携帯電話/スマートフォンは覗き見られている前提で使う物 
Saturday, February 28, 2015, 06:52 PM
2/28 晴 10時 浅草での空間線量は18ベクレル/立法メートル

あたりまえのことですけども、この世で完全に秘密が保たれるようなものはないのです。
川崎で中学生を殺害した鬼畜な餓鬼どもも、足らない脳みそで姑息にも被害者の少年の携帯電話を奪い、衣服を燃やすことで証拠が消えたとでも考えたのでしょうか。

人(馬鹿)の口に戸は立てられぬ



人を馬鹿と読ませるのは有名なネットブロガーのネットゲリラ氏です。

自らTwitterで「私たちがやったんじゃないモン」と脳タリンがほざいて、すぐに主犯格、実行犯、犯行グループがあぶり出されてしまいました。名前から住所からすべてネットに拡散してしまいました。

被害者のチャットツールLINEの交信記録を神奈川県警が調べているという報道は遺体発見報道のすぐあとからなされていたのですから、そりゃ目星はすぐについていたのでしょう。

もっとも泳がせて、通話を記録して証拠にしていたのかもしれません。

LINEやFacebookなどなど個人の情報は常に垂れ流されていると意識しないといけないのに、特に犯罪者とその関係者諸君は(笑)

本来通話の当事者間は第三者には漏らさないということが、通信事業社に課せられています。ところが広く使われているSIMカードの暗号鍵が情報機関に流れていたという記事です。

情報を秘匿することは電子器機があるかぎり無理



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日本のユニテリアン(覚醒日本人) 徳富蘇峰(とくとみそほう) 
Friday, February 27, 2015, 01:00 PM
2/27 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル

江戸時代生まれの人物の写真が残っているとは思ってもいませんでした。昭和まで生きていたのか。
徳富蘇峰(とくとみそほう)は昨年の八重の桜でも出ていましたが、熊本バンド(プロテスタントの信者団)の主要メンバーで、新島襄の元に留学しました。そして新聞を発行し、最初のジャーナリストとして活躍した人です。
徳富蘆花(とくとみろか)は弟で小説家。京王線沿いに蘆花公園という大きな公園があります。このふたりは明治の純粋なユニテリアンです。フリーメイソンともいいます。
徳富蘇峰、蘆花は横井小楠の直属の弟子で、徳富家と横井家は親戚関係にもなっています。

幕末に覚醒した日本人は必然的にユニテリアンである



一方では米国系ユニテリアンは北海道バンド出身の内村鑑三です。
ボーイズビーアンビシャスのクラーク博士の直系です。この人の伝道は過激で、権威・組織・体制すべてを否定するので、徳富蘇峰とも仲違いしていきます。



関連ログ:> 我々は音楽で潜在的にキリスト教の洗脳を受けているのです
プロテスタントが社会主義思想を広めた(「人間内村鑑三の探求」畔上道雄著)
幕末・明治のゲーテッド・コミュニティー (麻布・高輪・三田)
結局、新島襄は日本のキリスト教徒らに影響を及ぼしたのか?

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幕臣たちの明治維新 徳川幕府は新政府よりも劣っていたのか? 
Thursday, February 26, 2015, 06:51 PM
2/26 雨 10時 浅草での空間線量は12ベクレル/立法メートル

5日ほど出張しておりました。
私と同級生の大学の先生と私が最も関心がある「数学と宗教(思想)」の関係性で居酒屋で話し込んだのですが、理系学生にはおなじみというか、それこそ避けて通れない偉人達ニュートン、ライプニッツ、ベルヌーイ一家、オイラーとプロテスタントの関係をまったくご存じないのです。

日本では織田信長が活躍した戦国時代末期から徳川家康の江戸幕府前期あたりで、それまでの幾何学から微分積分がヨーロッパの天才たちによって確立されていきました。

その背景には宗教改革やイタリアのルネッサンス(芸術復興)という名の反カトリック運動が、学術分野、とくに物理で目覚ましい進歩を果たしたのです。

工学部で二つの境界面を高速で動く乗り物(つまりモーターボートのことw)の挙動制御を専門とされている方なんですけども、数学史にプロテスタントが関与しているとは意識したことがないそうです。そりゃそうだね、普通の日本人には。若い先生方が一同に

「僕らは無神論者だからなあ~」



日本人は気軽に「無神論者」を使いますが、これは英語で訳されると"atheist"(エ(ア)デスト)といってテロリストや過激派分子であるという意味です。特定の宗教には帰依していませんというのならばnonbeliber(ノンビリーバー)と言わないと、無神論者であるという一言で学者人生は終わってしまいます。老婆心ながら国際学会での発言には気をつけてほしいものです。

翌日は、これまた同い年のドイツの友人が帰国するので、白ワイン片手に同様の話をしておりました。

彼も技術者ですから、ニュートンからオイラーまで著名な数学者は当然知っておりますし、物理を進歩させた偉人として必ず大学でも人物伝をドイツで習うそうです。一通り私の話を聞き終わると、ひとこと。

ソウ、カレラハ『ユニタぁ~リアン』ナンデス~



ユニテリアニズムは普通のドイツ人でも理解してますし、それが近代サイエンスを築いたということも知ってますね。

それから彼の好きなクラッシック音楽でもユニテリアンの筆頭にモーツアルトといった著名な作曲家が名を連ねてます。
芸術分野と数学分野が密接であることは、肌身で十分感じているとのこと。
もっともコンピュータ技師でありながらもデヴィッドボーイに似たセミプロのバレーダンサーなんで、ちょっと変わり者かなw

一方の同級生は最高学府で何十年も研究していても、自分の研究と思想史のつながりはわからないもんなんですね。

かつて帝国大学では教養学部というものがありました。そこで専門課程の基礎知識を叩き込まれるそうですが、実質は哲学なのです。
哲学とは語学から経済、物理、医学すべての学問を体系的に整理する学問です。その柱は数学であり、宗教論でもあります。

これが抜けていると、いくら最先端のロボットだ!人工臓器だ!人工知能だ!と叫んでいても「仏つくって魂入れず」なんですね。

とくに今の日本において大学研究はすぐに商品化や実用化が求められる傾向が強いのだとか。
そりゃおかしいだろ!基礎学問を飛ばして、学生自身がたいした熱意も抱かずに七割超が大学院に学生の延長で進学していることを嘆いていました。

東京工業大学の橋爪大三郎がなぜ工業大学でありながら社会学や宗教学をやっているのか、少しは文科省は考えてもらいたいもんです。

新幹線に乗っている間に新書を読みました。
「幕臣たちの明治維新」(安藤優一郎 講談社現代新書 2008)

明治の中期から後期にかけて、徳川幕府という傘を失い、薩長で固められた新政府に睨まれないように苦心しながらも活路を見いだしていく元幕臣やその子たちの著述をもとに実態を紹介されています。

■維新後の幕臣達はどうなったのか?

慶応四年(明治元年:一八六八年)に徳川家達(いえさと)が静岡藩の駿府城に入り、家臣団も静岡藩に編入されました。
政府は江戸城周辺に住む旗本や御家人を速やかに移住させるために、東京湾内の船を外国船までチャーターして2日3日で静岡港へ運んだそうです。その風景はすさまじく船底にメザシを並べたような詰め込み具合だったそうです。悪天候で揺れて、船内で死亡する者、産気づくものと阿鼻叫喚であったという船員の記録があるそうです。

七〇万石(それまでの1/10以下)に石高を減らされた徳川家に一万人もの家臣を養う能力はなく、どの家臣も与えられた家の庭を畑にしたり、開墾に励みました。

勝海舟の片腕として働いた剣の達人山岡鉄舟(鉄太郎)は徳川慶喜の警護をする二〇〇人の精鋭隊(後に新番組)という部隊に所属して、水戸と静岡まで警護したあとは、牧ノ原の茶畑開墾に従事していきます。上野で闘った上野彰義隊(しょうぎたい)の生き残りも加わって静岡藩の茶畑の開墾にあたったのだそうです。

維新後に静岡藩士となった渋沢栄一は抱えられる家臣(五千人程度)をはるかに越える元幕臣を養うために、商法会所を設立して藩内産業の振興をはかります。共同購入共同販売のような今で言う農協のような組織で、これが功を奏して生産能力もあがり、輸出で八万六千両の利益を上げる藩の稼ぎ頭となります。


■静岡学問所と沼津兵学校の俊英達

明治元年に設立された静岡学問所は東京から付いてきた幕臣による教育機関です。門戸を農民まで拡げた初めての高等教育機関であり、旧蛮書調所をそのまま静岡に移したようなものです。江戸時代の国学である漢学や朱子学、英仏蘭独語のコースもあった総合大学だったのです。
学長は津田真道(つだまみち)で同じ幕臣であった西周(にしあまね)とともにオランダで法学を学び、日本人最初のフリーメイソンの会員であるとされています。

明治政府により東京に召還されてからは福沢諭吉・西周・加藤弘之(初代東大総長)らと啓蒙活動の明六社を設立するひとりです。
啓蒙活動とは、簡単に言えば性善説、つまり人は良心に従っていきるという前提で平等な機会を与えよという思想です。つまりリベラルな考え。

