私が漫画を読まなくなったのは軽薄な”神さま”ばかりだから 
Tuesday, January 14, 2020, 01:28 PM
読売新聞で不定期に漫画やアニメの解説がなされています。昨日と今日は日本の漫画に於ける”神”の存在についてです。

最近の漫画でとくに読みたいと思うものがない。
よく読んだ「闇金ウシジマ君」と「空母いぶき」はどちらも終わってしまった。

娯楽として大人が読めるのはゴルゴ13ぐらいかな。サラリーマンの出世漫画(課長島耕作や釣りバカ日誌)は所詮はおとぎ話にすぎないので、若者にはまず受けないでしょう。

この連載では、漫画界の二大巨匠である手塚治虫と水木しげるが、それぞれゲーテのファウストをモチーフとした作品を紹介しています。(「ファウスト」(手塚)と「悪魔くん」(水木))

錬金術師のファウストが悪魔メフィストと取引をして浮沈の人生を遂げるというゲーテの戯曲です。

悪魔との取引で超人的な能力を持つ(そして苦悩する)というのは古典的なストーリーです。デビルマンが代表です。

ここ数日は秋葉原に用事があり出かけることが多く、相変わらずの外国人での賑わいを不思議に眺めています。

アニメチックな美少女が超人的な活躍をするアニメが人気ってのが、自分には信じがたい。ペドフィリア(pedophilia)そのもの。

日本漫画での”神”は子供向けキャラクターのひとつに過ぎない



人間と変わらない情緒をもつ人物として描かれているものが多く、それが物語では都合の良いときに登場するキャラクターでしかない。
寓話として神さまを擬人化した扱いで、作者の力量次第では薄っぺらいストーリーに陥ってしまう。これが今の漫画がつまらない理由のひとつ。

一方で、徹底的に”神”の存在を否定していたのが、ご存じ「なにわ金融道」です。青木雄二はゲーテではなくロシア文学、ドエトフスキー「罪と罰」を読み込んだとインタビューで答えています。
政治犯として収用された経歴がある、不遇だったドエトフスキーと貧乏でもがいていた青木自身を重ねていた。

徹底して"救い”がないストーリーで、ハッピーエンドにはならないことが衝撃的でした。

水木しげるも神による救いがなく、亡霊の幻視ともみえるものばかりです。水木しげるの戦争体験がそうさせたのでしょう。

幸せって何?貧乏からの救いに答える漫画の神さま



子供向けだったら、陳腐だけど、こういった安易な設定はありでしょう。不幸からの一発逆転という願望ですから。

でもね、神さま(善)と悪魔(悪)なんていうキリスト教の二元論で切り分けられるほど単純ではないと、思春期を過ぎたら誰でも気付く。

それでも正月には初詣をし、賽銭をなげて祈るという他力本願の行為は伝統であるからと多くの日本人は考えている。

神さまは自分の内にあると唱える、自己啓発はそれを逆手にとった洗脳商売です。
霊的な神さまが存在し、自分に何かしてくれるなんて思わせるのはカルトの常套です。

日本人の言う神さまとは、古来より占い師・呪い師に過ぎない

(副島隆彦談)

古来ギリシャ時代から哲学者は神をなんという言葉で表現していたのかというと、Universe(ユニバース)と言っていました。これは現代の科学者でも共通です。宇宙という訳語ではわからない。

検索キーワード:神さま:

俺も生まれ変わったら天文学者になる
「お客様は神さまです!」では良い仕事はできない
神(創造主)という概念は宇宙人であっても共通だろう
πの歴史は人類史である(夏休みの課題図書)
清水富美加を笑う資格は誰もない。「物理学者が解き明かす 思考の整理法」
イギリスの産業革命で思想(宗教倫理観)はどのように変化したか
電車遅延で車掌に難癖をつけるような下流市民は公共機関の利用を禁じるべき

検索キーワード:自己啓発:

(馬鹿ブス貧乏の)究極の『サバイバル・バイブル』が上梓された!
「メンタルを鍛える」「自分を信じる」はあてにならないコメント
人類の最終兵器(ultimate weapon)は殉教精神(martyrdom)であることを知る
スピリチュアリズムとは無自覚な土人宗教です
「夢」はいつから抱くものになったの? 「夢」の濫用にもの申す
なぜ国語の授業では明治文学が取り上げられるのか?
人も食料も工業生産物もすべて消費財(コモディティ)となった
プロテスタント国家は人民を幸せにしたのか



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全体主義(トータリタリアニズム)の中国がアメリカを打ち倒す 
Sunday, January 12, 2020, 11:54 PM
 昨日の台湾総統選挙では民進党の蔡英文氏が圧勝したようです。この予想は副島先生の新著「全体主義の中国がアメリカを打ち倒す」(2020年1月1日刊 ビジネス社)の第4章で詳しく背景が述べられています。

(貼り付け始め)
アメリカがそのように仕組んでいるからである。「台湾は中国に渡さない」という固い決意による計画である。
 そのために、去年(2019年)の早いうちから、国民党の候補として韓国瑜を有力な競争相手としてアメリカが作り上げた。この韓国瑜という男は、高雄市長になったばかりであった。降って湧いたように、「民衆に大人気だ」というメディア宣伝が行なわれた。

〜中略〜

鴻海精密工業の会長の郭台銘(テリー・ゴウ)が、2019年4月に総裁選に立候補を表明した。そして、「自分こそは台湾の指導者にふさわしい人物だ」として、勢いよく選挙運動を始めた。
 ところが、テリー・ゴウは、7月15日に国民党の統一候補を決める予備選挙であっけなく敗れた。

〜中略〜
彼は、国民党を背後から操るアメリカのチャイナ・ロビー(注:台湾の独立派の工作)にまんまと嵌められたのだ。
 おそらくテリー・ゴウは、習近平と深くつながっている。

〜中略〜
 テリー・ゴウは、その前にトランプ大統領をだまくらかす戦術に出た。テリー・ゴウは、トランプ大統領から、「ウィスコンシン州に200億ドルでホンハイの液晶画面の工場を建ててくれ」と頼まれて、それに応じた。
〜中略〜
 テリー・ゴウは、トランプとの騙し合いの腹芸を続けながらも、「台湾人で唯一直接ホワイトハウスに行ける人間」として、台湾の選挙で自分を売った。同時に、自分は生粋の国民党を支持する家の出である、ということも強調した。
(貼り付け終わり)


韓国瑜は最初からアメリカによる当て馬に過ぎなかった



景気低迷で人気のない民進党に対して経済政策を訴える国民党という大まかな構図での選挙ですが、副島先生はさらに深く解説をされています。

(貼り付け始め)
重要なのは、中国共産党(北京政府)が、国民党を根っからは信用しないという判断を持っていたことだ。これが正しかった。なぜなら、蒋介石が率いた国民党は、共産党の天敵(ナチュラル・エネミー)であり、国共内戦を戦った相手だからだ。

〜中略〜
最初からテリー・ゴウを落とすために、アメリカのチャイナ・ロビー勢力が韓国瑜という、台湾陸軍士官学校出の軍人を、人気者として、ものすごく売り込んだのだ。

〜中略〜
 ここまでは、アメリカのほうが一枚上手だ、ということになる。トランプもこの演戯に加わっている。しかし中国は、この後、反撃に出るだろう。


〜中略〜
 私の予言では、蔡英文が再選された後、すぐに大きな批判が起きる。ただでさえ人気のない不評の総統である。だから2年ぐらいで辞任に追い込まれるだろう。次の4年の任期をまっとうできないだろう。テリー・ゴウはそのとき総裁選に出るだろう。
 これが中国からの大反撃である。中国は「あと4年我慢しよう」などとは考えない。中国は自国内で進むデモクラシー導入の制度変更に合わせて、台湾民衆の支持も取り込めるように着々と動くだろう。
(貼り付け終わり)


副島隆彦先生の近未来予測では、前著からも2022年からデモクラシー(民主政体)に移行されていくとされています。習近平の3期目が2022年に始まり、その任期5年の間に中国では普通選挙と複数政党制が実現されて、晴れてデモクラシー国家として世界から了承される。
この動きに呼応して、台湾世論も「自分たちも漢民族の一部であり、中国人だ」という流れへと宣伝工作が為されてゆく。

経済成長が続くことを条件に、台湾は中国の一つの省になってよいと考える若者たちも増えると予測されています。

このような状況になると

アジアにおける親米・反共の砦は日本だけ



アジア情勢では将棋の盤上のように、入り組んだ状態であり、台湾が重要なキーポイントであることがよくわかります。
融資と通信インフラ、デジタル技術という飛車角で勢力圏を広げる中国に対し、自国第一主義(アメリカン・ファースト)という穴熊戦法を採りたいアメリカといえばよいのかな。

