にガウジングといって、アセチレンや電気でもう一度接合部に溝を切るのだそうです。そして反対側を溶接します。これは”ス”(漢字がわかりません)という空洞ができる原因をあらかじめ予防するためです。
こうすることで、部材が完全に溶け込んで一体となるのだそうです(完全溶け込み溶接という)
へぇ〜とテレビではじめて知りました。一応私も工学部卒業なんですけども。
ところがこの工程を省くと四割は単価が安くなるのだそうです。
だから、落橋防止装置の製造メーカー(従業員数十人の中小企業)は手間を省いてゼネコンに納品するという衝撃的な内容でした。
阪神大震災(1992年)以降、全国の主要橋には橋げたに取り付ける工事を国土交通省がやってるのです。
現在不正な部品を取り付けた橋が、わかっているだけで500弱の橋、工程を省いた製造会社が40社ほど(って大部分の製造会社じゃねえかw)
しかし、私は溶接の検査を少しは知っていますが、検査で不良品は比較的簡便にわかります。
超音波検査装置という小型のお弁当箱型の装置をあてると、内部に空洞があればすぐに波形となって現れるのです。
そしてこの超音波診断装置というのは、金属加工や溶接する企業ではよく目にする機械です。
だから欠陥品となる可能性が高くなるように手間を省くことなどは、まともな製造業や金属加工業では考えもつかないだろうと、素人ながら思います。
ところが、製造会社と検査会社とナアナアの癒着があったのだとか。
これが本当なら、ほんとうにふざけた話です。
私は日本の土木業界が好きではない理由は、金の出所は結局、我々の税金であるという点です。
国土交通省を頂点としてゼネコンとその下にある数多くの業種と配下企業群というゆるぎない産業構造です。
土木業界にはイノベーションが起きることは絶対にない
産業構造、ヒエラルキーが崩れるような事態は、お日様が西から昇るのと同じぐらいありえないといえます。
たとえば革新的な工法や機器を発明したとしても、実際は日本において陽の目を見ることはまずありえません。そういう技術力があっても冷や飯ばかり喰わされている企業もよく知っています。
建築基準法とか工業規格という日本の法令は、すべてアメリカの規格の丸まるコピーです。
嘘だ!という人がいれば教えて欲しいです。
建築基準法で、室内のラドン濃度の上限値というのも、あれは日本家屋をそうていしたものではないのです。
ホルミシスという言葉の生みの親T.D.ラッキー博士も
「米国の建築基準法で地下室などにラドン濃度の上限基準が設けられている。ラドンが肺ガンの原因という理由で制定されたいきさつがある。」と論文でその根拠薄弱さを嘆いていますが、それをそのまま何も検証もせずにそのまま日本家屋にもあてはめています。
過去ログ:放射線の生物学的効果 日本に贈る−視点 T.D.Luckey博士のメッセージ
ハイルシュトレンストーンご愛用の皆様へ(Vol.008)
過去ログから抜粋
◆ ラドン濃度について
ヨーロッパの建築基準法では、ラドン濃度について規制があります。これはラドンが高濃度の場合は「肺がん発生率」も高いという根拠をもって、石造りの地下室をつくる場合は換
気設備を設けなさいという規制があります。
ご存知の通り、ヨーロッパには地下室にワインセラーなどがある家があります。石造りの建築物で、建材である石からのラドンが地下室などに溜まってしまうことがあるそうです。
そのため最近ではラドンと肺がんの発生率の相関が疑われているという理由で、換気設備の設置が義務づけられていると聞いたことがあります。
日本では狭空間においては「酸欠」を理由に強制換気の義務はあるでしょうが、ラドンに関してではありません。
なぜならラドンは人の往来や窓の開け閉め程度で雲散してしまうので、通常の建築物での放射線量の上昇はそれほど高くならないのです。
先ほどの超音波診断装置という機械も、日本で発明されたものではなく、たぶんアメリカの発明でしょう。
それでアメリカでその機械での検査規定ができあがると、日本もそのまま翻訳して、監督省庁が自分の手柄のように、ゼネコンに命令する。
それだけ。
日本の品質は世界一 嘘コケ!