翌年(明治二年)には静岡学問所に続き沼津兵学校が設立されます。
頭取は慶喜の政治顧問であった西周(にしあまね)です。設立母体は旧幕府陸軍なので、陸軍士官学校であるべきなのですが、徳川家・西周の偉いところは、政治・法律学、歴史・宗教、医学、物理・工学といった武官だけではなく、文官の養成もできる総合大学にしたことです。

沼津兵学校は旧幕府軍の直系ですが、西洋化がもっとも進んだ組織であり、教員も外人や外国に精通しているために、各藩から入学希望者が殺到し、逆に各藩からは教員の派遣要請が引きも切らなかったのだそうです。
全国六〇箇所へ一七〇名の教員を派遣したという記録が残されています。

皮肉なことに薩摩藩も沼津兵学校へ教員の派遣を要請しており、塚原靖(つかはらしずむ)という新宿生まれの元幕臣が薩摩に派遣されて、薩摩藩の教育改革の中心となっています。塚原は後に新聞ジャーナリストとして名を残していきます。
政府への反骨精神から新聞発行やジャーナリストになる元幕臣が多かったのです。

■廃藩置県で有益な人物は強引に引き抜かれていった

渋沢栄一や前島密(まえじまひそか)は政府命令で大蔵官僚として出仕させられます。
静岡学問所の津田真道や沼津兵学校の西周らをはじめ、大部分の教授陣は政府命令で帰京させられて、それぞれ司法省や陸軍に出仕させられました。
版籍奉還で旧藩主に土地と領民を政府に引き渡させ、明治四年の廃藩置県で実質的な中央集権制となります。目的は幕府側であった藩を解体して、人材を政府直属とするためです。

複雑な思いを抱えて旧幕臣たちは新たな国家建設に邁進したということです。

それでも喰いあぶれた士族達による反乱が九州各地でおこり、西南戦争(明治一〇年)へとごたごたした時代が続くのです。

■歴史にもしがあれば、日本の首都は沼津か静岡あたりだった!?

明治政府の官僚には元幕臣たちが呼び戻され、商工業の発展にも渋沢栄一を筆頭に徳川幕府の人材が活躍し、政府批判で新聞ジャーナリストの発生も多くは静岡藩士によるものです。教育機関の静岡学問所・沼津兵学校はそのまま国営で引き継がれていきます。

もしも君主(モナーク:Monarc)のいる民主国家としていたならば、どうだったのでしょうか。現在のフランスでも君主国家の概念が残っています。徳川幕府がフランスに支援を申し込んだ理由もそこにあるのです。

歴史にもしもを考えるのは愚かなことですが、本来ならば沼津や静岡、浜松あたりが日本の首都であったのではないでしょうか。

過去ログ: 「幕末インテリジェンス 江戸留守居役日記」を読む


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マラソンは中流階級、花火見物は下層貧民の娯楽です 
Monday, February 23, 2015, 01:02 PM
2/23 晴 10時 浅草での空間線量は9ベクレル/立法メートル

本日は昨日の寒さからうってかわってぽかぽか陽気です。

昨日は東京マラソンがひらかれて都内の道は人であふれかえっていました。
ときどき小雨の曇天で寒いですから、あちこちの簡易トイレ、地下鉄駅のトイレはすごい人混みです。

友人が走っているのですが、どこにいるのかもわからないので、あきらめて浅草を離れます。

東京マラソンは、走り終わった後は何事もなかったように、普通の風景に戻ります。

やっぱりなんだかんだ言っても参加者も観覧者も行儀のいいイベントです。

雷門付近も通行解除されれば、いつもの観光地に元通り。

走る側も応援する側も不快な人たちはそれほどいないという感想です。

一方、夏に隅田川の花火大会があります。

これは毎年のことですが、翌日はゴミの山です。空き缶、皿、箸、ビニールシートなどなど。

花火なんか絶対見えないここ浅草の裏通りなのに、道ばたは無惨な光景です。

酒臭いので花火のある日は遠くへ出かけます。だからここ数年は花火は観たことがありません。

正直、遠方から花火で集まるの人は上品ではございません(笑)

マラソンやジョギングはそもそも実直で真面目な人たちのレクリレーションなんでしょう。

花火でビールや酒瓶をミニバンに積んでやってくるのは傍若無人な荒くれ者ばかり。

人種が全然ちがいます。

さて、そんなことでマラソンの応援は早々にあきらめて梅を観に筑波山まで行ってみました。息が白いので気温は5,6度ですが、心配していた雨も降りそうではありません。

本当はケーブルカーで山頂まで登りたかったのですけども、なんと一ヶ月の運行休止中。

3㎞ほど離れた山麓にはロープウェーがあるので、そちらでも登れるのですが、同行者全員が筑波山神社までたどり着いたらもういいやとのこと。

午後から南風が吹くという予想を期待していたのすけども、昨日の関東地方では吹きませんでした。

それでも曇り空は放射冷却がおきないので、寒さはあまり感じません。

晴れることはなかったのですが、茶屋のおでんでカップ酒一杯のんで帰ってきました。

んっ、俺もけっして上品な人種じゃあないなあ(爆)

フルマラソン・・・考えたこともない。
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ニーサ(NISA)ニーサってうるせえなぁ(増税だけを押しつける財務省) 
Saturday, February 21, 2015, 11:51 AM
2/21 晴 10時 浅草での空間線量は6ベクレル/立法メートル

すれ違う首相と日銀総裁 蜜月に試練(真相深層)
追加緩和や増税、物価めぐり 2015/2/21 3:30 情報元 日本経済新聞

 安倍晋三首相と黒田東彦日銀総裁の間に何が起きているのか。永田町や霞が関でさまざまな臆測が飛び交っている。2013年3月に黒田氏が日銀総裁に就いてまもなく2年。ふたりの関係は転機を迎えつつある。

2日、参院予算委に出席した安倍首相と黒田日銀総裁(左)
 首相と黒田氏が出席した12日の経済財政諮問会議。そこでの隠されたやりとりが関係者に波紋を広げている。
・・・・



日銀の黒田と安倍晋三の間にすきま風が吹いているという日経の記事です。
黒田の発言議事を内閣が削除したというほんらいはあってはならないことが、財務省側のリークで知れ渡りました。

なんたって日経は官庁の広報誌ですから



景気よりも増税! 財務省官僚はソ連社会主義のノーメンクラート(支配層)そのものです。

安倍晋三も

ニッキョーソ!ニッキョーソ!とヤジ飛ばす前に財務省の赤狩をしろよ!



増税のために、日経平均を少しでも持ち上げておきたいという財務省の指示でしょうが、郵便局からしつこく「NISA口座の開設」の手紙が届きます。

銀行窓口でもニーサ、ニーサ。郵便局でもニーサ、ニーサ。もちろん証券会社では口を開けばニーサニーサ。

もちろん、これはお客様のためを思って・・・などという殊勝(しゅしょう)な気持ちで勧めているわけでは一厘一毛もありません。

なんたって財務省そして管轄する財務局がぐりぐり金融機関に押しつけて言わせているのです。

日経などの新聞社も、金融機関がNISA口座の広告をバンバン載せてくれるので、一緒に踊っているだけ。

NISA口座というごり押しのたいした得にもならない制度で誰が得するのか?

財務省の財政路線と新聞やテレビ局ですよね。

そんなに株価を上げたいのなら、公務員の共済年金を100%日本株にぶち込めや!・・・ととある金融機関の人間が申しておりました(笑)

まあこの日銀の黒田は、まだまだ金融緩和を続け、円安路線を維持していくと言うこと。
そしてコストプッシュ・インフレ(物価高によるインフレ)を続けていくと言うこと。
そして消費税10%、相続税の課税基準を引き下げ(すなわち増税)を財政再建の名目で進めていくと言うこと。

やっと統合失調症の安倍晋三でも、これじゃあ政権が持たないと気付きだしたのかも知れません。

しょせん、公共事業によるばらまきと円安しか経済政策のない、馬鹿揃い内閣です。

とりまきが、新ケインズ主義という市場に金をばらまけば経済活動は復活するというファンタジー(妄想)を夢見る人たちばかりですから、行き着く所までいくしかない。


そして日銀・財務省、内閣が互いに馬鹿だ馬鹿だと言い合っているのでしょう。

日本国債の利回りはそのまま政府の評価ですから、ガンガン上がって日銀と内閣どちらも総辞職してください。

過去ログ:
検索キーワード:金融機関:

財務省を含め、すべての官僚が我々を苦しめるんだな
ないものをあるという慰安婦問題と同質の「国の借金問題」(政府プロパガンダ)
住宅ローンは変動金利が正解でした
帝国の逆襲(アメリカのロシア経済制裁でシティーに閑古鳥が鳴く)
F1レースに出資する会社は必ず傾くという鉄則通り (ソニー創業家の凋落)
円高になるときが株価下落のはじまりなんだろうなあ
東電がリストラ?泥棒に追い銭とはこのことや
マスコミが賞賛する人ほど売国奴(マーガレット・サッチャー)
キプロスから始まったパンドラの箱のご開帳
現代の戦争はコンピュータに使われている方が負け決定
さあダウンを押し入れにしまおう