その結論は国力が強いになびくという単純な結末です。
さあ中国首脳部(習近平、王岐山、李克強)がどのように反撃をするかに注目です。
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明治神宮建立100年なので行ってみた 
Sunday, January 12, 2020, 11:29 AM
天気がよいので、オリンピック舞台としての雄姿を表わしている国立競技場(JR千駄ヶ谷下車)を眺めつつ、外苑からから取り壊される原宿駅を通り、明治神宮を参拝して、最後は地下鉄銀座線の渋谷駅をゴールに定めた散歩をしてきました。

国立競技場はまだまだ工事中で、道路脇から屋根を眺めるだけ。表参道から原宿通りはファッションの発信地として賑わっており、デートの定番コースです。

目的地は明治神宮です。正月明けなのでそれほど混雑していません。
ゆっくり参拝しました。

鬱蒼とした杜は、ずっと自然林だと思っていました。ところが100年前に林学博士・本多静六が綿密に計画した広葉樹による人工林だということを最近知りました。

巨木の下に苔むした倒木と小川、そして静寂な空間



ここが元々は荒れ地だったとは想像できない。隣は原宿駅ですし、反対側は代々木公園(オリンピックセンター)と、人工物が立ち並ぶ地域でここだけがスポッと型で抜かれたような天然の場所です。

あと東京都心で思い浮かぶ自然公園はいくつかあります。たとえば調布や三鷹などにです。

また目黒の国立科学博物館附属自然教育園も、元は御料地であったため自然のまま残されています。

このように東京は数少ないですが散策を愉しむこともできます。

かたや大阪や名古屋は箱物による都市計画で100年後200年後を見据えた都市計画がなされていないので、ちょっと残念です。

最後に銀座線の移設されたばかりの銀座駅にたどり着きました。
11Fが展望フロアなので、ぜひ立ち寄ってみて下さい。眼下にはスクランブル交差点が見えて、道玄坂方面もよく見えます。

人工物で埋め尽くされた空間に圧倒されること請け合います。
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アメリカは王様を認めない国家であること 
Tuesday, January 7, 2020, 11:18 AM
アメリカの正式国名がUnited States of America(アメリカ合衆国)というのは誰だって知っていること。
50もの州の集合体という意味が国名に表示されている。

それではなぜ”合州”ではなく”合衆”なのか?
この疑問は自分もずっと思っていました。

新聞によると、1844年から中国(清)で使われ始めたのが起源ということ。
幕末の人々は国王がない国家ということに目を奪われ、衆人による合議制という意味で最適な訳語としたのでしょう。

それでは連邦制のニュアンスが伝わらない


各州には独自の自治組織があり、憲法から裁判所、警察組織、さらには軍隊組織もあるほど独立したもの。
州知事というのは日本人が思うよりもずっと権限がある。

もっとも、日本の地方自治制度は県知事であっても、自治体の予算を承認するぐらいで政府/政党の駒ぐらいとしか思われていない。

霞が関の官僚は都庁、県庁は霞が関の出先機関と公言してました。市役所や区役所は上意下達の末端に過ぎず、すべては中央(官僚)に伺いを立てるべしということ。

一方では、アメリカでもヨーロッパでも、どんな小さな村であっても、その長は強い権限があります。

たとえば、日本ではマラソン大会でも実行しようとしたら、道路の使用許可を警察、公共交通との相談、さらには県や国との交渉と手続きが煩雑にあります。

外国人にはそれがとても不思議。村長や市長が認めれば、それがたとえ急に明日実施となっても必ず実施されるから。

警察はすぐに道路を閉鎖し、バスは迂回したり運行が調整されるのだとか。

日本ではマラソンや公道レースを地域活性化策として提案しても、たらいまわしにされて何もできないのです。いくらトップが認めているからと言っても。

実は埼玉で毎年行われていたお祭りが、今年からなくなった。それはなぜかというと、一人のキチガイがうるさいとの文句で市議会に取り上げられて、うやむやのまま消滅したのです。

総論賛成各論反対という合議制の悪い例として、語り継がれるでしょう。

日本の多くの会社も管理職とはいえ何も権限がないのは同じかな。誰が決定権を持っているのかわからないから、ダラダラと会議と交渉は続く。

ガバメント(政府、統治組織 Government)は市町村の末端まで日本人が思うよりもはるかに強力な権限を持っていることを知らない。
アメリカでは州知事なら警察や裁判所、軍隊でさえも動かせます。

ただ問題は地域毎バラバラとなり統一されないということ



外国に旅行している方は実感されるのでしょうが、都市部や観光地から一歩郊外に出たら、鉄道や道路はガタガタ、水道さえまともにでないなんてことがヨーロッパやアメリカではよく聞きます。自治の権限が強いと、国境や州境で景色が一変することはよくある話。公共事業も自治の一つだからです。

日本では県境でいきなり舗装が途切れることはあんまりないですね。国道が多いからでしょう。

デモクラシーの掛け声で権限がどんどん行政の下部にまで移譲されていった欧米に比べ、藩閥制度への反動から明治以降の日本ではどんどん中央集権化が進められた。
そして国家主義体制がどんどん強まってしまった。

多様性(Diversity)という面では、日本は真逆な対応をしてきたわけです。それがいまでも続き、日本人だけが当たり前のように飼いならされてしまった。

法律はお上が決めることと諦観して、税に対しても文句を言わない従順な国民となったわけです。

これは合衆国や共和制国家の国民からみれば、そうとう異質に見えるはずです。中世ヨーロッパの王政に反旗を翻してできた国家がアメリカ合衆国であり、王政に反感をもつイデオロギーは強い。

中東を一段低く見ているのはそのようなイデオロギーとは無縁ではないでしょう。

でもね、内心ではヨーロッパ貴族にあこがれているもの事実です。アメリカ人はイギリスやフランスにはなんとなく劣等感を持ってますから。
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知っているという事は簡単にできるようになった 
Monday, January 6, 2020, 12:06 PM

いよいよ今日から仕事始めで世間は通常モードになりつつありますね。

カルロス・ゴーンのレバノン逃亡やアメリカのイラン攻撃と中東がきな臭くなってきました。

テレビは昨年末の録画なのに正月らしさを演出した白々しさで興ざめで、何を観ても面白くない。唯一は木村拓哉主演のドラマが面白かったな。

新聞は相変わらず実のない記事ばかりで、三が日の新聞は食卓で広げたら、そのまま足元のごみ箱行き。

自分は知らなかったことは、スマホで続々とAI(人工知能)を活用したアプリケーションが出ているということ。

外国語にかざすだけで翻訳してくれるアプリがあることは知っていました。

ところが動植物や景色を内蔵レンズで写せば、自動的に名称を教えてくれるアプリもいくつかあるそうです。

”博識”という言葉が死語となっていくかも



辞書や図鑑って昔は大好きだったのに、そういやここ何年も開いたことがないや。

AIを活用した商売ってのはまだまだ増えてゆくのでしょうね。
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2020年 本年もよろしくおねがいします 
Wednesday, January 1, 2020, 08:36 AM


追記:電子書籍化されましました。アマゾンで入手可能です


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1点刻みの採点で合否の判定など誰もできません 
Tuesday, December 31, 2019, 12:26 PM
昨日の話の続きです。
大学の同級生らと忘年会をしました。大学を卒業して25年が経っています。子供が高校や大学受験を控えている世代です。
勤め人としては最終コーナーです。平成時代を振り返ってみればいいことなど何もなかった。

面白い話で、就職はみんなバラバラだったのですが、昨今の吸収合併でなぜか今では机を並べている。
就職時は安定な大企業だと思っていたら、本体から切り離されて、身売りされたりという経験の人も多い。私もそう。

落第していた奴が、いまでは大勢の部下を抱える部長になっているので、こっちはお伺いをたてる側やと笑いあいました。
これだけ浮沈があると、学校の成績と出世は全く関係がない。

就職して最後まで勤め上げるのなんて運でしかないよなあとうなずきあいました。

90年代の人気企業であった電気機器会社はどこも満身創痍のボロボロで、毎年のように名刺が変わっていたり、合併統合で勤務地もあっちこっちに動かされてます。

大学で習った知識を活かして勤めている人は大学教員や公務員などほんの一握りです。

別に悲観しているわけではない。実社会で役立たなくて無駄で遠回りのようだけど、学校での勉強は愉しい思い出です。

何が役立つことだったかなんて誰も分からない。

私が企画したゼミ旅行は楽しかったなあと、勉強できへん奴(私ね)を見直したよね、なんて昔話も飛び出します。

私が卒業した学校は全然有名ではなく、偏差値が飛び抜けて高いわけでもない。こじんまりとした公立の学校です。

卒業して30年近くも経っているのに、勤務地や結婚しているかといったこと、当時の指導教官らの近況までも知っています。

そんな話をすると、旧帝大系のマンモス大学を卒業した方が、大学同期と連絡を取り合い、卒業後に会うことなど滅多にないと驚かれていました。

べつに仲がよいというわけではなく、就職先に同業が多いので自然と「あいつなにしてる」という会話で情報が共有されている、ついでに呑むかという程度なんですけども。

さて本題。
1979年(昭和54年)から大学入試にはマークシート式共通一次試験が導入されて、1987年(昭和62年)まであったのかな。そして名称がセンター試験という名称に1988年(昭和63年、平成元年)になったと記憶しています。

