Monday, December 30, 2019, 08:56 AM
キムタクと鈴木京香の人気ドラマ・グランメゾン東京の最終回を観ました。
お袋が好きなもんで、それほどというならと自分も観ました。高級フレンチレストランが舞台です。
ミシュランの星を得るために奮闘するシェフのドラマなんですが、何がうけたんだろう。
「ミシュランの星はお客にわざわざ足を運ばせる価値があることの証」ということをこのドラマで何度も台詞がでてきます。
そうなんです、美食家(グルメGourmet,グルマンgourmand)たちにガソリンとタイヤを消費してまで、行く価値があると思わせるためのもの。元来ヨーロッパで自動車を使わせるための販促のためのものなんです。
ミシュランの星いくつのレストランと聞くだけで、貴族趣味が鼻につきます。俺だけかな。
ミシュラン以外でもそんなものがあるの?というと1980年代まではエッソやシェルなど石油会社もレストランガイドマップを出していた記憶があります。出光も観光案内を出していました。
ギネスブックなんかはパブなんかで販売していた「話のネタ本」がそもそもの発祥だそうです。
ミシュランにしろギネスにしろ神格化しすぎだよ~
技巧に凝った料理はたしかに素晴しいのですが、はたしてそれを絶対的な点数で評価できるでしょうかという最大の疑問があります。
一部の金持ち・美食家たちへ提供する「話のネタ」(旅行の動機付け)に過ぎないミシュランガイドの評価を絶対視していることが、すごく嘘くさく、胡散臭く感じるのです。
これは誰も思いながら、虚構としてドラマを楽しんでいるのですからそれでいいのですが、レストランを評価するという単純な行為にも、される側にもいろいろと問題があることがわかるでしょう。
日本人に広く潜む『絶対神格化』の悪癖
医療(医師)を神さまかのように扱うドラマだとか、有能な経営者を神さまとして祭り上げるヨイショ記事だとか、そこらじゅうにあふれています。
べつに人気ドラマからこんな陳腐な話題をしたくはなかったのですが、明日のための前振りとしておきます。
新聞は正月モードでたいした記事がないので。
検索キーワード:神さま:
俺も生まれ変わったら天文学者になる
「お客様は神さまです!」では良い仕事はできない
神(創造主)という概念は宇宙人であっても共通だろう
πの歴史は人類史である(夏休みの課題図書)
清水富美加を笑う資格は誰もない。「物理学者が解き明かす 思考の整理法」
イギリスの産業革命で思想(宗教倫理観)はどのように変化したか
電車遅延で車掌に難癖をつけるような下流市民は公共機関の利用を禁じるべき
神(GOD)はサイコロをふるのか (人間に『自由意志』はあるか)
日本に革新思想が根付かないのは、無信仰な国民性だからです
思考停止に陥る危険な言葉・・・それは馬鹿が拝む「ナントカの『神様』」
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Thursday, December 26, 2019, 12:40 PM
チョコレートの原料であるカカオ豆の2大生産国、コートジボアールとガーナは生産農家のために割増金を買い付け業者に義務づけることになりました。
チョコレート全産業12兆円のたった5%(6000億円)
農家がカカオを栽培して受取る金額は両国あわせても5~6000億円の規模しかないということが問題視されています。
農家が貧困なら、輸出するコートジボアールとガーナだって貧困国です。
チョコレートの利益はほぼすべてヨーロッパの企業が独占するという構造。
カカオ以外の農産物ではコーヒー豆や砂糖きび、綿、タバコ、ゴムといったものも同じです。
モノカルチャー(単一作物)を安い労働力で作らせ、宗主国の国際資本が安く買い取っていくという搾取型経済の代表です。
生産地と消費地の経済格差を利用して、安く大量に作らせる方式(植民地主義)は大航海時代を経て20世紀初頭まで続きました。
グローバル経済の元祖とも言えるでしょう。求められているのは労働力だけ。
『優先的地位の濫用』は国家間では問題とならない
わずかな外貨獲得のために、独裁者は自国の資源や労働力を安く売り渡し、先進国はその恩恵を受けるから。
そのような世界の構造、つまりアメリカ・メジャーの搾取に反旗を翻したのがイランですね。
サウド家が乗っ取って原油をジャブジャブとメジャーに売り渡して出来た国がサウジアラビア。
どっちが良い国かといえばイスラム民主主義を掲げるイランの方がサウジにくらべよほど民主国家に近いのです。
だからイラン偉い、がんばれと思っています。ヤクザ国家サウジアラビアは嫌いです。
『生かさず殺さず』の状態が安定状態という悲運
支配層にとって「依存させて、生かさず殺さず(さらには気付かせず)」という状況は支配の鉄則であり、最良の状態です。
団結しないよう国民同士を分裂させて競争させることも怠りません。
このようにみると、カカオ農家の貧困は、買い上げの価格を上げたぐらいでは解決しないと考えます。
なぜならカカオは市場価格で決まるから。
豊作ならば値崩れし、凶作ならば収入がないという、単一農業はどっちに転んでも高収益は見込めない。
江戸時代の農業も大きく見ると、米ばかりの単一栽培と言えますから、農民は常にカツカツの生活を強いられてきた。
大飢饉もたびに餓死者が大量にでるのも固定身分制で産業が未発達だったからでしょう。
割増金で森林破壊(自然破壊)が進むだけの結果
この記事は最後に増産による暴落、環境破壊が進むと警告しています。自分もこの結末には同意します。
構造的な貧困問題は、値上げだけでは解決はできないだけではなく、問題を拡大し複雑化させる危険性があるのです。
農業の保護や補助金は国家政策としてやらねばならぬ事であって、それは先進国(アメリカやフランス、ドイツ)でさえも農業は国家の補助金が注ぎ込まれています。
国内農業の保護は自給率という単純な問題ではなく、海外資本によって政治まで侵食されるという危機感だからです。もっともその加担をしていた国だからこそ、自国の農業保護は手厚く万全を期しているのです。
日本の政治家はそのことを知っているのでしょうか。また国内の農水産業への補助金を敵視するメディアも同罪です。

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Thursday, December 26, 2019, 09:45 AM
日経ビジネスのweb記事「書店・出版社の敵」は誤解、広がる書籍の要約サービス
情報工場(東京・港)という会社が書籍取次大手のトーハンと資本業務提携をしたという記事です。
ビジネス書や教養系の本を3000字にまとめたダイジェスト版を配信するそうです。
書店が消えて探索する機会が消滅しつつある
本の出会いが消えつつある状況の打開として、ダイジェストを広く配信して少部数の本も知ってもらおうという狙いです。セレンディップという有料サービスです。
Amazonのお勧めはあくまでも過去の履歴を分析した結果にすぎません。
ネット版リーダーズダイジェストともいえますね。ただリーダーズダイジェストは40年前(1980年代)に非常に怪しい販売方法をしていたことで問題視されていました。
<あなたは当選しました/選ばれました>という内容のダイレクトメールを送りつけて、それで定期購読をさせるという悪徳商法です。
ええ、当時中学生の私は、リーダーズダイジェストのDMエアメールを真に受けて、なんかわからないけどすごいやと思ったことがあります。
アメリカから自分宛の手紙、それもよくわからないけど誉め言葉とともに何ドル受け取れますみたいな文章に昂奮しました。
子供ですから冷静な判断ができないのですよね。
ただ大人にリーダーズダイジェストって何と聞くと、書店で販売されている小冊子で雑誌や書籍の要約を載せているもの。そして日本ではかつては知られていたが、当時80年代ではアメリカの保守系雑誌として過去の遺物だと知りました。
個人情報保護法もなかったから、どっかの名簿がそのままDMに使われたのでしょう。当時は定期購読したらおまけをつけるとかで釣る学習雑誌や科学誌がけっこうあった。
リーダーズダイジェスト日本語版の実態は、最初の数十ページだけが書籍紹介で中身はほとんど通信販売のカタログw
アホな中学生でも書店で手にしたら、こんなゴミを誰が買うかと思いましたよ。
いまでもリーダーズダイジェストはあるようですが、昔の記憶があるので良い印象は全くありません。
要約(アブストラクト、Abstract)が軽視されている日本
論文はかならず冒頭に概要(overview)や要約(Abstract)を載せるのが作法です。
