海軍善玉論というファンタジー作家がやっと死んだ 
Wednesday, August 5, 2015, 09:35 PM
太平洋戦争は陸軍の暴走で、海軍はそれにつられたという妄想を振りまく作家阿川弘之がやっと死にました。悪人は長生きするもんだ。

この人の著作になると海軍大将の山本五十六も井上成美も米内光政でさえ人徳者になってしまいます。

米内光政なんか米軍に通じていたエージェントじゃねえか



捏造御用作家がやっと死んだ。ああ嬉しい。

作家の阿川弘之氏が死去 文化勲章受章者、正論執筆メンバー
産経新聞 8月5日(水)20時9分配信

阿川弘之さん(写真:産経新聞)
 小説「雲の墓標」や評伝「山本五十六」など数々の戦争文学で知られる作家で、文化勲章受章者の阿川弘之(あがわ・ひろゆき)氏が3日、老衰のため死去した。94歳。葬儀・告別式は近親者で行う。後日、しのぶ会を開く。

 大正9年、広島市生まれ。昭和17年、東大国文科を卒業後、海軍予備学生に。海軍中尉として中国に渡った。21年に復員し、尊敬する作家の志賀直哉を紹介され、文筆の道に。27年、戦時下の日々を自伝風に書いた長編「春の城」で読売文学賞を受賞。同時期にデビューした吉行淳之介さんらとともに「第三の新人」と称された。以後、「雲の墓標」「暗い波濤(はとう)」「軍艦長門の生涯」といったリアリティーあふれる戦争小説を発表し続け、作家としての地位を固めた。

 「米内光政」など海軍軍人を題材にした重厚な評伝を著す一方、紀行文や私小説的な短編小説も多数発表。35年に産経児童出版文化賞を受けた「なかよし特急」など、児童書も手がけた。他の主な作品に「井上成美」「志賀直哉」がある。平成11年、文化勲章受章。日本芸術院会員。本紙「正論」執筆メンバーとしても活躍した。法学者の阿川尚之さんは長男、エッセイストの阿川佐和子さんは長女。

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控えも含めた全投手4人に1人が肘を壊される夏の甲子園 
Wednesday, August 5, 2015, 01:49 PM
8/5 晴 10時 浅草での空間線量は38ベクレル/立法メートル

六城ラヂウムは10日から一週間を夏季休業とさせていただきます。

いまでに陽が強い時間帯は仕事になりませんけどもね。ぐだっとしてます。
とてもじゃないですが外へ出て行く気にはなれません。

中近東では食堂や散髪屋、食料店などは朝の6時ぐらいまでか、夕方6時あたりからです。
陽のある時間帯は日陰でおしゃべりしてるか、水煙草にバックギャモンでもして過ごしています。
そもそも通りには誰もいませんし。

日本の夏もそうでいいのじゃないかな。

日本の夏の風物詩の高校野球が始まります。100年目ということですが「残酷ショー」と言われる体制には何も変わりがありません。

炎暑の連投で肘を壊していった投手達は延で何人居るのでしょうか。投手生命が夏の甲子園のために奪われていく割合が四人に1人なのだそうです。となると毎年10人程度は投手を潰していることになります。

本来だったらプロ野球や大リーグで活躍したかも知れない人材を、たかが真夏の2週間で奪っている愚行を呆れてみています。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/soichiromatsutani/20150804-00048118/
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牛久大仏に行ってみた 
Monday, August 3, 2015, 11:13 AM
8/3 晴 10時 浅草での空間線量は33ベクレル/立法メートル

いきなり空間放射線量が二倍になりました。昨日までは17程度だったのですが、今朝は30を越えています。

こんな暑さなのですが、茨城県牛久市にある牛久大仏に行ってみました。名前だけは知っていたのですが、特に何もない地域なので訪れることはなかったのです。

浄土真宗東本願寺の施設です。入場料800円を払って大仏内を拝観することができます。東京に出てきて初めてです。と思ったら東京生まれであっても初めて訪れたと感嘆の声がちらほら聞こえます。

奈良の大仏さんが手のひらに乗るほどの大きさで、たしかに遠くからもよく見えます。
ビルの高さでは28階建てに相当するのだとか。

中は空調が効いていて、宗教的な雰囲気です。胸のあたりまでエレベータで登ることができます。外は地獄、中は極楽とはこのことか。

建設されたのは平成4年でちょうどバブル経済の終焉の頃です。私はその3年後に東京に来ているので建設していたことは知らないのですが、会社の茨城出身者がやたら自慢していたことを思い出します。

新たなドライブデートコースができた、と。

だいたいデート先が筑波山か霞ヶ浦、いや鹿島神宮もあるか・・・ドライブなら足を伸ばして大洗や水戸、袋田の滝あたりかな。

意外と若いカップルが多いです。年寄よりも海外の人の方が多いかも知れません。

まあとにかく地域の人たちにとっては、牛久大仏のおかげで牛久市は全国的な知名度を得たと半分冗談ですが思ってます。

この地方に住んでいる人たちは異口同音で、物価が安くて住みやすいところだと言います。たしかにそうです。そして東京駅まで高速バスがあるので気軽に東京に出られるのもいいのだとか。

とうぜんサッカーの応援チームは鹿島アントラーズです。

そういう茨城愛にあふれた知人の案内だったのですが、楽しかったです。
牛久駅そばの牛久シャトー(煉瓦建築で重要文化財でもある)のビアガーデンで地ビールとワインを堪能して解散しました。
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電通はCIA日本支部、博報堂もCIA系情報操作機関であるということ 
Friday, July 31, 2015, 12:26 PM
7/31 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル

パクリンピックと揶揄されている東京オリンピックですが、ユニフォームにしろ盗作疑惑のある素人然としたエンブレムと話題提供が豊富です。

新国立競技場ではゼネコンが、そして広告代理店の電通・博報堂が政治家と共に暗躍していることがよくわかります。

安全保障関連法案成立に向けて、目眩ましでこのような捨て身なニュースを小出しにしているのでしょうか。

今回の盗作疑惑のあるエンブレムは博報堂社員のものだそうです。
審査員も博報堂社長で、多摩美出身つながりなんだとか。
身内のお手盛り公募で選ばれた案が、まあつまらない柄。しかも50億円の税金。

wikipediaによると博報堂は読売新聞系広告会社を2003年に傘下におさめてますし、政界フィクサーであった児玉 誉士夫(こだま よしお)の言論弾圧・世論操作に荷担していたという歴史をもっています。

政界のための広告代理店が博報堂ということ



電通はまんまCIA日本支部です。両社とも同じ穴のムジナなんですなあ。

そんなところにいるのは情報工作員ですから、天才的なセンスを求めるなんて酷というモノ。
お金を払ってくれるクライアントがいうままの案を出せるというだけなのでしょう。

広告屋は大小問わず大嫌いです。

どっかで広告屋がホルミシス学会みたいなのを立ち上げてやっているようですが、私は無関係です。
バカの寄り合い所帯には近づきません。

こうも暑くちゃどこへ行く気もありません。
そういえば調布飛行場周辺は6年前に散歩しているのです。
ラッキードF104を観に多摩を行く
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新型腰痛ベルト(純日本・台東区製)は軽い、薄い、快適 
Thursday, July 30, 2015, 07:33 PM
7/30 晴 10時 浅草での空間線量は17ベクレル/立法メートル

今日は新たな腰痛ベルトの試作品を評価していました。

デザインは旧来を踏襲しながらも、素材を一変して薄く軽く、そして蒸れないと良いことずくめです。

女性からは評判の良くなかった色も薄い肌色となって、着用がわかりにくくなりました。

日本の製造業の強みは、素材や部品の代替品が豊富ということではないでしょうか。

旧製品のゴムは特注品だったのですが、これを再び使うにはすごいロット数を抱えなくてはなりません。これが今までの最大のネックだったのですが、旧製品よりももっと良い素材が生地問屋から提案されました。

これが素晴しく良い。

こういう逆提案してもらえるのが日本の強みなんだなとあらためて日本での製造にこだわる意味を再確認しました。

まだ当分は試作と改善が続きますが、腰ベルトができれば、この新素材を使って膝サポーター、肩サポーターも作っていこうと思います。

今日は良い一日だ。
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私の夏休み課題図書を公開します 
Wednesday, July 29, 2015, 11:53 AM
7/29 晴 10時 浅草での空間線量は20ベクレル/立法メートル

織田信長四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ! 明智憲三郎 幻冬舎
前作のベストセラー「本能寺の変 431年目の真実」を信長側から解説したものです。「本能寺の変・・・」は文庫本でしたが、今度は幻冬舎という大手から出版されました。