原型は1969年(昭和44年)から始まった”能研テスト”なんだそうです。大学の利用が少なくて頓挫したもの。

1979年の共通一次試験開始当時にもずいぶん一悶着があったようで、それでもダマしダマし10年近くマークシート式試験が続いたのです。
このマークシート式試験が私立大学にも利用可能となってセンター試験という名称になり現在まで続いています。

共通一次試験とセンター試験の大きな違いは、全科目必須から取捨選択が可能となったこと。
私立大学の利用を促進するために、試験機関(大学入試センター)が妥協したのです。

こんなつまみ食いのような利用を認めたことで、大学生のレベルが全体的に下がったように思っています。そしてとどめは「ゆとり教育」という名の学業軽視のサボタージュ時代があったことでした。

入試制度をいじっても教育レベルは上がらない



選別方式がどうであれ、入試を実施する大学側もどんな学生が入学してくるのかは「クジ引き」程度の認識なんですよね、本音は。

結局大事なのは、専門性を学びたいという熱意のほうがずっと重要なこと。

ホリエモンのように東大でさえ何パーセントかは中退してしまうのが現実です、中退者がでると、密かに入試担当者は胸を痛めるそうです。中退しちゃうんならば、違う人を合格させておけばよかったなとね。

だから国公立大学でも推薦入試を重視する傾向が強まっているのです。入試を軽視しているわけではないのでしょうが、完璧な選抜方式でもないと誰もが思っている。

想定外の頭脳を入試制度で拾い上げるなどできない相談



他人が他人を評価して点数をつけるなど出来ることはできない。もしあるとすれば、それは採点者の主観です。

海外では面接の方が重視されるのはそういうこと。そして入学の許可を出した者が責任を負う仕組みが多いでしょう。

日本のように一斉に試験をするほうが、珍しいのではないでしょうか。

英語にヒアリングが導入されて、英語力は向上したか?



これが全然なんです。逆に日本語をおろそかにしがちとなって、母国語でさえも怪しくなっちまったw

スマホで翻訳してくれる時代となって、無駄な労力を受験生に強いていることには全く疑問をもっていない。

結局、大学入試ってなんなのさという疑問に、誰も答えられないのです。


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ミシュランはタイヤ屋で、ギネスはビール屋でっせ 
Monday, December 30, 2019, 08:56 AM
キムタクと鈴木京香の人気ドラマ・グランメゾン東京の最終回を観ました。
お袋が好きなもんで、それほどというならと自分も観ました。高級フレンチレストランが舞台です。

ミシュランの星を得るために奮闘するシェフのドラマなんですが、何がうけたんだろう。

「ミシュランの星はお客にわざわざ足を運ばせる価値があることの証」ということをこのドラマで何度も台詞がでてきます。

そうなんです、美食家(グルメGourmet,グルマンgourmand)たちにガソリンとタイヤを消費してまで、行く価値があると思わせるためのもの。元来ヨーロッパで自動車を使わせるための販促のためのものなんです。

ミシュランの星いくつのレストランと聞くだけで、貴族趣味が鼻につきます。俺だけかな。

ミシュラン以外でもそんなものがあるの?というと1980年代まではエッソやシェルなど石油会社もレストランガイドマップを出していた記憶があります。出光も観光案内を出していました。

ギネスブックなんかはパブなんかで販売していた「話のネタ本」がそもそもの発祥だそうです。

ミシュランにしろギネスにしろ神格化しすぎだよ〜



技巧に凝った料理はたしかに素晴しいのですが、はたしてそれを絶対的な点数で評価できるでしょうかという最大の疑問があります。

一部の金持ち・美食家たちへ提供する「話のネタ」(旅行の動機付け)に過ぎないミシュランガイドの評価を絶対視していることが、すごく嘘くさく、胡散臭く感じるのです。

これは誰も思いながら、虚構としてドラマを楽しんでいるのですからそれでいいのですが、レストランを評価するという単純な行為にも、される側にもいろいろと問題があることがわかるでしょう。

日本人に広く潜む『絶対神格化』の悪癖



医療(医師)を神さまかのように扱うドラマだとか、有能な経営者を神さまとして祭り上げるヨイショ記事だとか、そこらじゅうにあふれています。

べつに人気ドラマからこんな陳腐な話題をしたくはなかったのですが、明日のための前振りとしておきます。

新聞は正月モードでたいした記事がないので。

検索キーワード:神さま:

俺も生まれ変わったら天文学者になる
「お客様は神さまです!」では良い仕事はできない
神(創造主)という概念は宇宙人であっても共通だろう
πの歴史は人類史である(夏休みの課題図書)
清水富美加を笑う資格は誰もない。「物理学者が解き明かす 思考の整理法」
イギリスの産業革命で思想(宗教倫理観)はどのように変化したか
電車遅延で車掌に難癖をつけるような下流市民は公共機関の利用を禁じるべき
神(GOD)はサイコロをふるのか (人間に『自由意志』はあるか)
日本に革新思想が根付かないのは、無信仰な国民性だからです
思考停止に陥る危険な言葉・・・それは馬鹿が拝む「ナントカの『神様』」
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ヒューマニズムでは貧困問題は解決しないという例 
Thursday, December 26, 2019, 12:40 PM
チョコレートの原料であるカカオ豆の2大生産国、コートジボアールとガーナは生産農家のために割増金を買い付け業者に義務づけることになりました。

チョコレート全産業12兆円のたった5%(6000億円)


農家がカカオを栽培して受取る金額は両国あわせても5〜6000億円の規模しかないということが問題視されています。

農家が貧困なら、輸出するコートジボアールとガーナだって貧困国です。
チョコレートの利益はほぼすべてヨーロッパの企業が独占するという構造。

カカオ以外の農産物ではコーヒー豆や砂糖きび、綿、タバコ、ゴムといったものも同じです。
モノカルチャー(単一作物)を安い労働力で作らせ、宗主国の国際資本が安く買い取っていくという搾取型経済の代表です。

生産地と消費地の経済格差を利用して、安く大量に作らせる方式(植民地主義)は大航海時代を経て20世紀初頭まで続きました。

グローバル経済の元祖とも言えるでしょう。求められているのは労働力だけ。

『優先的地位の濫用』は国家間では問題とならない



わずかな外貨獲得のために、独裁者は自国の資源や労働力を安く売り渡し、先進国はその恩恵を受けるから。

そのような世界の構造、つまりアメリカ・メジャーの搾取に反旗を翻したのがイランですね。

サウド家が乗っ取って原油をジャブジャブとメジャーに売り渡して出来た国がサウジアラビア。

どっちが良い国かといえばイスラム民主主義を掲げるイランの方がサウジにくらべよほど民主国家に近いのです。

だからイラン偉い、がんばれと思っています。ヤクザ国家サウジアラビアは嫌いです。

『生かさず殺さず』の状態が安定状態という悲運



支配層にとって「依存させて、生かさず殺さず(さらには気付かせず)」という状況は支配の鉄則であり、最良の状態です。
団結しないよう国民同士を分裂させて競争させることも怠りません。

このようにみると、カカオ農家の貧困は、買い上げの価格を上げたぐらいでは解決しないと考えます。

なぜならカカオは市場価格で決まるから。

豊作ならば値崩れし、凶作ならば収入がないという、単一農業はどっちに転んでも高収益は見込めない。

江戸時代の農業も大きく見ると、米ばかりの単一栽培と言えますから、農民は常にカツカツの生活を強いられてきた。

大飢饉もたびに餓死者が大量にでるのも固定身分制で産業が未発達だったからでしょう。

割増金で森林破壊(自然破壊)が進むだけの結果



この記事は最後に増産による暴落、環境破壊が進むと警告しています。自分もこの結末には同意します。

構造的な貧困問題は、値上げだけでは解決はできないだけではなく、問題を拡大し複雑化させる危険性があるのです。

農業の保護や補助金は国家政策としてやらねばならぬ事であって、それは先進国(アメリカやフランス、ドイツ)でさえも農業は国家の補助金が注ぎ込まれています。

国内農業の保護は自給率という単純な問題ではなく、海外資本によって政治まで侵食されるという危機感だからです。もっともその加担をしていた国だからこそ、自国の農業保護は手厚く万全を期しているのです。