一般書であっても、副島隆彦先生のスタイルは導入部で内容と結末を開示してしまいます。ヘッドヘビーの書き方と言われています。
残りの文章は裏付けや詳細ですから、飛ばしても逆に読んでも頭に入りやすく印象が強く残る。
ところがこのような書き方は日本に於いては、あまりされないのです。
最後に結論や解説をするというフットヘビーになる書籍も多い。
このような本は読むのに骨が折れるのです。最後までしっかり読まねばならないし、読み返しも多くなるから。
教科書や参考書などが最たるものだと言えばおわかりになるでしょう。多岐に亘る内容や、視点をいろいろ変えてしまうと読者の頭脳は疲れるのです。
テーマや執筆者の考えが最初にはっきりしないと、すっと文章に入り込めないのです。
ただ、なぜか日本では秘すれば花とばかりに、素性や思想をぼやかしたりするのが道徳かのように考える著者が多いように感じます。
書評は評者のものであって著者は甘受すべきもの
いまや出版社も著者もネットの書評は無視できません。
書評は読み手のイデオロギー(信条)が入ることもある。でもこれは読者の受け取り方ですからそれで良いのです。
書評は評者のものですから、どんな感想でも著者はウエルカムなんです。
ダメでもありがたいのです。
ところが要約ってのは、テーマでありスポットライトを強く当てたいところ。または主張です。
何人もの編集者さんと関わってきましたが、ズバッと理解される人もいれば、すんげえトンチンカンな返球をよこす人も居ます。
そこはテーマ(本題)じゃないと言っても理解されない場合もある。
文章で理解してもらうのは難しいことなんだなあと思い知らされることもよくあります。
著者と編集者の熱量(思い入れ)が同じならば、よりよくなるのですが、熱量のバランスが違ったり、方向性が全然違うと文章が空中分解しちゃう。
たとえて言うなら、ミロのヴィーナスを作りたかったのに、阿弥陀如来か千手観音みたいになっちゃったぞ・・・みたいなw
だから要約は著者が本来は書かねばならないのですが、第三者が書くというのも得難い体験となるでしょう。
出版社-著者-書店ー読者、どこにもメリットのある有益なサービスだと思います。
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Wednesday, December 25, 2019, 05:00 PM
電気自動車がこれからますます増えて行くとなると廃バッテリーが問題となります。
劣化したバッテリーは自動車での再利用が難しくても、それで格安の非常用電源にしようという動きが伊藤忠や丸紅など大手商社などにあります。蓄電ビジネスはまず中国で実施されます。
非常用電源の大部分を占めると言われるバッテリーのコストが抑えられれば、家庭でも電気を備蓄する敷居はずっと低くなりますね。
天候で左右される太陽光発電のバックアップとしての活用も進むでしょう。
電力需要の平滑化によって、電力会社だって夏場のピークにあわせて発電所を増設する必要もなくなります。
電気を貯めることができると生活はよりよくなる
自前の発電設備で商業電気を使わない家庭や地域も出てくるでしょう。
むしろ、電気も自給自足できるようになればいいなあとも思います。
また電気がない田畑など農業用地で電力を使うことができれば、IT化や電動化も可能になります。
廃バッテリーが大量に出回るであろう20年後や30年後には、住環境は大きく変わると思います。大きなビジネスチャンスと前述の商社は狙っているのです。
災害が発生するとまずは電気の確保に走る
言うまでもなく災害現場では何はともあれ、みなさんスマホの電池残量をいの一番に心配されています。自分はスマホは使わないので理解はできませんが、電気が断たれると、真っ先に欲しいのは情報であることは間違いありません。
阪神・淡路大震災(平成7、1995)を自分も出勤途中の大阪市内で経験しました。会社には当然誰もいなくて、他の地域はどうなっているのかわかりません。事務機器しかないのでニュースを聞くことも出来ません。
廃棄物置き場にラジカセが転がっていたので、それでラジオを聞こうと思い立ちました。
ただ乾電池などあるわけがない。
ノートパソコンのACアダプターを拝借して、ラジカセの電池ケースを壊してクリップや針金を介して無理やり電気を供給して、ラジオを聞くことができました。
もっとも停電になったら駐車場の社用車で寝とけばいいやと気楽におもっていましたけども。
見渡せばそこらじゅうにリチウム電池はある
当時の電池といえば乾電池か鉛バッテリーしかありませんが、いまやそこらじゅうにリチウムイオン電池はあります。
PC,携帯電話、デジカメ、ゲーム機、電動工具、そして電動自転車などなど。
特に大容量の電動自転車のバッテリーはスマホ程度の小家電なら問題なく充電できますし、照明や省電力の家電程度なら動かせそうです。
実際に電動自転車用のバッテリーを災害時には緊急電源として活用するアダプターもありますし、逆に太陽光発電での充電先に自動車だけではなく、自転車バッテリーにも充電させておくこともできます。
商社がやるまえに、電動自転車の廃バッテリーで小型非常用電源のDIYはいかがでしょうか。格安で作れると思います。

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Monday, December 23, 2019, 01:53 PM
今日の新聞記事
情報通信技術によって、次々と新たなサービス(ビジネスモデル)が生まれてきていることを題材とした連載記事です。
インフォーマルってな言葉は、フォーマルが儀式における正装という意味に対し、インフォーマルとは簡略化した服装、略式という意味なんだそうです。
ある程度のレストランではインフォーマルが前提。すなわち襟付、ジャケット+タイのスタイルが必須のところもよくあります。
追い返されるところもありますが、銀座の交詢社のように、クロークに案内されてジャケットとネクタイを貸してくれるところもあります。
経済用語では政府の統計では計上されていない経済活動のことを指すそうです。
これまでは地域のバザーとか不要品のフリーマーケット(泥棒市)、農家が畑の横でやっている無人販売所みたいな無視できるような規模の経済でした。
記事は、インフォーマル経済がネットによって拡大し、発展途上国での経済にも大きく寄与したという総括です。
古書店や中古屋・骨董屋はあったし、古書店やリサイクルショップを巡るのを趣味とする人も昔からいました。インターネット登場によって、個人間売買規模も飛躍的に大きくなったのは言うまでもない。
取引を担保するのがデジタル的な身分証明であり信用だ
経済活動がシェアリングエコノミーへ移行する鍵は、身分の信用情報であるということ。
なるほど、だからなんとかペイの普及に各社血道を上げているわけだ。
ただ、私は民間企業が個人の信用情報を持つことは反対です。
なぜならリクルートのように就職を希望する学生の情報を本人の知らぬ間に売ることや、独占的に有利な立場を得ることができるから。
特例として金融機関には信用情報を共有しても良いと法律(貸金業法)で定められており、登録機関しか参照できません。
昔からブラックリストといわれて知られていますが、事故情報(不払い)以外でもサラ金の利用履歴もすべて洩らさず記録されてます。
サラ金を一度でも摘むと銀行のローン金利上がっちゃいますからね、絶対ダメですよ。今は銀行配下にサラ金業があるのですから。
情報通信技術が銀行に代わって信用創出する時代へ
この記事の内容は、金融システム、国内の銀行機構が未発達な国には情報通信技術(ICT)の恩恵が大きいと結論づけています。
そのとおりでしょう。
インターネットテクノロジーを提供するIT企業が信用担保を肩代わりしてくれたおかげです。
ただし、今の日本では100%テクノロジーの恩恵を受けるのは難しいだろうなあ。
なぜなら途上国と違って既に確固たる金融システムが出来上っているから、その摺り合わせは容易ではないのは誰でもわかること。
都市銀行はATMの維持だけでも四苦八苦しているような状態です。
中国がキャッシュレス大国となったのは銀行の信用管理が未発達であったことが最大の要因。(そりゃ企業は国営ですから)
そして個人の信用情報は実質国家が握っていることです。(よくも悪くもですが)
既存の金融システムの大変革が起ころうとしている
来年9月からはマイナンバーカードで25%のポイント還元をする方向を政府は示しています。
それではその仕組みをどこが提供するというのでしょうか?