官庁やゼネコンで働く人たちは、下請け孫受けひ孫受けという低階層のレベルの低さを知らなさすぎるのです。
「下町ロケット」で帝国重工の開発部隊が町工場を小ばかにして見下しています。しかしながらNASA帰りのサヤマ製作所の社長にはこびへつらう。
なぜでしょうか?
それは上に行くほど自分で考える能力が退化しちゃうから
ちゃんと国や地方、大手ゼネコンには、土木研究所とか技術研究所といった機関があるのは十分知っています。かつては私もそういうところで働いていましたから。
でもねえ、橋げたの落下防止装置といった単純な鉄製の留め具は大昔からその発想はあったのです。
ところが、震災がこう相次いでくると、あわてて予算をつけて既存の橋に付け出しているわけです。いわゆる「泥縄」っていうやつ。
アメリカで落橋防止装置が制度化されたことで、あわてて日本も後追いでここ20年ほどで付け始めたという経緯なのです。
そりゃ橋の専門家や工学博士という肩書きの人たちは昔から主張していたことでしょう。
阪神や東北で落橋がみられたことであわてて、国交省が追随したというのが実態なのです。
土木業界の話のついでです。これは又聞きなのですが、東京には首都高湾岸線という東京湾の際(きわ)を走る自動車専用道路があります。
ここの杭打ちをやっている会社が、現場で杭を海底に打ち込んでいたのですが、継ぎ足す杭がなぜかボルトがうまくはまらない。
本来は12本か24本かは知りませんが、規定のボルトで接合しなければならないのですが、その半数もボルトが納まらなかったのだそうです。
本来ならそこで作業中止して、原因究明と新たなボルト穴を開けねばならないのですが、現場の判断は
いい、そのままいっちゃえ
だったということ。打ち込めばどうせ海の底ですから、もう調べようがないからです。
だから何本の杭かはしりませんが、ぜんぜんつながっていないグラグラの杭の上を首都高が走っているんだよと面白おかしく話していました。
いくら構造設計の専門家がしっかり計算をしたとしても、現場ではこっちの都合で改ざんしちゃいますからね。
都合の良い悪いは現場で決まるのです。
現場の作業員なんて、一秒でも早く帰って酒でも飲みたいとか、嫁さんか彼女と乳繰り合いたいとしか考えてませんから、この後はどうなるかなんてことは知るかそんな未来のことと大多数が思ってますし、一人が意見を挟んだところでどうなるもんでもありません。
これがengineer(エンジニア:日本語では工員という意味)の世界です。
技術者(Technician:なぜか日本では職人という意味に用いられていますが、本来は工学博士を意味するインテリを表わす言葉)は滅多にいませんよ、私の知っているエンジニアリングの世界では。エセ工学博士はいくらでもいるのは知っていますし、かつての私の上司も勝手に名刺に工学博士と書いてましたっけ(笑)会社も気付かない振りしてました。
名刺に工学博士と一行付け加えると、ゼネコンに見積もり金額を多めに出してもすんなり通るからなんだとか。
工学博士と一級建築士ほど実能力と乖離した肩書きはないw
これぞエンジニアリング業界、はったりと虚勢で飯が食える(笑)
これは実際のバブル末期のお話です。
自分の所属企業の寄付口座に派遣されて、お客様でもらった東京大学博士という一文をわざわざ名刺に入れている輩がいますね、いまでも。
こういう人間のもつ悪行(ダークサイド)があることは学校では誰も教えてくれません。
ましてや官庁の座っているだけの小役人、研究者レベルでは知りもしないし知りたくない世界なんでしょうね。
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Wednesday, December 9, 2015, 08:52 PM
先週末あたりからは、多くの人々は忘年会だとかいう名目で外食をする機会が増えることでしょう。
六城ラヂウムの店主である私のモットーは
『誘われたら必ず参加、薦められた本は必ず読む』
なので、別れ際にでもこれからちょいと一杯いかがですか?と、ある意味おざなりな誘いであっても私はお酒は好きなのでお誘いありがとうございますとお礼を述べて、ご一緒させてもらいます。