先週新聞広告を見て、いてもたってもいられなく買ってきました。

誰もが思っている信長の「なぜ?」を一つ一つ解説した形式です。
私はイエズス会との関わりに関心を寄せています。

秀吉も家康も信長が描いた統治のロードマップに乗っかっているとすれば、やはり信長が歴史上の最重要人物であると思います。
過去ログ:備中高松城の水攻めは虚構である(証拠写真付)
「天守閣」のてんしゅは天主(ゼウス)の城という意味である。
本能寺の変 は長宗我部元親を明智光秀が守るため?
「本能寺の変 431年目の真実」(明智憲三郎)にはぐうの音も出ません
これはすごい本だ!なぜ明智光秀が悪者とされたのか?虚構の「太閤記」



江戸の天才数学者 世界を驚かせた和算家たち 鳴海風 新潮選書
星に惹かれた男たち 江戸の天文学者間重富と伊能忠敬 鳴海風 日本評論社

鎖国下の江戸時代中期から西洋と歩調を合わせるように発展した和算の世界があります。とはいっても独自に発展したのではなく、長崎から入る蘭書を通して発展したのです。

映画/小説「天地明察」で江戸の天文学者(=数学者=神学者)を知るきっかけになりましたが、日本の数学史を読みやすく小説風に書いている作家は鳴海風氏です。

ところが丸善でさえも上記の2冊しか置いていません。しかたなく図書館で旧作「円周率に挑んだ男たち」を借りましたが、寝床で予備知識がわりにさっと目を通しておこうと思ったのですが面白すぎてのめり込みました。

新潮新書は吉田光吉(よしだみつよし)を知りたかったからです。
過去ログ:数学的才能は思想のみならず芸術や音楽の基礎である
天文学とは数学のことであり、それはπの追求のこと
映画「天地明察」を改めて観てみました〜江戸時代の数学の黎明〜
来年はしっかり数学の本を読もうと思う
数学は神を知るための手段であるという西欧の常識
伊能忠敬と高橋至時(たかはしよしとき)の墓はご近所にあった
カレンダー(暦)にはこれほど面白いドラマがあったのか


21世紀の脱亜論 西村幸祐 祥伝社新書
明治での日本人の思想遍歴を調べる上で最も重要な人物は福沢諭吉であると副島隆彦先生は常々言われています。そしてもっと福沢諭吉を評価してしかるべきだとも。

ユニテリアニズムの紹介者である福沢諭吉研究にあわせて、諭吉の唱えた脱亜論を知る上では時事的な題材なので読みたいと思います。
過去ログ:これからは大陸国家の連携の時代へ(海の道よりも陸の道)
幕臣たちの明治維新 徳川幕府は新政府よりも劣っていたのか?
勝海舟はフリーメイソン・・・だったらどうだって?
フランス文学(という政治批評)が幕末・明治の知識層に多大な影響を与えた
なぜ国語の授業では明治文学が取り上げられるのか?
浅草は殺陣(たて)の町 居合いとは違う文化です
儒教(陽明学)とプロテスタント(ユニテリアニズム)との相似について
「実学」とは江戸末期に使われ始めた儒学に対する西洋学問体系を示す隠語である
坂本龍馬が北進一刀流の免許皆伝者なんて嘘っぱち
本能寺の変は足利義昭の策略か 背後に控えるカトリック教




浅学なので哲学用語がまったく苦手です。えらそうに思想研究だなどと申してますが、なんたって「戦争を知らない子供たちの子供たち」でございますから、左翼用語含めて薄ぼんやりとしかわかりません。

副島隆彦先生がニーチェについて語ったところでその1%でも理解できているとは思えません。昔の学生は口角泡を飛ばして語りあったんだろうなあ。そういう熱い時代にも生きていない我々は再び思想用語に向かい合う必要があるのではないでしょうか。

こういう本はありそうでなかったですね。

哲学用語事典 田中正人 プレジデント社


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高校野球の裏番組としての都市対抗野球 
Tuesday, July 28, 2015, 02:06 PM


昨日は暑かったのでどっか避暑に行こうと思っていたら、都合良く都市対抗野球の観戦券をいただきました。久しぶりの東京ドームです。
野球よりもクーラーの効いたところでビールでも飲んでみようと行ってみました。
ビール以外は売店の食い物はろくなもんじゃないですね。冷凍食品を温めただけで、一口喰って捨てたくなりました。
枝豆と生ビールだけにしておけばよかった。

野球は大阪市代表・大阪ガスチームがサヨナラ勝ちをしたようです。
というのも途中で退席したから。
驚いたのは、応援団の規模。相手のJR東日本東北を圧倒しています。

常にチアリーダーが壇上で踊り、応援団出身と思われる社員がエールを切り、吹奏楽団が休むことなく鳴らしています。太鼓の音で鼓膜がおかしそうになったので退出してしまいました。

応援リーダー、チアのみなさんは社員のようですが、間違いなく大学の応援団出身でしょうね。動きが洗練されすぎてますもん。チアガールさんたちが衣装をかえて踊ります。下手な芸能事務所よりもずっとましなんちゃうかいな。

余興で新入社員も並ばされてやらされてましたが、キレが無くグズグズ。一見応援団って簡単そうですが、めちゃくちゃ体力と訓練が必要ですからねえ。

社会人野球の企業チームとはいえ、選手と監督コーチ陣の紹介を読んでみると、みんな高校か大学野球部でスカウトされて加わっているのですね。トレードされて来ているのもいるんだ。大阪ガスっていったら陸上部も有名でしたね。

ピッチャーも145kmぐらいで投げてるんだ。
都市対抗野球は主催が毎日新聞で、東京ドームが聖地となってるわけです。会社名を掲げてますが実態は立派なプロの人たちなんですね。

その予備門である高校野球も青天井の甲子園よりもドームでやればいいのに。
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低放射線で癌や奇形になるの?「ない」のだけどもとりあえず「わからない」にしておく 
Tuesday, July 28, 2015, 11:59 AM
7/28 晴 10時 浅草での空間線量は25ベクレル/立法メートル

学者と官僚・政治家とは嫌な生き物で、否定も断定もせず、とりあえず玉虫色に答弁しておくことが生きる術と心得ています。低線量放射線による癌リスクはあるのかという問いに対していまでも議論が続いています。

議論で出てくるLNT(Liner Non Threshold:直線比例しきい値なし)仮説を例えて言うなら

40度のお風呂に毎日浸かったら年間1460度もの高温に晒されているから当然<生態的な影響がないとは言い切れない>。

ということ。体温よりも4度高いお湯でも身体的な影響がでるという馬鹿げた仮説です。


証明するには一生風呂に入ったことのない集団と、死ぬまで毎日湯船に浸かる集団を比較しなければなりません。
そんな大集団いるわけない。

ですから広島長崎の被爆者の追跡調査と医療機器による被曝をした<病人>ぐらいでしか統計サンプルとなりません。

母集団を精査して統計を取ったとしてもCTでの影響は少年(10-14歳)10万人当たり白血病2人脳腫瘍1.5人の確率が+0.8、+0.3に過ぎません。統計を詳しく知らなくても誤差で吸収されるような信憑性のない値です。
ところがこのような確率の増加を鬼の首のように増えた増えたと騒ぐ輩もいる。

同じ生活習慣をしていないと母集団の比較は無意味です。CT検査を受けた病人にわずかな統計上でリスクがみられたという結論はバカとしか言いようがない。

人間じゃあ無理ですから、全国に生息するヤマトシジミという蝶を統計のサンプルにして琉球大学が調査しました。
羽根の模様が東北地方と他府県のヤマトシジミではちょっと違う個体があるという結論をだしましたが、はたしてそれがどのような影響のものかはわからないのです。樹木など生息環境や気候が違いますからね。

秋田の女性は沖縄の女性よりも色白だと言っているようなものかもしれない。
日照量が違うんだからあったりめーじゃねえかと誰もが思うでしょう。ところが遺伝子が違うからと言う説を唱える説も当然ある。

日照量ではなくて秋田の人にはロシア系の遺伝子が交ざっているから色白美人が多いのだという説を証明するには、結局県民どうしのDNAを比較してみなくてはなりません。

同じ様な流れになっていて、研究室でヤマトシジミを育てて、これからDNAを比較していこうという結論です。

大阪府立大学放射能研究センターって国道309沿いにある南海白鷺駅に近い立派な施設です。こんど見学させてもらおうかなあ。

今のところはDNAシーケンサーで調べても、はっきりとした放射線の影響は出てこないということです。
しかしだからといって放射線の影響はないとは断定できないので、何世代も渡って調査を続けるということ。

学者とは気長な商売だ(爆)

結論づけたら明日のメシの種がなくなるからさ



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癌も病気も、さらには進化もDNA次第(ウィルスによる生物の進化) 
Monday, July 27, 2015, 01:49 PM
7/27 晴 10時 浅草での空間線量は26ベクレル/立法メートル

