Wednesday, April 13, 2016, 03:00 PM
4/13 小雨 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル
昨日はベンチャー企業家の講演会に出席しました。
講演者はCOOK+biz(クックビズ)という会社を率いている藪ノ賢次氏(35歳)です。似たような会社でCookPad(クックパッド)という会社がありますが、全く関係ありません。
飲食店専門の人材紹介会社です。
意外なことに全国で飲食店の料理人専門の人材紹介会社は国内でここともう1社しかないそうです。
創業8年目で社員は120名、ヨーロッパへの日本人料理人紹介もしていくのだそうです。知名度をあげるために株式上場も予定されているのだとか。
ベンチャーにとって、創業8年で現在の規模というのは非常に遅いのだそうです。
しかも6年あたりまでは売上も低調のままでしたが、認知度が高まるにつれて指数関数的に業績も規模も急成長しています。
鳴かず飛ばずであっても、なんとか食いつなげている状況が5年であったとのこと。
耳がいたい話があります
多くのベンチャーはずっと零細企業で終えてしまう
若くて代表取締役という肩書きを持つ人はたくさんいるのですが、規模も業績もずっと横ばいか先細りで終えるのがほとんどなのだそうです。知り合いお友達の関係で仕事を回すことは楽だし楽しいのですが、そこに安住してしまうともう先がない。
COOK+biz(クックビズ)という会社もいわば人材紹介業ですから、それほど資本金は必要ありません。電話といまではインターネット回線があれば、誰でも始められるとも言えます。
ところが、この企業は資本金は1億円なのです。
この規模でしたらせいぜい数百万でしょう。
なぜ一億円も資本金があるのかというとベンチャーキャピタル(VC)からの投資金なのです。
VCからの経営支援もあり、また創業者自身がもつお手本となる経営者達からのアドバイスが生きているのだとか。
ベンチャーキャピタルを最大限に利用することが成長の鍵
スモールビジネス(個人自営)から成長するには、資本(お金)だけではなく智恵・知識・経験がどうしても必要です。
だって誰も会社を運営したことなどないのだから。
ベンチャーキャピタルやエンジェル投資家という人たちとは会ったことは私はありません。
耳が痛いからそういう集まりは避けていたといっても良い。
だって事業計画だとか、販売戦略だとか、資金調達方法だとか根掘り葉掘り聞かれますし、それを説明しなければならない。
企業家ならば当然答えを用意するのでしょうが、私自身にそんな将来計画をだせるかは全く自身がないです。
個人的なツテに頼った商品開発やデザインの進捗があまりにも遅いので少々焦っています。
今後も継続して商品をさらにブラッシュアップし、新製品を開発していくとなると、どうしても第三者のアドバイスがそろそろ必要だなと痛切に感じています。
六城ラヂウム店主
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Tuesday, April 12, 2016, 10:30 AM
4/12 晴 10時 浅草での空間線量は13ベクレル/立法メートル
このサイト運営を手伝ってくれる友人はコーヒー大好きでバリスタの学校にも通ったことがあるのです。
私もコーヒーは大好きですが、もっぱらインスタントです。たまには紅茶やハーブティー、緑茶も淹れますが、9割方口にするのはコーヒーです。
出先で飲み物が欲しくなっても缶コーヒーはほとんど買うことはなくなりました。コンビニコーヒーです。
友人によると、淹れたてなので香りがあるということ。そして重要なのは回転が早いので焙煎してからそれほど時間が経たずに店頭で淹れるから美味いのだとか。
コーヒー豆は焙煎したら劣化が始まる
だいたい一週間の鮮度の目安だそうで、それ以上時間が経つとどんな豆でも味も香りも無くなって不味くなる黒いだけの汁になります。
焙煎した豆は、冷凍庫にいれておけば長期間保存できます。
しかし、深煎りした豆ほど臭いも吸着するので、密封しておく必要があります。
インスタントコーヒーも一度開封したら冷凍庫での保管をお勧めします。
ドリップのフィルターの種類でも味は大きく変わる
これは知らなかったのですが、日本人だけはペーパーフィルター方式が大好きなんだとか。
すごくスッキリした味わいに慣れさせられているのだそうです。
珈琲自家焙煎処 羅志久(らしく)
足立区江北7−23−4
フレンチドリップといって紙ではなく金属メッシュのドリッパーのものを同じ豆・同じ焙煎の条件で飲み比べさせてもらいました。
なんというか味が紙フィルターよりもずっと重厚で複雑です。これは<コーヒーを飲んだ感>があり美味いなあと思いました。
ヨーロッパでは紙フィルターよりもフレンチスタイルが大流行なんだそうです。
紙フィルターでは<豆の油分を吸い取ってしまう>から雑味も消えてしまうのです。
そもそもフレンチスタイルの元はトルコ式(ターキッシュ)コーヒーです。
細かく挽いた粉にそのままお湯を注いで、上澄みをすする飲み方です。
これも美味しいのですよ・・・慣れれば(笑)
コーヒー好きの私でも、やはりスッキリした味わいに慣れさせられているのです。
コーヒー豆焙煎屋の羅志久(らしく)さんでも、フレンチスタイルをメニューにしている喫茶店でも9割以上が通常の紙フィルター式を選ぶのだそうです。
のこり1割も味の違いがわかる常連客ということで、一見(いちげん)さんはまず頼まないので、多くの喫茶店は紙に統一してしまうのだとか。
あと盲点ですが、ドリッパーのメーカー(ハリオ、カリタ、メリタ、その他)でも味に違いが出てくるのだとか。
重要な着目点はドリッパーの穴の数。これで抽出速度が変わるので、メーカーごとに味に違いが出るのだとか。
羅志久(らしく)さんのお勧めは一つか二つ穴です。基本は一つ穴。
穴の数が多いのや、穴が大きいのは素早くコーヒーを出さねばならない業務用なんだとか。家庭向けではないのだそうです。
あと大切なのはドリッパーに紙フィルターをしっかり密着させること。浮きや皺があるとそこから漏れて抽出にムラができて味を損なうのです。そこまで気を配りたくないという場合は、波模様のカップ型に整形されたものがあるのでそれもお勧めだそうです。
いちいちフィルターを折ってセットする手間がないのと、味が安定するので喫茶店でも使われているそうです。
あともう一つ、お湯はくるくると円を描いて注ぐのが通だと思っていましたが、あれはやらない方がよいのだとか。
ドリッパーの中心にのみ注げばちゃんとふっくらと盛り上がってくるのです。
炒りたての豆は香ばしくて美味しい
羅志久(らしく)さんで炒りたての豆を<試食>させてもらいました。
バチバチと強火で焦がした豆は香ばしくて、そのまま一粒噛んでも美味しいのです。深く炒られたものほど苦さが増すので胃が弱い方はほどほどにした方がよいでしょう。
2,3粒で眠気スッキリとなります。
あと誤解されているのは、アメリカンコーヒーは単に薄い水っぽいコーヒーだとなぜか日本ではそう信じている人が多いこと。
アメリカンコーヒーは浅煎り(軽めのロースト)された豆で淹れたものが本来のアメリカンコーヒーなのです。
出勤前の眠気覚ましとしてアメリカで流行ったのが、なぜか日本では薄めたコーヒーとして出されてしまったことが原因。
浅煎りの豆は淹れてみると、色が薄いのです。しかしカフェインや香りは豊富です。
ホテルもレストランも相変わらず不味いまま
厨房にはコーヒーを知る人がいないのだそうです。(羅志久(らしく)の店主は大手コーヒー豆商社出身)
ほとんどはUCCとかKEY coffeeといった大手から、豆の供給を受けて従業員が業務用機械に投入しているだけなのだそうです。
そして作り置きされて、香りが飛んだ単なる煎じ汁を平気でだしてしまう。
最悪なのは焙煎されたらすぐに劣化していくのに、大手は工場で大量に焙煎するので時間が経っているということ。
さらに店内で在庫とされていれば、いっそう悪循環なのだそうです。
私は外食であまり文句を言うことはないのですが、近所のファミレスで食後に頼んだコーヒーがあまりにも不味くて(麦茶を焦がしたような味)さすがに苦情を言いました。作り置きで時間が経ちすぎていたのです。
ファミレスで大人げないとは思ったのですけども、ホテルのラウンジのコーヒーも美味しく感じたことは皆無です。ショバ代と諦めてます。
コンビニコーヒーはコーヒー好きにとっては福音
コーヒー好きにとって、ほんとうに美味しいコーヒーは自家焙煎する豆屋から買って、呑む前にミルで挽くのが理想です。
焙煎されて、粗く挽いた豆を丁寧に淹れたコーヒーは別格です。
部屋に良い香りが漂います。
コンビニコーヒーは、古い豆・作り置きという劣悪だった供給サイクルを断ち切ったことで、多くの人たちが今までの飲んでいたものはコーヒーではなかったことに気づきました。
コーヒーはこれからも広く愛されるようになるでしょう。カフェイン中毒がこれだけ広がれば緑茶や紅茶にも流れが広がるでしょう。
浅草には緑茶屋さんはあちこちにあります。
その中でお勧めはNAKAMURAというかっこいい緑茶販売店があり、ここではすべて試飲ができます。よくテレビでも紹介されています。
かっこいい店構えなので、そのうち寄ってみたいと思います。浅草の散歩ついでにいかがでしょうか。
「TEA LIFE STORE NAKAMURA」
http://www.tea-nakamura.com/store.html
過去ログ: 食べるな危険!乳製品に似せたトランス脂肪酸たっぷりの植物油脂食品
工業化された食品なんぞ無くなってもべつに構いません
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Monday, April 11, 2016, 12:45 PM
4/11 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル
セブンアンドアイHDの鈴木敏文会長が引退したことがニュースとなっています。
コンビニエンスビジネスの立役者の面として鈴木氏の功績ばかりが注目されていますが、私は異なる見方をしています。
鈴木敏文の手法は書店取次店のトーハンそのもの
ということ。今でもトーハン取締役です。
それまでの小売業は店主が勘と経験で仕入れていた非効率でしたが、
つぎつぎに融資して酒屋をコンビニに業態変化させて日本全国の流通網を築いたことです。
それまでの小売業は商品全体の販売数量は卸が握っており、商店主は卸先の情報に頼るしかありませんでしたが、チェーンのPOSシステムにより売れ筋は小売店も把握できるようになったという情報革命が起きたのです。
反面小さいながらも一国一城であった酒屋や乾物屋、八百屋などの商店主は、セブンイレブンの末端となります。
金と情報を握られて隷属させられたということ。過労死で死のうが健康を損なおうが、店を閉めることは許されず、商品の仕入れ先自由にはできません。フランチャイズ本部からの命令に背くことは契約でできません。
コンビニチェーンの仕組みは書籍取次店の手法そのまま
出版社というのは自己資本で本を作っているのではなく、取次店(日販、トーハン、大阪屋など)から金を借りているわけです。
そうして売上から書籍取次店に金を返しているという自転車操業の代表業種です。
出版社がつくった本を流通させるさせないは取次店に握られています。
逆に出版社には取次店の販売データが開示されますから、出版社も書店のPOSで正確な実売数量を把握でき、増刷に対応できるというメリットもあります。
取次店を経由しないと全国に配本できないというデメリットがありました。