自分ではわからないですけど、仕事モードの顔はけっこう無愛想(らしい)ので、私(六城)はお酒も飲まずにさっさと帰るだろうと思われているようです。ある会社の女子社員からは、いつも近寄りがたい不機嫌な顔をしていると言われました、大ショック!orz
先日に、とある会社で打合せの帰りに、新人君に先輩の心得を教えるという名目でこれから繰り出しますけど、六城さんもよかったらご一緒にいかがです?と誘われたのです。
気心の知れた仲間以外なら、躊躇して「若い方たちで盛り上がってください」とか「私はまだ仕事があるので」「カミさんがうるさくて」とか適当な事を言って断るでしょう。
そしてなんとなく互いに気まずさが残ります。むこうはどうせ断るだろうなという前提なんでしょうけども。
気が弱い人なら、ひょっとしたら酒席で俺の話題になってるかも・・・なんてちょっと心に引っ掛かってしまうかも知れません。
私は32歳でお誘いはできる限り<即答で参加する>と決めました
これからはそう決めたということですから、いちいちお断りを考える必要もストレスもないのです(笑)
これ、楽ですよ。まず言訳(いいわけ)を逡巡するという無駄な脳力を使わずに済む。
誘ってくれた相手が、なんかしっくり来ずにちょっと苦手だなあと思っている人だとしても、「はい、行きます、ぜひ!」と即答すると、相手の目の奥がちょっとね・・・「あれっ」と変わるんです。
戸惑いが一瞬よぎるのを私は見逃しません。
私はけっこうそういう人間の本性を、ずるいことに見るのです。個人事業者の性(さが)なんでしょうか。
仕事の張りつめた緊張ではかいま見ることができませんけど、アルコールがちょっと入った状態ではやっぱり人の本性がわかります。
ありがたいことに、私はアルコール耐性があるのか、それほど酔うことはないのです。
これは両親からのDNAに感謝します。それでも
焼酎の振りをして、実は水
3杯目からは、実は私は水かウーロン茶に氷をいれてもらって、それをチビチビ舐めているだけです。
こういうテクニックは意外と知られていない年配者の常套手段です。
昔仲良かった先輩も、よく焼酎の緑茶割りというの好んで注文していたのですが、なんと注文したあとで、こっそり「焼酎は入れないでおいて」と仲居さんに言付けていたのだとか。
若い後輩らにはボトルで頼んだ焼酎をガンガン濃いめに入れて、自分はノンアルコール(笑)
あるときそれに気づいて問うと、酒席ってのはよお、みんな酔っぱらっちゃったらいけないんだよ〜とにこやかに話してくれました。
私も酒席の誘いは断らない、しかし酔っぱらわないテクニックとして今でも使わせてもらっています。
ワリカンでは損かも知れませんが、私にとって酒席はいちばん安上がりな投資なのです。
馬鹿話ひとつ、自分の失敗談でも披露すれば、一生顔と名前を覚えてもらえるじゃないですか。たかだか数千円か小一万円です。
だから若い人は、どんどんお誘いを断らないで欲しいと思います。
聞き上手になる。聞くテクニックを身につけられる場所
嫌だなあとか口うるさい奴だなあと思っている人とでも、話をうなずきながら聞いていると、ちょっとした親近感が生まれます。
それでも苦手だなあという気持ちはそう簡単には変わらないのですが、ちょっとだけは赦(ゆる)す部分も発見することがあります。
苦手な方が若い頃、やはり同じような口うるさい先輩に言われ続けたことなどの愚痴に相づちを打ちながら、ははん、それを後輩たちや新入社員たちに言い続けているのかと納得できます。
私は天才的脳力を持つ人以外は、基本の脳力はみんな一緒だと思っていますから、生い立ちや経験、人間関係が人格を形成するものと考えています。
ただ、私はあんまり外食が好きではなく、旅館の食事も一泊ぐらいならいいのですが、数日続くと体調が悪くなります。
基本的に少食菜食重視主義ですし、糖類(炭水化物)は日常的にはそれほど食べないからです。
おいしい野菜のメニューが少ないのが、居酒屋や定番の忘年会メニューの欠点なんじゃないでしょうか。
というか、私は居酒屋メニューでいままでお目にかかったことがありません。
和民(わたみ)や白木屋といった居酒屋チェーン店は大嫌いです。食べたいものないもの。
私はこの手の企業が消えてしまっても、何にも困りませんね。
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