Tuesday, November 10, 2020, 01:47 PM
本を書きたいという側としては非常に嘆かわしい記事です。
自分も近所や国会図書館をよく利用する方ですけども、それは絶版本で入手できないからです。
本屋や古本屋であればできる限り購入しています。
でも図書館にいくにつけ、新刊本が棚に並び、最新の雑誌もずらりと並んでおります。
東野圭吾や村上春樹などの新刊は貸出待ちが何十人もなっている。
そんなに何ヶ月も待つのであれば買ってやれよ
公共図書館には公正な商業を阻害するようなことは止めてもらいたいと思っています。
せめて雑誌は発売されたばかりの最新号ではなく、店頭から回収される頃に閲覧可能にしてもらいたい。
自分も雑誌で連載していたときに、読んだよ、図書館で(笑)と言われると複雑な気分です。
読み捨てられる雑誌でさえ図書館で自由に読まれると、それこそ出版社って成り立たないんですから。
さらに文化庁が著作物の半分以下なら電子化して配布できるようにするだと!
出版社・印刷会社・作家は消えて無くなれと言って居るも同然
記事では有斐社(ゆうひかくしゃ)の社長がずいぶん穏やかなコメントをしていますが、六法全書を出している老舗ならではの言い方。なんとまあ甘ったるいこと。
電子化して配布は承諾しても、ちゃんと対価は版元と著作者には払っていただきたい。
ところが、その補填は文化庁長官が指定する管理団体が行うとあります。
著作権保護法があるにもかかわらず、著作者無視、出版社無視のお手盛り団体がやるという。
まったくひどい話
図書館ならなんでも無料で貸し出すという姿勢は同意できない
発行から期間をおいてから陳列するとか、雑誌は閲覧数により払うといった出版社・著作者への配慮が全くないこと。
このままじゃ出版業はただ働きです。いまでもそれに近いのに。
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Tuesday, November 10, 2020, 01:00 PM
答え:集めた金での損得勘定しかしていません。
今朝の新聞記事ふたつ
保険業界は就職ランキングでは生保・損保問わず常に上位です。黙っていても金が集まるイメージだからかな。巨額な運用資金はバブル時代ではザ・セイホと海外投資市場において名を馳せていました。
低金利時代で銀行は預かったお金の利鞘が無くなりどこも青色吐息ですが、保険業界は利鞘の影響はそれほどない。
なぜなら保険商品はリスク(死亡や事故)の確率で契約者が支払う保険料が決まる仕組みにあります。
たとえば100人(件)に1人(件)が一年以内に不慮な事が起こると、100万円支払うという保険があったとしましょう。
1人当たり1万円を支払ってもらえば、保険金100万円を支払うことができる。
そこに手数料やなんだかんだのコストを加えて1万5千円の保険商品ができる。100人の契約を請ければ50万円の利益になります。
正確には金利による割引もありますが、今は微々たるものですよね。
はい、これが保険の仕組み
簡単ですね
お金を払って契約した被保険者は、金銭的な損失を1/100のコストで避けることができる。
発祥は難破が多かった貿易船の互助的な仕組みからです。
難破する船が例年よりも少なければ、掛け金はまるまる利益となりますが、想定よりも事故が多ければ支払いが多くなってしまうという経営上のリスクはあっても、比較的利益が安定した業界でもある。
ところが、これにはカラクリがあって作為的に利益を上増しすることもできる。
例では100人に1人という事故としましたが、90人に1人とか80人に1人という具合に確率を少しいじると、支払う保険料(掛け金)を1割2割高く設定できる。
保険料は統計数学で算出されるのですが、その基本となるリスク(確率)は総務省統計局のものが使用されている。
それならばとても公正だと思うでしょ?
統計データは保険会社にとって都合の良いものしか使わない
たとえば生命保険では年代別死亡率、自動車であれば事故統計などです。
うろ覚えなんですけども、20年前の生命保険の死亡率は昭和61年(1986)のが使われてましたし、自動車事故の死亡者数なんかも昭和か平成になったかという頃のもの。
平気で20年前30年前の統計で算出していることに驚きました。
もちろん現在はもっと平均寿命が延びていますし、大きな自動車事故も自動車の技術進歩で急激に減少しています。自動車事故の死亡件数は年間3千人程度です。(一方で自殺者は2万人を越えている)
まあ、こんなカラクリで保険業界ってのは常に、発生リスクに対し過剰なお金を常に受取っているわけです。
損害保険で正直者はバカを見る!?
よくネット広告で見かける「あなたの家の補修は火災保険で安くなります」という文言。
台風や地震で外壁や屋根に損傷を生じたら、保険金が支払われるのですが、それを逆手にとって何でもかんでも台風や地震を原因とした保険請求をセットにした補修工事が横行しているという記事。
悪徳工事業者が、発注者と口裏を合わせて自然災害が原因としてしまう。
なぜこのようなことができるのかというと、現実では実際の物件を確認する専門部署はあっても人員は限られているから。
「とりあえず、なんでも支払い請求するといいよ」と知合いの損保関係者にこそっと教えてもらいました。
その損保会社の人だって、九州が大雨で洪水になったときに、自分の自家用車が高潮で水没したといって保険金で乗り換えてましたしね・・・九州とは全く関係ない千葉の人だよw
ずいぶんザルなんだなあと思いましたが、ご本人は微塵も悪びれている様子はない。
生命保険業界内での査定基準は集めたお金の額のみ
かんぽ生命の不正契約があまりにも横行して社会問題化しましたが、結局は保険販売員は新規契約件数と保険料高でしか成績判断されないわけです。
それにしても第一生命の89歳の女性社員というのも驚いた。
成績がよいので56歳で本社所属という特別扱いの処遇。営業のスーパースター。
顧客から19億円も詐取していても、孫世代しかいないので誰も咎める人はいなかった。
すばらしいぜ、この”事なかれ主義”!これが保険業界の実態
保険業界は政治献金も多いので、財務省からは睨まれないし、損保が請負う自賠責保険は永遠に安くなりません。
裏では反社会勢力の影もちらほらという黒い噂もそこらじゅうにあります。
いやー、どちらもどちらで正直者はバカを見て、憎まれっこ世にはばかる世界です。
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Monday, November 9, 2020, 05:07 PM
ちょっと変わった人、何を考えているかわからない人、どうにも会話が成り立たない・・・という人はどなたにも心当たりがあると思います。
昨日もとある団体での体験
仲の良い友人同士(だと思っていた)の一人が入院されているので、もう一人に彼の様子はどうだい?と尋ねたところ、一言「知らない」という意外な返答。
いやいや、あれほど常に一緒に居て知らないはないでしょうよ。
でも入院したことは人伝で知っていても特に連絡も見舞もしていないとのこと。
私とは別の方が見舞に行った際に、一番仲がよい(と思っていた)友人とは連絡しあっているのかと尋ねたところ、こちらも「別に」という返事。
あれれ?と首を傾げたそうです。
でも誰かが一言「まあ、発達障害者どうしだからな・・・」と発したことでみんな納得。
そう、両者共にいい大人であっても、木訥(ぼくとつ)としてコミュニケーションが成り立たないことで知られてます。人見知りする子供と話すような感じ。
あるとき、向かい合って座っているその友人同士(と周囲からみられていた)が何を話しているのか聞き耳を立てていたけれど、結局互いに一言も会話をしなかったのだとか。