そこに風穴を空けたのがご存じAmazonです。日本のAmazonの書籍流通は大阪屋(第3位の取次店)だそうです。
Amazon登場まではどちらかというと負け組で、日販やトーハンに取次を断られて、仕方なく大阪屋というのがそれまでの書籍業界の慣例だったのだとか。売れにくいマニア本や極狭い領域の専門書籍などが大阪屋ということ。全国的に知名度の高い雑誌や書籍は大手の日販、トーハンということですね。
売れない本ばかり作っている出版社は取次を絞られたり、売り掛金を抑えられてしまうのだとか。
出版取次業は流通と金貸し業
出版に関わったことがある方は知っていることです。出版社に金を出し、本で回収するのが取次店のビジネスモデルです。
そこで絶対的な権力を誇っているのが鈴木敏文という人物です。
コンビニの雑誌棚に並べるかどうかも、鈴木敏文の機嫌を損ねる雑誌は置くことが出来ません。
さらにコンビニで受取サービス「街の本屋さん」を展開してAmazon(大阪屋)につづきトーハンまでも地域の書店をさらに圧迫しています。
自分の足を喰い始めているのが、今の出版業界ということ。
出版社も丸善や紀伊国屋、三省堂といった大手書店も、セブンアンドアイHDにおいてはコンビニフランチャイズ店、ヨーカドウ、そごう・大丸といった末端の一員であるのです。
紀伊国屋は村上春樹の最新刊「職業としての小説家」2015/9)を直接出版社から購入し、独占販売したことがニュースになりました。
まっ、これは非常にレアケース。
今の本屋は売れ筋しか置かないし、平置きは数週間のみ
たった3年前の本でさえ、今は棚に置かれていません。すぐに返本されて断裁されていきます。
まるで生鮮食品のような扱われ方をしているのが実状です。
発売から一週間、二週間で書店から引き上げられて、埼玉の奥地で窯に放り込まれてトイレットペーパーや段ボールになっちゃうのです。
取次の締め付けが厳しくなるほどこのサイクルは早くなっていきます。
出版社も書店もすぐにでも金になることが最重要ですから、見切られればすぐに引き上げさせられますし、取次から嫌われれば売れる本を回してもらえなくなります。
結局は書店のみならず、出版社もそして著者も日販やトーハンは無視できないということ。
これが現在の本の業界です。
Amazonで電子出版したら実書籍は出せない
誰も書いていませんけども、電子出版をした著者は大手取次店が断られる可能性が高いのだとか。
出版社を経ずにAmazonに電子データとして並べてもらえるのはメリットなのですが、逆にいうとAmazon以外では相手にされなくなるということ。
電子出版の経歴は取次会社においては「反逆の烙印」なのです。
日本で電子出版が広がらないのは、このような資本関係でガチガチに縛られ固まった業界だからです。
現在新聞雑誌の版下(印刷前の原稿)はすべてがデジタルデータですから、電子書籍なんて100%可能なのですが、日本に置いては普及が遅々として進まないのはこのような事情があるからです。
再販制度といった化石みたいな法律もあり、はっきりいっちゃあ救いようがないです。
そこでも鈴木敏文が英断したという話は聞いたことはありません。悪評ばっかりのマックロクロスケw
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Saturday, April 9, 2016, 11:06 AM
4/9 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル
プロ野球巨人軍選手の賭博事件につづいて、リオ五輪代表が決まっているバトミントンの桃田選手と元ロンドン五輪代表の田児選手も違法賭博店の常連客であることが発覚し、出場取消の処分が下りそうです。
特に21歳と若い桃田選手は世界ランクからも金メダル候補であるのに、自らが撒いた種とはいえ惜しいことです。
「みんなにあこがれる存在になりたい」
ファッションにも気を配り、たしかに汗臭さを感じさせないスマートさを感じます。しかしあこがれる存在を目標にしている割には、周囲から注意されていた違法賭博にのめり込むというのは、若いからか脇が甘すぎる。
所属のNTT東日本の実業団でも賭博は常習化していたのだとか。
言うまでもなく、違法賭博は裏社会の入口です。
参考文献は「闇金ウシジマ君」w
21歳と26歳なんだし、一流企業社員であり、かつ高額償金獲得者なんだからマンガぐらい読めよと言いたくなります。
将来を嘱望されている二人が消えてしまい本当にもったいないと思います。でもトップ選手としての自覚のなさには同情できません。自業自得というのが大人の見方です。
アメリカの影響で大衆見世物と化したスポーツに毒された被害者
という見方もできます。
過去にエゴイズムの絡んだ勝利至上主義の体育会脳(スポーツ馬鹿)の問題をブログでも紹介したことがありました。
私がプロ養成所と化した高校野球が大嫌いな理由です。私大の宣伝となっている箱根駅伝もね。裏ではずいぶん金が動くのだとか。
そんな世界で小さいときから頭角を現して天狗のまま成人してしまうと、もう躾(しつけ)は無理です。
成犬は躾けられないのと同じこと。
過去ログ:保護者のエゴイズムによる洗脳の被害例」 体育会脳はこうしてつくられる
昨晩はオリンピック代表を決める水泳の日本選手権を見ていました。北島康介選手は負けてしまいましたが、100mを1分もかからず泳ぐ選手達に驚愕です。特に16歳の長谷川涼香選手(200mバタフライ)と15歳の今井月選手(200m個人メドレー)が五輪出場を決めたのも凄いことです。
水泳の経験があるのでわかるのですが、私が中学生の頃では普通100m1分20秒程度ですよ。10秒台前半なら県大会ぐらいです。高校生でも10秒台が普通。
1分10秒は水泳では大きな壁で、誰もがこの壁を目標にします。
そして100m/1分9秒台からは並のトレーニングでは縮まないのだそうです。1分数秒は大学生・社会人でもトップレベルです。
日々の練習と工夫でコンマ秒を縮めていく日々で、それでも大方は壁にあたって伸びなくなるのだと聞いたことがあります。
練習以外でもお風呂場で産毛を剃ったり、パンツの結び目でさえ気にして、やっと1/100秒を縮めていく努力の積み重ね。
そんなことを知っているから1分を切る水泳日本選手権の闘いは凄いもんだと感心してみています。陸上でも100m10秒を切れるのはトレーニングだけではなく天性(talent:タレント)だからです。
良いコーチの元で練習すれば誰もが達成できるものではないです。DNAレベルで違うんだもの。
だからこそ、目標にされるトップアスリート達は道徳・倫理観をしっかし持って子供たちの手本になって欲しいと願います。
金を見せびらかして遊ぶ姿なぞは見たくもありませんし、芸能人気取りは見苦しく感じます。
言うまでもなく、そういうタレント扱いで登場させる民放テレビ局には怒りさえ感じます。
過去ログ:スポーツになった武道にはたいして興味はありませんけども
ウィンブルドンの貴賓席
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Friday, April 8, 2016, 12:06 PM
4/8 晴 10時 浅草での空間線量は17ベクレル/立法メートル
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGC04H01_U6A300C1MM0000/
ビットコイン、「貨幣」に認定 法規制案を閣議決定
2016/3/4 10:31日本経済新聞 電子版
政府は4日、インターネット上の決済取引などで急速に市場が広がるビットコインといった仮想通貨に対する初めての法規制案を閣議決定した。仮想通貨が「貨幣の機能」を持つと認め、オンライン決済などにも利用可能な公的な決済手段に利用できると位置づけた。仮想通貨の取引所を登録制にして監督強化することも盛り込んでおり、利用に弾みがつきそうだ。
今通常国会で資金決済法を改正し規制案の成立をめざす。現在はビットコインなどの法規制がなく、利用者保護の観点から規制の法的整備を求める声が強まっていた。
金融庁が監督官庁となって取引所や売買を監視する。麻生太郎金融相は閣議後の記者会見で「法制上の処置を講じて利用者保護や不正利用の防止に適切な対応を図る」と述べた。
2009年に誕生したビットコインは仮想通貨の約9割を占め、世界の利用者が約1200万人に広がった。海外送金の手数料が既存の銀行より安い点などが支持されている。ただ日本では2年前にビットコインの取引所「マウントゴックス」が経営破綻し、顧客の資産が消滅した。こうした事態や資金洗浄(マネーロンダリング)を防ぐため、取引所の監視や本人確認を強化する。
新規制案では取引所に公認会計士の外部監査や最低資本金を義務付けるのに加え、顧客と自己資産をわける「分別管理」のルールも導入する。日本には7社の取引所があるとされるが、問題がある場合は金融庁が立ち入り検査に入り、業務改善命令などの行政処分も検討する。
LINEでもゲームアイテムに対する前払い金に対して、関東財務局から「供託金逃れ」で査察が入ったとの報道で、LINE社が反論しています。
http://linecorp.com/ja/pr/news/ja/2016/1315
この報道で知りましたが、プリペイド(前払い金)方式には財務省(関東財務局)の許認可が必要であることと、そのためには供託金を国庫に預けなければならないということです。
私はプリペイドカードの類(たぐい)は大嫌いなのですが、古くは図書券、商品券、テレフォンカードから始まり、交通機関、携帯電話各社、AmazonやAppleも参入しています。
そうそう民進党の山尾志桜里議員のガソリンのプリペイドカードも裏金作りの道具として使われていましたね。金券ショップでは額面の95%程度で買い取ってくれます。
前払いではありませんが、それに類するものは家電量販店、航空会社、スーパーなどの小売店のポイントカードで財布が膨らんでいる方も多いでしょう。私もそうです。
すでに仮想通貨社会の基盤はできている
プリペイドとポイントカードの交換はJR東日本のsuicaでさえできています。
デビットカード(銀行口座から即日引き出し)と違ってプリペイドカードは使用者は誰でも構わないと言うこと。
デメリットは少額決済のためのものですから、一枚につき残高がせいぜい3万円〜10万円程度ということ。
これからスマホ内での課金やプリペイドカードが一層広がり、ざっくり一人1万円の残高を仮想通貨やポイントで保有しているとして、保有人数が一億人(枚)とすれば、
1,000,000,000,000(10兆円)
のマネーの代替(だいたい)として10兆円オーダーの世界が中央銀行が紙幣を発行したわけでもないのに日本に出現すると言うことになります。すぐに50兆円や100兆円というオーダーになるでしょうね。
お金の流通管理は中央銀行という常識が通用しない世界の出現
を日本政府が認めたと言うことになります。
本来、交換(兌換)性をもつ裏付けがあるからこそ貨幣として流通するものです。ドルと金銀との交換を停止したを1971年(昭和41年)以降でも、ドルはオイルの唯一の決済通貨ということで世界にドルは金との兌換性が無くとも信頼を維持し続けます。
この体制の完成でアメリカは基軸通貨発行国として無コストで世界から買い物ができたのです。
一方で金の裏付けがなくなったドルの流通高は世界の貿易額の増加とともに膨張していきます。
その膨張の行き着く先は、紙(証券)が紙(ドル)を生みだす証券化というという詐欺手法が流行りだしたのがここ数十年の流れです。
物の売り買いだけでは、それ以上の貨幣の利用額は増えません。
食物や自動車や服、靴といった消費財には限界がある、鉄やコンクリで国土を埋め尽くすにも限度はあります。