あつくてブログの更新が遅れがちです。夏休みの宿題ができないよ〜。

新聞記事を掲載しておきます。
ひとつは癌化する細胞をウィルスで攻撃することで排除する技術。
もうひとつは全遺伝子情報を解析することで難治病の原因を特定する試み。

つまり

病は遺伝子が原因である


ということ。

そして特定遺伝子配列に関与しているのは、ウィルスであるということです。

生物の進化はダーィン説では自然淘汰と環境適応種によるものですが、それだとミッシングリンク(失われた連続性)が説明できません。

北京原人、ネアンデルタール人が人間の先祖であるなら、その中間種も連続して発見されなくてはならない。
爬虫類が始祖鳥になっていくならば、腕が翼になる中間種が発見されなければならない。

しかし現実はそのような段階を踏んだ進化があったという証拠はないのです。

遺伝子の突然変異はウィルスにより引き起こされる



ウィルスに組み込みたい遺伝子を入れて、細胞に感染させると、組み込まれる仕組みが遺伝子操作では実用化されています。
そして新たな機能をもつ細胞がうまれます。

いままでもウィルスによって生物が進化してきたということでしょう。
放射線による遺伝子の突然変異という説は私はあまり信憑性がないと考えています。

朝日新聞では放射線の影響をシジミチョウという蝶を調べることで測ることができるかという連載がされていましたが、結局はこれから追跡していかないとわからないという締めくくりでした。

どれだけ浴びたところで手が四本になったり眼が3つになったりするものか(笑)

明日もこのテーマで続きます。
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群馬県渋川市御蔭(おかげ)公園に見る楫取素彦(かとり もとひこ)の執念 
Sunday, July 26, 2015, 02:09 AM
先週の連休は吉田松陰の義弟である楫取素彦(かとり もとひこ:小田村伊之助)の功績を辿る旅をしていました。


明治9年から楫取素彦(小田村伊之助)は県知事として群馬に就任しています。
京都はもちろん、江戸からも距離のある群馬は、特に明治初期には国定忠治ではありませんが、荒くれ者が跋扈する難治地域だったそうです。

そこに明治新政府から役人として送り込まれたのが楫取素彦(小田村伊之助)です。

中央には長州人脈がありますから地方からの陳情もやりやすく、逆に中央からも指示を出しやすかったという利点があったのです。

・絹の輸出を国策として富岡製紙工場を立ち上げる
・県内に公立学校、前橋に医学校を設立し農民教育を推進する
・歓楽街であった伊香保温泉で娼婦を強硬な反対にかかわらず廃止する

つぎつぎと遅れた地域とみなされていた群馬県内を急速に近代化させていきます。

その手腕は長州で培った信頼と長州閥が中央政府にいるためでもあったのですが、前橋の知事室にいたのは任期中のほとんどは妻であった寿(ひさ:吉田松陰の妹)であったのだそうです。


なんたって楫取素彦は群馬県内の視察や監督、そして政府との折衝で知事室にはいなかったのだそうです。

右腕となって知事代行として活躍していたのが、寿さん。
この寿さんは松蔭譲りの才女であったので県民も親しんだのだとか。

だから寿さんが大河ドラマの主人公だとばかり思っていたら、あにさからんや妹の文(ふみ:美和)だというので前橋市民は???なんだとか。NHKの説明では

寿さんは史料がたくさんあるけど文は史料はないから



つまり脚本がどうにでもなるからと説明があったのだとか。その結果が今の視聴率ってわけ(爆)

さて、楫取素彦はどうして群馬県の殖産興業と教育体制を整備したのでしょうか?

実は楫取素彦はもっと重要なことをしています。

前橋までの鉄道の延伸と道路建設、そして深謀遠慮



それは在任中に天皇の群馬行幸と伊香保温泉での保養を実現することでした。この目的のために妻の寿と二人三脚で奔走したのです。(県史にははっきりとは書かれていません)

群馬は過去一度も行幸がなされていない地域だったのです。

そのためにもなんとしても貴重な外資を稼ぐ地域としての群馬、そして温泉保養地としての群馬を天皇皇族に強く印象付けたかったのです。

そのためにも高崎までであった鉄道計画を前橋にまで延伸させ、伊香保温泉、榛名山への道を整備させました。
保養地としてふさわしいステータスを求めたのです。

道路建設では松がある地域を通させた



なぜか?それは行幸でかならず休憩するだろうという思惑があったからです。群馬の夏はご存じの通り暑いです。
かならずや松の木陰で行幸の一行は休みます。


休んだ場所にはかならず碑と歌が後世のために残されます。現在は伊香保温泉への道中に「御蔭(おかげ)」という地名と当時の松(御蔭松)が残っています。

おわかりでしょう、楫取素彦と妻の寿は、そこで必ずや「松の蔭のおかげで暑さがしのげた」という感謝の辞を明治天皇と皇后が読まれることを見越していたのです。そして松の蔭(つまり吉田寅次郎)に謝辞を示して、松蔭の弔いとしたのです。


このように楫取素彦(小田村伊之助)こそが出世し、天寿を全うした松下村塾の数少ない塾生であったのです。同じ時期に松下村塾の出身者はほとんどあった萩の乱で死んでいるのです。

維新後も毛利家からたいへん信頼されていたとみえて、楫取素彦の楫取という名前も毛利の殿様から「この世の梶(かじ)取りをしてくれ」と言う意味で授けられたのだそうです。

思想的にはリベラルです。男女性差の解消であり福祉重点と農業政策を基本としています。

だから明治の高官として活躍し、松蔭の思想の影響を受けていたと思われる楫取素彦(小田村伊之助)の足跡は重要だと思うのです。
退任間近でも前橋に天皇皇族を迎える臨江閣(りんこうかく)を建設しています。

一言で言えば尊王であるが攘夷ではない、つまりは中華思想よりもヨーロッパ近代思想の影響を強く感じるのです。

なぜなら楫取素彦(小田村伊之助)の誕生は1829年、この年はイギリスで産業革命が始まったころで、水力から石炭による蒸気機関となり、それまで手織りであった絹綿製品が、紡織機の発明で大量にイギリスから世界に売られていった頃です。

工業力でインドや中国を経済植民地としていた実状をよく知っていた



だから渋沢栄一も伊藤博文も英国のしたたかさと日本の経済植民地化を恐れていました。
横須賀に海軍と製鉄所を幕末に造った勘定方の小栗忠順(おぐりただまさ)も技術者はすべてフランス人を招聘したのです。

富岡製糸場も設立当初はフランス人技術者による指導でした。

長州出身だから英国資本をそのまま日本に導入したわけではないのです。

ただはっきり言っちゃいますが、そんな大義をもって殖産興業の先駆けとなった群馬県なのですが、中曽根や福田、小渕といった政治家達がどうしてこうも土建ずぶずぶの国土破壊ばかりする連中ばかり排出するのでしょうか。

前橋から伊勢崎と足を延ばしましたが、街中を歩いているのは私ぐらいです。寂れ感がハンパじゃない。

明治では楫取素彦が教育制度をいち早く導入したおかげで進学率も国内随一(50%超)だったし、有能な人材を輩出して他府県からはみほんとされたのだそうです。

いまの群馬のイメージとはえらい違いだ。ついでに山口もいまじゃ影の薄い県です。
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事業部制を敷く企業はムダ・ムリ・ムラの固まり 
Saturday, July 25, 2015, 04:01 PM
7/25 晴 10時 浅草での空間線量は30ベクレル/立法メートル

今月はゆっくりできませんでした。一日中立っているのって思いの外疲れます。

昨日までは東京国際展示場(東京ビッグサイト)に駆り出されてました。ツテのある小さな会社のお手伝いですが、社員抱えているんだからそっちを使えばいいのになあ。
新技術やトレンドを知ることができるので、私も勉強になるのですけども。

お隣が東芝のブースでした。


家電から発電機タービンまで扱っている巨大企業が揺れてます。
手堅いイメージだったのですが、新聞報道を追っていると、ありがちな内部抗争と利益至上主義による事業育成の失敗、事業絞り込みの裏目など散々なもの。

事業部制を敷く会社に将来性はない



これが私の抱いている結論。
大組織を擬似的な小会社に分割して、予算や人事権限を持たせて管理するという経営方法が30年ほど前に流行ったのです。

喰えない事業部の社員は冷や飯を喰わされ、稼ぐ事業部の社員は威張りちらします。

せっかく大企業に就職できたと喜んでも、配属先が花形部署ではないお荷物部署かもしれません。そして事業部制で締め上げられている会社は社員にとっては地獄です・・・経験者談(笑)