日本の政治家はそのことを知っているのでしょうか。また国内の農水産業への補助金を敵視するメディアも同罪です。


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書籍の要約サービスというのはとても興味深い 
Thursday, December 26, 2019, 09:45 AM
日経ビジネスのweb記事

「書店・出版社の敵」は誤解、広がる書籍の要約サービス



情報工場(東京・港)という会社が書籍取次大手のトーハンと資本業務提携をしたという記事です。

ビジネス書や教養系の本を3000字にまとめたダイジェスト版を配信するそうです。

書店が消えて探索する機会が消滅しつつある



本の出会いが消えつつある状況の打開として、ダイジェストを広く配信して少部数の本も知ってもらおうという狙いです。セレンディップという有料サービスです。

Amazonのお勧めはあくまでも過去の履歴を分析した結果にすぎません。

ネット版リーダーズダイジェストともいえますね。ただリーダーズダイジェストは40年前(1980年代)に非常に怪しい販売方法をしていたことで問題視されていました。

<あなたは当選しました/選ばれました>という内容のダイレクトメールを送りつけて、それで定期購読をさせるという悪徳商法です。

ええ、当時中学生の私は、リーダーズダイジェストのDMエアメールを真に受けて、なんかわからないけどすごいやと思ったことがあります。

アメリカから自分宛の手紙、それもよくわからないけど誉め言葉とともに何ドル受け取れますみたいな文章に昂奮しました。
子供ですから冷静な判断ができないのですよね。

ただ大人にリーダーズダイジェストって何と聞くと、書店で販売されている小冊子で雑誌や書籍の要約を載せているもの。そして日本ではかつては知られていたが、当時80年代ではアメリカの保守系雑誌として過去の遺物だと知りました。

個人情報保護法もなかったから、どっかの名簿がそのままDMに使われたのでしょう。当時は定期購読したらおまけをつけるとかで釣る学習雑誌や科学誌がけっこうあった。

リーダーズダイジェスト日本語版の実態は、最初の数十ページだけが書籍紹介で中身はほとんど通信販売のカタログw

アホな中学生でも書店で手にしたら、こんなゴミを誰が買うかと思いましたよ。
いまでもリーダーズダイジェストはあるようですが、昔の記憶があるので良い印象は全くありません。

要約(アブストラクト、Abstract)が軽視されている日本



論文はかならず冒頭に概要(overview)や要約(Abstract)を載せるのが作法です。

一般書であっても、副島隆彦先生のスタイルは導入部で内容と結末を開示してしまいます。ヘッドヘビーの書き方と言われています。

残りの文章は裏付けや詳細ですから、飛ばしても逆に読んでも頭に入りやすく印象が強く残る。

ところがこのような書き方は日本に於いては、あまりされないのです。

最後に結論や解説をするというフットヘビーになる書籍も多い。

このような本は読むのに骨が折れるのです。最後までしっかり読まねばならないし、読み返しも多くなるから。

教科書や参考書などが最たるものだと言えばおわかりになるでしょう。多岐に亘る内容や、視点をいろいろ変えてしまうと読者の頭脳は疲れるのです。

テーマや執筆者の考えが最初にはっきりしないと、すっと文章に入り込めないのです。
ただ、なぜか日本では秘すれば花とばかりに、素性や思想をぼやかしたりするのが道徳かのように考える著者が多いように感じます。

書評は評者のものであって著者は甘受すべきもの



いまや出版社も著者もネットの書評は無視できません。
書評は読み手のイデオロギー(信条)が入ることもある。でもこれは読者の受け取り方ですからそれで良いのです。

書評は評者のものですから、どんな感想でも著者はウエルカムなんです。

ダメでもありがたいのです。

ところが要約ってのは、テーマでありスポットライトを強く当てたいところ。または主張です。

何人もの編集者さんと関わってきましたが、ズバッと理解される人もいれば、すんげえトンチンカンな返球をよこす人も居ます。

そこはテーマ(本題)じゃないと言っても理解されない場合もある。

文章で理解してもらうのは難しいことなんだなあと思い知らされることもよくあります。

著者と編集者の熱量(思い入れ)が同じならば、よりよくなるのですが、熱量のバランスが違ったり、方向性が全然違うと文章が空中分解しちゃう。

たとえて言うなら、ミロのヴィーナスを作りたかったのに、阿弥陀如来か千手観音みたいになっちゃったぞ・・・みたいなw

だから要約は著者が本来は書かねばならないのですが、第三者が書くというのも得難い体験となるでしょう。

出版社−著者−書店ー読者、どこにもメリットのある有益なサービスだと思います。
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中古大容量リチウム電池の活用はとてもおもしろそうだ 
Wednesday, December 25, 2019, 05:00 PM
電気自動車がこれからますます増えて行くとなると廃バッテリーが問題となります。

劣化したバッテリーは自動車での再利用が難しくても、それで格安の非常用電源にしようという動きが伊藤忠や丸紅など大手商社などにあります。蓄電ビジネスはまず中国で実施されます。

非常用電源の大部分を占めると言われるバッテリーのコストが抑えられれば、家庭でも電気を備蓄する敷居はずっと低くなりますね。

天候で左右される太陽光発電のバックアップとしての活用も進むでしょう。

電力需要の平滑化によって、電力会社だって夏場のピークにあわせて発電所を増設する必要もなくなります。

電気を貯めることができると生活はよりよくなる



自前の発電設備で商業電気を使わない家庭や地域も出てくるでしょう。

むしろ、電気も自給自足できるようになればいいなあとも思います。

また電気がない田畑など農業用地で電力を使うことができれば、IT化や電動化も可能になります。

廃バッテリーが大量に出回るであろう20年後や30年後には、住環境は大きく変わると思います。大きなビジネスチャンスと前述の商社は狙っているのです。

災害が発生するとまずは電気の確保に走る



言うまでもなく災害現場では何はともあれ、みなさんスマホの電池残量をいの一番に心配されています。自分はスマホは使わないので理解はできませんが、電気が断たれると、真っ先に欲しいのは情報であることは間違いありません。

阪神・淡路大震災(平成7、1995)を自分も出勤途中の大阪市内で経験しました。会社には当然誰もいなくて、他の地域はどうなっているのかわかりません。事務機器しかないのでニュースを聞くことも出来ません。

廃棄物置き場にラジカセが転がっていたので、それでラジオを聞こうと思い立ちました。
ただ乾電池などあるわけがない。

ノートパソコンのACアダプターを拝借して、ラジカセの電池ケースを壊してクリップや針金を介して無理やり電気を供給して、ラジオを聞くことができました。

もっとも停電になったら駐車場の社用車で寝とけばいいやと気楽におもっていましたけども。

見渡せばそこらじゅうにリチウム電池はある



当時の電池といえば乾電池か鉛バッテリーしかありませんが、いまやそこらじゅうにリチウムイオン電池はあります。
PC,携帯電話、デジカメ、ゲーム機、電動工具、そして電動自転車などなど。

特に大容量の電動自転車のバッテリーはスマホ程度の小家電なら問題なく充電できますし、照明や省電力の家電程度なら動かせそうです。

実際に電動自転車用のバッテリーを災害時には緊急電源として活用するアダプターもありますし、逆に太陽光発電での充電先に自動車だけではなく、自転車バッテリーにも充電させておくこともできます。

商社がやるまえに、電動自転車の廃バッテリーで小型非常用電源のDIYはいかがでしょうか。格安で作れると思います。

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インフォーマル経済とはネット上での身分証明が前提の経済である 
Monday, December 23, 2019, 01:53 PM
今日の新聞記事
情報通信技術によって、次々と新たなサービス(ビジネスモデル)が生まれてきていることを題材とした連載記事です。

インフォーマルってな言葉は、フォーマルが儀式における正装という意味に対し、インフォーマルとは簡略化した服装、略式という意味なんだそうです。

ある程度のレストランではインフォーマルが前提。すなわち襟付、ジャケット+タイのスタイルが必須のところもよくあります。
追い返されるところもありますが、銀座の交詢社のように、クロークに案内されてジャケットとネクタイを貸してくれるところもあります。

経済用語では政府の統計では計上されていない経済活動のことを指すそうです。

これまでは地域のバザーとか不要品のフリーマーケット(泥棒市)、農家が畑の横でやっている無人販売所みたいな無視できるような規模の経済でした。

記事は、インフォーマル経済がネットによって拡大し、発展途上国での経済にも大きく寄与したという総括です。
古書店や中古屋・骨董屋はあったし、古書店やリサイクルショップを巡るのを趣味とする人も昔からいました。インターネット登場によって、個人間売買規模も飛躍的に大きくなったのは言うまでもない。