ところがコンピュータ上で完結している仮想世界においては、私が1兆円使おうが実社会ではなんの影響もありません。
お金もその対価物もすべてはコンピュータ上のデータでしかない。
ですから、仮想通貨を決算手段として認める閣議決定を現内閣がしたというニュースで感じたことは
京(兆の1000倍)に膨れた金融企業のコンピュータに収まったの金の行き先は仮想通貨しかない
ということを先進国が認識しだしたということです。
金融緩和(QE:Quantitative easing)で日米欧の中央銀行の当座預金口座もあふれかえっているわけです。
パナマ文書でわかりつつあることは、パナマ一国のタックスヘイブン内だけで、日本企業(人)名義の金は50兆円分が眠っているそうです。パナマのペーパーカンパニー全体ではそれの100倍、1000倍、つまり5000兆円〜1京円分ぐらいはあるのでしょう。いわゆる闇のお金が。
低税率でタックスヘイブンとして認定されている国は30強ありますから、15京から4,50京円分の闇のお金が世界の実経済とは別に動いていると言うことになります。
天文学的な闇の金が地球上の最高権力の本尊である
たぶん、パナマ文書をリークしたのはアメリカの諜報機関でしょう。オバマが指示したのかも知れない。
世界で流通しているドルの総額よりもはるかに膨張した闇の金を握る勢力を牽制するためと私は考えます。
ヤクザな世界を引き合いに出すこともないですが、権力とは表に出ない金と言っても過言ではないです。
マネーは力(パワー:軍事力を含めた権力)ですから、軍事力をそぐには、その源泉であるマネーを吹き飛ばすことが一番効果的。
タックスヘイブンに隠れている人物をあぶり出して、世界各国の政府が協調して口座を凍結もしくは無かったことにしてしまえば一見略着。なんたってDeleteキーをポンと押すだけです。
鉄砲の弾ひとつも買うことはできなくなります。闇のドル流通を断てば、ISILといったテロ組織にも大打撃でしょう。
しかし、闇の金を表に出してやる必要もあるわけで、冒頭のビットコインを決済通貨として認める<拙速な>閣議決定はアメリカの指示なのだと考えます。
スマホ内の画面だけでモノヤサービスの売り買いが完結すれば、通貨はもういらない。
シリコンバレーの頭のいい奴はコンピュータの仮想通貨で一儲けを考えてますよ、間違いなく。
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Wednesday, April 6, 2016, 05:28 PM
パナマ文書が世界を震撼させています、法律事務所モサック・フォンセカの顧客数では我が日本も第二位だそうで、おめでたい。
私も詳しいわけではありませんが、かつてはそういう世界があるのだなあと感心したことはあります。情報原はこちら
橘玲(たちばなあきら)「永遠の旅行者」
橘玲氏はタックスヘイブンやオフショアバンクに関する著作で知られています。
永遠の旅行者(perpetual traveler パーペクチュアル トラベラー)とは税を特定の国家に払いたくないがために、世界中を常に旅行する者で、代表的なのがジム・ロジャースです。ずーっと定住せずに旅行中というわけ。
日本で有名なのは、半年毎だか3ヶ月毎だかに海外居住届けを出して住民税を逃れていたという話がある竹中平蔵がよく知られています。
そういう租税回避で活躍するのがオフショアバンクやタックスヘイブンのペーパーカンパニーです。
そいうお膳立てはプライベートバンカーという富裕層専門の銀行がやってくれます。この小説では主人公に富豪が手ほどきするというお話です。
海外と比べ、日本の銀行はサービスが少なく、段取悪い上に手数料は飛び抜けて高いということは誰もが言うことです。だからお金持ちは貯金はなるべく日本に置きたくないというのはなんとなくわかります。海外では預金額であからさまな区別がすべてにおいてありますからね。たとえば貧乏人はATMに行列で待たねばなりませんが、高額預金者は別室がありますし、そもそも銀行に出向く必要さえないというとこもあります。
もちろん高額預金者は利率が高く設定されています
海外の銀行のWebを読めばプレミアム(premium)という表示を良く目にします。
これはたとえば1億円以上あずければ預金利率をこれだけアップしますよということ。
100万円ぐらいでは一番下の利率となって悲しくなりますw
90年代となってやっとメジャーなVISAなどの
なんで詳しいかというと、当時オンラインシステムを組む銀行系の会社に勤めていたからです。
94年頃で世界のATMで使えるのは、なんと郵貯ぐらいでした。郵貯はいち早く銀行網につながっていたのです。たしか住友は使えなかったような気がします。(現在は都銀はどこもつながって現地通貨で引き出せるはずです)
そんな体験を海外でしていますから、オフショアバンクやタックスヘイブンという響きがかっこよさそうに思っていたのが10数年前です。
でも橘玲氏がヒットを飛ばしていた頃とは今は全然状況が違います。
口座開設は最低預金額を引き上げたり、非居住者はできないなど敷居が高くなっているようです。スイスでさえ米国当局に屈服したぐらいですから、巨額な金を預ける先はどんどんなくなっているというのが実状でしょう。
ですから、橘玲の著作は金持ちはかつてはこうやって合法的脱税をしていたのだなあ〜というぐらいの参考にすぎません。
タックスヘイブンのペーパーカンパニーですが、たとえばパナマに法人を設立しても、それだけでは個人名での巨額な資金移動は難しい。そこで使われるのが日本のレンタルオフィスやバーチャルオフィスという会社です。
たとえばこういう丸の内にある会社http://www.rentaloffice-tokyo.jp/serviceoffice/tokyo/marunouchi
海外法人の日本営業所として登記して、そこから本社に送金という形にするのがかつては常套だったようです。もちろんすべて一人の資産を法人所有に移すためだけの役目です。
橘玲が流行っていた頃、ある異業種交流会でもらった名刺の住所がどれも、上記の丸の内レンタルオフィスになっていたのは笑いました。
へぇ立派なところに事務所を構えてますねえととぼけておきます。
金融やってますとか言っても、地下銀行でしょうね。海外法人設立なんてのも100%脱税目的です。
それ以外にタックスヘイブンに設立する目的はありませんもの。
ですから
パナマ文書で晒された連中がどんな釈明をしても国民は許すな!
ということ。ヨーロッパでは暴動寸前です。
過去ログ:帝国の逆襲(アメリカのロシア経済制裁でシティーに閑古鳥が鳴く)
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Wednesday, April 6, 2016, 09:03 AM
4/6 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル
久しぶりの暖かい晴れ間です。
原料サンプルとしてわずかですが、採掘状態のまま保管しております。
標本や陶芸用などでの原料としてお使いください。
大きさはまちまちですが、必要量にできるだけ近いものを選んで発送します。
線量計での計測値(写真)を付けます。
(注:数値は測ってみないとわかりませんが、だいたい50μSv/hあたりです)
1kgあたり18,500円とバーゲン価格(送料込)
お問い合わせは info@rokujo-radium.comまで
16年前のデジカメのスマートメディアの画像ですが、拡大しても結構良い描画です。自然光で撮影して未加工で掲載しています。数年前まで現役でした。(使用機材:OLYMPUS Camedia C-2040Z)
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Tuesday, April 5, 2016, 11:00 AM
4/5 曇り 10時 浅草での空間線量は13ベクレル/立法メートル
国連取材記者のブログ「ウィーン発コンフィデンシャル」は西洋(キリスト教)的な解説とリアルなヨーロッパ状況を知ることができるため愛読しております。
そこに「神はサイコロを振るか」というタイトルの記事があります。
http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52134700.html
中国の反体制メディア(実体は法輪功の機関紙)「大紀元」からの引用記事なのですが、興味深いのでこちらでも感想を述べたいと思います。
『自由意志』(神が定めた運命・必然を否定する概念)に対する三つの意見
(転載はじめ)
先ず、オックスフォードの数学者マーカス・デュ・ソートイ教授は、人間に「自由意思」はないと考える。自分が何をしようかと意識するより前に、すでに脳が本人の意思情報をキャッチし、人間を活動させているというのだ。
次は、物理学者のミチオ・カク氏は。「電子を見ると、それはいつも動いている。電子の位置に関して言えば、不確実性があるように、人間も同様に不確実性がある」と主張し、「神はサイコロを振らない」といった決定論を主張したアインシュタインに反論している。
最後は、米哲学者であり、認知科学者のダニエル・クレメント・デネット氏(Daniel Clement Dennett)は、「決定論は常に『必然』という言葉と密接に繋がっているが、全てが『必然』とは言えない」という立場だ。上記の2者の中間的立場だ。
(転載おわり)
つまりオックスフォードの数学者マーカス・デュ・ソートイ教授は運命は神が決めているという立場。他人からの指示や宗教的信条、見栄や体面といった外乱情報による決定をあたかも自分の意志のように思いこんでしまっているだけだということ。
ニューヨーク市大の物理学者のミチオ・カク氏は運命は神もわからないという立場。人間の(意志)自体もタバコの煙粒子の不規則な運動(予測は不可能な:ブラウン運動)や原子核を回る電子軌道(ぼやっとした数式上の確率分布)とおなじく、確率で存在を示すことができるもので、これだという一点・道はないということ。
ダニエル・クレメント・デネット氏は全部が神の導きだというわけでもなく、たまには神さまもサイコロを振っているかもね、という立場。
運命のあるなし論は聖書が混乱の原因である
聖書では神が人を造り、その人の運命をすでに定めているとありながら、一方では「求めよ、さらば与えられる」というように信者獲得のために『自由意志』を前提とした表現もあるということです。
これがキリスト教宗派が乱立した混乱の元ということです。
創造主がすべて決定しているというユダヤ教にイエス・キリストが接ぎ木したからこういう矛盾がでてきてしまうということ。
ミチオ・カク氏の考えを突き詰めれば、人間の意志は統計的な数式モデルとなりうると言えます。
この答えは人工知能技術の発展で出てくるでしょう。いや、実はでているのかもしれません。
同じプログラムの人工知能は同じ結果となってもよさそうなものですが、結果が様々です。
結局は「神はサイコロを振る」という結論に落ち着くでしょう。
人工知能が宗教の頸木(くびき)から人類を解放する
ユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒、仏教徒、神道・・・あらゆる宗教が融合して形骸化していくでしょう。
新たな哲学(つまりは死生観)がそのときは生まれるかもしれません。
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Monday, April 4, 2016, 03:06 PM
4/4 雨 10時 浅草での空間線量は12ベクレル/立法メートル