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数学的才能は思想のみならず芸術や音楽の基礎である 
Friday, February 20, 2015, 01:51 PM
2/20 晴 10時 浅草での空間線量は10ベクレル/立法メートル

寝床ではあいかわらず気軽に読めそうな数学関係の本を読んでいます。

『人生を変える「数学」そして「音楽」 教科書には載っていない絶妙な関係』(中島さち子 講談社)

著者は高校生で数学オリンピック金メダリスト、東大数学科卒でありながらジャズピアニストで数学講師、会社員という多才な人です。この本でそんな人もいるんだと初めて知りました。

30代の母親で、子供に数学のおもしろさを諭すといった趣旨で書かれた物ですから、自然の力は素晴しいとか生命のしくみは素晴しいとか、なんとなくわかったようなわからないような話が続きます。子供相手ですから理屈っぽい話は後回しです。

ご本人は高校生のときに「あみだくじ」の法則を導き出すことで数学に目覚めたそうです。あみだくじに引かれる横棒を数字で置き換えることで指定された結果になるための最低の本数はいくつかという命題です。

一貫している内容は数学は先入観から抜け出すための手法だと著者は例示していることです。

たとえば「三角形の内角の和は180度になる」という公理(証明不要の定理)が小学校で習うでしょう。

逆に三つの内角の和が180度:(π(パイ))であれば、その図形は三角形であるということ。

これはユークリッドさんというギリシャ時代の哲学者が発見したこと。

ところが200年ほど昔(1800年)あたりで、内角の和が180度にならない三角形だってあるんとちゃうか?と考える人が現れてきます。

なんでかというと、地球(球面)に三角形を描くと、どうも角度の和が180度よりも大きく(π+α)なってしまうことに気付いたからです。

これが非ユークリッド幾何学の誕生です。

ん、じゃあその増えた角度分はなんなの?というと摩訶不思議なことに、三角形の面積なんです。

非ユークリッド幾何学とは「角度←→面積」が行ったり来たりする世界だったのです。

へぇ~初めて知った。たしかに学校ではそんなこと教わらなかった。

平面(2次元)から球体(3次元)へ視点を変えると、系列(角度と面積という異なる性質の値)が融合していっちゃうのです。球の表面積ですから、キーとなる値はパイ(π)であることは言うまでもありませんね。

ちなみに同じように視点が変わる例としては、流体力学という工学系の世界があります。
複素数という二乗するとー1になる想像の数字を数直線で表わすと、渦巻が力になっちゃう世界観です。これも「渦巻きの大きさ←→力」という円運動と力の世界が行ったり来たりする不思議な世界です。みごとに大学では落ちこぼれましたけど・・・

■芸術分野に潜む数学

フラクタルという相似形の形が永遠に繰り返される模様は自然界には数多く存在しています。
ブロッコリー、シダの葉、そして我々の身体に巡らされている血管などなど。

最少で最高の効率を目指すと自然にフラクタルになるということ。
この理論を発見したマンデルブロさん(2010年没)は音楽にも旋律に相似形が存在しており、代表としてベートーベン、バッハそしてビートルズを挙げていたのだとか。

また平面充填問題という同じ図形で埋め尽くす手法を用いたのがエシャーです。だまし絵で有名ですね。

幾何学でいう相似形はジグソーパズルのように遊びにも使えるというお話でもありますし、逆にお絵かきは数学の入口でもあるということ。
まあ確かに遠近法という絵画の手法が幾何によって産み出されました。あれは厳密な縮小比で描かれていることは美術の時間に習ったことがあります。単純に奥のものを小さく描くことが発見ではなく、視点移動というコンピュータグラフィックスの基礎的な技術へとなりました。まだインターネットもパソコンも普及していない頃に、立体図形(たとえば家や部品の設計図)を平面のコンピュータディスプレーに描画させる仕事をしたことがあります。3Dを2Dへ映し出すためにたいへん苦労しました。

頭の中では簡単ですが、コンピュータではものすごく難しい

たとえば壁に立てかけた杭のようなものがあったとしましょう。
ところがコンピュータのデータでは形を表わすのは点と線の集まりでしかないのです。(点と他点との関係のみ)

結局、壁に立てかけた杭は、壁に接しているのか、埋もれているのか、離れているのか、コンピュータはわかりません。

難しくいうと、壁の平面を方程式で表わして、杭も方程式で表わして、接していれば二つの連立方程式に解がある・・・つまり接している(又は埋っている)と一つずつ計算して判断していかねばなりません。

当時のコンピュータでは平屋の犬小屋程度の建物の設計図でも、コンピュータディスプレーに表示させるためには、たくさんの連立方程式を計算させねばならないために、一晩かかりました。

さらにより本物らしく光を当てて陰影を付けるという作業はコンピュータを何日も回してやっと<それらしい絵>が出来上がるのです。

今はゲーム機にさえそのような機能が内蔵されているので、瞬時にできてしまいます。
行列演算のプログラムを自分でつくって犬小屋風日本家屋の設計図が立体となってコンピュータ画面に表示できた感動と経験をもつ私としては、ゲームを楽しむよりも、その内部処理に感動してしまいます。


■音楽も数学の仲間である

一九四〇年代、五〇年代に誕生したジャズのリズム感(スィングと呼ばれる)は二拍のリズムに三拍のリズムが融合した物だということ。

音楽が好きな人は弦の振動数が音階であること、そして一本の弦であっても倍音といって複数の振動数が存在することなどはご存じでしょう。また音階を並べたスケールという階調は民族音楽それぞれ異なることもご存じだと思います。

古くはピタゴラスが音階を宗教規律の象徴として求め、ヨーロッパではルネッサンスの頃(一四~一五世紀頃)に「ミ」が発見されて現在のドレミファソラシドという正規律が定められました。

ところがこの音律に不満で数学者のオイラー(1707-1783)は自身で音律を設計したり作曲に興じていたとか、またバッハも新しい音階を試していたと行った逸話があるそうです。

ジャズでもブルーノートという黒人音楽の音階がありますが、これはミとミ♭の中間の音があることが特徴なんだとか。

音も連続しているから無限の音がある

数学の数直線も、たとえば1と2の間に1/2,1/3,1/4といった有理数、小数が無限に続く無理数といろいろあるように音も当然あるということ。場面や状況に応じて、それらの音を紡ぎ出すのだジャズ音楽家という職業と言うことです。

このように音楽が自由であるように、数学も自由であるべしということ。

中学や高校での音楽や数学が嫌いになったのは、これら授業が硬直的でつまらなかったからだと、この本で再認識しました。

もしこの本のような内容の授業が小学校から高校あたりまでなされていれば、日本の教育水準は高かっただろうに。そして芸術あふれる国になったでしょう。

過去ログ:経済統計数値の意味
折り紙は数学的法則の発見で、無限の可能性が拓かれた
わかりやすく理解してもらうことは大変困難であり、一番知的な作業である
天文学とは数学のことであり、それはπの追求のこと
日本人が数学嫌いになる理由は教育現場の手前勝手な読みに困惑するから
映画「天地明察」を改めて観てみました~江戸時代の数学の黎明~
計算の「+」「-」「×」「÷」は誰が決めたの?
なぜ億という単位があるの?「超面白くて眠れなくなる数学」(桜井進)
数学的思考の根源は「集合論」つまり仲間か仲間ではないかということ
近代思想は数学知識前提である「数学を使わない数学の講義」(小室直樹)

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現代の亡国病はアルツハイマー(認知症)でしょう 
Thursday, February 19, 2015, 06:07 PM
あけましておめでとうございます。本日から真の2015年の幕開けです。
今日は早起きして朝日を拝みました。

2/19 晴 10時 浅草での空間線量は9ベクレル/立法メートル


江戸時代の亡国病と言われたのは脚気や赤痢でした。それから大正や昭和初期では結核が社会問題になりました。
赤痢や結核は衛生環境の向上で患者数も激減していますが、感染症は途上国でもいまでも死亡原因のトップです。

江戸時代から明治にかけて死因のトップは脚気による衝心(心臓麻痺)でした。

脚気はビタミンBの不足から来る栄養障害なのですが、白米至上主義が江戸を中心に広がると、江戸の殿様から武家、やがて商人といった庶民にまで、江戸患い(えどわずらい)と揶揄されるほど患者数が増加しました。

江戸が東京に改まり、下水道の整備が進んだので、感染症は減ったのですが、明治末期の頃、日清日露戦争あたりまでは死因のトップは相変わらず脚気です。ビタミン剤が発明されたおかげで、脚気は死に至る病ではなくなりました。

かつての亡国病が脚気であるならば、現代の亡国病はまぎれもなく認知症でしょう。

認知症の原因は髙糖質の食事によるものだろう



べつに私が思いつきで言っているのではなく、認知症の原因が食習慣であるということは医者が言っていることなのです

白米、白砂糖、精製塩によりビタミン・ミネラルの摂取量が少ないことが、現代病の原因だということはかつてから指摘されていました。

昨日の新聞の書籍欄には目を引くタイトルがあります。「アルツハイマー病は脳の糖尿病だった」(森下竜一・桐山秀樹 青春出版社)