取引を担保するのがデジタル的な身分証明であり信用だ



経済活動がシェアリングエコノミーへ移行する鍵は、身分の信用情報であるということ。

なるほど、だからなんとかペイの普及に各社血道を上げているわけだ。

ただ、私は民間企業が個人の信用情報を持つことは反対です。

なぜならリクルートのように就職を希望する学生の情報を本人の知らぬ間に売ることや、独占的に有利な立場を得ることができるから。

特例として金融機関には信用情報を共有しても良いと法律(貸金業法)で定められており、登録機関しか参照できません。

昔からブラックリストといわれて知られていますが、事故情報(不払い)以外でもサラ金の利用履歴もすべて洩らさず記録されてます。

サラ金を一度でも摘むと銀行のローン金利上がっちゃいますからね、絶対ダメですよ。今は銀行配下にサラ金業があるのですから。

情報通信技術が銀行に代わって信用創出する時代へ



この記事の内容は、金融システム、国内の銀行機構が未発達な国には情報通信技術(ICT)の恩恵が大きいと結論づけています。

そのとおりでしょう。

インターネットテクノロジーを提供するIT企業が信用担保を肩代わりしてくれたおかげです。

ただし、今の日本では100%テクノロジーの恩恵を受けるのは難しいだろうなあ。

なぜなら途上国と違って既に確固たる金融システムが出来上っているから、その摺り合わせは容易ではないのは誰でもわかること。

都市銀行はATMの維持だけでも四苦八苦しているような状態です。

中国がキャッシュレス大国となったのは銀行の信用管理が未発達であったことが最大の要因。(そりゃ企業は国営ですから)

そして個人の信用情報は実質国家が握っていることです。(よくも悪くもですが)

既存の金融システムの大変革が起ころうとしている



来年9月からはマイナンバーカードで25%のポイント還元をする方向を政府は示しています。

それではその仕組みをどこが提供するというのでしょうか?

たった半年のキャンペーンのために、現在の決算システムを手直しすることは現実的ではない。
ましてや現在のポイント還元キャンペーンはマイナンバーには当初から紐付けられるような設計にはなっていないでしょう。

一番妥当な案は、マイナンバーと名寄せされた銀行口座をの取引情報を管理している銀行の信用機構に乗った方が円滑だと思います。

そして2021年からはマイナンバーカードがキャッシュレスシステムとなり、やがては免許証や健康保険証にもなってゆく。

個人の金銭情報は国税が握っていて、政治家からも怖れられる隠れた権力となっていました。

霞ヶ関の宿願であった国民総背番号制が完成するのです。

この記事の結末に「人間らしい未来の経済文化はどうなるか」とありますが、ちょっと何を言っているのかわからないw

中国が実施している信用スコアが人間らしいとはとても思えませんがね。

デジタル空間ではまるで士農工商穢多非民の区分が復活する



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経済学とは物理学であり、経営学とは解析学の派生だったのか 
Saturday, December 21, 2019, 12:35 PM
最近はよく講談社のブルーバックスを読んでいます。新書サイズで単行本よりも気軽に買えるため昔からお馴染みですね。新書判の草分けみたいな存在でしょう。

過去ログ:次の課題図書はこの2冊だ。物理学者が解説する経済学

パラパラと飛び飛びに、馴染みがある部分だけをつまみ食いしながら読みました。
高校レベルから大学基礎まで幅広く解説されているので、分かっているところは読み飛ばし、ぜんぜん分からないところはそのまんま。いわゆるつんどく状態。

またなんかのきっかけで、再び開く。そんな読み方があっている本です。

もうちょっと軟らかい本が欲しいなあ。

マンガ量子論入門 J.P.マケボイ 講談社2000.7
マンガ「解析学」超入門 ラリー.ゴニック 講談社2016.6



マンガというよりもコミック風イラストが挟み込まれている、アメリカの学習図書が元なんでしょう。
これも隅から隅まで順序よく読むよりも、知っているところ、名前だけ知っている人物を見つけたらそこだけ読むといった読み方です。

解析学って何かというと、大まかには工学(engineering)の基礎概念です。

自著「隠された十字架 江戸の数学者たち」p197の元の図

解析学の正体は<微分積分>そのものです。

たとえば80mの板があったとしましょう。これを使って囲むことができる最大の面積は?という問題。
幾何学的に言えば正方形が面積は最大になる
(追記:板ではなく紐とすると円型が最大面積となります。正方形の約1.27倍です)

それを証明するには代数によって数式化してやる。縦横をx、yとすると

2X+2Y=80
面積はx*y

つまり面積の式はx(40-x)→40x-x^2という二次方程式になります。

最大点は微分して40−2X=0となるところ
つまりXは20mで最大になる。つまり正方形が最大値です。
中学生ならグラフを描いて極大点を求めるのですが、高校生ならスマートに微分しておわりです。
(グラフはめんどくさいから描きません。原点からふたたびX=40でX軸に戻る単純な放物線です)
別に何次方程式でも構わないのですが、微分してゼロになる点が変曲点といって事象に意味があるのです。

最大や最小を求めるのが解析学(analysis)



いやらしいことに、工学では最適化(optimisation)って言う概念です。
たとえば建築学や機械工学では限られた条件で最大の強度を持たせる計算をします。

単なる無垢の丸棒よりも、パイプ状の方が同じ重量なら曲げに対する強度が高まります。
一枚の板でも、波状にしたほうが曲げに対して強度が高まります。

それを実際に式にして最大や最小を求めるのが最適化(optimisation)という作業。

理学部でいう解析学とは古典物理とも言われ、工学部では力学ってな名称になるのです。いやらしいですよね。
中身は一緒なのにそれぞれで使う言葉が違うので、混乱してしまうのが多くの学生の実状でしょう。

名称が違うだけで、実態は全く同じなのは他にもあります。

経営学とはグラフでの最大最小を求めるという学問



解析学というのは文系学問では経営学(Business Administration,management)ってな名前になっちゃうんです。

バブルの頃から90年代にはMBA(master of Business Administration)なんていう資格が流行りましたね。
その実態は最小コストで最大利益を求めることに過ぎないんです。

何千万円も金を払って、習うのは高校生レベルのグラフでお絵かきです・・・と理数系の人は思うでしょうね。
結局は代数学なんです。
わざわざ2年もアメリカに企業の金で行った先輩から聞きました、”算数のお勉強”でしたとね。

自著「隠された十字架 江戸の数学者たち」p199の元の図



大学入試制度改革が混迷していますが、自分がもし主張できるならば、ただひとつ

高校レベルを完全に理解できていれば世の中では十分な知識人だ



日本では卒業証書は能力の証明書ではないということは、今に始まったことではないのです。
分数計算ができない大学生なんてのも、耳にタコの手垢の付いた話題です。

大学入試よりも、まず高校を卒業してもその学力は、高校が一切担保していないのが一番の元凶なんです。

大学も学力がまったく見合っていないとすれば、高校に送り返して再教育するぐらいの荒療治が日本の教育制度には必要なのではないでしょうか。
留年なんかあたりまえ。
大学は専門家(professional)を養成する場であればいいと思っています。
日本では博士(doctor)という資格がありますが、専門家を指導できるレベルの人物を指します。Doctorって海外では一目おかれる人なんですが、日本は博士ってのは、あっても喰えない肩書きの代名詞です。

日本人だけは神学(哲学)も数学も科学も別々のように思っているのでしょうが、すべては同じ幹からの学問です。人文系学問だって元を辿れば同じこと。

学問は「神の存在、それを探求すること」という崇高な行為

このような共通の土台が日本の教育にはないのです。勉強の成績がよい悪いではないし、いくら入試制度をいじったところで、共通の認識が高校にも大学にも、文科省にもないのですからムリムダなことです。

経済学者(科学のヒエラルキーでは最下層)が数学者や物理学者から馬鹿にされるのは、経済学は古典物理そのものなのにイデオロギーでひね曲げるからです。

もっとも経済理論が正しいか誤っていたかは、時が流れないと検証できない。提唱したモデルも時代状況で刻々と変わって行きます。経済学とはバックミラーだけを見て車の運転をするようなことを強要する学問。

グルーグマンぐらいだね、自分の説は大間違いで馬鹿でしたと反省したのは。

過去ログ:経済学とは楽観主義者(optimist)による楽観主義者のための学問(洗脳)である


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なぜ公明党支持層は現自民党政権を支持するのか 
Friday, December 20, 2019, 09:46 AM
公明党の母体は言うまでもなく法華教系の宗教法人創価学会です。

宗教とは社会的弱者(貧乏人、カタワ、白痴)の拠り所

(副島隆彦談)

だから権力側(省庁・企業・アメリカ)の代弁である自民党とは本来対立するのが本筋です。

きっと公明党支持者なら、「いやいや、公明党は自民党の暴走をしっかり歯止めをかけているんだよ」と言われるかも知れません。

教員も学会員が多い職種ですし、ドライバーのような不安定な職業、飲食業も創価学会の人たちが多い。
自営業者や零細企業を経営する創価学会員は、自公連立が20年となって良いことがあったのでしょうか?