大企業のサラリーマンはずっとクジ引きしてるようなもん


事業部制を敷いている企業は横の人事異動なんてありませんから、生涯その分野でくっていかなくちゃあならない。20台そこそこの若造が一生の仕事をイメージだけで就職先を決めている風潮は昔から変わりませんけども、そりゃ無茶ってなもんです。
とくに巨大企業は日陰の部署がたくさんありますし、さらにだいたい事業部のトップは本社から落ちてくるので支配層と労働者層という具合に上意下達の組織になりがちです。

東芝のブースの裏はNTT東日本ですが、NTTの子会社つうとせいぜい電柱を立てるぐらいかと思っていたら、道路工事までやってるみたいです。同じ事業でNTTデータもブースが違うところにありました。

大手企業が出展している内容はどこも似たり寄ったり。何故かというと自社技術ではなく他社の機器の販売代理店に過ぎないから(笑)横のブースでやっていることと同じです。

GEの展示ブースも見学してきました。工業用デジタル機器では一歩飛び抜けている気がします。製品群を眺めていると日本も頑張っているのですけども、かつての古めかしいGEのイメージではないのです。

90年代には利益の大半を金融で稼ぐ企業というイメージが強かったのですが、今は再び製造業へ回帰しつつあるようです。エジソンの電球から発展した企業は再び羽根モノ(タービン、ジェットエンジン)に戻っているのです。

選択と集中という名の社内競争を煽るだけの日本企業



GEと東芝のブースを見比べてみると、方や自前技術、方や他社技術でブランド名ぐらいしか訴求点がないということ。手っ取り早く稼ぐには、人手不足で目先利益が望めるところにぶち込んでみようという安易さが感じられます。

何百社も展示会に出展しているのですが、おっと思う会社なんて片手で数えるぐらいしかありません。そういうところは素っ気ないブースでパイプ椅子と会議テーブルだけで一人か二人で立っているようなところです。(ちなみに私が説明していたのは低周波電磁探傷装置というおそらく誰も聞いたこともない装置で、とても素晴しい装置なのにあまり注目されないのです)

すいませんね、無愛想な説明員で。あーつかれた


過去ログ:GEにみる縮小する業界・発展する業界
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国際展示場(東京ビッグサイト)に居ります 
Wednesday, July 22, 2015, 08:45 AM
7/21 晴 10時 浅草での空間線量は33ベクレル/立法メートル

連休は楫取素彦(かとり もとひこ:小田村伊之助)の功績を辿り群馬県内を旅行しておりました。発見があり面白い旅でした。
それにしてもこの時期に日本で一番暑い地帯を走り回るのは、きつい。

明後日までビッグサイトにお手伝いで居ります。

んでごちそうになったのですが、銀座のジャズバーに連れてってもらいました。
そこで歌っていたのは水森亜土さん・・・オーバーオール姿でガラスにイラストを描くことで有名な方です。

こんな毎日なので今週はブログの更新はできません。調べたりじっくり取り組みたいことがあり、呑んでばっかりというわけにはいかないのですが・・・


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主戦場はクレジットカードへ キャッシュレスの新資本仕組み主義時代 
Thursday, July 16, 2015, 02:20 PM
7/16 小雨/晴 10時 浅草での空間線量は30ベクレル/立法メートル

コンビニで買うとポイントカードありませんかと聞かれます。私はほとんど関心がないので、持っていないと答えると失礼いたしましたという返答です。なんだろなあれは。

ヨドバシカメラではレジでポイントを使われますかと訊ねられたら、かならず全部使い切ってくださいとお願いしてます。
コピー用紙やプリンターインクぐらいしか買いませんけど、多少は消費者の囲いこみ戦略に組み込まれてしまったという自覚はあります。

もっとお節介なことは、勝手にポイントがたまりましたと通知されるNTTや携帯電話の電子メールです。
あれなんなんだろう。

もっともJR系のSuicaを持っていると、キオスクでは小銭を出すよりも手軽なのでついつい使っちゃいますね。
これにもポイントがついているらしいですが数一〇円分のポイントがたまっていると言われても何にもできません。

ポイントってみみっちくて大嫌いです。
個人的にはメリットは感じません。

それどころか小売業者や飲食店業者側にとっては、支払額の手数料が世界一高いのが日本のクレジット会社です。

旧聞ですがアメリカ始め世界では2%程度なのですが日本は5%も取る。読み取り装置端末の使用料も高額ですから本音は誰も使いたくないのです。

掲載記事のようにスマホで決済できるようになれば、小規模な小売業や屋台のような飲食業でも導入できます。
ソフトバンクの孫正義も10年以上前にクレジット決済業に参入しようとしていましたが、断念しました。
決済をアメリカの会社ですれば2%ですから、日本の手数料を4%にしても2%丸儲けという目論見です。

銀行か金融監督庁が横やり入れてやめさせたという経緯があります。

アメリカのベンチャーがスマホで乗込んできました。金融庁、日本の銀行・カード会社はどうするのでしょうかね。
どてっぱらに風穴あけられちゃいます(笑)ざまあみろ。

世界ではUber(ウーバー)という乗用車の相乗りサービスが大人気なんだとか。
タクシーよりも安い料金で、スマホで決済できるのでキャッシュレスですし、運転者の信用も一目瞭然で安心とのこと。

一方では乗用車があれば誰でも収入を得る手段を持つことができます。

もちろんタクシー運転手や業界は怒り心頭です。海外では抗議集会やデモが勃発しているそうです。

かたや日本では運輸省が認可していない白タク行為は御法度ということで、一切その手のサービスが行われていません。

古い法律を楯にしているのは許認可省庁の常套ですから、驚きはありません。

ただ海外ではすべてのサービスがキャッシュレス、カレンシーレス、オンデマンドとなっているのに、日本は少しも進歩していないのです。

せいぜいポイントカードの客の奪い合い



海外ではポイントという時代ではなく、サービス代価がネットワーク内で処理される時代なのです。

そして現金化されるときにクレジット決済業者と銀行が関与するという脇役なのです。

お金が動くと必ず目減りしていく



これは言うまでもなく、金利や手数料だという名目でちょっとずつ喰われていきます。経由地点(金融業者)を経る度に目減りしていくのがお金の特徴です。

事務経費名目で堂々と搾取できるのが銀行の特権です。そして現代でもすべては一旦金額に換算して決済されることが普通です。

お金に換算された時点で銀行や決済会社は手数料をとります。

ところがサービス提供者とサービス享受者の間に現金のやりとりが一切なければ、どうなるか?

参入業者や業界が増えれば、やがてビットコインのような仮想通貨となっていくでしょう。

現金を仲介する銀行業よりもスマホ上で物々交換する時代



それのイニシアチブ(先導)をとる企業・組織はどのようになるのかはわかりません。
AmazonやGoogleが参入することは間違いない。

TPPで一気にUberのようなサービスが日本に浸透するかもしれませんし、クレジット決済で喰っている日本の会社は再編されるでしょう。

べつに日本になくてもインターネットにつながっていれば地球上のどこにあっても良いのですから。

日本のクレジット産業は衰退していきますから、恨むならカビの生えた法令を振り回す監督省庁の財務省を恨んで下さいw

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ギリシャの”金の卵を産む鶏”がEU緊縮策で殺される 
Thursday, July 16, 2015, 11:13 AM
7/15 晴 16時 浅草での空間線量は28ベクレル/立法メートル

ギリシャは結局EUの緊縮財政策をチプラス首相は受入れることに容認しています。左派の与党は反対するでしょうから、おそらく辞任という形で決着するというシナリオになりそうです。

それにしてもメルケル首相がEUの最高権力者であることがよくわかります。フランスのオランド大統領もドイツには逆らえない。

ドイツ第四帝国と言わずしてなんと言えばいいのでしょうか



さあ、そのドイツがギリシャに対して、国有資産を債権者へ譲渡することを求めて、ギリシャの主要産業である観光業を手中にしようとしています。

ギリシャといえば遺跡を巡ったりエーゲ海の景色といった観光産業が主流のように感じます。

ただもう一つよく耳にするキーワードで「ギリシャ船籍」というものがあります。

パナマ船籍とあわせて世界中の海運業界ではギリシャの存在は大きいのです。

世界中の船腹量(商船の搭載量)を船主の国籍で算出すると、日本を抜いてダントツでトップです。(2015年現在)
二位は日本、三位は中国、以降ドイツ、シンガポール、韓国、香港、アメリカ、イギリス、ノルウェーです。

ギリシャの人口は1132万人(日本の1/10)、国土は日本の1/3でありながら、船の所有数では世界一です。

船の所属国を示す「船籍」ではパナマがダントツのトップです。ギリシャは七位です。
かつての造船国家といわれた日本やノルウェーは11位と12位で圏外です。

船籍とは船にかかる税金軽減が目的で、またパナマは登録基準が緩いという理由なのだそうです。
日本では海運会社や船長が日本国籍でないと登録を認めないといった理由で、日本の海運会社も日本にはない特典や恩恵のために外国船としておくことが多いそうです。