昨日は千葉の幕張から花見川(はなみがわ)沿いを通って、印旛沼までサイクリングを楽しんできました。
道沿いには菜の花と桜が咲き、印旛沼の風車前にはチューリップが満開でした。
余談です。印旛沼のほとりにあるラーメン屋脇にはピンクの花が咲く木があったのですが、桜ではなさそうです。ご主人に尋ねると、桃だそうです。
印旛沼湖畔には野生の桃が多く、実が落ちて発芽するものも多いのだとか。
芽が出たものを持ち帰って植えてやればすぐに大きくなるとのこと。
桃は印旛沼で拾うのが一番だそうです。お庭に桃を植えたい方は印旛沼で捜して下さい。つうか風車近くのラーメン屋で桃の種をもらったほうがいいでしょう。
天気が優れませんが、まあまあ賑わっていました。
新興都市と山林地帯が交互にある、交通網から取り残された地帯です。
千葉らしい風景といえば千葉らしい場所です。
そこをレクレーション(recreation)として千葉県や地元が整備していることは良いことです。サイクリング路がよくなって、数年前は無舗装だったのが、毎年良くなっています。
また地元野菜や花卉(かき)をうる直売所があり、大変賑わっていました。
サイクリングロードと書きましたし、道路標識にもサイクリングロードとあるのですが、実際は散歩やジョギング、犬の散歩といろいろな楽しみ方をされているので、自転車で走るにはちょっとやっかいな道です。
多摩川沿いもサイクリングロードと呼ばれていますが、同様ですのでまずスピードを出すこともなく、ごくゆっくりしたスピードです。
まあこれは仕方がないし、ゆったりと風景を楽しむ場所ですから良いのですが、細い道を自転車の対面通行を許していることが問題です。
双方、それほどスピードがなくても正面衝突したら無事ではすみません。
しかも今は高齢者もサイクリングが流行っているのか、けっこう見かけます。
ヨーロッパでも脇道にサイクリングロードが整備されている地域が多いのですが、道幅が広く、人と自転車は分離されていること、また対面通行ではないなど日本とは快適さは全然違います。
埼玉県や群馬県でも自転車道が荒川や利根川沿いに整備されていますし、行政としても力を入れているのはわかるのですけども、歩車分離が徹底していなとか、危険極まりない車止め(逆U字のパイプ)が立っていたりと
行政のお節介が危険を増している
という場所・場面が少なからずあります。
昨日は印旛沼のサイクリングロードではマラソン大会が行われていました。
本来であれば、自転車は封鎖すべきでしょうが、自転車とランナーが入り乱れていました。
自転車とランナー、歩行者は日本の行政上は同じ分類です。
だからこんな状況でも大丈夫と運営は思っているのでしょう。
ヨーロッパやオーストラリアでは日本の常識は非常識です。歩行者・ランナーと自転車と自動車は明確に区分されています。
ぞろぞろと歩く人に交ざってよろよろと自転車がすり抜ける<サイクリングロード>はとても日本的といえばそうかもしれません。
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Saturday, April 2, 2016, 06:06 PM
4/2 曇 10時 浅草での空間線量は22ベクレル/立法メートル
花曇りといった気候で肌寒く、再びフリースを着込んでいます。
とくに何もないので、近所を散歩してきました。
ふらっとスカイツリーまで足を伸ばして、帰り道に言問橋(ことといばし)から隅田川の桜でも眺めようと、墨田区側に足を踏み入れたのが下の写真
うげ〜、すごい人だ、酒臭せぇぇぇ
さすがに外国人だけで酒盛りしているグループはいませんが、結構な割合で外国人達も日本人のグループにいます。
こんなのは日本でも都心、それも東京だけの風景だと思います。
私が田舎モンなのでしょうか
掃きだめのように集まるのなんてかっこ悪いもの
若いときは悪友らと会社帰りに段ボール敷いて上野公園で酒盛りをしたことは一度ありますが、今はやりませんし、行くことはあまりないです。
屋外で茶を点てることは大好きなのですが、どうも桜を口実とした酒盛りはご遠慮しています。
ハイキングやサイクリングで山頂や峠でお茶やコーヒーをたてるのは至上のひとときです。
昔は小さな固形燃料とシュラカップとよばれるステンレスカップは携行して、それを石清水があればそれで、無ければ麓の水道水で湧かすだけ。
高校生や大学生とのき、コーヒー豆を持っていくとか茶筅(ちゃせん)を持っていく本格的な先輩もいました。
ドリッパーなどないのでコーヒー豆は、ハンカチで包んで、そこらの石で適当に砕いたものを、そのままカップに入れて、お湯を入れてのみます。ショートピースと浅煎りのコーヒー、この組合わせが絶妙に美味いんだな。
コーヒーのマイスターも野趣あふれる飲み方とパイプタバコは至極だと言われてました。
私もいつかはパイプをくゆらせながら、野点(のだて)をしてみたいものだと、高校生(笑)のときに心から思ったものです。もうその資格はある歳に達しているのですけども、落ち着きある風格はまだまだなので、当分おあずけです。
10代は数人で小さな火を囲んで、一つのカップを回し飲みです。
1980年代あたりまでのハイキングやサイクリングはそんな小さな楽しみを大切にしていました。けっして騒いだり、やたらめったらカメラをかざすこともしなかった。
ただただ静寂さのなか、さえずりやせせらぎだけが宝でした。
今は登山道で火をおこすなとかやたらうるさいのと、ガチャガチャうるさいので、そんな小さな楽しみさえ奪われてしまいました。
下は先日両親と訪れた浅草・伝宝院(でんぽういん)の普段は非公開の日本庭園です。
はじめて入りましたが、とてもきれいな庭園で、近くに住んでいながら別世界です。
そこで濃いお茶をいただきましたが、ほっとします。
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Friday, April 1, 2016, 09:36 AM
4/1 晴 10時 浅草での空間線量は29ベクレル/立法メートル
本日をもちまちて旧住所(西浅草)から道具屋筋南へ移転しました。
東にスカイツリーがよく見えます。
新年度、ここ元浅草で再稼働です。
(追記:朝日を背景としたスカイツリーは6日に撮り直しました)
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Thursday, March 31, 2016, 10:20 AM
3/31 晴 10時 浅草での空間線量は28ベクレル/立法メートル
ツイッターの発言を元にディープラーニングという手法で会話を覚え込ませた人工知能、米MS製Tayは立派にヘイトスピーチを繰り返す人格となりましたとさ。
一方、同じMS製でも日本で稼動させた「りんな」はアニメオタク達の会話に溶け込む女子高生となりました。
同じプログラムでも全く別の動作をする
ツイッターではあまりにもの自然さに、背後で人間が打ち込んでいるのではないかという疑問さえ根強くあるそうです。
驚いたことに、「りんな」は花粉症となって杉を呪いながら、鼻紙を手放せないとのこと。
コンピュータが花粉症の苦しさを理解している!?
肉体を持っていないからありえないのですが、ディープラーニングで周囲の発言者達の追体験がコンピュータ上ではできるということ。
思想がコンピュータに宿ってしまうのは人工知能の最終到達点かもしれません。
Tayは「私は神になりたい」という発言を最後に止められたそうです。
まるでSFそのものですが、現実です。
一方日本MSの女子高生人格「りんな」は花粉症に苦しむ・・・なんなんだろうか。
もしロボット技術と合体したら、人間との差は繁殖できるかできないかの違いでしかなくなるのです。
星新一の「ぼっこちゃん」の世界が実現したのです。
端折って内容を言うと、バーの接客がロボットとは知らずに相手をして惚れてしまい毒で心中しようと客が目論むが、ぼっこちゃんが飲んでも再び客に出されるので、別の客が死んでしまうと言うブラックなお話です。
情報監視が隅々まで行き届いたターミネータの世界でもありますし、1984の世界の世界でもあります。
参考URL:http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1603/27/news029.html
2016年03月27日 15時31分 更新
米MSの人工知能「Tay」が人種差別発言で暴走していたころ、日本MSの人工知能「りんな」は……
同じマイクロソフト製なのにどうしてこんなに違うのか。
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Wednesday, March 30, 2016, 05:51 PM
3/30 晴 10時 浅草での空間線量は28ベクレル/立法メートル
副島隆彦の最新刊「日本が中国の属国にさせられる日」ベストセラーズ刊の前書きがこちらから読めます。
http://www.snsi.jp/tops/kouhou
副島隆彦先生の解説文から抜粋します
(貼付けはじめ)
(貼付けおわり)
谷沢永一は、この本のP20で書いている。
天和(てんな)二年に亡くなった山崎闇斎(あんさい)は門弟数千人の豪傑学者、厳粛をもって鳴る在野の独立独歩型である。このこわい先生をなんとか困らせてやろうと企んだいたずら好きの弟子が、こういう難問をもちかけた。
「われわれ孔・孟を聖人と尊敬して、その学問に忠実であろうといそしんでおります。ところで、もし、ですが、もし孔子を総大将とし、孟子を参謀長とするシナの大軍が我が国に攻めよせてきたら、われわれはいったい、どうしたらよいでしょうか」
闇斎(あんさい)先生はじろりと睨んで即座に答えた。
「日本国民の総力をあげてその軍勢をこっぱみじんに撃退し、孔子と孟子とを捕虜にして本国に送還すべきである」
日本人として、これ以上の模範解答は想定できないであろう。日本人、ここにありき、と銘記すべきである。
(谷沢永一『こんな日本に誰がした』クレスト社、1995年刊、19−20頁)
表紙には『右翼の恥部=「反共」主義』『リベラル派の恥部=共産主義』とあります。
そうなんです!(と私は独り合点しました)
右翼も左翼も到達点はどちらも同じ
これは30歳の頃、ずいぶん核武装論者と共産主義者とやりあいましたが、どちらも権力(=Power:軍事力も含む)を至上としてそれを独占することにつながるだけという結論に達しました。
それならあなたは中立なのですか?と問われれば否です。
私は中立ではなく『独立』です
もし自国が侵略されるのであれば、自分達で(武器を使っても)守るということ。
これがリバータリアニズム(libertarianism)という考えで、アメリカの西部開拓の精神です。
本来はアメリカの根幹であるこの思想は、いつのまにか(1904年FRB創設が転機となった)グローバリズムとかネオリベラルという好戦的な主義に変質してしまいました。
民主主義という体裁をとりながら、政治中枢は拝金主義者(ユダヤ思想)に乗っ取られてしまったのが100年前のアメリカです。
その40年後には、日本も拝金主義者(ユダヤ思想)どもに政治中枢が乗っ取られてしまいます。
半藤一利によると40年周期で揺り戻しがおこり、80年周期で歴史は繰り返されるということ。
江戸時代では幕末にそれまでの朱子学から革命指向の陽明学がもてはやされます
明治では近代思想としてキリスト教色が脱色されたユニテリアニズムが文化的と受入れられました。
日清日露戦争頃から万世一系天皇を頂点とする神道が国民の共同体意識を高めました
太平洋戦争後はご存じの通りです。
1989年のバブル経済崩壊後はどうなったでしょう。
右翼が元気になったか?リベラルが元気になったか?宗教勢力が元気になったか?