たった半年のキャンペーンのために、現在の決算システムを手直しすることは現実的ではない。
ましてや現在のポイント還元キャンペーンはマイナンバーには当初から紐付けられるような設計にはなっていないでしょう。
一番妥当な案は、マイナンバーと名寄せされた銀行口座をの取引情報を管理している銀行の信用機構に乗った方が円滑だと思います。
そして2021年からはマイナンバーカードがキャッシュレスシステムとなり、やがては免許証や健康保険証にもなってゆく。
個人の金銭情報は国税が握っていて、政治家からも怖れられる隠れた権力となっていました。
霞ヶ関の宿願であった国民総背番号制が完成するのです。
この記事の結末に「人間らしい未来の経済文化はどうなるか」とありますが、ちょっと何を言っているのかわからないw
中国が実施している信用スコアが人間らしいとはとても思えませんがね。
デジタル空間ではまるで士農工商穢多非民の区分が復活する

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Saturday, December 21, 2019, 12:35 PM
最近はよく講談社のブルーバックスを読んでいます。新書サイズで単行本よりも気軽に買えるため昔からお馴染みですね。新書判の草分けみたいな存在でしょう。
過去ログ:次の課題図書はこの2冊だ。物理学者が解説する経済学
パラパラと飛び飛びに、馴染みがある部分だけをつまみ食いしながら読みました。
高校レベルから大学基礎まで幅広く解説されているので、分かっているところは読み飛ばし、ぜんぜん分からないところはそのまんま。いわゆるつんどく状態。
またなんかのきっかけで、再び開く。そんな読み方があっている本です。
もうちょっと軟らかい本が欲しいなあ。
マンガ量子論入門 J.P.マケボイ 講談社2000.7
マンガ「解析学」超入門 ラリー.ゴニック 講談社2016.6


マンガというよりもコミック風イラストが挟み込まれている、アメリカの学習図書が元なんでしょう。
これも隅から隅まで順序よく読むよりも、知っているところ、名前だけ知っている人物を見つけたらそこだけ読むといった読み方です。
解析学って何かというと、大まかには工学(engineering)の基礎概念です。
自著「隠された十字架 江戸の数学者たち」p197の元の図
解析学の正体は<微分積分>そのものです。
たとえば80mの板があったとしましょう。これを使って囲むことができる最大の面積は?という問題。
幾何学的に言えば正方形が面積は最大になる
(追記:板ではなく紐とすると円型が最大面積となります。正方形の約1.27倍です)
それを証明するには代数によって数式化してやる。縦横をx、yとすると
2X+2Y=80
面積はx*y
つまり面積の式はx(40-x)→40x-x^2という二次方程式になります。
最大点は微分して40-2X=0となるところ
つまりXは20mで最大になる。つまり正方形が最大値です。
中学生ならグラフを描いて極大点を求めるのですが、高校生ならスマートに微分しておわりです。
(グラフはめんどくさいから描きません。原点からふたたびX=40でX軸に戻る単純な放物線です)
別に何次方程式でも構わないのですが、微分してゼロになる点が変曲点といって事象に意味があるのです。
最大や最小を求めるのが解析学(analysis)
いやらしいことに、工学では最適化(optimisation)って言う概念です。
たとえば建築学や機械工学では限られた条件で最大の強度を持たせる計算をします。
単なる無垢の丸棒よりも、パイプ状の方が同じ重量なら曲げに対する強度が高まります。
一枚の板でも、波状にしたほうが曲げに対して強度が高まります。
それを実際に式にして最大や最小を求めるのが最適化(optimisation)という作業。
理学部でいう解析学とは古典物理とも言われ、工学部では力学ってな名称になるのです。いやらしいですよね。
中身は一緒なのにそれぞれで使う言葉が違うので、混乱してしまうのが多くの学生の実状でしょう。
名称が違うだけで、実態は全く同じなのは他にもあります。
経営学とはグラフでの最大最小を求めるという学問
解析学というのは文系学問では経営学(Business Administration,management)ってな名前になっちゃうんです。
バブルの頃から90年代にはMBA(master of Business Administration)なんていう資格が流行りましたね。
その実態は最小コストで最大利益を求めることに過ぎないんです。
何千万円も金を払って、習うのは高校生レベルのグラフでお絵かきです・・・と理数系の人は思うでしょうね。
結局は代数学なんです。
わざわざ2年もアメリカに企業の金で行った先輩から聞きました、”算数のお勉強”でしたとね。
自著「隠された十字架 江戸の数学者たち」p199の元の図
大学入試制度改革が混迷していますが、自分がもし主張できるならば、ただひとつ
高校レベルを完全に理解できていれば世の中では十分な知識人だ
日本では卒業証書は能力の証明書ではないということは、今に始まったことではないのです。
分数計算ができない大学生なんてのも、耳にタコの手垢の付いた話題です。
大学入試よりも、まず高校を卒業してもその学力は、高校が一切担保していないのが一番の元凶なんです。
大学も学力がまったく見合っていないとすれば、高校に送り返して再教育するぐらいの荒療治が日本の教育制度には必要なのではないでしょうか。
留年なんかあたりまえ。
大学は専門家(professional)を養成する場であればいいと思っています。
日本では博士(doctor)という資格がありますが、専門家を指導できるレベルの人物を指します。Doctorって海外では一目おかれる人なんですが、日本は博士ってのは、あっても喰えない肩書きの代名詞です。
日本人だけは神学(哲学)も数学も科学も別々のように思っているのでしょうが、すべては同じ幹からの学問です。人文系学問だって元を辿れば同じこと。
学問は「神の存在、それを探求すること」という崇高な行為
このような共通の土台が日本の教育にはないのです。勉強の成績がよい悪いではないし、いくら入試制度をいじったところで、共通の認識が高校にも大学にも、文科省にもないのですからムリムダなことです。経済学者(科学のヒエラルキーでは最下層)が数学者や物理学者から馬鹿にされるのは、経済学は古典物理そのものなのにイデオロギーでひね曲げるからです。
もっとも経済理論が正しいか誤っていたかは、時が流れないと検証できない。提唱したモデルも時代状況で刻々と変わって行きます。経済学とはバックミラーだけを見て車の運転をするようなことを強要する学問。
グルーグマンぐらいだね、自分の説は大間違いで馬鹿でしたと反省したのは。
過去ログ:経済学とは楽観主義者(optimist)による楽観主義者のための学問(洗脳)である

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Friday, December 20, 2019, 09:46 AM
公明党の母体は言うまでもなく法華教系の宗教法人創価学会です。
宗教とは社会的弱者(貧乏人、カタワ、白痴)の拠り所
(副島隆彦談)だから権力側(省庁・企業・アメリカ)の代弁である自民党とは本来対立するのが本筋です。
きっと公明党支持者なら、「いやいや、公明党は自民党の暴走をしっかり歯止めをかけているんだよ」と言われるかも知れません。
教員も学会員が多い職種ですし、ドライバーのような不安定な職業、飲食業も創価学会の人たちが多い。
自営業者や零細企業を経営する創価学会員は、自公連立が20年となって良いことがあったのでしょうか?