互いに向かい合っていてもずっと無口のまま・・・
でも、発達障害と思われる人たちは一緒にいると居心地がよいようです。
普通の人は静寂がいやなので、無難な会話をします。だから集団の会話に発達障害の人が居ると普通の人は気を揉むんです。しゃべらず、会話に参加しないから。
『唖』という漢字を抹殺して発達障害者は居ないことになった
唖(おし:口がきけない人)という漢字はパソコンの変換では出てこなくなりました。使っちゃいけない漢字としてやり玉に挙がったからです。
でもねえ、差別用語だと言われても、結局唖は人口の何パーセントには必ずいるんです。
自分がとある仕事をしていたとき、仕事先に元請けの若い社員がいました。それがずっとパソコン画面から視線を動かさず、挨拶をしても特に視線をちょっと動かす程度の態度。
みんなで食べて下さいと手土産のお菓子を渡しても感謝をするわけでもなく、黙ってはいよと片手で受取ってポンと机においておくだけ。
こういう場合、普通の人なら「超大企業の社員だからって、ここまで見下げやがって」と侮辱に近い憤りの感情が生まれます。
そういう対応をさすがに先輩社員が割って入り、ちゃんとお礼をしなさいと叱りつけてました。
後日、その先輩社員さんが私にこそっと耳打ちしてくれました。
彼は有名国立大学の院を卒業して、本社の重要部署に配属されたのだけど、会話が不自由で、さらに他人の物と区別がつかないという問題行為が多いため、この現場(工場)に飛ばされてきたんだよと。
他人が羨むほどすごい学歴なのに、作業服姿で部屋の片隅にずっと一人座っているのを不憫に思いました。
でも本人はなんとも思っていないようです。
手が空いたから手伝ってあげたり、話しかけても唖の人は「なんで勝手に自分の領域に踏み込んでくるんだろ」としか思っていない。
その度に上司や先輩から怒られても、視線はずっと遠くを眺めているだけでした。
サンドイッチマンのギャグじゃありませんが、「何いってんだかわからない」んでしょうなあ。
理解できるのは母親ぐらいでしょう。
こういう他人の善意をなんとも思わない隠れ障害者が意外に多いということを実感しました。
結論は、かかわらない、下手な好意を持たない、最小の接触にとどめる、これしかない。
慈善行為で逆恨みされているという事例もよくある
なんであんなに親身になっていた人が本人に恨まれるんだという事例(事件)がありますが、それは発達障害者は攻撃されているとしか感じないからです。
痴呆の親の介護をしている友人も、何をしてあげても不機嫌になって心身共にくたくたになるとぼやいてました。介護を本職にしていても、身内の痴呆老人には手を焼くそうです。
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Monday, November 9, 2020, 11:14 AM
新聞の書評欄で興味ある本が紹介されていました。面白そうじゃない。
(冒頭より)
がんの検診で検査の感度が90%であれば、実際に癌である確率はどれくらいか。
もちろん90%だろうって?
違う。正解は「これだけではわからない」だ。
がん検査の感度というのは、がんに罹っている人をがんだと診断する率に過ぎない。
(抜粋終わり)
(追記)参考ログ:PCR検査の感度は62%です。では結果が陽性でほんとに感染している確率は?
つまり、その他の情報がなければせっかく検査をしても、がん検診の結果は全く未知数。
英国での乳ガン検診(感度90%)では実際の罹患率は要検査者の10%程度に過ぎなかった。
同じ議論はコロナウィルスのPCR検査でも再三指摘されています。
80%程度の検出精度であっても、実際にコロナに罹患しているかはその後の経過をみたり、行動を分析するなどしないと判断できない。ほとんど擬陽性だというのが実状です。
「率」という言葉に誰もが騙され信じてしまう
副島隆彦先生もずっと昔から、延々と繰り返し「率」は騙しの言葉だと指摘されています。
なぜなら母集団(分数の分母)次第でいくらでも変わるから。
カレーライスとハンバーグ、どちらが好きですかという質問をして、どちらも好きという人をどうあつかうか。牛や豚を禁忌としている宗教はどうするかといった配慮をしないと、結果はたいした意味がない。
統計という処理は基本的なデータ処理ですが、集計数値を率(割合)という数値に変換されたとたん、作為が(意図しなくても)含まれてしまう。
過去にも同様のことを書いています。
過去ログ:また国立がんセンターが意味のない生存率を発表した
「僕は偽薬を売ることにした」なかなか秀逸なタイトルだ
正確な統計こそ近代国家の要諦と見抜く幕府の天才たち
でたらめのソフトバンクがあたえる日経平均への影響
amazonはロングテールに非ず(ランキングを解析する)
国立がんセンター発表の10年生存率の平均55%は全く意味がない数値だ!
薬を飲んで寿命が延びたという統計結果はいまだかつてない
「自然な療法のほうがガンを治す」今村光一著
【医療】重症のがん患者の化学療法に問題。 英国[11/26]
書評にも”統計データに騙されない考え方”が必要であると書かれています。
率とか%という文字が躍る文章を見たら、すぐにピピンと反応して読むことをお勧めします。
紙面で踊る「支持”率”」ってのが最たる騙しの言葉なんですけどね
支配層が大好きな、この言葉は誰も幸せになれない悪魔の言葉なんです。
この本はさっそくamazonに注文しました。そのうちに書評します。
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Saturday, November 7, 2020, 05:48 PM
読売新聞で連載している「おしゃべりな部屋」(川村元気×近藤麻理恵)を楽しみに読んでいます。
近藤麻理恵氏といえば、こんまり流片付け術の著者として有名で、ときめかなければ手放すというメソッドで片付けましょうということぐらいしか知らなかった。
そんなんで部屋がきれいさっぱりすれば苦労しないぜと思ってました。
でも人気作家の川村元気氏が物と会話ができる片付けコンサルタントのミコという主人公の小説に書き換えれば、なんと面白いと感心しながら読んでいます。
今月は溜まる一方の蔵書の整理法
本一冊一冊がそれぞれ歌っている。ただしそれがハーモニーとなるか、騒音となっているかを判断して取捨選択をしていきます。
ある本は重奏なクラッシック、ある本は軽快なジャズ、ロック、演歌などなどを歌っている。
もし何も歌っていないのであれば、歌うことをあきらめてしまったので手放そう。この連載では出涸らしと表現しています。
ニューヨークガイドと五輪書のような組合わせでも、持ち主の思い出ではハーモニーを奏でるというお話でした。
自分の本棚を眺めて耳を澄ましてみました。
たぶん弦楽器や木管楽器のアンサンブルってのが多いような気がします。
民謡や三味線や尺八といった邦楽もあります。副島隆彦先生の本はずんどこずんどこと和太鼓です。
自分のは文化祭の素人ロックだな・・・乗りの良いJーPOPを歌えるようになりたいね。
洋楽は好きな方だけど、フルオーケストラを奏でる本はありませんでした。
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Saturday, November 7, 2020, 11:28 AM
米国合衆国の大統領中間選挙がいつまでも決着がつきません。そりゃそうだろうなあと他人事で眺めています。
記事にあるように、アメリカでは共産主義との差別化のために使われ、本来の『公共善への献身といった道徳的価値は放棄された』とあります。
全くその通り!