巨大な船はコモディティー(消費財)である



海運会社の船舶はだいたい12年程度で中古船として売却されます。新品として納入されてから12年使ったら売却されてしまうのです。

高速道路を走っているトラックと同じ寿命です。

船舶を検査している人から聞いた話では大型商船の船体は時が経つとあばら骨が浮き出たようになります。そのあばらの出具合で船の年齢がだいたいわかると聞いたような気がします。通称「痩せ馬」と呼ばれています。

それを、こんどは造船会社の人に聞いたら、時が経つに従い外側の皮がベコベコになるなんてあるかいな、ということ。どっちが正しいのかはわかりませんけども、確かなことは海運会社で使われる船は、新造から12年もすれば中古マーケットに回されると言うこと。お金のない国や景気の浮揚で需要が高い国へ売られていくのです。

また船は浮かぶ鉄屑なので、スクラップでも価値がある。
最後は解体されて鉄骨やふたたび鉄板となっていくという特徴があります。

そしてその中古船マーケットでもギリシャが影響力をもっている。
ギリシャ人は世界の海運業のメジャープレーヤであり、船舶マーケットでディーラーとしての立場も確固たる地位を占めているのです。(中古マーケットの1/3をギリシャ人が売買している)

ギリシャ人は怠け者?実態は目先が効いて豊富な資金量を誇る海運王国



これはあまり知られていないギリシャの主要産業の顔です。

ただギリシャの海運業界は一族経営や同族経営の体質が顕著で、意志決定が早いとか需要を先読みする感覚が鋭いのだそうです。たとえば途上国で石油需要が増えるとなれば、オイルタンカーを、またガス需要が伸びるとなればLPG船を、といった具合に先回りして船を発注したり確保したりするのだそうです。

船体と船員を提供して、運び賃を稼ぐモデルです。ギリシャ自体に鉄や石油の需要はないからです。

ギリシャの船主はヨーロッパの運び屋として君臨している



造船自体は安く作れる国で造ればよく、自国ではなく他国と他国の通商で稼いでいます。
ギリシャ政府も海運業には優遇税制を設けたり、便宜を図っているようです。

EU(ドイツ第四帝国)は特定業種の依怙贔屓を廃止させようとしている



ここでもプロテスタンティズムのいう「平等主義」が出てきます。
平等という錦の御旗を振り回して、寡占ではなく競争を促せとギリシャに是正を勧告しているのです。

優遇税制をなくしたら、ギリシャの海運会社は他国へ移っていってしまうでしょう。

いくら一族経営の旧態的な統治の企業であっても、せっかくのギリシャの金の卵を産む鶏をみすみす殺させるEUの方針には首を傾げます。

メルケル首相(旧東ドイツ出身)はギリシャ統治(実質的な属国化)を皮切りに、スペイン・ポルトガル・イタリアなども実質ドイツ国領としていくつもりなのでしょうか。

ギリシャ人にとっては災難でしょうなあ。

(追記)掲載記事のフェリーが係留されている写真ですが、3隻がどれもお尻(船尾)を岸につけています。これって大型船ではほんとに珍しい係留方法です。「艫(とも)付け」といって漁船などでは荷の積み卸しのために、このような係留をすることがあります。でも普通は岸壁に対して舳先(へさき:船首)を付ける「先付け」が圧倒的に多い。
フェリーや大型船は岸に対して左舷(ポートサイド)を付けます。この写真のフェリーはお尻からバックで接岸したのだろうな、すごい操船技術です。この写真はみれば見るほど驚きます。着岸のたびに錨(アンカー)を降ろすなんて光景日本ではお目にかかれません。

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ウィンブルドンの貴賓席 
Monday, July 13, 2015, 02:20 PM
7/13 晴 10時 浅草での空間線量は21ベクレル/立法メートル

昨日のフェデラーとジェコビッチのウィンブルドンの決勝を眺めていました。
テニスの経験はありませんが、針の穴を通すような正確なショットと攻守で繰り広げられる互いの攻略についつい引き込まれました。

ときどき観客席にカメラが向きます。
貴賓席では著名人が観戦しています。貴族の称号をもっている人や王室関係者の席です。歴代優勝者の顔ぶれにつづき最近観たアラン・チューリングの半生「イミテーションゲーム」のカンバーバッチの顔もあります。

保守的(conservative)な競技って落ち着いて観ていられる



これが米国大会とかなると、ポップコーン片手に鳥打ち帽にサングラス、Tシャツ姿の観客が騒がしくて、プレーヤーが香具師の見世物扱いなので気の毒になります。

F1レーサーがハミルトンが折角招待されていたのに、シャツ姿のため服装(ジャケット、タイ着用)規定で入場を断られたのだとか。バカだね。
F1はフランス貴族の娯楽ですから、そのドライバーは貴族の所有する馬みたいなもんだ。さすがに競争馬にまでネクタイは締めることはF1では強要されないもんね。

競馬もポロ、クリケット、ついでにゴルフも元来は貴族による娯楽ですから、身なりやマナーが観客側にも要求されます。(日本ではゴルフはすでに大衆スポーツなんでしょうけど)

GHQのによる大衆懐柔政策、いわゆる3S(Sports、School、Scleen or Sex)で野球というプロスポーツができ、映画・テレビで親米思想が植え付けられたのは有名な話です。

日本人は下賤なものばかり観させ続けられたから、スポーツって肉体の闘いとしか認識できない・・・これは穿った見方かな。

プロ予備軍化した高校野球がそろそろ始まります。

いまだ敗戦後の娯楽臭がぷんぷんで下衆の極み



サッカーや野球場には特別観覧席はあるだろうけど、貴賓席ってあるのかな。
列車で言えば2等席(グリーン車:記号「ロ」)程度はあるのでしょう。

戦前は1等車というものがあったそうです。JR九州のななつぼしで旧制の一等を表す「イ」が63年ぶりに復活したことで話題になりました。唯一皇室移動用の御料車や海外要人用の貴賓車というものがあったそうですが、平成の時代では運行されていないようです。

ヨーロッパでオーケストラを聴きに行ったことがありますが、とてもじゃないけどラフな身なりでは行けたものじゃなかったです。
最低でも男はスーツ、女はドレスですからね。夕暮れならタキシードです。

シャツ姿で入れる席もあるので、そのチケット(3000円ぐらい)を買ってみました。
そしたらコンサートホールの扉の外側通路にパイプ椅子が並べられていて、そこなんだとか。
半分だけ開けられた扉から漏れ出る音で我慢します。指揮者どころか演奏者は見えません。

私はクラシック音楽は眠り薬ですから、それで十分ですけども、ちゃんとした料金(数万円?)払っている観客は、開始までには絵画や彫刻が飾られたウェイティングルームが用意されて、そこにはワインやチーズといった軽食が用意されています。

そこで談笑しているのは市長さんとか名士の人たちで、指揮者やコンサートマスターが演奏前にワイングラス片手に挨拶して回ってました。
日本ではお目にかかれない、上流社会の優雅さをかいま見たことに感動をしました。

テニスのウィンブルドンもそんな貴族社会の名残を感じられて、選ばれた者しか立てない聖地としての重みが全然違いますね。

テニスの勝者は人格者としてヨーロッパでは生涯敬われていくのでしょうが、かたや日本のプロスポーツ選手は政治的な発言が許されない筋肉バカ扱いだからある意味可哀想です。

スポーツは日本においては大衆娯楽ですから、引退後はテレビタレントの色物扱いですね。松岡修造や武田修宏、前園真聖など例をあげるまでもないか。

国威発揚としか見ていない後進国家日本



日本スポーツ振興センター(JSC)による新国立競技場のクソデザインと巨額建築費が大問題になっています。
スポーツ界を牛耳る森喜朗のごり押し、どれだけのカネが自民党に回るんだよ。

2500億を超える建築費(海外の6倍以上の建築費)の言い訳として、スポーツを通した国威を示すためとJSCや文科大臣が発言しています。

こいつらは絶対にウィンブルドンの貴賓席に座る資格がないですね。ござでも敷いて地べたにでも座っていろ!
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漱石は「こころ」で贖罪を問い、「それから」では罪という概念を嫌った 
Sunday, July 12, 2015, 01:48 PM
7/12 晴 10時 浅草での空間線量は20ベクレル/立法メートル

一昨日の朝日新聞に再連載されている夏目漱石の「それから」を掲載しておきます。
江戸時代から大きく変化した(明治の)知識人の思想は、現代の我々には指摘されなければ理解できません。