自分は社会がよりよくなれば、どんな宗教系の政党であっても結果がよければそれでいいと思っています。
いわゆるノンポリティカル(ノンポリ)です。
今年の倒産件数はリーマンショックを軽く上回る
特に増税後に急騰しています。
ここ浅草でも飲食店はガラガラ、大規模店舗でもブースは歯が抜けたように撤退しています。
景気がよくなる兆候はないし、今日のニュースでは医療費を抑制するために後期高齢者(75歳以上)は収入によって自己負担割合を2倍(2割)にして、70歳に定年を延長を予定しています。
つまり貧乏人・高齢者・社会的弱者はおろか現役会社員含めほとんどの国民には厳しい未来が待ちかまえている。
公明党は弱者の味方という看板を掲げているが、現状は真反対です。
カルト信者は真性マゾヒストか精神分裂症か?
20年の長期にわたり自民党と公明党は蜜月関係です。相思相愛で仲良く手を繋いでいる状況は、政治に詳しくないから不思議でしょうがない。
呉越同舟の野党でも、自民党の公認に成れなかったから仕方なく所属しているような自民党予備校みたいなところもある。(例えば松下政経塾出身者が多いアノ政党ですよ)
国会は自民党と自民党ファンクラブみたいです。愛するが故に貶(ケナ)すという、AKBとファン心理みたいなもんかなあ。
そう考えないと国会議員という仕事が理解できません。
公明党がひっつくのは、安倍内閣の本質は極左だから
安倍晋三が右翼だとかいう指摘は間違っていますよね。この長期政権は独裁・独善を進めたと後世では記録されると思います。
社会主義的な色合いがどの政策にも強い。
はは~ん、独裁・独善・社会主義は宗教団体にとってはまさに理想郷です。
新聞によると、第一次安倍内閣で改正教育基本法に「愛国心」を盛り込んだのは他ならぬ公明党であるということ。
公明党は真性の右翼政党なんです。リベラルが大嫌いなのもなんとなく納得。
極右と極左が一緒になっちゃったのが、いまの第二次安倍内閣なんですな。
衆議院小選挙区で公明党推薦の自民党候補者は17年衆院選では96%にも達しました。
つまり自民党は公明党に乗っ取られたんです
創価学会員のみなさんおめでとうございます。今後も公明党の養分として励んで下さい。

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Thursday, December 19, 2019, 02:13 PM
冬はここ10年はずっと普段に着るのはユニクロでした。いやもっと長いかな。
フリース素材が格安で登場してからは、これでドライクリーニングに出す手間がなくなったと、ウールのシャツやセーターはタンスの奥に押し込んでしまいました。
フリースとウルトラライト・ダウンさえあれば、都心では十分です。
外で仕事をするときも、ヒートテックの下着を着込めばなんとか凌げます。
ファストファッション(大量生産衣料品)ばっかり着ているような気がする。というかそのものです。
アパレル業界の迷信に、
不景気ではアウトドアブランドが流行る
というものがあります。アウトドアブランドが流行るのは、普遍的なデザインを求めて少しでも長く着たいという節約志向でもあるからでしょう。
二十歳からずっとアウトドアブランドや登山用アパレルを日常で着ていました。
つまりこの平成の30年から今に至るまで、ずーーーーーっと不景気だったということ。
別にメンズファッションに疎いわけではなく、ファッション雑誌も愛読していましたから、それなりにお洒落には興味がある普通の若者です。
いつかアルマーニやゼニア、ヒューゴボスみたいな高級スーツでビシッと固めたいなあ、なんて夢想してました。今は青山のスーツが一着しかない状況ですがねw
国内外のアウトドアブランドをずっと愛用してきましたが、ユニクロのフリースとダウンの登場で一気に宗旨替えしちゃいました。
だって値段1/5、1/10ですもんね。
有名ブランドの保温下着や登山用のフリースはとても高価で、惜しくて棄てられなかったのですが、引越の際に全部ゴミ袋行きです。何万円も出して買ったのがバカみたい。
同じ化繊製品ならモンベルよりもユニクロをまずは物色します。だって安いしデザインも良いし。
ヘビーローテーションならワークマン最強
最近はユニクロよりもワークマンに寄るほうが楽しみになっています。
昔は作業用のグローブや軍手をまとめ買いするときぐらいにしか寄らなかったのですが、最近はカジュアルウェアとしても着れる作業着をたくさん陳列するようになったので、衝動買いしてしまいます。
動き回ることを想定してあるので、とても機能的なデザインなんです。ポケット一つとっても、よく考えられている。
私の周りでもスポーツウェアとしてワークマンを愛用している人も多い。
そしてなんたってユニクロも凌駕するお買い得なその価格
防水ジャケットなんて3万円ぐらいしたのが1/5ですからね。
化繊のシャツはユニクロよりもずっと良いという評判です。
ファストファッションの台頭でアパレル全体が安物ばっかりになった
ユニクロが国民服となったおかげで、ここ20年、2000年頃から目に見えて大手アパレルの品質が落ちましたね。
アメリカ、イタリアやスペインのブランドも中国やベトナム、マレーシアなどアジアでの縫製となっています。
高級素材が売りだったブランドも、生地がかつての品質じゃないのです。アイコン化した模様は同じでも、タグをみるとウールにアクリルやナイロンが混ぜられている。ひどいのはレーヨンなのにウールのように売っているブランドもある。
言いたかないけど、バブル期に一世風靡したコムサなんちゃらなんか、今やロードサイドの量販店のものと変わらないし、シンプルなデザインならなんちゃら良品のほうが素材ではずっと上等です。
自分は学生時代紳士服量販店でアルバイトしたことがあるので、バーゲン品と高級品の違いをよく知っています。バーゲン専用、アウトレット専用の商品もあるんです。つまり元々から安物w
ファストファッションの台頭で、かつての高級ブランドもその製造手法を真似てコストカットになびいた結果、大量生産に向いた素材が多用されるようになったというわけ。でもこれじゃあ悪循環です。
ファストファッションが今ほど興隆していなかった頃、
90年代前半の超円高(1ドル80円)の頃、ここぞとばかりに海外通販で爆買いしてました。
たぶんインターネットがまだないから、どうやって買ったんだろうかというと、メールオーダーカタログというぶ厚い国際郵便がまず送られてきて、それを見て注文書を海外郵便で送るというもの。
LLBean、EddyBauer、Landsend、Columbia、NORTH FACE、Patagonia、SIERRA DESIGNS、WoolRich・・・
どうやってカタログを送ってもらうかというと、国内代理店で配布していたり、アメリカで留学している友人にお願いしてました。(つうか留学している友人が自分にお得情報を教えてくれたのですけどね)
一回注文すると、次から半年や一年毎に送られてくる。これが届くのが楽しみでした。円高っていいなあと心底思いましたね。
アメリカのサイズ表記がだいたい理解できる頃には、靴下からワイシャツ、ネクタイまでぜんぶ国際郵便で調達していました。
アメリカのブランド品がそこらの日本製よりもずっと安く買えたから。
(アメリカの通販はご丁寧に、前回注文の履歴もカタログと一緒に送ってくれていました。前回と違うサイズだと、これで良いのかという確認がありました。ランズエンドの場合です。ランズエンドは日本では知名度はあまりないですが、当時はNASAのスペースシャトル計画の公式ウェアで、宇宙飛行士からスタッフすべてが着ていました。アメカジの王道としてアメリカでは有名です。生地の良さでは定評がありました。)
タンスの奥にある20年以上前のシャツを引っ張り出して部屋着にしてみました。
これが縫製も素材もいいんです。一枚3000円ぐらいだったのですが、同じ品質なら1万円はするでしょう。
カシミアとかアンゴラのセーターどころか、ウール100%のセーターなどよほど高級ブランドじゃないと、いまじゃお目にかかれません。
同じウールでも古い方がずっと生地の質が良い。
タンスに防虫剤をいれて、古い服は大事にしようと思います。
(追記:
私(六城)は一時古い腕時計の蒐集に熱心だったことがあります。
きっかけは祖父が遺した古い腕時計なんですが、それで機械式腕時計にのめり込んだことがあります。
結論から言っちゃいますと、1950年代(昭和30年代)から60年初頭までの腕時計がたぶん最高なんです。60年代後半から1970年以降はセイコーのクオーツとの闘いでスイスの腕時計メーカーは死屍累々になっちゃった。ロレックスだってそう。
クオーツ式腕時計が登場して、それまでの高級腕時計の定義がすべて変わってしまったのです。精度では電子制御(クオーツ)には敵わない。だから高級時計の定義が70年代から急変した。結局は高そうという理由さえあれば高級時計ね(笑)
1970年代以降の”高級”時計は一様に価値はない
クオーツ式腕時計=使いっぱなしでもほとんど狂わない
旧来の歯車腕時計=定期的に時計店で調整が必要
結局は昔(60年代以前)の時計は、無名でも工芸的に技術的にもすばらしいものがいまでも眠っているのです。時計職人が内部を一つ一つ手で組立てていたけども、70年代以降は一つのモジュールを大量生産して、各社横断で共通化させていった。