社会福祉、つまり貧乏なのは社会のせいだから金をよこせ、優遇しろという主張ばかりが強調されます。まっそれも選挙のためですから当然です。
本来のリベラリズムは『公共善への献身』(建国の思想)だった
そしてリベラリズムこそフリーメイソン(そして多くのユニテリアン)の思想であったのです。
これを詳しく解説しているのが、副島隆彦先生の「本当は恐ろしいアメリカの思想と歴史」(秀和システム2020)です。
建国のリベラリズムはすぐに変質していってしまいました。
新聞記事にはありませんが、副島隆彦先生はずばり指摘しています。
ユダヤ思想(金儲け優先思考)にユニテリアンが侵蝕されたから
科学的な思考を重視する、人間の理性を重んじるユニテリアン(プロテスタントであるが異教的な考え)が苦労してイギリスから独立して建国したのが250年前のアメリカ合衆国です。
ところが、商業的なリベラリズム(レッセフェール、自由商業主義)ばかりが注目されるようになってしまった。
この記事で「アフター・リベラル 怒りと憎悪の政治」 (講談社現代新書) 吉田徹著をひきあいに
”リベラル”には5つの層があると解説しています。
1)権力分立を重んじる「政治リベラリズム」
2)商業や貿易の自由を唱える「経済リベラリズム」
3)福祉などで社会改良をめざす「社会リベラリズム」
あとは記事にはありませんが、おそらく
4)国家から制約を受けない自由
5)思想・宗教信仰の自由
でしょうか。
ただし、この5つのバランスが崩れると社会不安が起きるということ。つまり急激にに反対側に振れる。
個人よりも集団(国家)全体がリベラリズムとなると非常に脆い
なぜなら広く浅く不満(不利益)を平等に負担しましょうという繊細な思考だから。
この不満のバランスの舵取りを間違えると、爆発して一変するという危険を伴っている。
だから同じリベラリズムでも所属が違えば、ぜったいに仲が悪くなるw
日本ではリベラルというと野党であり、左派の意味ですが、全く役立たないという暗喩でもあります。
記事中にあるように、
「安保法が違憲と主張するならリベラルな改憲や法制度をめざせばよいのに、護憲などというポジションに固執し安住する」ことに積極的なのが自称リベラルの人たちです。
リベラルのバイデン氏が大統領になっても社会は良くなることはないでしょう。
なぜならバイデン氏は、「いいひと」すぎるからね。
八方美人で人畜無害な人ほど、これからの乱世ではまったく役立たたないから。
過去ログ:「本当は恐ろしいアメリカの思想と歴史」は近代思想を俯瞰するための最良本だ
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Saturday, November 7, 2020, 10:21 AM
寒くなってきました。一週間ぶりの更新です。まとめて更新します。
新聞記事に窮理学がなぜ物理学という名称になってしまった経緯があり興味深く読みました。
幕末から明治初期まではPhysics(現代で言う物理)は窮理(きゅうり)と称されてました。
Universeを知るための有力な学問のひとつがPhysics
だから教育研究機関の頂点がUniversityと名付けられた。
(今の日本に真のUniversityがあるのかはわかりません。たぶんないw)
(追記)余談ですが、今で言う哲学は「愛知(智)学」と呼ばれていました。でも幕臣の西周(にしあまね)が学問体系を探求するという意味を強めた言葉に置き換えたそうです。
かつて大学の基礎教養では学生必修であったのに、戦後の教育制度で消えてしまった。これも大学ならば必修にすべきです。(追記終わり)
その窮理の大家はだれかというと、かの福沢諭吉です。
(抜粋始め)
オランダでは人々が「窮理学校」に通い、「事理に明らかに術芸に精しく」なる中で、国の富が増し、「徳教」に基づく政治が実現している、と説いた(『管蠡秘言』)
中略
福沢諭吉の著書「訓蒙窮理図解」(明治元年1868)の序文には記している。
「窮理」を通じて、「徳誼を修め知識を開き」、「真に万物の霊」として人間らしく生きなければならない。、と。
(抜粋終わり)
このように、窮理学とは本来人間を解放するための学問である
石井利明著「福沢諭吉 フリーメイソン論」電波社2018に、福沢諭吉が窮理を修めた経緯が詳しく載っています。そしてこの書ではユニテリアン(プロテスタントでも科学を重視する考えの人々)はそのままフリーメイソンの思想(人の理性を重視する思想)であり、その骨子こそ窮理であるとずばり指摘しています。
(抜粋始めp20)
諭吉の父、百助には自然科学の素養、優れた計算能力はもとより、儒学や蘭学で学んで得た教養があった。百助は、儒学者の帆足万里(ほあしばんり)に学ぶことで、菅茶山(かんちゃざん)、伊東東涯(いとうしょうがい)などの思想に通じた知識人でもあった。
(ちゅうりゃく)
万里は天保七年(1836)年に『窮理通』という八巻からなるヨーロッパ物理学を体系的に紹介する書籍を出版した。内容は、ヨーロッパの自然科学の原書、十余種をもとに暦術、太陽系と地球、引力、生物類の広範囲に亘る学説を網羅し、解説したものだ。明治になって、太政官政府のお雇い外国人のトップであったオランダ人のフルベッキは、この帆足万里の『窮理通』の内容を知り、日本人の西洋学問の導入と理解力に驚いたという。
(抜粋終わり)
つまり福沢諭吉の父、百助の代から西洋科学を熱心に学んでいるのです。また窮理という学問を通じて得た人脈もすべてはフリーメイソン(=ユニテリアン)であったのです。
ですから、福沢諭吉も幕末から明治維新にかけて、フリーメイソンの思想に感化し、その人脈で教育者(啓蒙家)として多大な貢献をしていったということが、「福沢諭吉 フリーメイソン論」では明らかにされています。
過去ログ:『福沢諭吉 フリーメイソン論』は歴史捜査手法による完璧な論証である
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Sunday, November 1, 2020, 04:49 PM
秋の満月を愛でに、キャンプに行きませんかというお誘いを請けて、先々週に登った茨城県筑波山の麓に訪れました。どんだけ筑波山が好きやねん・・・
雲ひとつ無い青空の下、ぶどう園とワイナリーがある施設がキャンプ会場です。
昼過ぎに着きましたが、いや〜、気持ちいい。
すでに多くの人が芝生の上でそれぞれが、焚火台に薪をくべて過ごしています。
コロナ禍のためかそれぞれが距離を持って、離ればなれにテントを張っています。
このイベントは流行の一人キャンプがテーマなので、若い人たちが多かった。
普通、キャンプイベントだと家族連れがたくさん来て、大型テントの横でバーベキューが定番なのですが、自転車でのキャンプなので小さなテントばかりです。
ただ、こっちは本格的な装備を用意せず、ちょっと厚着して毛布に包まれば寝られるでしょと思ったら、なんと夜の気温は3度。前日は霜が降りたそうです。
薄っぺらいテントはあきらめて、エンジンを掛けた車で暖房全開にして寝ました。昼間は半袖でもよかったのに甘く見てました。
側にある遺跡です。茨城県は不人気県だと言われますが、ちゃんとこのような遺跡はしっかり保存展示していますし、なんたって農業が盛んなのでおいしいものばっかりです。
地元の人たちは優しいし、親切です。
日本酒も地酒があり、新酒の季節は酒蔵巡りも良いですよ。
みんなで見上げた満月はみごとだったなあ。
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Monday, October 26, 2020, 01:54 PM
昨日日曜の読売の一面の主張欄です。
葛西敬之氏(JR東海名誉会長)による脱炭素社会には原発が必要不可欠であるという主張。
この短い文面ですっきりと読みやすく、読み手に理解しやすく書くのは、よほど書き慣れていなくては無理でしょう。それでも文字数が決まっており、推敲(すいこう)を重ねたであろうことは嫌と言うほどわかります。
すっと読めてサッと判るのが良い文章
この文章を読んで反論すると、結局は感情論や軍事転用できるとかそれでも100%の安全はないといった非合理的な意見になるでしょう。
どっかで覚えた「原子力発電はトイレのないマンションみたいなもんだ」と自慢げに語る人もいます。
それも、原子力の廃棄物は人類が即死滅するほどの危険物質だと思いこんでいるからタチが悪い。
原子炉で発生するプルトニウムの半減期は2万4千年、放射性がゼロになるのはさらに倍。
だからそんな期間は人類が管理できないという。
または核兵器にもなるプルトニウムを大量に残すことの危険性をしてきする人もいるかもしれません。
こんな一見まともそうなことを主張する人をみかけるにつけ
魔法の力のごとき放射能のおとぎ話を信じ切っているの?