ユニテリアニズムというキーワードで明治知識人の苦悩がわかる



副島隆彦が石井利明氏とも世界的なユニテリアニズムへの潮流が日本にも明治維新を(結果的に)引き起こしたという発見して、「フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした」(成甲書房 2014)が出来上がりました。
私も鴎外から明治のユニテリアニズムへの苦悩を中心に執筆しました。

ユニテリアニズムには漱石も深く関心を示していたことがわかる



良く言われる代表三部作「三四郎」「こころ」「それから」を順に読んでいくと、漱石がどのように明治思想を捉えていたのかがわかります。

漱石はイギリス文学の研究者であり、シェークスピアを研究し、東大で教鞭をとり、英国に留学しています。
その漱石から同志社大学(ユニテリアン達の教会アメリカン・ボードが創設した大学)、アメリカの思想家エマーソン、小説家ホーソーンの名が文中に記されています。

ラルフ・ウォルドー・エマーソン(Ralph Waldo Emerson)をwikipediaで読んでみると、バリバリのユニテリアンの啓蒙家です。
ナサニエル・ホーソーン(Nathaniel Hawthorne)は宗教(彼の場合は清教徒(ピューリタン))の善悪・贖罪をテーマにした小説家です。

ホーソーンは小説で無職や姦通が罪であるのかと問い、アメリカで物議を湧かせたのです。

「それから」の主人公・代助が無理やり縁談で見合いさせられている高木の令嬢が、クエーカー教(プロテスタンティズムでも聖書研究のみを拠り所としたアメリカ土着宗派)の家庭教師の教えで、小説も演劇にも興味を示さない態度を代助は冷ややかに観察しています。

「三四郎」で都会の女性達をきっかけに田舎者の戸惑いを記した「三四郎」、また知識人であった先生の贖罪を描いた「こころ」、そして「それから」では無職と姦通に対する問いかけという

西洋キリスト教に基づいた明治思想(道徳観つまり善悪基準)を題材にした


ということ。

贖罪意識と禁欲に対して「それから」は漱石の答えとして読むと、たいへん興味深く読めます。

勤勉であるべし、妻帯であるべし、娯楽に興じるべからずという明治後期の風潮を漱石は好ましく思っていなかったのです。

鴎外は晩年の乃木希典将軍の殉死をきっかけに、それまでの西洋かぶれから作風が一変しました。近代文明を産み出ししたエゴイズム(自己主義)に懐疑をしめすようになります。

「それから」主人公・代助の家は実業家であり資産家であり、芸術分野にも含蓄がある一家です。つまりものすごい上流階級です。
ただ旧家ではなく成り上がって財をなした一族です。

成り上がりだから文化・芸術の深淵をインテリの代助以外理解できない



それに対する虚脱感が代助を襲っているわけです。これは漱石自身が抱えている問題意識です。

パトロンという言葉がありますが、あれは日本語では「芸術擁護者」という意味。反カトリックの芸術家達(ミケランジェロやラファエロ達)を支援したメディチ家を指す言葉です。別に金持ちの爺が若い妾を養う行為ではありません。

カトリックへの反発こそが、イギリスからアメリカへ伝わり、明治の日本にも押し寄せた漱石の時代の思想潮流です。

1800年代中頃から1900年にかけて専制君主から民主主義へとプロテスタンティズムとともに広がったのです。そして日本も。

日本でも新興財閥が勃興してきて、公家や武家といった江戸時代とはちがう上流社会が形成されたのです。

文化は上流社会(階級)からしか生まれない



古今東西、人を感動させる芸術や文化は上流階層(金持ちや貴族)からしか生まれないというのが私の持論です。

ところが悲しいかな文化教養の低い人がいくら金持ちになったて、審美眼も芸術の理解も低いままのです。宗教的な背景もないから。

下町文化や町人文化という言葉もありますが、これらだって貧乏人が寄り集まったら自然発生したものか、統治した資本家達により築き上げられた風習に過ぎません。文化(culture)ではなく風習(custom)なのです。

だから現代芸術とか近代美術ってものが私はぜんぜん興味がない(笑)

「それから」では代助が実家には洋画が掛けられているのを批評して成金である父や兄の審美眼のなさを暗に批判しているような記述もあります。

インテリは上流階級の付帯者であるべし



西洋では中世までは領主や国王らが、日本でも藩や幕府がインテリを養っていました。食客といいます。
産業革命や金融が発達して生まれた新興貴族達も芸術家や知識人を保護していたのです。

ところが日本には藩幕体制が崩壊したら、武士と共に知識人たちも宙ぶらりんにさせられたのです。

上流階層(公家や藩主たち)が消えちゃったから。

階層のない社会、みんな平等な社会、それはそれで結構なスローガンなのですが、芸術は死にましたね。

それを代助(漱石自身)は批判しているように思えます。自由だ平等だと掛け声は立派でも、働けだの、結婚しろだの、姦通するなだのまったく自由ではない。

芸術を理解している人々で美があふれている街と、階級無き平等社会とは並立しないのです、残念ながら。

それが証拠に高層ビル・マンション(skyscraper)の立ち並ぶ風景に美しさも調和も何も感じません。

美しくないものに囲まれた生活を現代的というのであれば、クソ喰らえです。そこには自由も叡智もなにも見いだせません。
まさに東京も下町も地方都市も世界中もそんな風景ばっかり。

みんな<平等に働け>という道徳(思想)からは芸術も叡智も育まれない



これが漱石が日本の読者に伝えたかったことではないのかな。
恋愛も仕事も自由だといいつつも、その底には逃れられない社会規範があり、それは頑迷なキリスト教の影響であったのです。

おおらかさが消えた明治という近代文化を批判していたのが、明治の文豪とそれにつづく作家たちであったのです。

キリスト教の唱える人の”大罪”は支配者の偽善である



それを「それから」では見合い相手を手合いにしてキリスト教の贖罪意識を露骨に批判を加えているということです。

キリスト教の唱える大罪は信者を隷属させるためなのだから。

検索キーワード:漱石:

スピリチュアリズムとは無自覚な土人宗教です
室町時代が日本のルネッサンスであった(ドラッガー・コレクション)
夏目漱石の宗教観とインターネット空間が無法地帯であること
「それから」に学ぶ「喰うために働くということは悪徳である」ということ
100年前から女の方がずっと上手(うわて)です(夏目漱石「三四郎」から読む)
勝海舟はフリーメイソン・・・だったらどうだって?
フランス文学(という政治批評)が幕末・明治の知識層に多大な影響を与えた
理系とか理工学部とか理学と工学をいっしょくたにする愚かさ
柳田国男「遠野物語」と夏目漱石「私の個人主義」
日本の思想(主義)は40年周期で変わっている
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浅草寺ほうずき市 
Saturday, July 11, 2015, 12:52 AM
7/10 晴 10時 浅草での空間線量は18ベクレル/立法メートル

今日は台風襲来の危惧もありますが、久々の快晴です。
一気に洗濯機を回して洗い物をかたづけました。ついでに押し入れの整理をして着ていない服を引っ張り出し、着てもらえそうな人に押しつけることにします。

一段落して、友人が訊ねてきたので、浅草寺のほおずき市を見学してきました。


知人の店を探したのですが、人混みがすごいのでさっさと諦めて、浅草駅裏の呑み屋へブラブラしていきました。

ところが、そのお店がない・・・一瞬場所を間違えたかと思いましたが、それらしきところを探してもない。カフェやコンビニがいつのまにかできてます。真新しいワンルームマンションがあちこち建ってます。あらら、うちの近所もここ1,2年でボロイ2階建てが壊されてマンションになってしまいましたが、どこも同じです。
建築反対の幟があちこちにはためいていました。

結局浅草六区に戻って、元大関霧島の経営する「霧島」でジンギスカンを食べて解散しました。
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「いのちは(無条件で)尊いのです」・・・あ〜はいはい、だからナニ? 
Friday, July 10, 2015, 02:04 AM
このところ毎日聞くフレーズです。「命の尊さを伝えていきます」とか「尊い命を守りましょう」とか
なんでもかんでもイノチ、イノチ、イノチ・・・
もう少し頭のいいフレーズないもんかねぇ。

そりゃ子供を産んだお母さんが我が子の命を守りたいというのは、本能だからわかります。

ただねぇ、他人の命まで尊いなんていう、その大雑把で飛躍した考えを本気で信じているのならば、頭がおかしいんでないのか?
自分の親族が戦争で犠牲になった、軍によって死に追いやられたという恨みなら同情します。

だからって陳腐な台詞「尊いかけがえのないイノチを守りましょう!」なんてことを白々しく吐く人物は頭から信用しません。すっぱりと旧軍人が憎いと言えばいいこと。

政治家なら、「だから票を頂戴」という本音を逸らすための方便です。(誰もが気づいているのでしょうが)
また、イノチ=日本人の命という意味であれば民族主義者扱いですが、そもそも右翼は命が大切などという台詞は吐きません。

岩手で連絡ノートに悩みを書きつづった中学生が電車に飛び込んで自殺したことで、担任教諭の無関心さが問題となっています。

この関心を示さなかった担任教諭の対応が現代日本の教育の本音なのですよ。
死にたいとか、死にますと宣言されても、ナニも言い返すことができない。

せいぜい「イノチはタイセツに」とか「イノチをソマツにするな」としか言えない。

他人に生き死にを指図されることなど誰でもまっぴら御免です。

死にたいという子供に生きろと言えるのは、育てた親(産んだ母親)以外にいない。

学校で命の尊さを学ばせる・・・噴飯物です



そのまえに生きのびる術(survive)を教えているか?
そして死に方を教えることができるのか?