結局、ブランドは違うけども中身はどれも同じになっちゃった。
服も同じような状況に陥っているのです。(追記おわり)
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Wednesday, December 18, 2019, 11:03 AM
巨大IT企業に対する規制案を政府が発表しました。プラットフォーマーに対して5項目の規制を突きつけます。ポイントは
・契約条件の開示と報告の義務
・取得データの利用範囲を利用者が制限削除を求める権利
・「優先的地位の乱用」を個人との取引にも適用する
・企業買収による寡占化の歯止め
・政府による継続的な実態調査を行う
欧米よりも巨大ITへの規制は遅れましたが、日本も同様の危機感をもって規制に動き出しました。

中国圏10億人のユーザーを抱え、wechatがないと日常の買物から公共料金の支払い、さらには電車にさえ乗れないほど普及し定着しています。
一つのアプリでここまで何でもできるようになると、生活スタイルも変わります。
名刺交換する必要もなくなれば、通勤する必要もなくなります。
wechatは実名登録、社会番号も登録するために、悪用しにくいという抑止効果もある。
一党独裁の中国ならでは実現できることです。
同じチャットサービスでもLINEとWechatとは大きな違いがあると思えます。どっちも使ったことがないけどw
ビジネスモデルが根本から全く違う
LINEはチャットサービスを提供するかわりに、広告で利益を上げるモデルです。
GoogleもFacebookもYahooも大きくは同じ仲間。利用形態が違うだけ。
餌で釣って、個人属性(データ)を販売(広告)して利益を上げる単純なもの。
巨大ITといっても自前メディアをもつ巨大広告代理店に過ぎないのです。もしくはデータ屋(アングラな名簿屋)です。
wechatはまるまんま個人(identity)とすることが目的
個人情報を解析してチマチマと広告を打つというシケた商売じゃないんです。
中国共産党はスマホを取り上げたら社会的抹殺になるような仕組みにまで徹底させたこと。
レジや現金を置かない店舗が当たり前になりつつあり、買物もできません。
投げ銭もスマホなので乞食にもなれない。
中国では思想統制や弾圧に利用されているという指摘がありますが、だったら使わないという選択肢はない。
プラットフォーマーが私企業である以上は太刀打ちできない
欧米、そして日本もプラットフォーマーへの規制を続々と強化しています。
Facebookがデジタル通貨Libraの構想を発表しましたが、中央銀行(ECB、FRB、日銀ら)は絶対に認めることはない。
なぜなら通貨発行権こそが国家の基盤であるからです。
国家を私企業に委ねて良いのかという大きな壁が立ちはだかっていますし、この壁はGAFAであっても崩せない。
だからこそ、各国政府は今頃になってやっと巨大プラットフォーマーに懐疑の目を向けているのです。
もっともGAFAは国防省やCIAの援助によって生まれ、発展してきたのに、まるまる中国が先を行ってしまったので慌ててるというのが実状なんでしょ。
日本のITビジネスはヤクザの金で生まれ、口八丁デタラメの広告屋によって発展してきたので、将来展望がまったく違います。
相手は中国共産党と人民解放軍なんだから収益モデルなんか、はなからない。
(追記)
副島隆彦先生の新刊に躍る文字、トータリタリアニズム(totalitarianism)とは余り聞き慣れない言葉です。全体主義とありますが、それだけでは良く意味が分からない。
渡辺昇一がトータリタリアニズムとは、ハイエク曰わく「単一の価値序列体制が存在し、人々の必要全てが順序づけられる」という考えだと解説しています。
この単語は1929年(昭和4年)頃からアメリカの紙面に登場した共産主義、ファシストの次の段階を示しています。「社会全体とその全資源を単一の目的に向けて組織することを欲し、個人の目的が至高とされる自主独立的分野の存在を否定することにおいて、等しく自由主義や個人主義と一線を画している」状況を指すことだそうです。
参照:自由をいかに守るか ハイエクを読み直す(渡部昇一 PHP新書 2008/7)
かつての日本の戦時体制・統制経済状況はトータリタリアニズムです。そして中国は共産主義ではなく全体主義へと移行し、完全な戦時国家体制となっているといえます。
ディストピアとはユートピアの反対の世界です。
そこには、序列体制が厳格にあり、人々も産業も生産物もすべてが順序づけられ監視されている世界のこと。
これから中国を手本に世界は全体主義に否応なく進むだろう
米中衝突の行方は飛び火して、来年2020より全体主義が世界に広まったと後世では語られるようになると思います。(追記おわり)
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Tuesday, December 17, 2019, 01:44 PM
ボーイングの737MAXは2年前から就航した新型機です。
この737という機体はなんと初就航が1968年というもの。開発は東京オリンピック(1964年)頃のもの。
アメリカではアポロ計画全盛の頃ですね。
半世紀前の設計がいまだに使われているということはそれだけ設計が優秀なのです。
でも1980年代に登場したエアバスA320に小型(席数100以下)旅客機のシェアが奪われていった。
そこで王者ボーイングは対抗して先進装備を備えた第三世代型とよばれる737NG(NextGeneration)を90年代末(1997)に販売を開始します。
この737NGは20年にわたり約1万4千機も売れた名機です。
日本でもよく見かける機体です。
しかしボーイング737にも欠点がないわけではない。それはライバルのエアバスA320 シリーズのほうがランニングコストが安く、同じエアバスに慣れたパイロットなら習熟が早いという利点があったのです。
パイロット不足に悩む航空会社にとってはエアバスのメリットも魅力的だった。
そこでボーイング社は737NGをさらにコンピュータ化したコクピットを採用します。
そして有名な話ですが、羽根の下に大きなジェットエンジンを吊り下げるために、足を伸ばしたりと小手先の改造で、燃費が良い777の一回り大きなエンジンを採用した。
そのため機体とエンジン重量とのバランスが崩れた、挙動に問題のある機体となってしまったそうです。
さらに777で採用されている境界層制御というハイテク装置を尾翼に付けたら、舵が効きすぎる機体になってしまったそうです。翼の先端につくウィングレットも旋回時に失速しやすいというデメリットに目をつぶって、燃費が良くなるメリットをアピールしたのです。
操縦席はパイロットの負担軽減としてコンピュータ画面となって計器やスイッチを大幅に減らしたのです。
その結果、航空会社は操作法が難しすぎると難色を示していたのですがなんと「ぜんぶコンピュータで操作するから心配ご無用」とボーイングはなだめて、導入を進めたのです。
墜落が立て続けに起きたことで、くだんのコンピュータ制御は解除できないということが知れ渡りました。
パイロットは必死に操縦桿を押しているのに、機体は失速状態と勘違いして機首上げ動作をするという根本的な欠陥です。
50年前の古い設計のまま小手先の改造を続けた結果、フェールセーフ機能もなく、極めてバランスが悪くて操縦が難しい機体であることが知れ渡ったのです。
50年前のアメ車に最新のハイブリットエンジンを積んで、操縦のほとんどはスマホでできるぜと言っているようなもんだったのです。
737は月産52機、つまり一日に2機!も作っているのでした。本日やっと生産停止を発表しました。
だから容易に設計を変えたくないという経営判断だったのでしょう。
現在400機が在庫として野ざらしにされているそうです。
ジェット旅客機でさえ大量生産してしまうのがボーイングのすごさです。でも大量生産システムが足かせになってしまった。
この在庫の400機は旅客機として販売することはもうできないでしょう。
大幅にダンピングして貨物機とか特殊用途で捌くしかないでしょうね。
全日空が737MAXを30機導入すると発表しています。そして4日前でも全日空の社長はキャンセルの意向はないと断言しています。
運悪く737MAXになったら、念仏唱えるしかねえな
参考URL
ネット作家の御代出実葉という方が737の根本的な欠陥を解説しています。
https://ncode.syosetu.com/n4315fj/1/
https://ncode.syosetu.com/n4315fj/2/
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Monday, December 16, 2019, 01:01 PM
水清くして魚棲まず
こんな故事が昔からあるように、物事に清貧ばかり求めると結局は誰もいなくなってしまうよという意味合いだと思います。
現実にも海水がきれいになったら、大幅に漁獲量が減ってしまった問題に直面しています。
大昔の開拓計画に基づいた水門によって諫早湾へ栄養豊かな地表水が閉ざされると、どうなったか?