最新医学が解明した高血糖がボケるリスク



昨年から断糖質/減糖質がジワジワと広がっています。
塩分や油分よりも、もっと糖質過多に注目すべきで、良い傾向だと思っています。



過去ログ:
カロリー摂取量は減っているのに糖尿病が右肩上がり(Mg欠乏原因説)
「殺してはいけない」は戦場の掟 (増大する認知症老人は世界問題となった)
アミロイドβが悪いのではなく、アミロイドβオリゴマーの毒が認知症の原因
美肌のキーワードは美容液よりもまず「抗糖化」 ~老けて見えないために~
リウマチに治療法はあるのか(関節リウマチ原因物質特定)
一日一食か断糖主義か? めんどくさいからどっちもやってみよう!
「断糖のすすめ」(炭水化物を減らすと身体は激変する)
タイトルで売れる例 「3日食べきゃ、7割治る!」(船瀬俊介)
認知症は高インスリンによる「生活習慣病」であるという医師の主張
アメリカの肥満・がんの原因は糖分だと告発するジェイミーオリバー
石田純一(60歳)・・・パスタを4皿も食ってりゃ(笑)
炊飯器でパンを焼く
ラーメンの鬼 63歳で死亡 炭水化物は人類を滅ぼすを地で行く
圧力鍋はたしかに便利な調理道具である
これからは「摂らない」という治療が主流になるだろう
若返りにも癌退治にも効く糖質(炭水化物)断ち
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ウィスキーのシングルモルトってのは特別崇めるほどのものではない 
Wednesday, February 18, 2015, 08:36 PM
2/18 雨 10時 浅草での空間線量は12ベクレル/立法メートル

今日はずっと雨です。
ドイツから来た友人と過ごしていました。
参考にはなりませんが、私が独メルケル首相の外交手腕を誉めたのですが、彼が言うには国民の評価はあんまり良くないです。
ギリシャに対する感情は、ずばり言えば「ええかげんにせえよ」です。

鍋でもして歓待しようかと思っていたのですが、なんと連日鍋なんで嫌だとか。
それよりも久しぶりの東京で昔通っていた本場ドイツレストランがあるから、そっちへ行こうと誘われました。

たしかにビールはいろいろあって美味い。
私も彼も酵母が入っている白濁したビールが大好きです。

ただ私は小さいサイズで注文、友人はというと・・・大ジョッキをさっそくおかわりしてます。
一気に2リッターぐらい平気で呑む気なのか(笑)

ショットバーでもずっとビール。
ヱビスビールのスタウト という黒ビールを誉めていました。

私は彼のビールのウンチクを肴に、ウィスキーのシングルモルトをちびちびと舐めておきます。

シングルモルトとは蒸留所で樽詰めされた酒を、そのままボトルに詰めたものを指します。

普通のウィスキーはいろいろな樽や産地の酒を混ぜて香りや味を統一させてます。ブレンド(ブレンディド)ウィスキーといいます。

グラスを舐めながら気付いたのですが、シングルモルトって比較的高級品のイメージがありますが、個人の嗜好に合うかどうかは、試飲してみないとわからないです。

NHKの朝ドラ「マッサン」の舞台、NIKKAの余市工場には過去3回、20代前半、30代、40代で行ったことがあります。

そこでは工場見学の最後に樽から出たばかりのシングルモルトを試飲させてくれます。
何人かのグループで行けば、お猪口を交換していろいろなウィスキーを味わうことができます。

でもねえ、毎度思うのですが、シングルモルトってそれほど美味いと思いません。
昨晩のバーで呑んでたウィスキーが余市で味わったシングルモルトとよく似ています。というか余市の工場を思い出した。

ずばり言えば、味が単調なんです。単にきついだけの酒であったり、逆に特徴らしき点が何も感じないのもあります。

シングルモルトは本来は呑みにくいお酒なんです。

これは工場見学の最後のお楽しみで、みんなワクワクして試飲グラスに手を出すと、たいていは「うへっ・・・」って顔をしますから、私だけの感想ではないでしょう。

「マッサン」でウィスキーの需要が伸びているそうです。

でもはっきり言っちゃいますが、国産高級ウィスキーのシングルモルトよりも、本場の安物(ブレンド)スコッチウィスキーの方が呑みやすくていいなあと思います。J&Bとかホワイトホースといった1000円程度で買えるウィスキーです。

昔は海外旅行のお土産の定番はオールド・パー、ジョニ黒、シーバスリーガル、バランタイン、カティーサークといった免税店でよく見かけるお酒でしたが、今はあまり喜ばれないのか、重たいからか敬遠されているようです。

ドラマ「マッサン」でブレンド作業を突貫でやっている情景がありました。

ウィスキーはブレンドによって複雑な香りが産み出されるのですから、「ウィスキーの魅力はブレンドにあり」なんです。

あっ、好きなスモーキーフレーバーのスコッチウィスキー「グレンフィディック」はシングルモルトでした(笑)

スコットランド出身の女性に教えてもらいましたが、お湯や水で薄めて、香りを利いて(嗅いで)たくさんの銘柄からお気に入りを目指すといいのだとか。

昨晩のバーで試した国産シングルモルトウィスキーはどれももう一歩ってな感じでした。少なくとも高級品の風格ではないと思えます。
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インターネットショップでもけっこう経費はかかるのです 
Tuesday, February 17, 2015, 02:45 PM
2/17 雪 10時 浅草での空間線量は12ベクレル/立法メートル

昨日から確定申告が始まりました。
私も申告の準備を始めております。

インターネット通販を始めたいと思う方がいらっしゃるかもしれないので、このネット通販の経費について少しお話ししましょう。

どんなに簡単なサイトであっても維持費(固定費)で年間20万円程度はかかります。
たとえばネット回線、サーバー代、クレジットカードの管理費、プログラム利用料・・・

またWebの開設と維持に外部のデザイナーやプログラマーに依頼をするとピンキリですが費用は必ず発生します。
初期費用は除いて、セールなどで簡単なデザイン変更や内部処理の変更のたびに数万円といったところでしょうか。

また広告費も最初は計上しておかないと、いつまでも開店休業状態です。

となると開店費用は初年度は30万円以上は必要ではないでしょうか。
Yahooや楽天で開店してもだいたいそれぐらいです。集客力は大きいのですが暖簾(のれん)代として毎月売上からずいぶん持っていかれることは覚悟しておかないとなりませんね。

通販専業の企業としてやっているところは、この予算の2倍~3倍は普通でしょう。

さらに倉庫や作業場などが必要となると、田舎の掘っ立て小屋であっても電気を引っ張らなくてはなりませんし、倉庫代もかさみます。
(当社は専用倉庫を持っています)

倉庫があると、物流費、つまりトラック等の使用料もたまにかかります。

となると無店舗であるかどうかの違いでしかないのです。

自分の手工芸品(アクセサリーや洋服など)をバザー感覚で売ってみるというのは良いかもしれませんが、長く続けるのであればそれなりな投資が必要なのです。

ワンちゃん用のお洋服を手作りでつくって販売しているサイトがあるのですが、そのような顧客と作り手がサークル感覚で運営しているところは利益はわかりませんが繁盛しているようです。

ネットショップはまだまだ可能性がある仕組みだとは思っています。

時々相談を受けることがあるのですが、何を売りたいのかわからない人が多いのです。
で、誰かのどっかのショップを真似て見様見真似でやってみる。

そして誰も見向きもしないサイトができて、ほっておかれる。『ゴキブリほいほい』のような「ひっかかれば儲けもの」といわんばかりのサイトのできあがり(笑)

ウチの画像をパクって商売しているどっかのサイト、てめえのことだよ



おっとつい怒りで我を忘れてしまった(笑)

ネットショップは自分で売りたいモノを売るのが鉄則です。他人が売りたいモノは他人が売れば良いのです。

その商品を通して自分(店主)を知ってもらうというぐらいの気概が必要なのです。

最後に

お買い上げ下さった皆様!ありがとうございます!