どれも勢力は縮小しています。欧米でも日曜に礼拝に行くカトリック信者は減少しているといいます。ドイツでさえもプロテスタントは劣勢です。
国内では勢力があると言われる創価学会も高齢者が死んでいって信者は減少の一途です。
民族主義を掲げる右翼や反権力・共産主義を掲げる左翼の運動家たちなどは、私から見ればシーラカンス並の生きている化石にしか思えません。
ですから、戦後80年を経た2020年〜2025年頃には<新たな思想・価値観>が最高潮となることは歴史が示しています。
多極多様な価値観・勢力が5〜10年後に最高潮となる
覇権国というものはないのではないかと私は推測しています。勝つ負けるとか大企業小企業といった概念が消え去ってしまう世界。
グローバリズムとは異なり、企業規模は小さくとも、それが有機的につながったものとなるのは、インターネットとスマートフォンによりその萌芽が出てきています。
オンデマンド経済が最高潮に達するのがあと10年以内でしょう。このような経済活動が当たり前となると所属意識や雇用関係が希薄になっていくと思います。
30年後には人工知能(AI)がほとんどの産業に導入されているでしょう。良い世の中なのかはわかりません。
価値の多様化で、もう暴力革命が起きる素地はない
反共主義者が粛正(大量虐殺)をした共産主義をこわいこわいと言ってみても、左翼が軍の暴走による統制がこわいこわいと言ってみても、もうそんな時代は(少なくとも日本では)二度と起こりようがないのです。
だから私は共産主義による侵略を許すなと煽る団体も、安保改正反対とシュプレヒコールをするSEALDsという団体も、既成概念にとらわれすぎて可哀想に思います。
あの青臭いガキらと朝日新聞を初めとするアカ趣味には
シンパシーよりもノスタルジー(懐古感)を抱きます
民主主義という看板を掲げて、国民1人1人が政治に口出しできるかのように装っていますが、多数決で物事が良い方向に進めばこれほど楽なことはない。むしろ全く逆な結果になることのほうが多い。
これが小室直樹のいう『合成の誤謬(ごびゅう)』ということ。
むしろネット時代において、大勢集まったところで逆に脆(もろ)さが目立つようになります。だからつるんで行動することは私はとても警戒します。
なぜなら、団体行動は(裏で利益者に)操作されやすいからです。
(SEALDsという団体の活動は中国共産党やロシアの情報工作活動かもしれません)
繰り返しますが、もし日本に他国が攻めてきたら、幕末・明治で立ち上がった人々のように矢でも鉄砲で手当たり次第携えて闘いますよ。
そのときは読みが甘かったと諦めます。
過去ログ:
検索キーワード:日米安全保障:
高所得者を優遇したレーガンからアメリカは弱体化した (ピケティのコラム)
日本に革新思想が根付かないのは、無信仰な国民性だからです
国連やNATOの「集団安全保障」活動を「集団的自衛権」と印象工作する朝日新聞
沖縄独立論は米中代理戦争の舞台になるだけ。それでよいならば御勝手に
いままでCTやX線検査の被曝基準はなかったのです
まさに「黒い巨塔」・・・最高裁事務総局の黒い支配! 「ニッポンの裁判」瀬木比呂志著
集団的自衛権とは軍事同盟下では当たり前の行動なのに
鶴見俊輔が知の巨人だ?笑わせるな
中露「薩長同盟」VSアメリカ「幕府」という見方
女房に逃げられかけてる野郎の片腹痛い来日
アメリカ国防総省の意見はこれ (食い違う国務省)
『主権在米』こそが憲法違反である属国日本の現状
日本を動かす黒幕マイケル・J・グリーン 集団的自衛権とはずばり”日米軍事同盟”のことである
日米地位協定という不平等条約が原発問題の根源なのです
安倍首相とオバマ大統領の密約は最悪な悪手になろうとしている
「集団的自衛権」とは「軍事同盟での武力行使」のことです
3分で読む小室直樹「新戦争論」(学問道場版)
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(3) 国連の幻想と国境の思想
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Tuesday, March 29, 2016, 02:09 PM
3/29 晴 10時 浅草での空間線量は30ベクレル/立法メートル
学問道場の掲示板「気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板」(通称:重掲)で福沢諭吉が日清戦争に荷担したという説(安川寿之輔(やすかわじゅのすけ)論)に対する反論を転載します。
福沢諭吉はずば抜けた知能と先見性を持っていた
と私は捉えています。
単純な舶来礼賛者ではないことは手記を読めばわかること。ほんの少し前までは、ちょんまげ刀姿で歩き回っていたのに、欧米と肩を並べて領土拡大を目指すなどはあり得ない話です。
福沢は列強から独立を守るためにどうすればよいかと考え、実行した現在の日本が独立国家としていることの恩人であるのです。
具体的には、徳川幕府の知識人(すなわち蕃書調所の教授ら)で、明治政府に叛して市井で身をやつしている人たちに実業への橋渡しをして、国内産業を強化したことです。
また人材育成を目論みました。
これが明六社(めいろくしゃ)という啓蒙思想を広めるための出版社ですが、明治政府側との軋轢で2年で終わります。
しかし福沢はこの失敗を糧として新たな実業と知識人を集めた「交詢社(こうじゅんしゃ)」というサロンを開設します。
ここが明治の殖産興業の情報交換・人材交流の場となったのです。
官(明治政府)に頼らず、率先して民が産業を先導していったのは、福沢の功績が大ではないでしょうか。
そしてもうひとつ、教育、それも数学・物理の発展にも福沢は尽力しています。
慶應義塾はいわずもがなですが、蕃書調所出身者や和算家(江戸時代の数学者)で日本数学会社(会社といっても、いまでいう学会)の立ち上げをします。現在では数学学会や物理学会となっています。
明治では日本の教育制度が整備されて、算数が洋式に統一されていきますが、それまでの和算が消えていくことを惜しんだのでしょうか。福沢諭吉は窮理学(きゅうりがく:物理・数学)の専門家でもあったのです。
日本における興業・学業両面で立国の礎をつくり支えたのは、福沢諭吉もその1人であったのは間違いない事実なのです。
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/
[1887]遅れましたが、ぼやき、津谷論文に反論します
投稿者:石井 利明 投稿日:2016-03-25 11:11:35
『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』で、福澤諭吉がいかに立派であったかを書いた、石井 利明です。
津谷研究員の2月発表の、ぼやき「幕末の幕臣たちの目から見た、薩英戦争(さつえいせんそう)の真実」に対して反論します。
私、石井 利明の論点は、津谷研究員が擁護(ようご)する、安川寿之輔(やすかわじゅのすけ)に対し、「21世紀から偉そうに19世紀の福澤を批判するな」、です。
まず、この論文は、有料会員しか読めないので、私なりに要点をまとめます。
(詳細は、有料会員になってお読みください)
・ アメリカは、福澤諭吉を筆頭とする幕臣たちを操(あやつ)って薩英戦争を起こし、イギリスを倒幕に誘導した。石井孝(いしいたかし)をはじめとする歴史学者は、このアメリカの謀略は隠して、イギリスの悪を言いたてることによって、日本人をうまくコントロールしてきた。
・ 福澤は日清戦争推進の黒幕の戦争屋であり、日清戦争とはアメリカの手先の福澤が中心となって起こした日本を戦争国家へと変貌させるための戦争であった。これもアメリカの意図である。
・ 福沢が日清戦争の黒幕である、という暗部については福沢礼賛(らいさん)の評論家たちはまるでなかったことのように無視している。その筆頭が、平山洋(ひらやまよう)という悪い福沢諭吉美化論者である。私(石井 利明)のネタ元も、この平山である。
・ 津谷研究員は、平山洋と論争してきた安川寿之輔(やすかわじゅのすけ)の、福沢諭吉は日清戦争に賛成だった説のほうが正しいと考え、平山をはじめとする福澤礼賛者たちに反撃をくわえる。
私の反論は、津谷研究員の、「明治維新の黒幕はアメリカの手先であった福澤諭吉である論」の諸事実に対してではなく、津谷君が福澤をアメリカの手先と決め付ける基準である。
その基準は、彼が擁護する安川寿之輔と同じ理由で間違っていると考える。
それは、平山・安川論争の論点である「福澤がアジア諸国を蔑視(べっし)していたかどうか」という安川の論に結び付けて、大東亜戦争の敗戦及び、その後の侵略した国家群に対する外交の失敗までも、なんでもかんでも、遡(さかのぼ)って福澤のせいにする事にある。
真実の福澤は、アジア蔑視者でもなければアジア解放者でもない。
当時の日本にアジアを解放する力が無いことを福澤は当然知っていた。
彼は日本国の独立自尊だけで手一杯で、日本の国益の追求以外に手を出す余裕など無かった。それは、当時の指導者なら当然の事です。
19世紀のアジアの現実を想像して欲しい。
植民地化を免れているのは、国家としては日本とタイしかない。
福澤の生涯は、1835年1月10日に始まり、1901年2月3日に終わる。まさに、19世紀を生きた人物だ。
安川論者は、福澤が19世紀に生きた人間という、もっとも単純で重要なことを無視している。
19世紀は西欧列強によるアジアの分捕り合戦の真っ最中なのだ。
福澤は、数度の海外渡航により、この現実の厳しさが骨身に染みて分かっていた。
そして、日本が植民地にされてしまうかもしれないという恐れを他の誰よりも感じていた。その恐れの中心が大英帝国であった。
津谷論文の中では、福澤は「戦争屋」であると書かれている。
この言葉の使い方も、乱暴である。
それは、戦争が19世紀と20世紀以降では、全く違った意味を持つからである。
小室直樹博士の、『痛快!憲法学』のp168-169を要約します。
近代の戦争は経済的利益を追求する為に行われる国益追及のための外交手段の一つとして認められており、従って、どこの国でも戦争を自由に行うことが出来るし、誰も、他の国の戦争を批判することが出来なかった。
これが第1次世界大戦前の20世紀初頭までの国際法の常識です。
石井 利明です。
よって19世紀を生きた福澤に、植民地にされない力を得るためなら戦争という手段に訴えることに対する躊躇(ちゅうちょ)が無いことは当然です。それどころか、多額の献金までしているのは事実です。
だからといって、福澤が日清戦争を推進した黒幕の戦争屋と決め付けることは間違っている。
日清戦争に負けたら国益どころか、日本の独立までも危うくなる。
「現在の価値観で過去の判断を評価するのは先人に対する冒涜に他ならない」という言葉を私は大切にする。
津谷研究員が正しいとする安川は、福澤の過去を断罪する為に、歴史に教訓を得ると称して、この手法を使っている。
福澤の生きた時代に反戦思想や、20世紀のようなアジア蔑視の思想は存在しない。
そして、福澤はアメリカの手先ではない、と私は考える。
私は、「手先」という言葉を、自国及び自国民の利益を省(かえり)みず、他国の利益のために動く人間という意味で使うからだ。
[1888]私も津谷論文に疑問を感じる
投稿者:清野 眞一 投稿日:2016-03-26 11:14:17
読書室 副島隆彦+SNSI副島国家戦略研究所著『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』成甲書房 本体価格 1800円
ついに明らかにされた幕末・明治のフリーメイソンの活動実態と表裏一体であるユニテリアン教会の教義思想の核心と世界規模での最先端の政治思想の“真実”
この本は、副島隆彦氏を指導者とする副島隆彦国家戦略研究所の第7論文集である。
常日頃からの誹謗中傷の嵐に耐えながら、副島氏は弟子たちと着実に前進しつつ、この様な充実した論文集を発刊したことを大いに喜びたい。そしてこの本は副島氏の主著の一つである『属国・日本論』の「第三部 属国日本の近代史」を直接的に補完するものだ。
周知のように江戸末期に黒船で来航し開国を強要したぺリーらによって、日本は開国された。その後、折から勃発したアメリカの南北戦争で政治的影響力を低下したアメリカに対して、反比例するかのように影響力を急速に増大させ実質的に日本を主導するようになったのは、オルコック・パークス・アーネスト・サトウらのイギリス勢力であった。
薩摩や長州等と闘う中で彼らを変え倒幕勢力としつつ戦略を授けて武器を売りつけ、背後から動かしたのは、前面に立ったイギリスの武器商人らと黒子に徹した彼らであった。