諫早湾の漁業は壊滅しました。
開拓地は牧草地となって牛を放牧しているからいいだろうという反論はあると思いますが、漁業者側の反対の根拠は無惨にも国家が無視した。
海がきれいになったからイイジャン
こういう本音が見え隠れしています。海の水が透き通っていれば気分がよいのだから、魚が穫れなくなったって米国産の肉でも喰え、とこんなところでしょう。
うろ覚えなんですけども、何年か前にかつて東京湾沖で東京都の屎尿を流していたというニュースを観ました。
屎尿運搬船(屎尿海洋投棄船)のドキュメンタリーだったかな。
東京都内でも汲取り式便所で回収して、その処分は海洋に投棄していたのです。平成の始めのころまで。
郊外では屎尿は肥料として引き取られていたのですが、宅地となってその需要は消えてしまった。
自分が子供の頃は汲取り業者ではなく、近所の農家のお爺さんが汲み取って行ってくれました。お互いにお礼を言って野菜を置いていってくれたこともあるそうです。
年配の方からは屎尿運搬の貨車が通ると鼻を摘んだり、慌てて電車の窓を閉めたよねえという話を聞いたことがあります。
江戸川区や大田区の資料館には江戸時代のたしか肥船(こやしぶね)が展示されていたかと思います。
郊外からは農産物、都市からは人肥が運ばれていた古い歴史がありました。
そして畑に撒かれた人肥は、河川に流れて、やがて海へも栄養を届けていった。
現代の日本海域は貧栄養状態となった
皮肉なことに海がきれいになるほど、漁獲高は右肩下がりに落ちていきました。
下水処理が普及したこと、河川がコンクリートで護岸されて農作地からの流入が減ったこと、海岸線は工業地帯となったなど複合的な要因があるのですが、たしかに日本の河川はきれいになりつつあります。
ドブ臭い川はなくなったことは良いことだと思います。
鮎や鰻が穫れるようになったという嬉しいニュースもあります。
でも一方ではここ20,30年で漁業はずっと不振に喘いでいるのです。
去年には「森は海の恋人運動」の畠山重篤(はたけやましげあつ)氏を取り上げました。
過去ログ:森の腐葉土が海を豊かにするというお話
森が消えると海も死ぬという大発見をしてから、畠山氏が苦労して牡蠣養殖業を復活させるという教科書にも載っているお話です。
30年間で漁獲量が半減してしまった瀬戸内海に面する自治体が、窒素と燐成分を含んだ排水を意図的に放出することで漁獲高を復活させようとしています。
国は富んだが山河死ぬ
結局日本が進めてきた国土開発、基盤整備はなんだったのでしょうか。自らの首を絞めていただけだったのでした。
農業、漁業軽視のツケをいま払わされているのでしょう。

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Monday, December 16, 2019, 11:10 AM
なんかもう、あ~あと溜息がでるような記事です。産学協同でロボットをもっと採用しろという経産省の提言です。
こんなことは少なくとも20年前には言うべき事です。
私は25年前に溶接ロボットを開発に携わったことがあります。「現場杭鉄筋(かご)熔接ロボット」という名前だったか、そんなような感じのブツ。
鉄筋を差し込むと、自動的に溶接機が動いて必要箇所を熔接する仕組みです。
それまでは何人もの職人が注文書に従って、遠く離れた工場で足場を組んで作業をしていた。
そして組み上がった鉄筋を大型トレーラーで建設現場に運び入れていたのです。
組まれた鉄筋はスカスカで容積は大きいだけ。それを大型トラックやトレーラーで運ぶのはとても非効率だった。
工場の作業をビルの建設現場で行えば、効率は飛躍的にあがります。
装置(溶接ロボット)はトラックの荷台に載るサイズですから、全国どこへでも動けます。
ボタンを押せば火を吐き回転して鉄筋を飲み込んで行く姿はとても昂奮しました。
きっとこの機械が全国に普及すれば、建設業の効率は飛躍的に上がるだろうと思いました。
ところが、いまだそのようなロボットをビル建設現場に持ち込んでいるところを見たことがありません。
昭和時代からビル建設の工法は変わってない
せいぜい水準器がレーザー式になったぐらい。
あとコンクリートの打設がポンプ車でやるぐらいかな。
鉄筋作業は高所で溶接工がいまでもチマチマやっている。
ガガガーと鉄筋編みを一気にロボットでできるのに、なんでか自動化をしない。
それはなぜかというと
人件費が30年ずっと上がってないから
以前、近所のマンション建設現場で職人の親方と若手の会話が通りすがりに聞こえました。
鉄骨の熔接だったか、外壁の工事か忘れましたが若者が「こんな作業は今は機械でできないんすっかね」
「バカ!機械代よりも俺たちの賃金の方がずっと安いからだ、つべこべいうな」
そんな会話だったと思います。
大型マンションだから同じ作業を延々と繰り返す。それでついつい愚痴った若手に親方がどなったのでしょう。
日本の土建業でロボットや自動機械が導入されないのは、多重の下請構造と人間の方がコストがずっと安いからなんです。
自動化した熔接機械はあるのですが、そんな機械で能率が二倍になっても、だったら職人二人を手配した方が安いという判断になる。
先端技術は下請の末端零細企業には伝わらない
IT企業は手っ取り早く大企業や大手にしか営業しません。結局のところホワイトカラー同士の話合いで終わってしまうのが現状です。
景気がよい頃は、ウチはこれだけ先端技術がありますよというアピールのために引き合いもあったのですが、今はそんな目的もない。
人手不足だという下請企業の悲鳴は聞いていても、大変だよねえ程度の認識です。
誰も知らない中堅以下の企業には先端技術はトリクルダウンでしか伝わらないのです。
経営者も言われたように職人の頭数だけを揃えればそれでよいという待ちの姿勢です。
必要としているところと研究機関(大学や工専)との連携はまったくない。
このような社会構造となっているので、私の溶接ロボットは全く世に出なかったのでしょう。
この記事の最後のコメントがロボットを活用するアジアが台頭していると言ってますが、そもそも私がこの会社に在籍していたときに作ったのです。
丁寧に売っていけば今頃なら私は事業部長になっていたでしょうね。<先見性のないバカ企業で運悪く働くと最悪だった>という見本が私ですw
日本は人間がロボットより安いという途上国型労働だからだよ

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Sunday, December 15, 2019, 09:50 PM
NHKのいだてんの最終回を観ました。そして宮藤官九郎の才能に感心しました。
何を自分は感心したのかというと、どの登場人物にも必ずヤマ場を持たせているということ。
脇役であってもあるシーンでは主役としてライトを当てていると言うことです。
たとえば足袋職人(ピエール瀧から三宅弘城)であっても、最終回の1964年時点でも登場させている。
脇役も主役なみに輝かせるのが宮藤官九郎の手腕なんだ
と気付きました。メインストリームである、加納治五郎と田畑政治が苦労したオリンピック誘致と1964年東京オリンピック開催にたいして、それにまつわる人物関係がドラマの構成にすぎないのですが、実話をからめただけのドキュメンタリードラマとはならない。
それはなぜかというと、宮藤官九郎は丁寧に、繊細に脇役までもドラマを作っているからです。
いわば小さなドラマを集合させて、大きな東京五輪開催というプロジェクトを浮かび上がらせたということ。