なんとか収支トントンで六城ラヂウムは存続できそうです(苦笑)
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経済統計数値の意味 
Monday, February 16, 2015, 03:30 PM
2/16 晴 10時 浅草での空間線量は16ベクレル/立法メートル


10~12月GDP、増税後初のプラス 市場の見方 日経 2015/2/16 10:23

 内閣府が16日発表した2014年10~12月期の国内総生産(GDP)速報値は、物価変動の影響を除いた実質で前期比0.6%増、年率換算で2.2%増だった。昨年4月の消費増税に伴う駆け込み需要の反動の影響が和らぎ、3四半期ぶりにプラスに転じた。個人消費の緩やかな回復が続き、設備投資も上向いた。一方、民間予測の中央値(年率3.8%増、QUICK集計)を下回り、金融市場では国内景気の回復の鈍さを指摘する声もある。関係者に金融市場への影響を聞いた。


NHKでもGDP速報値が前期(7~9月)比で0.6%のプラスに転じたということが安倍政権の大々的な成果のように報じられています。

比(率・割合)で示された数字はまず疑え



ご丁寧に四半期0.6%が維持されたとすると、年換算で2.2%になるかもという根拠もない数値が併記されています。

前期比というのは数学的には微分のことです。そして微分というのは変化率のこと。

前年との変化率をグラフにすると1993年(平成5年)からほぼ1以下です。
1998年(平成10年)は-2.0、1999年に-0.2、2009年(平成21年)に-1.04、2010年(平成22年)には-5.53%、2011年に-0.45というデプレッション(depression:不況)局面となっています。

参考URL:http://ecodb.net/country/JP/imf_growth.html

ちなみに昨年の2014年は前年比は0.89です。

表計算ソフトでこのGDPの変化率を入力してみると、1993年から22年間でGDPは19%しか増えていません。
もう少し期間を短くして、消費税が3%から5%となった1997年(平成9年)から昨年までの17年では11%しか増えていません。

ちなみに1980年(昭和55年)から1992年の12年間でGDPは63%増えています。だいたい3~4%の成長です。

グラフにするともっと悲しくなります。
(ちなみに比(率・割合)のグラフは目盛りは対数グラフで表わすのが常套です。)

1993年当たりから真っ平ら、そして所々陥没(笑)という図になります。

民間予測の年率3.8%の成長なんて全くの夢物語であることがわかると思います。(バブル前1980年代の数値です)

安倍晋三のとりまき企業だけの話なんじゃないだろうか。

GDP成長率が1%以下は不景気と定義されているのが世界標準です。

となると22年前から一貫して不況なわけで、現在も最長不倒距離を更新中となります。

今年就職する若者達あたりは生まれてからこのかた好景気を知らないわけで、バブル後に就職した40代後半の世代も好景気を知らないわけで、とどのつまり働き手の大部分が不況しか知らない時代なんですなあ。
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油彩の印象派の作風は何が印象的なの? 
Saturday, February 14, 2015, 01:17 PM
2/14 晴 10時 浅草での空間線量は17ベクレル/立法メートル

 ラジオで東京都美術館で開催されている印象派の絵画展の紹介がされていました。
その説明で、印象派という流派の説明がなされていました。

油絵や水彩画を学校でやった方は多いでしょう。絵の具は混ぜると黒くなります。
だから重ね塗りしたり、色を混ぜていくとどんどん全体が灰色で薄暗くなっていってしまいます。

今月号の雑誌Newtonでもちょうど「色と光の科学」というテーマで解説されていました。

色というものはたとえば赤であれば、赤の波長を返す物質で構成されているということ。
夕焼けもそうですし、空の青色も光の波長でその色を透過しているだけです。これはよく知られていること。

光の三原色を混ぜると白くなり、色の三原色を混ぜると黒くなる

当たり前のことですが、白色を絵の具で再現するのは難しかったのです。(テレビや液晶画面では逆に黒を表現することが難しい)


そこで19世紀の終り(1900年前後、明治中期)にフランスで活動する新進気鋭の画家達が気付きました。

絵の具を混ぜると黒っぽくなるなら混ぜなきゃいいじゃん



点描という技法を絵の具3色で再現したのです。
つまり原始的なカラー印刷を手書きで試みたということ。

すると、まあなんてことでしょう。

いままでは不可能とされていた、明るい色、光線の跳ね返りが重々しい油絵の具でも表現が出来るようになったのです。

それまでは筆のタッチや塗り重ねによる重量感が特徴であった油彩画の印象ががらりと変わったのです。
だから印象派と呼ばれた(笑)

代表的なのはドガ、セザンヌ、特にモネの睡蓮シリーズは誰もが知っているでしょう。

この点描の技法をさらに推し進めたのが新印象派という流派(有名なのはジョルジュ・スーラ:グランド・ジャット島の日曜日の午後)

これを観たときびっくりしましたよね。
点々で描いた根気・・・の割に全く全体に動きがなくて、どっかの中高生の美術部員が描いているんじゃないかと(笑)

新印象派ってべたーっとした平面的ですね。個人的には好きではない。

もっと嫌いなのは平山郁夫(ひらやまいくお)で、NHKのシルクロード展や85年のつくば万博の日本館に掲げられていました。
これも点描で、薄暗くぼやーっとした輪郭だけの<まさに印象のない絵>です。
こんな絵が何億円?しかも東京芸大の学長の作?・・・悪い冗談だろうと思っています。

もっとも平山郁夫は作品よりも、生存中に日本で一番金銭的に成功した画家で有名でいうことで、シルクロードを描いていたのはメディアで活躍する忙しい本人ではなく妻の平山美知子(洋画家)だという噂話がもっぱらです。

それなら合点できる。陰影だけで絵の作風が女性っぽいし、印象派を真似た美術部員レベル以下の絵ばかりだから。
なんでこんな駄作を日本の絵画の代表のように扱うんだろうねえ~(独り言です)

マネを真似した平山郁夫(美知子)

って覚えておきましょう(笑)

まあ今までサザビーズやクリスティーズといった美術オークションでは、印象派の作品も高騰しているそうです。中国マネーによる買い漁りです。

印象派絵画はそんなに高騰するほど人気はなかったそうです。時代も新しいですし。

ところが宗教的な背景もないし、わかりやすい構図がアジアではうけて、みんなが買うから値が上がる、値が上がりそうだから買うという変な話です。
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折り紙は数学的法則の発見で、無限の可能性が拓かれた 
Friday, February 13, 2015, 11:34 AM
2/13 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル

NHK教育のスーパープレゼンテーション「TED」を観ました。先週録画したタイトルは「折り紙の数学と魔法(The math and magic of origami)」です。

動画は無料で公開されています。
http://www.nhk.or.jp/superpresentation/backnumber/150204.html

折り紙を数学的に解明した元NASAの数学者のお話です。

折り紙にも数学の法則がある



一枚の紙を折って立体化することを数学的に解明し、コンピュータで設計できるようになったことが90年代からの折り紙界の大躍進の原因なんです。

展開図には厳格なルールが4つ
・紙に線を引く際に2色で塗り分けられること
・山折り谷折り回数の総和の差は必ず2
・交わる線の内角の和は180度(つまり必ず平面が基準であること)
・紙は重ねても突き抜けることはない

また鋭角な突起を形にするには、展開図では円または半円となること。
つまり一枚の紙に円をどれだけ内接させるかという幾何学問題になるのです。

このことから90年代の折り紙作家達はコンピュータで自動的に展開図(設計図)が引けるようになったのです。

今では折り紙は宇宙船や医療分野で最新の技術になっているということ。

手芸に過ぎなかったものが数学によって突破口が開かれ、多方面に活用されていく例としてとても興味深く観ました。

たぶんこれからもこのような数学的な再発見はあるでしょう。

私が25年前社会に出た頃やっていたことは、自動車のタイヤとゴルフクラブのドライバーです。船の設計もやったかな。
複雑なゴム形状や金属がどのようにたわむかをある程度コンピュータで力づくで計算できるようなったのです。
中身は膨大な数の連立方程式なんで、理論はあったのですが、計算する手段がなかったのです。
それまでは簡易計算とあとはデザイナーや現場作業者の感だよりだったわけです。

90年当たりから急にドライバーの飛距離があがったのはそういうわけです。設計手法が根本から覆ったのです。
パーシモン(柿の木)のウッドドライバーは絶滅しましたね。
自動車のタイヤの断面も90年頃を境に変わり乗り心地がかわりました。

その理論はコンピュータの高性能化にともない、自動車の衝突シミュレーションや臨場感あるゲームとなって広く使われています。適用分野はまだまだ広がっていくでしょう。

折り紙を革新させた数学の力に驚くばかりです。
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プロスポーツを支配するメディアの影響力 
Thursday, February 12, 2015, 11:33 AM
2/12 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル

昨日は川渕三郎氏のミニ講演をとある会合で聞きました。写真を撮るのは失礼な気がして、握手だけしてもらいました。うろ覚えで書きます。

そりゃアギーレ辞任やザッケローニ招聘の裏側を知っている方ですから、がぜん注目が集まります。

あまり公にはしてほしくないのだけれどもという前置きでいろいろ闊達な口調でお話がはじまりました。

サッカー素人が思っているほど代表監督の人材選びは簡単ではないことや前回ワールドカップでの弱点補強や戦略方針に基づいた適材を見つけたとしても、それは各国の争奪戦で何年も前から水面下交渉が始まっていると言うこと。

これぐらいはなんとなくわかります。

アギーレさんはワールドカップでメキシコを率いた功績が大で、さらにアギーレ流サッカーの特徴は、観ていても面白くて楽しいサッカーなんだとか。体格が小柄であっても、それにあったゲームを組立てることに秀でていて、日本チームにはうってつけだったのだそうです。

アギーレさんがスペインで訴追された理由とは、アギーレさんの口座にお金が振り込まれており、それを選手全員に配ったことなんだそうです。
この試合で負ければ格下げされてしまうチームがあり、チームのオーナー同士が相撲で言う「星の貸し借り」をしたということ。それにアギーレの口座が使われたということです。
アギーレ自身は八百長で金を稼いだわけでもなく、それこそ本人の知らないことだったのかもしれません。
だから罷免は止む得ないのだけども、監督としての逸材を失ったことは残念なことだったと言われていました。