自分は社会がよりよくなれば、どんな宗教系の政党であっても結果がよければそれでいいと思っています。

いわゆるノンポリティカル(ノンポリ)です。

今年の倒産件数はリーマンショックを軽く上回る



特に増税後に急騰しています。

ここ浅草でも飲食店はガラガラ、大規模店舗でもブースは歯が抜けたように撤退しています。

景気がよくなる兆候はないし、今日のニュースでは医療費を抑制するために後期高齢者(75歳以上)は収入によって自己負担割合を2倍(2割)にして、70歳に定年を延長を予定しています。

つまり貧乏人・高齢者・社会的弱者はおろか現役会社員含めほとんどの国民には厳しい未来が待ちかまえている。
公明党は弱者の味方という看板を掲げているが、現状は真反対です。

カルト信者は真性マゾヒストか精神分裂症か?



20年の長期にわたり自民党と公明党は蜜月関係です。相思相愛で仲良く手を繋いでいる状況は、政治に詳しくないから不思議でしょうがない。

呉越同舟の野党でも、自民党の公認に成れなかったから仕方なく所属しているような自民党予備校みたいなところもある。(例えば松下政経塾出身者が多いアノ政党ですよ)

国会は自民党と自民党ファンクラブみたいです。愛するが故に貶(ケナ)すという、AKBとファン心理みたいなもんかなあ。

そう考えないと国会議員という仕事が理解できません。

公明党がひっつくのは、安倍内閣の本質は極左だから



安倍晋三が右翼だとかいう指摘は間違っていますよね。この長期政権は独裁・独善を進めたと後世では記録されると思います。

社会主義的な色合いがどの政策にも強い。

はは〜ん、独裁・独善・社会主義は宗教団体にとってはまさに理想郷です。

新聞によると、第一次安倍内閣で改正教育基本法に「愛国心」を盛り込んだのは他ならぬ公明党であるということ。

公明党は真性の右翼政党なんです。リベラルが大嫌いなのもなんとなく納得。

極右と極左が一緒になっちゃったのが、いまの第二次安倍内閣なんですな。

衆議院小選挙区で公明党推薦の自民党候補者は17年衆院選では96%にも達しました。

つまり自民党は公明党に乗っ取られたんです



創価学会員のみなさんおめでとうございます。今後も公明党の養分として励んで下さい。


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UNIQLO信者からWORKMAN信者に宗旨替えしましたw 
Thursday, December 19, 2019, 02:13 PM
冬はここ10年はずっと普段に着るのはユニクロでした。いやもっと長いかな。

フリース素材が格安で登場してからは、これでドライクリーニングに出す手間がなくなったと、ウールのシャツやセーターはタンスの奥に押し込んでしまいました。

フリースとウルトラライト・ダウンさえあれば、都心では十分です。

外で仕事をするときも、ヒートテックの下着を着込めばなんとか凌げます。

ファストファッション(大量生産衣料品)ばっかり着ているような気がする。というかそのものです。

アパレル業界の迷信に、

不景気ではアウトドアブランドが流行る

というものがあります。

アウトドアブランドが流行るのは、普遍的なデザインを求めて少しでも長く着たいという節約志向でもあるからでしょう。

二十歳からずっとアウトドアブランドや登山用アパレルを日常で着ていました。
つまりこの平成の30年から今に至るまで、ずーーーーーっと不景気だったということ。

別にメンズファッションに疎いわけではなく、ファッション雑誌も愛読していましたから、それなりにお洒落には興味がある普通の若者です。

いつかアルマーニやゼニア、ヒューゴボスみたいな高級スーツでビシッと固めたいなあ、なんて夢想してました。今は青山のスーツが一着しかない状況ですがねw

国内外のアウトドアブランドをずっと愛用してきましたが、ユニクロのフリースとダウンの登場で一気に宗旨替えしちゃいました。

だって値段1/5、1/10ですもんね。

有名ブランドの保温下着や登山用のフリースはとても高価で、惜しくて棄てられなかったのですが、引越の際に全部ゴミ袋行きです。何万円も出して買ったのがバカみたい。

同じ化繊製品ならモンベルよりもユニクロをまずは物色します。だって安いしデザインも良いし。

ヘビーローテーションならワークマン最強



最近はユニクロよりもワークマンに寄るほうが楽しみになっています。

昔は作業用のグローブや軍手をまとめ買いするときぐらいにしか寄らなかったのですが、最近はカジュアルウェアとしても着れる作業着をたくさん陳列するようになったので、衝動買いしてしまいます。

動き回ることを想定してあるので、とても機能的なデザインなんです。ポケット一つとっても、よく考えられている。

私の周りでもスポーツウェアとしてワークマンを愛用している人も多い。

そしてなんたってユニクロも凌駕するお買い得なその価格

防水ジャケットなんて3万円ぐらいしたのが1/5ですからね。

化繊のシャツはユニクロよりもずっと良いという評判です。

ファストファッションの台頭でアパレル全体が安物ばっかりになった



ユニクロが国民服となったおかげで、ここ20年、2000年頃から目に見えて大手アパレルの品質が落ちましたね。

アメリカ、イタリアやスペインのブランドも中国やベトナム、マレーシアなどアジアでの縫製となっています。

高級素材が売りだったブランドも、生地がかつての品質じゃないのです。アイコン化した模様は同じでも、タグをみるとウールにアクリルやナイロンが混ぜられている。ひどいのはレーヨンなのにウールのように売っているブランドもある。

言いたかないけど、バブル期に一世風靡したコムサなんちゃらなんか、今やロードサイドの量販店のものと変わらないし、シンプルなデザインならなんちゃら良品のほうが素材ではずっと上等です。

自分は学生時代紳士服量販店でアルバイトしたことがあるので、バーゲン品と高級品の違いをよく知っています。バーゲン専用、アウトレット専用の商品もあるんです。つまり元々から安物w

ファストファッションの台頭で、かつての高級ブランドもその製造手法を真似てコストカットになびいた結果、大量生産に向いた素材が多用されるようになったというわけ。でもこれじゃあ悪循環です。

ファストファッションが今ほど興隆していなかった頃、
90年代前半の超円高(1ドル80円)の頃、ここぞとばかりに海外通販で爆買いしてました。

たぶんインターネットがまだないから、どうやって買ったんだろうかというと、メールオーダーカタログというぶ厚い国際郵便がまず送られてきて、それを見て注文書を海外郵便で送るというもの。

LLBean、EddyBauer、Landsend、Columbia、NORTH FACE、Patagonia、SIERRA DESIGNS、WoolRich・・・

どうやってカタログを送ってもらうかというと、国内代理店で配布していたり、アメリカで留学している友人にお願いしてました。(つうか留学している友人が自分にお得情報を教えてくれたのですけどね)

一回注文すると、次から半年や一年毎に送られてくる。これが届くのが楽しみでした。円高っていいなあと心底思いましたね。

アメリカのサイズ表記がだいたい理解できる頃には、靴下からワイシャツ、ネクタイまでぜんぶ国際郵便で調達していました。

アメリカのブランド品がそこらの日本製よりもずっと安く買えたから。

(アメリカの通販はご丁寧に、前回注文の履歴もカタログと一緒に送ってくれていました。前回と違うサイズだと、これで良いのかという確認がありました。ランズエンドの場合です。ランズエンドは日本では知名度はあまりないですが、当時はNASAのスペースシャトル計画の公式ウェアで、宇宙飛行士からスタッフすべてが着ていました。アメカジの王道としてアメリカでは有名です。生地の良さでは定評がありました。)

タンスの奥にある20年以上前のシャツを引っ張り出して部屋着にしてみました。

これが縫製も素材もいいんです。一枚3000円ぐらいだったのですが、同じ品質なら1万円はするでしょう。

カシミアとかアンゴラのセーターどころか、ウール100%のセーターなどよほど高級ブランドじゃないと、いまじゃお目にかかれません。

同じウールでも古い方がずっと生地の質が良い。

タンスに防虫剤をいれて、古い服は大事にしようと思います。

(追記:
私(六城)は一時古い腕時計の蒐集に熱心だったことがあります。
きっかけは祖父が遺した古い腕時計なんですが、それで機械式腕時計にのめり込んだことがあります。

結論から言っちゃいますと、1950年代(昭和30年代)から60年初頭までの腕時計がたぶん最高なんです。60年代後半から1970年以降はセイコーのクオーツとの闘いでスイスの腕時計メーカーは死屍累々になっちゃった。ロレックスだってそう。
クオーツ式腕時計が登場して、それまでの高級腕時計の定義がすべて変わってしまったのです。精度では電子制御(クオーツ)には敵わない。だから高級時計の定義が70年代から急変した。結局は高そうという理由さえあれば高級時計ね(笑)