死に方を教えるのが真の教育なのです


三角関数や英語の文法なんかよりも、もっと大事なことが日本の教育者達(それを統治する文科省と教育委員会)にはすっぽり欠落している。お前らみたいなバカから学ぶことなどひとつもねえよ。

喧嘩はダメよなんて女の腐ったような人物がオカマに諭しているような場所で、ナニがイノチの尊さだと片腹痛い。

官僚もオカマ野郎揃いで、文科省認定の公認オカマみたいなフニャフニャなのが「イノチハタイセツニ、トウトイんだからぁ」なんて呪文ばかり繰り返すだけのニッポンの教育現場なんて、オカマ養成所みたいなもんだ。

生き延びるためのパワー(power)を少しも与えられない日本教育


ここでいうパワーとは腕力や屈服させる智力のことです。

昔の武将と呼ばれる人たちは、真剣に学んだのです。何を?
生きのびるための術を。(友好関係構築や脅し、腕力、懐柔策・・・)

そして仏教にすがり祈祷したのです。信長も秀吉も家康も。

仏教思想ではイノチは(無条件で)尊いなどという考えは一切無い


もちろんキリスト教でもイスラム教でも。

信仰する魂は尊いという考えはあっても、肉体などは現世の借り物という考えです。

秀吉が刀狩りをするまでは、寺には僧兵という兵隊がおりましたし。仏敵は殺して上等、命は信仰に捧げるものであるという命知らずですから、武士と死生観が似通っているので、武士同士よりも難敵であったのだとか。

「能」は「死後の世界」を表したものなので武将達は心を躍らせて鑑賞した



首を刎ねられる、切腹させられるかもしれない、日々がサバイバルである武士達にとっての関心は、死んだらどうなるのということ。

仏教では涅槃(ねはん)に行ってお仕舞い、あとは肉体を離れた魂だけで過ごすだけという考えです。信長が能を好んだのも無信仰でありながら死後の魂の存在を強く意識していたのです。

オレはこういう考え方は好きですよ。刹那を生きるとはこういうことです。

話を戻すと、テレビ、新聞でやたらと「イノチのタイセツさを後世に伝えていきたい」とか「イノチの尊さを子供たちに学ばせたい」とかクサイ言葉をよく耳に、目にします。

そんなこと絶対不可能だと思ってますし、そもそも支配層にとってイノチなんてタイセツでも尊くもないものだから。

東洋思想では命とは勝手に生えてくる雑草と同じ



そんな寝言を垂れる暇があれば、そこらの公園で裸で寝ている浮浪者や山谷のアル中などに、自分が衣食住を提供してやればいい。

岩手の自殺した中学生の担任の態度がすべてを表しています。
教育者だ、聖職者だなんだとか言っても、地方公務員の末端ですから。

子供が自殺するたびに、文科省の役人1人の首を刎ねるようにしたら、文科省も目が覚めるでしょう。
その配下の教育委員会も、少しはイノチイノチという寝言、戯れ言をいうことを控えるでしょうね。

スタンリーキューブリックの「フルメタル・ジャケット」の海兵隊ブートキャンプが公教育に必要とは思えませんが、まずは自分が生きのびるために真剣に取り組ませることを考えさせないとだめです。
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技術屋さん(engineer)の悪い癖は自分だけが知っていると思いこむこと 
Wednesday, July 8, 2015, 11:59 PM
7/8 曇のち雨 19時 浅草での空間線量は11ベクレル/立法メートル

あいかわらずアルバイトしてます(笑)といっても近所のお店番にすぎませんけど。

同じ店番のアルバイト君は大学四回生で大学院へ進学予定。
そのひとときの合間に小遣いを稼いでいるのだとか。

いいねえ、ひさしぶりに若い世代とだべることができる。

工学部で機械工学を専攻しており、材料工学(昔は冶金学といった)を修めているのだとか。
私も似たような専攻だったので、ちょこちょこと質問をすると、専門家(professional)気取りで鼻高々に説明してくれます。

大学院へ進学を予定しているだけあって生意気な態度だなあと内心苦笑しながら話をあわせておきます。
おそらく向こうも、レジ係のおっさんが、やたらしつこく食い付くなあと思っていたでしょう。

ついつい年配者面してみたくなりますが、気を悪くさせたくはないのでもっぱら聞くことに専念しました。

ホントいうと内心は

大学のお勉強・研究なんて実社会にでれば三ヶ月もあれば習得できる



自信満々の顔つきなので、何も言いませんでしたが、はたと気づきました。

技術屋(エンジニア)の悪い癖というか性根なのでしょうか、習った知識や本の知識をまるで自分が築き上げたかのように錯覚してしまうことです。

たとえば現在、自動車でも飛行機やビルまでも、天気予報からSPEEDIとよばれる放射能汚染予想図などコンピュータシミュレーションで広く産業全般で用いられている有限要素法(FEM)という計算手法。

二〇年三〇年前には限られた人しか触れなかったスパコンレベルとなった今のPCは、それこそ自動車一台丸ごと、飛行機丸ごと計算させることも不可能ではありません。

昔は計算処理もメモリーも追いつかなかったので、自動車のバンパーだけとか、タイヤの一部断面だけとか、翼の付け根だけ、それもすごく粗い概算でしかだせませんでした。

限られたリソースでなるべく単純化して、まあまあ許せる範囲の誤差で計算させるのが技術者が頭を使うところ。
今は円周率の計算もお金をかけたコンピュータ能力で力ずくでやってしまうようです。

現代の工学理論はほとんど二〇世紀初頭に考え出された



気象予報や建物の強度計算、はたまた地震波の伝達などなどで使われる有限要素法(FEM)は第二次大戦前に確立した計算手法です。
大戦中にコンピュータが日本にはとうとうできなかったので戦艦大和の設計を何百人もの算盤の達人を体育館に並べて、人海戦術で計算させたのです。理研にはコンピュータの試作機らしきものはあったようです。

有限要素法(FEM)は大戦では原爆の爆縮のシュミレーションに用いられました。その計算をしたローレンスリバモア研究所はFEMの聖地と計算屋さんからは崇められていることも知って置いた方がよいでしょう。そこでつくられたソフトウェアがNASTRANという世界中の設計で使われている計算ソフトです。

みなさんのクルマについているカーナビだって経路探索はオペレーションリサーチ(OR)の「クリティカルパス」という数学手法が基礎となっています。これも第一次大戦後に、兵力や武器弾薬の効率的な補給、配分をどう解決したらよいかという命題の解決策として考え出された技術です。

零戦だって翼形状はしっかりした流体理論で計算された物です。適当に翼を貼り合わせたわけではありません。堀越二郎ら当時の航空機設計者達は手計算してきたのです。

それが五〇年後、六〇年後にコンピュータの登場で、誰でも瞬時に結果が表示できるようになったに過ぎません。
それをさも自分が切り拓いたように話しているので吹き出しそうでした。

技術屋は先駆者たちの仕事の積み重ねで自分がいることに無頓着




コンピュータプログラマーなんてその最たるもの(笑)
まあ過去の余韻に浸っている暇もないほど、新技術を先駆けてやらなきゃいけない因果な職業だから仕方がないかもしれません。

コンピュータもプログラミング言語も、インターネットといったインフラ・・・それらが一朝一夕でつくられたものではなく
少しづつ少しづつ改良されて今日があるわけです。

ところが二流の技術屋さんってそれが水か空気のように感じていること。
そして自分の世界が、世間からずっと先端にいると、自己陶酔してしまいがちです。
日本の理工系学部の指導者がほとんどこんな輩のように感じてます。何でそう思うのか?
人間的な魅力がぜんぜんないもの(爆)所詮は特別公務員ですから。


大学生君は、数年後には理研で研究するか、自動車会社にでも入社したいと願ってました。
そうなるといいですね。

ただ頭の良い奴や天才肌は世間にでれば、いくらでも出会えるわけです。
日本人でありながらF1の設計者やら、アメリカズカップの船体設計者とか、その道の達人、仙人のような人々が。