前任のザッケローニさんですが、このかたの最大の弱点はワールドカップの出場経験がなかったことに尽きるのだそうです。イタリアリーグの名指導者で、その功績は絶大なんだけどもワールドカップの経験がないので、時差や季候、そして日本とヨーロッパで活躍する選手のマネジメントに苦労していたのだとか。そりゃJリーグはオフだけど、あちらではまだやっていれば、選手のコンディションはバラバラ。それを統一した練習でまとめるのは難しいのです。

だからブラジルワールドカップの時点で、海外組はオーバーワークだったのだとか。これは協会でも危惧していたことで、現実になってしまい、最悪の結果でした。

ザッケローニの辞任挨拶で選手・協会役員みんなが泪した



よく知られていますが、ザッケローニの退任で代表選手みんな泪して、川渕氏も泣いたそうです。それほど慕われ、また熱心だったザッケローニの人柄が偲ばれます。

・・・ところがザッケローニさん、もともとは代表監督の招聘リストでは当初は上位ではなかったのだとか。監督候補の補欠の補欠ぐらいの順位。
ところが監督の招聘というのは各国が水面下で一年二年かけて働きかけをやっているので、当初の人物は他国にかっさらわれていってしまった。そこでザックさんが収まったのだとか。ここらへんはなんとなく週刊誌やスポーツ新聞でも書かれていたようなこと。

ここからだんだんメディア批判へと流れていきます。
勝手な監督更迭論や次期監督の予想はファンなら許されるのでしょうし、読みたがる記事を書くのが記者の仕事だからしかたがないとしても、記者が実状を知らなすぎて、逆にサッカーファンを混乱させているのかもしれません。床屋政談ばかり載せて、嘲りあう低レベルでサッカーをやる当事者達はがっかりする。

川渕氏はリーグ制をとるプロスポーツで混乱の元凶ははっきりとは言っていませんが、どうも話の矛先は某新聞のナ●ツ●のような気がしてきます。

プロバスケットのリーグが統一できずに、国際バスケットボール連盟から統一できなければ国際試合の出場停止というオチになってしまいました。あれはなぜ二つのリーグができあがってしまったのか。

またサッカー協会ではアギーレ退任への圧力、そして協会人事の背後にある某新聞の影響力、そして政治家・・・

おっと誰か来たようだ
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勝海舟はフリーメイソン・・・だったらどうだって? 
Wednesday, February 11, 2015, 07:39 AM
私はフリーメイソンが世界征服を目指す秘密結社で、明治期にも(それ以前から)日本に根を張り現在もその強大な影響力を発揮しているという隠謀論には賛成しておりません。

いえ、そもそも軽率にそのような妄想(ファンタジー)に傾倒する人をたいへん軽蔑さえします。

具体的に言えば、宇野正美(うのまさみ)やら加治将一(かじまさかず)、学研の「ムー」の愛読者層ですかね。

いっときますけど、フリーメイソンってどの街にもあるロータリークラブやライオンズクラブと同じようなものですから。支部をロッジと称しているぐらいの違いでしょう。奉仕活動をする名士の集まりです。似たような商工会議所など地域親睦の団体と違い入会の資格がはるかに厳しいぐらいかな。

江戸末期から明治にかけて急速に日本に入った西洋思想(簡単に言えば一神教の概念=God(絶対神/創造主)との「契約」という考え)を理解した日本人をすべてメイソンリーだと決めつけるのはあまりにも無理があります。

それならば西洋思想の導入を目指した啓蒙活動を行う交詢社(こうじゅんしゃ:福沢諭吉が創立)もその一派だし鴎外も漱石ら明治文学者もすべてフリーメイソンになってしまいます。

だから幕末の志士、たとえば龍馬や勝海舟、榎本武揚らがフリーメイソンの手先だとか、長州ファイブ(井上聞多(井上馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(伊藤博文)、野村弥吉(井上 勝))がフリーメイソンの内通者達だとかいった話は実に下らない話です。

そりゃ関係があるかないかという話であれば、各国の有力者たちと交わればメイソンリーと交遊は出来るでしょう。しかしそれで隠謀(コンスピランシー:共同謀議)が生じたなどと妄想するには無理がありすぎです。

商業娯楽小説であれば別にそれでいいのですが、それを歴史の真実だなどと思いこむのは愚の骨頂。

幕末の土人侍とメンタリティーは何も変わっていない



勝海舟に関しては歴史的な評価は案外高くない。それは記念館ひとつもないからです。
お隣の墨田区役所には銅像が建っています。また赤坂の氷川神社裏手のマンション脇に居跡だという印一本立っているだけです。

やっとお墓のある大田区が海舟の記念館をつくるという話です。大賛成です。

明治末期に勝海舟が自ら語ったという氷川清話(大正3年)ぐらいしか人物像を知られておらず、逆にこれでまた誤解されている実像をもっと知らせる(調べる)必要が後世の研究者達はあるでしょう。

それが港区でなく、墨田区でもなく、大田区であるのはちょっと意外ですが、さすが大田区!とほめておきます(笑)



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新天皇を名乗った平将門、カリフを名乗るイスラム国指導者との相似 
Monday, February 9, 2015, 03:59 PM
2/9 曇 10時 浅草での空間線量は9ベクレル/立法メートル

昨日は大手町の三井物産本社の脇を通りました。
私にとっては珍しくないのですが、同行者が一度も立ち寄ったことがないというので、将門(まさかど)の首塚に久しぶりに訪れました。

平将門(900年頃~940年)は平安時代に関東一帯の武士(東武士)たちを束ねて朝廷に自らが天皇の正統な後継者であると名乗り反乱を起こしました。平安時代は藤原氏が権力を握っており、天皇家の血筋である平氏であっても職にあぶれて冷遇されているわけです。
関東でくすぶっている反対勢力を束ねて藤原氏への反逆を試みますが、討ち取られてしまいます。

反逆者として京都で晒された首が、怨念で下総(しもうさ:現在の千葉県北部から茨城県あたり)に飛び去ったのですが、途中で力尽きて、神田に落ちたという伝説です。
そこで神田明神が建立され、また落ちたところが将門の首塚として現在も祀られています。

そこで銘文を読んでいて、新たに気付いたことを書きます。

天皇と将軍の藤原一門の統治体制から根こそぎ関東に統治機能を奪うために、将門は「新天皇」であると宣言したわけです。天皇であるから東武士は自分に味方せよと村々を触れ回って、反乱軍を組織したわけです。

イスラム国(ISIL)の指導者とまったく同じ行動だ



日本人には一神教というものがなかなか理解できないかと思います。
ついついゴッド(GOD)を神と訳してしまいますが、日本語の本来の神とは呪い師、占い師のことです。古代では卑弥呼が神ですね。素戔嗚尊(すさのおのみこと)や天照大神(あまてらすおおみかみ)も日本書紀では神のひとり。

日本の神話に対して、あちらのGodは代替わりなんかしません。そもそも生命体ではないから。唯一神として絶対視するのが一神教です。

日本では神さんの正統者として天皇家が存続しています。天皇家というのは海外から観れば、国王なのです。
国王を戴く統治形態を王国・公国・首相国(たぶんひっくるめてKingdom)と言いますが、国王が居ない国は共和国(repubulic)となります。

フランスとドイツ以外のヨーロッパ諸国では政治的実権がなくても形式的に国家の顔として王族が存続しています。
なぜかというと、建国者の血筋ということで国民の理解が得られるかけがえのない存在だからです。

中東シリア・イラクに跨るイスラム過激派組織イスラム国(ISIL)はバグダティという人物がカリフであると宣言し、設立したと言うことになっています。カリフとは預言者ムハンマドの後継者という意味です。

預言者というのは神の言葉を授けられた者という意味。
キリスト教での預言者はもちろんイエスですし、ユダヤ教において世紀末(世界の終り)に新たな預言者が現れるという信仰がキリスト教です。

かつての日本では神道において天皇がカリフ、つまり預言者の地位です。天皇ご自身から宗教的な発言がなくても、期待されている役目的なものは同じです。

平将門(たいらのまさかど)に話を戻すと、京都から目の届かない北関東で「ワレこそが正統な天皇ナリ」と名乗りを上げたのが将門なのです。そして建国者(神)の末裔として信奉を集めたのです。

時代は下って現代に於いても、構図は全くおなじこと。

織田信長が天下統一の前に、ポルトガル宣教師達に宣言したことは、自分こそがデウスであるということ。安土桃山城の一番高い櫓に「天守閣」と名付けたのは、天主=デウス=信長を知らしめるためです。

地名の「安土(あづち)」も隣の京都を「平安」に対して付けられたという説があります。
平安は平安楽土(へいあんらくど:いわゆる天国の地の意味)から採られているので、信長は平安楽土を胆略して「安土」を地名に採用したのではないかということです。(井沢元彦「逆説の日本史」、元は安土城の研究者である内藤昌の説らしい)

じゃあなんで信長は「平楽」としなかったのかというと、地名に「平」を持ってくるだけでも朝廷への不遜にあたるからでしょう。
国家統一の前に朝廷が敵対心を持つようなことを避けたと言うこと。