「いだてん」の最終回を観て、あらためて宮藤官九郎という人物の才能はすごいなと思いました。
そしてシナリオ作家という職業はとてつもない能力がないとできないでしょう。
たとえば、あることがあったから、結果としてこうなった・・・これだけじゃドラマにならない。
情念(怨念、執着、嫉妬、怒り、悲哀、愛憎)で皆が没入する
市川崑役で三谷幸喜が最後に出ていましたけども、本来同業(劇作家)者は他の同業者とは関わりたくない。
でも役者でもない三谷幸喜が宮藤官九郎の作品に登場したということは、それだけ三谷幸喜が宮藤をみとめているということです。
金栗四三から田畑政治と主役を変えた変則的なドラマですが、みごとにストーリーをつなぎ合わせた宮藤官九郎の才能とその手腕には感心しました。
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Friday, December 13, 2019, 11:32 AM
バカ丸出しの新聞記事です。巨大金融資本の走狗である中曽根康弘を称賛するような内容です。
さすが読売、くだらないヨイショ記事です。日刊CIAと言われているだけある。
サッチャリズムで英国の没落が加速した
イギリス人にとっちゃ、マーガレット・サッチャーは唾棄すべき売国奴です。
同い年の英国人によるとサッチャーが登場して、経済はガタガタ、治安は悪くなり、職のない若者は麻薬に溺れていったと話してました。
刑務所が満員なんで麻薬ぐらいでは収監されないんだともね。
サッチャーは主要産業を工業から金融業へと大きく政策転換をしました。その結果、首都ロンドンはウィンブルドン現象といわれるように、海外巨大金融資本の草刈り場と化して、それまでの労働者との貧富の差が拡大しました。
唯一の輸出産業がビートルズのレコードだとも自嘲してた。
そこまで落ちぶれるきっかけがロックフェラーの操り人形であるサッチャーです。
中曽根康弘もレーガンもロックフェラーの駒にすぎない。
そしてキッシンジャー(デヴィッド・ロックフェラーの番頭)の忠実なポチ犬として日本政界で活躍した。
サッチャーと同じく中曽根も公共事業やインフラ整備にアメリカ企業も参加できるような道筋をつくります。
例えばGEのMarkⅠといった原子炉を無理やり押しつけた
そう、欠陥原子炉であるGE製を中曽根康弘と読売新聞の正力松太郎(CIA工作員)が政界工作で建設させた。それが福島第一原発です。
小さな政府というスローガンは、そのまんまアメリカ共和党のスローガンのまるぱくり。
そのうえ、その実績といえば国鉄と電電公社を分割して”民営化(privatization)”したことだけ。privatizationは私有化が本当の意味です。
つまり重要な国家インフラを外国資本に売るという行為。
これに続く売国奴は郵便事業を売払った小泉純一郎と、労働者を企業の奴隷とした竹中平蔵であることは言うまでもない。
社会基盤(インフラ)とは国民の共有財産である
このような視点を無視し、リターン(利益)がないインフラは斬り捨てて、利益が見込める社会資本だけを巨大金融資本家に売り渡したというのが、中曽根が始めた民営化という政策の実態です。
それは間違っているという人がいれば、今の英国議会の混乱をどう説明するのでしょう。
EU離脱はほぼ決定的となりました。どうせ貧乏になるのだったら、自国だけでやっていくぞという庶民の決心なんです。
自分もBREXITを支持しています。
後世では中曽根政権から日本は凋落したと判断されるでしょう。実際経済成長率は一気に減速して、いまだに成長はしていないのですから。
サッチャー以後の英国と全く同じ歩みです。

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Thursday, December 12, 2019, 01:24 PM
数学検定(数検)という資格があることをニュースで初めて知りました。
文科省が後援して公益財団法人が運営しています。
ネットで過去問が公開されていて、いくつか見てみました。
2級(高校3年生レベル)や準2級(高校1年生レベル)です。
ひねった問題かと思ったら、良問ばかりです。
難解な問題はないし、制限時間とにらめっこして解くような問題はないみたい。
落とすための試験ではなく、理解度を測るためであるので、むしろ受験勉強と違い、気楽なところがいい。
解き方も一つではなくいろいろ
図にしても良いし、方程式を作っても良いし、手当たり次第総当たりで見当を付けても良い。
準2級は微分積分はまだなので、因数分解で解くといった方法もある。
解説も一通りではなく、他の手法もあったりとホウホウと納得できます。
もし自分にも子供がいたら、一緒に設問を解いて遊びたいですね。クイズ感覚で数学能力を付けさせることが出来るでしょう。
数学能力とは問題の読解力のことなんです
数検1級(大卒レベル)でも問題はそれほど難解ではないので数学好きの高校生だったら解けるだろうと思います。
数学の能力ってなんだろうと、自分も悩んできたのですが、試験問題が解けるかどうかというのは結局は、問題の意味をしっかり理解できることなんです。
試験(資格)の設問はどうしても出題者の意図がでる
「すくなくとも一つ」とか「最小の答えを求めよ」という文言があれば、解はいくつかあることだし、最小や最大という言葉があれば、解はある範囲にあることを事前に教えてくれているのです。
問題をじっくり読んで、何を出題者は求めているのかがわかれば、あとはその意図に沿って回答すればよいだけ。
数学の試験は緊張するという人がいますが、自分は逆に設問を読むのが好きで、試験慣れしちゃうとどんな出題がでるか楽しみでした。
まどろっこしい表現をスッキリさせることが数学の本質
たとえば新幹線のぞみと、30分前に出発したこだまをどの駅で追い越すだろうかとか、こだまの乗客は到着まで何本ののぞみに追い越されるかといった長い長い設問があったとします。
ああ、この出題者は鉄道が好きで、運行ダイヤを想定しているのだなとかと思ったりします。
グラフを描かせたいのかな?それとも連立方程式でスマートに解答したらしいのかな?車両の速度差で公倍数の問題かな?といろいろ考えられるわけですよ。
それを俺はこう考えたと伝えるのが数学や物理学の本質なんです。
だからちゃんと問題を理解できれば小学生だって解けるのです。

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Tuesday, December 10, 2019, 01:20 PM
やまとはくにのまほろば たたなずくあおがき やまごもれるやまとしうるわし
古事記・倭建命(やまとたけるのみこと)
元号の出典が万葉集からとされていますが、逆さによめば「大和路令(うるわ)し」ともなるよと中西進氏が解説されています。
古事記にだって関連しているかもという含みもあるということ。
仮名で記されているので、読み下し文としてどの漢字を使ってもよいので、中西氏は令を使ってうるわしと読ませている。
麗や美では奈良の桜井の風景は頭によぎりませんが、令だと古代の首都・奈良の美しい風情が浮かんでくる気がします。
間もなく令和2年となりますが、令和っていい元号だなあと思います。
いっそのこと関西に首都を移せばよいのに
こんなことを考えているのは、どうも私だけではなく皇居を京都に戻すのではという噂がネットでは根強いです。