と思っちゃいます。
放射能(放射性核崩壊)とは重たい原子がポトポトと原子核から中性子と陽子をこぼれ落として、次第に安定した元素へと変化する自然現象。
一番安定している鉄(Fe)や鉛(Pb)に最後はなってしまう。
学校で習い覚えさせられた平面の元素表は、現実は立体です。検索すればいくらでも出てきます。
同じ元素であっても質量(中性子の数)が違う元素はいくつもある。これがアイソトープ(同位体)とよばれる物質で、たいていは放射能です。
不安定なので次々と質量を変えてやがては別の元素に推移してゆく。
プルトニウムだってウランが核崩壊した次に発生する元素ですから、とうぜん地球上にも微量に存在する。
半減期が長い元素ほど燃えにくく人畜無害
プルトニウムを集めれば爆発するかのように思われていますが、それはあくまでも純度を高めて高温高圧下にしなくてはならない。
原子力燃料にするためのウラン精製は金を精製するよりも遙かに高いコストが必要です。
不純物だらけ原子炉燃料の燃えかすから元素を抽出するなど、どれだけ時間とコストが掛るかはわからない。
実際は2万年以上の半減期をもつプルトニウムではなく、もっと半減期が極端に短い人工的な元素の取扱が難しいのです。
半減期が短い元素ほど発生するエネルギーが高い
大きな鉄工場や化学プラントでは、コバルト60やイリジウムという元素で配管や製品に欠陥(亀裂など)がないかを検査しています。普通の風景。
コバルト60は1970年頃まではガン治療で使われていました。今は使われていない。
なぜなら半減期が短い(5年ほど)ので頻繁に交換しなければならなかったから。
イリジウムもたしか数ヶ月(74日)だから、頻繁に買い換える必要がある。
ほっとけばすぐに放射能はなくなっちゃう。
しかも取扱を厳重にしなければならないとデメリットだらけ。
でもなぜ使われるのかというと、ぶ厚い鉄を透過してフィルムを感光させる力があるから。
ではウランやプルトニウムは使えないのかというと、エネルギーが少なすぎて、感光させるほどの力がない。
半減期が長すぎるから、時間当たりのエネルギーが少ないからです。
原子炉内で発生する本当に危険な強い放射性元素ってのは数秒、数日で消え去ってしまうのです。
原子炉の核廃棄物といっても数年数十年保管しておけば、ほとんどは半減期の長い元素になっているので危険性は級数的になくなっているのですよ。
ただ、なぜかこういうまともな意見は科学者から出てきません。こんなことを言ったら日本学術会議から睨まれるからでしょうかね。
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Monday, October 26, 2020, 10:43 AM
昨日は千葉県富津市で行われていた、旧い自転車でのサイクリング大会「Ferro Mari e Monti]に参加してきました。フェッロマリエモンティはイタリア語で「鉄、海、山」という意味。
クラッシックカーの自転車版みたいなもの。
どれだけ古いかというと、戦前、日本の時代ですと大正後半ぐらいの自転車です。
昭和でも1970年あたりからは十分新しい。参加は最新自転車でもないのですが、30〜40年前(1970〜80)の頃が参加者の中心かな。
そういう自転車を持っている愛好家があちこちから集まって、50〜100km程度のコースを走りましょうというイベントです。
たぶん1920年頃のフランス製のスポーツ自転車です。もちろんギアはなく、車輪の両側に大きさの違うギアが付いていて、上りになったら車輪をひっくり返して付け直します。峠に達すると、また車輪をひっくり返して下り用のギアに変える。
真ん中の自転車の車輪のリムは木製です。
今のようにアスファルト舗装されていません。また都市部では石畳の時代。
試乗させてもらいました。重たいのですが乗り心地は最高です。
ですが、ブレーキが付いていてもとても華奢(きゃしゃ)で全然効かない。
この時代よりも古い自転車は、ブレーキというよりもタイヤに鉄片を押しつけるだけというものもあり、下りは降りて歩いたようです。
よく古い映画で、両足をペダルから離して下っているシーンがありますが、当時の自転車は後輪が空回りしないので、常にクランクが回ってしまうから下り坂だと高速で回ってしまう。だからペダルを後に漕いで踏ん張るか、足を離すしかない。
そんなんでは急ブレーキなんぞできないので、せいぜい駆け足程度で走るしかない。
いまのように時速50kmぐらい出せる自転車ではないので、スタートしてもゆったりしたもんです。
千葉県富津市の自転車野郎の集まり処、Cafe GROVEにて
ここに有名なイタリア人レーサー、キアプッチのサインがはいったレースウェアが飾られています。ちょうど私もレプリカモデルなので記念に一枚。
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Friday, October 23, 2020, 02:37 PM
ジャブジャブマネーが政府系ファンド(ソブリン・ウェルス・ファンド:SWF)という名前で株式市場やREIT(Real Estate Investment Trast)に流れ込んで、それのコロナ禍に関する影響という記事。
高収益を誇っていたSWFも黄金期が終わったという主旨なのですが、自分の感想は全くの逆。
ノルウェーや中国は1兆ドル(100兆円)、シンガポールや香港、サウジアラビア、ドバイと上位十位だけでもSWFとして6兆ドル(600兆円)が株式市場で運用されています。
6兆ドルがどれだけすごいかというと、2019年日本のGDP(4.8兆ドル)よりも大きい額。
中国のGDPの半分程度。
国自体が鉄火場(株式市場)に金を注ぎ込むという行為をしており、いまや売買の主体となりつつある。
バブル経済のころ(1980年末〜90年代初頭)は、公共系のファンドといえばカリフォルニア州の年金基金(通称カルパース)が物言う株主として知られていました。
でも1994年にカリフォルニア州オレンジ郡の年金基金(通称オレンジ基金)が破綻したことで、加入者の年金など減らしてはならない基金をハイリスクな分野へ投資するのは下火になったと思ってました。
世界的低金利時代となって、日本でも年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)も運用先に国内/国外株式も加えて日米株式市場の下支えに邁進しました。
こうした世界の動きで2008年のリーマンショック以降はSWFの運用額は2.5倍にも膨れあがった。
運用額は減ることはなく、今後3倍、5倍となってゆくでしょう。
SWFは国を背負った負けられないファンドですから、いくらでも金は注ぎ込まれます。だから民間資本も安心して注ぎ込むことができた。
株式市場は持続可能か?