それでも天下統一の暁には天皇の座を乗っ取ってしまおうと考えたわけです。
神の座の方が絶対的ですから。

将門と信長ぐらいしか天皇の座を狙った者は過去いなかった



それほど神(預言者)というのは畏れ多い存在だったのです。イスラム諸国の宗派、民族においても近代において「我こそはカリフなり」と宣言した人物はいなかったのです。

もし居たとしても即刻抹殺されてでしょう、気違いとして。しかし一旦カリフとしての名声が生まれたらさあ大変です。

預言者が現れるとオセロゲームのように一気に形勢が変わってしまう


キリストだってユダヤ教の中で預言者を宣言したのですから。

これは支配者層、宗教指導者層にとっては恐怖でしょうね。

そしてその影響は末代まで続くのです。

なぜそんなことが言えるのか?それは昨日訪問した将門の首塚です。あそこを移転したり壊すことは祟られると恐れられているからです。そして隣の三井物産の社員は首塚に対して配慮している旨が説明版にありました。

向かいの皇居に対して失礼がないように心構えるのは日本人として当然であっても、となりの祠に対しても同じ心構えであるのです。

1000年の時が経っても、将門を神格化した言い伝えが日本全国あちこちにあります。

なぜならば、天皇の正統は我だと言いふらして回ったからです。その痕跡がまだ残っているということ。

だからイスラム国(ISIL)の殲滅はものすごく困難ですし、勢力をくい止めるだけでも相当の犠牲を覚悟しなくてはならないということ。

そんな総力戦、体力戦に日本が加わることはありません。イスラムとユダヤ/キリストの勢力争いなんですから。

日本人は天皇家を大切思えば良いのです。
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自己主張の弱い日本人が苦手な言葉は「思う」である 
Saturday, February 7, 2015, 12:41 PM
2/7 晴 10時 浅草での空間線量は13ベクレル/立法メートル

先週の朝日新聞日曜版に「思うと考える」の違いについてのコラムが載っていました。
なるほど無意識に使い分けていましたが、そりゃそうだ。

ふり返れば、私は「思う」恐怖症です



副島隆彦先生が言うには
「思う」「思った」という言葉は有名で権威のある人物が使うならば、それなりに他人は重く受け止めるであろうが、凡人が使ったところで、軽く受け流されるだけであると言います。
また、「私は~と思う」と行った意味の底には「お前がどう思っていようと勝手だ」という突き放すように受け取られがちになるのだと。

これは読者にとって不親切で不愉快な気分にさせます。

では「考える」となると、それなりの理由を述べてからの自分の結論であるから、この思考に対しては誰も不満に感じることはないのです。そしてその思考(結論)はその人の所有となります。

他人の持ち物に文句をいう筋合いはない。
思考(結論)に異議があり、また違う思考に辿り着いたのであれば、それはその人の持ち物となります。
このように「考える」「考えた」という言葉はキャッチボールのボールのようなものです。

笑い話なのですが、副島隆彦先生に添削をお願いした弟子のひとりに、<説得する文章>は断定口調であるべしとの指導を受けて、「思う」で終わる文末をすべて「だ。である。」に変換してしまいました。
パソコンですから、ほんの数秒の作業ですよね。

これで副島流の文章になったとほくそ笑んでいました。
これには周囲が大笑い。

単に文章が紋切り型の乱暴な文章になっただけ。ネットスラングでいうところの厨二(ちゅうに)病というやつです。厨二(ちゅうに)病とは中学二年生あたりの子供はいっとき無敵感・万能感にひたり、大人を見下したり破天荒な目標を掲げるといった思春期入口の心理を指すそうです。

三〇半ばの中年がこんな文章を世に出したら笑われるだけ。
「だ、である」は「考える」よりもさらに強い論理的な裏付けが必要な切腹覚悟の言葉です。熟考を重ねたうえでの言葉です。

こいつあほすぎる・・・。

私は「思う」という言葉は文章中のスパイスのひとつだと思っています。もしくはリズムを一旦取り戻すための小休符みたいなもの。

感想文は感じたことを書けばいいと勘違いして、「~と思う~思った~思う」とすべて文末は「思う」で書いたらどうなるでしょう。

他人からは「頭の悪い奴だな」ぐらいにしか思われないでしょう。
思うという言葉で終われば、そこでその人の思考は止まってしまうからです。

行き止まりばかりの道路を走らされているようなもの、もしくは長休符ばかりの楽譜の演奏を聴いているようなものです。

だから日記やこの日記替わりのブログは例外ですけれども、私は「思う」という言葉にはとても神経質になります。

ある有名企業に勤める友人が新商品の企画書らしきものをちらっと見せてくれたことがあります。
販売目標や需要予測に関して、「思う」が連発されていたので、おもわず大丈夫か?と思いましたし、尻ぬぐいする上司も大変だろうなあと感じました。

客観性が求められる部分で主観を表わすことばで終えると、その文章は死にます。平社員の妄想にしか過ぎないのです。

逆に軽い意見を求められているのに、気軽に「思う」を使えない人も多いですね。これは日本人の特徴でしょうか。

たとえばある団体の新入りさんに感想を年長者が聞いたとしましょう。

だいたい遠慮して「・・・いえ、べつに・・・」とか「・・・みなさんの仰るとおり・・・」といった具合にはぐらかして、自分をひたすら隠そうとしますよね。

そんなこと聞いてネエよ!自分の意見を言えよ!と割り込みたい気分になります。

でも、これが日本ムラ社会の処世術なんですよね。

高校生一年生のときに、ジェームスディーンの理由無き反抗を観て、国語の時間に感想文を書かされました。

クラスメートは主人公の心情がどうじゃらこうじゃら、無理解の両親の心情がどうやらこうやらと、必死に場面を思い出して書きつづっています。

私は最初の場面ぐらいしか覚えて無くて(たぶん寝ていたのでしょう)、仕方なく「切なく感じた」とだけ書いて提出したところ、「なぜ切なく感じたのだろう?その切なさはどこから来る感情だろうか?」と添削されて返されました。

ああ、感想文とは湧き上がる自分の感情を掘り下げる作業なのだなと納得したことを覚えています。

その感情の源泉を見つめ直すことで、主義主張が生まれるのですが、なぜかこのプロセスを日本では教育では一切無視しがち。

利己的(egoism:エゴイズム)は日本では悪い意味ですが、egoismは明治においては進歩的思想として捉えられていました。個人主義とも言われています。

これが近代思想の根源でもありますし、近代とは宗教規律の束縛から離れて、個々の信仰に基づいた自己主張が許される社会のこと。

プロテスタントからさらにユニテリアニズムという宗派をへてリバータリズムという思想がアメリカの建国の基盤となったわけです。代表は小説家アイン・ランドです。

同調ではなく孤高こそが崇高なのだ



ところが日本では大なり小なり組織や団体というものは、「個人の感想」を極端に避ける傾向があります。

「幼稚さ」さえ放棄したつまらん奴らばっかりだ。官僚や小役人がその代表でしょう。
副島隆彦先生は「顔無しクン」と評しています。
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ギフトショーに行ってみました 
Friday, February 6, 2015, 07:21 PM
2/6 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル


昼前から東京国際展示場で行われている2015ギフトショーに行ってみました。3日間の今日は最終日です。
このギフトショーはありとあらゆる雑貨が一堂に集まっていて会場が広いので、一通りあるくだけでも疲れます。
会場内では写真撮影が厳禁なので、外観だけです。

会場をぶらぶら歩いていると、コンサート用ペンライトの製造販売をしている会社の社長とばったり。5年ぶりぐらいかな。海外と行ったり来たりの人で会うことは滅多にないので、向こうもびっくりしてました。

毎年出展しているからわかるそうですが、今年は客足が減った感があるとのこと。昨日は雪だったけども、好天の本日の方がもっと少ないのだとか。

羨ましいことにペンライトの販売は好調で注文をなんとかさばいているような状況だとか。

また取引のあったいくつかの企業のブースも訊ねました。また来年も招待状を送って下さいね。

とにかく歩いた歩いた。へとへとです。

このギフトショーはどちらかというと女性の方が愉しめると思います。

このような展示会の最終日は、価格交渉で値切ると、意外とすんなりまけてくれます。出展企業は少しでも帰りの荷物を減らしたいものですから。



帰りは豊洲経由で浅草に向いました。これは新しい築地の魚市場です。いつのまにか鉄骨の構造物が建ってます。もともとは東京ガスと火力発電所があった地域ですが、橋や道路があらたに出来ていて昨年から一変してます。
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わかりやすく理解してもらうことは大変困難であり、一番知的な作業である 
Thursday, February 5, 2015, 01:13 PM
2/4 雪 10時 浅草での空間線量は13ベクレル/立法メートル

「体感する数学」(竹内薫 エンターブレイン)という本を寝床で読みました。
数学といっても数式は全く出てきません。
竹内薫が身近なたとえで、数学が身の回りに普通にあるということを知ってもらいたいという趣旨で書かれた物です。

目次では以下の用語が解説されています。

素数、無理数、乱数、四次元数、キス数、微分積分、二次方程式、三角関数、対数関数、デルタ関数、ベータ関数、テイラー展開、フィボナッチ数列、固有値、極座標、ラグランジアン、群論、トロポジー、ラジアン、因数分解、階乗、
行列、無限、力学的相似、数学的帰納法、一次変換、虚数、陰関数、波動関数、ガウス分布