1970年代以降の”高級”時計は一様に価値はない


クオーツ式腕時計=使いっぱなしでもほとんど狂わない
旧来の歯車腕時計=定期的に時計店で調整が必要

結局は昔(60年代以前)の時計は、無名でも工芸的に技術的にもすばらしいものがいまでも眠っているのです。時計職人が内部を一つ一つ手で組立てていたけども、70年代以降は一つのモジュールを大量生産して、各社横断で共通化させていった。

結局、ブランドは違うけども中身はどれも同じになっちゃった。
服も同じような状況に陥っているのです。(追記おわり)
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Google、Facebook、Yahooら巨大ITの本質は広告代理店である 
Wednesday, December 18, 2019, 11:03 AM
 巨大IT企業に対する規制案を政府が発表しました。プラットフォーマーに対して5項目の規制を突きつけます。ポイントは

・契約条件の開示と報告の義務
・取得データの利用範囲を利用者が制限削除を求める権利
・「優先的地位の乱用」を個人との取引にも適用する
・企業買収による寡占化の歯止め
・政府による継続的な実態調査を行う

欧米よりも巨大ITへの規制は遅れましたが、日本も同様の危機感をもって規制に動き出しました。

一方では中国はSMSサービスのWechat(微信、テンセント社)に電子決済機能や行政機能まで統合させて、独占させています。民間企業といいながらもテンセントの実態は国営(共産党所有)だからできること。

中国圏10億人のユーザーを抱え、wechatがないと日常の買物から公共料金の支払い、さらには電車にさえ乗れないほど普及し定着しています。

一つのアプリでここまで何でもできるようになると、生活スタイルも変わります。
名刺交換する必要もなくなれば、通勤する必要もなくなります。

wechatは実名登録、社会番号も登録するために、悪用しにくいという抑止効果もある。

一党独裁の中国ならでは実現できることです。

同じチャットサービスでもLINEとWechatとは大きな違いがあると思えます。どっちも使ったことがないけどw

ビジネスモデルが根本から全く違う



LINEはチャットサービスを提供するかわりに、広告で利益を上げるモデルです。
GoogleもFacebookもYahooも大きくは同じ仲間。利用形態が違うだけ。

餌で釣って、個人属性(データ)を販売(広告)して利益を上げる単純なもの。

巨大ITといっても自前メディアをもつ巨大広告代理店に過ぎないのです。もしくはデータ屋(アングラな名簿屋)です。

wechatはまるまんま個人(identity)とすることが目的



個人情報を解析してチマチマと広告を打つというシケた商売じゃないんです。

中国共産党はスマホを取り上げたら社会的抹殺になるような仕組みにまで徹底させたこと。

レジや現金を置かない店舗が当たり前になりつつあり、買物もできません。
投げ銭もスマホなので乞食にもなれない。

中国では思想統制や弾圧に利用されているという指摘がありますが、だったら使わないという選択肢はない。

プラットフォーマーが私企業である以上は太刀打ちできない



欧米、そして日本もプラットフォーマーへの規制を続々と強化しています。

Facebookがデジタル通貨Libraの構想を発表しましたが、中央銀行(ECB、FRB、日銀ら)は絶対に認めることはない。
なぜなら通貨発行権こそが国家の基盤であるからです。

国家を私企業に委ねて良いのかという大きな壁が立ちはだかっていますし、この壁はGAFAであっても崩せない。
だからこそ、各国政府は今頃になってやっと巨大プラットフォーマーに懐疑の目を向けているのです。

もっともGAFAは国防省やCIAの援助によって生まれ、発展してきたのに、まるまる中国が先を行ってしまったので慌ててるというのが実状なんでしょ。

日本のITビジネスはヤクザの金で生まれ、口八丁デタラメの広告屋によって発展してきたので、将来展望がまったく違います。

相手は中国共産党と人民解放軍なんだから収益モデルなんか、はなからない。

(追記)
副島隆彦先生の新刊に躍る文字、トータリタリアニズム(totalitarianism)とは余り聞き慣れない言葉です。全体主義とありますが、それだけでは良く意味が分からない。

渡辺昇一がトータリタリアニズムとは、ハイエク曰わく「単一の価値序列体制が存在し、人々の必要全てが順序づけられる」という考えだと解説しています。

この単語は1929年(昭和4年)頃からアメリカの紙面に登場した共産主義、ファシストの次の段階を示しています。「社会全体とその全資源を単一の目的に向けて組織することを欲し、個人の目的が至高とされる自主独立的分野の存在を否定することにおいて、等しく自由主義や個人主義と一線を画している」状況を指すことだそうです。
参照:自由をいかに守るか ハイエクを読み直す(渡部昇一 PHP新書 2008/7)

かつての日本の戦時体制・統制経済状況はトータリタリアニズムです。そして中国は共産主義ではなく全体主義へと移行し、完全な戦時国家体制となっているといえます。

ディストピアとはユートピアの反対の世界です。
そこには、序列体制が厳格にあり、人々も産業も生産物もすべてが順序づけられ監視されている世界のこと。

これから中国を手本に世界は全体主義に否応なく進むだろう



米中衝突の行方は飛び火して、来年2020より全体主義が世界に広まったと後世では語られるようになると思います。(追記おわり)

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ボーイング737MAXは欠陥設計であった 
Tuesday, December 17, 2019, 01:44 PM
 ボーイングの737MAXは2年前から就航した新型機です。
この737という機体はなんと初就航が1968年というもの。開発は東京オリンピック(1964年)頃のもの。
アメリカではアポロ計画全盛の頃ですね。

半世紀前の設計がいまだに使われているということはそれだけ設計が優秀なのです。

でも1980年代に登場したエアバスA320に小型(席数100以下)旅客機のシェアが奪われていった。
そこで王者ボーイングは対抗して先進装備を備えた第三世代型とよばれる737NG(NextGeneration)を90年代末(1997)に販売を開始します。

この737NGは20年にわたり約1万4千機も売れた名機です。
日本でもよく見かける機体です。

しかしボーイング737にも欠点がないわけではない。それはライバルのエアバスA320 シリーズのほうがランニングコストが安く、同じエアバスに慣れたパイロットなら習熟が早いという利点があったのです。

パイロット不足に悩む航空会社にとってはエアバスのメリットも魅力的だった。

そこでボーイング社は737NGをさらにコンピュータ化したコクピットを採用します。

そして有名な話ですが、羽根の下に大きなジェットエンジンを吊り下げるために、足を伸ばしたりと小手先の改造で、燃費が良い777の一回り大きなエンジンを採用した。

そのため機体とエンジン重量とのバランスが崩れた、挙動に問題のある機体となってしまったそうです。

さらに777で採用されている境界層制御というハイテク装置を尾翼に付けたら、舵が効きすぎる機体になってしまったそうです。翼の先端につくウィングレットも旋回時に失速しやすいというデメリットに目をつぶって、燃費が良くなるメリットをアピールしたのです。

操縦席はパイロットの負担軽減としてコンピュータ画面となって計器やスイッチを大幅に減らしたのです。

その結果、航空会社は操作法が難しすぎると難色を示していたのですがなんと「ぜんぶコンピュータで操作するから心配ご無用」とボーイングはなだめて、導入を進めたのです。

墜落が立て続けに起きたことで、くだんのコンピュータ制御は解除できないということが知れ渡りました。

パイロットは必死に操縦桿を押しているのに、機体は失速状態と勘違いして機首上げ動作をするという根本的な欠陥です。

50年前の古い設計のまま小手先の改造を続けた結果、フェールセーフ機能もなく、極めてバランスが悪くて操縦が難しい機体であることが知れ渡ったのです。

50年前のアメ車に最新のハイブリットエンジンを積んで、操縦のほとんどはスマホでできるぜと言っているようなもんだったのです。

737は月産52機、つまり一日に2機!も作っているのでした。本日やっと生産停止を発表しました。

だから容易に設計を変えたくないという経営判断だったのでしょう。

現在400機が在庫として野ざらしにされているそうです。
ジェット旅客機でさえ大量生産してしまうのがボーイングのすごさです。でも大量生産システムが足かせになってしまった。

この在庫の400機は旅客機として販売することはもうできないでしょう。

大幅にダンピングして貨物機とか特殊用途で捌くしかないでしょうね。

全日空が737MAXを30機導入すると発表しています。そして4日前でも全日空の社長はキャンセルの意向はないと断言しています。

運悪く737MAXになったら、念仏唱えるしかねえな




参考URL
ネット作家の御代出実葉という方が737の根本的な欠陥を解説しています。
https://ncode.syosetu.com/n4315fj/1/
https://ncode.syosetu.com/n4315fj/2/
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海がきれいになったら魚が穫れなくなりました 
Monday, December 16, 2019, 01:01 PM

水清くして魚棲まず



こんな故事が昔からあるように、物事に清貧ばかり求めると結局は誰もいなくなってしまうよという意味合いだと思います。

現実にも海水がきれいになったら、大幅に漁獲量が減ってしまった問題に直面しています。

大昔の開拓計画に基づいた水門によって諫早湾へ栄養豊かな地表水が閉ざされると、どうなったか?