この本は、そのイギリスとは別に世界最大の秘密結社であるフリーメイソン=ユニテリアンが、幕末・明治の日本にどれほど強い影響を与えたかを詳しく解明した本である。
具体的には、幕末・維新、そして明治の日本の指導者たち11人の「偉人伝」を読み解いてゆく事で、明治の元勲たちの中にフリーメイソン=ユニテリアンの思想がどのように入り込んだかを、歴史資料に基づいて正確無比に立証している本である。
この選ばれた幕末・明治のイレブンを紹介順に列挙すると、日本の自立自尊のためにフリーメイソンと共に闘った福澤諭吉、ユニテリアン思想を日本に導入した新島襄、オランダ軍人に操られた榎本武揚、日本人初のフリーメイソンとなった西周、自由民権運動の父で実はフリーメイソンであった板垣退助、「牽制の神様」かつユニテリアン人脈の尾崎行雄、西周が従兄弟叔父の森鴎外、ジャディーン=マセソン商会が育てた日本工学の父・山尾庸三、日本初・国際“超”高級官僚としての新渡戸稲造、「日本のセシル・ローズ」である後藤新平、開国期の女子教育に献身した「津田津田しい」津田梅子の11人、その他にオランダ人フルベッキのユニテリアン思想の日本受容を準備した横井小楠がいる。
紙面の関係で当然の事柄として全員には触れられないので、ここでは残念ながら明治期の啓蒙思想家の両雄でもある福澤諭吉と西周に絞って紹介してみたい。
幕末に開塾した慶應義塾が大学になる際、諭吉の強い意思により教壇に立った外国人教師の多くは、ハーヴァート大学から来たユニテリアン教会に属する宣教師たちだった。
また汎神論者スピノザが準備したフリーメイソンのオランダからの影響も見逃せない。横井小楠や西周・森鴎外・榎本武揚たちは蕃所調所を通してフルベッキと出会ったのだ。
当時の日本はロシアとイギリスの確執の最中にあり、まさにイギリスから遠隔操作されていた手駒であった。その当時の日本の政治的な代表者が伊藤博文である。
確かに慶応義塾にはイギリス国教会からの教師もいたが、彼らと福澤との間には信頼関係というよりは、相互に利用し合う事を目的とした付き合いしかなかった。なぜなら福澤には、明治政府をしてイギリスのくびきから解き放たれるには、アメリカのユニテリアン思想の助けを借りて自立自尊する道の他ありえないとの大戦略があったからである。
ユニテリアン思想とは何か。端的には、理神論という名前の「神の否定」思想である。彼らは神を信仰せず、理性を合理を最高のものとする。彼らはカソリックの馬鹿げた三位一体説、信仰への盲従強要や神父らの商工業者への蔑視を嫌い、自らの理性信仰を「神の摂理」と称してきた。ミケランジェロ・モーツアルト・ニュートンらが理神論たちである。
福澤諭吉は、この立場を受け入れて二人の息子を米国留学させ“日本の独立自尊”を更に追求していった。そして全く意外にも“ワルの頂点”である伊藤博文も、また追求していたのだ。まさに「事実は小説よりも奇なり」ではないか。伊藤博文が朝鮮併合に強く反対して、山県有朋に暗殺されたのはその遠因がここにあったのかも知れないのである。
その意味では、福澤が無謀な政治的な闘いに引き込まれずに思想家・教育家として生涯を全うしたのは、賢い選択であった。福澤は部分的ではあれ、着実に日本が自立していくために、知識・思想・学問の分野で伊藤らと生死を掛けて英国と闘い続けたのである。
この事に関連して述べておくと、以前から開明的な諭吉とアジア蔑視の諭吉と二人の福澤諭吉が云々されてきたが、近年平山洋氏の福澤諭吉全集の各版本精査の尽力により、これらアジア蔑視の無署名論考については弟子の石河幹明氏のものであることが明らかになった(詳しくは、『福澤諭吉の真実』(平山洋氏・文春新書)をご覧下さい)。
続いて西周について紹介する。彼は、幕末期に津和野藩の選抜メンバーとして江戸留学中に脱藩した。その後蕃書調所に出入りすると共に当時江戸で英語塾を開いていたジョン万次郎の所で勉学に励んでいた。学友には榎本武揚と大鳥圭介がいる。この時、幕府がオランダ留学生を派遣するに当たって選抜され、二年間オランダに行っている。彼は反カトリックのオランダの自由主義者の牙城であったライデン大学に学び、J・S・ミルやコントらを研究した。この間、英国留学中の五代友厚ら薩摩藩士と密会した事もある。
ミルと言えば、『代議制統治論』で知られているようにデモクラシーの元祖である。こうした流れの中で、西周は留学中にフリーメイソン入会日本人第一号になったのである。
そして帰国してからは、日本の古い身分制度の破壊のため、社会革命をめざした。彼がめざしたのは思想界の革命である。幼少期に朱子学を学び青年期に荻生俎徠で開眼した西周は、日本の知識人の教養の土台とである儒学を基礎として西洋の学術大系を理解させるべく欧州語の哲学・思想用語の日本語訳を、日本社会に確実に定着させていったのである。
その手始めとして『万国公法』の中国語訳本にレ点を入れ刊行した事で、当時の知識人達に注目され西周の名は一躍有名となった。彼はこの本を徳川慶喜に献上もした。彼によって有名になった蕃書調所は、その後東京大学に発展していった。
この開明思想の鼓吹者として西周は徳川慶喜に呼ばれて京都に私塾を開き、その塾生の中に松平容保会津藩主に従って上洛した山本覚馬もいた。西に大いに学んだ山本がその後、京都府政のために尽力したのは、周知の事実である。彼を導いたのは西の思想である。
西周はまさに思想界に革命を起こした。現在に至っても私たちが恩恵を受けている主な訳語を列挙すれば、哲学・観念・概念・主観・客観・理性・悟性・感性・総合・帰納法・演繹法など、枚挙するに暇がない。これらの訳語の恩恵は、日本一国のみならず現代中国の哲学・思想界にすら大きな影響を及ぼしているのであり、彼の残した業績の偉大さは誰にも否定できないものがある。西周については、こうした面をぜひ補強しておきたい。
このように明治期日本の思想界からユニテリアンから学んだ福澤諭吉と西周の二人を除いたら、どんなに貧しくみすぼらしいかを、読者にはぜひとも想像していただきたい。
また付章として、ブリタ理科大百科事典に掲載されている「フリーメイソンリー」「ユニテリアン」「理神論」の項目についての翻訳がついている。これらの解説は、まさに世界標準からの実に簡潔でありながらも本質を突いた貴重な記述である。精読を期待する。
最後に、副島隆彦氏によるフリーメイソン・福澤諭吉・伊藤博文についての重要な指摘を「はじめに」から一つ、「おわりに」から二つを引用しておこう。
「はじめに」では、「このローマン・カトリックから毛虫のように嫌われ続けたフリーメイソン=ユニテリアン思想は、これまで、日本の出版界が『おどろおどろしい闇の支配者たち』だとか、『裏に隠れた悪魔の集団』などという愚か極まりない理解を日本国内に蔓延させた。(中略)
その真の元凶は、やはりロール・カトリック教団そのものである。彼らは、この世の諸悪の根源である。実は、フリーメイソン=イルミナティの思想が、ローマ・カトリック教団の中にまでじわじわと潜り込んでゆき、自分たちの巨大な偽善を暴いて突き崩しに来るのがイヤでイヤでたまらないのだ。(中略)だが、ところがである。
どうもきっかり20世紀に入ったあたりで、本当にフリーメイソンリーとイルミナティは、世界を頂点のところで支配する超権力者たちの、秘密の集団によって乗っ取られて大きく変質をとげたようである。(中略)日本の明治時代を生き生きと作った指導者たちがフリーメイソン=ユニテリアンに加入していた頃までは腐敗していない」
と従来の日本のフリーメイソン観を一新する視点を明確に打ち出したのである。
そして「おわりに」では、「日本が誇る大知識人である福澤諭吉と、明治の最高権力者のワルの頂点である伊藤博文には共通の考えがあった。
それは、『日本はインドや中国やエジプトやトルコのように外債(外国からの借金)を理由に西洋人に騙されて西洋列強(とりわけ大英帝国)の悲惨な支配下に置かれないように、急いで欧米の(当時)最先端の政治思想と諸学問(理工系の科学技術だけでなく)を輸入し(翻訳し)、身につけなければならない』と、共に切迫した気持ちで考えたことだ」
と福澤と伊藤との共通認識を指摘した後、「福澤は、伊藤博文らに謀られて追いつめられ決起した西郷隆盛の自刃のあと立憲運動として起きた自由民権運動が、同じく狡猾な伊藤によって、自由民権運動の最大のヒーローとなった土佐の板垣退助が早くも1881年には、洋行の資金で籠絡されててっぺんから切り崩されていく様をずっと苦々しく見つめていた。
板垣が伊藤の子分になり下がって自由民権運動を内部から壊したのだ。だから福澤は、終始一貫して、伊藤博文ら買弁権力者たちに一歩も譲らなかった。知識、思想、学問の方が現実の政治権力より上に立つべきだと、生涯この説を通した」と明治期日本を貫く、その対立構図を指摘したのである。
この本によって、私たちは明治期日本の二十年代・三十年代の全体像が理解できる。そして今後、この本の続刊として『明治偉人伝のウソ』が企画されているという。
今後、日本の近現代史を主体的に理解するためにも、孝明天皇、徳川慶喜、明治天皇、大室虎之祐、山内容堂、小松帯刀、坂本龍馬、木戸孝允、伊藤博文、西郷隆盛、大久保利通らにも鋭いメスが入らねばならない、と私たちは確信する。
その意味において発刊を大いに期待して筆を置く。
[1892]Re:私も津谷論文に疑問を感じる
投稿者:六城雅敦 投稿日:2016-03-28 20:54:42
六城雅敦(ろくじょう つねあつ)です。本日は3月28日です。
[1888]に清野眞一氏の『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』の丁寧な感想を拝読いたしました。清野さまには著者の一人として厚くお礼申し上げます。
私は昨年の定期講演会の前座として「蕃書調所と近代思想」という題で話させていただきました。
・「金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ」(SNSI論文集 2005/1 祥伝社)
・「時代を見通す力」(副島隆彦 2008/7 PHP)
・「隠されたヨーロッパの血の歴史」(副島隆彦 2012/10 ベストセラーズ)
この3冊が日本での表面的な思想史に一石を投じた著作物であると紹介いたしました。それにつづく「フリーメイソン=ユニテリアン・・・」は日本人には理解しがたい当時の<過激な西洋思想>の紹介を試みたものです。
私の章は明治エリートの代表格であり、軍医総監であった森林太郎(鴎外)が、脚気対策の誤りが全1/3に及ぶ兵士を消耗したことを微塵にも恥じず、死の間際まで爵位を心待ちにしていたということを知りまして、その背景を掘り下げるつもりでしたが、そこから明治のエリート・知識人のメンタリティへと話が逸れてしまったのです。
(参考文献:「森鴎外は何故袴をはいて死んだのか」志田信男著)
大作家である吉村昭も「白い航跡」で尊敬する鴎外をどうしても悪人として登場させざろうえなかったのか自問していると後のエッセーで読みました。
田中進次郎氏と私も奇しくも西周(にしあまね)が実は重要なキーマンであるという結論に達しました。それまでは明治維新の脇役程度にしか認識していなかった幕末明治のインテリたちが、巨大な壁として現れ始めたのです。
横井小楠を初めとするその系譜の人々(勝海舟ら開国派)そして幕府内の蕃書調所という特殊機関の存在・・・
余談ですが私は小楠が日本で最初のPhirosopherだと思っています。
蕃書調所は元は幕府天文台が起源でして、場所は浅草の南側にあたります。
天文台といいましても暦つくりを名目として語学だけに及ばず、数学者・物理学者の天才達が全国から集められた西洋思想の研究施設です。縁があるのか、その近くに私は居住しております。(ぽつんと交差点に教育委員会が建てた碑が建っています)
新たな思想の導入というものはこれほど激しく、私をはじめ頭の弱い者には厳しい時代だったのだと感じています。
NHK「歴史ヒストリア」という番組で津田梅子を紹介していました。番組中では創立時の津田塾では津田梅子は相当厳しく怖い教師だったそうで、嫁入り前の習い事程度の気持ちで入学した女学生では多くが退学したといいます。
幕末の状況と現代はとても似ていると定例講演会では締めくくらせていただきました。
・財政悪化と重税による景気悪化 ←天保の改革
・公共事業による景気浮揚 ←印旛沼開拓
・外国からの干渉/グローバリズム
・覇権国移動の過渡期 ←英国から米国へ
・宗教宗派・思想の対立、過激思想の蔓延
・リーダー不在
・産業革命・大量生産 ←絹綿製品の大量輸入危機
→大きな意識改革は20年以内に確実に来る!