京都の京という漢字は、そもそも帝がいる都市(capital)という意味なのですから。

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Monday, December 9, 2019, 11:55 AM
まぐまぐニュースより
https://www.mag2.com/p/news/428417関東北部で地震頻発。専門家が観測していた「地下天気図」の異変
地震予知の第一人者、東海大学の長尾年恭(ながお・としやす)教授が監修する『DuMAの「地下天気図」』の記事です。
地下天気図という概念が斬新ですね。
グラフィックでわかりやすく表示する方法を工学的には可視化(visualization)と言いますが、地震が発生しやすく、すこし活発な地域を天気図のように色づけされています。
そして時系列でアニメーションとすると、なんらかの予測ができるのではとお考えのようです。
2018年6月18日に発生の大阪府北部地震を例にすると、直前までは京都・滋賀県北部と瀬戸内海あたりが、地殻が活発だった地域でした。
ところが地震発生の半年前(2017年末)あたりから急に活発は地域が、それまでの地域の中間点に移動します。
地震発生の直前で、そのエネルギーは最大となりました。
グラフィックで解説されるとわかりやすい
ぜひ上記のURLをクリックしてお読み下さい。
注目する点は、それまで穏やかだった地域が急に活発になるということと、そこは活発な地域の中間地点だということ。
東京に住んでいると、よく茨城県沖から茨城南部を震源とする地震がよくあります。
地震の発生箇所は天気図のように移動してゆく
高気圧と低気圧が動くように、地震発生が増える地域と減る地域に遷移するという考え方です。
茨城沖→茨城南部、そして数ヶ月前から埼玉北部へと活発な地域(地下低気圧)が動いているようです。
地殻の歪みが少しずつ伝播して行くのがよくわかります。
次注目するのは、いままであまり震源となったことがない空白地域です。
昨年の大阪府北部地震なんて、まさにそうです。
ちょうど地震が活発な地域の谷間であった。
こうしてみると、東京直下型はある可能性は十分です。
NHKでも一週間にわたって東京直下型地震のシミュレーションドラマをやっていたようですが、木造密集地域なんでヤバいっす。
スカイツリーあたりから北東側は空襲でも残った地域ですから、すごいんです。
埼玉でも震度4以上が頻繁に起これば、東京だってそろそろと心構えはしておきましょう。
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Sunday, December 8, 2019, 03:22 PM
自分のためのメモなので読まないでください。
自分が必ず読むのが新聞の書評欄。今日の書評欄をメモしておきます。覚えていたら書店で探してみようと思っています。
閻連科(えんれんか)という中国作家が紹介されています。自分は初めて知りましたが、中国のみならず有名な作家だそうです。日本でもメディアで新作の度に取り上げられています。
その人気作家・閻連科氏の短編集が紹介されています。記事冒頭の「愉楽」もけっこうぶっ飛んだ内容だそうです。
中段にはフランス文学者であり60年代の前衛作家である澁澤龍彦の伝記です。
怪奇小説では根強い人気があり、文庫化されたものが多い。またこの書評欄でも取り上げられています。
下段には東大の博物館の研究員の本「残酷な進化論」です。東大の膨大なコレクションは東京大学構内で公開されていますし、東京駅の隣の旧郵便のビルKITTEにも博物館があります。
東大もKITTEも無料なので是非立ち寄ってみてください。ありとあらゆるものが陳列されています。
下段左は町田康のエッセイらしい。文才ある人とは何をやっても様になるんだなと思います。
さて、なんで酒を毎日呑むんだ?という疑問には「キャラでもつくんなきゃやってられないよ」ということかもしれないと評者が記しています。
酒を麻薬に置き換えても、同じ答えになるのでしょう。
キャラでも作らなきゃやってられねえよ
薬物依存とはそういうことなのでしょう。
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Sunday, December 8, 2019, 02:15 PM
スペイン人の伴侶をもっていた東大史料編纂所の研究者による今日の新聞読書欄です。
岡美穂子氏は大航海時代の交易やキリシタンの研究者だそうです。
ああ、そうだ、この記事で紹介されている天正使節団が題材の「クアトロラガツィ」(若桑みどり著)と長崎の禁教下でのキリスト教を描いた「みんな彗星を見ていた」(星野博美著)は読みたいなあと思っていたことを思い出しました。
でもなあ、なんかこの本は既視感がある・・・
・・・買ってました orz
もう一歩で溜まったポイントを引き換えにポチッとしてしまうところでした。
本棚の山の上に置かれていた。
どちらも文庫本で、電車のときなどに読もうと本屋でカバーを掛けてもらっていたのです。
普段は単行本も文庫本も、私は絶対カバーを掛けてもらいたくないのです。
なぜなら、本棚にしまったときや床に平積みになると、分からなくなるから。
ただ、この本は分厚いので持ち歩くだろうと思ってカバーを掛けてもらっていたのです。
5月6月と持ち歩いて、電車で少しずつ読んでいたのですが、自分の著作にかかりっきりになって忘れてた。
どちらもキリスト教文学では有名な本なのです。
さて、この記事にはコンベルソ(転向者:convert)という単語が目に付きました。
日本に密航したイエズス会の宣教師、クリストヴァン・フェレイラ(ポルトガル出身の司祭、沢野忠庵)は迫害されていたユダヤ教徒の転向者だとも考えられています。(鈴木武雄先生の説)
フェレイラは危険な日本への密入国というミッションに参加し、日本での布教を目指します。ところがすぐに捕縛され、棄教を選びます。
遠藤周作の「沈黙」のお話です。
ただ司教という上位の地位を持つ立場でありながら、なぜフェレイラは死を選ばず棄教したのかというのがなぞであるのです。
鈴木武雄先生(「和算の成立」の著者)の説では、ずばり、コンベルソであったのではと指摘されています。
ポルトガルの商業都市はユダヤ人商人の街でもあるのです。
そうだそうだ、読まなくちゃと栞(しおり)を挟んだところを確認してみましたが、すでにほとんど忘れてました。読み返します。

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Saturday, December 7, 2019, 10:25 AM
読売新聞の東京地方版の記事です。
清瀬市では市内の銀杏を収集して廃棄物として処理していたが、販売したら年間100万円も利益がでたという記事。
他にも渋柿、剪定した枝をチップにしています。
燻製や路面材として使用できます。
東京も街路樹に銀杏が多く植えられていて(たとえば国会前や神宮外苑)、たくさん落ちています。
潰れたギンナンと枯葉は清掃車が掃いてしまう。
剪定した枝もゴミ収集車に突っ込まれて、清掃工場(焼却施設)に運ばれて燃やされてしまいます。
実にもったいないことをといつも思います。
やっと清瀬市による事例がでてきました。
予算を使うだけではなく、
『稼ぐ力』こそ(貧乏な)自治体には必要な能力
ではないでしょうか。
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