今はやりの言葉の持続可能性(SDGs)では、そもそも右上がりに続く株式市場は持続可能かという命題があります。
日本の主要上場企業の筆頭株主はすでに日本銀行となってしまいました。
本来、株式市場とは企業経営者への自浄作用を促し、企業価値の適正化が求められていたはずです。
ところがSWFが筆頭株主となれば、政府の意向に従わなければならない。場合によっては臭いものに蓋をすることだって双方了解でやることになるでしょう。
政府の関与がいちばんわかりやすいのは、エアライン各社でしょう。
これ以外の運輸物流系(鉄道や通販業など)も政府が大きく加わっている。
国が関わることの是非はわかりませんが、言えることは
国が守ってくれる業界と全くされない業種があること
いまでも銀行は財務省の庇護です。厳しい厳しいと地銀だけではなく都銀も言っていますが、何を言っているのだか。
通信や放送も総務省によって守られている業界。
さらにデジタルだAIだと看板を掲げれば、たいした能力のない企業でも株値は買い支えてくれる。
日本の企業はSWFやGPIFにより買い進められて、どんどん「親方日の丸」「親方はどっかの国」になっていく。
同じ労働者であっても、所属で一生が決まる、まったく不公平な世の中だ。
さらに東京はREITの草刈り場ともなっているという記事の内容。土地にもSWFが雪崩れ込んできています。
不景気で国民は貧乏になってもSWFは膨張し続け、株価とREITは高値止まりであり続ける不思議な状況は続きます。
それでも金融市場が再び崩れたら、どのような連鎖崩壊をするかはもう誰もわからないのではないでしょうか。
わたしは政府や国の金が流れ込む株式市場や不動産市場は不健全極まりないと考えます。
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Wednesday, October 21, 2020, 05:45 PM
グーグルが独占禁止法で米国司法省から提訴されたという記事が一面に載りました。
スマートフォン検索では95%(記事では88.1%)を占めており、かつ他社のサービスを不当に排除した疑いです。
かつてのIT王者MSも形無しです。(記事では6.7%)
言うまでもなくスマホ検索ではグーグルのみの一強状態です。PCでも似たような状況でしょう。
検索履歴を分析することで有効な広告を打つことができ、売り手側にとってグーグルは避けて通れない状況です。
良いも悪いもグーグルに金を払わねば永久に抹消される
グーグルマップ上で誹謗中傷を書き込まれたので、グーグルに伝えたところ「それじゃあ広告費を払ってください」との返事が来ただけというお店を知っています。
食べログやホットペッパーといったグルメサイトもコメントや評価に不満があれば金払えです。
つまり、商売するなら金を払えという恫喝がグーグルの基本姿勢
Appleも結局はGoogleの配下であったという衝撃
俺はずっとApple製品を使っているからグーグルとは無縁だと言う人がいるかもしれません。
でもブラウザーのSafari(Apple)であっても、検索語はそのままグーグルに飛ばしているだけ。
その対価としてグーグルはアップルに1兆円を支払っていることが米国司法省の訴状で明らかになりました。
全世界のアップルユーザーがグーグルの広告をクリックしたことに対するグーグルからアップルへの報酬です。
AppleとGoogleはライバル関係ではない(むしろ協業)
スマホのシェアではグーグル製のPixelは世界で数%、アップルは健闘して25%で、あとは中華のアンドロイド機がほとんど。
独自OSのアップル 対 圧倒的多数のアンドロイドという構図のように見えますが・・・
入口が二つあっても中は同じという、混浴温泉みたいなもんだったのです。
アイフォーンだから個人情報はグーグルに吸い取られていないと安心していたら大間違い。
アイフォーンユーザーはグーグルに検索履歴がダダモレだったというオチ。
タチが悪いことにアップルは個人情報は徹底して秘匿できますと宣伝していますが、その魂(検索エンジン)はグーグルへ丸投げしていることがばれてしまった。
それでアップルは巨額な利益を出しているし、グーグルもアイフォーンユーザーに効果的な広告をして利益を出している。
グーグルはCIAが絡んでいるという見方は妥当だと思います。
だからすばやくグーグルの検索エンジンを排除した中国共産党の先見性は感心します。
良くも悪くも検索システムが悪用されないように常に監視されるべきなのかもしれません。
アメリカは中国に倣いそのように、これまでの放任主義から舵を切ったと見るべきなのです。
FaceBookの仮想通貨(Libra)が潰されたように、これからも国家対Googleが水面下で繰り広げられてゆくことは間違いないでしょう。
以下、メルマガ「【10秒で読む日経】2020/10/21」の転載です
2020/10/21 No.4283
■━━━━━━━━━━━━━━━━━━■
10秒で読む日経!
■━━━━━━━━━━━━━━━━━━■
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今日のNews
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
●米司法省は20日、反トラスト法(独占禁止法)違反で米グーグルを提訴した。
ネット検索市場での圧倒的な支配力を利用し、自社サービスを優遇する契約を
スマートフォンメーカーなどと結ぶなど競争を阻害した疑いがあるとした。
具体的には、グーグルがスマホやパソコンで自社の検索サービスを広げるため
(1)競合の検索サービスの初期搭載を禁じる独占契約をスマホメーカーなどと結んだ
(2)携帯端末に自社サービスの初期搭載を求め消去できないようにした
(3)ネット閲覧ソフト(ブラウザー)の検索サービスで自社を標準にする
長期契約をアップルと結んだ──疑いを指摘した。
日本経済新聞 10月21日
__________
佐々木の視点・考え方
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
★ニュースを読んで、アップルはぼろい儲けを得ているんだと感じました。
要は、iPhoneの検索エンジンはサファリですが、サファリの実態は、入力検索語を
グーグルに飛ばし、グーグルが回答している仕組みになっています。
このため、アップルとグーグルは、検索をグーグル既定にする契約を交わしています。
この契約によってアップルは年間1兆円の利益を得ているのです。(訴状による)
サファリ検索で出てくる広告は全てグーグルの広告であり、その広告料としてです。
グーグルは年間利益の3割もの大金をアップルに献上しているわけですが、
理由は、iPhoneからの検索がグーグル検索トラフィックの約半分を占めているからです。
この契約が無く、アップルがマイクロソフトのBing等他の検索エンジンを既定に
変更してしまえば、現在95%を占めるモバイル検索シェアが一気に半減し、
これまでの独占収益を失ってしまいます。
グーグルは、自社のアンドロイドOSを使う端末にグーグル検索を既定として
使うように強制したとして。欧州委員会から5千億円の罰金を支払っています。
グーグルの収益の殆どは広告収入です。
広告は、より多くの人が見る媒体に出すのが効果的なやりかたです。
その点、グーグルは95%ものシェア(視聴率)を持っているのですから
広告を出したい人は、グーグルに出稿する以外に選択肢はないのです。
逆に言えば、グーグルが1兆円のリベートをアップルに支払っているために、
他の検索エンジンが開発されても、普及させることがほぼ不可能だったのです。
これは、他の検索エンジンの競争問題だけでなく、既存のTV、新聞、ラジオ、
雑誌、チラシ広告を衰退させる大きな要因にもなってきました。
日経新聞は他より広告収入に多くを頼っていますが、この記事を読むと、
何かひとごとのような認識を持っている印象でした。大丈夫でしょうか。
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Monday, October 19, 2020, 07:13 PM
今朝の新聞文化面に哀悼文が掲載されていました。
源了圓(りょうえん)氏、享年100歳
歌舞伎役者みたいなお名前、なんか引っ掛かるなあ
「フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした」
んで私の章「西周が従兄弟叔父である森鴎外」を書く際にずいぶん著書を読みましたっけ。
たぶん維新後に暗殺された横井小楠(1809-1869))に関する書籍ではまず読むのが源了圓の本
この本で横井小楠が幕末に現れた最初の哲学者(フィロソファー:philosopher)だと確信したのです。