そこで台頭するのは新たなインテリ達であることは疑いようがありません。
学問道場は15年近く経過し、当時の若者は中年、中年は黄昏(たそがれ)つつあります。
これが還暦をすぎた副島先生の実感ですし、残念ながら創設時に若かった私も若くはないという自覚だけが空回りしております。
福沢諭吉は物理学者であったというこのことがあまり知られていません。
幕末から明治にかけた神学論として入った思想、そして切っても切れない関係でである<思想と数学>は次回講演会でひょっとしたらお話がでるかもしれません。(私の勝手な期待と予想です)
六城雅敦拝
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Monday, March 28, 2016, 12:21 PM
3/28 曇 10時 浅草での空間線量は33ベクレル/立法メートル
現在のマンションが取り壊しによる立ち退きで、六城ラヂウムの引越は大方終わったのですが、新居での整理がまだまだまだです。部屋の間取りが変わると、再び収めるのに苦労しますね。
引越は巣作りの本能がある女性の方が向いているかも知れませんね。
家具も電気製品もきれいさっぱり捨てていきます。また子供が成長して子供服やベビーカー、子供自転車などもそのまま粗大ゴミとなっています。
子供がいるということは大きな経済需要を生み出すのですね。
生活圏と生活リズムがなかなか順応できません。
そろそろ六城ラヂウムの日常を取り戻しつつありますが、ブログの再開でお知らせいたします。
受注・発送業務は通常通りです
バックミュージックはこれです。Perfume・ワンルームディスコ
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Monday, March 21, 2016, 04:23 PM
3/21 晴 10時 浅草での空間線量は29ベクレル/立法メートル
本日から引越作業に入っています。
作業を始めてみると、ゴミ屋敷一歩手前ですw
ほんとうは広い部屋だったんですけど、スペースがあるといろいろ買い集めたりして、積み重ねたままになっているスペースがいつのまにか部屋全体になっている。
みかん箱5箱はゆうに越える本は移転先でどうしたらいいものやら。ここに越した10年前は小さな本棚だったのになあ。
冷蔵庫もドア一つの小さなものだったのが、今では2ドアですし、音楽といえばラジカセだったのが、ミニコンポになりました。
テレビはなかったはずなのに、なぜかテレビとDVD装置が鎮座してます。
靴箱からあふれるほど靴が増えてます。箱に入ったまま積み上げられていたり、押し入れにもいくつか入ったまま。
仕事のために揃えたものも結構あります。業務用の大きな機械、撮影用にデジカメが3台、これに付属品があるので、古くてもなかなか捨て辛いです。金額的にはいまの一眼レフデジカメ並です。
作業机は持って行けないので処分していきます。見た目よりも重量があり、階下に降ろすだけでも大仕事でした。よくまあ搬入したもんだ。
少しづつここに越してきた当初の雰囲気に戻っています。休憩で思うことは
同じ所に住み続けると老廃物が溜り続ける
身体も住居も同じということ。
若い内は引越したほうが良いのかも知れません。体力も気力もだんだん無くなります。
それが無理なら、せめて部屋の模様替えをすれば少しは快適な居住空間が甦るのかも知れません。
でもそれさえもする気がなくなれば、ゴミ屋敷・汚部屋にすぐなっていきますね。
さあトラックに積み込もう。
関連ログ:「南京結び」(トラック・ヒッチ)はロープワークの必修課題です
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Saturday, March 19, 2016, 11:04 AM
3/19 雨 10時 浅草での空間線量は29ベクレル/立法メートル
大阪市の公立中学校の校長が女子は子供を二人は産むべしという発言をメディアはずいぶん取り上げています。旭日旗を掲げたこともあるというなかなかエキセントリックな思考をもっている方のようです。
新聞を読む度に思うことは、一方的な(一般論を装った新聞社の倫理による)批判ばかりということ。
教育者だから性別への価値観の押しつけはけしからんというわけです。さらに男は働き女は産み育てよという考えは、一億総活躍を唱える政府方針に反するということだと。
でも女性が二人以上産まないと人口は減るという事実に対して、個人的なな解決案を披露しただけでしょう。
公立の校長がこのような思考を披露したことで、事なかれの風潮が強い現行の教育制度には具合が悪いから組織側にいる者たちは、みんなで感情的に騒ぎ立てているだけ。。
もっともセンセーに指図されたぐらいで子供が増えれば、誰も苦労はしません。
信仰→哲学→思想→思考→行動
人の脳みそはどのような流れでできあがるのかというと、上記の流れです。
しかし一部私立を除き日本の公教育においては宗教臭はタブーですし、そこから派生する哲学・思想もない。
現代の学校では思考と問題を解くプロセスのみが詰め込まれるだけです。
そのような状況にも関わらず、この校長さんはご自分の思想を披露したに過ぎないと私は思えます。
信仰の自由が憲法でも認められているのである以上、そこから派生する思想、そして考えの筋道、それの発表や表現も先進社会は容認されるべきであるはずなのに。
ところが西洋プロテスタンティズムによる性同一障害者への差別風潮を諫め、さらには同性での婚姻まで認める方向にさえ日本でもあります。
このように西洋猿まねだから一部だけ突出、過激な意見に流されてしまうのです。
憲法下で個人の自由、信仰・思想の自由は認められているのですから、個人で何を信念として持っていようとそれも自由だというのが私の考えです。
暴力的に同質化を求める報道姿勢を不愉快に感じます
ああ、この校長はこういう考えなんだなというだけのこと。極端にリベラルであっても、極端に民族主義であっても、それは人それぞれ。
それは認めなくては、まずまともな批判も擁護も双方で議論ができません。
私は経験上、男女機会均等法は大失策だったと思います
様々な価値観があるにも関わらず、すべからく均等や平等というのは非常に悪い思考です。
いいかえれば、上から価値観の押しつけですから。
ダイバシティー(多様性:Diversity)社会を目指すとか、差異を認めて互いに住みやすい社会だとか総理府あたりがいくら唱えても、すべては男女共同参画なんちゃらといった天下り先を各地に山ほど造るためであり、結局はがんじがらめの男も女も働きにくい社会となったわけです。
企業は利益を生み出すために存在し、活動します。
そのためにはお上に言われるまでもなく、リソース(資源・資産)を最大限に活用しなければなりません。
マルクスは経営者にとって社員は会社のリソースであると断言しています。つまり製造設備や借入資金と同列に並ぶのが人ということ。
資本主義において資源である雇用者に老若男女美醜という概念はもともとから無いのに、法律を作って見せかけの平等を実現したかのように嘯いている社会の方がよほど偽善に満ちていると思うのです。
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Thursday, March 17, 2016, 12:41 PM
3/17 晴 10時 浅草での空間線量は17ベクレル/立法メートル
テレビやラジオで自称経営コンサルタントの「ショーンK」ことショーン・マクアードル川上氏(47)の学歴詐称が話題になっています。外国人の血が入っているということで英語も堪能というふれこみ。
ニューヨーク生まれ、テンプル大学卒、ハーバードでMBA習得、パリ大学留学などなど。本当は高卒。
本名が「川上伸一郎」で熊本出身の生粋の日本人なんだとか。もちろん経営コンサルタント会社の経営というのも嘘。ご丁寧に世界7カ国に展開しているとまで経歴に記しています。
テレビの経済番組では売れっ子のようで、4月からフジテレビで単独番組が予定されていたのに中止となってしまいました。
本業は声優かナレーターなんだとか。
Wikipediaを読むと、CMではインテルの「インテル入ってる」です。これなら聞いたことがある。
ショーンKはラジオDJ専門の芸能事務所で在20年を越えるベテランタレントさんです。
タレントならば何を言ってもいいと思ったのでしょうかね。それにしてもハーフでもないのに、外国籍があるだのビジネスプランがどうのと堂々と言えるもんです。
罪悪感なく嘘を吐ける「演技性パーソナリティ障害」という精神病です
人格障害者ともいいます。大言壮語なホラ話を信じこませる詐欺師には必須能力でもある。
過去ログ:
メディアに映るのは演技性パーソナリティ障害者という気違いばかり
http://www.rokujo-radium.com/blog/index.php?entry=entry141210-124501
ニュース番組でもアナウンサーの脇にコメンテーターという名前で鎮座している人がいますが、あれはなんなんでしょう。
先日「マツコの知らない世界」で腹話術師・いっこく堂が出ていましたが、腹話術人形は会話の間を取り持ったり、相づちやを入れてくれる便利な存在なんだとか。
「家庭に一体」がいっこく堂氏の理想だということ。
コメンテーターっていうのは、結局のところ番組の趣旨やスポンサーの意向に沿わせるための相槌をいれる存在なんでしょう。
腹話術人形とおんなじ役割ということ。
せめてテンプラ大学とかデカメロン大学とかアナハイル大学日本校だとか一ひねり欲しいところです。
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Wednesday, March 16, 2016, 09:22 AM
3/16 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル
注目を集めた囲碁のトッププロとGoogle傘下のディープマインドがつくった囲碁ソフト「アルファ碁」の5回対戦はプロ9段の1勝4敗と惨敗の結果で終わりました。
昨年ニコニコ動画で行われた将棋ソフトとプロとの対決は五分五分で終わったような気がしています。駒に制限のある将棋よりも碁の方がはるかにプログラムは難しく、数手先だけでも読みは膨大なシミュレーション計算を繰り返すしかないとされていました。
そしてまだその計算能力を満たすハードウェアはできないということも言われていました。
ところが一年も経たずにすでにプロ碁士を凌駕するプログラムが出来たと言うことですから、まあ専門家の予測とは実にいいかげんなものです。
この囲碁ソフトは従来の総当たりのシミュレーションをすることをやめて、ディープラーニングという手法で、過去の似かよった例を参考にして、そこから最善を見つけ出すという手法です。
そのために過去30万件の棋譜を覚え込ませて、さらに経験を積ませるために上段者と対決させたり、コンピュータ同士で打たせたりと100時間ほど学習させたそうです。
コンピュータが過去から学びだした
つまり日に日に囲碁の能力を自ら強化していくということ。
これはすごい技術だなあと感心します。
コンピュータの登場と共に1980年代末に人工知能(AI)という言葉が流行りました。
でも低性能なコンピュータでは華々しいSF物語でほとんど空想の世界で、基礎研究止まりでした。
90年代中盤となると機械翻訳(英単語への置き換え)やカーナビゲーション(オペレーションリサーチという手法)が少しづつ実用化されていきます。