たとえば素数とは「自分自身と1でしか割りきれない数」と言われても果たしてそれが何に役立つのかはピンと来ない。そこで本書ではずばりコンピュータ通信のセキュリティー(暗号文)と解説しています。
素数の発生には規則性がないので桁数が大きくなると約数かどうかの判断が格段に難しくなるという性質を利用しています。

微分積分とはと訊ねられたら、それは「限定品を買うために貯金して、期日までに目標額を貯めること」と答えています。
毎日一定額を貯金できればいいのでしょうが、その日その日で貯金できる額が違ったり不定期に貯めることしかできなければ、はたして目標額にはいつに達するのか、またどれくらい貯まったのかを知りたいでしょう。その結果ではもう少し一回当たりの貯蓄額を増やさなければといった判断をしなくてはなりません。

テイラー展開なんかは「呑み会でのワリカン計算」であると一刀両断です。
sinやcosといった三角関数も、虫眼鏡で一部だけを見れば直線だろと、範囲を限定して直線で大まかに計算してしまえという考え方。この考えが工学的な考え方で、建築や土木の実務では重宝されているわけです。大きな円形プールなどもコンクリの型枠はまっすぐな板ですからね。

なるほどなるほど、そういう例えがあるのかと読み続けました。

たとえ話こそ最大の知的な訓練だとあらためて思います



副島隆彦先生の著書がわかりやすいと評判なのは、世界の政治対立(つまり思想対立)をどんどん掘り下げてなるべく身近な比喩で表現しようとされているからです。

一番有名なのは「日米関係とは」という問いに「宗主国と属国」というえげつない言葉で表現したことです。(または親分・子分の関係性ともいう)

本書に話を戻して

三角関数とは「衝動買いして『買わなきゃ良かった』『買って良かった』と揺れ動く気持ちである」という例えは最高ですね。
同じ行動でも、見方(数学的には90度)が違うと相反する評価となることです。
こりゃまいったねえ。三角形も円も全く出てこないが、本質は正しいです。

さらに複素数(complex number)という実数と虚数(imaginary number)の二つで表わすと、三角関数は円になってしまうというし、メリーゴーランドで例えると、観測する場所によっては波のように見えます。

ちなみに虚数は「やりにくい相手だなと互いに思っている二人」です。だから近づかないけども意識はしているという関係。

この二乗すると「-1」になるという概念を取り入れるだけで、この世の動きは円運動の式でグラフであらわせられるということ。数学は見方次第でどうにでもなるということ。

だからこそ、数字の見方って大切なんですね。
数学は幅が広く、奥行きの深い世界なのです。だからこそとっかかりの教育はもっとわかりやすくなって欲しいと思います。

デルタ関数は「昔のブラウン管テレビのスイッチを入れた瞬間や切った瞬間の状況」といわれると、たしかに昔のテレビは中心に白点がでて、それが瞬時に広がって画像がでてきました。スイッチを切った瞬間はその逆で、中心にすべてが収束していくかのようです。

ああデルタ関数っぽいなと感じたら、それが量子力学の入口なのです。

この本をきっかけに自分でもわかりやすい例えはないかと探すのもさらに理解を深めることになるでしょう。

過去ログ:素数って素っ気ない数という意味ではありません
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本当の節分は3月22日(春分の日の翌日)です 
Wednesday, February 4, 2015, 01:40 PM
2/3 晴 10時 浅草での空間線量は13ベクレル/立法メートル

昨日は節分でラジオでも節分の由来や、ご当地での節分行事、ご家庭での節分の楽しみ方がいろいろ紹介されていました。

京都では江戸時代までは節分は仮装して鬼の目を騙すという風習があったそうです。一年のこの日だけは銘々が着飾り仮装して街を闊歩した、元祖コスプレショーだったのだとか。

節分とは冬と春の区切りということで、暖かくなる季候を愛で、またこのような季節替わりの境目は体調を崩すことが多く、それが鬼の仕業と言い伝えられてきたからでしょう。

節分を盛り上げるには、巻き寿司を囓るようなあほくさい一部地域(花街の芸者遊びが由来)よりも、仮装行列の方がよっぽど良いのではないでしょうか。

ちなみに恵方巻という巻き寿司の風習は関西が発祥と言われていますが、関西でも知らない人が多かったと思います。

寿司チェーン店が流行らせようとしたことがあったそうですけども、30年近く前にコンビニストアのセブンイレブンがプロモーションをしたことで、全国で知られるようになったのだとか。
これに便乗してローソンや他のコンビニストアでも恵方巻という名称で乗っかったのだとか。

実に下らないよね。

巻き寿司は嫌いではありませんが、遠足や運動会といったハレの日の食事だったような気がします。
子供が好きな具が片手で食べられるからなのでしょうが、大人はせいぜいビールを飲んでから一つまみぐらいでしょう。お酒のつまみにはなりませんし。

豆を蒔くという風習もどうやら一部地域での冬の遊びだったようです。もう備蓄していた大豆を春が来たので不要となったから遊びに使ったのでしょう。

満腹になるまで喰わせて競わせるなど、昔から食べ物で遊ぶ風習は冬が長くて娯楽のない時代の名残です。

ラジオ番組では、家庭や会社でそれぞれが手作りのお菓子や駄菓子を撒いたり、宝物探しをしたらもっと楽しいのではないかと提案していました。

ハローウィンと節分を合体させたら、日本独特のあたらしい風習として盛り上がるのではないかということ。

バレンタインデーもチョコレート業界が閑散期の需要を立ち上げるためにおこなったプロモーションですから、豆菓子、米菓子、駄菓子、洋菓子各業界が節分用小分けセットを創り出せばいいのではないかな。
あっチョコレート業界は外してください、儲けすぎや。

自分のような辛党にはスルメや佃煮などの珍味が降ってくる方が良いですね。

過去ログ:恵方巻(吉方巻)とは江戸末期の下賤な遊びです


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都会のキャンプは過酷です(大田区キャンプセミナー) 
Sunday, February 1, 2015, 08:00 PM
大田区教育委員会が毎年実施しているキャンプセミナー(旧リーダーキャンプ)に誘われて参加してみました。気軽にOKと言ってはみたものの、前日は積雪があり、西高東低の完全冬型季候です。
当日はちょっと迷いました。

それよりも参加案内で、持ち物リストに「家にある余った食材」「空き缶」「牛乳紙パック」「ペットボトル」「スマートホン」などとあります。
キャンプ会場は大田区の平和島という湾岸倉庫街で太い産業道路でトラックがばんばん走っている殺風景な場所です。
近くには大井競馬場、平和島競艇とギャンブラーの街でもあります。そんなところに青少年の運動施設・平和島ユースセンターという施設があります。そこにキャンプ場があります。簡単な指導をうけてまずは自分たちでブルーシートで屋根、風除けの設営です。
なんかだんだんこの時期に大田区教育委員会がキャンプを実施する意味がなんとなくわかってきました。子供たちが参加するキャンプなのかなと思っていたら、指導者も含め40代50代ばかりです。
災害時の訓練だったのです。

ですから、キャンプ道具といった楽なものを使わず、身の回りの物でなんとかするという趣旨です。いや知らなかった(あえてぼやかして募集していたそうです)
ですから空き缶で調理をなんとかします。初日はお米はなく、小麦粉のみ。当方のチームは「すいとん」です。となりのチームは「ほうとう」でした。
年の功でありあわせの食材でもちゃんとした料理ができあがり。どちらも美味しかった。
薪で調理しているように見えますが、これは廃材です。杉だと思うのですが、煙がすごくて煤で真っ黒になりました。なんたって緊急時の対応訓練ですからね。
調理器具は空き缶なのですが、一斗缶をオーブンにしてパンを焼いてみました。
この厳冬下でパンが発酵できるか不安でしたが、焚火の近くに置いていたらなんとか膨らんでいました。
翌日の朝には焼きたてのパン。なかなか贅沢でしょ。
参加してわかったのですが、もしこれがなんらかの災害で、見ず知らずの人たちと一緒に、テント設営や調理ができるかということです。

今回も初めて会う方々と団体で行動しなければなりません。経験も年齢もバラバラです。

率先して行動することも大切なのですが、烏合の衆ですからちぐはぐで統一されないのです。だから調停役が必要ですね。強力なリーダーなどは必要ではないのです。
適材適所に人を配置できれば、あとはなんなりとなりますね。

キャンプの達人・NPO法人東京都キャンプ協会の指導者二人がいちおう付き添ってくれるのですが、あえて何もしない。
道具のありかや、食材の有無も事前にあえて言わなかったそうです。

だから参加者は、あちこちの段ボール箱を探ったり、参加者同士で聞き回らなければなりません。

なぜそのようなことをしたのかというと、災害時には誰も物のありかを知らないからということと、雑多に積み上げられた状況だからだそうです。

本当はブルーシート一枚をテントにして、実際に寝てみるという体験会であったのですが、風が強く、気温が低いので、テント泊となりました。
ペットボトルにお湯を詰めて貰い、湯たんぽにして就寝しました。あったかくてよく眠れました。

翌日は大田区が備蓄している食糧(α化米や缶詰)をビニール袋や使い捨てマスクで調理する方法を習いました。使い捨てマスクに入れたα米をお湯で戻してみましたが、美味しかったです。
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