末尾の参考文献に『横井小楠のすべて』源了円・三上一夫・花立三郎・水野公寿 新人物往来社 1998
とあります。本棚のどっかにあるw
この本は過去の著作物のダイジェストなので、存命されていないものだと思ってました。
なぜ切り抜きのメモしておこうかと思ったのかというと
著者近影って文芸書の流行作家以外ではなかなかないからです。
師匠である副島隆彦先生は帯に、新聞広告にばんばん顔だしてますから、読者は聞き手のように読書することができる。
研究本を出したら、最低でも巻末には顔写真を載せるべきだと自分は思ってます。
顔も出さず、本名も名乗らないのでは読者にフラストレーションを与えます。
信用は顔だよ
過去ログ:『明治を創った幕府の天才たち』をぜひ読んでください
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Monday, October 19, 2020, 05:41 PM
せっかくの天気の良い日曜日なので、筑波山に行ってきました。都心からは東の筑波山、西の高尾山は、息抜きにハイキングするには適当なところ。
筑波スカイラインの朝日峠の展望台から関東平野が一望できます。
足元には霞ヶ浦、ちょっと目線を上げればスカイツリー、横浜や新宿あたりも確認できます。丹沢山系から頭だけ富士山も見えました。
ちょうどお弁当を拡げているハイキング客がたくさんいました。気持ちよい場所だもんね。
足元には国土地理院の三等水準点がありました。明治33年(1900年)設置とあります。
測量はGPSでできますが、その基準点としてはなくてはならないのだとか。
水準点は探せばどこにでもあるありふれた存在ですが、ここのは石碑もあり、三等のくせにしっかりしてます。
5万分の一の地図を確認すると、ちゃんと標高301.8と明記されてました。
筑波のガマがお迎えしてくれる登山口です。
ロープウェーがあるので、楽ちんで登れますが歩いても面白いですよ。
道路はここまでなのであとは一気に下って、自転車専用道でつくば駅まで帰ります。
そう、茨城県は筑波山以外はほとんど平地なのでサイクリングには最適なのです。
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Thursday, October 15, 2020, 04:26 PM
すでに旧聞になってしまいました。アメリカのロックバンド、ヴァンヘイレンのギタリストが亡くなったというニュース。
そのギタリストとドラム担当のヴァンヘイレン兄弟のバンドが「VANHALEN」
よく知らなくてもJumpとI can't Stop Lavin'youはCMやTVテーマソングとして流れていたので知らない人は居ないでしょう。
この有名バンドはヒットを連発したけど、90年代からは活動中止したり、分裂したりと日本ではなんだか行方が分からなくなっていた。
このニュースが流れたときに、赤いギターを持っている人がヴァンヘイレンさんだと初めて知りました。
ずっと金髪を振り乱して歌うヴォーカルがヴァンヘイレンだと思ってました。
洋楽にそれほど詳しくない人は、たぶん同じだと思う。
2000年代になると、このバンド自体がレジェンドというか伝説的な存在で、ヴァンヘイレン兄弟は日本で言うところの北島三郎か細川たかしの扱いなんだそうでした。(洋楽好きの評による)
我々中年にはビッグネームであっても、最大購買層のティーンネージャーにとってはオヤジ世代ってやつですね。
昨今の音楽マーケットでは「懐メロ」に属するバンドだったのだとか。
それでも昨年の紅白歌合戦だったかではKISS(70歳の爺集団)が出てたし、流行も一回りして再び若い世代にも(親の影響で)80年代のバンドが注目されているようです。
亡くなってはじめて知りましたが、ライトハンド奏法の創始者なんですね。ギター小僧は誰もが真似をした。
だから1990年前後の学園祭ではあちこちでジャンプが演奏されていたんですね。
亡くなってはじめて、広く実績を知られるものなんですな。すご腕のギタリストだったんだ・・・
一方で
昨年末にやっと死んだ中曽根康弘に今さら弔意!?
自民党が中曽根康弘(享年101)の内閣合同葬で国立大学に弔意表明を文科省が強制しているというニュースがあります。
わたしが中曽根康弘を一言で評するならば、イギリスのサッチャー女史と同じです。
つまり中曽根は巨大世界金融資本、つまりロックフェラー財閥の走狗でしかない。
売国奴の最初の走りが中曽根康弘です。なんでそんなのにいまさら弔意とは馬鹿を言うなよ。
海軍主計局出身のエリートなのですが、元々からアメリカのエージェントだったのではないかと自分は疑っています。
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Tuesday, October 13, 2020, 04:35 PM
読売の書評で毎日新聞が出版した「歪んだ正義」大治朋子著に目が止まりました。
海外特派員であり、イスラエルで過激派組織の研究をされた方なのだとか。
現代の過激派はローンウルフ(一匹狼)型であり、組織に所属をしないで行動することが特徴。
その見返りはインターネット上のコミュニティでの称賛です。
不正義を正すヒーローとしての自己形成によって自尊心を取り戻した果てに、「聖戦」という「歪んだ正義」へと打って出る。誰にでもありうる。
その原動力は根深い被害者意識であり、そこから過激化へのプロセスに組み込まれてしまう。
極端な意見を持たない「普通の人」であっても、小さな発火点(差別や虐めなど)で外の集団に対して攻撃的になってしまう。
宗教はますます原理主義へと向かっている
自分たちは非主流だと認識するにつれて、一部の人たちは信仰にいっそう頑なになります。
ムハンマドを風刺したシャルリー・エブドは再び風刺画を掲載してイスラム教徒を挑発するようなことは、日本的な思考では考えにくい。
マクロンがさらに油を注ぐ状況だし、ドイツも移民排斥を掲げる右派勢力が伸びている。
どちらも被害者であるという意識なのだから、まず解決はできない。むしろ状況次第で過激化するでしょう。
過去ログ:非主流の原理主義者たちの反乱 「シャルリとは誰か?」エマニュエル・ドット
なぜフランスまで右傾化するのか?(日和見するフランス)
コロナ禍で正義を振りかざすことは過激派と同じプロセス
自分が外出せず、マスクと消毒薬で常に予防していることには何も問題はないのですが、それを他人に強要する人たちは身近にも結構いる。
いちいち関係のない他人の旅行や外食に対して文句を言う人です。
見る物触る物すべてがばい菌で汚染されていると信じ込んでいるようです。
電車が怖いとクルマで移動しても、帰れば車内の消毒から靴底にいたるまで消毒薬を振りまいてました。
そんな人だから、人が訪れても玄関先で追い返すのだとか。
マスクをしないで入店した客を追い返した餃子屋が休業したというニュースがありましたが、そりゃそうなるわ。
本気でコロナを怖れる人は場末の狭い餃子屋なんて行くわけがない。
(追記:餃子屋の店主を非難したホリエモンに同調しているように思われるかもしれませんが、ホリエモンもネットでわざわざそのような些細なことを流しているわけで、無自覚な煽動をしている。自分本位の正義感をもつ迷惑な人物だなと感じています)
場違いな正義感を出されたところで、こりゃ関わりたくないと思われるだけでしょう。(追記:考えが違うのだから、とことん無視して関わりを断つしか自衛手段はないでしょうね)
こうして無視され、やさぐれた同種の人のコミュニティがネットや実社会で次々にうまれてゆく。
過激派が生まれる素地はそこらじゅうにある
社会は不正義だらけだ、この世(政治)が悪いと声高に叫ぶほど、ネットの歪んだ正義に取り込まれて「聖戦」に向かうよう仕向けられていく。
またネグレクト(虐待)やセルフネグレクト(自己放任)を再生産してゆく。
子供を虐待死させる事件が最初に報道されたのはいつ頃だったのか。
戦後ではないのに餓死者に驚きを持って報道されたのはいつだったか。
自分の運転こそ正しい行為だと信じて、まるで成敗するヒーロー気取りのあおり運転常習者・・・
どうすればよいのでしょうか。
まず自分の正義を常に疑う訓練をすべきなのです
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Monday, October 12, 2020, 02:49 PM
梱包材が足らなくなったので慌てて馴染みの新橋の店まで行ってきました。
銀座から神田までの道(はな街道と名付けられているそうです)には歩道にパンジーやマーガレット、サルビア、ポピーと季節で色々植わっています。
帰りに何げなく足元をみてみると、蜜蜂が一生懸命花壇で蜜を集めています。
をを、これが銀座の蜜蜂か!