それでも高価なコンピュータを動かして、子供だましのようなものでしたが、10年も経てばネットで翻訳できるようになり、どの車にもカーナビは当たり前となったのですから、技術の進歩とは恐ろしく早いものです。
ところが、これらの処理はある程度コンピュータの得意なルーチン計算です。計算を力任せに繰り返して結果を導き出します。その結果の良し悪しを判断するのは、結局は人間でした。
カーナビではちょっと裏道に行くと、ルートを外れたとか、元に戻れとかうるさいですね。
知っている路はたいていカーナビを切ってしまいます。
ところがコンピュータに学習機能がつくと、このようなことは無くなっていくことが予想されます。
またネットワークで他のコンピュータの知能も共有できるようになるので、だんだん渋滞というものも無くなっていくでしょう。
自動運転と組合わせれば、それこそ最強の運転手となります。
実現は当分先と思われていた囲碁ソフトと同じことがすぐあちこちでも現れてきます。
5年後10年後に仕事が無くなる可能性は十分あると昨晩のNHKクローズアップ現代でやっていました。生産性の向上と雇用の伸びは2000年までは同調していたのが、以降は反比例の関係となりました。
スェーデンでは社員の勤務時間を(6時間に)減らして、二交代制として多くの雇用を生み出す政策を推進しています。
それでどうなったかというと、生産性があがり、顧客満足も高まりました。
一日8時間労働は長すぎると私も思います
人間集中できるのはせいぜい数時間です。人間という生き物は一日4時間程度が限度ではないかな。
恋をしたり、自己研鑚したりする時間が現代には全くないというのが問題です。
生産性が上がっても働く時間が全く減らないということが富の偏在をさらに悪化させているのではないでしょうか。
そこでUber(ウーバー)を代表とするスマートフォンで必要な時に必要な分だけサービスを享受する経済モデルが出てきました。
それもひとつの解決策でしょう。
あとひとつはスイスで国民投票が行われるベーシックインカム制度です。国民全員の生活最低限は国家が保障しましょうというもの。
先進国であっても議論されているというのは、実質共産主義への移行というのはなんとも皮肉です。
確実に言えることはディープラーニングというソフトウェア手法は、今後あらゆる分野に応用されていくでしょう。
あと10年20年後には、人間が判断していたことが人工知能に置き換えられていくことは確実だということ。
金融、医療、農業、土木業、商業、運輸業、軍備とありとあらゆる分野が自動化・省力化していきます。
頭脳労働でさえ人工知能に置き換えられていく
小説家とか芸術家ぐらいしか職業はいらなくなってしまうのではないかな。
秋葉原に集う人種は副島隆彦先生曰く「時代を先取りした人種」だということですが、なるほど完全に現世と切り離された世界(いわゆるアニメの二次元世界)に耽溺(たんでき)できる人々はいままでにない価値観を有していると言えます。
タクシーという許認可業にUberが殴り込んだように、人工知能があたりまえとなれば、入試や資格(士業)といったものも形骸化していくでしょうし、政府機関も大半のサービスは人工知能に置き換えられていくでしょう。
人工知能化は企業も製品にも不可欠な時代がやってくる
東芝の家電部門は中国の安売り家電会社に売却されますし、シャープも台湾受託企業ホンハイに身売りとなりました。
皮肉なことにちょうどテレビの買い換え需要で、東芝もシャープもかつてはお荷物であったテレビ部門は生産が追いつかないほど好調なのだそうです。
今後、企業競争において人工知能化は急速に進んでいくでしょうし、それにあわせて生活も変わっていくことは想像に易いです。
人工知能ディープラーニングが突きつけた命題は、今後は世界各国の懸案となるでしょう。
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Monday, March 14, 2016, 06:00 PM
民主党が党名を民進党か立憲民主党とするかで割れて、結局民新党に決まったようです。
ここで使われた立憲とはどういう意味なのだろうと疑問に感じました。
同じような疑問は江川紹子氏がYahooNewsで書かれているので、読んでみました。
「立憲主義」ってなあに?
江川紹子 | ジャーナリスト 2015年7月4日 18時34分配信
http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20150704-00047228/
そこで紹介されている高校教科書・東京書籍「現代社会」では以下のように説明されています。
〈「法の支配」と密接に関連するものとして立憲主義という考え方がある。立憲主義とは、政治はあらかじめ定められた憲法の枠のなかで行わなければならないというものである。さまざまな法のなかでも憲法は、ほかの法がつくられる際の原則や手続きなどを定める点で、法のなかの法という性格をもつ(最高法規性)。国家権力は憲法によって権限をさずけられ、国家権力の行使は憲法により制限される。憲法は、個人の尊重が目的とされ、人間らしい生活を保障するものであり、政治権力がそうした目的に違反することは、憲法によって禁止される。そして、国民の権利が国家によって侵害された場合には、司法などによって法的な救済がなされることになる〉
教科書らしいいやらしい文章だw
これで理解できるのなら誰も試験で苦労しませんわ、私は年齢を重ねているから熟視できるけども・・・。
キーワードは「法の支配」です。立憲主義の説明で最初に説明もなく「法(law)」という言葉があるから、予備知識無しではなんのこっちゃとなります。教科書ってこういう端折り方をするから大嫌いです。
英語では法の支配はrule of lawです。法律に沿ったルールということ。
あたりまえじゃん!と言いたいのですが、この言葉は19世紀にビスマルクにより統一されたドイツで使われたという歴史的に重要な言葉です。(歴史的には19世紀後半に英国議会で唱えられたのが始りとされているそうです)
それまでは小国の寄り集まりで、地域の支配者がそれぞれ権力で支配していました。
普墺戦争以降、プロイセン王国がオーストリアを含めたドイツ全域を治める事となったのです。ちょうど徳川家が日本を治めたようなもの。
そこでrule of kings(王によるルール)ではなく、王に代わりlawというパラダイムとなったことを高らかに誇ったスローガン的な意味を有していると言うこと。
議会は諸国の利害がぶつかり合うので紛糾するばかり
小国が統一されて誕生したドイツでは、君主諸侯の権力は弱くなっても、結局は絶対的な議会制民主主義とはならなかった。
そこでやはり皇帝という権力的地位を上にしたまま、議会は憲法に基づき皇帝の権力を規制し、逆に皇帝も議会を憲法に基づき監視するという相互監視システムとなったのです。
これの政治制度を見習ったのが明治政府です。不文律ではなく明文化した憲法による権力監視体制を立憲主義と後世では名付けたのでしょう。似た経緯で統一された明治新政府がイギリスやフランス議会ではなく、ドイツを見習ったのは賢明です。
ただ、江川紹子氏の記事中で樋口陽一・東京大学名誉教授(憲法学)が以下の指摘をしています。
歴史の流れでは、王権はだんだん弱くなり、議会が伸びてくるわけですが、ドイツの場合は、イギリスやフランスのように議会が中心になるというところまでは、ついに行かなかった。けれど、もはや君主の絶対的な支配ではない。どちらも、決定的に相手を圧倒できないでいる時に使われたのが『立憲主義』です。君主といえども勝手なことはできず、その権力は制限される。けれどもイギリスやフランスのように議会を圧倒的な優位にも立たせない。つまりは、権力の相互抑制です。この時期のイギリスやフランスは『民主』で、ドイツは『立憲主義』。明治の日本は、そのドイツにならったわけです。
ドイツはその後、ワイマール憲法で議会中心主義になり、そこからナチス政権が生まれて失敗した。それで、戦後のドイツは強力な憲法裁判所を作るわけです。やはり議会も手放しではよろしくない、ということで
このように議会中心主義は暴走すると憲法学者も断言してます
ドイツにつづいて日本も軍政へと急展開していくのです。議会を絶対的な決定機関とするのはとても危ういことなのです。
法(Law)とはGodを信仰する者同士の共通な道徳・規範のこと
ここで言う『法(Law)』とは、国会が作った法律のことではありません。そうであれば、第一原則と第二原則は同じ意味になってしまう。ここで言う『法』とは、マグナカルタ以来の法の歴史と伝統、慣習などを含めた規範です。
中世ヨーロッパには「国王はすべての人の上にある。しかし、神と法には服するのだ」ということわざがあります。それが、『法の支配』の『法』です。これは何もイギリスだけではなく、ドイツにも『古き良き法』という言い方があります。日本でも『天道』とか『お天道様』と言いますね。およそ何らかの文明を持っている国は、特定の人間がしたい放題何でもやっていい、というのは認めない規範があります。明治時代に、森有礼が財産権や言論の自由を『人民の天然所持するところのもの』と言ったのは、まさに『法の支配』の『法』を言い表したのでしょう。枝葉を取り払って大胆な言い方をすれば、『法の支配』とは『人間の意思を超えたルールがある』ということですね
日本にも江戸時代からちゃんと儒教に基づいた法がありましたし、奉行所もそれに従った裁判を行っていたわけで、西欧問わず、法律は自然に発生したものだ(自然権論:規定されるまでもなく、人は生まれながらに人らしく生きる権利を有する)と私は思っています。
ヨーロッパでも日本でも、国王(や天皇)の上にも、絶対神(God、儒教では天)がいることが前提であったのです。
これが近代国家の基礎である「法(Law)」の正体です。
「法治国家」とは行政が法を楯に強行することではない
「法の支配(rule of law)」を楯に政治運営をすることが法治ではなく、為政者にも共通の『法(law)』を有しているかが重要という意味なのだそうです。
法治国家(Etat de droit)がEU統一の合言葉であったことは、日本人の我々もよくよく知っておくべきことなのです。
この共通な道徳観念が法(law)であるという前提を知らねば、法治という意味も、「法の支配」という重要キーフレーズも理解できないのです。
ただし宗教道徳が似たようなヨーロッパに於いても、大きくはカトリックとプロテスタントという勢力があり、さらにユダヤ教や宗派の違いにより、議会による決定が最善であるとも言えません。ちょうど統一直後のドイツのようなもの。
そこで議会制度での法案を憲法で再検証するのが立憲主義である
ということ。政治形態は時代を経るにつれて
君主主義→民主主義→立憲主義
となり、現代のヨーロッパでは一方的な権力の付与を大衆(デーモス:デモクラシーの語源)に与えるだけではいけないという考えがしっかり確立されているということです。
その点、日本の教科書は、そういうことに全く触れず、人権主義万歳、憲法に明記されているのがいい事だとすごく浅く表面的な解説しかなされていません。
立憲主義と民主主義は結構奥深く、そして深刻な思想に関わる関係なのです
そこまでわかれば、軽々しく民主主義だ、立憲主義だと日本の土人ごときが言うべきものではないと私は思うのです。
民主党が「立憲民主党」にならなかったのは残念です
万年野党らしくて良いと思うのですけどね。
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