大学数年の付け焼き刃で、ひしめく技術者を押しのけていけると勘違いしている若い大学生に、ちょっと苦笑してしまいました。
もっともレジ係のおっさんに笑われるのも気分を害するでしょうから、顔はへぇといった顔をしました。

若いっていいことだ。自分も似たようなものだったので、知識という武器をもった高揚感がよくわかります。

ずば抜けている技術者はちょっとネジが外れている



私が優秀だなあと思った人は、だいたい頭のちょっとネジがどっかに落っことしてきたような人ばかり。

将棋囲碁の有段者や熱心なクリスチャンでロザリオをコンピュータに掛けてたり、ギターや絵画の才能などなど異才を発揮するようなひとばかりでした。
もっとも他人から見れば子供じみていたり、傍若無人だったりと人格を疑うような人もいます。おしなべて”いいひと”では決してない。

私の師匠の副島隆彦も常人からみれば十分なキチガイです。

共通していることは、自分の思想と主義、信念がしっかりしていることです。
ある人は宗教的な信念、またある人は芸術分野からのインスピレーション、またあるひとは劣等感や社会への恨みみたいなもの。
スティーブ・ジョブスなんかは典型的でしょう。

視野が広い人しか技術屋では大成しない



オタクは消費者として企業にとってはありがたいのですが、いざ開発者(設計者)でオタクは嫌われるそうです。

トヨタ自動車にはクルマ好きがいないと豊田章男(とよたあきお)社長が嘆いたという逸話がありますが、実際に人材採用ではクルマのウンチクを語るほどのマニアは採用されないのだとか。またホンダはホンダ車の欠点(好まない面)を面接で発表させたとかそんな噂話があります。おしなべてクルマ好きやマニアはクルマ会社は採用をしないということは真実のようです。

独りよがりの技術者はマスプロメーカーにとって迷惑な存在だから。

まったく畑違いの人に商品開発やデザインをさせたほうが革新的なヒット商品につながることが多いようです。

斜眼帯(ブリンカー)をつけた競馬馬みたいな社員とくに技術屋なんて、今の世の中ではあんまり役立ちません。
平社員のままこき使われるだけです。

いわゆる便利屋、社内下請として重宝されて、使い捨てられます。

なぜなら、技術者(engieer)って元々から社会組織において地位が低い身分としてみなされてきたからです。
(産業革命でできた言葉。エンジンをいじる人という意味。同義語でoilish(油まみれ)という侮辱言葉もある)

・・・こんなことをアルバイトしている学生君にしゃべっても仕方がないので、ブログに書き留めておきます。

(追記)
ここまで書いてしまったので、はっきり申し上げますが

『技術大国ニッポン』なんてフレーズは大嫌いです



ああここまで技術が進歩して幸せだなあ〜なんて感じたことがいっぺんでもあったでしょうか?
夜間でもコンビニのATMでお金を引き出せたから幸せですか?テレビの画質がよくなって幸せを感じましたか?クソ喰らえです。

(誤解をされると困るので言い改めますけども、技術屋は大嫌いですが、職人さんは大好きです。宮大工とか刀鍛冶、時計職人なんてゾクゾクしますね)

工学部の学生君を眺めていて、感じたことですけども、若いくせに悟りきったような面をしていることです。副島先生が日本の若い男は去勢されてしまったと嘆くことがなんとなくわかります。

技術大国なんて私は望んでません。
目指すべきは『エロス大国ニッポン』ではないでしょうか。

技術には全くエロスを感じないのです。これを「不毛の文化」といいます。
この不毛さは浅はかな技術信仰と金儲け主義にあると考えます。
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食料品を除けば小売は昼から実働5時間程度で十分なのです 
Tuesday, July 7, 2015, 05:35 PM
7/7 曇 16時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル

あいかわらず午前中はお店番を錦糸町でやってます。
契約期間が来週までなので、あと少しで退屈な時間から解放されます。

手持ちぶさたで一ヶ月の売上帳を眺めていたら、平日は売れ行きの良い曜日と落ち込む曜日があることに気づきます。
週初めは売上はたいてい良くありません。

そして朝10時〜21時のショッピングモールの営業時間中、午前中の売上は全体の売上の1割程度しかありません。
大部分は12時〜17時の5時間が7割で、あとの2割弱が18時以降で、19時〜21時の時間帯は1割にも満たない。つまり夜は閑散としてます。

ざっとそんな感じです。服や鞄、雑貨といった商売は時間帯のピークは3時頃なのです。

ショッピングモールの長時間営業は店子の利益率を下げるだけ



売上が上がらない時間とわかっていても店員の人件費がかかります。
また夜間は手当を付けなければならない。

店のオーナーにとっては頭の痛い問題です。

女性を活用したいと思っていても、お子さんが小さいお母さんにはお願いできないのです。
配送と陳列ぐらいは男でもできるでしょうけども、とくにアパレルは女性ではないと接客できません。

接客業は5時間が体力的に限度



体験してみると、せいぜい3時間、なんとかもって4時間か5時間が限度です。
体力も気力もなくなります。

一日朝から晩まで笑顔を崩さず、テキパキと動き回るまわるなんて、私には無理ですね(笑)

これが自店舗ならば開店も閉店も自由に決められるのでしょうが、イオンやヨーカドーといったショッピングセンターでは店舗毎の裁量は無理なのです。

ショッピングセンターでは店員も"消耗品"扱い



だいたい店舗の開店前には、釣り銭の用意だとか、入荷した商品も確認、ポスターや値引きセールの貼紙など用意するために1時間は取られます。掃除をするところもありますね。

お店を閉めたからさあ帰れるというわけにはいかず、レジの現金と売上記録を突き合わせて、それをバックヤードにある入金室で入金したり、閉店後に模様替えや商品入れ替えをすることもよくあります。
となると閉店しても1時間2時間が費やされることになります。終電間近で帰って寝るだけという生活も珍しくないのだとか。

となると、24時間中12時間〜14時間も拘束される場合もあります。店長やマネージャーといった責任者になるほどね。

思えば、私のIT業界で働いていた20代も会社にダラダラと居させ続けられましたネ。一日の2/3が会社に居たことになります。まったく無駄で有害な時間の使い方です。

若いゆえに時間は豊富に有り余るほどあるという感覚だったからでしょうが、今は一日一週間一ヶ月が早い早い(笑)一秒でも無駄な時間は過ごしたくありません。

表では笑顔でも、裏の休憩所の雰囲気は、どの顔もやさぐれてます(爆)
疲労で笑顔もない。

日本の小売業態は人材をひたすら浪費しているだけ



若者が主体の職場・業種なのに、その若者達が賢い消費者になることを拒んでいるのが、現状の小売業の酷い現実です。

長時間営業は高コストであり、それは価格に転嫁され、また従業員が消費する機会を失わせているわけです。

こりゃデートだおしゃれだとお金を使うことができんわw
ましてや結婚相手探しの時間もないじゃねえの・・・。

ちなみに、ショッピングセンターの午後の買い物客の主体は、子供連れのお母さん達や孫を連れた爺婆です。
不思議に13時あたりから乳母車をゴロゴロと押して、大勢押し寄せてくる。

ママ友と食事を摂って、散策しているついでに晩ご飯の買い物を済ませているのでしょう。

ショッピングセンターで働いている若者達はいったいどこで買い物をしているのだろう?
わずかな休み時間で同じショッピングセンターの店舗で買っているようです。
特に飲食店はテナントの店員は優良顧客ですし、割引もしているようです。

いちどショッピングセンターの檻に入ったら、なかなか出られなくなります。大型商業施設であればあるほど。

社会効率化のために夜間や早朝営業を規制すべきだ!



とくに女性の活用を社会目標に掲げるのであれば、勤務拘束時間は徹底的に抑圧しなければなりません。
工場などの第二次産業は8時から5時と相場が決まっています。

工場勤務って陽が高い時間に帰ることができるから、釣りをしたり、趣味に没頭したり、本を読んだりいろいろな過ごし方ができるのです。家族団らんで食卓を囲むこともできます。

これが昭和の普通の生活だったのに、いつのまにか一つ屋根の下でも別々の生活リズムになってしまいました。

ホワイトカラーも第三次産業の従業員であっても、おしなべてダラダラ働かせ続くこの社会がはたして良いものだろうかと思います。

時給を稼ぎたいからなるべく長時間働かせてくれという若者はそれはそれでいいです。
また出稼ぎ外国人も長時間勤務は歓迎でしょう。

ただし国力(=人材)にとってはあきらかにマイナスです



白痴化させるだけならまだしも、精神疾患(精神分裂症、統合失調症)の原因ともなります。実際に長時間勤務が鬱病の最大原因なのですから。

私が権力を握ったら、時給は2倍、勤務時間は半分にさせます。
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