デパートの屋上で養蜂されていることは知っていましたが、はじめて銀座で飛んでいることに感動しました。
あわてて携帯で撮りましたが、ぜんぜんピンぼけ。なんたって蠅と同じくらいですばしっこい。
友人で養蜂を試みた人がいますが、すごく難しいそうです。
固有種である日本蜜蜂は一匹が生涯採る蜜はティースプーンひと掬いぐらいしかないそうで、大変貴重です。
さらに巣箱にはなかなか定住してくれず、せっかく巣を作ってくれてもあっという間に居なくなっちゃうのだとか。
一方、外来種の西洋蜜蜂はその何倍も採るのでとても効率がよい。
ところが天敵のスズメバチに襲われると、あっというまに全滅してしまうのだとか。
結局どちらも飼育することはとても難しく、挫折してしまった。
養蜂家というとトラックに巣箱を積んで花のある地域を巡る世離れした生活かと思ってましたが、現実はたいへんな仕事の割に、輸入蜂蜜に押されて収入は厳しいのだとか。
蠅ぐらいの小さな蜜蜂は日本蜜蜂なのか西洋蜜蜂なのかは判断できませんが、とにかくその小さな身体にがんばれぇと声援を送りたくなりました。
さて、銀座のみならず東京は緑の多い街です。公園やビル・マンションにも植樹されているところが多く、都市生活には不可欠の潤いを感じます。
都市計画においては大阪や名古屋と比べると、それなりに首都としての矜持を感じさせます。
政令都市大阪市の廃止には大賛成です
大阪市や名古屋市などを歩くと、ほんと一休みしたくても適当な休憩場所がありません。公園の日影でもあればと願ってもビルやマンションばかり。
大阪のJR環状線の周囲にいたっては、密集したスラム街ですから本来よそ者が歩く場所ではない。
川崎の工業地帯を歩くのと何にもかわらない。
つくづく大阪市やその周辺地区もふくめて付加価値のない場所だと感じます。
大阪は大都市であっても景観は月とすっぽん
都市計画がないから、無秩序にビルや住居が細切れに並んでいるのです。
東京は低所得地区は土地を集約して公園や公共施設も必ず併設させている。スカイツリーの足元(曳船地区)は低層木造密集住宅でよく知られています。戦争で焼けなかった地域なので道は狭いし家も古い。
ところがここも今では住民が亡くなっていって大規模再開発地域となり、劇的に明るい地域になりつつあります。
足立区に千住(せんじゅ)という地域がその北部にあるのですが、「巨人の星」の地域ですね。
ところがここも東京芸大と電機大学が来てからは、あっというまに人気の街になりました。JRと地下鉄と私鉄が交差するのでとても便利なのです。
足立区は偉いなと思うのは、低所得や高齢者が群れを成していた団地群をどんどん解体していることです。
鬱蒼として不気味な佇まいの古い団地を無くして、広い更地として再開発を進めている。
若い世代が住まない地域は淀んで腐ってゆくばかり
大阪市廃止に反対する理由は、大阪市の予算に巣くう勢力だからこれほどわかりやすい理由はない。
反対勢力は有権者に社会福祉サービスが減額されると言って、反対票を入れるよう連呼しています。
大阪市営バス・地下鉄は高齢者は無料のパスを出していますが、それがなくなるぞとか、生活保護費が減額されるぞといった脅し文句です。
大阪環状線から眼下に見える不潔な街並には溜息がでます
30年前ならば帰省の度に「ああ大阪っぽいなあ」と思っていたのですが、今眺めると無秩序で清潔感ゼロ、なるべく息をしないで通り過ぎたい気持ちになる。
いうなればゴミ屋敷に誤って足を踏み入れてしまったような感覚かなw
仙台とか福岡の方がずっときれいで清潔感あふれてます。
なぜ30年という時間があったにも関わらず、ますます煤けて汚れただけの大阪市になっちゃったのかというと・・・
貧乏人がそのまま厄介者の年寄だけになっただけだから
ちゃんとした収入がある奴らなら30年の間に結婚や子育てでさっさと市外のまともな住宅地に転居してしまったから。
大阪都構想に反対するのはその方の勝手でしょうが、都構想が潰れたら大阪市のスラム化は決定的になるでしょうね。
大阪市民だけは淀川に流された下水処理水を飲み続けるだけのこと。
生駒や葛城山系のおいしい水は大阪市以外の人たちが当たり前のように飲んでいるのに可哀想です。でも仕方がないね、共産党(福祉利権)と自民党(土建屋利権)に騙され続けてくださいな。
まずは、せめて大阪の中心部だけでも街路に花があふれる街並になってほしいものです。
過去ログ:
六本木再開発を主導した人は今どうしてる?
神仙思想によって『壷』を摸したから前方後円となった
住みやすい街というものをもっと真剣に考えなければならない
大阪府の大学実質無料化は諸手を挙げて賛成する
デベロッパーは天使か悪魔か・・・
政令指定都市などという制度はいらない
南河内の恵みを銀座で愉しむ
大阪の堺をドライブしてみた(南宗寺・ザビエル公園・旧堺港)
TaxEaterとTaxPayerという人種が日本にはいるのです
政令指定都市制度はそもそも市民の利益となったのか?
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Saturday, October 10, 2020, 02:47 PM
2020年ノーベル物理学賞はロジャー・ペンローズ(Roger Penrose 英1931-)が受賞しました。
物理学や数学でペンローズという名前はよく出ているのですが、まだ生きてらっしゃる人とは思いも寄らなかった。
2012年にベストセラーとなった「重力とは何か」(幻冬舎新書 大栗博司著)でペンローズとスティーブン・ホーキンス(1942-2018)の功績が説明されていました。
アインシュタイン理論だけではブラックホールの存在は証明できなかった
アインシュタイン理論は光速を基準とすると、空間や質量や時間も伸びたり縮んだりしてしまう。
その論理式でブラックホールの質量も計算できるのですが、光さえも脱出できない星の存在は誰も(アインシュタインさえも)懐疑的でした。
光速がニュートン物理を破綻させたのと同じように、無限大の重力が相対性理論を破綻させてしまいます。
ハップルが観測によって確立した膨張説で説明すると、宇宙の始まりは一つの点で始まってしまう。
果たしてそのようなことが現実にあるのかということをアインシュタインは疑問であったのです。
しかし英国の天才数学者ロジャー・ペンローズがハップルとアインシュタインの理論をトロポジーという幾何学概念で説明すると、宇宙の始まり、つまりブラックホールは<必ず存在する>ことを証明したのです。
その証明はホーキンスも加わり、宇宙の始まりは一点の大爆発で始まったと数学で解説したのです。ここで宇宙の始まりは特異点というそれまでの重力理論では説明できない場(=ブラックホール)であるという説(1965年発表)です。
と、さも知っているゼというような書き方をしてますが、3年前に読んだのにあらためてページを繰りながら書いています。
過去ログ:ゴールデンウィーク中の自主課題図書です
この本は次から次に有名天文学者、有名物理学者が出てくるし、ほとんどがノーベル賞受賞者ですから、ペンローズとスティーブン・ホーキンスもてっきり受賞者だと思っていました。
今年ベンローズが55年前の研究論文でノーベル物理学賞を受賞したことは遅すぎるぐらいですね。2年早ければホーキンスも一緒に受賞していたでしょう。
現代天文学の大御所とも言えるペンローズの受賞には誰もが納得ですね。
(追記)
この本を読んだ感想を書いておかねばなりません。
最終章(第7章)ではブラックホールの中はどうなっているのかという解説となっています。ホーキンスの負のエネルギーという概念、さらにトロポジーの弦理論を組合わせるとブラックホール自体が10の78乗の情報量を持つ空間であるという説が導き出されてきます。
これがブラックホール=ホログラフィー理論というもので15年前に出版された「投影された宇宙」で読みました。この本は高かったけど面白かった。
「重力とは何か」の著者である大栗博司(1962-)氏はカリフォルニア工科大学の教授であり、理論物理学研究所所長です。
宇宙にはブラックホールはすでにいくつもあることが観測されています。そのブラックホール一つ一つには<記憶がある>という考えは、まさに創造主(Load/God)こそがブラックホールであるという考えに基づいた考えだと思っていたのですが、日本人である大栗教授もブラックホールの中は地球上の生命どころか太陽系すべての記憶が詰っていると考えていることに驚きました。
人間界の上にはアカシックレコードというひとり一人の運命、歴史、未来が記録されており、我々が現在と捉えている今の時点さえも、すべて記録通りになぞっているというスピリチュアルな説があります。
天才科学者が真面目にビッグバンで宇宙が始まり、そしてブラックホールの記録どおりに進んでいるということ。わたしが今メシを喰って屁をこくことも、宇宙の始まりから予定されていたことなのです。
私たちもビッグバンで弾けて生まれた派生物の一つなんですよ
過去ログ
検索キーワード:アインシュタイン:
曖昧な及第点「可」でも学んでいた方がいいと思うのだがね
肉体が消えてもその気概(思考)は子孫に伝わるという新説
私はホーキングを空想家としての評価しかしない
生まれ変わりって実際にあるのだろうか?