諫早湾の漁業は壊滅しました。

開拓地は牧草地となって牛を放牧しているからいいだろうという反論はあると思いますが、漁業者側の反対の根拠は無惨にも国家が無視した。

海がきれいになったからイイジャン



こういう本音が見え隠れしています。海の水が透き通っていれば気分がよいのだから、魚が穫れなくなったって米国産の肉でも喰え、とこんなところでしょう。

うろ覚えなんですけども、何年か前にかつて東京湾沖で東京都の屎尿を流していたというニュースを観ました。
屎尿運搬船(屎尿海洋投棄船)のドキュメンタリーだったかな。

東京都内でも汲取り式便所で回収して、その処分は海洋に投棄していたのです。平成の始めのころまで。

郊外では屎尿は肥料として引き取られていたのですが、宅地となってその需要は消えてしまった。

自分が子供の頃は汲取り業者ではなく、近所の農家のお爺さんが汲み取って行ってくれました。お互いにお礼を言って野菜を置いていってくれたこともあるそうです。

年配の方からは屎尿運搬の貨車が通ると鼻を摘んだり、慌てて電車の窓を閉めたよねえという話を聞いたことがあります。

江戸川区や大田区の資料館には江戸時代のたしか肥船(こやしぶね)が展示されていたかと思います。
郊外からは農産物、都市からは人肥が運ばれていた古い歴史がありました。

そして畑に撒かれた人肥は、河川に流れて、やがて海へも栄養を届けていった。

現代の日本海域は貧栄養状態となった



皮肉なことに海がきれいになるほど、漁獲高は右肩下がりに落ちていきました。

下水処理が普及したこと、河川がコンクリートで護岸されて農作地からの流入が減ったこと、海岸線は工業地帯となったなど複合的な要因があるのですが、たしかに日本の河川はきれいになりつつあります。

ドブ臭い川はなくなったことは良いことだと思います。
鮎や鰻が穫れるようになったという嬉しいニュースもあります。

でも一方ではここ20,30年で漁業はずっと不振に喘いでいるのです。

去年には「森は海の恋人運動」の畠山重篤(はたけやましげあつ)氏を取り上げました。
過去ログ:森の腐葉土が海を豊かにするというお話

森が消えると海も死ぬという大発見をしてから、畠山氏が苦労して牡蠣養殖業を復活させるという教科書にも載っているお話です。

30年間で漁獲量が半減してしまった瀬戸内海に面する自治体が、窒素と燐成分を含んだ排水を意図的に放出することで漁獲高を復活させようとしています。

国は富んだが山河死ぬ



結局日本が進めてきた国土開発、基盤整備はなんだったのでしょうか。自らの首を絞めていただけだったのでした。

農業、漁業軽視のツケをいま払わされているのでしょう。


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日本の産業は30年は遅れている 
Monday, December 16, 2019, 11:10 AM
なんかもう、あ〜あと溜息がでるような記事です。産学協同でロボットをもっと採用しろという経産省の提言です。
こんなことは少なくとも20年前には言うべき事です。

私は25年前に溶接ロボットを開発に携わったことがあります。「現場杭鉄筋(かご)熔接ロボット」という名前だったか、そんなような感じのブツ。

鉄筋を差し込むと、自動的に溶接機が動いて必要箇所を熔接する仕組みです。

それまでは何人もの職人が注文書に従って、遠く離れた工場で足場を組んで作業をしていた。

そして組み上がった鉄筋を大型トレーラーで建設現場に運び入れていたのです。

組まれた鉄筋はスカスカで容積は大きいだけ。それを大型トラックやトレーラーで運ぶのはとても非効率だった。
工場の作業をビルの建設現場で行えば、効率は飛躍的にあがります。

装置(溶接ロボット)はトラックの荷台に載るサイズですから、全国どこへでも動けます。

ボタンを押せば火を吐き回転して鉄筋を飲み込んで行く姿はとても昂奮しました。

きっとこの機械が全国に普及すれば、建設業の効率は飛躍的に上がるだろうと思いました。

ところが、いまだそのようなロボットをビル建設現場に持ち込んでいるところを見たことがありません。

昭和時代からビル建設の工法は変わってない



せいぜい水準器がレーザー式になったぐらい。
あとコンクリートの打設がポンプ車でやるぐらいかな。

鉄筋作業は高所で溶接工がいまでもチマチマやっている。

ガガガーと鉄筋編みを一気にロボットでできるのに、なんでか自動化をしない。

それはなぜかというと

人件費が30年ずっと上がってないから



以前、近所のマンション建設現場で職人の親方と若手の会話が通りすがりに聞こえました。

鉄骨の熔接だったか、外壁の工事か忘れましたが若者が「こんな作業は今は機械でできないんすっかね」
「バカ!機械代よりも俺たちの賃金の方がずっと安いからだ、つべこべいうな」
そんな会話だったと思います。

大型マンションだから同じ作業を延々と繰り返す。それでついつい愚痴った若手に親方がどなったのでしょう。

日本の土建業でロボットや自動機械が導入されないのは、多重の下請構造と人間の方がコストがずっと安いからなんです。

自動化した熔接機械はあるのですが、そんな機械で能率が二倍になっても、だったら職人二人を手配した方が安いという判断になる。

先端技術は下請の末端零細企業には伝わらない



IT企業は手っ取り早く大企業や大手にしか営業しません。結局のところホワイトカラー同士の話合いで終わってしまうのが現状です。

景気がよい頃は、ウチはこれだけ先端技術がありますよというアピールのために引き合いもあったのですが、今はそんな目的もない。

人手不足だという下請企業の悲鳴は聞いていても、大変だよねえ程度の認識です。

誰も知らない中堅以下の企業には先端技術はトリクルダウンでしか伝わらないのです。

経営者も言われたように職人の頭数だけを揃えればそれでよいという待ちの姿勢です。
必要としているところと研究機関(大学や工専)との連携はまったくない。

このような社会構造となっているので、私の溶接ロボットは全く世に出なかったのでしょう。

この記事の最後のコメントがロボットを活用するアジアが台頭していると言ってますが、そもそも私がこの会社に在籍していたときに作ったのです。

丁寧に売っていけば今頃なら私は事業部長になっていたでしょうね。<先見性のないバカ企業で運悪く働くと最悪だった>という見本が私ですw

日本は人間がロボットより安いという途上国型労働だからだよ



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宮藤官九郎のシナリオは素晴しいと思った 
Sunday, December 15, 2019, 09:50 PM
NHKのいだてんの最終回を観ました。そして宮藤官九郎の才能に感心しました。

何を自分は感心したのかというと、どの登場人物にも必ずヤマ場を持たせているということ。

脇役であってもあるシーンでは主役としてライトを当てていると言うことです。

たとえば足袋職人(ピエール瀧から三宅弘城)であっても、最終回の1964年時点でも登場させている。

脇役も主役なみに輝かせるのが宮藤官九郎の手腕なんだ

と気付きました。

メインストリームである、加納治五郎と田畑政治が苦労したオリンピック誘致と1964年東京オリンピック開催にたいして、それにまつわる人物関係がドラマの構成にすぎないのですが、実話をからめただけのドキュメンタリードラマとはならない。

それはなぜかというと、宮藤官九郎は丁寧に、繊細に脇役までもドラマを作っているからです。

いわば小さなドラマを集合させて、大きな東京五輪開催というプロジェクトを浮かび上がらせたということ。

「いだてん」の最終回を観て、あらためて宮藤官九郎という人物の才能はすごいなと思いました。

そしてシナリオ作家という職業はとてつもない能力がないとできないでしょう。

たとえば、あることがあったから、結果としてこうなった・・・これだけじゃドラマにならない。

情念(怨念、執着、嫉妬、怒り、悲哀、愛憎)で皆が没入する



市川崑役で三谷幸喜が最後に出ていましたけども、本来同業(劇作家)者は他の同業者とは関わりたくない。

でも役者でもない三谷幸喜が宮藤官九郎の作品に登場したということは、それだけ三谷幸喜が宮藤をみとめているということです。

金栗四三から田畑政治と主役を変えた変則的なドラマですが、みごとにストーリーをつなぎ合わせた宮藤官九郎の才能とその手腕には感心しました。
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