反物質は地球上でもすでに存在していた
演繹法、帰納法、形而上学は頭を使うための基礎素養である
量子でコンピュータ性能が一億倍となったらそれは宇宙(Universe)という
物理は理系ではなく文系(神学)学問である
モーガン・フリーマン「時空を越えて」とのシンクロニシティを体験した
科学者は神の存在を信じているのか?
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Friday, October 9, 2020, 01:32 PM
東京では圧倒的に交通系プリペイド式カード(Suica/Pasmo)が便利です。自販機どころかガチャガチャ(カプセルトイ)までも今やSuicaです。
紛失しても入金額以上の損失にはなりませんし、記名式であれば使用を止めることも可能です。
スマホアプリで自動的に補填もできますが、残高が足らなくなったら駅やそこらのコンビニでチャージできます。
だからなおさら管理しやすい。
都市部では交通系プリペイド式カードがダントツで使いやすいので、キャッシュレスではこれに勝るモノはないと思っています。
と思ったらクレジットカードもタッチ決済だった
保有するカードのダイレクトメールで知ったのですが、クレジットカードもピピッと使えるのですね。
電波マークがついているVISAかMasterのカードでしたら、ピピッと使えるのだとか。
このタッチ決済でもポイントがつくので、日常の買物でも使えるところは使えば知らず知らずにポイントがたまってゆく。
スーパーや量販店系のプリペイドカードはメリット無し
日頃から使うスーパーや量販店のプリペイドカードを持ったことがありますが、利便性では全然敵いません。
さらにポイントが二倍とかなっても、付加ポイントには使用期限があったり、その店舗か系列でしか使えないので制約が強い。
残高が数十円ぐらいになったら、使うのを躊躇してしまいます。
財布がカードだらけになるのも困る。レジの前でごそごそやって探すのもストレスです。
こうやって数十円程度を残した使い切っていないプリペイドカードは忘れ去られてゆく。これが狙いなのかと勘ぐってしまいます。
通信会社のキャッシュレス決済はザルでヤバイ
ドコモのD-cardで不正送金事件が知れ渡りました。連携する金融機関の本人認証の甘さを突いて、知らぬうちに他人に引き落とされてしてしまう。
ソフトバンクもダボハゼに利用者獲得のためのポイント付加が悪用されてます。本人確認を厳格にしていないのだから犯罪者一人に4万件もの契約ができてしまうのです。
ダミー認証で検索するとわんさかそういうサービスが出てきます。
携帯電話をあたかも保有しているように見せかけることを請負う人たち。
こういうサービスが林立している(そして犯罪にも悪用されることがある)ことは、裏を返せば不正利用の対策が全くできていないわけです。
クレジットカード会社では不正の可能性があればすぐに連絡があります。外国で使われたとか、妖しい店舗で使われたとか等々
自分も海外の旅行先で使ったら、後日確認の電話がありました。
信用情報を金融機関以外が保有することへの危惧
金融機関はブラックリストを共有しています。サラ金業者も銀行配下になったのでサラ金の利用履歴も都銀には筒抜けです。
VISAやMaster、American Expressといったクレジットカードの信用情報がほしいため銀行のカードにもクレジット機能が付加されています。
この個人の信用情報という宝の山の牙城に通信会社が果敢に取り崩しにかかったというのが実態でしょう。
ただわかるとおり、通信会社は通話料(と利用手数料)という売り上げさえ上がれば良いのですから、金を払う顧客がどのようであれ(たとえダミーだろうが)気に留めないのです。
知らぬ間に犯罪組織に名義を使われていてブラックリストに載っても通信系キャッシュレスサービスの利用者はわからないという危険がある。
こういった理由で、自分はドコモ・au・ソフトバンクのキャッシュレスサービスは使うつもりがありません。
だいたい携帯電話の契約者の管理でさえちゃんとできているかわかりません。(総務省が身元確認の厳格化を指示したとしても)
ということで結論は、キャッシュレス決済の勝ち組は交通系プリペイドカードであり、既存のクレジットカード会社なのだと予想します。
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Wednesday, October 7, 2020, 12:19 PM
毎週のように新聞広告に椿井文書(馬部隆弘著 中公新書)が載っています。
ほとんどの全国紙で紹介されていたので、書評は読んだことがあります。
毎週広告が出ているということは、売れているんでしょう。
椿井文書(つばいもんじょ)は江戸時代後期に京都木更津の椿井政隆なる人物が偽装した古文書を指します。
事の発端は村の境界線や水利権の争いを、村の長や寺社が正統性を歴史解釈で解決するために椿井なる人物に依頼したものだということ。
この椿井は博識で上手いこと歴史偉人を結びつけて、室町の古文書を偽作することでした。
依頼者に都合良いことを書き並べることで利益を得ていた。
今でゆう紛争解決のコンサルタント、やり手弁護士みたいなものか。
具合が悪いのは、その偽作の史料がそのまま現存しているということ。
そしてそれは未だに郷土資料の一級品として郷土史に使われること。
田舎の町おこしで、伝承のひとつとしてなら許せるのですが、文部科学省で国史として事実化していること。
歴史教科書にまで影響を及ぼしている。
嘘がいつのまにか事実として定着する悪例が椿井文書
いまさら町おこしや観光情報として流布してきた手前、自治体は放置しているからタチが悪い。
日本史では司馬遼太郎の坂本龍馬像が一番であることはいうまでもない。でもこの人物は司馬遼太郎が創ったファンタジーだと薄々知れ渡っているので、大きな実害はない。
外交では朝日新聞の本多勝一のほうがずっと悪いよね。
坪井文書は偽書だと声高に訴える研究者は無視されてきた
坪井文書、本多勝一などはぜったいに話題の日本学術会議は取り上げません。
歴史修正主義だと身内の左翼学者から責められるのが怖いから。
所属学会の推薦だと胸を張って国会前で一緒にシュプレヒコールしているのも、九条を守る会や辺野古基地反対の元左翼活動家だった老人ばっかり。
日本学術会議は内閣の諮問機関という位置づけで戦後すぐ米国の指示で発足したものですが、反対反対を叫ぶ人たちの神輿の寄り集まりということがよくわかります。
国定教科書の信憑性を疑わない歴史研究者など要りません
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